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2020年8月30日日曜日

二階派の菅氏擁立について

二階派、菅氏支持の方針固める 自民党総裁選で(産経新聞)

 先日に次の首相後継について推察を述べましたが、もうこれで菅氏ガースー内閣で決定かもしれません。というのも私はかねてから政治家としての実力、安倍政権引継ぎの名分においては菅氏以外の候補はいないと考えていましたが、菅氏の場合はやや党内と官僚に敵が多いのと、二世政治家でない出身から内部の指示が得られるかどうかで疑問でした。唯一逆転の目があるとしたら安倍首相から直接後継に指名されて応援を得るという事態でしたが、その使命を得る上で最大の障害となるのはほかならぬ、この二階派こと二階氏だとみていました。

 恐らくこの十年間の選挙において、実質的に自民党内部を仕切ってきたのは二階氏であると私は考えています。というのも二階氏は元々自由党で小沢一郎の側で選挙戦を学んでおり、その能力を見出したのは小泉純一郎元首相で、あの郵政選挙も実際に仕掛けたのは二階氏であったと私は考えています。
 幹事長となってからははっきり表に出て選挙を仕切ってきましたが、こうした党内テクノクラートとして、というかほかに実質的に選挙を仕切れる政治家が自民党内にいなくなってしまったことから、第二次安倍政権になってからはますますその権力が集中してきました。

 二階氏自身は政治思想はどうこういうよりも完全な党人派であり、かつての金丸信のようにその政治信条は「選挙で勝つこと」が第一であるという風に見えます。それだけに二階氏がどう動くかは他の自民党議員にも影響を与え、二階派自体は決して大所帯ではないものの、その動向は他にも影響を与えることから小さくないと考えていました。
 しかし二階氏と菅氏が普段どういう仲なのかは私は全く把握しきれず、まさかいち早くこの段階で菅氏応援を表明するとは考えていませんでした。ただこのいち早い動きはやはり水面下で動きがあったように思え、具体的に言えばこれまで二階氏と一緒にやってきた安倍首相が二階氏を動かして、菅氏擁立に仕向けたように見えます。仮にそうであれば、安倍首相は自派の町村氏ではなく菅氏に回ることとなり、これにて決着はついたということになります。

 何気に安倍首相が菅氏を立てる理由はいくらでもあります。単純にこれまでの功績に報いるのと、自らの政治路線をきちんと引き継ぐ可能性が多いこともさることながら、モリカケ問題を完全に封印してくれるという期待が非常に大きいでしょう。それこそ石破氏が後継首相となったらモリカケ問題を蒸し返す恐れもあるだけに、注目されていた際に鉄壁のディフエンスで守り切った菅氏ならばと安心して安倍首相も任せられるでしょう。
 少し話は変わりますが、そういう意味では安倍政権最大の戦犯は昭恵夫人でした。

 報道では早くに後継を固めるために党員投票は見送るという案が出ているそうですが、これも菅氏にとっては完全な追い風になります。となると8月以降の安倍首相の動きは、「菅氏後継」の根回しに使われたとも言えるかもしれません。考えてみると、そうした動きも見えなくもありません。

 それにしても、仮にこのまま菅氏が首相に就任した場合、自民党発の首相としては実に久しぶりに二世政治家でない首相が誕生することになります。旧民主党も加えると直近では野田氏がいますが、その前となると1989年に発足した海部俊樹内閣以来ではないかと思います。
 私個人としても現状では菅氏が一番適任だと思っているだけに、このまま走り切ってくれればまだ安心です。

2020年8月29日土曜日

チャドウィック・ボーズマンの逝去について



 本日入ってきた上のニュースですが、自分にとっては安倍首相辞任よりもずっと衝撃が大きかったです。逝去されたチャドウィック・ボーズマンについては以前に「ハリウッドの黒人男優ら」という記事で取り上げており、個人的にもその演技を見るのが楽しみな俳優であっただけに非常に残念極まりありません。
 それにしても今回の報道で知りましたが、2016年時から闘病を続けていたという事実は素直に驚きでした。代表作である「ブラックパンサー」も闘病しながらの撮影だったということで、 改めてその役者魂のすさまじさを感じ得ます。

 以前に書いた記事で私は、かつて黒人男優というとエディ・マーフィーを筆頭におしゃべりの多い面白黒人という役柄が多かったです。しかし近年はドン・チードルなどを含め忍耐を重ねながらも責任を果たすという役割を果たすことが多く、チャドウィックもジャッキーロビンソン役を演じた「42」でもまさにそうした役柄を演じることが多かったです。

 黒人というと最近、米国で差別に対するデモが非常に多いですが、これらのデモについて私はあまり支持する立場にありません。理由はデモに乗じて商店などを略奪する暴動が非常に多いことと、純粋に警察の捜査を批判するだけならともかく、そうした批判とは全くつながらないようなパフォーマンスや活動が非常に多く、全体として反差別の名を借りて何でもやっていいようなムードになっているからです。
 名指しすれば、テニスの大阪なおみ氏の行動は理解できないばかりか、好き勝手もいいところだと思います。テニス大会を棄権することが黒人差別問題と一体どこでつながるのか、黒人差別を題目に掲げれば何やってもいいのかと聞きたくなるような行動ぶりで、はた迷惑で何も考えずに行動する人なんだなという印象を率直に覚えました。

 チャドウィックに話を戻すと、映画の「ブラックパンサー」の中では一国の国王として、西欧諸国のやや蔑視めいた態度に対しても毅然と対応する演技ぶりが非常に印象的でした。なおこの映画の悪役の父親は、ブラックパンサーの祖国から米国に派遣されたものの米国で殺害され、その後米国で育ったという経歴でしたが、これはルーツなき米国という祖国にある黒人を描いているとされ、そうした目線で見るとさらに楽しめます。
 いろいろ話が飛びますが言いたいことをまとめると、チャドウィックの逝去は素直に残念であること、そして米国の黒人デモに正義は感じないということです。香港デモといい赤軍派の系譜といい、暴力を伴うデモや政治活動は自分は認めません。

2020年8月28日金曜日

安倍、首相辞めるってよ

 自分でもかなり久々に桐島系見出しを書きましたが、数日前に会見を行うってアナウンスが出た時点で八割方辞任じゃないかと思っていました。後出しじゃんけんなら何とでも言える(ΦωΦ)フフフ…
 ただ辞任理由の潰瘍性大腸炎ですが、内心これにかんしては疑っています。というのも安倍首相は結構意固地な性格しているからもう少し、それこそ立てなくなるまでは病気が再発したとしても人気までは続けそうに思え、実際には余命宣告レベルの病状となったから今回の突発的辞任に至ったのではとも見ています。そもそも病院で検診を受けたという報道自体が、「辞任に至るのもしょうがない」と受け止めさせるためにリークされたものであったことに間違いないでしょう。

 もっともこの辺に関しては憶測に過ぎないし、当たっていたとしても今後の政局には何も影響しません。いま議論すべきはすでに報道にも出ている通り、次の総理に誰がなるかで、その辺について少し自分の見解をまとめます。

 仮に誰選んだっていいってんなら、私なら菅官房長官を推します。政治采井の実力は現在の政治家の中でも抜きんでており、尚且つ失言もなく、安倍政権の閣僚であったことから路線引継ぎ面でも全く問題ありません。ただ彼は二世政治家でないという出身の問題から、自民党内で支持が得られる可能性はほとんどありません。また党内に敵も多そうで、報道を見ていると一部メディアも初めから候補扱いしていない辺り、かつての野中広務を連想させます。
 殺しても死にそうになかった野中ももういないんだなぁ(´;ω;`)ウッ…


 では具体的に候補になるのは誰かとなると、上記記事の様に自民党内では石破氏、岸田氏、下村氏の三人でしょう。野田に至っては論外で、正直党内でも誰も相手にしないでしょう。
 中には麻生氏を候補に挙げている記事もありますが、年齢もさることながらいまだ衰えぬ失言癖、そしてかつての総理在任時代の大敗をまだ忘れていない人も多いので、まず目がないでしょう。意外と本人はやる気ありそうですが、なったらなったで「コロナにかかる奴自体に問題があるんだ」みたいな発言を連発して、別の意味でトランプ大統領を超える資質を持っています。

 では上記三候補を個別に見た場合、世論は恐らく石破氏を推すでしょうが、自民党内では票がほとんど集まらないことから、実現の可能性はそれこそよほど大きな世論を作らない限り無理でしょう。ましてやこのコロナの流行下ではまともな運動は行えず、実質的に候補から外してもいいと思っています。
 逆に党内から支持を集めそうなのは岸田氏ですが、独自に活動するため閣僚を辞めたのに、その後全く目立たなくなるなど資質面で疑問視する向きがあります。とはいえ派閥も本人も自民党内屈指の穏健派であるだけに、余計なことしないで選挙でそこそこやってくれそうなのと、きちんとポストを分配してくれそうって意味では支持が集まるかもしれません。

 一方、残りの下村氏に関しては岸田氏同様に色の薄い政治家であることもさることながら、安倍首相と同じ派閥に属し、安倍首相の応援を受ける可能性も十分あり得ます。その場合、一気に大量得票を得て総裁になる可能性を秘めていますが、私自身はこの人の資質をあまり評価しておらず、悪い意味での安倍路線引継ぎになる懸念があります。
 このほかだと出るだけだったら河野氏とかも立候補するかもしれませんが、まぁまだ票を得ることはできないでしょう。

 最後に安倍首相について少し述べると、いつも言っているように二期目が終わった時点で規定通りに辞めときゃよかったのにということ以外、何もありません。本人は東京五輪を花道にと考えていたようですが見ての通り今年は延期し、来年も中止の公算が高いことも今回の辞任につながったとみています。
 私が安倍首相に対しもっとも許せないのは政府統計不正で、あれはやはり官邸の力が強く働いて行われたと考えています。統計を比較的扱う自分にすれば統計とデータは神聖不可侵であり、そこに人の意思を介在させるというのは自分の立場からすれば許せない行為でしかなく、この点一つとっても第二次安倍政権は及第点を与えられません。

 またそのほかのモリカケ問題、検察庁介入問題も看過できるものではありませんでした。そうしたこともあるため、安倍首相は次の政権でこの方面にタッチしない人物を応援するとみられ、そうした安倍首相の後継指名を受けた人物が総裁となる可能性が高いとみています。
 とはいえ歴史的な断罪は恐らく免れないとみられ、かつての造船疑獄同様に政府による検察介入の例として歴史に残され続けることになるでしょう。アベノマスクとともに。っていうか今日の会見くらいアベノマスクして出て来いよとも思いました。

2020年8月27日木曜日

日本人はニッチ市場に強い?

 今日の帰りの電車の中、ふと緊急用設備に「マイク(麦克风)」という文字が書かれているのを見て、

    マイク→マイケル→マイケル・ジャクソン→マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー

 まで発想が飛んだところ、「あの頃は日本のゲーム業界は開発力も競争力もあったどうして今こうなったヽ(゚Д゚)ノなんてこった」という風に考えた際、真っ先に思いついたのはゲームハードが進化したらカモという可能性でした。
 これは私だけじゃなく他の人も一部で行っていますが、かつてのゲーム開発はハードの性能が低かったことから非常に制約が多く、容量一つ、プログラム処理一つとっても可能な限り無駄を省く工夫が必要だったとされています。スーパーマリオの芝生と雲は、実は色を変えただけのだ同じ画像だったというのも有名なエピソードです。

 また特にスーファミ時代なんかは画像描画能力の限界が低く、高品質なグラフィック、それこそ1枚絵なんてバンバン出せる時代ではなく、演出においては非常に厳しいハードルとなっていました。その分、プレイヤーを楽しませるためにストーリーなどで工夫が測られるようになったことからJRPGは発達したとも言われますが、プレステ、プレステ2などとハード性能が発達していくにつれ、こうした開発における制約はどんどんとなくなっていきました。同時に、和製ゲームの世界的評価もどんどん落ちていき、海外製ゲームと比べ「時代遅れ」とまで言われるようになっていきました。

 ハード性能の進化と和声ゲームの凋落が歩調を共にしたのは偶然なのか。多くの意見を聞いている限りだとやはり偶然だとは思えず、その原因は日本人は制約のある環境での開発に強い一方、制約のない自由な開発環境となると弱くなる特徴があると私自身考えています。これはゲーム開発に限らずあらゆる技術、成果物の開発において日本人の共通する特徴と言われていますが、「予算も人材もあるから誰もがあっと驚くようなすごいの作って」というと弱くなる一方、「この限られた枠の中でどうにかして」とか言われると、何故かその枠の中で完璧なものを作ってしまうということが日本はかねてから多いです。

 いくつか例を挙げると飛行機のゼロ戦なんかまさにその典型で、「火力もあって、俊敏で、おまけに航続距離の長いのを作って。予算はないけどな」とか言われて、本気でそんな戦闘機を作っちゃいました。もっとも開発要求で言及されなかった、防御力に関してはその分完全に犠牲になりましたが。
 また現代における技術面で見れば、自動車の燃費なんか最もいい好例だと思います。こちらも画期的な技術とかそういうのではないですが、「とにもかくにも枠を小さくして言って」的な開発方針の中、世界的にも驚異の燃費水準を日系車はどこも確立させています。もっとも、「燃費下げられないのなら、数値を弄ればいいじゃない」的な三菱自動車も存在しましたが。

 ここまでくるともう日本人のメンタリティ的なものがあると私は考えており、基本的に徳川吉宗に始まる倹約精神が重きをなしているように感じます。ともかく今あるものを最大限有効活用してブレイクスルーを起こすというようなメンタリティで、やはり制約のある環境では圧倒的に強いものの、逆に全く枠のない新規の発明とかそういうのでは西欧人には及ばないというのが自分の見方です。そんなわけだから、ゲームハードが進化してなんでもゲーム内で反映できるようになったから、日本人は途端に開発が弱くなったとみています。

 以上の考えは以前にもこのブログにも書いたし、他の人も同じように言っている人はよく見ます。ただ今回なんでブログに書き起こしたのかというと、ここから今回はさらにもう一歩進んで、「日本人はニッチ市場に強いのでは?」と思い至ったからです。

 ニッチ市場の定義についてはいちいち解説しませんが、改めて考えると日系企業は基本的にマーケティングが下手だと思う一方、自分が先週取り上げたマヨネーズなど食品系企業は、食文化のハードルがありながら海外市場でもマーケティングに成功し、市場を自ら開拓するに至っています。
 同様に調味料を細かく見ていくと、日本の調味料は非常に多品種、それこそカロリーゼロとかハーフとか、濃口とか薄口とか様々に分かれていますが、それぞれに対してきちんと市場が出来ててちゃんと商売が成り立っています。

 改めてこの辺りに着目してみると、先ほどにも述べた通り、日系企業はマーケティング、特にマスマーケティングは全体として上手くなく、この点では韓国企業に大きく遅れていると私は思っています。一方で狭い範囲のマーケティング、敢えて言うならニッチマーケティング分野においては、非常にごく限られた市場の中で如何にシェアを取り、既存ユーザーの満足度を高め、他社製品と同差別するのかという点では、日系企業はそこそこ成功を得ているように見えます。先ほどの多品種に渡る調味料市場なんかまさにそうで、「こんな味誰が求めてるの?」と思うようなものでも、結構がっちりした固定消費者層を形成していてロングセラーだったりしますし。

 特にユーザー満足度の面に関してみると、幅広い層に受け入られるようなマーケティングはそれほど見るべく物もないですが、狭い範囲の特定ユーザー層に対するアプローチや維持の仕方は、工業製品分野でも日系企業は比較的よくやっているような気もします。工業製品でもニッチな部品とかデバイスなんかで強い日系企業は少なくないですが、これはやはりその限られた市場の中でのマーケティングが上手いのではと示唆しているようにも見えます。また、ユーザーがほとんどいないような市場で、一からユーザーを広げていくような方面でも意外と強いかもしれません。そうしたニッチ市場の強さは、「制約下で力を発揮する」というさっきの日本人のメンタリティにも通じるのではないかと考えました。

 こう考えると日系企業は世界の表舞台ではなく、「こんなんどこに需要あんだよ?」的なニッチ市場こそがメンタリティ的に最も相性がいいかもしれません。先ほどのゲームに関しても、なんか最近見ていると、最近日本はインディーズゲームの方がなんか面白いの増えてきているように思え、やはり開発人員とか予算が潤沢にあっても日本出は良いもの出来ないんだな、国家プロジェクトが良く大失敗するのもそういうところなんだなとか一人で納得しています。
 唯一例外を出すと、元コナミの小島監督なんかは潤沢な予算に対してきっちり売れる対策を作れる日本ではレアな欧米型開発者だったと考えています。もっとも同業者からは、納期は守らないは開発人員を横から奪っていくわであまり評判は良くないですが、エジソンとかあのあたりの人間の話聞くとやっぱそういう人多いから、欧米型なんだろうな。

2020年8月25日火曜日

正しい情報ほど信じられなくなる理由


 また例によって上の羽根田治氏の山岳遭難本を買って読んでいるのですが、こちらの「十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕」では、かつて井上靖が小説「氷壁」のモデルにしたいわゆるナイロンザイル事件も収録されています。

ナイロンザイル事件(Wikipedia)

 この事件は知っている人に早いですが日本山岳史、ひいては製造物責任法の観点においても非常に大きな足跡を残した事件です。

 概要をかいつまんで説明すると、1955年当時、従来の麻製ザイルに比べて軽くて丈夫な上位互換製品という触れ込みで世に出たばかりのナイロンザイルを使用して穂高岳の登山を行っていた登山家パーティで、このナイロンザイルが突如切断したことによって滑落死が出るという事件が起こりました。1トンの荷重にも耐えるとされるナイロンザイルがどうして切断したのか、またザイル確保者が特に衝撃も感じずに切断したことからナイロンザイル自体に何か問題があるのかと考えた、滑落死したメンバーが所属していた岩稜会という山岳会メンバーが実験を重ねたところ、ナイロンザイルは岩角など鋭利な面に接触した状態で荷重をかけると簡単に切断するという事実を突き止めました。

 登山においてザイルが尖った岩肌に触れて支点となることはごく当たり前であり、この欠陥ともいえる特徴は登山家を大いに危険にさらすと考えた岩稜会は、直ちにこの事実を世間に周知して注意喚起を行い、こうした岩稜会の活動を受ける形で、ロープメーカーの東京製綱と大阪大教授であった篠田軍治はナイロンザイルの公開実験を行いました。その実験の結果、ナイロンザイルは麻製ザイルに比べ数倍の強度を持っており、岩稜会の主張は技術不足による滑落をナイロンザイルの責任に転嫁するものだと報告されました
 一体何故こうも主張が真っ向から食い違ったのかというと、実は公開実験では支点となる岩角をあらかじめ削って丸くさせておき、ナイロンザイルが切れないよう工作が行われていたからでした。やったのはもちろん東京製綱と篠田軍治です。

 とはいえそんな事情など露知らない世間からすれば、大学教授のお墨付きを得たことからナイロンザイルは安全だと信じられ、その後も登山において使用され続けました。一方、でたらめを吹いたとされた岩稜会は公開実験の細工を指摘しつつ、その後もナイロンザイルの危険性を訴え続けましたが、日本山岳会にもこうした主張は無視され続けました。
 なお篠田軍治は日本山岳会の名誉会員にもなっています。

 しかしその後もナイロンザイル切断による滑落事故、そして滑落死は相次ぎました。こうした連続する事故と岩稜会の長年の周知活動もあって、最終的には山岳会よりも先に通産省が先に動く形で、1975年にザイルの安全基準制定とメーカーへの遵守義務が法律で定められました(消費生活用製品安全法)。なお同法の制定までに、ナイロンザイルに起因する事故で20人以上が亡くなったとされています。
 日本山岳会はその後もナイロンザイルに問題性はないと主張し続けました、抗議が相次いだことから1977年にようやく過去の主張の誤りを認めるに至っています。

 結果から言えば、最初の岩稜会の注意喚起がすぐ信じられていれば、約20人の登山家は死なずに済んだと言えるだけに、やりきれない所は少なくないと言えます。ただそれ以上に注目すべきは、再現検証も難しくない実験だというのに、どうして篠田軍治らのインチキとも言える公開実験が信じられ、正しかった岩稜会の実権結果が世間に受け入れられなかったのかという点が、自分の属性からするとより興味が持たれます。

 結論から言うと岩稜会の実験結果は、正しかったからこそ世間に受け入れられなかったのではという風に見えます。正しい情報がどうして信じられないのかというと普通に考えるとおかしいですが、現実には報道の現場でも、正しい情報だからこそ世間の一般大衆は信じず、受け入れようとしないと感じることは非常に多いです。
 何故受け入れられないのかというと、正しい、というより真実な情報というのは往々にして耳の痛い内容であることが多いからです。そのため聞く人からすれば最初に浮かべるのは、「信じたくない」という感情で、信じたくない厳しい内容ほどその情報の真偽を疑います。

 逆にというか、耳障りのいい情報というのは誰もが信じようとしてくれます。そのため、厳しい現実という正しい情報よりも、胡散臭いし根拠もないけど、耳障りが良く自分にとって有利となる情報の方が誰もが「こちらの方が正しい」と判断しがちです。極論を言えば、正しい情報よりも耳障りの言い虚構の情報の方が流布しやすいというのはこの世の絶対的事実です。

 その上で付け加えると、その情報の内容が誰にとって、というよりはどれだけ多くの人間にとって有利となるかも、その情報が受け入れられる上で非常に大きなファクターとなります。
 先ほどのナイロンザイル事件を例にとると、ナイロンザイルが危険か、安全かで、どっちが有利となる人間が多いかとなると、断然後者です。前者で有利となるのは、ナイロンザイルは危険であることを実験結果で理解している岩稜会メンバーくらいなものです。一方、安全だと信じられることで有利となるのは、メーカーの東京製綱の社員らと篠田軍治のほか、麻ザイルより手軽で安全なザイルと思って使える登山家など、利益共有者は圧倒的にこちらの方が多いです。

 となると多数派が多い方が勝ってしまうというか、多数派が信じる内容が事実となってしまうわけです。これまた極論を述べると、情報というのは基本、正誤以上に利益の共有者と相反者の比重で世間に受け入れられるかどうかが決まります。それこそ、中国は高い実力を持っていると考えることで有利になる人よりも、実は見掛け倒しで実力を伴っていないと考えることで有利になる人が多ければ、具体的なデータ検証そっちのけで後者の方が世間では事実として受け止められるわけです。

 唯一、情報が受け入れられるかの判断でこの利益バイアスの壁をぶち破る唯一の手段こそが、ナイロンザイル事件でもみられた科学的な比較検証です。しかしその科学検証すら、利益バイアスは途中までのナイロンザイル事件のように、覆い潰してしまうことが少なくありません。

 グダグダと長く書いてしまいましたが何が言いたいのかというと、結局その情報が多くの人にとって望ましくない、耳の痛い、ストレスに感じる情報であれば、その情報がどれだけ正しく、裏付けるデータや根拠があったとしても、真実の情報としては絶対に受け入れられないということです。なら報道なんて意味ないじゃん、部数上げれるよう耳障りのいい適当な情報だけ流してればいいじゃんって結論にもなるわけですが、そういう情報の流し手にも受けてにもなりたくないなと思っているから、自分は今のこの立場にいるるのだと思います。

2020年8月24日月曜日

時代劇X仮面ライダー

 DMMの電子書籍購入ポイントが余っていたので何の気なしに「GANTZ:E」を購入したところ、意外と面白かったです。この漫画は、デスゲーム系漫画の金字塔である「GANTZ」に「江戸」を足した時代劇漫画で、江戸時代を舞台にGANTZをやるという漫画です。マジで本当にこの通りな内容です。
 これ以前にも「GANTZ:G」という女子高生を主役にGANTZする漫画もありましたが、作画は綺麗だったものの、一回の戦闘が毎回長くて読んでてだれて、その結果短期で終了してしまいました。まぁ当初から短期連載の予定だったのかもしれませんが。

 今回の「GANTZ江戸」は元々チャンバラ要素が強かった作品なだけに割と舞台設定にもマッチしていて、敵キャラも妖怪とすることでストーリ的にも妙に整合性があります。また作画の人もアクションシーンは比較的上手に描く人で、読んでてそこそこ臨場感を感じました。
 ただ背景が実写取り込みの江戸時代風の背景であることから、描かれるキャラクターとの描画の差がやや目立ってしまっている場面がいくつかあり、この点は本家と比べどうしても劣ってしまうところに感じます。むしろ本家がその辺の作画と実写CGの溶け込ませ方が異常過ぎて、終盤のGANTZロボもどうせ3DCGだろうと言われてしまっていたのですが。

 作者の奥浩哉氏もその辺は気にしてたのか、「ロボはちゃんと頑張って描いている」と珍しく発言していました。もっともこの発言を聞いても、あのロボはマニュアルと書いたとは思えないくらい書き込みが綿密で逆にびっくりするのですが。

 話を戻すと、野菜不足なせいか爪の白い部分が全くと言っていいほどなくなってしまい、仕方ないので今日何気なくサブウェイで飯食いながらガンツ江戸を読んでいると、「そうだ、時代劇と仮面ライダーがコラボすればいいんだ」と思うに至りました。
 時代劇というともはや大河ドラマくらいしかないくらい、最近は新作が作られなくなってきています。この時代劇を復興するためにはどうすればいいかという点で、ガンツ江戸みたく仮面ライダーを江戸時代に登場させればいいんだという結論に0.3秒くらいで到達しました。

 改造人間とかどうすればいいんだという疑問もあるでしょうが、そんなのは平賀源内がどうにかしたということにして、御家人ライダーとか町火消しライダー、歌舞伎ライダー、相撲ライダー、公家ライダー、副将軍ライダーみたいなのをどんどん登場させて、江戸時代の謎の怪人とガンガン戦ってイケメンを出せば時代劇がまた盛り上がるかもしれません。
 そこまで考えたところでふと気が付いたのは、「ライダーっていうけど江戸にバイクないじゃん」ってことでした。代案はないかと考えたところ、「そうだ、馬に乗ればいい」とスーツアクターに無駄に負担を強いる解決策を思いつくに至りました。

 しかしもう一つ、「ライダー」という呼称がまた難問となりました。この点は無理やり当て字で「雷達」と名乗らせればいいと考え、そしたら漢字的にも平賀源内のエレキテルで変身しそうな感じになって、いい解決案になったと自負します。なお「雷達」とかくと中国語で「レーダー」という意味になります。
 でもマジな話、相手を怪人じゃなく妖怪とすればそこそこ話を広げられる気がします。しかもその妖怪を作っているのを幕府とか特定の藩(何故か真っ先に加賀藩が浮かんだ)にすれば歴史の勉強にもなるし、どっかお江戸ライダー作ってくんないかなぁ。

2020年8月22日土曜日

三億円事件奇譚 モンタージュ (・∀・)イイ!!

モンタージュ (漫画)(Wikipedia)

 例によって漫画の紹介ですが、先日読み終えたこの「三億円事件奇譚 モンタージュ」は近年稀に見るくらい面白かったです。作品自体は2015年、何気に自分が第二次どん底期でどんぶらこしていた頃に連載を終えていますが、当時も人気が高かったようでテレビドラマ化などもされています。

 内容はタイトルの通り昭和未解決事件としては恐らく最も有名であろう三億円事件をテーマにしていますが、作中世界の時間は現代こと2010年頃となっています。なんでそんな時間間隔空いているのに三億円事件と私も当初思いましたが、少しだけさわりを書くと、主人公の少年が偶然出会った死ぬ間際の刑事が「お前の父親は三億円事件の犯人」と言われ、その直後に父親が溺死体で死に、その後高校生になった後で父親の遺品から三億円事件の証拠となる通し番号付きの500円札を見つけるといった流れになっています。その後、近親者の謎の失踪などが続き、三億円事件を巡る騒動に主人公とヒロインが巻き込まれていく形となっています。

 なんでこの漫画を急に手に取ったのかというと、作者の渡辺潤氏の最近のニュースを見たことに始まります。知ってる人には有名ですが、この人はこれまで反社会系の漫画をずっと描いてきた人なのに何故か50代に入ってからやたら萌えキャラを模写、研究し始め、それをTwitterに上げたところやたらバズって急激に知名度をあげています。自分もそのニュース見て、また各萌えキャラの特徴の見方などがさすがベテランと思うほど着眼点が面白く、それで興味を持ったことから比較的直近の作品である「デカウザー」から読み始めて、こちらの「モンタージュ」に至りました。
 渡辺氏の作品を読んでて感じたのはやはり反社会系の漫画を描いてきただけあって悪人の顔がとにもかくにも悪どい、それでいて近年は萌え絵研究の甲斐あってか女性キャラはかわいく書けるようになってて、その辺がとても器用に感じます。ただそれ以上に、これはやはりベテランであるからだと思いますが、コマ運びが非常に上手で、コマを追いながら疑問に感じるところはほぼなく、また激しいアクションシーンの動きの見せ方も秀逸でした。特に「デカウザー」のボクシングシーンは本当に動きが流れるようで無駄がなく、これがベテランの業かと嘆息を付けられました。

 話はモンタージュに戻りますが、一応ミステリー漫画に属すので内容のネタバレがない範囲で感想を述べると、まずミステリーとして非常にストーリーのレベルが高いです。主人公はトラブルに次ぐトラブルに巻き込まれて、しつこく追跡してくる殺し屋をかいくぐりながら何度も死ぬ思いをしますが、それらトラブルの脱出方法が、都合の良い展開とも揶揄されているものの、少なくとも説得力が全くない強引な要素は私には感じられず、単純なアクションものとしても十分読めます。
 またそうしたトラブルを経て徐々に三億円事件の真相に迫っていくのですが、その真相に迫る過程で特筆すべきは、回送シーンの入れ方が神がかっています

 三億円事件をテーマにしていることから1968年の事件当時の場面が何度も回想シーンとして作中で入るものの、その回想シーンは一度にすべて流れるわけでく、事件前や事件後、果てには事件中に至るまでいくつかか分割されて入れられています。その入れ方が秀逸で、また現代において回想シーンの中の人物が登場するにつれて真相が徐々に明らかになるなど、読者をぐいぐいと引き込む見せ方がなされています。
 また長期連載であったことから登場人物も非常に数多いのですが、ほんの些細なわき役に至るまでキャラが非常に立っているのは驚きでした。具体的には、ハードな内容のため苦渋の決断を迫られることが多いのですが、どの登場人物もなし崩しで決めるのではなく、悩んだ末に犠牲を覚悟で厳しい決断を下すことが多いです。そのあたりの心理描写も非常に細かく、一読しただけで細かいわき役のセリフなどを私なんか覚えてしまいました。

 また主要登場人物、特に悪役側に至っては、その行動理念というか信念のすさまじさがやばいです。どのキャラもそれぞれが確固たる信念を持って行動しているように描かれており、それ故に妄執の如く主人公を追い続けたりするのですが、信念の内容はともあれその意志の強さは漫画で読んでても迫力を感じます。そのあたり、血の通ったキャラクターを非常によく出せているように感じます。
 特に、主に回想中に出てくるある重要キャラクターについては、「ああ、覚悟を決めた犯罪者というのはこのような顔をするのか」と、非常に迫力を持った絵で書かれてあり、しばらくそのコマを眺めたほどです。この辺は反社系漫画家の腕の見せ所というべきか、 凄みのある顔については他の漫画家の絵を遥かに凌駕しています。

 などと好き勝手書きましたが、真面目にこの漫画はここ数年読んだ漫画の中でも一番印象に残っており、ぜひ他の人にも手に取ってもらいたいです。