今日、CHAGE&ASKAのASKAが大麻所持疑惑、でもって検査でも陽性が出て逮捕されたというニュースが出たことは皆さんも知ってるかと思いますが、なかなかに大きな話なだけに自分も驚きつつやっぱ当たりだったんだなぁなんて思って記事を読んでました。何が当たりだったのかというと去年に週刊文集が既に大麻を使用していると報じて、これに対してASKAは使っていたのは合法の薬物だと反論してましたが、あんな報道をされてたのにまだ使ってたというのはちょっと呆れます。
それにしてもこのところの文春のスクープ連発には目を見張ります。このASKAの大麻疑惑はもとより今年初めには佐村河内のゴーストライターを真っ先にすっぱ抜いて謝罪会見に引っ張り込むなど、直近二年で言えば間違いなくナンバーワンと言っていいでしょう。強いて苦言を呈すなら、橋下大阪市長への批判はもう少し粘ってからやっとけば風向きも違ったのにねっていうくらいです。
話はその佐村河内の件についてですが、カミングアウトというか佐村河内がゴーストライターの存在を認めた後、彼を盲目の作曲家として特集番組を組んで放送していたNHKなどは激しい批判にさらされました。まぁこの辺に関しては佐村河内の方が役者が上だったと思って、NHKは批判されるのはしょうがないにしろ私個人としてはやや同情する気も覚えたのですが、その以上にもっと批判されるべきメディアがいるのではないかと当時思っていました。具体名は挙げませんが詐称が発覚した後、「俺たちは初めから怪しいと思ってたんだ」、「彼が詐称していたことは見抜いていた」などとまんま後出しじゃんけんにもかかわらずしたり顔で主張するメディアがいくつか現れました。
結論から述べると、後からこのようなことを言いだしたメディアは間違いなくクズでしょう。というのも、それなら何故その詐称疑惑を始めから糾弾しなかったのかということです。
仮に詐称を立証する証拠や証言が集められず証拠集目に奔走していたというのであればまだ理解できますが、詐称していることをわかっていたにもかかわらず何もせず、ただほかのメディアが持ち上げるのを見ていたというのなら意気地のないことこの上なく、それでありながら文春が詐称疑惑を取り上げてものにした後でわかってたように「自分たちは知っていた」なんていうこと自体が恥知らずな行為に見えます。なお言えば、このような恥ずかしい行為を恥とも思わないその根性自体が腐りきっていると言ってもいいかもしれません。
ここで少し話を発展させますが、よくメディアは自分たちのことを「国家権力に対する抑止力」だなどと自称し、権力が暴走しかねない際にはその批判精神で以って世論を動かし暴走を食い止める、それこそがマスコミの役割だなんていう主張を述べます。言わんとしていることは理解できますし間違っていないとは思いますが一つの疑問として、ではマスコミが暴走した際には誰が止めるのかという命題があり、この命題に対してどのメディアも明確な回答を出したことは少なくとも私が見る限りだとありません。
明確でないにしろいくつか出ている回答としては、マスコミが暴走した際には別のマスコミ、例えて言うならテレビメディアが暴走したら新聞メディアとかだったり、もしくはある新聞メディアが暴走した場合には別の新聞メディアがその暴走を批判して食い止める、いわばメディア同士で監視し合うという意見があります。しかし私が見る限りだとメディアというのは意外に世論や倫理などよりも他社のメディアがいうことを信用する傾向があり、こうした相互監視というのは言うほど機能しないのではと内心考えています。
一つ例を出すと、IPS細胞の臨床実験を行ったと主張した森口の事件です。この森口に関しては最初に共同通信が「世紀の快挙」として取り上げると読売新聞が大して裏を取らずに追随して大きく報じ、ほかのメディアもこの二社が報じてるのだからと雪崩を打つように報じてデマが広がっていきました。この事件で一歩引いた距離にあったのは朝日新聞で、最終的に詐称がばれた後で、「共同通信や読売新聞が大きく報じていたけど、うちは裏が取れなかったら報じませんでした」とややしたり顔で自慢してました。さきほどは佐村河内の詐称事件で「怪しいと思ったというのなら何でツッコまなかったんだ!」と批判しましたが、この森口の詐称事件は報道過熱からばれるまでの期間が本当に短かったので、これに関しては朝日が自慢するのも認めていいかなと考えてます。もっとも、自慢しないに越したことはないのですが。
もう一つ例を出すと、これは私個人の体験です。私が上海で記者をやっていた際、いすゞ自動車が中国の江鈴自動車と合弁契約を更新するというプレスリリースがあったので電話取材を経た上で記事を書いたのですが、記事を提出するや編集長から、「共同通信は新しく合弁契約を結んで合弁会社を作ると書いてるぞ!」といきなり怒鳴られました。自分が何度も共同が書いている合弁会社は既に存在しているし、いすゞは90年代からその合弁会社でトラックを作っていると主張しても信じてもらえずやたら怒られ書きなおすように言われ、書き直せったって書きなおしようがないと思ってどうしようかと思ってたらその編集長から再び電話が来て、「読売の記事だと合弁契約を更新って書いてるね」なんて言い出し、ようやくその時点で自分の主張というか取材が正しいと信じてもらえました。
この時は、マスコミ関係者は自分の取材内容やいすゞが出したプレスリリース文より共同通信の記事の方を信じるのかと思うと同時に、よそが書いていればその内容は事実だとメディア関係者は無条件に信じるのだなと皮肉っぽく覚えました。
話は戻りますが、佐村河内の詐称事件で「マスコミの相互監視」を忠実に果たしたのは週刊文春だけで、いくつかのメディアはわかっていながらその役割を確信犯で無視しておきながらしたり顔をしていました。こんな有様ではとてもマスコミの暴走を食い止めるなんて夢物語ではないかと私は思い、やはり何かしらメディアというかマスコミを監視する存在が必要なのではないかと考えています。
この点について友人に話を振った所、それはネットじゃないかと言われました。私の意見は、ネットも確かにそうだが、ネットの意見はマスコミに対して批判的である一方で、大手メディアの報じる内容を意外と信じ込む傾向があり、一部の抑止力となり得てもやはりカウンターメディアとはなり得ないと思います。なら何がカウンターメディアとなり得るか、強いて挙げればNPOではないかと思いますが、リーマンショック以降は不景気なもんだからNPOもあまり聞かなくなったので先はまだまだ長いと思う次第です。
おまけ
高校時代、「HAGE&ASKA」というあだ名の友人がいました。いい友人でした。
2 件のコメント:
YAH YAH YAHの歌詞に「必ず手に入れたいものは 誰にも知られたくない」という一節がありますが、
今思うと意味深な内容に聞こえますね。
マスコミの暴走についてですが、尼崎マンション変死事件の角田美代子容疑者の写真問題がありました。
あの事件は最初全く別人の女性の写真を角田美代子の写真として公開したため、その後NHKを
はじめとする大手放送局が一斉に謝罪する事態になりました。
犯人の写真を公開して売上や視聴率を上げたいという写真主義が写真週刊誌だけでなく大手放送局
公共放送にまで蔓延している事に驚きました。
小室氏が逮捕された際も過去の歌詞の替え歌で「時には起こすよ詐欺事件~」と書かれてて、妙に記憶に残ってます。
また良いポイント指摘してくれましたが、尼崎の事件も「共同通信が出したんだから」という理由で、明確な裏付けがないまま他の報道各社も間違った写真を公開しており、今回この記事で書いたことと同じ構図でした。何気にこの時の共同通信の内情については詳しく知っており、そろそろ時効だから当時の事情について書いちゃおかな。
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