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2020年5月25日月曜日

二つのダブルスタンダード

いつまで経ってもステマがなくならない裏側の理由(JBpress)

 というわけで今日の配信記事ですが、めっちゃアクセスは悪いです。ランキングには一回も出ず、コメントもほとんどなく、単純に読まれていません。つなぎとして書いた記事であることは認めますが、さすがにここまでアクセス悪いとため息も出ます( ´Д`)=3 フゥ
 ただ、それもそのはずというかこの記事は仕掛けがひどいです。極論から言うと、この記事のテーマは実はステマじゃなく、ダブルスタンダードについてです。それも二つ。

 一つ目は、記事中にも書いている通りステルスマーケティングは民間がやれば準犯罪だが、国がやれば情報操作という点です。このステマに限らずとも、個人や企業がやったら犯罪となる行為でも国がやるとなったら無罪放免となるものは多く、具体的には職務放棄や定年延長、賭け麻雀などです。特に後者は、今回の一件でレートが低ければ犯罪とはならないという前例を作ったので、今後摘発されたら「レートはテンピンだった」と言えばなんとかなるでしょう。まぁ試すことはないですが。

 もう一つのダブルスタンダードは、これは読み取れというのが実質不可能なレベルの自己満足なレベルのものです。記事中で触れているのはサブリミナルのところで、一時は多くのテレビ局や映画などで使われた手法であったものの、放送業界がもうやめようと自主規制規定を作った途端にピタリと止んだと書いたところです。何が言いたいのかというと、法規制よりも業界内の自主規制の方が意外と日本人は遵守するのではということです。

 以前にも私は、日本人は意外と遵法意識が低いとこのブログに書いたことがあります。にもかかわらずなんで秩序が保たれるのかというと村八分意識的なものじゃないかとも書いた気がしますが、まさにそうした感じで、法律で上から抑えられるよりも「出し抜け禁止」みたいにグループ内で取り決めを作った方が意外とルールを守るのではと、今回記事書いてて思いました。放送業界に限らなくても、自動車部品業界ではカルテル、建設業界では談合など、はっきり犯罪だと明示されているにもかかわらず業界内ではこうした事件は頻繁に起こります。
 自動車業界に関しては国際大手も同様であることからまだしも、日本の建設業界の談合については何度摘発されても不死鳥の如く甦り、挙句摘発された業者も何が悪いと居直るケースも多いです。このように、法律などよりも業界や身内の慣習の方が日本だと重く縛り、良くも悪くも秩序を作っているところがあるように感じ、その点が日本におけるダブルスタンダードだと、暗に含めて書きました。

 無論、こうしたことは他の国でも同じでしょうが、なんとなく日本は先ほどにも書いたように「村八分」状態に追い込まれかねない慣習法の方が異常な拘束力を持つ気がしてなりません。となると法律も、業界から締め出すような罰則の方が意外と効力を発揮するのかもしれません。

2020年5月24日日曜日

ふしぎなおどり

 先日、同僚から「やたら『スポット』という単語を使いますね」と指摘されました。主な使用場面としては「スポットでこれが必要になる」とか「こうなるのはスポットだから無理して覚えなくていい」などですが、意味としては「その場限り」、「そこでしか」というような具合で使っています。
 何故こんな横文字を使うのかというと、この意味に相当する日本語が見つからないからです。「その場限り」だと形容詞的な言葉となるし、また発音数が多くて少しだれた感じがします。また「スポット」だと動詞的な表現の様にも使えるので、本音としてはあまり横文字ばかり使うべきではないと思いますが、これに関しては一切抵抗なく、また便利であることから多用しています。

 このように日本語に関して時たま私は妙なこだわりを持って特定の単語や表現をよく用いるのですが、そんな私にとって地味に好きな単語は「ふしぎなおどり」だったりします。言うまでもなくこれは、ドラクエでMPを下げるとくぎです。
 この単語の何がいいのかというと、「一体何?」と興味と想像力を書き立てられるような単語の並びに加え、ひらがな独特の言いようのない不可思議さが自分にとって非常に好ましく感じます。もしこれが「不思議な踊り」だったら、なんにも魅力を感じなかったでしょう。

 それくらい妙に気に入っている単語なだけあって、よくあるプロフィール欄に「特技」という項目があったら迷わず「ふしぎなおどり」と書き込んでいます。もし深堀りされたら、「中国でMP(マグロ・パワー)を下げるのに使っている」などと説明しようといつも考えていますが、生憎そんな機会はまだ恵まれていません。これ以外のドラクエの特技だと「どとうのひつじ」が一時人気を博していたことありましたが、私は逆にこの発音の並びはそんなに好きじゃなかったりします。

 なお発音ネタで言うと、森鴎外の本名こと森林太郎(もりりんたろう)を中国語で読むと「センリンタイラン」になり、「なんかいいよねこの発音(´・ω・)(・ω・`)ネー」とこの前中国人と盛り上がっていました。なおスバル「ハイランダー」の中国語名は「森林人(センリンレン)」で、さっきの森林太郎はこのハイランダーのアッパーバージョンのように最近見えます。

2020年5月22日金曜日

ヤクルト黄金時代の思い出

【悲報】千葉県さん、無駄に有能(アルファルファモザイク)

 友人が上記まとめ掲示板の「県民は不安よな。森田、動きません。」という書き込みにえらく感銘してました。自分もですが。

すべては野村ヤクルトが教えてくれた(日刊ゲンダイ)

 話は本題ですが、上記連載記事が面白くこのところ続きを楽しみにしながらいつも読んでいます。この連載記事はヤクルト黄金時代で不動のセンターを務め、盗塁王も取りまくっていた飯田哲也氏の連載記事です。内容はヤクルトにおいて飯田氏が選手だった時代、そしてコーチであった時代にいた主だった選手に対する思い出や寸評などで、どれもスター選手ばかりなので興味深く、またチームメイトだからこそ知る内容が豊富で非常に面白いです。
 いくつか例を挙げると、「打撃成績が良くなるにつれ守備が悪くなっていったバレンティン」、「打撃ばかり気にして守備の意識が疎かだった青木」などは得心しながら読んでます。

 ヤクルト黄金時代は故野村監督が指揮を執った90年代前半を指しており、この時期のヤクルトはAクラスは当たり前、優勝も珍しくないというくらい実力のバランスが取れた時代でしたが、それ以上に特筆すべきは、この時代のヤクルト選手らの多くがその後監督やコーチになるなど、野球界で指導的役割を果たすようになっていることです。これらは野村監督の教えによる影響と私以外からも指摘されており、そういう指導者輩出的にもこの時代のヤクルトは「黄金時代」だったと言えるでしょう。

 当時、私は小学生で実はそんな野球とか見ていませんでしたが、巨人と比べて人気のないヤクルトの試合チケットがある伝手からよくもらえたので、恐らく現在においても観戦回数で一番多いチームだったりします。なお相手は当時関東で人気のなかったカープがぶっちぎり多かったです。
 野球にあまり興味がなかったとはいえ、そんな環境であったことからヤクルトファンとなり、よく週末の塾のテストの後とかにうちの名古屋に左遷された親父とともに神宮へ足を運び、それほど声を上げたりすることもなく黙々と野球を見ていました。当時好きだった選手は池山氏で、後年の引退の時は私も軽いショックを受けました。

 打者に関しては飯田氏や池山氏、あと地味に土橋氏の印象が強く、特に土橋氏については打率はそこまで高くないのにここぞという場面で打つイメージを当時にも持っていました。後年、Wikipediaで当時の並み居るセリーグ投手らから、「最も嫌なバッター」と言われていたと知り、なるほど等と思い言っていました。逆に投手に関しては、所詮は小学生の身ということもあってあまり調べず、凄さもわからずで、投手で当時名前を覚えていた選手は皆無と言っていいほどいませんでした。

 その後、大学で岐阜出身のくせに頭おかしいくらいのヤクルトファンの友人と会い、パワプロをやり始めることでプロ野球にのめり込んでいきましたが、その時くらいからベイスターズとソフトバンクを徐々に贔屓にするようになり、逆にヤクルトとは距離を置くようになりました。ヤクルトファンの友人が試合結果に一喜一憂するのを横目に、「飯田って今楽天にいるんだ」と、黄金時代メンバーの動向の方を気にしてみていました。

 私が記憶する限り最後に神宮球場に足を運んだのは2009年のことで、別の用事で都内で会った野球好きの友人と一緒に、「どうせ予定もないし、あのイムチャンヨン見に行こうぜ!」的にその場で神宮へ観戦しに行くことを決めました。生憎、試合は確か相手チームが大差のリードを取って「イム出ないだろうね」と思って途中で切り上げて帰っちゃいましたが、今でもイムチャンヨンの投球はどっかで見ておけばよかったと若干後悔しています。

 現在もコロナの影響でプロ野球は開幕していませんが、その分スポーツ紙各紙は過去のプロ野球史に関する特集記事を数多く組んでいて、昔を懐かしむ記事を見ることが多いです。自分にとって一番プロ野球が熱かったのは野球に興味を持ち、日本にいた2005~2010年くらいですが、それ以外だと実際に球場に足を運んでいた90年代ヤクルト黄金時代であり、当時の名選手のこういった連載はいろいろと去来するものも多いです。

 最後に、何気に中学・高校は幕張市内にある学校に通っていたにもかかわらず、千葉ロッテの試合はこの時期一度も見に行くことがありませんでした。大学に入って野球に興味を持って以降は行くことが増え、幕張市内の友人と会うときはよく見に行ってましたが、当時のロッテは球場スカスカだったんだから、地元の中学・高校とかに無料でチケット配ってファンを増やしとけばよかったのにと今でも思います。

2020年5月20日水曜日

黒川高検検事長の賭け麻雀報道について

黒川弘務東京高検検事長 ステイホーム週間中に記者宅で“3密”「接待賭けマージャン」(文春オンライン)

 かくも見事な報道としか言いようがないでしょう。

 詳細はリンク先記事を見てもらえばわかりますが、東京高検の黒川検事長が賭け麻雀をやっていたと報じられています。個人的に麻雀じゃなくドンジャラだったらどうなるんだろうとかよく思いますがそれは置いときますが、ただでさえ定年延長とか検察庁改革でごたごたしている最中の報道だっただけに、報道が正しければ「すべてを無にする一撃」となるでしょう。もっとも、検察を含む関係各所は取材に対して言葉を濁しているので、この状況から報道がデマだったとひっくり返るケースは過去ほとんどないですが。

 この報道を最初見た時、前述の検察庁改革法案で国会の審議が揉めている最中にどうして出なかったのだろうかと、タイミングの点が気になりました。最初でこそ審議で揉めている最中に出せばよかったのにと思いましたが、法案は結局今国会ではお流れになったのがつい先日だったので、文春側としてはもっと法案議論が最終段階になるか、可決となったハイボルテージな段階で出すつもりだったのかもしれません。そう考えると、お流れになったばかりのこのタイミングで出すのも悪手ではないと思え、自分の懸念は間違っていたなとか思いました。

 さてこの報道で何が一番面白いかって、この賭け麻雀に産経と朝日の人間も同席していたってことです。取材に対して産経は自分も取材する立場なのに文春の報道に無回答で、朝日は自粛期間中に外出したことは問題だったと話題をすり替えるなど、いつも通りのダブスタぶりです。結局誰が麻雀で一番勝ったのかくらい応えるべきじゃないかと思いますが。

 何気に、個人的に今回の報道で私が一番腹立たしく感じたのは黒川検事長じゃなく、産経と朝日の人間です。その関係から恐らく記者だと思いますが、検事長が賭け麻雀という超特大の特ダネを抱えておきながら何故それを報じなかったのか、この点が私にとって一番許せない事実です。めちゃくちゃな言いようかもしれませんが、自分が同席していたからとかそういうのは言い訳にはならず、最高の特ダネを持ちながらそれを料理せず腐らせるなんて記者として最低この上なく、自爆覚悟で報じることすらできなかったというのならはっきり言って完全なる記者失格でしょう。
 特に朝日に至っては検察庁改革法案に批判的に立場であっただけに、この報道を行うことによって一発で廃案へと追い込めたというのに何故それをやらなかったのか。本人以外は知らなかったのかもしれませんが、少なくともこの検察庁関連において朝日はしばらく報じるような立場にはないし、いわんや産経もといったところです。

 それこそ「検事長が賭け麻雀?」みたいな見出しでばっと報じて、黒川検事長が報道を否定しながら「誰か見たという人でもいるのですか?」と行った瞬間に「ここにおるぞ!<ジャーンジャーン」と出てきたら最高に格好いいのに。真面目に同席していた記者らは報じなくても記者生命どうせ終わるんだし、最後にどうして一花を咲かせようとしなかったのか不思議でしょうがありません。

 真面目に書くと、自分は記者時代に上司から、「パンフレットに現金挟み込まれることもあるから気を付けろよ。取材相手からは絶対に何も受け取るな」と厳しく言い含められました。それだけ記者は取材相手との距離を保つことに細心の注意を払わなければなりません。ましてや公権力関係者ともなればなおさらですが、その記者としての大前提を守れなかった時点でどの道この仕事は向いていなかったと言わざるを得ません。

  追記
黒川検事長、緊急事態宣言中にマージャン 週刊誌報道(朝日新聞)
黒川検事長 賭けマージャン報道(産経新聞)

 ちょっと調べてみたら一応両紙ともに文春の報道に対する二次報道は既に行っていました。見比べてみたところ、朝日新聞側は末尾にて「おわび」とはっきり書いた上で「黒川氏とのマージャンに参加していたことがわかりました」と書いて事実関係を認めています。金銭授受については調査中でほんまやったらマジ半端ないみたいな感じで「適切に対処します」と書かれてあり、甘いかもしれませんが会社としてはきちんと反省の態度を示しているという印象を覚えます。同席した社員についても、50代の元記者であるという情報も公開してるし。

 それに対し産経はというと、「取材源秘匿の原則を守りつつ、これまでも社内規定にのっとって適切に対処しており、今後もこの方針を徹底してまいります。」と言って、同席の事実関係はおろか何も認めていないし、お詫びの言葉一つ書かれてありません。
 悪質性で言えばハイヤーまで用意した産経の側の方が顕著であるのに、なんでお前そんな偉そうなんだよと言いたくなるような態度です。少なくとも初動の広報対応で見れば、産経は下の下に対し朝日は中の上といったところでしょう。「犯人は社内にいた!」的に完璧に調査して報じていれば、朝日は上でしたが。

 ただそれにしても朝日新聞側の記事では、「産経新聞社広報部は『取材に関することには従来お答えしておりません』とコメント。」とわざわざ産経側の文言を引用しており、見ていて非常によくわかってんなぁと思えて(・∀・)ニヤニヤします。わざわざ産経の側のコメント探さなくてもよくなってて、見る側としては大助かりです(´∀`*)ウフフ


産経サイトの記事検索画面、慌ててんのか同じ記事が三つも表示される

2020年5月19日火曜日

中国人の昇給感覚


 いともたやすく行われるえげつない行為。


 話は本題ですが先日、中国人の知人、日本人の知人と三人で食事しました。その際、

中国人の知人「いつも頑張って仕事しているのに、会社が給料を上げてくれないの(ノД`)シクシク」
私「可哀想だね(´・ω・)」
日本人の知人「ちなみに、1年の昇給幅大体どのくらいのなの(´・ω・)?」
中国人の知人「えーっと、大体1000元(約15000円)強(・ω・)」
私と日本人の知人「(´・ω・(´・ω・)……」
中国人の知人「どうしたの二人とも(。´・ω・)?」
日本人の知人「その昇給幅は年収?月収?(;゚Д゚)」
中国人の知人「もちろん月収だよ(´・ω・`)」

 一応書いておくと、この中国人の知人は非常に謙虚で、周りにも献身的ないい奴であり、決して貪欲な輩ではありません。しかしそんな性格の人物であっても、1年の月給昇給額が15000円程度では納得いかずに愚痴るというのが現代チャイナクオリティです。
 真面目な話、高卒ならともかく大卒だったら中国人はみんなこんな感覚でしょう。昇給幅が月15000円、年換算で18万円くらいだったら「会社は自分を認めてくれていない」と本気で信じます。恐らく日本だったら、大手企業ならいざ知らず一般企業でこんな昇給幅が毎年維持されることはまずないとは思うのですが。

 ただ中国の場合は大卒初任給は6000元(約9万円)、多くても8000元(約12万円)でベース給与は日本と比べて極端に低いです。ちなみに10年くらい前は2000元くらいで、現地採用でやってきた私の初任給は8000元くらいでした。

 最初は中国は給料低いなとか当時思ってましたが、ある程度こっちで暮らしてみると逆に、「日本の初任給は頭おかしいくらいに高いな(´・ω・`)」とか思うようになってきました。上記の通り中国は初任給は安いですがその分だけ昇給ペースは早く、仕事を覚えるにつれてきちんと上がるようになっています。
 一方、日本は新卒で何も仕事ができない状態から初任給が高く、ある程度仕事を覚えた2~3年目の間は昇給がかなり抑えられる傾向があります。初年度と比べて仕事ができるようになっても、給与額はほとんど同じで、業務への貢献と給与が完全に一致しない構造となっています。

 もっともそれを言ったら、働かないおじさんが非常に高い給与をもらい続けているという光景は日本のどこでも見られることから、根本的に日本は業務能力と給与が相関しない構造だと言えるでしょうが。

 といったような感じで、私と日本人の知人の二人がかりで、「日本だと初任給は高いけどそんなに昇給しないよ」と中国人の知人をなだめましたが、「それでもお金欲しい(´;ω;`)」と愚痴ってました。

2020年5月17日日曜日

中国の最良の皇帝とは?

 次の夏の歴史記事連載に向けていろいろ資料を読んだりしていますが、そうした資料を漁る過程でふと、「中国人はどの皇帝を最も評価しているのだろうか?」と思って、少し検索をかけてみました。

 検索ワードとしては候補が自動で出てきた「中国好皇帝排名」と入力。「排名」というのは順位やランキングを表す中国語単語ですが、何故か日本語ではこの漢字二文字は使われません。用法的にあってもいい気がするのに。
 それで検索した結果ですが、もう出るわ出るわというかいろんな人が順位付けを行っており、トップテンはおろかトップ20、トップ100まで編んでいる人すらいます。さすがに全部見切れないし、「公式ランキング」みたいなものもあるわけないので傾向として述べると、下記の皇帝が多くのランキングで候補に挙げられています。

・秦 始皇帝
・漢 文帝
・漢 武帝
・隋 文帝
・唐 太宗
・周 武則天
・明 太祖(朱元璋)
・清 康熙帝

 いくつか私の方から補足を入れると、始皇帝はなんていか殿堂入りみたいな感じでランキングに入れるべきじゃないのではという気もします。その功績や影響力は間違いなく見事なものですが、オリジネーターということで他の皇帝と比較するのはやや難しいような気がするからです。
 またこれとは理由は別ですが、チンギスハンもよく候補に挙げられているものの、一部選定者からは「彼はモンゴル皇帝」として敢えて候補から外した旨が書かれており、この見解には私も同感です。

 そのほか意外に感じたものとして、楊広をランキングに入れる人が結構多かったです。名前だけ見てもピンとこない人が多いでしょうが、この人は日本人にも馴染み深い、あの隋の煬帝です。日本人からしたら暴君としか見られていませんが、中国では暴君は暴君であっても、大運河の建設などを功績として評価する向きもあるようです。

 同じく意外に感じたのは、上の列記した中にも入っている漢の文帝です。彼は前漢の五代目皇帝ですが、彼自身は劉邦の第四子で、即位した経緯は実はなかなか複雑です。簡単に話すと、漢は二代目以降に皇后(劉邦の妻)の呂雉(りょち)をはじめとする外戚が幅を利かせて一時政治が大混乱したのですが、親玉の呂雉の死後に譜代の臣らが呂氏一族を追放し、外戚が大人しく且つ性格も温和そうであって劉邦の実子(当時生きてた中で最年長)であったことから、文帝が皇帝に推挙されました。
 こうした家臣らの期待通りに文帝は非常に温和で親孝行な性格をしていたとされ、処刑の提案がくるといやちょっと待ってといつもストップかけたり、肉軽の多くを廃止したり(一部は残したが)、さらには宮殿造営などを取りやめて減税を何度も行うなどして、国の財力を飛躍的に高めたとされています。日本ではほぼ無名に等しいですが、どうも中国では高い評価を受けている模様です。

 なお私がランキングを付けるとしたら、皇帝としての個人の才能という面から評価して、唐の太宗こと李世民がやはり「王の中の王」ならぬ「皇帝の中の皇帝」だと思います。それに次ぐのが、乱世を経験してはいないものの清の康熙帝で、その治世ぶりと独立状態だった三藩の廃止に踏み切ったところなどを高く評価しています。三番目となると、中国唯一の女帝こと則天武后(武則天)かなぁ。この人がいなければ「水戸光圀」は生まれなかった可能性あるし(「圀」という字は則天武后が「国」という字を勝手にアレンジして作ったもの)。

 なおランキングを追っていると、「中国馬鹿皇帝(昏君)トップテン」というのもあり、「明からはなんと三人がランクイン!」とか書かれてあって吹き出しました。周の幽王、夏の桀王はお馴染みのこと、有名どころだと後漢の霊帝が加えられてました。中国はいろんな皇帝いて楽しそうです。

2020年5月15日金曜日

五等分の花嫁の最終巻がつまらなかったわけ

佐賀新聞の「押し紙」を認定 元販売店主が勝訴、賠償金1070万円 佐賀地裁判決(弁護士ドットコム)

 上のニュースも大事だけどそれ以上に重要なこと思いついたのでそっち書きます。

 先日にも少し書きましたが、これまで絶賛していた漫画「五等分の花嫁」の最終巻をこの前ようやく読んだところ、あまりのつまらなさにびっくりしました。それまではどの巻も非常に楽しめて満を持しての最終巻も非常に楽しみだったのですが、読んでる最中も驚くくらい面白くなく、なんでこんなつまらないんだろうと訳が分からなかったです。普通、買ったばかりの漫画は数回通しで読むのに、この五等分の花嫁の最終巻は一回読み終えるとまた読もうとは思わず、そのままデータすら削除してしまいました。

 この後はネタバレを含むので、先を黙っててほしいと人はそのままそっとお閉じください。



 ヒロイン五人の中で私の推しは誰かというと、読み始めた頃から四葉一筋でした。最終的に勝者となったのはこの四葉でしたが、四葉推しでありながら先ほどから書いているように最終巻は全く面白いと感じませんでした。この結果については自分でも非常に不思議で、なぜこんなつまらないんだろうとここ数日ずっと気になっていましたが、今日会社休んだのに結局自宅で作業している最中にふと納得のいく結論が出てきました。
 なぜつまらなかったのかというと、四葉が勝者となる理由がほぼ皆無だからです。

 この結論に至った最大のヒントは結末について議論し合っているネット掲示板でみた、「この漫画のヒロインは加点方式ではなく減点方式で決まってしまった」といった内容のコメントでした。実際その通りというか四葉が何故ほかの五つ子を差し置いて主人公に選ばれることになったかという理由は実はほとんどなく、逆にというか他のヒロインが選ばれなかった理由が後半にかけて断片的に描かれていたように感じます。いわば、「この子がいい!」という理由ではなく、なんとなく消去法的に四葉が選ばれてしまった感があります。

 そんな風に考えていたところ、今日休みなのに結局仕事する羽目となって嫌だなぁとか思いながらお茶を入れている最中、「当て馬」という単語が出てくるとともに、頭の中でパズルピースがピタリとはまる感覚を得ました。それによって、四葉が選ばれることについての不自然さが明確化しました。

 この漫画では物語当初、勉強マニアの主人公は「恋愛なんて無価値だ」と否定していたのですが、主人公を慕うようになった五つ子からのアプローチを受けて徐々に恋愛行為を否定しなくなり、最終的に自身も恋愛感情を持つに至るという展開となっています。問題なのはこの過程で、主人公が恋愛感情を持つようになったアプローチはすべて四葉以外の五つ子から受けたものでした。逆に四葉は自身の負い目もあって主人公に対しては何の恋愛アプローチも行わず、むしろ一歩引いた距離を主人公と終始保っていました。
 ですが家庭教師開始当初から他の五つ子たちと違って主人公から素直に勉強を教わっていたという理由から(だけで)、主人公は最終的に四葉を選びます。ぶっちゃけていうと、「え、理由これだけ?(;´・ω・)」っていう気がしてならないのですが、実際にこうだからしょうがない。

 この構図を意識して改めて全体内容を見返してみると、主人公に振り向いてもらうために他の五つ子(実際のところ三人だが)たちはアプローチをかけて見事に主人公を恋愛感情に目覚めさせたものの、そうして目覚めた恋愛感情はそれまで全くアプローチをしてこなかった四葉に向かってしまったように見えます。こんなん、アプローチかけてた他の五つ子たちは当て馬以前というか、なんかおかしくね?
 仮にアプローチがなかったとしても、主人公が四葉との間でもっといろんなコンタクトやイベントがあったならまだしも、物語全体でそうした類のイベントは明らかに少なく、最終逆転要素とされた小学生時代の思い出も最終巻では全く触れられずに終わりました。こういっちゃなんだけど、「もしかしてあの時の女の子は?」くらいは入れた方がよかったのでは……。

 以上の様に、他の五つ子が苦労して育てた果実を、何も育成作業を手伝わなかった四葉が丸ごといただくような構図となってしまったことが、自分がこの漫画の最終巻をつまらないと感じた原因だと考えています。先にも書いているとおり、それでも主人公が四葉を選ぶ理由や感情がもっと描かれていればまだしも、他の五つ子のアプローチを無視して四葉を選ぶ理由はほとんど見つからず、不自然極まりない展開であったと思います。

 加えて言えば個人的な意見として、最終巻の絵にはなんかまるで魅力がありませんでした。元々その美麗なイラストもこの漫画の人気の一つで、実際他の巻はここぞという場面のイラストや構図が素晴らしくよく、見開きページのセンスも抜群でした。しかし最終巻はどのページもこれはと思うページがなく、特に最終ヒロインの四葉に至ってはなんかかわいさが他の巻と比べて2割減、下手すりゃ半減と感じるくらいに魅力を感じませんでした。四葉推しの私ですらそう感じたのですから、他の五つ子ファンなんかどうだったんだろう。
 なんていうか、四葉に関しては告白後も不気味なくらい変化がなく、それ以前のまんまなキャラクターであったのが読んでて不思議でした。さらに最後の見せ場の結婚式の場面でも使い古された「五つ子当てゲーム」をやる展開となり、折角の見せ場なのに全員全く同じ造形を延々と見させられ、「( ゚Д゚)……」みたいな気になりました。マジで。

 無論これは私個人の感想でしかありませんが、それまでの面白さがびっくりするくらい感じられない結末だっただけに、何故だか無駄に考察を広げてしまいました。なおこの後に読んだ「エリア88」も「なんだよこの結末は(´・ω・)」という幕引きで、なんか意気消沈させられるラストを二本連続で見させられました。