・検査拒否した帰国者2人、「検査受けたい」と申し出(朝日新聞)
さすがに、今更これはどうかと思う。
話は本題ですが、独眼竜とくれば政宗、政宗とくればずんだ餅というのが連想ゲームの定番ですが、この「独眼竜」という通称は実は伊達政宗に端を発するものではなく、中国の李克用という武将のあだ名から由来としています。
・李克用(Wikipedia)
李克用は唐末期(9世紀末)の武将で、父親も地方軍閥の長という家系の出身です。元々の名字は「朱邪」といいましたが、父とともに従軍して大規模な反乱を収めた功績への恩賞として、唐の皇帝一族の名字である「李」を名乗ることが許され、「朱邪克用」から「李克用」へクラスチェンジを果たしました。
その李克用ですが、どうも生来から片目が不自由だった、若しくは外見的な特徴があったと言われています。そうした外見的特徴と抜群の武勇を誇ることから、いつしか「独眼竜」という通称が付いたそうです。
前述の通り、李克用は若年の頃から父親とともに反乱を抑え込むなど軍事面で活躍していますが、唐末期の混乱期であったこともあり、父親とともに一度反乱を起こしています。ただこの反乱は失敗して韃靼族の元へ逃亡し、唐王朝からは韃靼族へ李克用らを引き渡すよう要求されましたが、そこらへんは李克用が韃靼族らに百発百中の弓矢の腕をアピールしてどうにかこうにかかくまってもらっています。
このように一度は反乱を起こした李克用でしたが、何故かその四年後には唐に帰順し、その後は唐の軍人として大活躍します。折しも当時は塩の密売業者である黄巣が反乱を起こしており(黄巣の乱)、中国はまた群雄割拠時代に突入していました。この時に李克用は鴉軍という、全員黒一色の衣装で統一した部隊を率いて連戦連勝し、黄巣の反乱部隊を裏切った朱全忠とともにこの反乱を一気に鎮圧して見せました。
しかし黄巣の乱の後、唐王朝内部で実力者となった李克用と朱全忠が対立するようになります。軍事面では圧倒的な実力を有する李克用でしたが、宮廷政治の方はからきし駄目だったこともあって、宮廷内の主導権は徐々に朱全忠に握られていくこととなりました。
なお黄巣の乱の最中、黄巣を裏切ったばかりの朱全忠は黄巣軍から攻撃を受けた際、李克用に救援を求めて救出されています。この際に朱全忠は李克用に慇懃な態度でお礼を伝えましたが李克用からは、「裏切った元主君を相手にするのは大変だろう」とか皮肉を言われたそうです。李克用も以前に唐に反乱起こしているくせにと、内心思いますが。
話を戻すと、李克用は拠点である山西省に拠って朱全忠との抗争を続けていましたが、そうこうしているうちに唐王朝は朱全忠によって簒奪され、朱全忠が皇帝になってしまいます(王朝名は後梁)。この簒奪劇を李克用は認めるはずもなく朱全忠への抵抗を続けていましたが、後梁の成立から間もなく李克用は寿命で逝去しました。その逝去の際、後継者の息子に対して必ず後梁を打ち倒すように伝えたそうです。
その後、後を継いだ息子の李存勗は父の悲願を果たす形で内部瓦解していた後梁を打ち滅ぼし、新たな王朝を開いて国号を「唐」としました。なんで「唐」にしたのかというと、前述の通り「李」の名字を前の唐王朝から拝領していたことが理由で、元の唐と区別するためこの新しい王朝は現在「後唐」と呼ばれています。
自分はこの一連の経緯を社会人になってから学びましたが、本音を言えば高校時代に教えてほしかったなと当時思いました。というのも高校世界史では唐が黄巣の乱で亡んだ後、「後梁→後唐→後晋→後漢→後周」という風に王朝が変わったとしか教えられず、全く脈絡がなく各王朝名をそのまま丸暗記するしかなかったからです。せめてこの李克用の話があれば、独眼竜の由来もわかったし、唐から後梁、後唐までへの流れはストンと消化できたように思え、無駄に覚えるのに苦労させられたという感じがしてなりませんでした。
歴史の勉強だからこそ、こういうちょっとしたエピソードは大事だというのに( ・´ー・`)
4 件のコメント:
李克用の話は知らなかったので勉強になりました。
独眼竜と言われてはないかもしれませんが、三國志の夏侯惇も片目の猛将として有名ですよね。
歴史の勉強は、ストーリーとして覚えると暗記科目なだけに定着しやすいですよね。
他にも碧眼、じゃなくて隻眼だと山本勘助、柳生十兵衛等がいますが、やはり大将級じゃないと独眼竜とは呼ばれなさそうです。夏侯惇は「三国志で戦争映画を撮るならば」というお題では傷病兵役にキャスティング(友情出演)されており、他にも張飛は麻薬やっててやたらと人を殺すのが好きな鬼軍曹になってました。
西晋(司馬炎)が滅亡してから隋によって統一されるまでの時代、唐が滅亡してから北宋に
よって統一されるまでの時代は 中国史の中でも混乱期ですね。多くの国が出来ては滅亡し
ています。西晋が滅亡後、中国北部では国が誕生しては滅亡の繰り返しです。中国南部では
有力家臣による禅譲(という名の簒奪)で国名がころころ変わります。
国の名前を覚えるだけでも一苦労ですよ。
五胡十六国時代だと実は最近、前秦の王孟を知って興味持ってきました。あの辺をまた記事にするのもアリかと考えています。
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