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2014年2月6日木曜日

朴槿恵大統領の対日観に関する報道について

福島みずほ氏「宇都宮健児氏はまさにアンパンマン」(アメーバニュース)

 本題とは関係ありませんが上記のニュースに対しネットの掲示板で、「アンパンマンを政治利用している!」などという批判の声と共に、「アンパンマンは自民党内にいるじゃないか」などと、アンパンマンにほんとよく似た石破茂幹事長をネタにする人がいて笑えました。去年の夏に日焼けした際は「焦げたアンパンマン」とまで言われてたし。

 それでは本題に入りますが、このところ関係がすっかり冷え込んでいる日韓関係ですが、向こうからしたら「安倍首相が悪い」でしょうが日本からしたら「朴槿恵が悪い」と、双方の首脳が原因による関係悪化だという世論が大勢を占めているように見えます。そんな朴槿恵大統領の対日観に関する報道でやや気になるというか「はぁ?( ゚д゚)」って思う内容の記事がよく目につくので、なんで疑問に思うのかとともに私見を今日は述べようかと思います。

 その目につく記事とは冷え込む日韓関係に触れた記事について書かれたものなのですが、どの記事も冒頭において以下のような文言が非常に多く見られます。

就任前は朴正煕大統領様に親日意識が高いと思われた朴槿恵大統領だが

 このように父親である朴正煕大統領は歴代の大統領の中でも親日意識が高かったことから父親の薫陶を受けた娘の朴槿恵大統領も親日派だろうとどこも書いているのですが、単刀直入に言ってそれはないだろうし、そもそも朴正煕は親日家だったのかというと私はこれも疑問に感じます。私がこのように考えるのは、去年に好評ではなかったもののこのブログで韓国の現代史に関する連載を行った際に少し勉強したことがきっかけなのですが、あれこれ調べてみると朴正煕はそれほど親日家だったとは思えないし、政権前半期ならまだしも後半期に対しては日本に対して怒りというか相当なわだかまりを抱いていたのではないかと思えるようになりました。

 そもそも何故朴正煕が親日家であったと日本で報じられているのかというと、第一に国内の反対を押し切り日本との国交回復を切り開いただけでなく、戦前は植民地化にあった朝鮮領内で自ら志願して日本の軍人となり、当時に日本から受けた教育について賛美を示していたためとされています。こうしてつらつらと書いておりますが実は前者はともかく後者は事実ではなく、朴正煕は日本の陸軍士官学校に留学には来ておりますが正式な出身校は満州にあった陸軍軍官学校で、彼は日本陸軍ではなく満州軍の軍人だったのが正しく日本軍の軍人だったことはありません。とはいえ日本式の教育を受けたことは間違いありませんが、その教育を受けたのは彼が日本に強いシンパシーがあったからというよりは単純に教育を受ける機会として都合がよかったから選択したというのが本当な気がします。

 ここで私の朴正煕のパーソナリティに対する見方を述べさせてもらうと、彼はリアリストこと理想よりも現実での利益を優先する打算型政治家であって、それが開発独裁という自分が正しいと思う事だったら手段はあまり選ばず、速攻に効果のあるものを強引に選択していくというスタイルを形成したように思えます。これが何を示すのかというと、日本との国交回復も日本へのシンパシーというより単純に経済開発のための資金引き出しと対日貿易による経済のテコ入れを求めたから実行しただけに思え、もしかしたら日本にあまりいい印象を持っていなかったかもしれないけど利益追求のためにそういう気持ちは棚上げして国交回復に踏み切れる人だったのかもしれません。
 もっともこの辺の感情はイタコでも呼んで朴正煕大統領の霊に直接聞いてみないとわかりませんが、先ほど少し述べたように政権後半期においては明確にかつ確実に日本に対して憎悪を抱いていたと私は確信しています。何故憎悪するに至ったのかというと二つの事件からで、一つは金大中事件、もう一つは文世光事件からです。

 金大中事件に関する説明は省略しますが、文世光事件は私も記事に書いてますが簡単にここでも説明すると、北朝鮮こと朝鮮労働党の指令を受けた在日朝鮮人の文世光が朴正煕をピストルで暗殺しようと試みた事件です。幸いというかピストルの弾は朴正煕を外れて暗殺は失敗しましたが朴正煕の妻であり朴槿恵大統領の母である陸英修が流れ弾に当たり、この事件で死亡しています。
 この事件は韓国と北朝鮮間だけの事件ではなく日本も深くかかわっており、まず犯人の文世光は在日朝鮮人で暗殺時も日本人に紛争することで群衆に紛れこんでおります。そしてもう一つ、これがなかなか重要なのですが、暗殺に使われたピストルはこのところ不祥事続きの大阪府警ですがこの時もそうで、大阪府内の派出所から盗まれたものでした。なおかつ文世光が韓国に入国する際は偽造パスポートを用いていますが、これの取得審査と出国審査ももちろん日本が取り行っており、仮にこれらのうちどこかで日本の捜査なり審査が機能していればこの事件はまず起こらなかったでしょう。

 朴正煕というか韓国側もこのように考え、日韓の政府間で関係が一気に冷え込んだと言われます。なおかつ事件後も日本は国内の朝鮮総連に対してやる気のない捜査しかせず、韓国側からしたら日本は北朝鮮スパイを要請して韓国に送り込んでくる中継基地に見えたとのことで、自分が言うのもなんですが韓国政府が怒るのも無理ない気がします。こうしたことからウィキペディアの記述では朴正煕はこの時に日本との国交断絶まで考えたとのことで、それが事実かどうかはわからないまでも日本に対して相当腑に落ちない感情を持ったのは間違いないと私は考えております。

 話はここで朴槿恵大統領に戻りますが、上記のような文世光事件を22歳(当時はフランスに留学中)の多感な時期に直面したことを考えると、私はとてもじゃないですが彼女が親日家になるはずがないと思えます。そう思うだけに「当初は親日意識が高いと思われた」という文言を入れた記事を書く人間は何もこの辺の事情を勉強していないのか、そもそも日本にいい感情を持っているとうかがわせる発言を過去にこの人がしているのか、もう全部が全部書かれてることと現実が矛盾しているように思えてなりません。そんなクソ記事書いて金もらっていいと思うのか、その前に発行する前に編集はちゃんと事実関係をチェックしているのかと非常に強い疑問を覚えるわけです。

 更にこうした事情を勘案するにつけ、朴槿恵大統領のいわゆる告げ口外交こと日本批判は自身の感情から実行しているように見え、そういう意味で父親とは対照的に実質的な価値を全部台無しにしてでも理想を追求する理念型の政治家の様に私には思えます。これが何を意味するのかというと、理念型の政治家というのはあれこれ妥協案や条件、もしくは金を出しても効果が薄いため今後何をやっても朴槿恵大統領は日本批判をし続ける可能性が高いと予想されるわけです。極論を述べると、彼女の要求通りに日本の歴史観を韓国の歴史観に即したものに変えたとしても、彼女はそんなものを本気で求めているのではなくただ単に日本が嫌いなのだからまた別の難癖をつけてくるように思えます。つまり、妥協したって無駄だからあまり関わろうとせず次の人が来るまでほっとくのが一番じゃないかなというわけです。

 以上がこの記事で書きたかったこと全部ですが、最後にこのところこういう社会ニュースに対する論評を書いてて思うこととして、自分はもしかしたら社会に対してマルチな視点を身に着けて来たのかもとこのところほくほくしてます。私が世の中を見る上でベースにしているのは出身学問である社会学がやはり基礎にあって主題となっている人物がどのようなモチベーションでどういう行動をとるのかを一義的に考えており、言い方を変えると相手の感情を分析してから次の行動を予想しようと自然に考えます。これともう一つ、ある意味ではこっちの方が感覚的に古いですが歴史的な視点からで、主題となる人物たちの相関関係や過去の事例などを如何につなぎ合わせるか、どういった点でつながっているかをこちらもまた自然に分析するようになっており、意識していたわけじゃないけど佐野眞一氏のスタイルに徐々に近づいている気がします。まぁやっていた人類学自体が歴史考証学に近いスタイルを持つのだから、ある意味自然な流れでこうなったのかもなぁ。

2014年2月5日水曜日

平成史考察~磯野カツオの声優交替(1998年)

 本題とは関係ありませんが今開かれているオウム真理教の平田信被告の裁判が非常に面白いというか、興味深く見ております。何度かこのブログで宣言してますがオウム事件を最終的に総括するのは当時小学生の立場であの事件を見ていたほかならぬ自分になるだろうと考えており、今回の裁判での各証人の発言は凄いキーワードになると見ております。

 それでは本題に入りますが、各所の報道にも出ている通りにアニメ「サザエさん」で磯野波平役の声優であった永井一郎氏が鬼籍に入りました。ちょっと今日あたり歴史物をやりたいと思いつつもいいネタが浮かばなかったのもあるので、今日は永井一郎氏の逝去に合わせて久々に書く平成史考察で、同じ「サザエさん」の磯野カツオ役の声優交替劇を紹介しようかと思います。っていうか部屋の中寒くて指が上手く動かず、キーボードが打ちづらい……。

 磯野カツオについての説明は無用でしょうが、「サザエさん」の第二の主役ともいうべき代表的キャラクターであるこのキャラの声優は実は過去二回変わっており、しかも初代声優を務めたのは初代ドラえもん役をしていたあの大山のぶ代氏でした。ウィキペディアの記述によると、なんでも大山のぶ代氏は放送開始から3ヶ月間だけカツオ役を演じたものの、何らかの理由から自主降板したとのことです。その後の二代目カツオ役には高橋和枝氏が就き、その後28年の長きにわたってカツオ役を演じることとなります。なお私としては高橋氏の演じていた時代に一番サザエさんを見ていたことから、「そりゃないよ姉さん」っていうようなカツオのセリフを見ると高橋氏の声が真っ先に思い浮かんで来ます。

 そんな高橋氏ですがかねてから抱えていた持病が悪化し、1998年にカツオ役を降板します。容体の急変から来た降板ということもあり、代役にはそれ以前から「サザエさん」で登場頻度の少ない別のキャラを演じていた現在のカツオ役、富永みーな氏が代理登板することとなりましたが、富永氏の起用は当初は一時的な措置で、高橋氏の健康が回復したらまた元通りにする計画だったそうですが容体は結局回復せず、数ヶ月の闘病生活の後に高橋氏は逝去されたとのことです。

 こっからがこの記事のハイライトでありますが、高橋氏の葬儀には「サザエさん」のほかの声優たちも数多く集まり、その中には今回鬼籍に入った永井一郎氏もいました。そして葬儀の場で、実際には高橋氏は永井氏よりも2学年年上でしたが、「こりゃ、カツオ。親より先に逝ってしまう奴がどこにおるか」という弔問を読み上げたと言われます。今回記事を書くに当たってウィキペディアを読み直しておりますが、この弔問時のエピソードは当時の私も聞いており、確か週刊誌で読んでたと思いますがやけにうちの姉貴が「波平の声優がこういう事言ったんだってー」って、「サザエさん」がテレビ放送される一週間おきくらいに口にしてたのでやけに記憶に残ってます。なんども言わなくったってわかるっつーのに。

 そして今回の永井氏の葬儀では、現カツオ役の富永氏がカツオのキャラになり切って弔問を読んだと報じられます。考えてみると不思議なもので、波平からカツオ、カツオから波平へと弔問が読まれており、恐らく今後もこういう小粋な演出が各所で続くんじゃないかなと思います。こういう事が起これるのも声優が交代されてもアニメ放送が続けられるからで、「サザエさん」に限らずとも「ドラえもん」など長寿アニメではこうした声優の交替がこのところ珍しくありません。
 今回なんでこの内容で記事を書こうと思ったのかというと、今思うとこの1998年のカツオ役の声優交替が一つの契機となって長寿アニメでの声優交替が一般的になってきたように思えたからです。この方式によって長寿アニメはさらに寿命を延ばすことに成功しており、概念的には結構大きな一歩だったのではないかと思え、永井氏の逝去をいい契機としてこうして書いてみた次第です。

  おまけ
 全くその気はありませんでしたし今もそうですが、高校時代とかに「花園君は声優向いてるんじゃないの?」って何度か言われました。なんでそんなこと言われたのかというと私の声がひどく特徴的というか、明らかに一般人と異なった発声の仕方で珍しいからでしょうが、私の声の性質は妙に甲高くて聞く人によってはガチで聞くだけで不快になります。友人によると、そのあまりの声の甲高さからどんなに騒々しい場所でもはっきり聞き分けられるとのことで、しかもそんだけ目立つ声してるくせに「○○殺されねぇかな」とか「2、30人くらい一気に死ねばいいのにさ」などとやけに物騒なことを平気で口にするもんだから見知らぬ人でも「何この人!?」みたいに思うのも無理がないそうです。まぁあながち、その見方が間違っているわけでもない気がするが。

  追記 
 コメント欄にてご指摘を受けましたが、ドラえもんの声優で大山のぶ代氏は初代ではなく三代目でした。初代は富田耕生氏、二代目は野沢雅子氏がそれぞれ声を充てており、長くやっているからって大山氏が初代だと今の今まで勘違いしておりました。

2014年2月4日火曜日

三菱地所の欠陥マンション事件について

 事件内容の大きさの割にテレビニュースなどの報道の扱いが小さいように思えるので、せっかくだからブログ記事にして残しておくことにします。

青山の「億ション」、水道管の孔がない欠陥が発覚 三菱地所・鹿島・関電工の「一流処」による建設(アルファルファモザイク)

 事件の詳細は上記の2ちゃんねるまとめ記事に詳しく載っておりますが私の方から簡単に説明しますと、東京都青山で建設が進められていた三菱地所が販売、鹿島建設と関電工が施工の高級マンションが購入予約者へ引き渡される直前、施工不良というお粗末な理由から販売が中止されました。しかもその施工不良の内容も水道管などを通すための孔、いわゆるスリーブがほとんどの工事が終わっていた段階にもかかわらず開いておらず、さらに後から空けよう壁などに無理やり穴を空けていたら一部の鉄筋まで切ってしまって強度不足に陥り、もうどこから突っ込もうかという状況に至って販売中止となったとのことです。各所の報道によると既に手付け金と見舞金は契約者側へ支払われているそうですが、J-CASTの報道だとマンションの価格が価格だけに一人当たり3000万円程度の金額が支払われいるのではと予想されています。

 この事件はその内容もさることながら発覚の経緯が些かほかの事件と異なっていて非常にきな臭いのですが、なんと匿名掲示板の2ちゃんねるに施工不良の内容が書き込まれ、その書き込みの内容を見た契約者が問い合わせた(恐らく三菱地所に)ことから発覚しています。最初にリンクを貼ったまとめ記事にその問題の書き込みと思われる文言が引用されていますが、その文言が指摘する施工不良は発覚した内容とピタリと一致しており、なおかつその同じ書き込みには「現場、会社揃って組織ぐるみの隠ぺいがある」とまで書かれています。

 私の見方を述べると、その書き込み通りに組織ぐるみの隠ぺいがあったと見て間違いないでしょう。根拠としては問い合わせがあるまでこれほど大きな施工不良の事実を発表していなかったことと、発表前に上記の施工不良に関する正確な書き込みがあったということから少なくない人間がこの事実を知っていたのではと予想されるといったところです。更に穿った見方をすれば、もし最初の書き込みなく契約者が問い合わせをしなかったら、三菱地所はこの事実を隠蔽したまま黙って契約者に引き渡すつもりだったのではという疑念も覚えざるを得ません。
 それだけにこの事件はただ事実報道だけで終わらせるべきではなく、一体どの時点で施工不良の事実に気が付いたのか、そしていつから対策をして事態を悪化させたのかなどを業者はきちんと説明するべきじゃないかと思います。さらに言えば、何故施工不良を起こしたのか、気づかなかったのか、管理監督する立場の人間は何をして今何をしているのか、退職金は出さなかったのかということも聞いてみたいというか、まだ自分がメディアに身を置いていたら広報部に必ず聞くでしょうね。

 それにしてもというかこのところ見ていて呆れるというか次元の低い企業事件が増えている気がしてなりません。今日発覚した北陸新幹線談合事件然り、アクリフーズの薬物混入事件然りですが、後者の事件はもし犯人が毒性の強い農薬を盛っていたらと思うといろんな意味で衝撃的だったなと思うのと同時に、食品問題で叩かれがちな中国をあんま笑えなくなったなという気がします。中国を笑えないと言ったら最初の欠陥マンションも同じですが。
 私は性悪説に立って物事を考えるのでこういう事件が起きるのもまた人の営みだと考えあんま気にしない方ですが、アクリフーズの例を取るとネジのとんだおかしな人間はどこかに絶対いるのだし、たとえどれだけ工場の管理や施設を厳しくしたところで無意味じゃないかと思います。それこそ本気でやるならわかる人だけわかればいいですがフォックスコンみたいに人格追い詰めるくらいじゃないと駄目でしょうし、仮にそれをやるとしても倫理的にどうだってことにもなります。何が言いたいのかっていうと、ルールで縛ろうとしても限度があるのだから無意味に雁字搦めにしてもあんま効果ないよっていうのを、日系企業らにちょっと言いたい訳です。

2014年2月2日日曜日

自分が感じるお粗末な「おもてなし」

 ちょうど去年の今頃に私は日本へ帰国してアナーキーな活動を続けていますが、日々日本で生活していてすごい違和感というか納得いかないことの一つに、コンピに者スーパーで売られているサンドイッチが挙がってきます。一体サンドイッチの何に納得いかないのかというと、単純に入っている具材が少ない、というかサギっぽい見せ方しているのが非常に腹が立ちます。

 今日もこの記事を書くために各コンビニ店舗やスーパーを軽く巡回してきましたが、やっぱりどこもというか同じようなサンドイッチを販売していてなんでこういうところで足並みそろえるのはうまいんだよとつくづく先が思いやられました。日常的にサンドイッチをこういうところで購入している人ならわかるんじゃないかと思いますが、昨今のコンビニ店舗などで売られているサンドイッチはいわゆる三角サンドで、三角形に切られた状態で陳列されているため中身の具材(どうでもいいけど「ぐざい」と入力する変換候補に「ξ」が入っているのが結構気に入っている)が見えるようになっています。これが今回の記事のミソなのですが、どこの店のサンドイッチも陳列棚から見える部分、具体的にはサンドイッチの二等辺三角形の底辺部には具材がしっかり盛られていますがその反対側はすっかすかで、いわば外から見える部分にしか具材が入っていないのです。

 これは実際に買ってみてサンドイッチのパンを分解すればもっとわかりやすいですが、三角形なパンの面部にくまなく具材が盛られているのではなくどれも底辺部に、目視的には全面に対して五分の二程度しか具材が盛られていません。普通サンドイッチと言ったらパンの全面に具材が満遍なく盛られているものじゃないのかなと私は思うのですが、世間的にはそうではなく少なくともこういうコンビニなどで売られているのはかなりせこい具材の盛られ方がされています。

 何で私がこの事実に気が付いたのかというと、ひとえに中国から帰国した身だからではないかと思います。こう見えても私はサンドイッチをかなり好んで食べている方で、向こうで働いている時も昼食は誇張ではなくほぼ毎日コンビニのサンドイッチで済まして、香港で働いている際はあまりにも毎日近くのパン屋でサンドイッチを買うもんだから店員のおばさんがなにも言わなくても1ドルか2ドル割引してくれるくらいに通っていました。
 勘のいい人なら私が何を言いたいのかもうわかるでしょうが、中国のコンビニで売られているサンドイッチは日本のものとは明らかに異なっており、三角サンドであることは同じですが具材はパンの全面に渡って満遍なく盛られておりました。それがわかっているだけに日本のサンドイッチを買って食べた際、「なんでこんな具材が少ないんだ。これを作った奴を今すぐここに呼べ(# ゚Д゚) ムッカー」などと海原雄山みたいなセリフを言いたくなるほどカチンときたわけです。

 真面目な話、中国から日本に来た旅行者だったらこのサンドイッチの具材の少なさは一発で気づくと思います。しかも今日改めて各店舗を巡回して気づきましたが、どの店も具材が見える表側に対して裏側がどうなっているか手に取ってみてみると、ちょうど裏側にシール貼ってたり、もしくは白く着色した包装になって見え辛くなっていたので売っている連中は確信犯でこれをやっていると見て間違いないでしょう。欧米系の旅行者は気づくかどうかわかりませんが、多分気づくんじゃないかな。

 最近日本人を上手く怒らせる際にいいフレーズとして、「この点において中国の方が上だ」という言葉があることに気が付いたのですが、このサンドイッチの売り方に関しては間違いなく中国の方が上だと言いたいわけです。でもってこんなせこい商売している癖に、このところやたらと「おもてなし」などと言う言葉を使って日本の接客や商売方法は懇切丁寧だなどと自画自賛しているのを見ると、本当にそれでいいのなんて思ったりするわけです。
 このサンドイッチの事例に限らなくても日本人が図に乗っている「おもてなし」というのは案外お粗末なもんだと前から感じています。これは友人が気が付いた点ですが、日本の飲食店というのは店舗面積に対してかなりぎっちり客席を敷き詰めることが多くて食事中の空間が非常に狭いことが多いです。無論それはゆったりできる雰囲気ではなく、むしろ急がされているような感覚すらあって外国行ってから日本の飲食店で食事するとなんか圧迫感を覚えてなりません。

 このほか景観や広告などについてもいろいろ言いたいわけですが、総じて日本人の空間感覚は外国と比べて極端に悪いように思えます。もちろん、敢えて怒らせる言い方をするとその外国には中国もきちんと含まれております。
 さっきのおもてなしの話に戻りますが、案外日本人ってのは顧客目線に立ってサービスを組むことは少なく、自分たちで発案した店舗レイアウトなり販売方法やサービスなどがサービス精神に溢れているものなどと勝手に主張して喧伝している例が多い気がします。まぁ一言で言うなら、自画自賛でしかないということです。

 こういう事を前から感じていたので、「おもてなし」って言葉をやたら連発する姿を見ていてまたいつもの自画自賛なのとやや皮肉めいた目線で見ております。少なくても日本の接客やサービスが優れていることを日本人自身が言うべきものではないし、たとえ外国人に言われたとしても図に乗らずもっと上を目指せよと言いたいわけです。
 それにしてもサンドイッチのあの売り方は本当に腹が立つ。それでいて値段は案外高いし、昔のおにぎりの詰め物じゃないんだからクオリティを挙げる努力にもっと取り組めよ、中国のコンビニ以下の商品売ってて本当に良いのと経営者に深く問いたいです。

南アフリカの「名誉白人」

 昨夜は深夜0時に就寝して午前10時まで寝ていました。でもって今日のお昼にカツサンドを食べたら猛烈に眠くなって昼寝をしたら2時間も寝ていて、見事に半日眠るという偉業を達成することとなりました。普段の睡眠時間が少ないからって、こんなにも平気で人間眠れるものなんだなぁ。多分今夜もコテンと眠れそうだし。

 話は本題に入りますが、昨年末に南アフリカ共和国で人種札別政策、アパルトヘイトを廃止に動かせたネルソン・マンデラ氏が死去されました。マンデラ氏の死去に合わせて各テレビ局や新聞ではマンデラ氏の業績やその人生を紹介する特集が数多く組まれたのですが、正直に言ってこれら特集を見るにつけ私自身は強い不快感を覚えていました。
 前もって述べておくとマンデラ氏に対しては何十年も監禁され、家族との接見も半年に一回に制限されながらも一貫として差別撤廃を訴え続け、大統領に就任してからもその強いリーダシップから第三世界を代表して意見を国際社会に訴え続けるなどその業績は疑う余地もなく、その屈服無き精神は私も深く尊敬しています。にもかかわらず何故マンデラ氏を紹介する報道に不快感を覚えていたのかというと、かつて日本人が南アフリカ共和国より「名誉白人」と呼ばれていた事実に対して悉くスルーしていたからです。

アパルトヘイト 「名誉白人」項(Wikipedia)

 アパルトヘイト政策について細かい説明は本題ではないので省略しますが、要するに人種差別を国家政府が認めて差別対象となる黒人層に大幅な制限を課していた政策です。この政策は黒人というか白人以外の有色人種が対象となって現代の日本人の感覚からすると驚くほど極端な政策が取られていたと言います。マンデラ氏はこの政策の撤廃を訴えたことから収容所に監禁されたのですが、彼の必死の努力の甲斐もあって撤廃直前に至っては国際社会は南ア政府に対して強い制裁措置、具体的には貿易制限などをかけて撤廃を促しておりました。
 この制裁措置ですが、今でいうなら北朝鮮やイランに対して行われていたものに近いです。通商を制限することによって改革を促すものであって、これを実行するには国際社会が一致団結して多少の不利益を覚悟してでも貿易をやめなければいけないわけですが、仮に抜け駆けをするところが現れようものならその効果が薄まることは言うまでもありません。日本だって、北朝鮮に今貿易制裁を課しておりますが中国が北朝鮮に物資を流しているのを見たらあまりいい気分しないでしょう。

 ここで「名誉白人」という言葉について説明しますが、この言葉はアパルトヘイト政策を敷く南アが、「有色人種であるけれども白人と同等の権利を有して差別対象にはしない」と認定した民族、国民に与えられる名称でした。対象となったのはアメリカ出身の黒人とか白人も食べにくるような中華料理店を運営する華僑などでしたが、実は日本人もこの名誉白人に数えられていました。一体何故日本人が名誉白人となったのかというと、ほとんどの先進国がアパルトヘイトへの非難から南アとの貿易を制限する中、一貫して活発に取引を続けたからです
 どうして日本人が他の国が手控える中で南アとの貿易を継続したのかというと、単純に旨味が大きかったからです。南アは希少な天然資源が豊富な国であるため本音ではほかの国も取引を続けたかったのでしょうがそれを我慢してまでアパルトヘイトを批判していた中、日本は全くそんな事情も気にせずにアパルトヘイトを継続する政府を支援するかのように貿易を継続して、いわば独占的に儲けていました。そんなことをやっていた日本人がマンデラ氏が死去するや彼は立派な人物であったなどと報じるのを見るにつけ、彼と対立していた昔の南ア政府とずぶずぶの関係だった連中が何を言うかと、皮肉めいた感情を覚えていたのは自分しかいないのかとちょっとイライラしていました。

 ちょこっと今回の記事を書くに当たって検索をかけてみると琉球新報はちゃんとこの事実について触れており、私もなんだか安心しました。何もどっかの国の大統領みたいに未来永劫に謝罪し続けろとこの件に関して私は主張するつもりは毛頭ありませんが、まだそんな遠い昔の話でもないんだし、マンデラ氏が亡くなられたという一つの契機でもあるのだし、この「名誉白人」であったことに触れてこの事実を認識しておいてもらいたいというのが私の本音です。逆を言えばこの事実ついて触れずに置きながらマンデラ氏を讃えるのは、些か言い過ぎかもしれませんが冒涜に近いようにすら思えます。

 我ながらこういう事をやかましく言うようになって自分も年寄りくさくなったなという気がします。もっともアパルトヘイトが行われていた時代は幼児だった癖にとも思えますが、自分が最初に就職した会社で貿易部門にいた頃、上司が「俺たちは名誉白人だからな」などと皮肉めいて言っていた当たり、貿易関係者の間では広く認識されていた事実だったのだなと感じていたのでこうして書くに至りました。

2014年2月1日土曜日

茶道具を購入

 昨夜はこのところ行っていなかったので仕事が終わったら定時ですぐ帰り、晩飯食べて漫画喫茶に行こうと思ってたら、やけに緊急の仕事が振られて帰宅が通常よりやや遅れて帰りました。にもかかわらずなじみの喫茶店でカレー食べて漫画喫茶へ突入したわけですが、そこで時間が余ったので新規開拓とばかりに「へうげもの」という漫画を手に取って読んでみました。ちなみに、ついでに読んだ漫画は「デスレス」と「ギャンブルフィッシュ」と「悪の華」。
 話は「へうげもの」についてですが、戦国時代の茶人であり利休七哲の一人である古田織部を主人公にした作品で、物欲のままに行動する主人公の姿はなかなか痛快です。話題作だから前から気になっていたもののなかなか手に取らなかったのですが、今回読んでみて売れるだけある作品だと私も太鼓判を押します。

 それでこの作品に影響されたというか、物凄く茶道具が欲しくなりました。元々、以前から茶碗やティーカップを集めることが好きでしょっちゅう買いあさっていたのですが、今の家に引っ越してからは物がかさばると大変だなどと考えて急須すら持たず、お茶もティーパックで済ます毎日です。しかし「へうげもの」を読んで久々に急須などをそろえてお茶を飲みたいと猛烈に願い、早速次の日である今日になって靴底がはがれたのでホームセンター(島忠)に安全靴を買い替えに行くとともに、伊勢丹に行っていい道具はないかと探しに行ったわけでした。


 そんなこんだで買ってきたのが上の二品です。当初は急須のみ買うつもりでしたが、右の茶碗がセールで1300円だったのでついでに大人買いしちゃいました。なお急須の方は2700円で、自分のことを「花園君の考えは乱暴すぎるんだよ」と先週言い放った友人からすれば、「急須にこれだけの金額をかけるなんて花園君の金銭感覚はおかしい」と指摘してくれることでしょう。ついでに書くとその友人は学生時代、「100g100円以上の肉は買わない」と言い放つほど価格にシビアでした。



 斜め上からの角度で撮った写真です。見てもらえばわかるように急須の方は蓋がなかなかオシャレで、あと取っ手が平べったくて持ちやすいです。急須に限りませんが私や茶道具や食器に関しては表面が波打ってたり、ざらざらしている方が好きで、逆につるんとした白一色の物なんかはあまり好みじゃありません。



 こちらは茶碗ですが、満を持して私のブログで大きさ比較をする際に出現する阿修羅像フィギュアに登場してもらいました。こうして並べると大きさがわかりやすい……なんてことはないでしょう。



 折角だから入れてみた。



 上の構図をアップしたもの。っていうかこんなことしてたら阿修羅観音に呪われても何も文句言えないし、そもそもなんでこんなことしようとするのか自分のセンスを時々疑う。



 続いて急須との比較。黒い茶器を二つもかと少し思いましたが、蓋の染付が明るいからまぁありかな。それにしても自分のデジカメは阿修羅像ばかり写してて、付喪神がついたらなんか怒られる気がする。付喪神がつく以前に阿修羅観音に怒られそうだけど。



 蓋の裏を取ってみた写真。右下に茶葉のかけらがついているのは観なかったことにしてください。



 実際にお茶を入れた状態での撮影。黒色茶碗に対してなかなかいい深緑色が映えてます。ここだけの話、湯飲みなどではなくこうした大きな茶碗で飲むとなかなかお茶もおいしく感じられるし、こういう事に興味がない人でも一回くらいは大きな茶碗で飲んでみて、出来ることなら一つくらい持っておくことをお勧めします。
 最後に私が茶碗など食器を選ぶ際のポイントとしていることとして、先ほど述べたように外観がざらざらした感じであることと、使い古した後でどんな風になるのかを想像しています。新品の状態ではよくても使い古して茶渋などがつくと外観ってのはやっぱり変わってしまうものですが、いい茶碗などは逆に渋さが増すこともあり、また使い古した姿でも美を感じられそうだと思えたらなかなかに買いじゃないでしょうか。

 それにしても今回品物を見ている時に鉄器もあったのですが、一個くらいはああいう急須も欲しいです。ここだけの話というか実は南部鉄器を愛好する中国人は多く、私の知り合いの中国人もわざわざ取り寄せて購入していました。
 あとこれは中国製と比べてですが、鉄器に限らずとも日本の陶器は優れている上に価格も安く、これだけいい品が溢れているのだからもっと日本人はこういう茶器を購入するべきだと思います。中国も陶芸が盛んな国ですが、意外や意外にあまりいい品が市場に出回っておらず、日用品としての湯飲みも絵付けから焼きまでそれほどいいレベルになく、日本の100円ショップで売っているものにすら劣っているように見えるくらいです。つうか日本はもっと茶道を海外に普及させて、こういう茶器の輸出を増やすべきなんじゃないかな。

橋下大阪市長の辞任、再出馬宣言について

橋下氏、出直し市長選表明 維新役職辞任も示唆(産経新聞)

 テレビニュースなどの報道などでもう皆さんも知っておいでかと思いますが、維新の会の代表でもあり著名人である橋下大阪市長が本日、突然の辞任と共に次の市長選挙に再出馬することを発表しました。私の意見を先に述べると、かまってちゃんもいい所だなぁというのが本音です。

 上記の産経の記事、ならびにテレビニュースなどの報道によると、橋下市長は今回の辞任理由を自身が進める大阪都構想について民意を問うためとしており、さらにそうする理由として公明党が政策協定で反対したためだと名指しで批判しております。細かい議論などは見ていないためまだ何とも言えない部分もありますが、仮にこの通りだとすると公明党のせいで出直しをするんだと言っているようにしか見えません。言ってしまえば公明党との話し合いや協議を放棄しているようにも見えるし、民意を問うったってわざわざ辞任して市長選にまでする必要はないように思えます。

 となると何か別の腹があるのではと見てみましたが、差し当たって自分が勘付いたのは選挙日程と任期です。この辺は時事通信の記者も同じように考えたのか知りませんがきちんと記事に載せてくれており、「橋下氏が出直し選で再選された場合、任期は残りの2015年12月まで」だそうで、出直し選で当選しても変わらないようです。
 仮に任期が次の衆議院選挙直前に合わせられているのなら国政出馬を睨んでの行動だと読めるのですが、元々の任期で変わらないのであればこの線は薄いです。となると今回の辞任は本当に公明党への八つ当たりと共に選挙で圧勝することによって自分は民意を得ているという大義名分を得たいがためだけの再出馬と考えるべきなのかもしれません。

 私個人の意見は先ほどにも述べた通りに今回の橋下氏の行動はあまり評価できず、大義のためというより小義のため、話し合いや調整などといった努力を放棄して自分が有権者から評価を得ているということを再確認したいがための行動にしか見えません。恐らくというか有権者の目にもそう映るでしょうし、維新の会を含めた支持率も今回の辞任によってこれまで以上に下がると予想します。
 では次の大阪市長選はどうなるのか。残念というべきか対抗馬があまりにもいないために現状では7割方の確率で橋下氏が再選されるでしょう。私個人としては橋下氏は破壊型の政治家であって創造型でないことはこれまでの施政を見る限り明らかで、もう長く大阪に居座ってやるべきことはやり終わって出来ることはもう何もないと見ているのでそろそろ降りてもらいたいところですが、いい候補者がほかに出ない限りはまたやっちゃうんだろうねと残念な気持ちでいっぱいです。細かいところを突っつくと、あの「あべのハルカス」の工事を不許可、または中断させられなかっただけでもその能力を疑いますが。

 なら誰なら橋下氏を破って市長選に勝てるかですが、東国原氏ではまず負けるでしょうし、ほかの有名所も東京都知事選(これの日程は辞任発表時期に影響したかも)に出ていてちょっと人手不足というか日本は本当に政治家が少ない国だと思えてなりません。もし本気でやるっていうのならやっぱり現職の国会議員を議員辞職させてぶつけるくらいしかなく、小泉進二郎氏だったら8割方勝てるような気がします。もっともそんな都落ちみたいなことを誰がするかってんだけど。

 ただ三年くらい前と比べて橋下氏も、維新の会も随分と支持を失ったなぁとしみじみ思います。致命的だったのは去年の今頃に出てきた、従軍慰安婦に関して米国をも批判した橋下氏の妙な発言でしょうが、それ以前にも公募した大阪区長が相次いで問題を起こして辞任するなど勢力の急拡大を測って自滅した節があります。彼らの失敗理由を指摘すると「焦り」と「人を見る目のなさ」の二点につき、何もこの業界に限らなくても日本に不足しているのは人材ではなく伯楽だなということを最後のまとめにしようかと思います。