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2019年11月29日金曜日

中曽根元首相の逝去について

 既に各所で報じられているので説明不要でしょうが、中曽根康弘元首相が逝去されたそうです。101歳の大往生ということでてっきり首相経験者としては最長寿命かと思いましたが、先程みたまとめ記事では東久邇宮元首相が102歳だったということで、上には上がいました。

 中曽根元首相については首相在任時は流石にまだ生まれていないのでわかりませんが、私が生きていた時代で言えば、なんとなく後から評価が高まっていった人のように見えます。私の感覚で述べると、90年代は在任日数がともかく長かった人、あと例の「風見鶏」というあだ名くらいしか紹介されてませんでしたが、2000年代に入って小泉政権で構造改革が始まると、国鉄解体時代の首相ということでだんだん比較されるようになり、それから世間の評価が上がっていった用に見えました。

 その小泉政権ですが、地味にその成立にも中曽根元首相が関与しています。というのも森元首相が色々やったこともあって次の総裁を誰にするかとなった際、世間の支持獲得のために自民党党員を含めた選挙方式でやるというのを後押ししたそうです。もっとも小泉元首相を応援する気だったかは微妙で、やっぱ橋本派だった気がしますが。
 そうしてできた小泉政権にて、自民党内の議員定年制で当時、中曽根元首相と宮沢元首相が既に定年年齢を突破してたにも関わらず、元首相っていう理由から誰も議員引退を進言する人が居なかったのですが、小泉首相がわざわざこの二人に引退するよう直接伝えていました。これに対して宮沢元首相は露骨に嫌そうな態度で渋々引退を受け入れましたが、中曽根元首相は腹の中ではどう思ってたかはわからないものの、表向きは「筋が立っている」と言って素直に引退を受け入れていたのが、当時の私にはなかなか好感が持てました。

 そのほか紹介しておくべき話としては、地味に先の東京五輪以降、プライマリーバランス、つまり国家財政の黒字化を果たしたのは中曽根政権だけだったりします。いつの年だったかは忘れましたが中曽根政権中にだけ日本の国債発行金額が前年比でマイナスを記録していて、もしかしたら今後も唯一の歴史的記録として残るかもしれません。
 なお赤字国債はそもそも憲法で発行が禁止されていますが、東京五輪の準備期間中に「今回だけ特別」として特例国債が発行され、その後毎年「特例」として発行されています。もし憲法会せうするならこの無意味な「特例」ってのはやめられるよう、発行禁止の条項は取っ払ったほうがいいでしょう。

2 件のコメント:

片倉(焼くとタイプ) さんのコメント...

テレビのバラエティ番組で リポーターが 首相官邸を指さして「ここに中曽根総理が住んで
いるんですよ」と田舎から東京見物に来たおじいちゃんおばあちゃんに説明していました。
面白いのは このエピソード、中曽根総理が退陣後の話なのです。 中曽根さん以降は小泉
内閣まで短期政権が続いたため、幅広い国民の記憶に残るような政権が出ませんでした。

中曽根という苗字は 日本全国で名乗る人が約2,400人と少ない苗字です。ですが中曽根
という苗字の知名度が全国にまで広まったのはまちがいなく中曽根総理の影響ですね

花園祐 さんのコメント...

この記事でも書いているように自分も彼は評価に値する首相だと考えています。逆なのがここでも書いている宮沢元首相で、最近めっきり少なくなった東大卒の首相ですが、なんか全面的に理解できない人でした。