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2023年1月27日金曜日

ありそうであんまり見ない桶狭間の戦いのイフ

 ゲームの「アイドルマネージャー」で抱えているアイドルが女同士の恋愛に発展した後、破局し、何故かお互いの派閥を率いて相手をいじめ合うという恐ろしい展開に発展しました。たまたま片方がすぐ卒業したので抗争はすぐ終わったけど、かなり奇跡的な展開に本当に恐ろしいゲームだと思いました(;´・ω・)

 話は本題ですがだいぶ前に家康をΖガンダムのシロッコに見立てるという記事を書いて、友人からやたら激賞されました。個人的にも「脇から見ているだけで→脇から天下を狙っているだけで」というセリフの改変は神がかっていたと思っています。
 ふと昨日自転車乗りながらこの記事のことを思い出し、これ以外にも家康にシロッコっぽいセリフを言わせるタイミングないかなと考えていたところ、「そういうことだ。すまないな、ジャミトフ」というセリフが真っ先に浮かんできました。このセリフはシロッコが上司に当たるジャミトフを裏切り殺害するシーンで使われたのですが、家康風にするなら「そういうことだ。すまないな、秀吉」などと豊臣家に対する裏切りシーンで使えると思うよりも、桶狭間のシーンが真っ先に浮かんできました。

 桶狭間の戦いと言えば説明不要ですが、この戦いで家康は今川軍本隊より先行し、前線拠点であった大高城へ兵糧を運び込む作戦を指揮していました。大高城は前線で孤立した拠点で、今川軍が駐留していたものの周りは織田軍に囲まれて兵糧も尽きる有様だったと言います。
 この大高城へ家康は陽動によって織田軍の包囲を崩し、自ら大高城入りして兵糧を運び込んだと言われます。その後、近くの織田軍の砦が後からやってきた今川軍によって攻略され、あとは今川義元率いる本隊を待つだけという中、突如として今川義元が織田信長に討たれたという報がもたらされました。

 この突然の状況転換に対し、家康は当初は大高城に籠ったものの、改めて今川義元が死んだことを伝える使者が来たことを受けて撤退し、今川家の家臣らが逃げ出した、自らの故郷でもある岡崎城に入り、そのまま今川家からの独立を果たします。

 この状況ですが、一見するとドタバタ的な展開に見えつつ、かなり家康にとって都合のいい展開です

 結果的に家康率いる徳川家はこの桶狭間の戦いをきっかけに今川家からの独立を果たし、そのまま織田家との同盟を経て逆に今川家の領土を侵食して飛躍のきっかけを掴んでいます。結果論ではありますが、あの桶狭間の段階で家康が裏切るに足る動機はあるように見えます。

 では仮に裏切るとしたどんな形か。やはり一番大きいのは、信長への内通でしょう。
 信長とは幼少の頃に尾張に誘拐されたこともあって家康は旧知の間柄でした。仮に家康が信長に対し、今川軍の行程を伝え、どんなルートでやってきてどんなタイミングで休憩に入るかなどをリアルタイムで伝えていれば、信長にとっても有利この上ない展開です。

 でもって、織田家にも若干それらしき兆候が見えなくもないです。というのも信長は今川軍が尾張に侵入して次々と砦を落としていくのでその対策にどうするかという軍議で、当初は国境で防衛するという方針を立てながら、夜に急に小姓のみを引き連れ飛び出し、熱田神宮にて諸兵を招集し、そのまま国境を越えていきなり今川軍に決戦を挑んでいます。
 この間の動きは若干不自然に見えますが、あらかじめ間者を待っていて、求めていた情報がもたらされたことで信長は急遽動いたと言ってほぼ間違いないでしょう。もっともその間者は、家康の手下というよりかは、歴史書に現れる簗田某などによるものである可能性が高いでしょうが。

 ぶっちゃけこうして書いておきながら、家康が信長に内通していたという説を私は全く信じちゃいません。ただ状況的にあり得ないことはないと感じる話で、歴史イフ的な話でこんな感じに「桶狭間で家康が実は裏切っていた!?」的な話を見かけないのは、ありそうでない話なんだなぁなどと感じました。
 そういうわけで「家康=シロッコ」説を取るならば、「そういうことだ。すまないな、今川義元」となるわけです。割とでもキャラ的にあってる気はする。

 あと明日からまた仕事だ……(ヽ''ω`)

2023年1月26日木曜日

中国に矛盾はない(´・ω・)

 「アイドルマネージャー」でカフェ作って、発案されるメニューを悉く「ごぼうカレー」、「ごぼうケーキ」、「ごぼうオムライス」などと名付けてごぼう料理にしています。マジでこんなアイドルグループいたらごぼう農家大助かりだと思う。

 話は本題ですが昨夜中国人の友人たちと一緒にご飯食べた際、向こうから「最近の中国の戦狼外交は中国人としてもちょっとどうかと思う(-_-;)」という発言が出てきました。戦狼外交というのはあんま字面的には好きな単語じゃないですが、要するに脅迫めいた言葉でリスクをあおるような形で行う外交方針を差し、よく言う北朝鮮の「無慈悲な鉄槌が下りるだろう」的な言うだけ番長のような外交です。
 ロシアに限らず中国も近年、北朝鮮化が進んできており、この手の戦狼外交めいた発言が増えています。中国は以前からもそういうところはありましたが、少なくとも北朝鮮化と私が感じるほどにはここまで降れておらず、またこうして中国人からもどうかという意見が出てくるあたり、強硬的態度が増してきているのはほぼ間違いないでしょう。

 なお中国がかつて、特に日本とかに対して居丈高な態度を取っていたことについては、中国国民の劣等感の体現だったと考えています。あの頃、具体的には00年代の中国は列強にかつて痛い目にあわされたという被害者意識と、かといって調子に乗ったらまた列強にぼこすかやられるのではないかという恐怖感が非常に強く、そうした感情が入り混じって外国に対して、「はぁ?ビビってなんかねーし( ゚Д゚)」的な態度になっていたような気がします。
 また中国政府としても、外国に舐められていると国民から思われることを恐れ、敢えて強気な態度を取り続けていたと思えます。あくまで以前はそうしたポーズでしたが、最近は若干勘違い気味に強気すぎる態度を取り続けており、結果的に以前自分が書いたように周辺国に一切友好国がない、やや孤立した状況に陥っていますが。

 その上で、依然と比べると中国人も外国に対するコンプレックスが薄れ、自国に対して自信を持つようになってきたことから、上記のように最近の戦狼外交姿勢に関して疑問を持つ人が出てきているのだと思います。とはいうものの、未だに「米国は成長してきた中国を頭ごなしに押さえつけようとしている」として、反発心を抱いている人も少なくありません。まぁこれに関しては実際事実なので間違いではないですが。

 そんな感じで外交の話をしていると、米国への批判として友人が「自由と民主には一定の矛盾がある」と言いました。これも実際その通りで、民主と言いながらも政府が国民に対していろいろ規制したり、束縛したり、国民の意図しない外交を取ったりすることは当然のようにあります。
 そんな感じでなるほどと思いつつ私は、「でも中国には、自由も民主もないから矛盾も一切ないよね(´・ω・)」と言ったら、「マジその通り(σ・∀・)σ」的にみんなで爆笑しました。中国にとってこの問題は、一顧だにする必要もない問題だったことがわかってなんか楽しかったです。

2023年1月24日火曜日

現実世界のジェガンのような長寿軍用機

 ガンダムで近年、急激に出演回数を増やしている機体を挙げるとしたら、我らがアッシマーではなくジェガンで間違いないでしょう。その理由というのも、一番最初の1年戦争に関しては話を掘りつくした感があり、この前映画で出された「閃光のハサウェイ」や「ガンダムUC」(ぶっちゃけかなり嫌い)をはじめ、新たなサイドストーリーの掘り起こしがジェガンの初出となった「逆襲のシャア」前後の時代がメインターゲットとなっているためです。
 「逆襲のシャア」に出ている関係で、ジェガンはこれらの新規サイドストーリーでもほぼやられメカでしかないですが毎回確実に出演しています。そもそも「逆襲のシャア」の次に作られたF91で、「平和な時代が続いたことで、ジェガンはその後何十年にもわたり運用され続けた」という設定が作られたため、出さざるを得ないっていう事情もあるでしょうが。

 ただ量産型のやられメカながら、割とスマートなデザインから昔から人気は高く、自分の友人もGジェネFで能力値MAXのジェガンを作ったと自慢していました。また近年の新規作品ではほぼ毎回新たなバリエーション機が作られており、そろそろジェガンが主役の作品でも作ったらどうだとと言いたくなるよな扱いぶりとなっています。

 そのジェガンの運用期間ですが、先にも書いた通り長期にわたると設定されており、作中の年代から計算すると運用開始から34年は使われていたこととなります。現実の兵器でもこれほど長く使われるものは以前は少なかったのですが、冷戦終了とともに兵器の世代更新が先送り傾向にあることから、現実でもやたら長寿というか異様に運用期間が長い兵器がこのところ増えています。まぁ今のロシアについては博物館入りの骨董品戦車すら使ってる有様ですが。

 では実際にどの兵器がジェガンみたく長寿なのかというと、日本にとって一番身近なのは自衛隊も使っているF-15イーグルで間違いないでしょう。この戦闘機、設計がシンプルで骨太だったということもあってアップグレードが容易で且つ普通に強いことから、何十年経っても変わらず使い倒され続けています。その運用開始年度は1976年であったことから、あと4年で満50歳に達するという長寿ぶりです。
 しかも米軍はイーグルについて、疲労でがたつきやすい主翼の新規発注をすでにメーカーに出しています。主翼のみ交換して今後もまだまだ使い倒すつもりなのが満々で、日本も当初の計画ならすでに全部退役済みですが、まだ全然現役というか代わりの飛行機すら用意していません。まぁゆくゆくはF-35と取り換えるつもりでしょうが。


 そのF-15同様に長寿でおなじみの軍用機と言ったら、米陸軍の地上攻撃機であるこのA-10において間違いないでしょう。なお愛称は「サンダーボルトⅡ」なのですが、中国では「雷電Ⅱ」と表記されてて、「いつの間に日本の雷電に後継機できたんだよ(;´・ω・)」と言いたくなります。


 説明するまでもなく上の写真は例によって自分が組み立てたプラモです。キットはまた韓国のアカデミー製を使っており、非常にスムーズに組み立てられ、デカールもいつもながらいいの揃っています。

代名詞の30㎜機関銃(アベンジャー)


 地味にいいのは尾翼で、こんな感じで接地させることができます。後方に大きなエンジン2基を置くという機体の形状上、プラモでは水平姿勢で立たせることはまず無理ながら、尾翼下部がやや斜めに傾斜していることをいいことに、後輪と尾翼で支える形で上向き姿勢になるようになってます。


 話を戻すとこのA-10、昔の戦闘機漫画の「エリア88」でグレッグが「最新の攻撃機よこせ」と武器商人に取引を持ち掛けるシーンがありますが、それから40年くらい経過した現代においても使われ続けているとは、新谷かおる氏も想像しなかったでしょう。むしろしてたらやばい。

 このA-10は先のF-15とほぼ同時期の1977年から運用が開始されており、でもって現代においても未だ使われ続けています。っていうか、F-15以上に大活躍し続けており、プロレスでいえば引退試合を控えている武藤敬司氏ばりのレジェンドです。
 F-15と違ってA-10は戦闘機ではなく地上の戦車や陣地を攻撃するための攻撃機で、冷戦終了後は「もういらないよね(´・ω・)」とばかりに何度も退役計画が出されているのですが、そのたびに湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争が起こり、どの戦争においても欠くことのできない大活躍を見せ、「やっぱいるよね(´・ω・)」と退役計画を撤回させ続けています。こちらもあと5年で満50歳という長寿ぶりで、F-15と双璧をなしています。

 そうした背景もあって前から興味があってA-10も組んでみましたが、やはり普段は戦闘機ばかり作っているので、こうした地上攻撃機は作ってて楽しいです。何よりその独特な形状に「イボイノシシ」と形容されるごついフォルムは見ていて和みます(´∀`*)ウフフ
 作り終えたときはめちゃ興奮して、そのまま続けてタミヤ製の1/48キットも買おうかと思いましたが、別の機体のプラモを組む方が勉強になると思い今回は見送りました。また日本行った時にも1/48キットは作ろうと思う(´・ω・)

日本にあったと思うエリート校

 一蘭が作ったソーセージは一蘭製ソーセージと呼ぶのかなどと考えながらJBpress用の記事を書き上げほっとしていますが、上海も今日は強風が吹き荒れる寒い日で、家の中に閉じこもって「アイドルマネージャー」で遊んでました。作ったインタビュー番組の名前は「ごぼうでいいとも」。

 話は本題ですが前の記事で私は、東大はエリート育成校というよりかは官僚養成校であり、実務家しか育てないという風に書きました。官僚だってエリートじゃんと言われるかもしれませんが、この一連の記事における私のエリートに対する定義は、まず高い実務能力は備わっているのは基本前提というか足切り条件で、その上で書きの能力に富む人物だと考えています。

・自己判断力
・統率力
・責任感

 では上記のような能力を備えたエリート育成学校は日本にあるのかと言えば、はっきり言えばありません。特に最後の責任感については、日本人は本能的に責任から逃げることを主目的としており、多分エリート育成の上で最大の障害になるでしょう。
 その上で、かつて上記要素を備えたエリートを輩出した学校が日本にあったかというと、それに関してはあったんじゃないかと内心考えています。単純なエリート輩出率でいえば、幕末の松下村塾がぶっちぎりトップですが、松下村塾だと期間が短くて時代的要素も大きいので敢えて省きます。ではこれ以外となると上がってくるのは、意外や意外に戦前の学習院じゃないかと考えています。

 戦前の学習院は皇室と家族の子弟の教育を目的として作られました。でもって伝え聞くところによると全寮制で、通う子弟たちはみんな寮に住まわされて、教員らの指導を授業以外でも受けていたとされます。
 こうした教育システムは、恐らく学習院自体がモデルとしたのでしょうが英国におけるエリート校と非常によく似ています。階級によって入学をあらかじめ制限するという障害こそあるものの、日常生活から指導するとともに、皇室の藩屏という意識を叩き込むという上では、国家を背負って立つエリートの育成においては適したシステムであったのではないかと思うわけです。

 もっとも現代においてはこんなシステムはもはやなく、ただの一私大になり下がっており、皇室、っていうか秋篠宮家もなんとなく距離を置き始めているように見えます。コムケイを誕生させたICUよりかはいいんじゃないかと思うんですが。

 さらっと書いていますが、エリート教育で模範とすべきはやはり英国だと思います。英国のエリート教育の特徴は「エリート生徒を特別視する」ということで、優秀な生徒には式でサーベルを帯剣させたりするなどいろいろな特典を付けさせるそうです。なんでそんなのするのかっていうと、「自分が特別」だと思わせるとともに、「特別であるだけに変なことしたら学校のブランドなどを傷つける」という責任感を負わせると言われます。
 これは奨学金をもらう生徒にも同じことをしているそうで、掲示板とかで「奨学金被授与者」みたいに公開するそうです。これにより、うかつな行動を取ろうものなら剥奪されるというプレッシャーを与えるとともに、努力すればこうした特典や栄誉に預かれるという競争心に火をつけさせるというわけです。

 この辺で恐らく、「日本とは逆だ」と考える人が多いと思います。奨学金をもらっていることを公開したらプライバシーの侵害だという人もいるし、特定の生徒を特別扱いする何て平等に反するという風に感じる人もいるでしょう。結構テクニカルに今この記事を書いていますが、そう考える人がいるという時点で、日本はエリート教育と対極的な教育が支配的であることを証明している気がします。
 そういう風に言えば、極端な平等主義こそがエリートの芽を摘んでいるのかもしれません。

 私自身は何もすべての学校とは言わず、一部の特定学校で英国式の教育を取り入れ、エリートを少量生産することが日本にとってプラスだと考えます。一部でそういう取り組みを目指そうとする動きもみられるものの、少なくともまだ結実しているようには見えませんし、上記のように抵抗する勢力も存在するでしょう。

 最後に余談ですが、一連の記事で自己判断力がエリートにとって大事だと何度も書いていますが、自己判断力があるだけでエリートとは考えていません。やはり統率力ことカリスマ性や責任感、そして高い実務能力を兼ね備えてこそエリートであり、自己判断力一本ではエリートとは呼べません。
 とはいえ、そんな自己判断力がある人間はそれはそれで貴重です。手探りのような状況を打開する上ではもってこいな人材であり、社会においては一般的な人より価値があると思います。それこそ以前に例えたようにエリートを指揮官、一般人を兵士だとすると、自己判断力がある人はさしずめ敵地に潜入して自分で考え行動をする特殊工作員的な役割の人間だと思います。

 このエリートの育成に関してかつて佐藤優氏は、戦前に工作員を養成していた陸軍中野学校こそが理想の学校だと主張していました。この意見に関して私は否定的で、というのも陸軍中野学校は確かに自己判断力を育成していただろうけど、エリートに必要な統率力や責任感は置き去りにしていたと考えるからです。そういう意味でも、自己判断力だけに特化しているのは工作員に過ぎずエリートではないという見方を持ちます。

2023年1月22日日曜日

エリートを育成できない東大の教育

 先日の記事で私は、日本の教育は基本的に自我を奪い従順な人間を量産する方向に異常に特化しており、結果的に自己判断力が極めて低い国民を量産していると指摘しました。文字に書くと結構過激な文言に見えますが、これまでこうした傾向を説明していて誰一人として否定する人はいません。
 その上で、別にこうした教育は国家目線でいえば従順でまとまりのある国民を作るうえでは悪くはないものの、あまりに特化し過ぎているため、結果的に自己判断力に富み、大衆を引っ張ることのできるエリートを生むことができなくなっており、それが日本全体のやや歪な人材構成を生んでいるという考えを呈しました。また以上のような人材構成を軍隊に例えて、「指示待ちの兵隊がたくさんいるけど指揮官が一切いない状態」と評しました。

 またその記事で私は、「東大にエリート教育はない」と書きました。この辺について少し解説すると、東大が日本最高の教育機関であることは間違いなく、その排出する人材は実際に社会から評価されるなどブランドもあり、また数多くの首相も輩出するなど政財界に重きをなしています。
 ただ、特に政治エリートにおいては顕著ですが、東大での政治エリートは東大の教育が良かったから政界で活躍したというよりかは、東大以前の家庭教育がその能力に及ぼす影響が大きかったように感じます。

 前回記事で例に挙げた竹下登をはじめ、昭和期の首相の多くの実家は酒造家や地主など、地元の名士たる家が非常に経歴として多くありました。こうした家庭では周辺の人々や繁忙期に大量に抱える労働者などの管理がごく身近にあり、そうしたところでエリートに必須の集団への指導力や統制力、いうなればカリスマ性を磨いたのではないかと伺われます。
 近年においては東京一極集中もありこうした地元名士出身者が減っていますが、その代わりとして増えているのが二世政治家です。この点でもやはり、バックボーンのない東大出身者というよりかは政治家の家で育ち、政治家である親類の党員や秘書、運動員らの動かし方を学んでカリスマ性を磨いていると思われ、たとえ東大を出ていようとも、東大の教育がエリートに求められるカリスマ性に影響を与えたようにはあまり見えません。

 では東大の教育は何なのか。そもそも東大は官僚育成校として創設された経緯があり、現代においても中央官僚(理系は国家級研究者)への登竜門としてはっきり認知されています。結論から言えば、実務能力の育成にやや特化しているきらいがあり、社会におけるエリートを育成、輩出する校風もなければ、そういう教育を行っているという様子も見られません。
 現代においてはどうかはわかりませんが、昭和期における東大法学部の授業は最前列の座席が取り合いになって、最前列に座った人間は講師の発言を一言一句ノートに書き残すという授業風景が当たり前だったそうです。というのも、省庁入庁後もある程度東大時代の授業評価が出世に左右されたそうで、基本的に講師の言うことの完コピが授業形態であったと聞きます。このエピソードを聞くにやはり東大の授業は自己判断力、集団指導力を育成するような要素は見られず、言っては何ですがやはり言われたことを確実にこなす「従順さ」を大学としても求めているようにしか見えません。

 それでも日本社会で東大は「エリート」として見られていますが、上記のような見方から自分としては欧米で言われるエリートとはやっぱ違うという風に感じます。それこそ先の軍隊のたとえでいえば、命令遂行能力が極めて高く、目標達成に向けた現場判断(=戦術)などの一定の裁量権が付与されるという点で、現場指揮官に当たる少尉とか大尉と呼ばれる尉官級の人材に相当するのではないかと思います。少なくとも、日本の官僚に関してはそうした立場が実際に求められるし、実際そうなっているでしょう。

 そういう意味でやはり、戦略を立案、指示して軍団を率いることができ、自己判断力(=自我)を持つ将軍クラスの人材は、少なくとも東大の教育でほとんど育成されないし、実際輩出されていないように見えます。東大に限らず、京大などほかの国立も同様で、少なくとも「この高台にいる敵兵1000人を移動させるにはどうする?」といったような指導をする学校はないでしょう。
 唯一、エリートを構成する要素であるカリスマ性という点では、早稲田や慶応などの学生数の多い上位私大であれば、サークルをはじめとした大学内の団体活動の中で集団に対する指導力を磨くチャンスがあり、もともと高い実務能力を持っていて自己判断力も持ち得ていたら、エリートが発生する可能性があると思います。そういう意味で前回記事で私は、エリート輩出という点ではむしろ上位私大の方が確率として高いと主張しました。

 しかし総じていえば、日本の公教育機関においてはエリートを育成し得る教育体制や方針を備えている学校は一切存在しないというのが自分の見方です。その上で日本はエリートの自然発生を待つだけで必要な数を揃えられないばかりか、自然発生したエリートに対しても相応しい地位を用意できず、活用もできていないのではないかとみられます。そういう意味でも、エリートを育成する教育機関がやはり日本には必要じゃないかということになってくるわけです。
 ではエリートを育成する教育機関とはなんぞや。結論から言えば英国のイートン校といったエリート校がモデルとなりますが、日本国内にも過去の歴史では有力となるモデル校が存在したと考えています。その辺はまた次回で。

ごぼうの陰謀

 今日は中国にとっての元旦ですが特に日本と違って初詣などの習慣はなく、割とみんな家で家族と過ごす人が多いです。自分は単身で中国にいることもあって特にやることもなく(本当はJBpress用の記事書かないとダメ(ヽ''ω`))、友人誘ってランチに出かけました。

 こうしてランチに行ったお店はあらかじめ開店していることを調べた上で行ったのですが、やはり休んでいるお店も多いことから、途中で団体客がまとめて入ってきたので、店員から座席を移動してほしいと頼まれました。別に問題ないので快く応じたところ、店員から「これはお礼です」と小鉢料理を1品おまけしてもらいました。その小鉢に入っていたのは、金平ごぼうでした。

 私は昨日の記事で、現在遊んでいるゲームでアイドルグループ名を「ごぼうの仲間たち」とつけて、関連するシングルや番組にひたすら「ごぼう」をつけていることを紹介しました。なお昨日出したシングルの名前は「ごぼう総選挙」と「ごぼうの逆襲」でした。
 別に深い意図とかなくてふざけてやっていることですが、あんな記事を書いた翌日に頼んでもいないごぼう料理が出されてきた事実にかなり驚愕しました。っていうか、これは偶然なのかと疑っていますΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)

 もしかしたら自分の知らないところで、ごぼう普及のためごぼうを連呼するような洗脳か何かを受けているのかもしれません。別にこれまでごぼうに関しては好きとか嫌いといった嗜好は一切なく、出されたら普通に食べるっていう感覚で気にもしてませんでしたが、今年に入ってからやたらごぼうが自分を取り巻いているような気がして、何かの陰謀にも巻き込まれているのかもしれません。
 とりあえず深く考えすぎるのもよくなく、またなんかの啓示なのかもしれないので、ひとまず今年は飲食店とかで優先的にごぼう料理を頼んで、意識的にごぼうを食べるようにすることにします。っていうか本当に偶然で片づけていいものかと思う出来事にマジビビる(;´・ω・)

2023年1月21日土曜日

ごぼうの仲間たち

 前にこのブログで少し書いた「アイドルマネージャー」というゲームをSteamで結局購入して遊んでいます。このゲームはアイドル事務所の社長となってアイドルをスカウトし、育成し、歌って踊らせて金を稼ぐのですが、内緒で彼氏と付き合ってスキャンダルが発覚したりすると、契約中の広告スポンサーとかに賠償金を払わせたりして大変で、今更ながらベッキー抱えてた事務所の苦労が偲ばれました(´;ω;`)ウッ…
 実際にプレイした感じだと、序盤こそ資金繰りに苦しむものの、コンサートを開けるようになったら無尽蔵にお金入ってくるので途端に楽になります。お勧めの攻略法としては、スタート時点ですぐ10人くらいアイドルをスカウトし、営業スタッフを増やしてお金を稼ぎつつ、コンサートが開けるようになるまでシングルを出し続けることだと思います。最初ここに至るまでがわからず、何度もやり直しました。

 そのやり直す過程でめんどかったのが、グループ名などの名づけです。スタート時点で運営するアイドルグループ名を決め、その後出すシングルにもいちいち曲名をつけさせられるのですが、最初でこそ真面目に考えたものの、やり直すたびにだんだんと面倒くさくなって、最終的に付けたグループ名は「ごぼうの仲間たち」でした。なんでかって、ごぼうが突然頭に浮かんだからです。
 こうした名前からプレイ中、アイドルをスカウトすると「ごぼうの仲間たちに入れてとてもうれしいです」というセリフを言ってきたりします。なんか若い女の子をだまして商売しているような感じが自分でもプンプンします。

 とまぁグループ名がごぼうなので、そのグループで出すシングルもごぼうつながりがいいかと思って竿所は「ごぼう1」とか「ごぼう2」などと連番にしてましたが、さすがに芸がなさすぎると思い、「ごぼうロック」、「ごぼうエクスぺりメンツ」、「ごぼう革命」、「ごぼう生活」などという曲名でリリースするようになっています。
 また運営するラジオやインターネット番組も、料理がテーマなら「ごぼう料理」、音楽がテーマなら「ごぼうの音」などと、あくまでごぼうを貫いています。っていうか農業アイドルなのかなこれ。


 などとごぼうまみれになっていたことからふと、ごぼうソングってあるのかと検索したら、小島よしお氏が歌っていました。なんとなく、先越された感じがします。っていうかグループ名は、「やくざ」とかでもよかったな。