先日の記事で私は、独自技術や特許を多数保有し実力派中小企業として評判の高かった化学原料メーカー、林原が経営破綻に至った経緯についてまとめました。本当に破綻する直前まで下手な大企業を凌ぐほど超優良企業と目されていた林原の突然の結末は非常にドラマチックであり話を追うだけでも面白く、そこそこ長い経緯を一つの記事にまとめるのは非常に難作業で書き終えた後はそれこそ魂を抜かれるくらいの脱力感に襲われましたが、我ながら前の記事はいい出来だと自負しております。
ただこの林原の話、そもそもなんで私が興味を持ったのかと言うと友人から、「あそこの元社長はガチで霊が見えるらしい」と聞いたことがきっかけでした。実際、曲者ぞろいの同族企業家の中でもここの林原家は元社長の林原健氏を含めかなり面白い人ばかりだったので、前回が破綻の経緯だったのに対し今日は林原家という一族について記事を書きます。それにしても、最近の自分はほんとによく働くなぁ。
早速社長の林原健氏について書きますが件の霊が見える件についてはその著書の「林原家 同族経営への警鐘」において、
「浮世離れついでに言えば、私には霊が見える。どのように見えるかというと、ブルース・ウィルス主演のハリウッド映画『シックス・センス』をイメージしてもらえばいい。街中のいたるところで、死んだ方たちが私の前に現れる」
という具合で、前振りもなく突然スピリチュアルな内容について話し出してきます。その健氏によると子供の頃は周りにも霊が見えることを言ったりしてたそうですが気味悪がられるため途中からは全く言わなくなり、お坊さんに相談して霊が見えなくなるお経を教わって唱えたら一時的に見えなくなるものしばらくしたらまたぶり返すのでこっちも途中でやめちゃったそうです。っていうか、会社が破綻するまでの経緯も面白いけどこっちの方もかなり気になるからもう一冊本書いてくれないかな。
そんな耳なし芳一も真っ青な健氏ですが、霊が見える特異体質もさることながらその人生は一般人と一線を画す、というよりもいろんな次元を超えていると言っていいほどかなり激しいものです。
健氏は先代の社長であり戦後の復興期に会社を日本一の水飴メーカーに成長させた父、一郎の後継者として育てられましたが、林原家では「元武士の商家」という特別な矜持があり、江戸時代の長男よろしく一番上の男の子はかなり大事に育てられてきたそうです。ただ父の一郎はワンマン社長さながらの短気な性格だったこともあり教育において暴力を振るうことも多く、そんな父親に対抗するため健氏は自ら空手を始めたと述べています。
なお余談ですが林原家は元々岡山を治めていた池田家の武士だったものの、池田家が鳥取に転封する際に希望退職者を募集した所、「お家のために」と自ら武士の身分を捨て、以後は池田家の御用商人としてやっていった家だそうです。
健氏は父親から会社の跡取りとして育てられたものの本人は学問分野への興味が強く、会社経営者よりも研究者になりたいとずっと考えていたそうです。しかし健氏が慶応大学の学生だった頃、父の一郎が突然病気で亡くなったため自分の意に反しわずか19歳で林原の社長に就任することとなります。
社長とはなったものの大学を卒業するまでは重役たちが切り盛りし、卒業後から正式に社長として勤務を始めた健氏ですが、当時の日本では米国からの粗糖輸入が自由化されたため水飴メーカーだった林原を含め業界は不景気そのもので、経営状態は決して良くなかったそうです。そこで健氏は二年かけて会社の新たな道を模索し、最終的に全社員の前で、「今後は化学原料メーカーとして転身を図る」と宣言しました。
常識的な思考で物を言うならば、もしその場にいたらこの時の健氏に対して、「何馬鹿なこと言ってるんだこのボウズは」と、私も思ったことでしょう。実際、この宣言を受けて林原では全従業員の約半数にあたる300人近くが退職したそうですが、そのような逆風にも負けず林原は世界で初めて「マルトース」という原料の量産化に成功し、傾きかけていた会社を一気に立て直した上で独自技術を持つ「オンリーワン企業」としての第一歩を歩みます。
その後も健氏は本人が研究部門をリードする形で独自開発、独自技術にこだわり、次々と成果を出して会社を盛り立てていきます。研究対象には敢えて長期の研究が必要なテーマを選び、そのような林原の経営姿勢について健氏は、大企業は短期で利益を追うから成果が出るまで十年以上かかるよう長期的な研究はできず、オーナーシップの強い同族企業だからこそこのような経営が出来たと同族企業ならではの強みを説明しています。この意見に関しては自分も同感で、同族企業のメリットとしてみても全く問題ないと思います。
そんな健氏に対し経営破綻時に専務を務めていた五歳下の弟、林原靖氏は兄曰く、「真逆の性格」で、営業向きな社交的な性格で兄に続いて林原に入社して以降は一貫して経理・営業畑を歩み、ひたすら研究に没頭したい兄の足りない部分を互いに補うようにして二人三脚で会社を引っ張っていきました。弟について健氏は銀行との折衝を含めた営業・経理面は信頼できるほど実力が高かった上、実弟という条件から安心して会社の金庫番というか背中を任せることができたと語っています。テレビの「カンブリア宮殿」に出た際などは兄弟揃っての出演し、傍目には理想の兄弟みたいに映っていたかもしれません。
しかし前回記事でも書いたように、バブル崩壊を受けて債務超過状態となった林原では弟の靖氏を中心に不正経理へと手を染めていきます。しかも「トレハロース」、「インターフェロン」を始めとした世界シェアナンバーワンの商品を多数抱えながらも本業の儲けは周囲が思うほど、さらには社長である健氏が思っていたほど大きくはなく、結局最後まで嘘を貫き通せぬままに不正が発覚した後の林原はあっけないほど短い間に破綻する羽目となります。
破綻に至った経緯で健氏は、自分でほとんど財務状況を確認しないまま青天井で研究費をつぎ込み続けたことは経営者として失格であったとした上で、多少の借入金があったとしても保有する広大な土地を始めとする資産を売却すれば何とかなるという甘い考えがあったと述べています。また債務超過であることを知りながら兄の要求するままに研究費を捻出し続けた弟については一言、「弟にとって自分は逆らことのできない存在だったのだろう」とまとめています。
初めにも書いた通りに林原家では兄を立てるという強い家風があり、健氏は弟をいじめることがあっても両親からは特に注意されなかったそうです。また成人後も社長就任直後で混乱する本社の様子を見せたくないがために弟には最初、関東など遠隔地で営業をやらせたり、骨肉の争いを避けるために将来は二人で会社を分割する方針も話していて、こうした行為が弟に疎外感を与え兄弟でありながらコミュニケーションの少ない関係を作っていたのかもしれないと反省の弁を述べています。そのため弟が不正経理に走ったのも、健氏は自分に多少なりとも責任があるとも認めています。
この二人の兄弟のちょっと変わった関係ですが、健氏の言う通り家風などももちろん影響したでしょうが私が思うにそれ以上に、健氏が次男で靖氏が四男だったということの方が大きく影響していると思います。
実は林原家には健氏の上に長男がいたのですがこちらは赤子の頃に夭折し、実質的に健氏は次男でありながら長男として育てられていました。そして健氏と靖氏の間にもう一人三男がおり、健氏によると非常に社交的で女性からもよくもて、兄の目から見ても気の置けないいい弟だったそうです。
健氏は父親から会社を継ぐよう求められていたものの本人は全くその気はなかったことを述べましたが、健氏が高校生だった頃にこの三男に、「自分の代わりに会社を継いでくれ」と話したことがあり、三男も二言返事で承諾していたそうです。そのため父の急死によってやむなく社長職を継いだ健氏でしたが、弟が大学を卒業したらすぐに自分は社長職を譲り天文学者になるという夢を持っていたそうです。
しかし不幸なことにこの三男は米国の大学に留学中、バイク事故で急逝してしまいます。事故直後に健氏は母親と共に三男が入院している病院を訪れ弟の死に目を看取りましたが、その際には弟が会社を継いでくれるという希望が打ち砕かれ本当に強い絶望感を覚えたと述べています。
たまたまですが自分と同い年で仲のいい友人に三人兄弟なのが二人おり、片方は長男でもう片方は次男です。長男の方はそいつの弟の次男とも面識があるのですが、やはり話していて長男は次男についてあれこれ言及することはあっても三男への言及が極端に少なかった印象を覚えます。一方、次男の方は兄、弟それぞれについて事ある毎に話し、「兄ちゃんにはええ加減な所もあるけどよう面倒みてくれた」、「弟はかわいいんやけどなんかあいつには身長、成績を含め追い越されたくはないわ」、なんて聞き、同じ三兄弟でもどの位置にいるかでやっぱり交流する相手は変わってくるなという風に思いました。
思うに林原家の三兄弟においては、なまじっか周囲からも強く期待されていた真ん中の三男坊がいたせいで、次男の健氏と四男の靖氏は兄弟といえども、間にぽっかり穴が空いてるような余所余所しさの感じる関係になったのかもしれません。その為に兄と弟で強力な従属関係ができてしまい、破綻の憂き目を見ることとなったのではと邪推します。
最後に破綻後の調査委員会の報告によると、破綻の時点で健氏と彼の資産管理会社は林原本体から約16億円の負債があり、その額を聞いた本人もその時まで会社の金をそこまで引き出していたことを知らず、空いた口が塞がらなかったそうです。また靖氏も自分が保有する会社などに林原本体から合計数十億円単位の貸付金を出させて自分の事業に使ってた上、どうも母親名義でも会社から金を出させて(約13億円)使っていたようです。
二人の母親は会社の破綻前から寝たきりで、破綻から一ヶ月後にその事実を知らないまま逝去されたそうです。健氏によると靖氏と最後に会ったのは母の逝去直前の病院だったらしく、その際に健氏は、
「おまえが会社にしたことは許してもいいと思っている。社長として私が至らなかった面も大きいからだ。けれどおまえが母さんを借金まみれにしたことだけは許すわけにはいかない。母さんの葬式も、一部の親戚に限定した家族葬にしようと思っている。親戚の前に顔を出したらやり玉に挙げられるから、おまえは来ないほうがいいだろう。いいか、今後一切、おまえと仕事をすることはない。会うこともない」
と述べ、弟と決別したことが書かかれてあります。
この記事の見出しは当初、「林原家の面々」で岡山一の甘党だったおじさんとかについても書くつもりでしたが主旨に合わないと判断し、林原兄弟に焦点を絞り「林原家の兄弟」という見出しに変えました。
6 件のコメント:
この記事は、私の脳内で、兄(森山くん)&弟(窪田くん)に映像化されて読みました(笑)。
若貴兄弟が演じたら、兄と弟を逆にして演じたらそれぞれの立場の苦労が分かり、仲良くなったりして。
フィギュアスケートの浅田姉妹も、今は仲良しですが真央ちゃんがお姉さんを抜かすようになったころから、関係がぎくしゃくして一言も口を聞かない、お姉さんは荒れて夜遊びを始めた時期があったとか、、
きょうだいのことは周りにはわからない、いろいろがありますね。
確かに若貴でこの兄弟演じるなら、イメージ的に貴乃花が兄の方で若乃花が弟役の方がしっくりきますね。
自分も二人姉弟ですがあんま仲が良くなく、逆に仲のいい兄弟を見ると違和感を覚える口です。でも兄弟って型にはまってるわけでもないのに、おっしゃる通りに各人本人でしかわからない事情があるのかもしれません。
あとどうでもいいかも知れませんが、浅田姉妹は仲が悪かった時期もあったといか見るからに仲が悪そうですが、評判はともあれ亀田三兄弟はなんかいっつも仲良さそうだなとふと思いました。
今回もおもしろい記事読ませてもらいました。会社の休み時間にスマホで読んでたら、老眼の先輩によくそんなの読める(見える)なぁ。と感心されました(笑)
お金を手にすると色々と悪いことをしてしまうんでしょうね。お金は人を惑わすとはよく言ったものですね。
三男の件はプレイボーイってよくそんな死に方するよなっていう風に感じました。
前回の記事も読んだのですが、僕は林原という企業を全くしらなかったので凄く勉強になりました。会社の利益をあげるため研究に没頭する兄とその兄を経営面で支える弟。一見理想的な兄弟のように見える2人。しかし、僕には兄はただ、研究をすることが大好きな博士のような人でしかなかったのだろうと思います。世の中のニーズに対応することを考えられないのは社長として致命的だと思います。また、弟は兄を支えたいという気持ちが乏しく、会社に対する気持ちも希薄で経営面を任せられる人物ではなかったのだろうと思います。だから裏金に走ってしまった。母親にまで借金を背負わせる形で。
この二人に欠けていたものは、お互いを信頼する気持ちと、会社を大きくするんだという熱いハートのような前向きな気持ちだと思います。それくらいの気持ちがなければ競争過多の会社経営というのは難しいのではないでしょうか。
EXILEのhiroなんかは熱いハートのある経営者として有名です。自身が所属するzooで武道館ライブを行ったものの解散してからは、全く仕事がない年が4年くらいあったそうです。その後、後のEXILEのメンバー達とライブハウスで少しずつ下積みし、zooの解散から約10年後くらいに武道館でまたライブを敢行できたそうです。その苦労からか、一度事務所をクビになった女の子をあつめ、グループを作ったのがEガールズです。EXILEと共に女性グループシンガーの競争が激しい中、紅白出場を果たしました。このように熱いハートを持った経営者は成功を掴めるが、林原のケースではそれがなかったのだろうと思います。
僕が思うに三男なら一番上手くみんなを引っ張っていけたのかもしれないなと思いました。
実はまさにそのスマホ普及の煽りを受けて、文字のフォントサイズを大きくしようかと検討している最中でした。今度試しにワンサイズ大きくするので、老眼の先輩に見せて感想聞いてみてください。
この記事は長く準備してきた甲斐あってそこそこ良くまとめられたかなと自分でも思っています。自分も友人に教えてもらうまで林原という会社を知らず(ってか破綻時に日本にいないし)、調べてみて面白いと感じたので一気に記事にしました。
私の記事では兄の方の著作をベースにして書いていますが、その本はあくまで兄の視点であって、一本目の意見の食い違いに書いたようにどちらが真実を語っているのかはまだ未知数なところがあります。自分は手に取れませんが弟さんの本もぜひ手に取って比べるのをお勧めします。恐らく、お互い自分に都合のいいことを書いて都合の悪いことはスルーし合っていると私は考えています。
ハートのある経営者については、設立当初はそうであっても、会社が大きくなってから変貌する例も数多くあります。その変貌のタイミング、きっかけを探るのも非常に面白いのですが、それはおいおい「創業家列伝」(ブログ内検索してみて)で今後取り上げていきます。hiroさんも変貌しないまま今のまま、ありのままの姿を保ってくれるに越したことはないのですが。
最後に三男。この記事で一番言いたかった点はまさにここで、林原家にとっても林原という会社にとっても致命的な一打はここにあったと私も考えています。なんでも母親も三男が早世したことを悔やんでいたらしく、「駄目な二人が最後まで残ってしまった」と嘆息していたそうです。
キミは破綻しそうな会社を買収したら如何でしょうか?
そんなにキャッシュない。
コメントを投稿