2009年10月26日月曜日

大塩平八郎の乱時の大阪の寒さ

 書いたと思っていたら書いていなかったので、今日はちょっと時間も余りないので軽くある歴史の話を紹介します。

 このところ武田邦彦氏関連で環境問題のことばかり書いていますが、武田氏は常々、世界の平均気温が数℃の範囲内で変動するのはごく自然な事だと主張して二酸化炭素による温暖化というのは間違っていると述べています。では仮に百年前の世界の平均気温はどうだったのかとなると、あれこれ炭素測定法やらなんやらを持ち出してある程度正確な気温を出す事も出来ますがちょっとイメージがつきづらいです。

 そんな時に決まって私がよく持ち出すエピソードに大塩平八郎の乱があります。この事件は1837年に幕府の元役人だった大塩平八郎が幕府に対して反乱を起こした事件ですが、中国にて清が滅ぶきっかけとなった太平天国の乱同様、その後の明治維新と比べると小さな小さな反乱でしたがこれがそもそもの江戸幕府崩壊の端緒であったのかもしれないという意見もあります。

 そういう歴史的な意義はひとまず置いといて、この大塩平八郎の乱が起きたのは江戸から遠く離れた大阪の地でしたが、この乱が起きた当時の資料によるとなんとこの乱が起きた時の大阪では淀川が凍結していたという記述があるのです。川が凍結するとなると最低でも一日の平均気温が零下を下回っていなければなりません。これは現代の都市で言うならばこちらも実際に冬場に川が凍結する韓国ソウル市や中国北京市くらいの気温で、この1837年の大阪の冬はそれほどの寒さだったという事になります。

 もちろんたまたまこの年が寒さ厳しい厳冬だったと捉える事が出来ますがここ数十年で大阪市を走る淀川が凍結するなんて話は全く聞かないことから、ヒートアイランド現象やその後の治水工事などもあって単純に言い切れるわけではありませんが、少なくとも現代より約170年前の大阪は平均気温が一段低かったのではないかと私は見ております。

 歴史というのはとかく大きな内容にばかり目を取られがちですが、一つ一つの小さな事実は他の要素と組み合わさる事で深みを増すものだと思います。この大塩の乱も、ただ淀川が凍結したという資料の記述からこんなに話を広げることが出来、勉強するのに本当に楽しい学問だといえます。

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