このブログでも散々書いているように常日頃からずっとゲームしていますが、ゲームのレビューを見るのも好きでよく見ています。ただ先ごろ出たゲームカタログの「AI: ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ」に関しては、以前自分もレビュー記事であんま楽しくなかったことを書いてたのに、名作扱いされててちょっと腑に落ちません。しょぼいムービーや刑事物としてのシナリオの悪さとか言及ないのは不満です。
それはさておきゲームのレビューですが、こう言っては何ですがクソゲーのレビューほど面白いと感じます。基本的にクソゲーのレビューというのは、「このゲームがどれだけクソなのかみんなにもわかってほしい!」という熱い思いで書かれていることが多く、非常に訴えかけるような感じがしてなんかハートが伝わってきます。
名作ゲームのレビューでも如何にこのゲームが素晴らしいかをみんなに伝えたいという感じを覚えなくもないですが、それでもクソゲーのレビューと比べるといまいち迫力に欠けるように思えます。
これはゲームに限らず映画でも同様です。やはり名作映画よりもクソ映画のレビューの方が切実さが凄く、書いている人も何とかしてそのクソっぷりを伝えようと必死に書いてくれていることが多いです。デビルマンとかテラフォーマーズとかのレビューに至っては、マジで名文の宝石箱のように燦然と輝いています。
では何故ゲームにしろ映画にしろクソなレビューの方が面白く描かれるのか。自分が思うにひとえに書いている人間がまずやる気満々であるのが最大の原因でしょうが、なんでそんなやる気に溢れるのかと言ったら、人はその体験した苦しみこそ他人と共有したがるからじゃないかと睨んでいます。
何も苦しみに限らず、人間というのは基本的に同じ体験を共有したがるものです。自分の趣味を他人に勧めたり、同じ活動を通して親睦を深めたりするのはまさにその典型です。
ただそうした体験共有において、楽しみよりも苦しみの方がやっぱ共有したがるし、共有した際のシンパシーはより強いような気がしてなりません。韓国人男性は徴兵時の苦労話こそが一番盛り上がる話題だと聞きますが、自分が体験した深い苦しみを他人と共有できるというのは、実はものすごく価値深いことなのではないかとふと思いつきました。
そうした観点に立った場合、クソゲーやクソ映画のレビューというのはうってつけもいいところです。意図してか知らずかうっかりクソなメディア作品に触れてしまった後、「クソだった……」と必死になって伝えようとするのは、やはりその苦しみをみんなと共有したいからじゃないかと思います。実際に私も、自分でも遊んだことのあるクソゲーのレビューを見て自分が不満に感じた点をほかの人も指摘していると、「こいつわかってんじゃん(・∀・)」と無闇やたらにうれしく感じます。
逆にさっきの「ニルヴァーナ イニシアチブ」はそれが極端に少なかったから、レビューそのものに不満を感じたくらいです。
またよくクソゲーには「負の引力」があると言われますが、クソだと言われてみて何故かやってみたくなることがあります。これはクソ映画にも言えますが、これもある意味、苦しみ体験の共有を後追いで求める動きなのかもしれません。
それらを踏まえて言うと、多分人間は同じ喜びを共有するよりも、同じ苦しみを共有する方がずっと親睦を深められ、分かり合えるようになる気がします。前向きなケースでいえば仕事とかの修羅場を一緒に乗り切ったり、山登りなど難しい課題に一緒に挑戦したりするというのがこうした状況に当たり、多分仲良くランチしたり、一緒に楽しいマリオカートする以上に関係を深め合えると思います。
そういう意味では気になる異性と一緒に映画を見に行く際は、甘ったるい恋愛映画なんかよりも、吐き気を催すクソ映画を一緒に見に行った方が、ずっと関係を進展させられるかもしれません。その効果に関しては保障しかねますが。
あと今思いついたけど、夫婦関係とかも倦怠期に入った際に一緒に楽しいことしてもあんま効果ないのかもしれません。というのも本当か嘘かわからないけど前にネットで、
ニートから脱出したけど、それまで自分のニート問題をどうにかするため団結していた両親が脱出後に離婚した
→「子はカスがいい」とはよく言ったものだ
というやり取りがありましたが、実際こういうケースってある気がします。同じ難題を抱えているからこそ仲良くできて、難題の解決後に急に関係が破綻してしまうのはよく見聞きします。となると健やかなる時よりも病める時の方が、人間関係的に重要なのかもしれません。
2 件のコメント:
クソゲーには二種類あると思います。一つ目は全ての要素が及第点以下の面白くないゲーム、そしてもう一つは 要素の平均点は及第点以下だが、そのうち一つか二つは及第点以上あるいは100点を超えるものです。もちろん 人々によって語り継がれるクソゲーは後者です。 クソゲーといえどもそれは作り手の強烈な個性が反映された創作物に違いないのですから。 さて「トイレキッズ」というシューティングゲームがあります。 ゲームとしてはオーソドックスなシューティングゲームです。しかしその作風から 最も「クソゲーという称号にふさわしいゲーム」と言われています。
うんこドリルが大ヒットする今の世なら「トイレキッズ」も爆発的に売れて、「稀代の名作」として扱われていたかもしれません。まぁあの内容なら、普通に権利関係引っ掛かって発売事態無理でしょうけど、思い切ってリメイク再配信したら楽しそう(・∀・)
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