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2020年8月25日火曜日

正しい情報ほど信じられなくなる理由


 また例によって上の羽根田治氏の山岳遭難本を買って読んでいるのですが、こちらの「十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕」では、かつて井上靖が小説「氷壁」のモデルにしたいわゆるナイロンザイル事件も収録されています。

ナイロンザイル事件(Wikipedia)

 この事件は知っている人に早いですが日本山岳史、ひいては製造物責任法の観点においても非常に大きな足跡を残した事件です。

 概要をかいつまんで説明すると、1955年当時、従来の麻製ザイルに比べて軽くて丈夫な上位互換製品という触れ込みで世に出たばかりのナイロンザイルを使用して穂高岳の登山を行っていた登山家パーティで、このナイロンザイルが突如切断したことによって滑落死が出るという事件が起こりました。1トンの荷重にも耐えるとされるナイロンザイルがどうして切断したのか、またザイル確保者が特に衝撃も感じずに切断したことからナイロンザイル自体に何か問題があるのかと考えた、滑落死したメンバーが所属していた岩稜会という山岳会メンバーが実験を重ねたところ、ナイロンザイルは岩角など鋭利な面に接触した状態で荷重をかけると簡単に切断するという事実を突き止めました。

 登山においてザイルが尖った岩肌に触れて支点となることはごく当たり前であり、この欠陥ともいえる特徴は登山家を大いに危険にさらすと考えた岩稜会は、直ちにこの事実を世間に周知して注意喚起を行い、こうした岩稜会の活動を受ける形で、ロープメーカーの東京製綱と大阪大教授であった篠田軍治はナイロンザイルの公開実験を行いました。その実験の結果、ナイロンザイルは麻製ザイルに比べ数倍の強度を持っており、岩稜会の主張は技術不足による滑落をナイロンザイルの責任に転嫁するものだと報告されました
 一体何故こうも主張が真っ向から食い違ったのかというと、実は公開実験では支点となる岩角をあらかじめ削って丸くさせておき、ナイロンザイルが切れないよう工作が行われていたからでした。やったのはもちろん東京製綱と篠田軍治です。

 とはいえそんな事情など露知らない世間からすれば、大学教授のお墨付きを得たことからナイロンザイルは安全だと信じられ、その後も登山において使用され続けました。一方、でたらめを吹いたとされた岩稜会は公開実験の細工を指摘しつつ、その後もナイロンザイルの危険性を訴え続けましたが、日本山岳会にもこうした主張は無視され続けました。
 なお篠田軍治は日本山岳会の名誉会員にもなっています。

 しかしその後もナイロンザイル切断による滑落事故、そして滑落死は相次ぎました。こうした連続する事故と岩稜会の長年の周知活動もあって、最終的には山岳会よりも先に通産省が先に動く形で、1975年にザイルの安全基準制定とメーカーへの遵守義務が法律で定められました(消費生活用製品安全法)。なお同法の制定までに、ナイロンザイルに起因する事故で20人以上が亡くなったとされています。
 日本山岳会はその後もナイロンザイルに問題性はないと主張し続けました、抗議が相次いだことから1977年にようやく過去の主張の誤りを認めるに至っています。

 結果から言えば、最初の岩稜会の注意喚起がすぐ信じられていれば、約20人の登山家は死なずに済んだと言えるだけに、やりきれない所は少なくないと言えます。ただそれ以上に注目すべきは、再現検証も難しくない実験だというのに、どうして篠田軍治らのインチキとも言える公開実験が信じられ、正しかった岩稜会の実権結果が世間に受け入れられなかったのかという点が、自分の属性からするとより興味が持たれます。

 結論から言うと岩稜会の実験結果は、正しかったからこそ世間に受け入れられなかったのではという風に見えます。正しい情報がどうして信じられないのかというと普通に考えるとおかしいですが、現実には報道の現場でも、正しい情報だからこそ世間の一般大衆は信じず、受け入れようとしないと感じることは非常に多いです。
 何故受け入れられないのかというと、正しい、というより真実な情報というのは往々にして耳の痛い内容であることが多いからです。そのため聞く人からすれば最初に浮かべるのは、「信じたくない」という感情で、信じたくない厳しい内容ほどその情報の真偽を疑います。

 逆にというか、耳障りのいい情報というのは誰もが信じようとしてくれます。そのため、厳しい現実という正しい情報よりも、胡散臭いし根拠もないけど、耳障りが良く自分にとって有利となる情報の方が誰もが「こちらの方が正しい」と判断しがちです。極論を言えば、正しい情報よりも耳障りの言い虚構の情報の方が流布しやすいというのはこの世の絶対的事実です。

 その上で付け加えると、その情報の内容が誰にとって、というよりはどれだけ多くの人間にとって有利となるかも、その情報が受け入れられる上で非常に大きなファクターとなります。
 先ほどのナイロンザイル事件を例にとると、ナイロンザイルが危険か、安全かで、どっちが有利となる人間が多いかとなると、断然後者です。前者で有利となるのは、ナイロンザイルは危険であることを実験結果で理解している岩稜会メンバーくらいなものです。一方、安全だと信じられることで有利となるのは、メーカーの東京製綱の社員らと篠田軍治のほか、麻ザイルより手軽で安全なザイルと思って使える登山家など、利益共有者は圧倒的にこちらの方が多いです。

 となると多数派が多い方が勝ってしまうというか、多数派が信じる内容が事実となってしまうわけです。これまた極論を述べると、情報というのは基本、正誤以上に利益の共有者と相反者の比重で世間に受け入れられるかどうかが決まります。それこそ、中国は高い実力を持っていると考えることで有利になる人よりも、実は見掛け倒しで実力を伴っていないと考えることで有利になる人が多ければ、具体的なデータ検証そっちのけで後者の方が世間では事実として受け止められるわけです。

 唯一、情報が受け入れられるかの判断でこの利益バイアスの壁をぶち破る唯一の手段こそが、ナイロンザイル事件でもみられた科学的な比較検証です。しかしその科学検証すら、利益バイアスは途中までのナイロンザイル事件のように、覆い潰してしまうことが少なくありません。

 グダグダと長く書いてしまいましたが何が言いたいのかというと、結局その情報が多くの人にとって望ましくない、耳の痛い、ストレスに感じる情報であれば、その情報がどれだけ正しく、裏付けるデータや根拠があったとしても、真実の情報としては絶対に受け入れられないということです。なら報道なんて意味ないじゃん、部数上げれるよう耳障りのいい適当な情報だけ流してればいいじゃんって結論にもなるわけですが、そういう情報の流し手にも受けてにもなりたくないなと思っているから、自分は今のこの立場にいるるのだと思います。

4 件のコメント:

川戸 さんのコメント...

宅配ピザとペプシ500mlを胃に流し込んだら脳が暴走し始めたので、このままの勢いで投稿させていただきます。
利益バイアス、正常性バイアスが正しい情報理解を妨げる事は往々に知られていますし、旧日本軍のインパール作戦に代表される無謀な作戦の数々も、
都合の悪い現実をのっけから想定せず、理想の現実から成り立つ机上の空論が支配していたと、以前花園さんは主張されていたと覚えています。
それはそうです。しかし一方で、危機感を煽るたちの悪い予言に支配されるのも人間の真理ではありませんか。あまり耳障りのよくない言葉は、平時には威力を発揮しませんが世紀末では猛威を振るいます。その例の数々は説明するまでもないでしょう。
耳障りがいいかどうかや多数少数や利益の比重は関係なく、声の大きさ(純粋な言葉の力)だけで正しさが決まるもんだと僕は確信を持って言えます。トイレットペーパーが売れて得をするのは製紙業者だけです。

花園祐 さんのコメント...

 コメントありがとうございます。
 週末系の予言は破滅願望の強い人、具体的には人生上手くいっていないと考えみんなきえちゃえ的な思想の人には受け入れやすいからこそ定期的に流行ると考えています。もっともこれらは解釈次第なところがあるので、必ずしもこの通りに自分も信じているわけじゃないですが。
 ただこの記事書いた後もいろいろ考えてましたが、真面目に情報というのはその合理性以前に、利益バイアスや正常性バイアス、あと普段の思想や世間の常識など別の様々な要素によって信じられるかどうかが決まるんだなと思います。自分も報道を行う際は、「どのタイミングならこの情報は受け入れられるのか」などと考えますが、この記事書いてその辺の洞察が前より良くなった気がします。

ルロイ さんのコメント...

コロナに対する情報なんかもそうですよね。
PCR検査は増やすべきなのかどうかとか、政府はちゃんとやってるのかやってないのかとかも、テレビが恣意的に「大衆に都合のいい(数字が取れる)意見」ばかり吸い上げるので実態がどうなのかという話にならないという。
緊急事態の時ほど、起きている事態の「解釈」の信頼性が下がるということを痛感します。

花園祐 さんのコメント...

 やっぱり切羽詰まった時ほど、楽観的な情報が求められるというのを今回ひしひしと感じました。北朝鮮のミサイル騒動の時もそんな感じだったし。
 この記事は書き終えた後の方がいろいろ思うところがあり、自分の報道姿勢についてもいろいろとターニングポイントとなる記事かもしれません。