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2019年10月27日日曜日

結果主義の弊害

 記事には書いていませんでしたが先日壊れたと疑いのあったSIMカードを通信キャリアに持っていったら、やっぱり壊れていたようで、交換したらすぐ元通りとなりました。なお交換の際、最初の契約時に使用したパスポートはすでに期限が切れて切り替えていたので、最初は交換ができず、二回目に新旧パスポートを携えて無事に問題解決できました。古いパスポート捨てずにおいてよかった。
 話は本題ですが、日本滞在中に何故か友人の弟に説教していました。その内容というのも、結果主義の弊害とプロセス遵守の必要性についてです。

 1931年の満州事変と言えば言うまでもなく日本が二次大戦に踏み出す最初の一手であることに間違いありません。この満州事変は主に石原莞爾、河本大作、板垣征四郎などの関東軍幹部によって企図、実行されたもので、中央に当たる東京の参謀本部には諮らずに実行されたものでした。
 敢えて現代風に言えば、海外支店が本社の了解や決済なく企業買収を仕掛けるような行為であり、言うまでもなく独断専行的な命令違反と言っていい行為でした。またこの満州事変の際には当時朝鮮半島に駐留していた軍隊を、林銑十郎がこちらもまた中央の了解なしに中国東北部へと動かしております。こちらに至っては統帥権の干犯もいいところで、米軍のイラク駐留部隊が勝手にイランへ攻め込むような行為といえばその危険性がよく分かるかと思います。

 しかし、こうした命令違反に当たる軍事行動を行った軍人らはその後処罰されることは全くありませんでした。というのも、結果的には満州事変は軍事的には大成功して、それまでは瀋陽など一部都市と満州鉄道沿線のみだった日本の支配地域は、中国東北部全体にまで広がったからです。このため石原莞爾などは勝手に軍隊を動かした罪で処罰されるどころか昇進したわけです。

 それから時代を経た1937年、満州国と中国国境の盧溝橋での偶発的戦闘開始によって日中戦争が開始されます。勃発当初、東京の参謀本部は戦火の拡大を防ぐために現地部隊に対して不要な戦闘は避け軍事行動は控えるように通達しますが、現地部隊はこれらを一切無視して中国領土をガンガン攻め続けました。しかもこの時の参謀本部には出世した石原莞爾もいたのですが、再三の抑止呼びかけに対して周囲から、「お前も命令違反して出世したじゃないか」と言われ、絶句したというエピソードが残っています。

 つまり当時の日本陸軍の中では、「命令違反しても成果を上げれば問題ない」という結果主義がはびこっていたことに間違いありません。そしてその源流は満州事変の成功とその後の関係者の昇進であり、その結果盧溝橋事件以降の日中戦争では中央の命令を完全に無視して、軍事行動が行われる下地を作ったと言えます。
 これら全ては結果主義による弊害といってよく、「結果さえ良ければ手段や過程は問わない」という意識がはびこることによって起こるモデルケースと言っていい事態です。その後の結果については言わずもがなですが、日本は日中戦争から泥沼の戦争状態に陥ったばかりか、米国との太平洋戦争にも突入して亡国の道をたどることとなりました。

 なお同じような結果主義の弊害によるケースとしては、「シャア少佐だって、戦場の戦いで勝って、出世したんだ!」でおなじみのガンダムに出てくるジーンの例が好例でしょう。この時彼は偵察のみが命令で同僚からも止められていたにもかかわらず攻撃行動に移った結果、ガンダムに乗り込んだアムロ・レイに反撃されて命を落としています。
 仮に彼が結果主義に走らず偵察だけで終えていたらアムロ・レイは一年戦争に参加しなかった可能性が高いです。アムロは戦争でやばいくらい活躍しただけに、ジーンが手を出さなかったらジオン軍は敗北どころか連邦に勝利していたのではとまで推測されることから、ジオン軍最大の戦犯という評価を現在得ています。

 以上を含めて何がいいたい、というか友人の弟に何を伝えたかったのかというと、結果主義がはびこると組織というのは得てして命令違反が繰り返されるようになり、日本陸軍の例は極端だとしても、基本的には弊害が大きく組織そのものを含め損害を負うこととなります。そのため結果主義というのは可能な限り排除すべきであり、多少鬱陶してくても行動や計画を実行に移す際はきちんとプロセスに則って手続きを踏み、行う必要があると伝えました。
 直近の例だと加計学園系列大学の獣医学部認可がありますがあれなぞ、「安倍首相の友達→安倍首相は喜ぶであろう」という忖度のもとで、本来行うべき審査プロセスがすっ飛ばされて実施されており、安倍首相が直接指示して行われてなければ結果主義の弊害の典型とも言える事件でした。またその前後の森友学園問題も同様で、安倍首相関連事案だからという結果主義により土地売却プロセスが正当に踏まれていなかった感が見られます。

 では結果主義を排除するためにはどうすればいいか。結論から言えばきちんと定められたプロセスを遵守するよう徹底し、これに違反したものは、たとえどれだけ素晴らしい結果を生んだとしてもきちんと処罰するということに尽きます。仮に満州事変で石原莞爾らをきちんと処罰していれば、日中戦争は起こらなかった可能性があると私は本気で考えています。
 ただ、何でもかんでも杓子定規にプロセスを遵守しろとまで主張するつもりはありません。それこそ未曾有の事態や、どう考えても既存の設定プロセスが当てはめられない異常な事態に対しては、現場での臨機応変な対応が求められるし、それを認めるべきだという立場を取ります。一例を上げると、米軍の軍事ヘリが戦地で墜落した際、階級上では指揮する立場ではないもののサバイバル能力に優れたあるパイロットが生存者を率いて見事生還したという例があります。

 以上をまとめると、きちんとプロセスが定められている事態に対してはプロセス遵守を徹底する。プロセスが存在しない、または通用しない超異常事態に限ってのみ現場判断を認めるという姿勢こそが、結果主義を排除する手段であり、これをきちんと守るかどうかは非常に重要だと言いたいです。
 なお一部の日本企業を見ていると、実力主義と勘違いして結果主義を蔓延させているケースが見られます。具体的には「チャレンジ」で有名な東芝とかですが、実力主義との混同は非常に危険で、この方面にもやはり注意が必要だと私は感じます。

4 件のコメント:

ルロイ さんのコメント...

確かに実力主義と結果主義の混同は危険ですね。日本は本人の能力ではなく出した成果で評価が決まりやすいのは確かで、組織の有能な構成員一人による成果であっても、その組織のトップが評価されてトップだけが出世するなんてこともざらにありますし、個人の能力を(主観と切り離して)評価する文化自体があまりないと感じます。

花園祐 さんのコメント...

 あまり言われてはいないけど、こうした実力主義と結果主義の混同は日系企業の間で結構多いと思います。それこそルロイさんの言う通り、日本だと組織単位で評価することが多く、その組織がどのようにして実績を出したかについてはあまり検証せず、結果主義的評価に走ってしまう例も少なくないでしょう。地味に検証作業が、日本は苦手なのかもしれません。

川戸 さんのコメント...

ビジネス用語では『結果主義/実力主義』という言葉はあまり使わず、似たような意味で『成果主義/能力主義』という言葉を好んで使うようです。『成果・能力』という二つの言葉は実力の顕在性と潜在性を対比する目的で使われるものですが、往々にして過程の重要性を混同しがちです。つまり、花園さんがいう『実力』=過程を含めた結果の総合評価、を意味する主義がビジネス界に浸透していないということになります。それにしても、経営者の国語の乱れには頭が来ます。
思うに、実力主義に近い思想は年功序列制度でしょう。年功者には必然的に実力が備わっていると見なすことから、プロセス遵守と結果の両立を促していると言えそうです。
結果は単に実力によらなくても運や不正によってある程度操作できるものであり、また能力は持て余しては意味がなく、女性であることや身体障害などを理由に過小評価されがちなことから、実力主義という言葉は『個人の持てる能力を最大限発揮して最良の結果を出せる力』を評価する言葉として使われるべきだと思います。

花園祐 さんのコメント...

 結果主義、実力主義、成果主義、能力主義と改めて並べてみると確かに混同しそうです。っていうかこれ「それぞれ説明せよ」としたらいい国語の問題になりそうな気がします。
 実力主義の定義に関しては確かにその通りですね。統計調査のように可能な限り差異や偏移を生む要因を排除し、できるだけ平等な基準で測った上でどれだけ能力を発揮できるかという風にすべきだと思います。敢えてドラゴンボールに例えるなら、サイヤ人限定の「スーパーサイヤ人化」は評価に入れないような感じです。ただ、これだと割と神コロ様がトップに来ちゃったりするんですよね。それはそれでいいんだけどさ。