明日から約一週間半の休暇を経て勤務再開となりますが、休暇前と比べると随分と状況というか世界観が変わったなとつくづく思います。さすがに昨日今日の上海市内は徐々に人が戻っていることもあって人どおりも以前よりは増えているものの、それでも平常時と比べると閑散とした状態でした。
個人的に見ていて胸が痛くなるのは飲食店関係者で、今日も馴染みの飲食店を訪れましたが客は自分一人だけで、知り合いの店員も閑古鳥に苦しい状況にあることを吐露していました。その店員に言わせると、この際完全封鎖などはっきりした指針を出してくれれば店の営業を止めるなり決断できるのにと言っており、不満を漏らしていました。
無論これは飲食店に限らず、春節という中国最大の連休をフイにした観光業にとっても大打撃が続いていることでしょう。中国政府は今回のウイルスによる経済的打撃への保障として十数兆円に上る予算を立てるとしており、また金融機関などへのつなぎ融資に関する通達も先ほど出しているのを確認しましたが、それでも大半の中小企業がこのまま耐えきれるかとなると難しいところです。
先週木曜の春節休暇が始まる直前に武漢の封鎖が発表されましたが、当時においてはまさかこれほどまで大規模な事態になるとは私も思っておらず、幸か不幸かすごいタイミングで中国にいるなど今現在感じます。今日訪れた飲食店の店員は、毎年流行するインフルエンザと違い、今回のコロナウイルスは適切な治療薬が存在しないことから混乱に拍車がかかっていると指摘していましたが、実際その通りだと私も思います。
とはいえ既にコロナウイルスの培養自体は成功しているものの、治療薬を開発し量産するとなると今シーズン中に期待するのは難しいでしょう。今やはり問題なのは、現在のような中国全土での戒厳令のような状態がいつまで続くかですが、少なく見積もっても二月いっぱいは確実で、三月いっぱいも続く可能性も十分あり得ます。特に武漢市に関しては三月中も確実に藩封鎖状態が続くとみられ、同市内に展開しているホンダや日産、そしてそのサプライヤーを含む日系企業への影響を考えると、日本にとっても対岸の火ではないでしょう。
また前述の通り、製造業でなくても飲食店関係者もほぼもれなく大打撃を現在進行形で受けています。また日本国内でも何故か奈良が取り上げられていましたが、中国人旅行者のキャンセルに伴い打撃を受けているとされ、こうしてみると日中も随分と近い関係になったものだと思えてきます。
敢えて未来に目を向けるとしたら今後、どのタイミングからまた正常な状態に戻れるか、そしてその後にどう動くかではないかと思います。先ほど書いた通りに私の予想としては三月いっぱいまでは正常化を期待するのは難しいだけに、楽観論で言えば四月以降にどう巻き返すかです。
日本はちょうど桜のシーズンに重なるので観光客が期待はできるものの、意外と中国のことだから、「春節休暇が多かった分、四月以降は土日も働こう!」と言い出す可能性もあり、こうしたことを考慮すると四月も日本への観光客誘致は厳しいかもしれません。
一方、製造業に関しては自動車は明日ちょうどJBpressで記事を出しますが、ただでさえダウントレンドだというのにここにきて長期にわたる稼働停止も見込まれることから、日系メーカーも含めかなりのダメージが予想されます。その一方で医薬衛生品需要は急激に高まっており、来年以降も防疫対策意識が強く残ることが見込まれるだけに、この方面では日本国内に工場のあるメーカーが追い風を受けるでしょう。
それにしても改めて疫病というものの影響の計り知れなさを今回思い知りました。江戸時代なんかは飢饉と合わせるとこういった事態が頻繁に起こっていたと考えると、現在の日本の防疫体制などは本当によくできているのだと改めて思います。
もっともそうした疫病以前に、またあと半年したら夏が来て、仕事の繁忙期を迎えるのだという事実の方が私にとっては怖いです。前より人員は増やしてもらったけど、果たして今年も自分は文字通り忙殺されず生き残れるのかが不安です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2020年2月3日月曜日
2020年2月1日土曜日
明後日が怖い((((;゚Д゚))))
今日も朝九時に起きて、ゆっくり食事して、ネット見て、JBpressの記事書いた後にバーガーキングで昼食した後、ぐっすり昼寝して過ごしました。街中は三日前と比べても段々人通りが増えてきており、朝早くの時間帯もちょっと前まで無音だったのに、今朝は会話する声が聞こえるなど人が増えてきたという実感があります。
もっとも、朝早くからおばちゃんらがおしゃべりする声は大きく、よくそれによって起こされます。なお以前は朝五時くらいに手を叩きながら(中国人は叩くと肌がよくなると信じてる)徘徊するおばさんがいて、毎朝五時くらいに起こされて、本気でこのおばさんを射殺したいと願ってたあのころに比べると今はまだマシですが。
一応、会社の方からは明後日月曜から勤務を再開し、当面は自宅作業を継続するという通達を受けています。といっても来週中ごろからまた休暇を取っているのですが、春節前の時点でこうなることを予期しており、あらかじめパソコンは自宅に持ち帰ってきていました。なので自宅作業すること自体は問題はないものの、会社オフィスと比べると自宅は寒いので、その点なんだか損した気分になります。
とはいえかなりぐーたらして一週間半も休んだ後となると、さすがに勤務に戻るのは一言で言って嫌になります。外出が制限されていたとはいえこんなに長く休むのなんて失職していた時以来なだけに、果たして通常の日々に戻れるか今から軽く不安です。
なお上海市は市内企業に対して2/9まで休むよう通達しており、この通達に応じた企業は2/9まで休みです。自分の会社は中国中央政府の通達に合わせて休みは2/2までですが、この差はかなり大きい気がします。
あと他のところで書く場所がないので書きますが、先日マクドにご飯食べに行ったら、店員に「兵ミスター、ちょっといいかしら?(你好先生,让你检体温可以吗?)」と聞かれ、小さい棒のようなものの先を額に向けられました。何かと思ったらそれは体温計で、直接接触していなくてもすぐその場で体温が測れるという代物で、私の額の表面温度もあっという間に33.1℃と検温されました。多分外を自転車で走ってきたから低かったんでしょうが。
その結果を見て店員も「ありがとうございます」と言って去りましたが、こういう飲食店でも検温している、しかもめっちゃよさげな体温計使ってると思って、なんか印象に残りました。
もっとも、朝早くからおばちゃんらがおしゃべりする声は大きく、よくそれによって起こされます。なお以前は朝五時くらいに手を叩きながら(中国人は叩くと肌がよくなると信じてる)徘徊するおばさんがいて、毎朝五時くらいに起こされて、本気でこのおばさんを射殺したいと願ってたあのころに比べると今はまだマシですが。
一応、会社の方からは明後日月曜から勤務を再開し、当面は自宅作業を継続するという通達を受けています。といっても来週中ごろからまた休暇を取っているのですが、春節前の時点でこうなることを予期しており、あらかじめパソコンは自宅に持ち帰ってきていました。なので自宅作業すること自体は問題はないものの、会社オフィスと比べると自宅は寒いので、その点なんだか損した気分になります。
とはいえかなりぐーたらして一週間半も休んだ後となると、さすがに勤務に戻るのは一言で言って嫌になります。外出が制限されていたとはいえこんなに長く休むのなんて失職していた時以来なだけに、果たして通常の日々に戻れるか今から軽く不安です。
なお上海市は市内企業に対して2/9まで休むよう通達しており、この通達に応じた企業は2/9まで休みです。自分の会社は中国中央政府の通達に合わせて休みは2/2までですが、この差はかなり大きい気がします。
あと他のところで書く場所がないので書きますが、先日マクドにご飯食べに行ったら、店員に「兵ミスター、ちょっといいかしら?(你好先生,让你检体温可以吗?)」と聞かれ、小さい棒のようなものの先を額に向けられました。何かと思ったらそれは体温計で、直接接触していなくてもすぐその場で体温が測れるという代物で、私の額の表面温度もあっという間に33.1℃と検温されました。多分外を自転車で走ってきたから低かったんでしょうが。
その結果を見て店員も「ありがとうございます」と言って去りましたが、こういう飲食店でも検温している、しかもめっちゃよさげな体温計使ってると思って、なんか印象に残りました。
2020年1月31日金曜日
かんぽ不正の再調査について
・保険契約22万件を追加調査 6万人不利益の疑い、かんぽ不正(共同通信)
昨日の記事じゃないけど、なんで今更って感じのするニュースです。
詳細はリンク先にありますが、昨年に高齢者を散々食い物にしてきたことがばれたかんぽですが、前回調査における対象でなかった保険契約22万件、対象者6万人について再調査をすることとなったそうです。内容について具体的な言及はありませんが、時期的に考えて下記の西日本新聞による報道のものではないかと推測しています。
・「孫死亡」の保険金、受取人は高齢客 かんぽで不自然な契約相次ぐ(西日本新聞)
内容を簡単に説明すると、高齢者による生命保険契約なのですが、その付保対象者は高齢者自身ではなくまだ若い息子や孫ばかりで、明らかに寿命の順番を無視した異常な契約内容となっています。その内容の歪さから、契約時には説明の怠慢、または認知能力の低い高齢者を狙ったものかと思われ、どちらにしろ非常に悪質な契約内容です。
何が不思議かというとこれほど異常な契約内容にもかかわらず、前回の一斉調査時にはこうした契約は調査していなかったそうです。こうした契約が今回の再調査に含まれるかはまだわかりませんが、これまでに調査していなかったというその一点だけとってももはや救いがたい組織であるとしか言わざるを得ないでしょう。
ちなみにかつてかんぽは「安心・安全のかんぽ」みたいなキャッチコピーを謳っていましたが、「大丈夫!ファミ通の攻略本だよ」といい、「安心」とか「大丈夫」とかいう連中ほど信用はできないものです。
話を戻すと、かんぽは前回調査結果を踏まえて現在業務停止命令を受けており、今年4月から業務再開する予定となっています。普通の感覚で言えば、前回の不正の時点で通常なら事業完全停止命令が出てもおかしくない規模の問題を起こしていますが、国の事情も相まって非常に穏便な処分に抑えられています。そこへきて今回の新たな不正ほぼ発覚ですが、今に始まるわけでなく自浄能力なんて皆無に等しいのだから、今度こそ完全な事業停止を命じるべきだと思います。まぁなるわけないが。
それにしても東芝といい最近の企業不祥事は、不祥事の規模や内容よりも、政府との距離の近さによって処分が決まるようになってきたなとつくづく思います。あんまりこういうこと言いたくないけど、日本も中国っぽくなってきたなぁ。
昨日の記事じゃないけど、なんで今更って感じのするニュースです。
詳細はリンク先にありますが、昨年に高齢者を散々食い物にしてきたことがばれたかんぽですが、前回調査における対象でなかった保険契約22万件、対象者6万人について再調査をすることとなったそうです。内容について具体的な言及はありませんが、時期的に考えて下記の西日本新聞による報道のものではないかと推測しています。
・「孫死亡」の保険金、受取人は高齢客 かんぽで不自然な契約相次ぐ(西日本新聞)
内容を簡単に説明すると、高齢者による生命保険契約なのですが、その付保対象者は高齢者自身ではなくまだ若い息子や孫ばかりで、明らかに寿命の順番を無視した異常な契約内容となっています。その内容の歪さから、契約時には説明の怠慢、または認知能力の低い高齢者を狙ったものかと思われ、どちらにしろ非常に悪質な契約内容です。
何が不思議かというとこれほど異常な契約内容にもかかわらず、前回の一斉調査時にはこうした契約は調査していなかったそうです。こうした契約が今回の再調査に含まれるかはまだわかりませんが、これまでに調査していなかったというその一点だけとってももはや救いがたい組織であるとしか言わざるを得ないでしょう。
ちなみにかつてかんぽは「安心・安全のかんぽ」みたいなキャッチコピーを謳っていましたが、「大丈夫!ファミ通の攻略本だよ」といい、「安心」とか「大丈夫」とかいう連中ほど信用はできないものです。
話を戻すと、かんぽは前回調査結果を踏まえて現在業務停止命令を受けており、今年4月から業務再開する予定となっています。普通の感覚で言えば、前回の不正の時点で通常なら事業完全停止命令が出てもおかしくない規模の問題を起こしていますが、国の事情も相まって非常に穏便な処分に抑えられています。そこへきて今回の新たな不正ほぼ発覚ですが、今に始まるわけでなく自浄能力なんて皆無に等しいのだから、今度こそ完全な事業停止を命じるべきだと思います。まぁなるわけないが。
それにしても東芝といい最近の企業不祥事は、不祥事の規模や内容よりも、政府との距離の近さによって処分が決まるようになってきたなとつくづく思います。あんまりこういうこと言いたくないけど、日本も中国っぽくなってきたなぁ。
2020年1月30日木曜日
独眼竜の元となった武将
・検査拒否した帰国者2人、「検査受けたい」と申し出(朝日新聞)
さすがに、今更これはどうかと思う。
話は本題ですが、独眼竜とくれば政宗、政宗とくればずんだ餅というのが連想ゲームの定番ですが、この「独眼竜」という通称は実は伊達政宗に端を発するものではなく、中国の李克用という武将のあだ名から由来としています。
・李克用(Wikipedia)
李克用は唐末期(9世紀末)の武将で、父親も地方軍閥の長という家系の出身です。元々の名字は「朱邪」といいましたが、父とともに従軍して大規模な反乱を収めた功績への恩賞として、唐の皇帝一族の名字である「李」を名乗ることが許され、「朱邪克用」から「李克用」へクラスチェンジを果たしました。
その李克用ですが、どうも生来から片目が不自由だった、若しくは外見的な特徴があったと言われています。そうした外見的特徴と抜群の武勇を誇ることから、いつしか「独眼竜」という通称が付いたそうです。
前述の通り、李克用は若年の頃から父親とともに反乱を抑え込むなど軍事面で活躍していますが、唐末期の混乱期であったこともあり、父親とともに一度反乱を起こしています。ただこの反乱は失敗して韃靼族の元へ逃亡し、唐王朝からは韃靼族へ李克用らを引き渡すよう要求されましたが、そこらへんは李克用が韃靼族らに百発百中の弓矢の腕をアピールしてどうにかこうにかかくまってもらっています。
このように一度は反乱を起こした李克用でしたが、何故かその四年後には唐に帰順し、その後は唐の軍人として大活躍します。折しも当時は塩の密売業者である黄巣が反乱を起こしており(黄巣の乱)、中国はまた群雄割拠時代に突入していました。この時に李克用は鴉軍という、全員黒一色の衣装で統一した部隊を率いて連戦連勝し、黄巣の反乱部隊を裏切った朱全忠とともにこの反乱を一気に鎮圧して見せました。
しかし黄巣の乱の後、唐王朝内部で実力者となった李克用と朱全忠が対立するようになります。軍事面では圧倒的な実力を有する李克用でしたが、宮廷政治の方はからきし駄目だったこともあって、宮廷内の主導権は徐々に朱全忠に握られていくこととなりました。
なお黄巣の乱の最中、黄巣を裏切ったばかりの朱全忠は黄巣軍から攻撃を受けた際、李克用に救援を求めて救出されています。この際に朱全忠は李克用に慇懃な態度でお礼を伝えましたが李克用からは、「裏切った元主君を相手にするのは大変だろう」とか皮肉を言われたそうです。李克用も以前に唐に反乱起こしているくせにと、内心思いますが。
話を戻すと、李克用は拠点である山西省に拠って朱全忠との抗争を続けていましたが、そうこうしているうちに唐王朝は朱全忠によって簒奪され、朱全忠が皇帝になってしまいます(王朝名は後梁)。この簒奪劇を李克用は認めるはずもなく朱全忠への抵抗を続けていましたが、後梁の成立から間もなく李克用は寿命で逝去しました。その逝去の際、後継者の息子に対して必ず後梁を打ち倒すように伝えたそうです。
その後、後を継いだ息子の李存勗は父の悲願を果たす形で内部瓦解していた後梁を打ち滅ぼし、新たな王朝を開いて国号を「唐」としました。なんで「唐」にしたのかというと、前述の通り「李」の名字を前の唐王朝から拝領していたことが理由で、元の唐と区別するためこの新しい王朝は現在「後唐」と呼ばれています。
自分はこの一連の経緯を社会人になってから学びましたが、本音を言えば高校時代に教えてほしかったなと当時思いました。というのも高校世界史では唐が黄巣の乱で亡んだ後、「後梁→後唐→後晋→後漢→後周」という風に王朝が変わったとしか教えられず、全く脈絡がなく各王朝名をそのまま丸暗記するしかなかったからです。せめてこの李克用の話があれば、独眼竜の由来もわかったし、唐から後梁、後唐までへの流れはストンと消化できたように思え、無駄に覚えるのに苦労させられたという感じがしてなりませんでした。
歴史の勉強だからこそ、こういうちょっとしたエピソードは大事だというのに( ・´ー・`)
さすがに、今更これはどうかと思う。
話は本題ですが、独眼竜とくれば政宗、政宗とくればずんだ餅というのが連想ゲームの定番ですが、この「独眼竜」という通称は実は伊達政宗に端を発するものではなく、中国の李克用という武将のあだ名から由来としています。
・李克用(Wikipedia)
李克用は唐末期(9世紀末)の武将で、父親も地方軍閥の長という家系の出身です。元々の名字は「朱邪」といいましたが、父とともに従軍して大規模な反乱を収めた功績への恩賞として、唐の皇帝一族の名字である「李」を名乗ることが許され、「朱邪克用」から「李克用」へクラスチェンジを果たしました。
その李克用ですが、どうも生来から片目が不自由だった、若しくは外見的な特徴があったと言われています。そうした外見的特徴と抜群の武勇を誇ることから、いつしか「独眼竜」という通称が付いたそうです。
前述の通り、李克用は若年の頃から父親とともに反乱を抑え込むなど軍事面で活躍していますが、唐末期の混乱期であったこともあり、父親とともに一度反乱を起こしています。ただこの反乱は失敗して韃靼族の元へ逃亡し、唐王朝からは韃靼族へ李克用らを引き渡すよう要求されましたが、そこらへんは李克用が韃靼族らに百発百中の弓矢の腕をアピールしてどうにかこうにかかくまってもらっています。
このように一度は反乱を起こした李克用でしたが、何故かその四年後には唐に帰順し、その後は唐の軍人として大活躍します。折しも当時は塩の密売業者である黄巣が反乱を起こしており(黄巣の乱)、中国はまた群雄割拠時代に突入していました。この時に李克用は鴉軍という、全員黒一色の衣装で統一した部隊を率いて連戦連勝し、黄巣の反乱部隊を裏切った朱全忠とともにこの反乱を一気に鎮圧して見せました。
しかし黄巣の乱の後、唐王朝内部で実力者となった李克用と朱全忠が対立するようになります。軍事面では圧倒的な実力を有する李克用でしたが、宮廷政治の方はからきし駄目だったこともあって、宮廷内の主導権は徐々に朱全忠に握られていくこととなりました。
なお黄巣の乱の最中、黄巣を裏切ったばかりの朱全忠は黄巣軍から攻撃を受けた際、李克用に救援を求めて救出されています。この際に朱全忠は李克用に慇懃な態度でお礼を伝えましたが李克用からは、「裏切った元主君を相手にするのは大変だろう」とか皮肉を言われたそうです。李克用も以前に唐に反乱起こしているくせにと、内心思いますが。
話を戻すと、李克用は拠点である山西省に拠って朱全忠との抗争を続けていましたが、そうこうしているうちに唐王朝は朱全忠によって簒奪され、朱全忠が皇帝になってしまいます(王朝名は後梁)。この簒奪劇を李克用は認めるはずもなく朱全忠への抵抗を続けていましたが、後梁の成立から間もなく李克用は寿命で逝去しました。その逝去の際、後継者の息子に対して必ず後梁を打ち倒すように伝えたそうです。
その後、後を継いだ息子の李存勗は父の悲願を果たす形で内部瓦解していた後梁を打ち滅ぼし、新たな王朝を開いて国号を「唐」としました。なんで「唐」にしたのかというと、前述の通り「李」の名字を前の唐王朝から拝領していたことが理由で、元の唐と区別するためこの新しい王朝は現在「後唐」と呼ばれています。
自分はこの一連の経緯を社会人になってから学びましたが、本音を言えば高校時代に教えてほしかったなと当時思いました。というのも高校世界史では唐が黄巣の乱で亡んだ後、「後梁→後唐→後晋→後漢→後周」という風に王朝が変わったとしか教えられず、全く脈絡がなく各王朝名をそのまま丸暗記するしかなかったからです。せめてこの李克用の話があれば、独眼竜の由来もわかったし、唐から後梁、後唐までへの流れはストンと消化できたように思え、無駄に覚えるのに苦労させられたという感じがしてなりませんでした。
歴史の勉強だからこそ、こういうちょっとしたエピソードは大事だというのに( ・´ー・`)
2020年1月29日水曜日
コロナウイルスの細菌兵器研究所流出説について
わざわざリンクを張るまでもないですが、一部メディアで今回中国で流行しているコロナウイルスは、武漢市の細菌兵器研究所で実験されていたウイルスが流出したものだとする報道が出ています。この件に関する私の意見としては、もっと調べてから言えといったところです。
この説の根拠としては、多くの感染者が罹患したとされる感染中心源である市場から近いということと、細菌やウイルスを扱っている施設という、この二点しか見当たりません。しかも市場から近いったってその距離は報道によると30キロもあるそうで、なんで研究所から漏れたウイルスが30キロ離れた市場で大量に感染者が出るのか、自分としては腑に落ちません。
それこそ、研究所の職員が最初の感染源と思しいという情報があればまだ別ですが、今見ている限りだとそうした報道や報告は見当たりません。もっとも陰謀論者からすれば、「中国政府がその事実を隠している」と主張するだけでしょうが。
正直に言ってこの手の報道は見るだに不快感を覚えます。理由としてはいくつかあり、まずこうした物騒な状況で確たる根拠もなく、単純な連想から感染ルートを推測し、それをそのまま報じるというのは情報の錯綜面からいってよくないと思うからです。こうした報道はひとたび間違えれば妙なパニックや悪意を招きかねず、報道に関しては慎重さが求められます。
次に、私と同じように考えた人はいるのかやや疑問ですが、河野義之氏の例を思い出すからです。やはり病気や体調不良の感染源というのは人の注目を呼ぶものというべきか、「どこに責任があるのか」という点について世論は追及しがちです。であるからこそ根も葉もない、根拠の薄い説であっても、適当に報じられたら大衆はそれを信じ、糾弾してしまうのだと考えます。
であるからこそ、こうした感染源に関する情報というのは特段の注意と慎重さが必要であるべきです。なんとなく、他国だから適当なこと言っていいという雰囲気をこの手の報道には感じますが、仮に国内で「30キロ圏内にあるから」という理由だけで、自衛隊の施設を感染源と報じていいのかといったらそれは違うでしょう。
仮にこの件について報道するというのなら、ちゃんとした根拠や因果関係をもっと詰めるか、安全な所からじゃなく現地取材してから報じるべきでしょう。大体思うけど、事件や事故を無駄に煽る報道をする人というのは現場ではなく、決まって安全なところにいる人間ばかりな気がします。
この説の根拠としては、多くの感染者が罹患したとされる感染中心源である市場から近いということと、細菌やウイルスを扱っている施設という、この二点しか見当たりません。しかも市場から近いったってその距離は報道によると30キロもあるそうで、なんで研究所から漏れたウイルスが30キロ離れた市場で大量に感染者が出るのか、自分としては腑に落ちません。
それこそ、研究所の職員が最初の感染源と思しいという情報があればまだ別ですが、今見ている限りだとそうした報道や報告は見当たりません。もっとも陰謀論者からすれば、「中国政府がその事実を隠している」と主張するだけでしょうが。
正直に言ってこの手の報道は見るだに不快感を覚えます。理由としてはいくつかあり、まずこうした物騒な状況で確たる根拠もなく、単純な連想から感染ルートを推測し、それをそのまま報じるというのは情報の錯綜面からいってよくないと思うからです。こうした報道はひとたび間違えれば妙なパニックや悪意を招きかねず、報道に関しては慎重さが求められます。
次に、私と同じように考えた人はいるのかやや疑問ですが、河野義之氏の例を思い出すからです。やはり病気や体調不良の感染源というのは人の注目を呼ぶものというべきか、「どこに責任があるのか」という点について世論は追及しがちです。であるからこそ根も葉もない、根拠の薄い説であっても、適当に報じられたら大衆はそれを信じ、糾弾してしまうのだと考えます。
であるからこそ、こうした感染源に関する情報というのは特段の注意と慎重さが必要であるべきです。なんとなく、他国だから適当なこと言っていいという雰囲気をこの手の報道には感じますが、仮に国内で「30キロ圏内にあるから」という理由だけで、自衛隊の施設を感染源と報じていいのかといったらそれは違うでしょう。
仮にこの件について報道するというのなら、ちゃんとした根拠や因果関係をもっと詰めるか、安全な所からじゃなく現地取材してから報じるべきでしょう。大体思うけど、事件や事故を無駄に煽る報道をする人というのは現場ではなく、決まって安全なところにいる人間ばかりな気がします。
2020年1月28日火曜日
コンクリート壁に対する断熱対策
今日は久々に曇りですが雨が止んだこともあり、昼過ぎから行く当てもなくニトリへ行くことにしました。
なお出がけにアパートの階段降りてたら一階の踊り場で、「ちょっとあんた、WiFiつながんないんだけど助けてよ」と一階の住人の見知らぬおばさんに声かけられ、WiFiのスマホとの接続作業をやらされました。何のことはなくルーターの電源が切れていただけでしたが、おばさん曰く「みんないなくて誰にも頼れず、困ってたのよ」ということでした。こういうところは本当に中国らしい。
さて上の写真は私の室内にある壁を映したものです。変な感じに次元が湾曲したように見えますが、実際にこの壁は真ん中ほど奥行きが長くなるよう湾曲してます。
そんな湾曲のことはどうだっていいのですがこの壁、見ての通りにコンクリの地肌がほぼむき出しなため、室内に夏場は昼間あっためた熱を放出し、冬場は外の寒気をガンガン流してきます。夏場はともかく、冬場はこの壁の側にパソコンおいていることもあって、作業中はいつも寒かったです。
そんな寒々しい壁への対策として今冬から、上記写真のように夏に買ったござを覆い代わりに被せていました。これが結構効果あったというか、寒いっちゃ寒いけど以前みたいに壁からにじり寄るような寒気は大分おさまり、個人的には「これが文明の力だ」などと悦に乗ってました。今朝までは。
今朝、何気なく頼りがいあるなぁとこのござを眺めてたら、なんか上部の方に埃のようなものが付いているのを見つけました。よくよく見てみると、それは埃じゃなくカビで、ここ数日の窓際の結露によってどうも発生していたようです。慌てて裏面をめくってみると、激しくってほどではないものの表側にはみられないカビの胞子がところどころくっついており、「ござじゃあかんかったんや」と激しく悟りました。
それで慌ててニトリで買ってきたのが、上の子供用フロアマットです。実はこのフロアマット、今年夏ごろから「次の冬にはこれで行く!」と見定めていた商品でした。ただ前述の通りに夏場に買ったござをおいてみたら意外と効果を発揮したので、購入を見送っていました。
素材が素材なだけに断熱効果は折り紙付きで、尚且つ値段も600円(40元)くらいと安く、我ながらうまい発想の転換をした気がします。夏場になればばらして保管すればいいんだし。
なお今日も上海は人気がすくなく、ニトリも一人ではしゃげるくらい閑散としていたのですが、日系スーパーのアピタ行ったらめちゃくちゃ人が来ててびっくりしました。どうも食料とかの買いだめに人が集まっていたようで、日本人店員が話している会話を聞いたら、
「なんでこんなに人多いねん」
「野菜とかもうあらへん」
と言ってて、実際に野菜売り場は商品がほとんどなくなっていました。一方、肉類は冷凍在庫が多いのか割と余裕があり、あとカップラーメンもなんか極端に少なくなっていました。
三が日を過ぎて本来なら物流などが動き出す頃なのですが、あちこちでコロナウイルス対策の封鎖、業務停止が段々響いてきているように感じます。差し当たって明日はインドカレー屋でご飯食べようと思いますが、一昨日、昨日、今朝と自作のカレーで食いつないできているので、四日連続カレーデーになりそうです。
なお出がけにアパートの階段降りてたら一階の踊り場で、「ちょっとあんた、WiFiつながんないんだけど助けてよ」と一階の住人の見知らぬおばさんに声かけられ、WiFiのスマホとの接続作業をやらされました。何のことはなくルーターの電源が切れていただけでしたが、おばさん曰く「みんないなくて誰にも頼れず、困ってたのよ」ということでした。こういうところは本当に中国らしい。
さて上の写真は私の室内にある壁を映したものです。変な感じに次元が湾曲したように見えますが、実際にこの壁は真ん中ほど奥行きが長くなるよう湾曲してます。
そんな湾曲のことはどうだっていいのですがこの壁、見ての通りにコンクリの地肌がほぼむき出しなため、室内に夏場は昼間あっためた熱を放出し、冬場は外の寒気をガンガン流してきます。夏場はともかく、冬場はこの壁の側にパソコンおいていることもあって、作業中はいつも寒かったです。
そんな寒々しい壁への対策として今冬から、上記写真のように夏に買ったござを覆い代わりに被せていました。これが結構効果あったというか、寒いっちゃ寒いけど以前みたいに壁からにじり寄るような寒気は大分おさまり、個人的には「これが文明の力だ」などと悦に乗ってました。今朝までは。
今朝、何気なく頼りがいあるなぁとこのござを眺めてたら、なんか上部の方に埃のようなものが付いているのを見つけました。よくよく見てみると、それは埃じゃなくカビで、ここ数日の窓際の結露によってどうも発生していたようです。慌てて裏面をめくってみると、激しくってほどではないものの表側にはみられないカビの胞子がところどころくっついており、「ござじゃあかんかったんや」と激しく悟りました。
それで慌ててニトリで買ってきたのが、上の子供用フロアマットです。実はこのフロアマット、今年夏ごろから「次の冬にはこれで行く!」と見定めていた商品でした。ただ前述の通りに夏場に買ったござをおいてみたら意外と効果を発揮したので、購入を見送っていました。
素材が素材なだけに断熱効果は折り紙付きで、尚且つ値段も600円(40元)くらいと安く、我ながらうまい発想の転換をした気がします。夏場になればばらして保管すればいいんだし。
なお今日も上海は人気がすくなく、ニトリも一人ではしゃげるくらい閑散としていたのですが、日系スーパーのアピタ行ったらめちゃくちゃ人が来ててびっくりしました。どうも食料とかの買いだめに人が集まっていたようで、日本人店員が話している会話を聞いたら、
「なんでこんなに人多いねん」
「野菜とかもうあらへん」
と言ってて、実際に野菜売り場は商品がほとんどなくなっていました。一方、肉類は冷凍在庫が多いのか割と余裕があり、あとカップラーメンもなんか極端に少なくなっていました。
三が日を過ぎて本来なら物流などが動き出す頃なのですが、あちこちでコロナウイルス対策の封鎖、業務停止が段々響いてきているように感じます。差し当たって明日はインドカレー屋でご飯食べようと思いますが、一昨日、昨日、今朝と自作のカレーで食いつないできているので、四日連続カレーデーになりそうです。
2020年1月27日月曜日
公約したZ33
今日も朝方はやんでいたもののすぐまた雨が降り出したし、上海市にもあんま外出んなと言われているので、Z33型フェアレディZのプラモを作っていました。
作ったのはタミヤのキットで、前輪が左右に動かず、なおかつマフラーやクランクシャフトなどもシャシーボディにあらかじめ一体化して成型されていたため、組むこと自体は非常に簡単なキットでした。もっとも、ライトのパーツがエッジの聞いたデザインのためはめ込んで接着するのが地味に難しく、この点だけは苦労しました。
元々このZ33型フェアレディZは日産車の中でも多分一番好きなモデルで、ゲームでもインプ、エボ3、FTOに並んでよく使う車です。もっとも最近、この手の日本車が出てくるゲーム減ってますが。
今回これ組み立てて改めて思ったこととしては、とにもかくにもスタイリッシュな車で、ボディデザインのカーブは今まで作ってきたプラモの中でも一番優れているように感じます。また写真からも確認できますが、ライト部分のパーツは非常によくできており、はめ込みに苦労はしたものの、フロントもリアも写真の撮り方によっては実車っぽく見せることも出来そうです。特にリアパーツはシンプルな構成ながら、非常に良く再現されています。
なお塗装は元からやりませんが、仮にボディ色を選べるとしたら迷わずオレンジにしていました。以前スピリチュアリストの方に自分のソウルカラーはオレンジだと言われましたが、そう言われる大分以前に「街道2」というゲームでこのZ33を使っていた際、ボディカラーをオレンジにしていました。またその配色が選べるということもZ33を気にいるようになったきっかけであり、自分とオレンジカラーの因縁を辿ると何気にこの車に行きつくような気がしてなりません。
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