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2009年9月11日金曜日

新規リンク先の追加のおしらせ

アングラ王子の書斎

 本日より上記の、「アングラ王子の書斎」と相互リンクを始めました。
 FC2ブログの出張所の閲覧者にはもう大分お馴染みかもしれませんが、このサイトの管理人のアングラ王子さんにはたびたびコメントをいただいており、私の方としてもこのサイトによく楽しませてもらっているので、是非他の閲覧者の方にもと思い、今回相互リンクを結ばせていただきました。

 それにしても前回に相互リンクを結んだSophieさんの「フランスの日々」のリンク開始から今日まで、随分と日が空きました。
 現在相互リンク先、並びに「私もこのブログで記事を書いて発信してみたい!ヽ(`Д´)/」という記事執筆希望の方を募集中です。もし我こそはという方がおられれば、お気軽にメールアドレスまでご連絡ください。

出産に関する噂のあれこれ

 週末なので、今日はちょっとふざけた記事を書いて見ようと思います。その内容というのも、出産に関するいろんな噂についてです。

 今年の七月に私は「少子化問題と若者問題」など、いくつか少子化対策についての記事をまとまって書きました。自分で言うのもなんですがこれらの記事は割りと上品に書いたつもりで、あまりふざけた内容は極力排除するようにしてまとめています。ではそういった遠慮を抜きに書いてたらどうなったのかというと、まず真っ先に取り上げていたであろうものは「ニューヨーク大停電事件」でしょう。

 この事件というのは1965年にアメリカ東部で大規模な停電が起こり、一夜に渡って都市全体の電気供給がストップしたことによってニューヨークを初めとした歳で大規模な混乱が起きたという事件です。この事件は大都市が如何に惰弱なインフラに依存し切っているかを象徴させる例としてよく取り上げられるのですが、その際に付随的に、

「なお、この事件より一年後はちょっとしたベビーブームになった」

 と、よく語られます。
 要するに暗くなったら人間はやることはひとつしかないという意味で、それだったら少子化に苦しむ日本もこの事件例を参考に月に一日くらい、「毎月五日は子作りの日!」とばかりに病院や警察署といった必要性の高い施設を除いて、敢えて電気供給を止めてしまったらどうだろうかと提案しようと考えていました。

 しかしこのニューヨーク大停電の噂は以下のサイトによると、どうもデマだったそうです。

大停電とベビーブーム(医学都市伝説)

 言われてみれば確かに実証的なデータも見たことないし、いくら暗いからってこんな突発的な停電時にそんな風に事を運ぶのかといわれれば、リンク先に書かれているようにこの噂はデマなのではという気がします。
 しかし私は現代の日本は24時間営業しているコンビニを始めとして、深夜まで営業活動、サービスを行う業者があまりにも多すぎるため、独身の癖にこんなこというのもなんですが、全体で夫婦が子作りを行う時間が以前より大幅に減っているのではないかという気はします。そういう風に考えるのなら、無駄な電気を使わずに環境に貢献しようとか言って月に一日くらい、こうした深夜営業を自粛するよう官公庁で促していくのは決して無駄には終わらないんじゃないかと思います。第一、この程度の少子化対策ならお金も使わないで済むんだし。

 ここで話は変わりますが、実は日本でもこの手の妙な噂を以前に私は聞いたことがあります。その噂の提供者は私の高知出身の友人で、その友人が言うには、

「よさこい祭りからちょうど一ヶ月くらいが、高知で一番堕胎が多くなるんやって」

 あくまで噂の真偽は分かりませんが、なんか言われて妙に納得してしまいました。それだったら阿波踊りはどうなんだろう。

 なお私にはその高知出身の友人のほかにも徳島県出身の友人がいて、それぞれが相手の県の踊りについて、

「阿波踊りなんてあんなもん、(動きが)止まっとるやろ」(高知出身)
「よさこいなんてあんなもん、下品に動くだけで振りがないやろ」(徳島出身)

 こんな具合に貶しあっているのを見て、四国は本当に面白そうなところだと思いました。

2009年9月10日木曜日

民主党の連立協議を見て

 昨日は新聞からテレビに至るまでこぞって民主、社民、国民の三等連立合意のニュースが報じられていましたが、ちょっと昨日からあれこれ細々と動いていて全部が全部調べきれていないのですが、なんていうかどのニュースの論評も私からするといまいちな内容ばかりでした。
 主に取り上げられていたのは、「安全保障上の政策の溝」と「社民、国民の党首の入閣」の二点だったと思いますが、私はこんな事実ではなく何故この連立が行われなければならないのかというその背景への言及が少なかったのが非常に残念です。

 すでに知っての通りに民主党は今回の衆議院選挙で日本の議会政治史上かつてないほどの大勝を収め、単独政党としては過去最高の議席を保有するに至りました。前回の郵政選挙後の自民党は公明党と連立を組んでいたため、与党としては衆議院において三分の二以上の議席を持っていましたが、政党単独で見れば今回の民主党の獲得議席数は選挙前の自民党を上回る議席数です。
 それほどまでに大勝した民主党が何故、衆参合わせて議員数がたったの十人前後の社民党と国民新党と、しかも伝え聞く限りでは彼らの要求をあれこれ飲まされた挙句に連立を組まなければならないのでしょうか。わざわざ説明するまでもないですが、この理由は現在の参議院で民主党が単独過半数に達していないためだからです。

 日本の憲政上、いくら衆議院の優越が認められているとはいえ参議院にて過半数を確保していなければ与党はおちおち法案を通過させることも出来ません。今回の選挙前の自公も参議院では過半数を確保しておらず非常に厳しい国会運営を迫られましたが、それでも自公の場合は衆議院で三分の二以上の議席を保有していたことから、参議院で否決された法案でも衆議院での三分の二以上の賛成で無理やり通過させることが出来ました。しかし今回の民主党の場合は単独での議席が三分の二まで達していないためその手段を使うことが出来ず、仮に参議院で法案を否決されようものならほとんど何も出来ることがありません。うろ覚えですが確か、参議院で否決された法案は三ヶ月を経てば自然成立されたと思いますが、そんな毎回三ヶ月も待っていたらいろいろえらいことになるのは予想に難くありません。

 そうした民主の懐事情を知ってか、社民も国民も今回の連立協議では終始強気だったと思います。しかし彼らの政党はあくまで十人前後の小政党です。そんな小政党が状況の有利が働いたにしても、なんでもかんでも自分らの要求を今回の選挙で国民から投票を受けた民主に行うというのはどこか筋が違っていると思います。
 特に社民党については日米地位協定について今回あれこれ民主党に要求を行い、一部の民主党議員が不満を覚えるほどまで粘った挙句に自らが要求する文言を政策提言に無理やり入れさせたそうです。もちろん連立に参加するのですから要求を行うのは決して間違いではないですが、国民からそれほどまでに投票を受けたわけでもないのにここまでやるのかと、私の目からするとやや疑問に映る態度でした。こういっては何ですが、これから連立に参加して与党となるのに、まだ本人らは野党みたいに好き勝手文句が言えると勘違いしているのではないでしょうか。

 その点で見ると、公明党はいろんな意味で分をわきまえていたなと今になって思います。当初こそ難色を示したものの自衛隊のイラク派遣も最後には同意したし、自分らの要求する細かな政策を実行させる代わりにあんまり機微なところまでは自民党に突っ込まなかった気がします。なんでも社民党と国民新党は民主党が公明党と連立を組むのを最も恐れているらしいですが、今の状況と比べるとさもありなんでしょう。私もこの際、社民と国民と組むくらいなら公明と民主は組んでもらいたいとすら、今回の協議経過を見ていて思ったくらいです。

2009年9月9日水曜日

文化による時間概念の違い

 うちのお袋が今ドイツに旅行に行っているので、最近は心置きなく歌を歌いながらブログを書くことが出来ます。私自身は歌うのが非常に下手なのですが、下手の横好きと言うか昔から独りになれば何かしら口ずさんでおり、特に文章を書いてる時に周りに誰もいなければ近所に聞こえるのも気にせずによく歌っています。
 因みにそれが一番激しかったのは学生の頃に自殺に関するレポートを作っている時で、テーマがテーマなだけにやっててどんどんと鬱になってくるので負けじとテンションの上がるGガンダムの主題歌をずっと歌っていたら、次の日に隣に住んでた友人に、「最近の花園君はなんか元気だね」と釘を刺されました。

 そんな話は置いといて、そろそろ本題に移ります。
 突然ですが中国語で「明日」という単語はなんて書くか知っているでしょうか? 一般的に使われる単語は日本語にも近い感じがする「明天」と表現し、「昨日」もこんな具合に「昨天」と言うのですが、別の用法では「下天」とも使われ、「来月」という意味になると「下月」が一般的に使われております。
 ただこうして眺めるだけではそれほど意識しませんが、中国語では未来の時間を表す際には「下」という文字が使われ、逆に過去の時間を表す際には「上」という文字が規則的に使われているのです。

 こうした表現方法について私の恩師は、「中国では上から下に時間が流れるんだ」と言っておりましたが、言われてみると表現的にはまさにその通りで、中国語における時間の概念は上から下に下りていくような縦型をしております。
 これはあくまで推測ですが、中国ではちょうど山奥の上流から平野の下流部へ河が流れるように時間のイメージが出来上がったのかもしれません。元々黄河文明というくらいですし。

 そんな中国の「縦型の時間概念」に対して日本語では一体どのようなモデルをしているのかとこの前考え、「明日」と「昨日」ではどちらも太陽に関する漢字なのではっきりしませんが、「後日」と「前日」で表現してみるとなんとなく形になって比較も出来るのですが、もしこれが日本語の時間概念だとすると、日本人は「過去は正面にあって、未来は背中の後ろにある」という意味になってしまいます。まぁこの通りに過去にこだわったり、後ろ向きな国民性だと言われても否定できませんが。

 では中国人によく間違えられれる日本人の私はどっちの時間概念がしっくり来るのかといえば、実はどちらもしっくりきません。そんな私が持つ時間の概念とは、ちょうど本を本棚に入れてそれを正面から見るような、縦型でもなく奥行き型でもなく、左から右に行くにしたがって未来に行くような横型のイメージです。何故このようなイメージとなったのかいえば、やはり一番大きい原因は歴史の資料集とかにある年表の影響だと思います。中には中国っぽく縦型の年表もありますが大抵が左から右へ進んでいく横型で、それを使って歴史を勉強してきたからそんなイメージなんだと思います。

 このように言語に着目するだけでもいろいろな時間概念があるとわかるのですが、言語とは別にもう一つ人間の時間概念に大きく影響を与える文化があります。その文化というのも、宗教です。
 これは佐藤優氏がその著作にて述べている内容なのですが、仏教の基本的な時間の概念は循環する円の形をしており、神様や世界が出来る創造期の次に現在のような安定期がやってきて、その後滅亡期が来て一旦何もかもが滅んだ後に再び創造期に戻るというのが延々と繰り返される考え方をしているそうです。私も人づてに聞く仏教やヒンドゥー教の話というのはまさにこんな具合で、この佐藤氏の説明にも深く納得できます。

 そんな仏教の時間概念に対して、佐藤氏に言わせるとキリスト教ら西洋の宗教が持つ時間の概念は非常に危険な思想で、基本は一直線で過去は過去のままで未来は未来のままで、最終的には神と悪魔の最終戦争が行われて全部オジャンする考え方だそうです。
 こう前置きした上で佐藤氏は、設立当初のオウム真理教はヨガなどヒンドゥー教の教えを柱としていて円の形をした時間概念を持っていたものの、坂本弁護士一家を殺害するなどカルト化する前後からキリスト教的な一直線な時間概念に変わった形跡が見られると述べています。

 さすがにオウム真理教の出版物などを細かく調べていないので真偽はわかりませんが、言われてみるとどんな時間の概念を持つかというのはその個人、ひいては集団の性格を決める上で大きな要素になる気がします。それにしてもこの佐藤氏ですが、自分もキリスト教徒なのによくもまぁ「危険な思想だ」とキリスト教を言い切れる気がします。もっとも彼の出身大学はミッション系なのに、「キリスト教は虐殺を繰り返すことで信徒を増やしてきた」とまで言い切る講師がいるくらい自由な校風だそうですが。

  補足
 キリスト教の時間概念はイエスの生まれる前か後かで分ける様に確かに一直線ですが、英語について言えば「Next month」と「Last month」と表現していることから、未来は「次」で過去は「最後」と捉えている気がします。となると日本語と同じで日めくりカレンダーのような奥行き型をしているのですが、日本語とは逆に未来を前に見ているのがミソですね。

2009年9月8日火曜日

社会における時間の速度~激動、現代編

 一日時間が空きましたが、一昨日に書いた「社会における時間の速度~ゆっくり江戸時代編」に続いて社会における時間について今日は解説します。
 前回で私は、江戸時代というのは身分が固定されているなど社会変動が極限なまでに制限された社会であり、それこそ当時生活していた日本人たちにすれば毎日が同じ日々の繰り返しのようで、意識的に感じる時間の感覚というのは現代に比べて非常にゆっくりと流れていたのではないかと主張しました。なお前回の記事で書きそびれましたが、江戸幕府草創期の南光坊天海や本田正信らが、そのような社会変動が小さい社会体制を布いたことが世界史的にも稀有な、その後約250年間も戦争らしい戦争なく日本国内の平和を保ったことにつながったと私は考えていますが、自分が生きていくとなると身分が固定されていた江戸時代の社会はさすがに勘弁なのでこれが理想の社会だとは見ておりません。平和に特化した社会であると言うのは認めますが。

 それに対し現代はというと、自民党の落選議員じゃないですが昨日までブイブイ言わしていた人物があっという間に奈落の底に落ちたり、身分的にみるなら非常に流転が激しい社会であるのは間違いないでしょう。今日にネットのニュースで見ましたが、元グッドウィルの会長の折口氏の自己資産管理会社が破産したそうで、この人は前から私は大嫌いではありましたが、折口氏が転落するきっかけとなったグッドウィルの人材派遣法の抵触までの顛末にはやや腑に落ちない点があるので現在においては同情する気持ちも持ち合わせております。

 ここでちょっと話が二転三転しますが私が現代社会における時間速度に着目するきっかけとなったあるエピソードを紹介します。
 この話をしてくれたのは親父の従兄弟にあたる自分のやや遠い親戚のおじさんなのですが、そのおじさんは元々家電メーカーに勤めていた人だったのですがある日こんな話をしてくれました。

「今、家電メーカーでかつてブラウン管のテレビを作っていた技術者は本当に悲惨な状況だ。バブル期までは家電の花形だったブラウン管テレビも現在は液晶やプラズマに取って代わられ、日本国内で出回っているブラウン管はもう全部中国か韓国製だけだ。かといって20代の社員ならともかく、そこそこ歳いった技術者は今更他分野に自分の技術を生かせる事もできなければ移ることも出来ず、会社内で出世も望めず飼い殺しの状態にいる」

 言われてみるとまだ十年位前までは電気屋で一番スペースも取って大規模に販売されていたブラウン管テレビが現在では見る影もなく、同じテレビはテレビでも使われている技術が大きく違っている別のテレビに取って代わられています。かといってそのように店頭に置かれているテレビの種類が変わったとしても、かつてブラウン管テレビを作っていた人までみんないなくなったわけではなく、そう考えると技術革新というのは未来を作る一方で大量の失業者を生みかねないものだとこの時に気がつかされました。

 このテレビに限らず、近年はこういった電子機器から情報技術まで様々な分野で驚くべきほどの技術革新が毎年のように行われており、自分みたいなローテク(これも死語だな)な消費者からすると新しい製品についていくのすら大変なくらいです。HDレコーダーなんて、未だにどうやって使えばいいのかさっぱりわかんないし。
 しかしこれがまだ消費者であれば新たな製品や技術を使わなければいいだけです。しかし技術者となると自分の培った技術が使われなること即仕事がなくなるということなので、そんな消費者みたいな楽観視はできないでしょう。

 仮にこの技術革新がもっとゆっくり進んでいればどうだったのでしょうか。それこそブラウン管から液晶やプラズマへ移行するまでもう少し時間がかかっていれば、技術者の移行や育成は円滑に行えたのではないかと思います。逆を言えば今以上に技術革新の速度が速まると、学生が大学で学ぶ技術が社会人になる頃にはすでに過去のものとなって使われなくなっているかもしれません。
 先ほどから理系の技術面に関してばかり説明していますが、なにも技術だけでなく文化的な流行や形式も変化が早すぎるといろいろと困ったことになります。それこそこれが礼儀だと教わってきたやり方がいつの間にかひっくり返ってたり、かわるがわる流行に合わせてひっきりなしに振舞い方も変えていかねばならなくなります。

 こうして考えてみると、現代というのは非常に変化が激しく、かつ新しいものがすぐに過去のものになってしまうほど時間の早い社会だという気がします。先ほど私は変化があまりにも少ない江戸時代は嫌だと言いましたが、かといってこれほど変化が激しい現代も決していいものだとは思えません。では現代の時間の速度を今より遅くすればいいんじゃないかという話になりますが、それが出来たら出来たでいいのですが、仮にそのような社会にするために技術革新を少なくして保守的にやってこうものなら、日本の技術や経済はあっと言う間に他国に追い抜かれて貧乏になり、また必死でみんなで働いて社会全体が忙しくなって元の木阿弥と至る気がします。そうなると、社会の速度を上げている主原因はグローバル化ということになるのですが。

 以上のように、いわば現代は加速のついたジェットコースターから降りたいものの、もうすでに降りることが出来なくなっているような状態に社会はあるのではないかと私は見ております。降りることが出来ないからといってコースターの加速は止まっているわけではなく、このまま速度が上がり続ければいつかはレールから外れる恐れもあるかもしれません。まぁ私の友人に言わせれば、「それも人が作ったエゴの結果だよ」と締めくくられるかもしれませんが。なにせ達観し過ぎている友人なもので……。

 最後に、現代の日本人は江戸時代の日本人に比べて30年以上も平均肉体寿命は伸びてはいますが、私は脳や意識が生前に感じる時間的な長さにあたる精神寿命でみると、実はそれほど変わっていないのではないか、むしろ江戸時代の日本人より短くなっているのではないかという気がします。
 そんなわけで次回より、これまでマクロだった社会的な時間の概念からミクロな個人的な時間の概念についていろいろ取り上げていくことにします。多分私の思い付きが羅列されるだけになりますが、こればっかりは自分でも整理してうまく説明できる自信がないのでご容赦してください。

2009年9月7日月曜日

少年期における年下、年上との付き合い

 小学生の頃の体験で何が後年の自分にとっていい影響を与えたのかと考えると、自分と年齢の違う子供たちとの付き合いだったのかもしれないと、成人した今ではよく思います。

 中学生、高校生くらいなら部活との関係で一学年や二学年の違う相手とも付き合う機会はいくらでもあると思いますが、小学生の時代ではやっぱりクラス単位と言うか、私においてはほとんど同学年の友人やクラスメートとばかりしか遊んでいませんでした。しかしそんな私の小学生時代でも、数こそ少ないまでも何度か歳の違う子供たちと遊んだり交流した経験があり、中学生や高校生とは違ってかえって小学生であるがゆえにそうした体験の影響が大きかったように思え、子供の教育上でも非常にいい影響を与えるのではないかとこのところ考えています。

 具体的にどのような影響があるかですが、これはあくまで私の実感ですが、やっぱり小学校の高学年くらいの頃に低学年や中学年の子供と学校行事とかで一緒に何かの活動をしたりするとなると、年齢の関係から下の子たちの面倒を見たり指導をしなければならなくなります。それこそ始めは私もいろいろと面倒に思えてきましたが、運動会の組体操や騎馬戦の練習であれこれ指導しているうちに徐々に責任感というものを感じていき、「自分がしっかりしなければ」と意識するようになっていったのを今でもはっきり覚えています。
 逆にこのように年上の子供があれこれ年下の子供を指導するという行為をどこで覚えたのかと言うと、逆転した話になりますが私が低学年、中学年の頃に高学年の子供が自分らに指導するのを見ていたことからです。

 もっとも小学生時代に年上の子供から教わるのはこうしたいいものばかりではなく、中には一方的に殴られたり蹴られたり、バスケットのコートを横取りされたりすることも多々ありました。それはそれで、「絶対にこんなクソ野郎みたいにはならないぞ」と反面教師になったので、体験したことに越したことはありませんが。

 こんな具合に、同学年の人間とだけ付き合っていれば絶対に考えたり、体験することのない経験を別学年の子供と遊ぶことで私は身に着けていったと思います。年下の子供からは責任感、年上の子供からは忍耐力というか、こういうことがほとんど意識できない小学生の時分だっただけに非常に貴重だったと思います。
 もちろん成人した今でも年齢の違う人間と付き合うとあれこれ勉強になるので小学生に限るわけじゃないですが、敢えてその価値でみるなら小学生の時ほど年齢の違う人間と付き合う意味は大きく、教育の上でも最近重要なんじゃないかと思うようになりました。

 だから今子供を持っている方たちに伝えたいのですが、可能な限り兄弟だけでなく、近所で年齢の違う子供同士であれこれ遊ばせてあげてほしいです。こうすることで何も親が教えなくとも、子供はいろんな大事なことを自分たちで学び取っていけると思うからです。

田中角栄的なるもの

 この記事は友人のSOFRANが寄稿してくれた記事です。自分とはまたいろんな面で表現方法が違うので、自分からすると読んでて面白いです。内容などについてコメントとかしてあげれば喜ぶので、よかったら皆さんもあれこれコメントしてあげてください。

  執筆者 SOFRAN

 前の土曜日に朝日新聞の「be」を読んでいると、歴代首相の人気投票なる小さな記事がありました。そのアンケートの結果はというと、、、一番人気のあった歴代首相は誰だと思いますか?

 みなさん各々、様々な顔が浮かぶと思いますが、結果は断トツで田中角栄氏がトップでした。私にはこの結果が意外で、確かに彼の首相就任当時は支持率が当時最高の70%を越え、その経歴から今太閤ともてはやされました。しかし、その後の地価上昇、物価上昇、そして自身の金脈問題を追及され退陣し、1976年にはロッキード事件によって逮捕されるまでに至りました。しかし、その後も自民党内での権力を握り、闇将軍として長く君臨しました。
 その田中角栄が、何故人気投票一位なのでしょうか? その記事の中では、政治学者が「古き良き日本人への憧憬ではないか」と分析していました。良きにつけ悪しきにつけ、昔の日本人らさを体現した人物であったということでしょうか? 

 また同じく朝日新聞が今年、「昭和といえば何を思い浮かべますか?」という質問でアンケートした際、人物項としては一位が昭和天皇、二位が田中角栄で、三位が美空ひばりだったとのことです。かくいう私も最初のアンケートの結果には意外だと感じるものの、田中角栄がそんなに嫌いではありません。

 時代は流れ、2001年4月には小泉純一郎が総裁選に出馬し、今までの首相とは異なる特異なキャラクターと「自民党をぶっ壊す」といった過激な発言もあって、小泉旋風を巻き起こし、首相の座を射とめました。この時の異常ともいえる熱狂の背景には、前の首相である森喜朗の不人気(最低支持率5,3%)があったと思います。
 当時私は15歳で、その頃から政治にも興味を持ち始め、テレビの政治ニュースを結構見ていました。その頃のテレビの論調は、とにかく森は史上最低の首相であり、このままでは日本は駄目になってしまうというもので、テレビ画面からもその沈滞ムードが漂ってくるようでした。その頃はいわゆる失われた10年に該当し、この閉塞感を打ち破る手立てはないのかというムードもありました。 

 ここでその頃の森首相に対する評価を表したかのようなエピソードを紹介します。かつてからその英語力の低さを指摘されていた森喜朗は、当時のクリントン大統領との会談を控え、外務省の秘書官からこうアドバイスされます。

「まずクリントン大統領に【How are you?】と話しかけ、相手の返事には【Me too!】と答えるように。」

 しかし、森は最初の呼びかけを「Who are you?」と間違えてしまい、それを言われた当のクリントンはジョークだと思って、「I am Hillary`s husband.」と答えた。森はすかさず「Me too!」と返事をし、クリントンを驚かせたというものです。
 また、これから会談をしようとする外国の要人に「See you again!」と挨拶をしたこともあったとのことです。前者のエピソードは作り話とも言われていますが、こんな話が出回るぐらいの状況であったことは伺えます。

 そんな閉塞感が漂う中、2000年11月には、いわゆる加藤の乱がおこります。これは、野党の提出した森内閣不信任案に加藤紘一、山崎拓が同調の動きをみせたことに対し、執行部による強烈な切り崩し工作を受け、倒閣が失敗に終わった政争です。当時、YKKとして並び称されていた小泉純一郎は森派会長(現町村派)として、加藤らの動きには反対の意をしめし、森を守る役目を果たしました。
 これによって、次期首相とも目されていた加藤紘一が失墜しましたが、この一件も翌年の小泉首相誕生の一因であったと捉えられています。

 2001年、4月、小泉純一郎は首相に就任し、2006年9月までその任を果たしました。この文章では、舌足らずで伝えきれませんが、小泉は「自民党をぶっ壊す」と絶叫していましたが、その発言はイコール「田中派から続く経世会支配をぶっ壊す」ではなかったのではないかというのが私の解釈です。

 小泉の政治家としての出発点は、清和会の祖であり、田中角栄のライバルであった福田赳夫の秘書からであり、自派閥に対する思いは、加藤の乱に対する対応から分かるように、非常に強いものであったと見てとれます。小泉構造改革の全てがそうだったとは言えませんが、経世会支配の源泉となっている(その多くは田中角栄が作り上げた)利権を解体するという目標も彼にはあったのではないでしょうか?