2015年11月3日火曜日

B、C級戦犯

 先日、名古屋に左遷された親父に進められて角田房子著の「責任 ラバウルの将軍今村均」という本を読みました。なんでこんな本を進められたのかというとブログで何度も今村均について書いてたのを親父が読んだためですが、自分もこれまで彼のまともな評伝を読んだことがなく、読んでみて今まで知らなかった点や有名なエピソードの背景などについて知ることが出来てそんなに悪くなかったです。

 ただ、この本は作者による入念な取材の上で今村均の人生を描き切っていてそのどれもが見ていて惚れ惚れするほどの見事な取材ぶりなのですが、その中でも特に前半部に描かれているB、C級戦犯について書かれた下りは読んでいて強い衝撃を受けました。
 説明するまでもないかもしれませんがB、C級戦犯とは二次大戦中の日本軍人の中で、捕虜や現地住民に対して虐殺、虐待などの戦争犯罪を犯したとして裁かれた人を指します。日本で戦犯というと基本的には「侵略戦争を拡大させた」という政治的理由で裁かれたA級戦犯のことを指しますが、そのA級戦犯の陰に隠れてこのB、C級戦犯は日本だけでなく東南アジア諸国に設けられた収容所、そして裁判所で刑が執行されており、死刑となった者は千人を超すとまで言われております。

 今村均もこの時に戦犯指定を受けてインドネシアなどの収容所に送られた時期があり、その当時についてもこの本では詳しく開設されているのですが、収容所を管理するオランダ軍の無用な虐待が過剰な労働は日常茶飯事で、また収容所設備もひどいものだったと環境的には最悪だったそうです。ただ今村均はこうした虐待に対して現地責任者に対し毅然と抗議をし続けたので、彼のいた収容所はどこも統率がとれており、逆に彼がいなくなるや再び虐待が始まったなどいうことは多くの証言者の間で一致しております。

 しかしそんな今村均でも死刑判決を受けた旧軍の士官ら戦犯に対しては救う手立てはなく、またそのような死刑判決者は日本に残す遺族らへ遺書を書くことすら許されずに悉く処刑されていったそうです。また死刑とされる判断理由も戦犯裁判であるが故というべきか過分にオランダ軍の報復的要素を含んでおり、出所のわからない情報でありながら捕虜虐殺をしたと訴えられ、実際には無実であったかも知れない死刑判決者も多数いたとされます。有名なものだと、自分たちの食糧すらままならない中で捕虜へなけなしのごぼうを食べさせたところ、「木の根を無理やり食べさせられた」と虐待と見られてしまい、その士官は死刑判決を受けたという話もあります。

 裁判過程も非常に偏ったもので、通訳すら満足に用意してもらえなかったほか有利な証言は悉く否定されたり、また元兵士や日本軍が雇った民間業者といった相手証言の矛盾を突こうにも証言者は最初だけ出廷して後の裁判には出て来ず、無実であるという証明はほとんど通用しなかったとされます。誰かが犠牲にならざるを得ない事態も多く、かの仲間を助けようと複数いる被告の中から自分が行ったと自ら自白することによってほただ一人で刑に服すといった行為も多く見られたそうです。

 このような目で見ると同情に余りあることこの上ないのですが、その一方で作者は、弾劾されるのも仕方のない事例もあったとこの本の中で指摘しています。
 それはどんな事例かというと、日本軍が占領した離島で戦時中、墜落した飛行機に乗っていた米国人兵士二人を駐留していた日本軍の部隊が捕虜とせず、殺害したことがあったそうです。その後、終戦を迎えた後で捕虜殺害がばれるのを恐れたその部隊は何をしたのかというと、民兵の様に日本軍が訓練していた現地住民四百人(二百人だったかもしれない)を口封じのためすべて殺害したそうです。

 元々その島には現地住民がいたのですが戦争が進むにつれて女子供老人はほかの島へ避難させた上で、若い男性たちは島の防衛に使おうとして残した上で訓練を施していました。彼ら島の男性らは米国人殺害を知っていましたが、かといって直前まで日本軍と敵対していたわけでもなく、むしろ互いに協力し合う関係でもあったのに戦犯になることを恐れた日本軍によって全て抹殺されてしまいました。無論こんな人数を殺しておきながらばれないなんてことはなく、戦争が終わったにも関わらず一向に戻ってこないことを不審に思った家族らによって事が明るみとなり、この虐殺を指揮した士官らは懸念した通りに戦犯となってそのまま死刑を受けることとなりました。
 作者はこの事件を取材の過程で伝聞形式で知り、なんとか詳細を確認できないかと思っていたところたまたま知り合った元軍人の人物がこの時の虐殺に関わったと自ら切り出す場面に遭遇します。その場面について作者は文字通りに体が震えたと同時に、本当に事実であったことを確認できたと書き記しております。

 自分もこの辺の下りは読んでいて体の震えを感じましたが、二人殺害したことを隠蔽するため四百人を殺害するという、何故こんな本末転倒なことをと思うと同時に、ここ数年で久々に「狂ってる」という印象をまざまざと感じました。先程も書いた通りにいくつかの戦犯は無実でありながら懲役や死刑に服すなどして同情に余りある一方、本当に処刑されても仕方のない戦犯もいたのだと思え、そして日本はこういった者たちに自ら裁くべきだったのでは、それがないから責任が未だに曖昧なのではと複雑な気持ちにさせられました。

 まとめとなりますが日本では戦犯というとA級戦犯ばかり取り上げられるものの、もっとB、C級戦犯にも目を向け、あの戦争の中で何が起きていたのか、またどのように処分されたのかをもっと検証すべきじゃないかという気がします。戦争というのはマクロではなくミクロな視点が求められると大学で口を酸っぱくして教えられましたが、この本を読んだことによってその点が前以上に強く意識するようなった気がするし、まだまだ勉強が足りないと反省する次第です。


5 件のコメント:

  1. 花園様  日本人は遵法意識がないのコメントでは、御無礼しました。 A級BC級戦犯を研究しているみたいですが、楽しいですか。 いくら、研究しても、あの戦争で何が起きたかは、極めて不正確な偏向的な事実しか浮かび上がらない様な気がします。 なぜなら、連合国側にも、A級BC級犯罪に当たる行為をした者がいるにもかかわらず、何の咎めも受けず、記録にも残らなかったからです。 数少ない、個人の記録として、 チャールズ・リンドバーグの著作  孤高の鷲-リンドバーグ第二次大戦参戦記-下(学研M文庫)第七章 一九四四年 日本軍と対峙した日々があるそうです。 現在、書店では手に入りにくいですが、図書館では、読めるみたいです。 少なくとも連合国側の戦争犯罪を見逃して、あの戦争について、云々するのは、片手落ちであり、フェアーではないと思います。 花園様は日本国と日本人とあの戦争がお嫌いですか。 差支えなければ教えて頂きたいと思います。 失礼しました。 ごきげんよう。

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    1.  二回目なので余計な手加減は要らないでしょうし、軽く質問にお答えしましょう。

      >A級BC級戦犯を研究しているみたいですが、楽しいですか
       別に楽しくとも何ともない。そもそも本一冊、しかも戦犯メインじゃなくて今村均に関する本を読んだだけで研究という単語が出てくることに違和感を感じます。この程度で研究というのなら日本には学者が掃いて捨てるほどいることになるでしょう。そもそも自分の専門は国際政治であって歴史ではないし、この分野への興味もそれほど強いわけではありません。じゃあなんでこんな記事書いたかって、他に書くネタ浮かばなかったから今日は書評でいいやと思ったからです。

      >少なくとも連合国側の戦争犯罪を見逃して、あの戦争について、云々するのは、片手落ちであり、フェアーではないと思います
       前回の遵法意識の記事でも同じこと感じましたが、私の記事をちゃんと読んでいますか?はっきり言うが、「戦犯」、「日本軍」、「虐殺」の三単語しか目に入ってないのでは。というのもこの記事は以前に読んだ本の内容を紹介するもので、A級戦犯と比べてB、C級戦犯はあまり伝えるメディアが少なくて実態が知られていないとした上で、多くの戦犯があやふやな裁判で死刑にあった一方、間違いなく戦争犯罪を行って処刑された人もいたと書いてるだけです。戦犯処理の倫理性がテーマというわけではありません。第一そのテーマでも昔書いてるし。

       恐らくこの回答だけでは「それでも日本の事だけ悪く書くのは」という反論してくるでしょうからそれについてもあらかじめ答えると、記事いっぱい書いてるから普通じゃ見つけ出せないだろうけど過去記事ではルメイについても触れてますし、ブログ全体を通して殊更旧日本軍を貶めるようなスタンスにはなっていないと思います。藤田信雄、宮崎繁三郎とかとかとかについても書いてるし、むしろ見る人によっては旧軍礼賛をしているように感じられることのが多い気がします。

       逆に質問をすると、何故この記事ひとつで自分が日本人と太平洋戦争が嫌いなのではと感じたのでしょうか?もしかしたらほかの記事も読んだそう思った可能性もありますが、こう言ってはなんだが言葉尻を取られているような気がしてなりません。この記事に戦犯裁判の欺瞞性が書いてないということを理由にするかもしれませんが、オランダ軍の虐待については一応触れたし、米軍による勝者による裁判云々をかいたら本筋から外れるし、どれだけテキストが増えるのか。毎日飽きずに書いてるけどこんな長文、決して楽には書けませんよ。

      >花園様は日本国と日本人とあの戦争がお嫌いですか
       少なくとも言葉尻を取ってくる人間は好きじゃないです。あと日本について述べると、少なくとも日本社会にあぶれたのでわざわざ中国来てセットアッパーみたくあちこちで働く羽目になったのは間違いありませんが、たとえ私の態度がどうであれ、あなたがた日本人は私という存在自体を拒絶することでしょう。

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  2. 花園様  早速質問に答えて頂きありがとうございます。 ご指摘のとおり、貴ブログは最近読者になりまして一部しか読んでません。 全部読んでないのに断定して済みません。 そちらの国の擁護が過剰な上に
    日本人を貶めるかの様な例の記事に冷静さを失った故無礼な振る舞いに及んでしまいました。 あまり、
    日本国と日本人を客観的に記述されるので、愛国心を失ってしまっているのかなと勘違いしてしまいました。
    あと、いつでもいいんですが、大東亜太平洋戦争は日本人にとって、花園様にとって、どういう戦争だったか
    書いて頂けませんでしょうか。 是非お願いします。

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    1.  折角のリクエストではございますが、お断りします。というのもあの戦争を語ろうものならとても一記事では足らず、個々の人物や事件といったトピック別に取り上げるならともかく、どこにスポットを当てるのか、観点はどこになるのかによって見え方はいくらでも変わるだけに包括的に書かなければならず、膨大な作業になることが目に見えているからです。だからこそいろんな意見が飛び交っているのであって、第一「大東亜」って言葉が出てくる辺りまず前提を整理しないと何も始まらないでしょう。
        基本的にあの戦争に対する私の見方は半藤一利氏、保坂正康氏に準じておりますので、どうしてもというのであればこの両名の著作を見てもらって文句などあろうものならあちらへどうかお願いします。何度も言いますが自分は学者でもないし歴史を専門に学んできたわけでもないし、ましてや活動家でも運動家でもない一大陸浪人ですし。

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  3. 花園様  了解しました。  大東亜太平洋戦争の学術的論考ではなくて、ご自身の姿勢・
    立場を訊いてみたかったのですが、同じ昭和生まれでも四半世紀も歳が違えば、あの戦争
    は、言わば他人みたいなものなのでしょうね。  亡父は、終戦時15才でしたが、海軍
    の予科練に行ったそうです。  今調べたら、海軍飛行予科練習生の略で、飛行機乗りを
    目指していたのですね、てっきり、船乗りを目指していたと思ってました。  また、
    明治生まれの東海林太郎さんが『国境の町』を、大正生まれの田端義夫さんが『ラバウル
    小唄』の軍歌を普通に歌ってましたし、手や足を無くした傷病兵の方が寄付を募っていた
    処を目にした事も有りました。  正に「戦後は遠くなりにけり」ですね。  今月初頭、
    日中韓の首脳会談が有りました。 安倍首相、習主席、朴大統領の御三方、現在の日中韓
    の政治リーダーですが、なんと、御年が近く、一つづつ離れているのですね、安倍首相が
    1954年生まれの61才、習主席が1953年生まれの62才、朴大統領が1952年
    生まれの63才です。朴大統領が一番年長なんて意外でした。  習主席は終戦後8年
    経ってお生まれになったし、簡体字が導入されたのが1950年代だから、真実が書かれ
    た歴史書を果たして読めるかどうか分かりません。  そのような御方が、我が国に向
    かって歴史を直視しろと仰るのだから、言葉もありません。  教育とはげに恐ろしき
    ものですね。  教育と洗脳の違いは何か。  殆ど同じ様な事をしていますね。  
    でも、私は思うんです。 教育とは、根底に愛があり、洗脳には憎しみがあるんだと思い
    ます。  中韓の日本に対する憎しみが無くならなければ、反日教育もなくならないで
    しょう。  また、反日教育がより大きな憎しみを増大させる、無現ループが未来永劫続
    いて行くのでしょうか。  遣り切れません。  今年、戦後70年ということで、土井
    全二郎著、光人社のNF文庫『失われた戦場の記憶』を読んでいます。  その中の第2
    章 歌う兵隊・上原敏の戦いを読んで、いたく感動しました。  潔い生き方に、これが
    普通の日本男児だったんだろうなと思いました。  涙がじわーと滲み出て来ました。
    電車の中で読んではいけませんね。  最近、「日本が攻められたら逃げ出す」と宣わった
    若手の評論家がテレビで活躍しているんですが、とても、同じ日本人とは思えません。
     悲しい。  で、上原敏のCDレコード『流転』を買って聞いてみたんですけど、非常
    に素晴らしい曲達です。  また、70周年と言う事で、軍歌・戦時歌謡曲のCDが出て
    いるのに気が付きました。  日本って素晴らしい軍歌を沢山出しているんですね。  
    勇ましい、明るい曲ばかりでなく、憂いを含んだ悲しい曲もあるし、異国情緒の曲調も
    哀れを感じます。  日本の軍歌・戦時歌謡曲は曲数だけでなく内容も日本一国だけで、
    連合国を全て合わせたものを凌駕していると思います。  調べてませんけど。  
    ぶしつけですが、宇宙戦艦ヤマトをご存知ですか。  宇宙戦艦ヤマトのテーマは、戦後
    生まれの軍歌の最高傑作だと今気づきました。  長々とお喋りして来ましたけれども、
    ジェネレーションギャップの壁が、伝えたい事の殆どを阻んだ様な気がします。  こう
    して、日本は少しづつ変容して行くのですね。  それでも希望を持って、あなた方に
    日本をお任せします。  宜しくお願いします。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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