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2017年2月23日木曜日

万引き、暴行犯の画像公開について

 久々に少し興味の出てくる社会事件が出てきたので、今日は最近相次ぐ小売店の問題人物画像の張り出しについて自説を述べます。

眼鏡店社長が激白「ネットの力を借りれば犯人分かる」「まんだらけの件、参考に」「常習者間違いない」(産経新聞)
マクドナルドが「犯罪者探しています」画像張り出し(日刊スポーツ)

 上記二つの事件はあちこちで報じられているので皆さんも内容については把握しているかと思います。どちらも盗難、暴行を行ったことがほぼ確実な人物に対し店側が店内の防犯カメラ映像を店頭に張り出し、当該人物について情報提供を求めたという内容です。このうち前者のめがねおーの例においては大きく報道されたこともあって容疑者が名乗り出てくるなど「効果」はあり、後者のマクドナルドについては警察側からの要請を受けて画像張り出しをやめており、膀胱を行ったとする容疑者は捕まったのかどうかについてはわかりません。

 この二店の行動について肯定するか否かで意見は出ておりますが、私個人の意見を述べると仮に張り出した人物が実際には犯人ではなかった場合に店側が逆批判を受けるという覚悟を持って行ったというのであれば、別に問題はないのではないかと考えております。
 どちらの例でもカメラの映像などから張り出された人物が犯罪を行っていたと信じるに足る状況で、特にめがねおーの例では知人の買取店関係者からまさに当該人物が盗難された品物を持ってきたという証言もあり、「こいつが犯人だ」と名指しする条件は十分に備えていました。マクドナルドに至っては、目の前で暴行を受けてるのだから言わずもがなです。一部批判で言われている通りにもし謝って無関係の人物を犯人と名指ししていたら確かに大問題ですが、少なくともこの二例に関してはそうした可能性は考えなくてもいいし、既に述べた通りにもし仮に誤っていたとしたら店側がその責任を取るというつもりでこうした行為に出たというのであればそれはそれで尊重すべきだというのが私の意見です。

 ただこうした張り出しについての賛否以上に、この問題で真剣に検討すべき内容はほかにあると私は考えます。その検討内容というのも、どちらも警察を当てにしなかったという点です。

 めがねおーの例については顕著ですが、当初ここの責任者は買取店の知人の証言と合わせて警察に捜査してもらうよう掛け合ったそうですがあまり相手にしてもらえず、こうなりゃみんなの力を借りて自分で犯人を見つけ出してやろうと苦渋の末に画像公開に踏み切ったそうです。マクドナルドの方も、画像を公開して騒ぎになってから被害届を出したと書かれてありますが、事件が起きた直後に警備会社を通して警察に来てもらっていた(犯人が既に立ち去った後)ということを踏まえると、なんとなく警察は当初動かなかったのではないかという気がしないでもありません。

 私個人は警察に直接的な恨みとかは持っていませんが、基本的に私も警察を頼りにはしていない上に全く信用していません。理由はいくつかありますが大きいものとしてはこれまで冤罪事件や国策捜査を割と見ていること、小さいものとしては本人らは否定していますが交通違反にノルマを設けて事故の多い場所ではなく検挙しやすい場所に隠れて違反者を挙げるという行為を繰り返しているからです。なお交通違反のノルマについては警視庁に務めていた知人から即答で、「ある」と答えられました。

 これ以外にも方々から聞く話では、ストーカー事件を含め警察はあまりこういった事件には関わりたがらず相手にされないということばかり聞きます。だからこそ今回の二店も「自衛」という手段に打って出たのであり、真剣に検討すべきは警察が今どれほど信用がないのか、そして警察に頼るくらいなら自分で犯人捜しをした方が効率がいいという事実でしょう。
 何気に以前にも私は、警察の方が予算も人員も足りないと最近言い訳ばかり言っているのを耳にして、だったら容疑者と犯罪情報をネットとかで賞金首みたいに常時公開して、有力な情報や直接検挙した人に報奨金を支払うようにした方が効率良いのでは、そのような民間操作組織みたいなのを許認可制にして設けた方が治安にもいいんじゃないかと考えたことがあります。今回の場合、それを被害者自身がやったわけで、結果的にめがねおーの方は容疑者捕まえられたんだからやっぱ効率良いじゃんと確認できました。

 最近コンサルっぽい方面に関わることが多いからこういう発想してしまうのですが、そもそも費用対効果の面で現在の日本の警察は如何なものかと疑問を感じています。自動車ナンバーを根こそぎ読み取るNシステムは確かにすごいと認めますが、それ以外の面では捜査手法や普段の行動とかで効率が悪いように思えてならず、それこそ警官専用のポータブル端末を全員に配り、ランクによって得られる情報に制限をかけた上で常に情報を共有し合ったり緊急時の一斉配信、動員に対応させたりしてもいい時期だと思います。その上で体力がなかったり同僚に拳銃突きつけるようなアホみたいな警官は叩けばまだまだ出てくるのだから一斉解雇して、もっと予算というものに対してシビアになり、意識させるべきでしょう。
 なおさっきの警視庁に勤務していた知人は学生時代に剣道をやってて、彼曰く警視庁の武道共感は体つきからして太っており、研修で「こうすれば相手を投げられる」と言いながら知人を一回も床に転ばすことが出来なかったなど、「明らかにレベルが低い」と評していました。

 多少今後の予想を述べると、恐らくこうした画像を張り出す小売店は今後どんどんと増えていくと思いますし、誰かがそういう情報を共有するまとめサイトを作ったら流行るんじゃないかという気がします。その上で今後も警察への信用が落ちていくのなら自警団的な組織も生まれる可能性があり、国家権力というものが段々と弱まっていくのが流れかなと見ています。

2017年2月22日水曜日

平成史考察~ここがヘンだよ日本人(1998年)

 今思い返してみるとすごかったなぁと思いだす番組として、上記の「ここがヘンだよ日本人」があったので今日はこれについて書きます。

ここがヘンだよ日本人(Wikipedia)

 「ここがヘンだよ日本人」とは1998年から2002年までTBS系列で放送されたバラエティ番組の事です。元々は特番でしたが視聴率が好調だったことを受けレギュラー化し、放映当時は番組の内外で様々な議論が起こっておりました。
 多分覚えている人の方が多いと思うので説明する必要があるのかやや微妙ですが説明すると、在日中の外国人を集めて日本の様々なトピックについて見解を聞いたり、外国人同士で議論させるという番組内容でした。当初は比較的穏やかな、日本人からすると当たり前の光景や習慣だけど外国人からしたらどんな風に映るのかといったテーマが多かったものの、法曹界を重ねるごとに段々と内容がシビアになり、日韓問題や同性愛問題など機微なテーマも取り扱いだし、また出演者がいろんな意味でキャラが濃い面々が多かったことからも怒鳴り合いなんて当たり前、回によっては本気で乱闘にまで発展しかねないほど白熱することもありました。

 この番組から芸能事務所に所属する外国人タレントが数多く出演していましたが、中でも番組お顔となったのはゾマホン現ベナン共和国駐日大使で、大抵どの回でもテリー伊藤氏を始め他の出演者を激しく批判したり怒鳴ったりして、見ている私としては「見ている分には面白いけどあまり友達にはしたくないタイプだな」という感想を覚えていました。そしたら今回改めて経歴を調べてみたら日本に来る前は中国に留学しており、その留学先が北京語言学院だったため、地味に私の先輩であったことが判明しました。
 この番組で知名度を上げたゾマホン大使はその後、たけし軍団に所属して今でもたまにテレビとかに出てきます。数年前に見た時は大分角が取れたというかこの番組に出てた頃よりかは丸くなっており、物腰が柔らかそうに見えましたが、もしかするとこの番組の中だけああいう強烈なキャラクターを演じていたのかもしれません。

 そのゾマホン大使の様に、恐らく多かれ少なかれの出演者はこの番組向けの顔として敢えて激しい主張を伴うキャラクターを演じていた可能性はあります。しかしそれを差し置いても番組内の議論は凄まじいものがあり、実際テレビ局にもあまりにも暴力的な議論だとして当時抗議が寄せられていたそうです。ですので多少やらせが入っていたとしても議論自体は恐らく当人たちも真面目にやっていたように思え、そう考えると外国人に日本のいいところいちいち答えさせる最近のどうでもいい番組よりかは見応えがあった気がします。

 私はこの番組を毎回見ていたわけではありませんが、たまたま見ていて覚えている内容としては先に上げた日韓問題に関する議論で、やはりこの議論では韓国出身の出演者が日本の態度への不満を当初述べていたのですが、その出演者に対し噛みついたのはやはりゾマホン大使でした。
 曰く、「日本はもう韓国や中国に対し、過去に行った行為を認めた上で公式に謝罪しているじゃないか。欧米の連中は自分たちがアフリカにしたことを何も謝っていない!」という、いつも通りの絶叫ぶりを見せていましたが、この発言は非常に印象深く私の中に残っていました。欧米より日本はマシな態度をしているなどと主張するつもりはさらさらありませんが、別の国、それも東アジアの外側から日韓問題を見るとこう言う風な見方もあるんだなと、外からの視点というものに強いインスピレーションを覚えるとともに、ちょっとだけゾマホン大使を見直しました。
 なお当時学校で大声で何か主張していると、「お前はゾマホンかよ」というツッコミをするのが短期間ではあったもののありました。

 今回なんでこの番組を取り上げたのかというと、単純にこういうタブーというかギリギリの話題に挑戦するような番組が今もうないなと思ったのと同時に、今の時代だからこそこういう本音で且つ本気で議論するような番組を見ていたいなと思ったためでした。比較的近いと言えるのが「たかじんのそこまで言って委員会」ですが、生前のやしきたかじんも番組視聴率が好調な理由について、「(台本などで)作っておらず、本音で怒鳴り合ってるからではないか」と話しており、如何に近年の番組が演出過剰なのかを暗に批判していました。
 なおこの話が出た際、番組名こそ明確に明かさなかったものの「さんまのスーパーからくりテレビ」に出てくる素人はすべて事務所所属の芸能人だということを出演者がばらしていました。

 少しテレビ論の話になってしまいますが、やはり今の番組は作り過ぎというか演出過剰で、視聴率がいい番組というのは演出が極めて薄いものが多いように感じられ、視聴者もやはりガチなリアルを求めているのだと私は分析しています。それに対しテレビ業界関係者はいまいち気づいているように見えず、むしろ演出が足りないとばかりに演出を増やそうとして余計に視聴率離れを起こしているのが今のフジテレビのように見え、視聴者との乖離が激しいなという風に見ているわけです。
 私自身、もともと政治討論が好きということもあってきわどいテーマでの本音議論があればチャンネルを合わせてよくじっと眺めていたものです。しかし近年はこうした番組はなく、政治家や評論家の一方的な都合のいい主張だけを垂れ流す番組が多く、だからこそ「ここがヘンだよ日本人」を急に懐かしく憶えたのでしょう。真面目な話、中国本土でまさにこのテーマで中国人同士に討論させてみたらどうなるのか気になるので、どっかのテレビ局とかでやってくれないかな。そしたら私なんか司会やってもいいし。

明治維新期の欧州~普仏戦争

 最近外部の依頼で記事書いている自分の状況をふと振り返り、いわゆる覆面ライターって奴なのかなと思ったその刹那、「仮面ライター元いた会社はブラックRX」という妙な単語が浮かんできました。

 さて前回の記事で私は明治維新の頃の世界、とりわけ欧州はどんな状態だったのかをもっと知る必要があるとして、ペリー来航時の1853年に勃発したクリミア戦争を題材に取り、それまで宿敵同士であった英仏がこの戦争で初めて共闘し、それ以降も対立することなく強調しながら海外に植民地を作っていったという内容を紹介しました。実際にこの時期の英仏はほとんど衝突せずに植民地獲得へ万進しており、唯一対日政策で英国は薩長、フランスは幕府を応援するなど立場が別れましたが、これを除くと基本仲良くやっています。
 それだけにこの時代は「英仏二強時代」といえるような期間だったと言えるのですが、そうした秩序体勢が大きく変わるきっかけとなったのは今日紹介する普仏戦争です。

普仏戦争(Wikipedia)

 普仏戦争は1870年に起こった、フランスとプロイセンが衝突した戦争の事です。戊辰戦争が勃発し明治元年となったのは1868年であることを踏まえると、ちょうど明治政府が成立した時期の欧州で起こっていた事件と言えます。

 この戦争のきっかけを簡単に説明すると、スペインで王家の継承者がいなくなって次の継承者の候補にプロイセン王家の血縁者が挙がったことからでした。当時、フランスはプロイセンを警戒しており、スペインにプロイセン系統の王が立って戦争時に東西から挟撃されることを恐れてこの候補に対して継承させないよう国際社会に強く訴えていました。こうしたフランスの抗議を受けてプロイセンも候補者を取り下げたのですが、念には念にとフランスは当時のプロイセン国王を保養地まで追いかけて使者を出し、継承者を出さないよう要求しました。
 こうしたフランスの行動に対しプロイセン国王は首都にいる宰相へフランスから使者が来たという電報を送ったところ、かねてからフランスとの戦争を企図していた宰相はこれはチャンスだと考え、送られてきた電報の内容を脚色し、フランス側は不躾に且つ居丈高にプロイセンへ要求したかのような文面に変えて世間へ公開してしまいました。この事件を保養地の名前を取って、エムス電報事件といいます。

 脚色された電報内容を知ったプロイセン国民は外国に対しても居丈高に要求するフランスに対し文字通りに憤り、またプロイセンより南でオーストラリアからすれば北部に当たる、バイエルンなど普段はプロイセンと距離を置きながら独立していた王国もプロイセンに同調して反仏感情を高めました。そして相手のフランスもこうしたプロイセン国民がいきりたっているのを見て、「一度痛い目を見させるべきだ」とばかりにフランス国民もいきり立つという、まさにプロイセン宰相が思い描いていた通りにことが動いて行きました。
 こうした中で当時のフランス皇帝ナポレオン三世は、本人としてはプロイセンとの戦争は避けたいと考えていたもののちょうど支持率も落ち込み国内からの批判も高まっていた最中であり、周囲の声もあって戦争を決意してプロイセンに宣戦布告を行い、普仏戦争は幕を開けます。ただ宣戦布告をしておきながらもフランス側は何の戦争準備も行っていなかったことから兵士の動員までに時間がかかるという、初動においてミスを犯すこととなりました。ただそれ以上に誤算だったのは、相手のプロイセンには外交と戦争の両方において天才が、即ち宰相のオットー・フォン・ビスマルクと、参謀総長のヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケの二人が揃い踏んでいたことだったでしょう。

 ビスマルクはかねてからフランスとの欧州大陸の覇権を争う戦争を企図しており、あらかじめ英国、ロシア、オーストリアとは戦争に干渉しない様に了解を取り付けていた上、フランス側からの宣戦布告があればバイエルンなどドイツ南部の王国はプロイセン側で参戦するという盟約を結んでいました。
 こうした万全の外交姿勢が敷かれていた上、参謀のモルトケは開戦に備え兵員を素早く戦地へ送る鉄道網、そしてその運用法や運送ダイヤをあらかじめ準備しており、開戦するやあっという間に国境付近へ編成を終えた大兵力の軍団を送ることに成功します。これにより初動で立ち遅れたフランスはプロイセン領土へ攻め入る間もなく、宣戦布告したにもかかわらず国境付近で防御陣形を敷く羽目となりました。

 その戦争の経過については省略しますが、出す策全てが裏目に出るフランスに対し悉く出し抜いたプロイセンが各地で圧勝し、最終的にはセダンの要塞に籠ったナポレオン三世と約10万もの兵士が投降し、プロイセンが完全勝利して幕を閉じます。なおこの投降後、ナポレオン三世は首都のパリに戻ることはできずそのまま外国へ亡命することとなります。

 この戦争に勝利したプロイセンはそのまま占領したベルサイユ宮殿で国王の戴冠式を行い、正式にドイツ帝国を称するようになります。またこの戦争にプロイセン側で参戦したドイツ南部の諸王国もプロイセンへの併合に合意し、こうしてオーストリア、ハンガリーを除く神聖ローマ帝国の領土はすべてドイツ帝国に組み込まれ、現在の大まかな国境というか国家構成が組み上がることとなるわけです。もっとも、プロイセンが発祥した元々の領土は現在はポーランド、ロシアに組み込まれたため現在のドイツの領土ではありませんが。

 普仏戦争の結果、それまで海軍の英国に並ぶ陸軍のフランスの権威は落ち、代わりに欧州大陸最強陸軍の座はドイツのものとなりました。それと同時に英仏二強の時代から英仏独、それにロシアが加わる形で列強が形作られ、その下でかつての権威を失ったオーストリア、トルコ、そして独立の上に統一されたイタリア王国が続くという形で新たな欧州秩序が作られます。
 そして外交においても、クリミア戦争以降は主導権を握っていたフランスでしたがその座ははっきりとドイツ、というより宰相のビスマルクの手に移り、これ以降の欧州大陸は実質的にビスマルクが外交秩序を差配していたような時代となります。そういう意味でも、ドイツが欧州大陸を管理していた(ビスマルク体制)と言ってもよいのではないかと私は思います。

 この時、1872年。ちょうど日本でも明治政府が成立してようやくまとまりを見せていた頃ですが、まさにこの時に欧州ではドイツ帝国が成立し、急速な成長を遂げていたわけです。だからこそ欧州遣欧使節団として派遣された岩倉具視や大久保利通らがドイツやビスマルクに惚れ込んだのも無理はなく、その後日本は陸軍の軍制や法体系などでドイツを模範として国家建設を行っていくこととなります。
 こうした秩序体勢はその後ビスマルクが政界を引退するまで続き、この間に欧州は列強同士の大規模な戦争は起こらず小康状態が続きます。そんな秩序体勢が大きく動くのは、敢えて言うならやはり1905年の日露戦争とそれに伴う日英同盟で、この戦争による勝利により日本がアジア発の列強として仲間入りする歴史ではないか私は考えます。

2017年2月19日日曜日

明治維新期の欧州~クリミア戦争

 日本は今頃寒気が来て真冬並みの寒さでしょうが、こちら上海は今日初夏のような天気でむしろ熱く、気温の激しい変化に体がついて行けず頭が痛かったです。もっとも、昨夜大学の先輩らを含むゲーム大会が深夜一時まで続いたのも原因でしょうが。

 話は本題ですが、明治維新といえば日本で承久の乱に並ぶ大革命の一つでその内容については小説やドラマにも数多く題材に取られることもあって詳細に知られていますが、同時期の日本の外、海外の状況については恐らく大半の方が知っておらず、多少知識がある人でもせいぜい米国で南北戦争が起こっていたというくらいしか知らないのではないかと思います。
 はっきり言えばこうした状況は日本国内の内容しか取り扱わず周辺事情に気を配らない歴史教育に問題があると思え、細かいところまではいいとしても大雑把にその時の世界はどんな状態だったのかをある程度教える必要があるのではないかと思います。特に列強諸外国との関係を持ち始めた明治維新期においては重要で、当時の列強状況、どこが強くてどことどこが組んでいたのかなど、大まかでも把握しておく必要があると思うので、今日はクリミア戦争を主軸にとって当時の欧州事情を解説します。

クリミア戦争(Wikipedia)

 日本の明治維新、というより近現代の始まりは「嫌な誤算(1853年)」という語呂合わせでお馴染みのペリーの黒船来航から始まるということで衆目一致しており、私も同じ価値観を共有しています。なお1800年代の年号は「いやん○○」で私は大抵覚えており、「いやんムーミン(1863年)薩英戦争」という単語を今も胸に刻んでおります。
 話は戻りますが、日本が本格的に清やオランダ以外の列強各国との接触を始め変化が迫られた1853年に勃発したのがクリミア戦争です。クリミア戦争とはなにか大まかに説明すると、領土拡張を目指し南下政策を取っていたロシアがトルコに対する侵略を行ったのに対し、その動きに歯止めをかけようとトルコ側についた英国とフランスが戦った戦争です。

 戦争の勃発理由はバルカン半島の小国家同士の小競り合いに始まっており、その紛争の処理を巡って当初はトルコ領土の分割や宗主権の確認で終わるだろうと思われていた外交交渉が英国、フランス、ロシア、オーストリアのそれぞれの国内事情からこじれにこじれた上に外交担当者の不始末もあり、なし崩し的にロシアとトルコが開戦してしまったというのが実態です。そうした背景から列強各国は当初、この戦争は短期間で終わるだろうと思っていたのですが、英国はなんとしても地中海にロシアを入れまいと強硬な姿勢を取った上、当該地域における利害関係が比較的薄かったフランスも民主選挙の上に皇帝に即位したばかりのナポレオン三世が自らの影響力拡張を図って英国と共にトルコ側へ参戦したこともあり、初代ナポレオンによるナポレオン戦争以来の欧州大戦へと発展していくこととなりました。

 戦争の中身としては産業革命を経ていたこともあって物資投入がこれまでと比べ破格の量となり、火薬量の増大もあって戦死傷者がそれ以前の戦争と比べ段違いに増えていきました。一方、戦術は未だに突撃戦法が主流でありなおかつ治療体制などに置いては旧態依然ということもあって戦地ではコレラを始めとした伝染病も蔓延し、フローレンス・ナイチンゲールが「これだから軍人どもは後ろのことを何も考えない」などと文句言いながら治療活動を展開してたそうです。
 勝敗については正直な所、双方で拙い戦術や連合軍同士の足並みが揃ってなかったこともあってグダグダが続いていましたが、ロシア軍の方で致命的な戦術ミスが相次いだ上、戦時中に皇帝ニコライ一世が逝去するという不幸もあり、1856年にロシアの敗戦でクリミア戦争は終結しました。

 ロシアとしてはこの敗北によって南下政策が一旦停止させられたものの完全に諦めていたわけではなく、一旦は東方政策に転換して満州、朝鮮地域への進出を図りましたがそこは明治維新を経た日本によって日露戦争で歯止めをかけられると、再び南下政策に戻って一次大戦に繋がっていきます。

 ただこうしたロシアの戦略転換以上に欧州世界への影響が大きかった点としては、この戦争で英仏が手を取り合って戦ったことです。両国はジャンヌ・ダルクが活躍した英仏百年戦争の頃から欧州の覇権を争い続けた国同士(一度だけスペインも加わるが)であり、先のナポレオン戦争では文字通りガチンコの戦いを経て英国がフランスを下したことによって欧州チャンピオンの座に輝きましたが、それでも両国は「終生のライバル」とクリミア戦争以前は思われていたそうです。
 そんな両国がこのクリミア戦争で協力し合い、さらに英国自身が欧州大陸に対する興味を失い始め、海外での植民地獲得に集中し始めるなどより海洋国家としての性格を強めたことによって、なし崩し的に欧州大陸の中の影響力ではフランスが一番などという風な見方が一気に広まりました。

 一方、クリミア戦争で準当事者でありながら何の主導力も発揮できなかったオーストリアに至っては、保護国であったイタリアでは独立運動が高まり、影響力を持っていた現在のドイツ南部の地域においてはプロイセンが徐々に圧迫していた状況もあり、かつてはハプスブルグ家でブイブイ言わせていた威光が明確に凋落し、誇張ではなくその後も欧州一等国から二等国へと陥落する羽目となります。
 そうしたオーストリアの凋落もを尻目にフランス、というよりナポレオン三世の威光はどんどんと高まり、彼自身の英雄思想から諸外国への介入も増えていったことからそれからしばらくの欧州外交はナポレオン三世のフランスを中心に動いて行きます。

 故に明治維新直前の幕末期、欧州世界は英国、フランスの二巨頭が珍しく共調し、二ヶ国とも海外の植民地獲得(フランスも熱心だった)に従事していた期間であったと言えます。欧州外交はやはりフランスを中心に行われ、この間にフランスはイタリア独立戦争に介入したり仲裁したりしており、アジア地域ではベトナムを植民地化したり、英国と一緒に清から租界地分捕ったりしていて、案外この頃のフランスは見た目にもノリに乗っていたんじゃないかという気がします。
 しかしそんな絶好調のフランスに対し、欧州大陸チャンピオンの座を狙い密かに準備を続ける国家が存在していたわけで、続きはまた次回に。どうでもいいですが、そこん家の家紋はどう見ても馬鹿そうな犬にしか見えません。

2017年2月17日金曜日

AIの進化に対する懸念

 また今日からえらく寒くなって辛いためどうでもいいネタで記事埋めます。最近、Amazonのページやニュースを見ていると、「もうすぐITに駆逐される職業一覧」みたいな見出しがよく目に入ります。言わんとすることはITに取って代わられる職業がこれだけあり、こういう仕事は今後なくなるぞみたいな危機感を煽るような内容なのですが、私個人としては案外こういうのは眉唾だと見ており、対して実力のないライターが糊口をしのぐために危機感をあおる内容を書いてるだけで、実際には損な取材とか検討なんてしてないだろうと思ってみてます。

 特によく思うのが翻訳関係で、「欧米ではもうAIが記事を書いている」、「翻訳作業は全部AIに任せられる」みたいな内容が私以外にも見ている方が多いと思いますが、これらは所詮、欧米の枠内だけの話です。アルファベットを文字として使う言語圏であれば単語や文法などもある程度共通する点が多いため、機械翻訳する上では実はそんなに困難ではありません。特にフランス語やスペイン語などラテン語圏などは差異が小さく、これらに加えドイツ語や英語も文法法則さえしっかり押さえればそりゃ機械翻訳だってできるでしょう。

 一方、日本語や中国語はアルファベットとは違い膨大な量の漢字を取扱う上、同じ音や文字の組み合わせでも意味が大きく変わることもあるため、実際に機械翻訳をしようっていうのなら誇張ではなく欧米言語間の数百倍は困難でしょう。また日本語の場合は助詞が多いことに加え動詞などの活用も異常に多く、中国語は活用こそないものの単語の文字数が漢字一文字ないし二文字や三文字と極端に短く、漢字二文字の単語に使われている二つの漢字がそれぞれ一つの漢字で意味を成すこともあり、単語がどこで接続するのかという判別が異常に困難です。
 であるからして、少なくとも日本語使用者にとっては完全な機械翻訳が実現するはまだまだ先だと分析していない人間の話は私はまず相手にしません。

 話は戻りますがこうしたAIの進化についてはどちらかというとテクノロジーの発達を歓迎するような、これからどれだけ便利になるのかといった話よりも、上記の「なくなる職業」のように危機感を煽る系の述べられ方のが圧倒的に多いです。何をどう思おうがそれぞれ人の勝手だと思いますが、書いてる人間たちはなるべく煽って本とか買わせようという魂胆であるということを視野に入れて話すと、何故この程度しか煽れないのかという点で疑問に感じます。
 要するにもっと危機感を煽れってんだと言いたいわけで、具体的には「AIに駆逐される職業」とかではなく、「AI兵器をどうすれば倒せるのか」、「スカイネットの脅威」みたいなタイトルで、T-800型ターミネーターにはプレス機が有効だとか、サイバーダイン社をどう爆破すればいいのかみたいなハウツー本とかの方がもっと危機感煽れるんじゃないかと思うわけです。まぁこの辺は冗談ですが。

 ですがこの視点で以ってもう少し話すと、恐らく人間が実際に登場する最強の戦闘機は現行の米軍最新鋭機のF-35ライトニングⅡになると本気で考えています。何故かというと、今後の戦闘機には人間は登場せず、遠隔操作もしくはAI自動操作で任務を行うことが予想されるからで、実際に戦闘機の最大の弱点は人間を載せなければならないところにあり、人間を載せる必要がなければかなりめちゃくちゃな性能の戦闘機が今後作れると思います。
 そうしたAI兵器にどう対応するか。さすがにさっきのターミネーターは非現実的ですが、ドローン攻撃機や無人戦車に対する防衛策、具体的にはジャミングや遠隔からAIチップなど集中的に破壊する兵器や攻撃方法なんかはこれからの軍事領域で求められてくるかと思います。まぁ一番手っ取り早いのは、衛星装置を破壊することに尽きるのですが。

 そういう意味では日本も戦闘機の開発は米国から禁止されているのでできませんが、ターミネーターの開発は別段禁止されてないので、室伏氏をモデルにしたT-800型から開発していくのが筋かもしれません。モデルはほかにも吉田沙保里氏やケイン・コスギ氏を採用してもいいでしょうが、朝青龍をうっかりモデルにしてしまうと本気でAIの反乱が起こりそうなので人選はしっかりする必要がありそうです。

2017年2月15日水曜日

残業抑制と副業解禁について

 ほんとどうでもいいことですが、ちょっと興味を持った楳図かずお氏の「14歳」、「私は慎吾」をAmazonで検索かけたところ、「おすすめ商品」に楳図氏の漫画が毎日びっしりと表示されるようになり、どことなくホラー感が増した気がします。楳図氏の作品は「漂流教室」しか読んでいませんが、この一作だけでもどれだけこの人が漫画家として偉大であるかはよくわかります。

月60時間、経営側も容認=繁忙期や適用対象が焦点―残業上限(時事通信)

 今日は概ね上記ニュースへの感想ですが、疲れてるので一言だけ言うとこの手の議論とか主張してる人を見ると、「死ね、早く死んですぐ生まれ変われ」と言いたくなります。左目もやたら見え辛くなってるのでもう終わりにしたいですが頑張って続けると、電通や三菱電機の違法残業事件ではどちらも実際の残業時間をきちんと計測せず、規定した時間しか申告させずに処理しており、残業の上限時間を仮に決めたとしても申告可能な残業時間が減るだけ何も変わらないと思うのは私だけなのかと見ていて不安に感じます。誰もツッコむ奴がいないのか、いわんやジャーナリストもかといったところで、ほんとこのところ日本の記事見ていてこういうことが多く不安しか覚えません

 また上記記事では「経営側も容認」とか書いていますが、そもそもハナから残業代なんて払う気なんてないんでしょうからそりゃ容認するに決まってます。今求められているのは違法残業を強いる会社を駆逐する強い法的強制力と執行機関であって、上限を80とか60とか40と言っている時点でそいつの頭叩いて追い出した方がずっともっと建設的でしょう。ちょっと厳しい言い方すると、この記事書いた記者と通した編集長も頭叩かれた方がいいのではと私は思います。

 テンション上げてきたので頑張って続けると、この残業規制というか過重労働対策として私の友人がよく提唱している案というのが見出しに掲げた「副業解禁」です。言うまでもなく日系企業の多くは正社員(非正規にも?)に対しアルバイトを含む副業を行うこと社内規定などで禁止しており、ばれ方によっては懲戒を出す会社も少なくないでしょう。
 上記の残業時間規制によって現在何が心配されているのかというと、社員の残業時間が業務が処理できなくなるという労力不足が懸念されております。その穴を埋めようというのが上記の副業解禁案という奴で、具体的に言うと、アフター5こと定時以降はほかの会社で仕事を行ってもよいとすることで、これまで残業していた正社員の代わりに非正規などのスタッフを雇って不足する労働力を補わせるという案になります。

 この際の労働契約では超過労働時間計測は行わず、通常のアルバイト通りに深夜を除けば通常の時給支払いなどとすることで、雇用者側は残業代追加分を支払わずに済み、労働者の側は無理な残業からは解放され、本人がまだ働く余力があれば余所で働いて賃金が得られるという仕組みになり、さらには雇用の流動化も促せるというような意見が見られます。ただ結論から言えば、あまり実効性は高くないだろうというのが私の見方です。

 理由は複数あり、まず第一に日系企業は外部の人間に対する拒否感が異常に強く、守るほどの企業情報なんてないくせにやたらと内情を明かすのを嫌ったりするため安くで人員が雇えると言っても敢えて雇わず、既存の人員だけで回そうとするでしょう。もう一つの理由は、現在の日系企業はどこも慢性的に人手不足で労働力が足りませんが、雇用者全体で労働力が足りてないにもかかわらず賃金を増やして人員を募集したり、増員させようという意識は全くありません。その背景はやや複雑で、突き詰めれば人口減によるデフレによって業務効率を高めたところで企業の売上げが増えないためです。
 そのため、仮に副業解禁が日本で広まったとしてもアフター5の労働力を実際に活用しようとするのは小売や飲食といった業界だけで、しかも副業求職者が増えることによってこれら業界の時給は下がり、それまで働いていた人たちの給与が細くなるというデフレスパイラルが起こると私は予測します。繰り返し述べますが、今求められているのは労働時間を規定通り遵守させる強制力と執行機関だけで、制度自体には問題がなくその制度を徹底させる力が致命的に不足しているのであって、労働関連制度をこれ以上弄っても厳格にしても何も起こらないと断言します。

 それにしても近々また別に記事書く予定ですが、私から見て日本の労働者は大人しすぎるにもほどがあります。中国なんか自分が悪くてクビにされたのにやたら会社に抵抗して金をふんだくろうとしたりする人がたくさんいますが、そこまで極端でなくても違法だったり無茶なことだったりを要求する会社を爆破したりするようなボンバーマン的な気概を持つ人間こそが今の日本に必要だと私は思います。
 偉そうな口をと思われるかもしれませんが、私の場合はさすがに爆弾こそ仕掛けなかったものの、「あんたみたいなカスには従えない」といって次の行く先も決まってないにもかかわらず啖呵切って会社辞めたことはあります。日本人はやたら暴力は駄目だとか言いますが、抵抗する気概すら失っては暴力のあるかないかに関わらず人間として終わりだろうと思うし、もっと怒りの感情を世間に出したほうが人間らしいというのが私個人の意見です。

2017年2月14日火曜日

金正男氏の殺害報道について

 特に今日は書くことないから東芝の損失純額が4999億円って、この際だから無理せず5000億円でもよくね、っていうかここまで来たら過去最高記録を作るためにもっと積み上げなくちゃ、とか書こうと思っていた所、ビッグニュースが入ってきました。

北朝鮮の金正男氏 マレーシアで殺害(聯合ニュース)
搬送の北朝鮮男性が死亡とマレーシア警察 金正男氏との関係は不明(産経新聞)

 恐らく日本でも各所で速報が流れているでしょうが、北のプリンスこと金正男氏が亡命先のマレーシアで殺害されたという報道が出てきました。産経の記事内容によるとロイターがマレーシア警察にも裏取りして、北朝鮮男性が死亡したことそれ自体は事実だと思われ、具体的な死因、特に暗殺だったのかか否かについてはまだ書かれていないものの、私個人の意見ではやはり暗殺されたのだろうと現時点で考えています。
 これまでにも北朝鮮は金正男氏に対して何度も暗殺を謀っていたと報じられています。韓国へ脱北だと偽って諜報員を以前にも送っていたそうで、日本国内でも金正男氏の身の安全が危険な状態にあるということは各所でも伝えられてきました。

 と、書いてるうちにも死因はどうも毒殺で、謎の女性二人が逃走中であるという速報が続々と入ってきています。なお中国での報道はネット上だと速報ベースしかなく、内容は「死んだようだ」程度で日本と大きな差はありません。

 少し冷静になって今後の状況について述べると、今回の暗殺によって北朝鮮の一つの落着ポイントこと、金正男氏を担ぎ上げて金正恩を北朝鮮国内から追放するというシナリオは消失したということになります。もちろんこのシナリオ自体が現実味はそれほどありませんでしたが、「反北朝鮮」ではなく「反金正恩」という旗頭になり得た人物であったことには間違いなく、この暗殺によって少なからず北朝鮮を批判するネタは減ったことになるでしょう。
 ただそれにしても、ミサイル実験やった直後にこれまた暗殺なんて相変らずタイミングを考えずにやる国だなと思えてなりません。折も折で米国にはトランプ大統領が就任しており、オバマ前大統領とは違って堪え性ないということをわかってやっているのか疑問です。

 そんな米国以上に、中国政府ももう相当腹に据えかねていると思います。以前に知人にも話しましたが、もし北朝鮮が滅ぶとしたら滅ぼす人間らは鴨緑江、つまり中朝国境からくると私は予言しましたが、やはり現時点においても北朝鮮を滅ぼすとしたら中国軍になるのではないかという気がします。にしても、丹東行くのは去年で良かった。

 なお今回のニュースが出た直後、友人の上海人からすぐにニュース記事が転送されてくるとともに、「君がやった?」と聞いてきたので、「俺ちゃう、やったのはシーチ……」と適当に返信しておきましたが、ほんとどうでもいい事でもこのところぼけてくるのでツッコむ回数が増えてます。