ページ

2008年12月10日水曜日

呉起と商鞅

 また史記の話ですが、前にも書いたとおりに史記は言ってしまえば「優秀なる敗者たちの物語」です。史記で紹介される人物のそのほとんどは当時としては非常に優秀な人物ばかりですが、最終的にはその才能が理解されなかったり周囲に妬みをもたれたために悲劇的な末路を辿る者ばかりです。
 その代表格ともいえるのが今日紹介する呉起と商鞅の二人で、両者はその運命から生前に行った政策までもが全く似通っているので、最近歴史の記事を書いていないのもあるのでこの機会に私からも紹介しようと思います。

 まず日本の戦国時代を題材にした本を読むとよく出てくるのが「孫呉の兵法」という言葉ですが、孫呉の孫は孫子の兵法とみんな知っていますが、後ろの呉という文字が何故入ってくるのかとなると意外に知らない人間が多いように思えます。この呉の文字こそ、ここで紹介する呉子こと本名呉起のことで、この人物は中国の戦国時代に軍略から政略に至るまで幅広く活躍した人物です。
 呉起は当初いろんなところを流浪し、一時は魏の国にて活躍をしたのですが彼の後ろ盾となっていた当時の魏王が死んだことによりその地を離れ、当時、というより戦国時代全体を通して後に中国をはじめて統一する秦に次ぐ強国だった楚に行きました。そこで呉起は戦争の指揮から内政の指導に至るまで文字通り大車輪のごとくの活躍を見せ、彼がいた時代に楚は大きく躍進しています。

 特に戦争についてのエピソードでは面白いものが多く、呉起は最高司令官にあるにもかかわらず在軍中は一平卒と同じ格好をした挙句、馬にも乗らずに徒歩で一緒に進軍していたそうで、更には負傷した兵士を見ると片っ端から自らの口で膿を吸い出すなどして兵士を鼓舞していったそうで、これを見た兵士たちも否応にも士気は高まり連戦連勝を繰り返して行ったそうです。

 そして内政面では、これははっきり言いますが当時としては非常に画期的なことに家臣の雇用において俸禄制を実施しています。
 それまでに当時の国家は家臣を召抱え場合、功績があった際に恩賞として国王は土地を与えていました。しかし与える土地にはもちろん限りがあり、一旦上げてしまうとその土地は一族に受け継がれていくのでよほどのことがない限りはその土地を再び召し上げることも出来ず、自然と土地は国王の一族だけに独占されていくようになってよほどのことがない限り外部の人間に土地を与えることはありませんでした。これに対して呉起は家臣の土地を一旦全部召し上げて、その代わりに領土で取れる小麦などの農作物を現代の給料のような形で与える方式の俸禄制に切替え、身分の世襲から才能ある人物の活発な登用など固定した環境を流動的に変えていきました。
 ちなみに、この俸禄制を日本で本格的に運用したのは織田信長が初めてです。信長はごく限られた一族の人間を除いて家臣へは俸禄で以って雇い続け、浅井、朝倉を打ち倒した後に初めて明智光秀に領国を与えています。なお信長は16世紀の人物に対して呉起は前4世紀の人物で、如何に呉起に先見性があった、もとい当時の日本の制度が遅れていたかがよくわかります。

 こうして楚は優秀な人材を揃えた上に役に立たない人物は片っ端から田舎に送って開発を行わせたために強国になりましたが、呉起の後ろ盾となっていた当時の楚王が死んだことにより、かつて土地を有していた元貴族たちがこの時に恨みを晴らさんとばかりに呉起を襲って殺してしまいました。そして呉起の死後に楚は制度を元通りに戻してしまい、横山光輝氏などは呉起の取った政策を「川面に一石を投じただけだった」と評しております。

 それに対してもう一人の商鞅はというと、この人は紆余曲折あった後に戦国時代で常に最強国であり続けた秦に入り、最高権力者の宰相となった後に先ほどの俸禄制へと切り替えています。
 なおこの商鞅はごく初期の段階で外国人でありながら秦の宰相をやっております。このあと秦は范雎や李斯と、なかば宰相は外国人がやるものとばかりに優秀であれば誰であろうとぼんぼん秦は引き入れています。またこの商鞅は法家の祖先とも言われ、性悪説を前提にすべての人間の行動を法で以って規制しようと片っ端から細かいところまで法律を制定して行ったことで有名です。

 ここまで言えばわかると思いますが、商鞅も後ろ盾の当時の秦王が死んだ後はかねてより妬んでいた重臣らに告げ口をされて追われる身となるのですが、逃げようにも自分が作った厳しい法律によってなかなか国外へ脱出できないばかりか、こちらも自分で整備した監視網によってあっさりと捕まり、最後は牛裂きにされて死んでいます。
 しかし秦の場合は楚と違い、俸禄制などの商鞅が改革した制度を維持し続けました。改革者の商鞅自体は亡くなったものの、彼の作った制度の元でその後の秦は他国を遙かに凌駕するようになりついには中国を初めて統一するに至るのです。

2008年12月9日火曜日

一周年突破記念、これまでの秀逸記事

 このブログも今日を持ちましてとうとう公開から満一年になりました。ひとまずの目標として一年間の継続を掲げていたものの、開始当初は恐らく一年後の投稿記事数は二百件くらいあればいいかなと思っていたのが前回までの記事でなんと四百六十八件を数えるに至り、よくもまぁこれだけ書けるものだと自分でも唖然としています。このブログを始める以前に有名なきっこ氏のブログを見て、これだけの長文の記事を毎日更新しているのだから恐らく複数人で書いているだろうなと勝手に想像してましたが、案外書いてみればそれくらいどうってこともないということはわかりました。

 さて一周年ということなので、これまでの記事の中からいくつか思い入れの深い記事をここで紹介しようと思います。
 まずはなんといっても、「文化大革命とは」の連載記事でしょう。始める当初は自分の拙い知識でこんなえらいテーマを扱っていいものかと悩んでいましたが、思っていた以上に読んでくれた方から「面白い」、「こんなの、全然知らなかった」という反響を受け取り、書き終わった今でも内容面では不安を感じていますが、読んで初めて文革を知った方々に対しこの分野への知識の足がかりを作ることが出来たのだと思うと書かないよりは思い切って書いてよかったと素直に感じます。またこの連載がきっかけでリンクを結ばせてもらった「フランスの日々」のSophieさんは私が初めて知り合えた本店ブログの「Bloger」仲間で、副次的な収穫も非常に多かったのも忘れることが出来ません。

 連載記事はこの文革以外にもいくつか書いてはいますが、「失われた十年とは」についてはちょっと資料などをまた見直している最中でこのところ更新がのびのびですが、まだまだ書く内容はあると思います。また「新聞メディアを考える」では新たに面白い資料を手に入れたので、またしばらくしたら追記を書き加えていくつもりです。
 やはり連載だといくつかトピックスに分けて書くことが出来、また連載中は常に次は何を書くべきかと言う風に思考がどんどんと回るので、なんとなくですが記事の内容も洗練される気がします。

 そうした連載記事を除いた単独の記事の中で挙げるとすると、記事の質としては非常に低いながらも一番思い入れが深い記事だとこの「異能者の孤独」において他にありません。改めて読むと、別にこの記事限るわけじゃないですが句読点が非常に多くてなんか読みづらい記事になってるのですがこれにはわけがあり、実はこの記事は書いている最中はずっと手が震えていました。この内容は記事の中でも書いているように私が中学、高校時代から一貫して思い悩み続けた内容で、現在に至っても自分の信じる可能性と周囲が評価する可能性は一致しているのか、たとえ今は一致していないくとも将来評価されることはあるのかと悩み続けているテーマです。しかし悩んでいる分いつか誰かに伝えたいという軽い思いから書き始めたものの、実際に書き始めるといろいろな思いが一気に突き出て、なんとはなしに手が震え出してきたのを今でも覚えています。その分、書き終わってこうして読み返した後には言いようのない満足感があり、また友人に最近気になる記事はあったかとたずねたところ真っ先にこの「異能者の孤独」を挙げてきてくれたのでとてもうれしく思いました。

 そのほか記事中で紹介、解説される情報の質が高いものとしては、「水資源について ~浄化技術編~」と「田原総一朗氏に凝視された日」が挙がってきます。両方とも比較的レアな情報で、前者はテレビで一回放送されたきり、後者に至ってはたった一回の、しかもテレビカメラも何もない場所での講演だったのでその場の人間しか聞いていない内容です。今でも田原総一朗氏からのあの熱い視線が思い出せるよ……。
 そのほか自分でも上手くまとめられた、あまり他の人は言っていないなと思うような記事だと、「情報社会論」、「竹中平蔵の功罪~陽編陰編」といったところでしょうか。どちらもあらん限りの力を振り絞って書いた記事で、友人らから評価してもらった時にはこちらとしても非常にうれしく感じました。

 改めていくつかの記事を読み返すと、どうも記事によって文章にムラがあるような気がしてなりません。特に句読点が多すぎて返って読みづらい記事が目立つのですがこれにはわけがあり、私はもともと縦書きで小説を数多く書いて文章力を養ってきたので、どうもこのブログ記事のように横書きでタイプする文章だとどこで句読点を打つかといったリズム感がなかなかつかめずにいます。
 そんな不安定なリズム感で書き終わっていざ投稿してみてみると、自分でも不思議なくらいに読みづらい文章がアップされていてなかなか驚くことがあるのですが、いちいち修正するのも面倒なので大抵はそのままにして放っておいています。さすがにあからさまな誤字、脱字は修正するようにしていますが、これらも軽微なものだと敢えて見なかったふりをしてます。これは修正が面倒くさいというのが最大の理由ではありますが、私としては思ったこと、書きたい事を一気に短時間に一本の記事として書き上げるという行為こそがこのブログにおいて重要だと考えているので、その際に出してしまった誤字も「勢いの中でのもの」と認識しており、当時はこういう勢いで書いたんだなというのを忘れないために敢えて残しています。

 何はともあれ今日でひとまずの目標である一周年の継続を達成しました。ちょうどFC2の方でも閲覧者数が五千人を突破し、何かと記録尽くめの一日となりました。ここまで来たらもうこれ以上目標などを定める必要はないので、あともう一年とか投稿記事数千件突破とかいう具体的な目標は持ってもしょうがない気がします。
 実を言うと私は自分でも呆れるほどに飽きっぽい性格をしていて、何か一つに延々と集中して行うといったことはこれまでほとんどありませんでした。唯一の例外ともいえるのがこの文章で、これは中学時代から延々と、大学時代に一時小休止したことはありますが一貫して鍛え続けてきた分野です。このブログはその延長線上と考えるのならば、一つ前の記事の反復になりますがそうして文章を鍛え続けてきた土台の上にあるのだと思います。

どうすれば自分を変えていけるか

 以前に学校のある授業で先生から、「日本人は皆、青い鳥症候群だ」と言われた事がありました。

 この青い鳥症候群というのはそのまま童話の「青い鳥」のお話と一緒で、日本人は「あれさえあれば、自分は救われる」という風に、自分の現状で満足することはせず、何かしらに大きく期待してそれが得られれば自分は今よりずっと幸せになれるのにという幻想を持つという意味です。
 この話を聞いた当時は、確かに日本人はそうだろうけど人間全体でそんなものじゃないかという風に私は感じたのですが、最近いろいろと社会で言われている内容や議論に上がる話題を見ていると、もうちょっと違ったものではないかという風に改めてこの概念に着目し始めました。

 そう思う一つのきっかけとなったのは、最近買って読んだ「論争 若者論」(文春新書)の中で取り上げられている、秋葉原連続殺傷事件の話です。この事件の概要について詳しくここではやりませんが、何人かの評論家がこの事件の犯人はよく自分の容姿の悪さを卑下する内容をネット上の掲示板に書いており、コンプレックスのようなものを持っていたという記述をみて、いくつか思い出したことがあります。
 その思い出した内容というのも、数年前に友人が突然彼女がほしいなぁと言い出したことでした。私が何故と聞くと、真面目な友人なもんだから異性と付き合うことで自分がいろいろと成長できそうだからだと冷静に答えましたが、何もこの友人に限らず別の友人に至ればもっとストレートに、彼女が出来ることで自分も何か変われると思うからと言ってました。

 こう言われた当初は私も気づかなかったのですが今日電車に乗りながら考えていると、なんだか最近はこの手の、「○○さえあれば(得られれば)、こうじゃなかったのに(ああなれるのに)」といったフレーズの発言をよく耳にする気がします。先ほどの秋葉原連続殺傷事件の犯人も、「彼女さえいれば」というような内容の書き込みを繰り返し掲示板にしていますし、この犯人だけじゃなくともいろんなところで、「学歴さえあれば」、「正社員にさえなれれば」、「お金さえあれば」、「親友さえ出来れば」といった言葉が現実に取り巻いている気がします。中には、「顔さえよければ」、「金持ちの子供だったら」というように、自分の努力じゃどうにもならないことをあげつらって世の中を悲観するものまでおります。

 よくよく考えてみると、先ほどの青い鳥症候群というのは最初の定義ではなくこういうように、自分に今ないものが得られれば状況が劇的に変わると信じることではないかと、あんまり意味は変わっていませんが後半の「劇的に変わる」という文字が私の中で新たに加わってきました。そう考えてみると先ほどの発言はどれも、まるでジクソーパズルが完成するのにあと1ピース足りない、その1ピースであるお金であったり容姿であったりするものさえあれば、今の自分が認めたくない自分とは劇的に違う何かになれて万事の問題が解決できるんだというような意図があるのではないかと思えてきました。

 率直に言うと、こうした考えはやはり甘いと思います。たとえ彼女が出来たところでその相手に好かれるような人間でいなければすぐにその相手は去っていくでしょうし、たとえ容姿がよくなったとしても内面が汚い人間であれば誰からも好かれないままでしょうし、たとえ大金を得たとしてもお金は無尽蔵に使えるというわけではなくいつかはなくなってしまいます。
 先ほどの「論争 若者論」の寄稿者のトップバッターの赤城智弘氏に至ってはこの際戦争になれば、上も下も関係なくなると、抜け出せない格差の現況を変えるものとして戦争の勃発に期待しているような発言をしていますが、その戦争も終わってしまえばまた元の鞘に納まるのでは、少なくとも、現状を変える努力を自分でしないで外部要因に頼る人間では、どんな社会になったとしてもあまり生活状況は変わらないのではというのが私の意見です。

 人間、誰しも自分に対してコンプレックスは抱くものです。自分が好きでたまらない人間というのはいないわけではありませんが実際にいるのは非常に少なく、大抵の人間は現状にプラスアルファをした理想の自分像を自分に課しますが、そういった理想像にたどり着く人間はというとほとんどいません。
 先ほどの青い鳥症候群ではないかと私が言った人たちは、その理想の自分像への到達手段を外部要因にすべて求めている気がします。自分自身では努力も何もしないが、外で何かが動いて自分の状況が変わってくれることを願って待つという、北原白秋ではありませんがこうして文字に直して読んでみるとまさに「待ちぼうけ」です。

 私はそもそも、人間は何かを得た拍子に一挙に変わるということはありえないと思います。それこそ敗戦続きの劉備が諸葛亮を得るんだったら話は違いますけど、20年くらい生きてきた人間が彼女が出来たからといって性格から生活態度が急に変わるなんて俄かには信じがたいです。逆に、20年の積み重ねがあった末にその相手から好かれる人物となったために彼女が出来た、という風に考えるのが自然な気がします。

 ではどうすれば自分を変えていけるかですが、それは単純に言って努力と継続です。何かしら自分で目標なり課題なりを立てて最低でも半年、いや一年くらいの期間を設定して継続して行い、達成することによってわずかながらではありますが着実に自分という人間を変えていけると私は信じています。もちろん最初の目標設定の段階でどんなことをやるか、何を区切りにするかで成果は変わるので、中には一年やってもほとんど何も身につかないということもあり、何が何でも一年やればそれで良いというわけではありません。ですが、一ヶ月や一週間、ひどい場合は一日だけ何かをしたからといって何かが変わるということは私は絶対にありえないと思い、それならば時間がかかっても、何かしらを継続して一年くらいやり続けることの方が急がば回れではありませんが、ずっと自分に対してプラスになると思います。
 そうして積み重ねる土台があった上で、人間は舞い降りたチャンスをものにすることが出来て劇的に変わることはあると思います。先ほどの劉備の例だと、何度も負けるなり苦労はしたものの、関羽、張飛、趙雲といった武勇の将がついてくるだけの人格を養っていたという土台があったからこそ、最後の1ピースである軍師諸葛亮孔明を得て飛躍できたのです。

 よく継続は力なりとはいいますが、子供の頃から聞いてたのに20年以上生きてきてなんとなくですがその意味を少しわかってきた気がします。私が実際にそれを体験したのはやはり一年間の中国留学で、行く前こそあんなに習得の難しい中国語を覚えられるのかと不安に思っていたのですが、きちんと一年間現地で一日も休まず授業に通い続けたおかげで、あの頃の自分が目標としていたレベルには見事に達することが出来ました。

 そしてもう一つ、当初でこそ三日坊主で終わらなければいいなと言って始めたこのブログですが、今日を持ちましてようやく満一周年で、ひとまずの「一年間は書き続ける」という目標は見事に達成できました。
 記事の内容も改めていくつか読み返すと、甘かった内容のものもあれば納得して人に見せられる内容もあり、割合にこのブログには私は現状でも満足しています。

2008年12月8日月曜日

コミュニケーション力再考

 少し前に関西に行き、そこで恩師たちと会って久しぶりにあれこれ話をしたのですが、その際に多く話題になったのは若者の問題でした。
 私自身が若者に属し、恩師たちがある程度年齢の積んだ方たちだったので、お互いに思うところや見るところが違って情報交換のような形でなかなか楽しめたのですが、その話題の中で一人の恩師がこういっていました。

(先生)「私はいろいろな大学の関係者から最近よく相談を受けるのですが、このまえある大学ではせっかく正社員として就職した職場を卒業生たちの約四割が三年も持たずに退職するがどうしたらいいと聞かれたのですが、率直に言って今の若者たちに足りないのは年齢の違う人間と話すだけのコミュニケーション力が不足しているからだと思う」
(私)「いや先生、俺はそうは思いません。コミュニケーション力で物事を言い出したら範囲が非常に広くなるため、原因とかでちょっと曖昧になりますよ。ただ、その年齢の違う人と話せるかどうか、ってのは俺も気になります」

 私は以前に「日本人のコミュニケーション力とは」の記事の中で日本人の主張するコミュニケーション力には非常に中身の伴っていない曖昧なものだと主張しました。そのため先ほどの恩師の言った言葉に真っ向から反発したのですが、ただ年齢の違うものとのコミュニケーション力、と言われてちょっと思い当たる特殊な事例が思い当たり、反抗こそしたものの今もちょっと先生の言葉を再考している最中です。

 その特殊な事例というのは、まんま私のことです。
 恩師の言う現代の若者のコミュニケーション力不足の現象的なものは、共通点も多い年の近い自分たちの身の回りでだけコミュニケーションが完結するため、年齢の違う人や共通点の少ない人に対しては全くコミュニケーションが取れないというように、いわばコミュニケーションが狭い範囲にしか働かないのが問題だということです。いわれてみると確かに今の若者はそういうような点がちらほら見えるのですが、それに対して私はというと見事なまでにこれらとは真逆な経験をしてきました。というのも、同じ年齢の同学年の人間とはしょっちゅうケンカしたりで友達も少ないのですが、自分より年上や年下の相手との方がよくコミュニケーションが取れ、挙句には自分でもそういった年齢の違う相手の方が話しやすいとすら今でも思っています。

 恩師の言う通り、真にコミュニケーション力とは何かといえば、自分と共通点の少ない人間に対してどれだけ交流する力があるかどうか、という定義が最も正しく、言ってしまえば言語の通じない相手とか、思想や文化の違う相手とどれだけ深く付き合えるかというのが本来の指標になると思うのですが、現代の一般社会では「どれだけ友達がいるか」で判断することの方が多いと思います。私としてはたとえ同学年の日本人の友達が100人いる人より、一人の言葉の通じないインド人とハイタッチできるような人の方がコミュニケーション力は高いと思う(この場合、相手のインド人にも寄るが)のですが、世間ではどうもそうは行かないようです。

 私などは極端な例なのですが、このブログでも何度か書いていますが中学高校時代に周りにいた人間というのは今思い返してもあまり品行のよいとは言えない人間ばかりだったので、あえて自ら距離を置いていたのですが、先ほどの友達の数でコミュニケーション力が測られるのなら私はコミュニケーション力のない人間となってしまいます。私がよくないと思う点はまさにこの点で、言ってしまえば変な人間と大量に付き合ってもコミュニケーション力にカウントされしまう、というのは果たしてどんなものかと思います。特に最近はいじめなどに仲間はずれに合うのが怖いために加担する、といういじめの連鎖の話もよく聞きますし、友達の数とかでこうしたものを測るのは如何なものかと思います。

2008年12月7日日曜日

もしもメトロシティに、アンブレラ社があったら

 今日ちょっと貿易実務検定という資格の試験があり、試験時間まで会場には入れなかったので外で教科書片手に勉強していたら何故か、「アンブレラ社はラクーン市でバイオハザードを起こしたが、これがもしメトロシティだったら……」という一言が頭の中を駆け巡りました。もうちょっと集中して勉強すりゃいいのに……。

 アンブレラ社というのは知っている人には言わずもがなの、大ヒットゲーム「バイオハザード」の中で人間をゾンビに変える元凶となるウィルスを作った架空の製薬会社名です。ゲーム中ではアメリカのラクーン市に研究所を持ち、そこから事件の元凶となるT-ウィルスが街中にもれたことがきっかけで「バイオハザード2」では街中にゾンビが溢れ変える事態を作っています。

 もう一つの「メトロシティ」というのは別に「シムシティ」の「メトロポリス」とは関係がなく、こちらもゲーム「ファイナルファイト」に出てくる架空の都市名です。この街は未曾有の犯罪都市で、犯罪撲滅に取り組んできた元プロレスラーのマイク・ハガー市長の娘がその報復としてマフィアにさらわれる事をきっかけに、その娘を救出するために市長自ら悪人をばったばったと倒していくゲームです。
 このゲームの何がすごいかというと、前述のマイク・ハガーが市長自らマフィアの本部へ殴りこみをかけることです。ゲーム自体のアクション性もさることながら、そのぶっちゃけた設定が今でも好評のようです。

 今回私が考えたのは、もし「バイオハザード」の舞台が「ファイナルファイト」のメトロシティだったら、という仮想の話で、もし実際にそんなゲームが出るとしたらやっぱりハガーに加えて同じく使用キャラのガイとかコーディとかが街中に出てって、片っ端からゾンビを殴り倒していくゲームになっていくのだろうかと思考えると、それはそれで結構面白そうな気がしてきました。特にゾンビ相手に「ドリャー」とか言ってバックドロップとかプロレス技を次々とかける姿を想像すると、結構爽快な気もします。

 でもってボスキャラとなるとやはり「ファイナルファイト」でもおなじみのソドムとかがゾンビとか怪物になって出てくるとしたら、ますますもってやってみたいゲームです。どちらもカプコンのゲームなんで、調子に乗って作ってくれたらいいなぁと思って試験に臨みました。

2008年12月6日土曜日

競争力に資本力は必要か?

 本日のニュースにて、米国がとうとうビッグ3(中にはデトロイト3と呼ぶのもいるらしいが、私としてもデトロイトと言う方が適当な気がする)こと自動車会社三社に対して大幅な金融融資を行って救済をしようと動いているというニュースが報じられました。このニュースを受けて、いつもながら思っていますが競争力と資本力はやっぱり別物だと私は思いました。

 実はこのトピックは私と私の親父で最もケンカになる話題です。うちの親父は大資本でなければこれからの企業はやっていけないと常々主張して、中小企業対策をやるくらいだったら大企業に対していろいろ保護政策をとらねばならないと言うのですが、私としては経済において大企業は所詮は看板であって、中小企業こそが実体経済の真の主役だと主張し、昔の人の名言をもじれば、

「大企業なんて飾りです。エライ人にはそれがわからんのですよ!」

 というようなことを毎回主張し、いつも親父と怒鳴りあいになりかねないほどの言い合いを繰り広げています。

 確かに、親父の言うとおりに資本がなければ企業はやっていけないという話もよくわかります。今じゃ一般的になったトヨタのハイブリッドエンジンも大規模の研究開発費の投資があってこそ生まれたものであり、一部の技術革新にはやはりお金がいるというのもよくわかります。
 しかし、私はお金をかけたところで必ずしも投資に見合うだけの成果が得られたり、その企業が真の意味で競争力を得られるとはとても思えません。その一つの根拠として、いろいろ統計情報が曖昧だったり、調査機関ごとにバラバラの結果が毎回出る「国際企業競争力」のランキングでは国としてGDPが小さいにも関わらず、「ノキア」を有するフィンランドを筆頭に北欧勢は毎回上位にランキングしており、親父の言う通りであればありえない結果を毎回出しています。

 そこで今回のビッグ3のニュースです。はっきり言いますが、アメリカの自動車会社は日本の自動車会社と比べると遙かに大資本ですが、売っている自動車製品の国際競争力で言うならば日本に大きく見劣りしており、今回の不況を受けて破綻の危機にまで追い込まれています。また自動車会社に限らずとも、アメリカの企業はどの産業においても日本の企業の数倍の資本を持っていますが、航空宇宙産業(ここでも最近ブラジルに追い上げられている)や農業を除けば全くといっていいほど国際競争力はもっておりません。

 私は大資本に対して、あくまで企業運営での選択の幅が広がるだけで実際には競争力の直接的な源泉になるとは思っていません。では何が競争力に直結するのかというと、現代のような時代で言うならばそれはやはり人材にあると思います。島津製作所のノーベル賞を受賞した田中氏のように、企業も国も、結局は一人の人間によって勃興することがあれば衰退するものだと私は捉えています。北欧勢が国際競争力を持つ背景としてよく挙げられているのは充実した教育制度にあると言われており、私も教育こそが競争力を養う唯一にして最大の手段だと思います。

 以前にNHKでやっていた「プロジェクトX」(最近このプロデューサーは万引きで逮捕されたけど)などを見ていると、やはりその紹介される企業では大した設備や研究資金なしという状況の中で、独自の創意と工夫で飛躍のきっかけとなる発明やプロジェクトに成功しています。うちの親父と親父のいとこが二人して一番尊敬している日清食品の安藤百福なんて、一度スッテンテンになってから自宅にて一人で研究して「チキンラーメン」を発明していますし。

 ついでに書くと、今の日本でこの点において何が問題かと言えば教育の質の低下ではなく、優秀な人材を上手くより分ける伯楽(馬の良し悪しを見極めるのが上手かった名人。転じて人材の評価、発掘の上手い人という意味)の不足だと私は考えています。昔から「世に賢才多けれども、げに伯楽は少なし」といわれていますが、私から見ても何故これほどの人材がこんなところに甘んじているのかと思うような人がごまんといれば、逆にその存在すら許せないようなくだらない無能な人物が重要な地位に居たりし過ぎている気がしてなりません。
 史記なんか見ているとそういう例は昔からごく当たり前なのですが、世の中そういうものだとわかっていてもやはり悔しく感じます。だからこそ、一人の伯楽の価値は下手したら伯楽が発掘する優秀な人材なんかよりずっと高いのではと最近思います。

内定取消しについて

 先ほど民放のニュースで取り上げられましたが、わかっている範囲内で現在問題となっている今年新卒の就職内定の取消し者数が315人に達しているようです。私自身はこの内定が取り消された四回生の学生たちに対しては同情する気持ちが強く、特に53人もの大量の内定者すべてに対し内定取消しを行った日本総合地所での報道で取材に答えた大学生が、日本総合地所は内定を得た6社の中から選びに選んだ会社であったので非常に残念だと言っていたのを聞き、もしこれが事実上の一時内定締切りに当たる十月一日が来る前に取消しが行われていればまだ救われた可能性があったことを考えると、如何にこの内定取消しに問題性があるのか強く考えさせられました。

 しかし大半は私のようにこの内定取消しについては同情論が多いものの、中には違った意見を言う人もいます。私のなじみの喫茶店のおばさんに至っては、
「そもそも内定自体が法的根拠も何もないお互いの口約束みたいなもので、学生の側も入社間際の三月になって就職を断ることが出来るのだから、冷たいようだけど企業の側に取り消されても仕方がないのでは」

 という風に言っており、言われてみると確かにそんな気もしないでもないと、この意見にも一理あると思います。そこから考えを発展していき、私は今回の問題はそもそもこの「内定」という日本の雇用慣行自体に原因があるのではと思い始めてきました。

 元々、私はこの企業の新卒採用の方法に以前から疑問を持っていました。現在どこの企業でも内定者をふるいにかけるための「内定式」が行われる十月一日は、ほんの十数年前までは企業が採用活動を公に始めてもよいとされるスタートラインの日であり、当時の卒業を控えた学生たちも十月から就職活動を始めていました。しかしその後、最近私も忙しくてなかなか書けずにいる失われた十年の間に企業が新卒採用を絞りに絞った挙句、優秀な学生だけを出来るだけ受け入れようと採用活動の期間が不規則に成った挙句にどんどんと早まり、現在では一部で「紳士協定」と言われる四月一日が採用活動のスタート日と、一応はされています。
 しかし近年に就職活動をやったことのある方なら言わずもがなですが、実際にはその四月以前よりどの企業も公然と採用活動を行っており、特にニュースで報道されている極端な例に至っては三回生の夏休み、もしくは三回生になる四月ごろから説明会など採用活動を始める企業が続出しており、先ほどの紳士協定なぞもはやあってないようなもので、学生の側としても四月はむしろ内定が次々と出される、「就職活動がある程度終わる月」として認識されています。

 これがどのように問題かというと、私も自分の恩師と何度もこの問題で話をしてきたのですが、単純に言って学生の勉強する期間というものが大幅に制限されてしまいます。昔のように四回生の十月以降であればそれまでは大学で大いに活動することができ、また卒業論文なども四回生になった時点から作成して十月以前に仕上げれば就職活動などにも影響せずにしておくことができます。
 しかし現在のように三回生から採用活動が始まると、やはり企業へ面接なり何なりと出向くためにその分学校の授業には出られなくなります。また早くに内定を得ればそれ以降は大いに勉強できるはずだと言う人もいますが、私の見ている範囲内だと大方の学生は内定を得るとすっかり安心して、ただでさえ授業に来ないのがもっと授業に来なくなったりする例のほうが多いように思えます。それに早くに内定を得られればとは言いますが、中にはなかなか内定を得ることが出来ない学生もおり、そのような場合だと三回生から四回生までの間丸々二年も就職活動に費やされてしまうということさえもありえます。

 また学生への調査でも、近年の好景気を反映して企業の採用数は大幅に増えているにもかかわらず多くの学生が就職活動に対して「非常に苦労した」と答える率が就職氷河期と比べて大差ないほど寄せられており、これには就職活動の期間の延長が影響していると分析されています。
 そうして学生を早くに確保する企業の側でも、実際の就職まで一年もの長い期間をおいているために途中で内定辞退を受けて急に数が足りなくなるなどあれこれ不都合な結果を招いております。言ってしまえば、学生にも企業のどっちに対してもこの大幅に急がれる内定慣行が大きな負担となっているように私は感じます。

 今回の内定取消しも、こうした背景から起きてしまったある意味システム的な欠陥による問題だと私は考えています。では具体的にどうすればいいかですが、単純に言って卒業後に一種のモラトリアムを設けるのが一番よいのではないかと思います。これはどういうことかというと、簡潔に言って在学中の学生へ企業は採用活動を一切行ってはならないということです。
 企業の新規採用、及び採用活動は卒業後の学生にしかやってはならないとして、学生の側も卒業するまではみっちり勉強して、授業やその他一切のもろもろの束縛から完全に解放された後から就職活動を行う風に慣行を変えていくという方法です。これによって学生の側は就職活動に専念することが出来、また企業の側も早くに内定を出して辞退者を続出させるというような辞退を避けることができ、また必要に応じて採用活動期間や就職時期を自由に決めることが出来ます。
 なにもこのモラトリアム案を使わずとも、企業の採用活動時期を昔みたいに十月以降に制限しさえすれば、今回のように急激な業績悪化の事態を受けてもある程度対応できたと思います。