経済ナビ:エコカー補助9月終了 景気回復に影響も メーカー各社減産検討(毎日新聞)
麻生政権の頃に実施されたエコカー購入補助が今年九月に終了するということで、このところ自動車の駆け込み需要や景気への先行き不安といったニュースをよく見ます。このエコカー補助が始められた理由は環境保護や景気対策といえば聞こえはいいですが、始まった当初に中部大学の武田邦彦氏が、
「このエコカー減税やら補助は結局は車を買う人間にしか恩恵がなく、車を買わない、もしくは買えない人間の方からすると取られた税金が一方的に使われる制度で不公平極まりない」
と主張していました。
この武田氏の主張に私も同調し、うちの親父から「ダイハツのコペン買いなよ( ・∀・)←自分が乗りたい」と再三誘いをかけられたものの、奪う側でいるよりは奪われる側にいようと思って拒否し続けました。まぁそれ以前に貯金がなかったのが原因だけど。
またこのエコカー補助ですが、名前こそ「エコカー」であるもののそもそも現在日本で販売されている新車はどれも燃費性能が高く、一部のスポーツカーを除くと大体が補助や減税の対象となっております。確かに古い車から買い換えるのであれば燃費性能が上がって環境にもいいかもしれませんがわざわざ税金を使ってまで一挙に買い替えを勧めるべきかといったら私はそこまで優先順位は高くなく、むしろ介護や医療といった逼迫している分野へ投資する方が未来があったのではないかと思います。
また景気対策として考えてみても、確かに自動車産業は裾野が広い産業ではあるものの、どうしてこの業種にのみ購買補助が行われたのかについて公平さがありません。言ってしまえば自動車とは関係ない繊維や不動産、IT関係には一切お金が配られないのに対し、自動車産業だけは税金からお金が配られたという事で、こりゃやっぱり政治的な力関係で決まってしまったとしか思えません。
そんな感じで初めから気に入らなかったこの制度もようやく終わるそうですが、何気に自動車産業はこれから物凄い再編が行われるような気がします。というのも今後はハイブリッドエンジンに変わってモーターこと電気自動車がますます増えて普及していく事が予想されるのですが、仮にそうなった場合に劇的な産業転換が行われる必要があります。
あくまで私個人という素人の意見ですが、聞く所によると自動車部品で重きをなすのはやはりエンジン周りの部品だそうで、その部品点数も複雑な構造ゆえか非常に数が多くて自動車産業に属す企業の中でもエンジンパーツのメーカーが相当の割合を占めているそうです。
これに対して電気自動車の動力となるモーターは非常に簡単な構造をしており、組み立てに必要な部品もエンジンに比べるとはるかに少ない点数で間に合ってしまうそうです。電気自動車で今後重要になってくるのは一にも二にも電池部ですが、動力がエンジンからモーターに移り変わるだけで現在自動車産業に属す中の相当数の企業が廃業か転進を迫られる事になるかと思います。
そういう風に先を見越すと、影響を受けそうな部品メーカーは下手に延命させるよりも早くに産業転換を図っていかなければならない気がします。まぁ電気自動車が普及しなけりゃそれまでだけど。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年8月9日月曜日
2010年8月6日金曜日
最近のニュースの雑感
昨日はまたもやる気が出ずにブログ更新をサボってしまいました。私は中国に留学中も他の生徒がしょっちゅうズル休みをするのに対して始業から毎日遅刻もせずに授業に出席していたのですが、ある日寝坊をしてしまい一年間の授業でたった一日だけ遅刻をすると、その日教室入るなり教師生徒揃って大爆笑されました。このブログも他の方のブログと比べると更新数が異常に多いため、人によっては休んだりすると「あれっΣ(゚Д゚;)」っと思われてるかもしれません。
さてそういうわけで休み明けの今日ですが、今日は関東地方は雲が多くて久々に朝方に涼しさを感じられて夜になった今も昨日と比べると俄然元気です。最近やけに体がだるいのは間違いなく今年の猛暑のせいでしょうが、今年の夏は私が今まで生きてきた中で一番暑いんじゃないかと思うくらい嫌になります。アイスランドの火山や桜島が噴火しているので噴煙の影響を受けて今年は冷夏になると予想していたのですが、一体何がどう間違えてこんだけ暑くなったのかNHKの半井さんに詳しく問い詰めてみたいです。
そろそろ記事の本題に移りますが、このところ興味を惹くものの一本の記事に仕上げるにまで至らないニュースが多いので、今日はちょっといつもと趣向を変えて各ニュースを紹介しながらそれぞれに私の意見を載せて行く事にします。
首相「核抑止力は必要」 秋葉市長発言を牽制(産経新聞)
8/6の広島原爆の日を迎えた今日の会見で菅首相は非核三原則を堅持する重要性を訴えつつも、核兵器や大量破壊兵器の流出が相次ぐ今の時代において、特に北朝鮮の核開発問題への対策としてアメリカの「核の傘」に入る「核抑止力」の必要性を主張しました。
発言の内容自体は核不拡散を訴える日本の立場を堅持するとともに現実路線に則ったものでおかしなものではなく、むしろ理想ばかり追っかけずに最低限必要なことは言うのだなと思える内容なのですが、今日たまたま正午のNHKニュースでこの会見を見ていたのですが、菅首相は見事なくらいに手元を見ながら朗読をし続けていました。多分最後の、「~と思います」くらいしかオリジナルの発言はなかったんじゃないかな。小学生でももう少し前向いて台本どおりに喋るぞ。
別に悪い事じゃないけど、外務省作成のペーパー通りにしか発言が出来ない首相というのもどんなものかと。ちなみにペーパーというと官僚の言うことを聞かないため自分勝手に話す小泉元首相、渡されても漢字が読めない麻生元首相など、最近は人によって傾向が変わってきてますが。
杉並の都内最高齢女性不明:杉並区、100歳以上面談調査へ /東京(毎日新聞)
日本で二番目に長寿とされた男性が実は30年以上前に死んでいたという事件を受けて全国各地で一挙に調査が始まり、あれよあれよと高齢行方不明者が日本であふれ出る事となりました。ちょっと無理矢理な関連付けかもしれませんが7月の文芸春秋にてある海堂尊氏が、日本は死者の死因特定をあまりやりたがらず事件性のあるもの、ない物を含めて非常にいびつで怪しい診断が多いとし、今では簡単に調べられるCTでも大部分の死因特定が出来るようになったのだからもっと死因特定を行って研究するべきだという記事を寄せてました。
図らずも今回のこの一件で日本は医療の現場のみならず行政上でも死者の扱いがいびつな状態にあることが分かりった訳ですが、今回の件は年金横領の疑いもあることで見ている国民もピリピリしており、この際徹底的に特定と対策を行わねば後に大きな禍根を残す事になることは予想に難くありません。長妻厚生大臣は高齢者を全部調査したら膨大な作業になるとして110歳以上に限って調査をすると発表しましたが、今回死んでいたことが明らかになった方は80歳頃に死んでいたことを考えるとこの110歳という区切り方はいまいち納得が出来ません。第一、高齢者であれば大半は何かしら医者にかかる年齢なので、この二、三年の間に健康保険を使用しているかどうかを調べるだけで大多数の生存確認ができる事を考えると、長妻大臣の言うように調査に膨大な手間がかかるとは私には思えません。この人ももう官僚に取り込まれたのだろうか。
元交際相手の男に懲役23年=「枠超えた重い刑不相当」―女性殺害、次女連れ去り(時事通信)
上記リンクのニュースは去年に元交際相手の女性を連れ去るために61歳の女性の母親を殺害した被告に対して懲役23年の判決が下りたというニュースですが、この裁判で被告は「もみ合っているうちに首が切れた」と主張するなど何度も刺し傷があったにもかかわらず殺意を否認する発言をした上、元交際相手の女性を連れまわしたことも合意の上だと話すなど全く事件について反省がないにもかかわらず有期刑となっています。私はこの事件でいくらなんでも有期刑というのはどう考えても低すぎ、出来るなら死刑、最低でも無期懲役とするべきだと思うのですが、千葉の裁判所はどうもよその事件との兼ね合いの方が重要に考えるようです。こういった面を含めて、司法改革が今一番日本にとって大事なんじゃないかと感じるのですが。
さてそういうわけで休み明けの今日ですが、今日は関東地方は雲が多くて久々に朝方に涼しさを感じられて夜になった今も昨日と比べると俄然元気です。最近やけに体がだるいのは間違いなく今年の猛暑のせいでしょうが、今年の夏は私が今まで生きてきた中で一番暑いんじゃないかと思うくらい嫌になります。アイスランドの火山や桜島が噴火しているので噴煙の影響を受けて今年は冷夏になると予想していたのですが、一体何がどう間違えてこんだけ暑くなったのかNHKの半井さんに詳しく問い詰めてみたいです。
そろそろ記事の本題に移りますが、このところ興味を惹くものの一本の記事に仕上げるにまで至らないニュースが多いので、今日はちょっといつもと趣向を変えて各ニュースを紹介しながらそれぞれに私の意見を載せて行く事にします。
首相「核抑止力は必要」 秋葉市長発言を牽制(産経新聞)
8/6の広島原爆の日を迎えた今日の会見で菅首相は非核三原則を堅持する重要性を訴えつつも、核兵器や大量破壊兵器の流出が相次ぐ今の時代において、特に北朝鮮の核開発問題への対策としてアメリカの「核の傘」に入る「核抑止力」の必要性を主張しました。
発言の内容自体は核不拡散を訴える日本の立場を堅持するとともに現実路線に則ったものでおかしなものではなく、むしろ理想ばかり追っかけずに最低限必要なことは言うのだなと思える内容なのですが、今日たまたま正午のNHKニュースでこの会見を見ていたのですが、菅首相は見事なくらいに手元を見ながら朗読をし続けていました。多分最後の、「~と思います」くらいしかオリジナルの発言はなかったんじゃないかな。小学生でももう少し前向いて台本どおりに喋るぞ。
別に悪い事じゃないけど、外務省作成のペーパー通りにしか発言が出来ない首相というのもどんなものかと。ちなみにペーパーというと官僚の言うことを聞かないため自分勝手に話す小泉元首相、渡されても漢字が読めない麻生元首相など、最近は人によって傾向が変わってきてますが。
杉並の都内最高齢女性不明:杉並区、100歳以上面談調査へ /東京(毎日新聞)
日本で二番目に長寿とされた男性が実は30年以上前に死んでいたという事件を受けて全国各地で一挙に調査が始まり、あれよあれよと高齢行方不明者が日本であふれ出る事となりました。ちょっと無理矢理な関連付けかもしれませんが7月の文芸春秋にてある海堂尊氏が、日本は死者の死因特定をあまりやりたがらず事件性のあるもの、ない物を含めて非常にいびつで怪しい診断が多いとし、今では簡単に調べられるCTでも大部分の死因特定が出来るようになったのだからもっと死因特定を行って研究するべきだという記事を寄せてました。
図らずも今回のこの一件で日本は医療の現場のみならず行政上でも死者の扱いがいびつな状態にあることが分かりった訳ですが、今回の件は年金横領の疑いもあることで見ている国民もピリピリしており、この際徹底的に特定と対策を行わねば後に大きな禍根を残す事になることは予想に難くありません。長妻厚生大臣は高齢者を全部調査したら膨大な作業になるとして110歳以上に限って調査をすると発表しましたが、今回死んでいたことが明らかになった方は80歳頃に死んでいたことを考えるとこの110歳という区切り方はいまいち納得が出来ません。第一、高齢者であれば大半は何かしら医者にかかる年齢なので、この二、三年の間に健康保険を使用しているかどうかを調べるだけで大多数の生存確認ができる事を考えると、長妻大臣の言うように調査に膨大な手間がかかるとは私には思えません。この人ももう官僚に取り込まれたのだろうか。
元交際相手の男に懲役23年=「枠超えた重い刑不相当」―女性殺害、次女連れ去り(時事通信)
上記リンクのニュースは去年に元交際相手の女性を連れ去るために61歳の女性の母親を殺害した被告に対して懲役23年の判決が下りたというニュースですが、この裁判で被告は「もみ合っているうちに首が切れた」と主張するなど何度も刺し傷があったにもかかわらず殺意を否認する発言をした上、元交際相手の女性を連れまわしたことも合意の上だと話すなど全く事件について反省がないにもかかわらず有期刑となっています。私はこの事件でいくらなんでも有期刑というのはどう考えても低すぎ、出来るなら死刑、最低でも無期懲役とするべきだと思うのですが、千葉の裁判所はどうもよその事件との兼ね合いの方が重要に考えるようです。こういった面を含めて、司法改革が今一番日本にとって大事なんじゃないかと感じるのですが。
2010年8月4日水曜日
過剰な消費者保護によって起こる弊害
最近元気のない記事が続いているので、久々に手のかかる記事を書こうと思います。
さて世の中経済々々とそれしかこの世にはないのかって言いたくなるくらいにみんなして経済を良くしなければと口々に言っていますが、単純に経済を良くする為にはどうすればよいのでしょうか。この経済を良くするための処方箋は時代によって異なり、戦前の日本であれば如何にして生産力を上げるかが最も重要視されましたが、近現代の日本においてはいかに消費力(主に国内の)を上げるかに注力されました。
この生産力と消費力ですが、言ってしまえばこの二つのうち片方だけが良くとも経済が好転するわけでもなく、効率よく力強い経済システムをつくるためにはこの生産と消費が二つ噛み合って高い水準になければならず、これは言い換えるなら物やサービスを作って付加価値をつける生産者、それらを購入して消費する消費者それぞれが成長しなければ経済も成長しないという事です。先ほど近現代では消費力を上げる事に政府は注力していると書きましたが、これは現代日本の生産力に比して消費力が不足しているという考え方からの処方策です。
このように消費と生産は車の両輪のよう揃っていなければいい経済にはならないのですが、生産者側、言い換えると物やサービスの売り手側の努力に対して近年の日本人消費者の行動や反応ぶりがこのところいささか目に余るというか、かえって全体利益を損なわせているのではないかと思うところがあります。もう早いところ結論を述べると、ちょっとこのところは政府や世間は消費者を甘やかし過ぎなんじゃないかと言いたいわけです。
私がこのように思うようになったのも、先日に政府で100円ライターの販売禁止が検討されている事が一つの大きなきっかけになりました。
事の起こりはこうで、小さい子供らを車の中に残しておいたところ、所有者である子供の親が置いていたライターを子供がいじくったのか車が炎上してしまい、そのまま数名の子供が火傷で死亡した事件が今年にありました。この事件が起こるや設立の初めからきな臭くは感じてはいましたが消費者庁が飛びつき、子供が遊ぶと危険だからしっかりとした対策がなされない限りは現行の100円ライターは全面禁止にしようと言い出しました。
しかし100円ライターを子供に渡しても平気なほどの対策を行うとなると明らかに製造コストが跳ね上がり、現製造メーカーらは規制が作られれば廃業してしまうと主張したものの消費者庁はだったら廃業してしまえと言わんばかりに、今でも聞く耳を持っていません。
そもそもの話、私はライターを子供の手の届く所に置いていたことこそが一番問題だと思います。厳しい意見となりますが子供が死亡した先ほどの車の炎上事件ではライターが置かれていた車内、さらには燃えやすい可燃物も置かれていたそうで、寝ていたとはいえ子供をそんなところに置きざりにしていたのですから同情こそするもののそれでライターを置いていたことが事故の原因とするのにはおかしさを感じます。
またこの100円ライター同様、二年前の秋葉原連続殺傷事件で両刃のナイフが使われたことを受けてすぐさま一定の長さ以上の両刃ナイフが販売はおろか使用まで禁止されましたが、牡蠣の養殖業を携わる方によると閉じた牡蠣の殻を割って中身を取り出す際に細身の両刃ナイフが長年使用され続けてきたのですが、この新しい規制によってこのナイフまで使用禁止となり、使用していた場合には罰金刑が課されるようになってしまったそうです。
100円ライターにしろ両刃ナイフにしろ、絶対的多数の人間、それこそ99%以上の人間が本来の生活上役に立つ使い方をしていたにもかかわらず、1%にも満たない不心得物が間違った使い方をしたのを受けて正直者99%に使用を禁止するなんて、どれだけ馬鹿な世の中なんだと言いたくなってくる話です。
特に100円ライターについては私は煙草を吸わないものの、家で逝去した祖父母に線香を焚く際によく使いますし、突然の大地震やバイオハザードが起きてゾンビが街に溢れたりするサバイバルな状況下では非常に有用なツールになるので禁止されるなんてふざけるなと声を大にして言いたいです。まぁバイオハザードはともかくとして、線香に火を点けるのであればチャッカマンでもいいのではと言う声もあるかもしれませんが、それだとライターが駄目でチャッカマンがいいという論理がまたおかしい気がします。第一、煙草に火を点けるのもチャッカマンに変えたら余計に危ない気がするし。
このように近年は何か事件や事故、しかも明らかに使用者側に問題があると思われるケースが起こるたびにすぐ規制がかかって関係のないほかの使用者も使えなくなるということが増えているように思えます。消費者保護といっては聞こえはいいですが実態的には単なるメーカーやまじめな使用者イジメにしかなっておらず、メーカー側もこうしたわけの分からない規制やクレームに対応しなければならないことを考えると社会全体に対して重いコストにしかなっていません。
もちろん商取引上、生産者(販売者)の方が消費者に対して偽装や欠陥を秘匿することができるため基本的には消費者保護の姿勢を社会は持たねばなりませんが、過剰な消費者保護は生産者はおろか真っ当な消費者の利益をも阻害しかねないと私は考えます。
特に近年は脅迫まがいのわけの分からないクレームをつける人間も増えており、消費者を保護する一方で真面目な生産者を社会が保護する必要性も現れてきたかと思います。生産者の側も商品やサービスを提供するからと言ってなんでもかんでも頭を下げても結局はそういったクレーマーを助長させることにしかならず、そろそろ正当なクレームと脅迫はしっかりと分けて、脅迫をしてくる人間に対しては「帰れボケッ( ゚皿゚)キーッ!!」って、時には怒鳴り返すことを社会も認めるべきでしょう。あくまで時にはだけれど。
さて世の中経済々々とそれしかこの世にはないのかって言いたくなるくらいにみんなして経済を良くしなければと口々に言っていますが、単純に経済を良くする為にはどうすればよいのでしょうか。この経済を良くするための処方箋は時代によって異なり、戦前の日本であれば如何にして生産力を上げるかが最も重要視されましたが、近現代の日本においてはいかに消費力(主に国内の)を上げるかに注力されました。
この生産力と消費力ですが、言ってしまえばこの二つのうち片方だけが良くとも経済が好転するわけでもなく、効率よく力強い経済システムをつくるためにはこの生産と消費が二つ噛み合って高い水準になければならず、これは言い換えるなら物やサービスを作って付加価値をつける生産者、それらを購入して消費する消費者それぞれが成長しなければ経済も成長しないという事です。先ほど近現代では消費力を上げる事に政府は注力していると書きましたが、これは現代日本の生産力に比して消費力が不足しているという考え方からの処方策です。
このように消費と生産は車の両輪のよう揃っていなければいい経済にはならないのですが、生産者側、言い換えると物やサービスの売り手側の努力に対して近年の日本人消費者の行動や反応ぶりがこのところいささか目に余るというか、かえって全体利益を損なわせているのではないかと思うところがあります。もう早いところ結論を述べると、ちょっとこのところは政府や世間は消費者を甘やかし過ぎなんじゃないかと言いたいわけです。
私がこのように思うようになったのも、先日に政府で100円ライターの販売禁止が検討されている事が一つの大きなきっかけになりました。
事の起こりはこうで、小さい子供らを車の中に残しておいたところ、所有者である子供の親が置いていたライターを子供がいじくったのか車が炎上してしまい、そのまま数名の子供が火傷で死亡した事件が今年にありました。この事件が起こるや設立の初めからきな臭くは感じてはいましたが消費者庁が飛びつき、子供が遊ぶと危険だからしっかりとした対策がなされない限りは現行の100円ライターは全面禁止にしようと言い出しました。
しかし100円ライターを子供に渡しても平気なほどの対策を行うとなると明らかに製造コストが跳ね上がり、現製造メーカーらは規制が作られれば廃業してしまうと主張したものの消費者庁はだったら廃業してしまえと言わんばかりに、今でも聞く耳を持っていません。
そもそもの話、私はライターを子供の手の届く所に置いていたことこそが一番問題だと思います。厳しい意見となりますが子供が死亡した先ほどの車の炎上事件ではライターが置かれていた車内、さらには燃えやすい可燃物も置かれていたそうで、寝ていたとはいえ子供をそんなところに置きざりにしていたのですから同情こそするもののそれでライターを置いていたことが事故の原因とするのにはおかしさを感じます。
またこの100円ライター同様、二年前の秋葉原連続殺傷事件で両刃のナイフが使われたことを受けてすぐさま一定の長さ以上の両刃ナイフが販売はおろか使用まで禁止されましたが、牡蠣の養殖業を携わる方によると閉じた牡蠣の殻を割って中身を取り出す際に細身の両刃ナイフが長年使用され続けてきたのですが、この新しい規制によってこのナイフまで使用禁止となり、使用していた場合には罰金刑が課されるようになってしまったそうです。
100円ライターにしろ両刃ナイフにしろ、絶対的多数の人間、それこそ99%以上の人間が本来の生活上役に立つ使い方をしていたにもかかわらず、1%にも満たない不心得物が間違った使い方をしたのを受けて正直者99%に使用を禁止するなんて、どれだけ馬鹿な世の中なんだと言いたくなってくる話です。
特に100円ライターについては私は煙草を吸わないものの、家で逝去した祖父母に線香を焚く際によく使いますし、突然の大地震やバイオハザードが起きてゾンビが街に溢れたりするサバイバルな状況下では非常に有用なツールになるので禁止されるなんてふざけるなと声を大にして言いたいです。まぁバイオハザードはともかくとして、線香に火を点けるのであればチャッカマンでもいいのではと言う声もあるかもしれませんが、それだとライターが駄目でチャッカマンがいいという論理がまたおかしい気がします。第一、煙草に火を点けるのもチャッカマンに変えたら余計に危ない気がするし。
このように近年は何か事件や事故、しかも明らかに使用者側に問題があると思われるケースが起こるたびにすぐ規制がかかって関係のないほかの使用者も使えなくなるということが増えているように思えます。消費者保護といっては聞こえはいいですが実態的には単なるメーカーやまじめな使用者イジメにしかなっておらず、メーカー側もこうしたわけの分からない規制やクレームに対応しなければならないことを考えると社会全体に対して重いコストにしかなっていません。
もちろん商取引上、生産者(販売者)の方が消費者に対して偽装や欠陥を秘匿することができるため基本的には消費者保護の姿勢を社会は持たねばなりませんが、過剰な消費者保護は生産者はおろか真っ当な消費者の利益をも阻害しかねないと私は考えます。
特に近年は脅迫まがいのわけの分からないクレームをつける人間も増えており、消費者を保護する一方で真面目な生産者を社会が保護する必要性も現れてきたかと思います。生産者の側も商品やサービスを提供するからと言ってなんでもかんでも頭を下げても結局はそういったクレーマーを助長させることにしかならず、そろそろ正当なクレームと脅迫はしっかりと分けて、脅迫をしてくる人間に対しては「帰れボケッ( ゚皿゚)キーッ!!」って、時には怒鳴り返すことを社会も認めるべきでしょう。あくまで時にはだけれど。
2010年8月3日火曜日
最近ハマッている漫画
土曜日曜は一日十時間眠っていたのに対し月曜と昨夜は5時間くらいしか眠れなかったのがたたって、どうにも頭がボーっとします。通勤がもう少し短ければなぁ……。
そんなわけでまた趣味の漫画の話を今日はしようかと思いますが、実はこのところ漫画の購入量が急激に増えています。私は普段は漫画喫茶などを利用するなどして新刊はチェックするのですが、一回読むだけでは納得行かないと思えるいい作品にこのところよく会えています。
そんな中今一番はまっている作品ですが、もったいぶらずに言うと弐瓶勉氏の「シドニアの騎士」という漫画です。元々弐瓶勉氏についてはデビュー作の「BLAME!」の頃から知っており、当時からも他の漫画家と大きく一線を画す、巨大な建築物とその間における人間の対比が絶妙といえるような絵柄と、一回読んだだけじゃ全く何も理解できない超絶難解なストーリー構成から只者ではないと思っていましたが、現在も連載中のこの「シドニアの騎士」は「BLAME!」と比べて絵も内容も随分とマイルドになり、なおかつストーリーの重厚さは失われていなかったので改めてすごい漫画家だと思い知らされました。また「BLAME!」も買いなおそうかな。
弐瓶勉氏と並んで今私がもう一つはまっているのに、押切蓮介氏の「でろでろ」があります。元々押切蓮介氏はある日知ってしまった「ミスミソウ」という作品のストーリーがかなりアレだと聞いて興味が湧き、ひとまずデビュー作の「でろでろ」から読んでみようと手に取ったのがきっかけでした。
「でろでろ」の内容を簡単に紹介すると、これは一話完結型のギャグホラー作品なのですがなかなか癖になる話も多く、なおかつ意外と言っては失礼かもしれませんがキャラクターの書き分けが上手くて何度読み返しても面白いと素直に感じました。押切氏の絵についてもう一言加えると、最近の漫画家にしては非常に珍しくベタ(黒一色で塗りつぶす効果)の使い方が上手く、近年の漫画家が髪の毛をスクリーントーンを貼り付けて表現するのに対して押切氏はベタとケズリで器用に表現しています。こんなことしているのといったら他には「もやしもん」の作者と石川雅之氏くらいしか出てこないし。
そんなわけでまた趣味の漫画の話を今日はしようかと思いますが、実はこのところ漫画の購入量が急激に増えています。私は普段は漫画喫茶などを利用するなどして新刊はチェックするのですが、一回読むだけでは納得行かないと思えるいい作品にこのところよく会えています。
そんな中今一番はまっている作品ですが、もったいぶらずに言うと弐瓶勉氏の「シドニアの騎士」という漫画です。元々弐瓶勉氏についてはデビュー作の「BLAME!」の頃から知っており、当時からも他の漫画家と大きく一線を画す、巨大な建築物とその間における人間の対比が絶妙といえるような絵柄と、一回読んだだけじゃ全く何も理解できない超絶難解なストーリー構成から只者ではないと思っていましたが、現在も連載中のこの「シドニアの騎士」は「BLAME!」と比べて絵も内容も随分とマイルドになり、なおかつストーリーの重厚さは失われていなかったので改めてすごい漫画家だと思い知らされました。また「BLAME!」も買いなおそうかな。
弐瓶勉氏と並んで今私がもう一つはまっているのに、押切蓮介氏の「でろでろ」があります。元々押切蓮介氏はある日知ってしまった「ミスミソウ」という作品のストーリーがかなりアレだと聞いて興味が湧き、ひとまずデビュー作の「でろでろ」から読んでみようと手に取ったのがきっかけでした。
「でろでろ」の内容を簡単に紹介すると、これは一話完結型のギャグホラー作品なのですがなかなか癖になる話も多く、なおかつ意外と言っては失礼かもしれませんがキャラクターの書き分けが上手くて何度読み返しても面白いと素直に感じました。押切氏の絵についてもう一言加えると、最近の漫画家にしては非常に珍しくベタ(黒一色で塗りつぶす効果)の使い方が上手く、近年の漫画家が髪の毛をスクリーントーンを貼り付けて表現するのに対して押切氏はベタとケズリで器用に表現しています。こんなことしているのといったら他には「もやしもん」の作者と石川雅之氏くらいしか出てこないし。
2010年8月2日月曜日
組織拡大と綱領について
イギリス元首相のトニー・ブレアとなると日本ではジュニアブッシュに追従してイラク戦争に参戦したことからあまりいい評判ではありませんが、こと内政に関しては長く続いたイギリス病と呼ばれる長期不況から脱するなど目覚しい功績を残しております。そんな彼の経歴ですが、労働党の党首に若くして就任するやそれまでの労働党が持っていた社会福祉の絶対重視という綱領を一部捨て、保守党のマーガレット・サッチャーに始まる「第三の道」こと新自由主義路線の政策を採って中産階級にも支持を大きく広げることでなんと44歳という若さで英国首相という地位に上り詰めております。
トニー・ブレアの細かい政策内容についてまでは言及しませんが、彼は社会主義的性格の強い労働党の労働者保護などといった綱領を一部緩めるという事で組織拡大に成功したわけなのですが、早くから結論を述べると基本的に組織というのは綱領を強めた所ほど組織が縮小し、逆に緩めたところは組織拡大が起こる傾向があると以前から見ております。
同じく社会主義政党で英国労働党とちょうど好対照なのは日本の社民党なのですが、ここは冷戦が終わって社会主義国家像が薄れてからは以前よりも労働者保護と憲法護持という従来の主張をどんどんと強めていったのですが、結果は見ての通りですでに生息と息の泡沫政党にまで成り下がってしまいました。
私は組織というのは基本的に、アメーバのようなブヨブヨした流動体のような形で想像しております。組織というのはそのようにブヨブヨしているものだから、いくら綱領という凝固剤を投入したとしても時間が経つにつれてどんどんと崩れ落ちて行き、ボーっとしているとそのまま組織自体がなくなってしまうように考えています。
では組織を維持するためには何が必要なのかといえば、単純に行って門戸を大きく開き、新規の加入員をどんどんと連れてくることが何よりも大事です。たとえ一時期に大きな人気を博した綱領(憲法護持など)も経年劣化は避けられるわけもなく、時代ごとに求められる新たな概念を打ち出さなければ政党というものは自然消滅していくように思えます。
なにも日本の社民党に限らず世界的にも落ち目になってから従来からの支持者を強く繋ぎとめようと昔から持っている綱領を強めた組織は数多くありますが、結果的にはどれも余計に門戸を狭める事になって消滅を早める例が多いです。
何も綱領を全く持たずに緩々の組織であれば言いというわけではありませんが、がちがちに綱領を固めればいいってもんでもないという事でよくこのトニー・ブレアの話はあちこちでするようにしております。
翻って今の日本の消費市場ですが、どこの企業も対象とする顧客を強くゾーニングし、限られた顧客層に強く商品を売り出そうという傾向がこのところ強く見えます。顧客対象を調査して狙いをつけるということ自体は悪いというつもりはありませんが、なんていうか新たな商品をこれまであまり縁のなかった顧客層にもどんどん広げて行こうという、拡大していこうというような気概がどうもこのところ感じられません。昔のチキンラーメンみたいに、日本の食を変えてやるというような商品がでてこないものかとこのところよく思います。
トニー・ブレアの細かい政策内容についてまでは言及しませんが、彼は社会主義的性格の強い労働党の労働者保護などといった綱領を一部緩めるという事で組織拡大に成功したわけなのですが、早くから結論を述べると基本的に組織というのは綱領を強めた所ほど組織が縮小し、逆に緩めたところは組織拡大が起こる傾向があると以前から見ております。
同じく社会主義政党で英国労働党とちょうど好対照なのは日本の社民党なのですが、ここは冷戦が終わって社会主義国家像が薄れてからは以前よりも労働者保護と憲法護持という従来の主張をどんどんと強めていったのですが、結果は見ての通りですでに生息と息の泡沫政党にまで成り下がってしまいました。
私は組織というのは基本的に、アメーバのようなブヨブヨした流動体のような形で想像しております。組織というのはそのようにブヨブヨしているものだから、いくら綱領という凝固剤を投入したとしても時間が経つにつれてどんどんと崩れ落ちて行き、ボーっとしているとそのまま組織自体がなくなってしまうように考えています。
では組織を維持するためには何が必要なのかといえば、単純に行って門戸を大きく開き、新規の加入員をどんどんと連れてくることが何よりも大事です。たとえ一時期に大きな人気を博した綱領(憲法護持など)も経年劣化は避けられるわけもなく、時代ごとに求められる新たな概念を打ち出さなければ政党というものは自然消滅していくように思えます。
なにも日本の社民党に限らず世界的にも落ち目になってから従来からの支持者を強く繋ぎとめようと昔から持っている綱領を強めた組織は数多くありますが、結果的にはどれも余計に門戸を狭める事になって消滅を早める例が多いです。
何も綱領を全く持たずに緩々の組織であれば言いというわけではありませんが、がちがちに綱領を固めればいいってもんでもないという事でよくこのトニー・ブレアの話はあちこちでするようにしております。
翻って今の日本の消費市場ですが、どこの企業も対象とする顧客を強くゾーニングし、限られた顧客層に強く商品を売り出そうという傾向がこのところ強く見えます。顧客対象を調査して狙いをつけるということ自体は悪いというつもりはありませんが、なんていうか新たな商品をこれまであまり縁のなかった顧客層にもどんどん広げて行こうという、拡大していこうというような気概がどうもこのところ感じられません。昔のチキンラーメンみたいに、日本の食を変えてやるというような商品がでてこないものかとこのところよく思います。
2010年7月31日土曜日
私が今までにやったホラーゲーム
昨日は友人と深夜一時まで話をし、その後お腹がすいてそうめんを食べたので就寝は深夜二時でした。今朝は10時半まで寝たので睡眠時間はそこそこ取れているものの、平日は六時間弱しか睡眠時間が取れないので今日の昼間に二時間昼寝を取ったもののまだ眠いです。横綱白鵬は一日十六時間眠るそうですが、私もここまでとは行かずとも全盛期(中国留学中)は十時間眠るのがざらだったので今の生活リズムだとやっぱり普段はボーっとしてしまいます。そもそも寝過ぎなのが一番よくないのだけれど。
そこで今日も引き続き緩いネタをと思い、一つこれまでに私がやってきた、見てきた日本のホラーゲームを一部レビューとともに紹介しようと思います。何故にホラーゲームかというと、範囲が狭くてあまり他に解説するところも少ないだろうという打算があっての物であります。
1、スウィートホーム(ファミコン)
同盟の映画を原作としたホラーRPGゲーム。このゲームを作ったのは後述する「バイオ・ハザード」を作ったカプコンであるが、このゲームに関わったスタッフの一部が「バイオ・ハザード」の開発に携わっておりその土台になったと言われている。
このゲームの特徴はなんといっても、「一度死んだキャラはそのゲーム中、二度と甦らない」というRPGとしては厳しいルールです。通常のRPGではドラゴンクエストよろしくたとえ戦闘で死んでも甦らせるなどして戦闘に復帰させる事が出来るのですが、この「スウィートホーム」ではそんな生易しい救済措置などなく、問答無用でゲーム世界から追放されます。しかも最終的にはクリア時に生き残ったメンバー数によってエンディングが変化するので、やっている間は常に強い緊張感を持ち続けて遊ぶ事が出来ました。
そうしたゲーム上のルールもさることながらこのゲームでは恐怖の演出も上手く出来ており、ドット絵ながらも恐怖感の持てるグラフィックに館に仕掛けられたトラップなどお約束と思いつつもなかなかドキドキさせられました。特にネタバレになりますが重要キャラの「山村」のラストシーンはリアルに怖かったです
2、弟切草(スーパーファミコン)
現在でこそ大分一般的となったノベル系ゲームですが、その嚆矢となったこの「弟切草」からしてホラー要素が強く、次回作の「かまいたちの夜」を始めとしてその後のノベル系ゲームに大きな方向性を与えた偉大な第一作と考えて間違いないでしょう。
淡々と文章をグラフィック、BGMとともに読む。一体これのどこが面白いのかと問われると答えに困ってしまいますがそれでも面白いのだからなおすごいノベル系ゲームですが、その第一作の「弟切草」はさびれた館にカップルが迷い込むというお決まりの導入から始まりますが、そっから先は全く予想がつかないほどの膨大な選択肢とテキスト量にプレイヤーは圧倒されたかと思います。またグラフィック面でもちょうどファミコンからスーパーファミコンに移行した頃だったので、実際にプレイした私でもゾンビの顔グラフィックが怖くて仕方がありませんでした。
この「弟切草」の後、「かまいたちの夜」を始めとしてノベルゲームは続出しましたが、述べるゲームの完成系というのであれば「かまいたちの夜」が挙がりますが、テキスト寮や選択肢の豊富さを言うのであれば未だにこの「弟切草」を超えるものは出ていないかと思います。
3、零(PS2)
過去に「零~紅い蝶」についてレビューをこのブログで書いたことがありますが、このテクモの出した「零」シリーズの特徴を一言で言うならば、純粋な和風ホラーを追求した点にあるかと思います。舞台はシリーズを通して和風の屋敷や村で出てくる霊もしょっちゅう着物を着ており、しかもそんな怖い霊に対してカメラを撮って攻撃するという、見たくもないものを無理矢理見させて攻略させるこのシステムが恐らく海外の方でもヒットした要因でしょう。
私自身はこのゲームは面白いとは思うものの特段怖いと感じることはなく、むしろその綺麗なグラフィックと、Xbox版のわけの分からないコスチュームの多さの方が気に成りました。
4、DEEP FEAR(セガサターン)
多分このゲームは知っている人も少なそうですが、当時大ヒットしていた「バイオハザード」に追従する形でセガが作ったサバイバルホラーゲームです。このゲームの特徴ははっきり言って殆んどがバイオハザードと一緒なんですが、舞台が海底基地ということから常に室内の酸素量を気にしなければならないこと、敵クリーチャーの造形がそこそこよかった(全体的に映画の「エイリアン」っぽい)という点で異なっています。ただ残念というか私の友人から酷評されていた点として武器に使う弾薬が無限に補給できてしまうため、この点が制限されていた「バイオハザード」と違って緊張感がなかったとされています。
私はストーリーとか全体的に出来は悪くなかったと思うのですが、そもそもが二番煎じであったためにそれなりの結果になってしまったのではないかと思います。続編も出なかったし。
5、バイオハザード2(PS)
ご存知日本が誇るホラーゲームの金字塔となったこの一作。一応シリーズは1、2、3、4、アウトブレイク、Code Veronicaはやっているのですが敢えてここでは世界的ヒットを生んだ2を取り上げることにします。
この「バイオハザード」がどうしてここまで高い評価を得られたかといえば、ひとえにまずゲームの開発環境が揃ったということがあったのではないかと思います。スーパーファミコンからプレイステーションへ、当時に次世代機と呼ばれたハードへの以降があって3D描写も容易となり、これまで作ろうと思っていたものの作れなかったゲームが開発できる環境に至ってゾンビに横スクロールではなく追いかけられるこのゲームが成立し、それがユーザーの嗜好にマッチしたのが大きいように思います。
またこのバイオハザードが成功したもうひとつの要因として、比較的高めの難易度、現実に存在する武器を使って戦う、そしてその使用回数が限られているというサバイバルホラーの名に恥じない要素も大きかったでしょう。
一作目も十分に売れましたが世界的に大きな成功を収めたこの「バイオハザード2」はストーリー自体はB級ホラーもいいとこでしたが、
・1プレイ時間が約三時間
・二人の主人公にそれぞれ表編、裏編とシナリオが二つある
・クリア後のおまけ要素が盛りだくさん
・結構しつこいタイラント
といった要素があって繰り返し遊べたがゆえに私も相当のめりこんでやってました。無駄にラスボス相手にハンドガンで戦ったり。
なおこの「バイオハザード2」のテレビCMではハリウッド俳優で天才子役として一時名を馳せたブラッド・レンフロ氏が出演していましたが、この人は二年前にコカイン中毒のためわずか26歳で夭折してしまいました。今じゃすっかり「バイオハザード」と来ると映画のミラ・ジョボビッチ氏が挙がって来ますが、ブラッド・レンフロ氏のデビュー作の「依頼人」を観ているだけに私の中では未だにこの人が浮かんできたりします。
まだまだ紹介するホラーゲームはありますが、ひとまず今日はここまでにしておきます。意外と書いてみたらつまらなかったし。
そこで今日も引き続き緩いネタをと思い、一つこれまでに私がやってきた、見てきた日本のホラーゲームを一部レビューとともに紹介しようと思います。何故にホラーゲームかというと、範囲が狭くてあまり他に解説するところも少ないだろうという打算があっての物であります。
1、スウィートホーム(ファミコン)
同盟の映画を原作としたホラーRPGゲーム。このゲームを作ったのは後述する「バイオ・ハザード」を作ったカプコンであるが、このゲームに関わったスタッフの一部が「バイオ・ハザード」の開発に携わっておりその土台になったと言われている。
このゲームの特徴はなんといっても、「一度死んだキャラはそのゲーム中、二度と甦らない」というRPGとしては厳しいルールです。通常のRPGではドラゴンクエストよろしくたとえ戦闘で死んでも甦らせるなどして戦闘に復帰させる事が出来るのですが、この「スウィートホーム」ではそんな生易しい救済措置などなく、問答無用でゲーム世界から追放されます。しかも最終的にはクリア時に生き残ったメンバー数によってエンディングが変化するので、やっている間は常に強い緊張感を持ち続けて遊ぶ事が出来ました。
そうしたゲーム上のルールもさることながらこのゲームでは恐怖の演出も上手く出来ており、ドット絵ながらも恐怖感の持てるグラフィックに館に仕掛けられたトラップなどお約束と思いつつもなかなかドキドキさせられました。特にネタバレになりますが重要キャラの「山村」のラストシーンはリアルに怖かったです
2、弟切草(スーパーファミコン)
現在でこそ大分一般的となったノベル系ゲームですが、その嚆矢となったこの「弟切草」からしてホラー要素が強く、次回作の「かまいたちの夜」を始めとしてその後のノベル系ゲームに大きな方向性を与えた偉大な第一作と考えて間違いないでしょう。
淡々と文章をグラフィック、BGMとともに読む。一体これのどこが面白いのかと問われると答えに困ってしまいますがそれでも面白いのだからなおすごいノベル系ゲームですが、その第一作の「弟切草」はさびれた館にカップルが迷い込むというお決まりの導入から始まりますが、そっから先は全く予想がつかないほどの膨大な選択肢とテキスト量にプレイヤーは圧倒されたかと思います。またグラフィック面でもちょうどファミコンからスーパーファミコンに移行した頃だったので、実際にプレイした私でもゾンビの顔グラフィックが怖くて仕方がありませんでした。
この「弟切草」の後、「かまいたちの夜」を始めとしてノベルゲームは続出しましたが、述べるゲームの完成系というのであれば「かまいたちの夜」が挙がりますが、テキスト寮や選択肢の豊富さを言うのであれば未だにこの「弟切草」を超えるものは出ていないかと思います。
3、零(PS2)
過去に「零~紅い蝶」についてレビューをこのブログで書いたことがありますが、このテクモの出した「零」シリーズの特徴を一言で言うならば、純粋な和風ホラーを追求した点にあるかと思います。舞台はシリーズを通して和風の屋敷や村で出てくる霊もしょっちゅう着物を着ており、しかもそんな怖い霊に対してカメラを撮って攻撃するという、見たくもないものを無理矢理見させて攻略させるこのシステムが恐らく海外の方でもヒットした要因でしょう。
私自身はこのゲームは面白いとは思うものの特段怖いと感じることはなく、むしろその綺麗なグラフィックと、Xbox版のわけの分からないコスチュームの多さの方が気に成りました。
4、DEEP FEAR(セガサターン)
多分このゲームは知っている人も少なそうですが、当時大ヒットしていた「バイオハザード」に追従する形でセガが作ったサバイバルホラーゲームです。このゲームの特徴ははっきり言って殆んどがバイオハザードと一緒なんですが、舞台が海底基地ということから常に室内の酸素量を気にしなければならないこと、敵クリーチャーの造形がそこそこよかった(全体的に映画の「エイリアン」っぽい)という点で異なっています。ただ残念というか私の友人から酷評されていた点として武器に使う弾薬が無限に補給できてしまうため、この点が制限されていた「バイオハザード」と違って緊張感がなかったとされています。
私はストーリーとか全体的に出来は悪くなかったと思うのですが、そもそもが二番煎じであったためにそれなりの結果になってしまったのではないかと思います。続編も出なかったし。
5、バイオハザード2(PS)
ご存知日本が誇るホラーゲームの金字塔となったこの一作。一応シリーズは1、2、3、4、アウトブレイク、Code Veronicaはやっているのですが敢えてここでは世界的ヒットを生んだ2を取り上げることにします。
この「バイオハザード」がどうしてここまで高い評価を得られたかといえば、ひとえにまずゲームの開発環境が揃ったということがあったのではないかと思います。スーパーファミコンからプレイステーションへ、当時に次世代機と呼ばれたハードへの以降があって3D描写も容易となり、これまで作ろうと思っていたものの作れなかったゲームが開発できる環境に至ってゾンビに横スクロールではなく追いかけられるこのゲームが成立し、それがユーザーの嗜好にマッチしたのが大きいように思います。
またこのバイオハザードが成功したもうひとつの要因として、比較的高めの難易度、現実に存在する武器を使って戦う、そしてその使用回数が限られているというサバイバルホラーの名に恥じない要素も大きかったでしょう。
一作目も十分に売れましたが世界的に大きな成功を収めたこの「バイオハザード2」はストーリー自体はB級ホラーもいいとこでしたが、
・1プレイ時間が約三時間
・二人の主人公にそれぞれ表編、裏編とシナリオが二つある
・クリア後のおまけ要素が盛りだくさん
・結構しつこいタイラント
といった要素があって繰り返し遊べたがゆえに私も相当のめりこんでやってました。無駄にラスボス相手にハンドガンで戦ったり。
なおこの「バイオハザード2」のテレビCMではハリウッド俳優で天才子役として一時名を馳せたブラッド・レンフロ氏が出演していましたが、この人は二年前にコカイン中毒のためわずか26歳で夭折してしまいました。今じゃすっかり「バイオハザード」と来ると映画のミラ・ジョボビッチ氏が挙がって来ますが、ブラッド・レンフロ氏のデビュー作の「依頼人」を観ているだけに私の中では未だにこの人が浮かんできたりします。
まだまだ紹介するホラーゲームはありますが、ひとまず今日はここまでにしておきます。意外と書いてみたらつまらなかったし。
2010年7月30日金曜日
近年の女性アイドル業界について
最近またお堅い内容が続いているので何か軟らかい事を書こうかなと考えていたら何故か女性アイドル業界が思い浮かんできたので、今日はこれについてさらっと書こうかと思います。前もって断っておきますがここで書く内容はあくまで私の主観によるものなので、細かい所はいちいち突っ込まずにこんな意見を持ってる奴がいるんだ程度で軽く流してください。あと人名が多く出るので、敬称はこの際一つもつけずにどんどんと書いていきます。
まず近年のアイドル業界における一つの特徴として、またぞろ平均年齢が低下し始めてきた事が挙げられるかと思います。2000年代中盤は29歳という以前では考えられない年齢でブレイクしたほしのあきを筆頭として20代中盤の、主にグラビア出身のアイドルがテレビなどで活躍していましたが、寄る年波には勝てず近年はテレビでの露出が大幅に減ってきております。特に顕著なのはイエローキャブに所属していたアイドル達で、分離したサンズエンタテインメント所属共々かつての勢いはどこに言ったのかと思うくらい見かけなくなり、小池栄子などブレイクしていた頃にレギュラーを勝ち得た番組を持つアイドル以外はもう殆んどゴールデンで見ることが出来ません。
こうしたアイドル達に取って代わったといえるのがAKB48を初めとした、10代を中心としたアイドルユニットグループだと思います。ただアイドルの低年齢化が最も激しかったのは90年代後半のモーニング娘全盛期で、あの頃は辻、加護を筆頭に中学生ジュニアアイドルがこれでもかと言わんばかりに活躍しており、そのころに比べるならば今のアイドルが極端に年齢が低いとは言えず、むしろアイドル全盛期だった80年代よりは平均年齢が高いように感じます。それでも低年齢化を私が強く意識してしまうのは先述の通りにちょっと前がこれまでにないくらいに高年齢アイドルが活躍していた時代を経ているので、ちょうどそのギャップゆえだからでしょう。
それで今やアイドル界で大きな顔をしているAKB48ですが、確かに今の時代では比較的強い力を持っているとは言えますが、これまでのトップアイドル達と比べるとその影響力はやはり低いように思えます。それこそモーニング娘の全盛期の頃は街中のそこらかしこで「LOVEマシーン」が流れて一通りのサビ部分の歌詞を私も自然と覚えましたが、AKB48に至ってはこれが全くなく、一体どの曲が彼女らの歌なのか塵一つ知りません。
この違いは音楽業界の衰退もあってCDの売り上げ数低下も影響しているでしょうが、それとは別にもう一つ、モーニング娘とAKB48の売り出し方の大きな違いもあるかと思います。
モーニング娘が日本全国老若男女津々浦々に広く大衆に対して売り出したのに対し、AKB48はそのユニット名からして非常に対象を絞った売り出し方をしているのではないかと私は見ました。この二つの売り方がどう違うかというと簡単に言って広く浅くか狭く深くかの違いで、前者は万人受けするようにジュニアアイドルを入れる一方で中澤裕子や後藤真希など年齢層やヒットする対象の違うメンバーが組まれていたのに対し、後者は販売方法によるものもありますが一人でCDやグッズをいくつも買うような人を主な対象としているところがあり、アイドルユニットの性格としては真逆の位置にあるのではないかと思います。
ただ苦言というか、これはアイドルユニットに限るわけじゃないですが対象を狭く絞った組織や集団というのは基本的にどれも長くは続かない傾向があり、一回ぱっと盛り上がった後に急速にしぼんでいくという例がたくさんあるので、もしかしたらAKB48は使い捨てにされるんじゃないかという気がしてなりません。私が心配してもしょうがないけど。
このようにアイドルというのは元々賞味期限が少なくどんどんと切り替わっていくもので、グラビア界もさきほどのイエローキャブ勢をはじめ、一時期トップグラビアとして君臨した小倉優子、期待されていたわりにはすぐに旬が過ぎたスザンヌなどがおりますが、何年間にも渡り活躍し続ける稀有な存在として私が一目置いているのは上戸彩です。
元々この人は「3年B組金八先生」での演技で注目を浴びて最初はそのまま演技畑に行くかと思いきや、初主演作の「あずみ」が、私も見ましたがびっくりするくらい下手な演技で、映画で主演をしてかえって評価を一時下げたという非常に稀な経歴があります。
ただこの上戸彩を何年にも渡ってトップアイドルとして君臨させ続けているのは、なんといってもテレコマーシャルでの活躍ぶりです。すっかりおなじみとなったソフトバンクの白戸家シリーズやオロナミンCのCMなど何年も出続けている定番のCMを持っているだけでも非常に強みなのに、それ以外の年毎のCMでもやはり他のアイドルと比べて一際光って見えます。個人的にお気に入りなのは損保JAPANでパンダの着ぐるみでしたが。
彼女のギャラはCM一本辺り年間契約で5,000万円とされてますから、年俸を計算すると本当に天文学的数字になってしまいそうです。
最後に私のお気に入りの井上和香についてですが、彼女は最初はグラビア、次はバラエティーと活躍の場を意図的に変えていった節があり、現在は一昨年の朝ドラでも出演していたように演技での活躍の場をねらっているように思えます。どうでもいいですが昔ロンドンで寮が一緒になった双子の女性に井上和香が好きだといったら、
「顔に似合わず巨乳好きなのね( ^∀^)」
と言われ、一瞬ちょっとショックを受けたものの、「顔にそぐわぬ巨乳好き」と言われるよりずっとマシだと思って立ち直りました。
まず近年のアイドル業界における一つの特徴として、またぞろ平均年齢が低下し始めてきた事が挙げられるかと思います。2000年代中盤は29歳という以前では考えられない年齢でブレイクしたほしのあきを筆頭として20代中盤の、主にグラビア出身のアイドルがテレビなどで活躍していましたが、寄る年波には勝てず近年はテレビでの露出が大幅に減ってきております。特に顕著なのはイエローキャブに所属していたアイドル達で、分離したサンズエンタテインメント所属共々かつての勢いはどこに言ったのかと思うくらい見かけなくなり、小池栄子などブレイクしていた頃にレギュラーを勝ち得た番組を持つアイドル以外はもう殆んどゴールデンで見ることが出来ません。
こうしたアイドル達に取って代わったといえるのがAKB48を初めとした、10代を中心としたアイドルユニットグループだと思います。ただアイドルの低年齢化が最も激しかったのは90年代後半のモーニング娘全盛期で、あの頃は辻、加護を筆頭に中学生ジュニアアイドルがこれでもかと言わんばかりに活躍しており、そのころに比べるならば今のアイドルが極端に年齢が低いとは言えず、むしろアイドル全盛期だった80年代よりは平均年齢が高いように感じます。それでも低年齢化を私が強く意識してしまうのは先述の通りにちょっと前がこれまでにないくらいに高年齢アイドルが活躍していた時代を経ているので、ちょうどそのギャップゆえだからでしょう。
それで今やアイドル界で大きな顔をしているAKB48ですが、確かに今の時代では比較的強い力を持っているとは言えますが、これまでのトップアイドル達と比べるとその影響力はやはり低いように思えます。それこそモーニング娘の全盛期の頃は街中のそこらかしこで「LOVEマシーン」が流れて一通りのサビ部分の歌詞を私も自然と覚えましたが、AKB48に至ってはこれが全くなく、一体どの曲が彼女らの歌なのか塵一つ知りません。
この違いは音楽業界の衰退もあってCDの売り上げ数低下も影響しているでしょうが、それとは別にもう一つ、モーニング娘とAKB48の売り出し方の大きな違いもあるかと思います。
モーニング娘が日本全国老若男女津々浦々に広く大衆に対して売り出したのに対し、AKB48はそのユニット名からして非常に対象を絞った売り出し方をしているのではないかと私は見ました。この二つの売り方がどう違うかというと簡単に言って広く浅くか狭く深くかの違いで、前者は万人受けするようにジュニアアイドルを入れる一方で中澤裕子や後藤真希など年齢層やヒットする対象の違うメンバーが組まれていたのに対し、後者は販売方法によるものもありますが一人でCDやグッズをいくつも買うような人を主な対象としているところがあり、アイドルユニットの性格としては真逆の位置にあるのではないかと思います。
ただ苦言というか、これはアイドルユニットに限るわけじゃないですが対象を狭く絞った組織や集団というのは基本的にどれも長くは続かない傾向があり、一回ぱっと盛り上がった後に急速にしぼんでいくという例がたくさんあるので、もしかしたらAKB48は使い捨てにされるんじゃないかという気がしてなりません。私が心配してもしょうがないけど。
このようにアイドルというのは元々賞味期限が少なくどんどんと切り替わっていくもので、グラビア界もさきほどのイエローキャブ勢をはじめ、一時期トップグラビアとして君臨した小倉優子、期待されていたわりにはすぐに旬が過ぎたスザンヌなどがおりますが、何年間にも渡り活躍し続ける稀有な存在として私が一目置いているのは上戸彩です。
元々この人は「3年B組金八先生」での演技で注目を浴びて最初はそのまま演技畑に行くかと思いきや、初主演作の「あずみ」が、私も見ましたがびっくりするくらい下手な演技で、映画で主演をしてかえって評価を一時下げたという非常に稀な経歴があります。
ただこの上戸彩を何年にも渡ってトップアイドルとして君臨させ続けているのは、なんといってもテレコマーシャルでの活躍ぶりです。すっかりおなじみとなったソフトバンクの白戸家シリーズやオロナミンCのCMなど何年も出続けている定番のCMを持っているだけでも非常に強みなのに、それ以外の年毎のCMでもやはり他のアイドルと比べて一際光って見えます。個人的にお気に入りなのは損保JAPANでパンダの着ぐるみでしたが。
彼女のギャラはCM一本辺り年間契約で5,000万円とされてますから、年俸を計算すると本当に天文学的数字になってしまいそうです。
最後に私のお気に入りの井上和香についてですが、彼女は最初はグラビア、次はバラエティーと活躍の場を意図的に変えていった節があり、現在は一昨年の朝ドラでも出演していたように演技での活躍の場をねらっているように思えます。どうでもいいですが昔ロンドンで寮が一緒になった双子の女性に井上和香が好きだといったら、
「顔に似合わず巨乳好きなのね( ^∀^)」
と言われ、一瞬ちょっとショックを受けたものの、「顔にそぐわぬ巨乳好き」と言われるよりずっとマシだと思って立ち直りました。
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