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2010年9月8日水曜日

日本ひげヅラ興亡史

市役所が男性職員のひげ禁止 群馬・伊勢崎、「市民に不快感」(産経新聞)
「ひげ」で手当減額…郵便事業会社員が勝訴(スポニチ)

 どちらもちょっと古いニュースですが、閲覧した時からなんとなく気になっていたニュースです。
 内容を簡単に説明すると、最初のニュースはヒゲを生やしていると市民に不快感を与えるという事から、群馬県伊勢崎市にて男性職員にヒゲを生やす事を禁止したというニュースで、もう一つは郵便事業会社にてひげを生やし続けてきた職員に対して手当てを減額したことに対しその職員が裁判で抗議を起こしたところ、結局郵便事業会社が勝訴したというニュースです。

 どちらのニュースを見ても近年の日本社会がひげ面に対して徐々に厳しい目を持ってきたという事をうかがわせる内容なのですが、ここで私が気になったのは一体いつ頃から日本はひげ面に対して厳しくなってきたのかということでした。改めて考えてみるとどうも日本社会ではひげ面に対して流行期と衰退期がちょくちょく起こっているような気がして、その辺をちょっと調べてみたので一つ今日は紹介しようと思います。

 まず日本の歴史スタート地点として飛鳥時代から考えてみたのですが、この時代の人物の肖像画で残っているもので代表的なものとなるとまず聖徳太子が挙がってきます。その一万円札にもなった聖徳太子の肖像画ではまるで中世の中国人貴族かのように鼻下と顎にそこそこのひげを蓄えた姿で描かれていますが、この肖像画自体がいつ頃に描かれたのかはっきりせず、私見ですが絵の特徴から言っても奈良時代っぽい感じなのでどちらかといえば奈良時代の風俗が影響しているかと思われます。

 ではその奈良時代はどうなのかというとこの頃は中国の影響が非常に強かったために、僧を除くとこの時代の人物の肖像画は(大抵がその後の時代に描かれているものの)やっぱり中国人貴族風なひげが目立ちます。平安時代も概ねこの流れの延長にあって藤原道長を始めとした貴族たちはそのままなひげで描かれていますが、平安時代から出現した武士によって初めてこの流れにストップがかかります。

 武士の中でも棟梁とされる平清盛を始めとした出自の者達はやっぱりまだ貴族風のひげで描かれていますが、生粋の武士とも言うべき地方豪族たちは見かけにも顎ひげが徐々に濃く描かれるようになり、鎌倉時代を通して武士らは貴族たちと比べて荒々しさを感じさせるひげになり、鎌倉時代末期ともなるとついにはこの流れが貴族にまで影響したのか後醍醐天皇は長くて濃い顎ひげを蓄えた姿で描かれております。まぁこの人は例外扱いすべきなのだろうが。

 この後時代は室町、そして戦国時代へと移り変わっていきますがこの頃になると風俗史などについても史料上でも言及されるようになり、武将たる者ひげがなくてどうする的な風潮が流行っていたとはっきりと言及され、元々ひげが薄かった豊臣秀吉は熊の毛で作った付け髭を付けていたという記述まで出てくるようになります。

 そんな男のステイタスと一時なったひげですが、不思議な事に次の江戸時代になると途端に肖像画から消えてしまいます。この突然のひげの消失についてはあるエピソードがあり、余りの出世の速さから徳川家康のご落胤ではないかと噂された初期徳川幕府ブレーンの土井利勝がある日突然ひげを剃って登城してきたのを周りが見て、「あの土井様が剃ったのだから……」と、いかにも日本人的右に倣え思考で一斉にひげが剃られるようになったと「落穂集」に記されております。
 これが本当かどうかまではわかりませんが、徳川将軍も三代家光まではひげがあるのに四代家綱からはこれがすっかりなくなり、暴れん坊将軍と言われた吉宗ですらつるっとした顔で描かれてます。ただこれにはもう一つきっかけがあったとして、四代家綱がある年に「大ひげ禁止令」といってひげを生やしすぎると処罰するという法令を出しているようです。実際にどれほど取り締まられたかまでは分かりませんが。

 そんな江戸時代が過ぎて明治時代に入ると、戦国時代さながらにまたも濃いひげの連中が続出するようになります。これの発端はほぼ間違いなく大久保利通を始めとした明治初期に欧米を視察した政府要人らで、ドイツでプロイセン宰相のビスマルクに心酔した彼らが西洋人に倣ってこぞってひげを生やすようになったことがきっかけでしょう。ただ確か榎本武明も早くからひげを蓄えていたと聞きますし、昔も今も西洋人のファッションに合わせようとするのは日本人の性なのかもしれません。

 この明治以降の濃いひげはその後も主に軍人らの間で続き、おそらく日本海海戦を指揮した東郷平八郎の影響もあって海軍ではいわゆるカイゼルひげを生やす人物が、私も以前に取り上げた木村昌福を始めとして昭和期にも見受けられます。
 その濃いひげからの転換期はやはり太平洋戦争での敗戦で、戦後は建前上は軍人がいなくなった上に先ほども言った通りに政治家もめっきりひげを生やさなくなり、平成に入った今では中には「不潔」とまで言われる始末です。

 私としてはここで書いていったように、ひげとか髪型なんていうものは長い目で見るとちょくちょく流行り廃りがあって生やすか生やさないかにこだわる事自体が馬鹿馬鹿しいと考えております。なもんだからさすがに全く手入れせず、感染症を起こしかねないくらいに不衛生に伸ばしっぱなしであれば話は別ですが、私はひげが濃い人に対しても特に悪い印象を覚える事はありません。むしろ最初のニュースでの群馬県伊勢崎市の例などを見ると帝政ロシア時代のひげ税のような印象を覚え、職員のひげをいちいち管理する前にもっとほかにやることあるんじゃないのという気を覚えます。
 ただもし住民票を取りにでも市役所に行ったら三国志の関羽みたいな立派なひげを生やした職員が窓口に座っていて、突然「ジャーンジャーン」って放送が鳴ったら「げえっ」とか言ってしまうかもしれませんが。それはそれで楽しそうだけど。

 最後に近年の日本人でベストオブひげ面を挙げるとしたら、すでに剃ってしまいましたが巨人の小笠原道大選手の日ハム時代のひげ面が一番かっこよかったと思います。小笠原選手は余りにもひげの印象が強かったもんだから、巨人移籍時にひげを剃ったら「誰?」って思ってしまったくらいだし。

2 件のコメント:

おでこ さんのコメント...

googleリーダーに登録して、いつも楽しく拝読しております。
話題の広さが好きです。(笑)
広域カバーですね。

本日のお題、自民党の幹事長に就任した石原伸晃氏が髭をはやしていたので、思わず思い出してしましました。shigeko6

花園祐 さんのコメント...

 おでこさん、コメントありがとうございます。

 いつも閲覧いただき、ありがとうございました。
 自分でもこのブログの売りは話題の広さだと考えてはいるのですが、あまりに話題が散漫すぎて一貫性がないと友人らから時々突っ込みを受けます。政治系の話題なんか、すぐに取り上げないと意味がないですし。

 石原伸晃氏のひげは私も見ましたが、どうもこの人のは似合ってませんね。ちょっと風格が足らないからでしょうかね。