恐らく私と同世代の方にはあまりなじみがないかもしれませんが、数ある経営者の中で私が特に尊敬する人物として日清食品創業者の安藤百福(ももふく)氏がおります。安藤氏が一体どんな人物かというと、あの日清食品の創業者とあるのと同時に世界初のインスタントラーメンこと、「チキンラーメン」の発明者でもある人物であります。
このチキンラーメンを初めとした即席麺は現在世界中のどこに行っても手に入れられるほどで、その利便性と味の多様さから日本だけでなく各国の人間に受け入れられています。特に麺食の多い中国のスーパーに行けばびっくりするくらいの多種類のカップ麺が並んでおり、その浸透振りにはさすがは中国と私も思ったほどでした。なお、日本式という名目で売られていたカップ麺はとんこつ味でした。
それで安藤氏の経歴ですが、この方は戦前に日本統治下の台湾の生まれですが戦後も日本国内に留まって繊維業などといった事業を経営していたところ、ある日ひょんなことで事業がすってんてんになって自宅以外の財産すべてを没収される羽目となりました。その時すでに安藤氏は47歳で、普通ならこの年でこんな目に遭えば再起を期すなんて考える人はあまりいないと思うのですが、安藤氏はこの時から自宅の庭にあった小屋にて日夜即席麺の開発へと取り掛かったのです。
そこでの実験と研究の試行錯誤の日々の末に、安藤氏はゆで上がった麺を一旦油で揚げる事により、お湯をかけるだけで元のゆで上がり時の麺に戻すせることを発見しました。このエピソードからもわかるとおりに、今これほどまでに一般化しているインスタントラーメンの技術は事実上、安藤氏一人によって発明されたものだったのです。
安藤氏はこの発明を武器に再び事業を起こし、瞬く間にインスタントラーメンを日本で普及させて会社を大きくさせると、ラーメン文化がなかったためにどんぶりのないアメリカへ如何に進出するかと考え、紙コップに麺を入れてお湯をかけさせることをヒントにカップヌードルを誕生させるに至ったのです。
私がこの安藤氏を何故尊敬するかといったら、やはり見事再起を果たした点に尽きます。しかもその再起のきっかけが自らの努力によって発明したインスタントラーメンで、その後もカップヌードルの発売や工場の製造ラインの工夫時のエピソードなど常に努力や知見を怠らず、年をとっても衰えを見せないその探究心と行動力には感嘆させられます。そして今、これだけインスタントラーメンが世界に普及しているのを見るにつけその影響力の大きさには一個人として深く頭が下がります。実際に2007年に安藤氏が死去した際には、海外の新聞でもその訃報を記事にした新聞が出たほどだったそうです
そうした背景もあって、実は二年前に大阪府池田市にあるインスタントラーメン博物館に親父を引き連れて行ってきたことがあります。企業の博物館は大抵どこ行ってもそれなりに面白いのですが、この博物館では安藤氏が発明を行った小屋が再現されてたり、どのように販売が展開されたのかや、今どんな種類のインスタントラーメンがあるのかなどが展示されていて非常に面白い博物館で、機会があれば是非もう一度行ってみたいほどです。
この博物館内ではどこかの海外の記事を引用して、インスタントラーメンが零戦やウォークマンを抑えて最も偉大な日本の発明だと書いてくれたというパネルが展示していましたが、実際にこれだけの普及度を見ると私もそんな気がします。特に麺食文化の強い中国では絶大でしたし、そうでない欧米にもこれだけ広めた点を考慮すると真に偉大な発明でしょう。
私がこの博物館を訪れた時はまだ安藤氏が亡くなってから数ヶ月しか経っておらず、それだけになにか強い感傷を覚えながら展示物を見ていました。館内のシアターコーナーで発明の過程を説明する映像があるのですが、その最後に安藤の言葉として、常に発明や工夫への意欲を持ち続けるのだという内容の言葉が音声として流れた際、何かしんみりすると共に熱い思いが込みあがってきたのをまだはっきりと覚えております。
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