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2021年1月15日金曜日

山本五十六の評価は低下気味?

 昨日JBpressの編集部からゲラ来てチェックしましたが、年末に書いた記事がまた次の月曜に掲載されます。今度の記事は歴史評価の逆転をテーマにしておりかねてから温めてきた内容だったのですが、書いてるうちにすぐ文字数使い切っちゃったので、当初この記事に加える予定だった山本五十六については一切触れずに終わってしまいました。
 具体的には、山本五十六の評価は近年、低下気味ではないかと言及するつもりでした。

 山本五十六と言えば言わずもがなの超有名人で、本人は米国との開戦を望んでいなかったものの図らずも海軍を当時指揮する立場であったことから、真珠湾作戦をはじめとする太平洋戦争初期の戦争を指揮し、最後は移動中を米軍に補足され、P-38ライトニングに撃墜されたことで戦死した人物です。
 っていうかこんなのあるんだな。

 話を戻すと、その山本五十六はかつては昭和の軍人の中でもピカ一の人気があり多方面から尊敬されていたのですが、なんとなく近年のメディアなどの取り扱いを見ていると、かつてと比べると人気が幾分低下気味であるように思います。さすがに否定的評価が肯定的評価を上回るほどではないものの、以前は褒められたり惜しまれたりすることしかなかったのに対し、近年は問題のあった判断だという指摘をよく見るようになってきました。

 仮に私の見立て通りに山本五十六の評価が落ちているとしたらそれは何故か。第一の理由としては、海軍善玉論が現代においてほぼ否定されつつあるからでしょう。
 この海軍善玉論否定の第一人者は、先日亡くなった半藤一利氏です。半藤氏の著作を見ると、海軍善玉論自体はやはり司馬遼太郎が大きく持ち上げたことが大きかったと述べる一方、やはり陸軍同様に海軍の責は多いと度々指摘しています。山本五十六自身は先にも書いた通りに開戦には反対の立場でありましたが、「やれってんなら二、三年くらいは暴れてやるよ」などというセリフを当時の政府首脳らにも言っており、半藤氏によると「断固開戦反対」というわけでもなかったと言わしめています。

 実際にというか海軍全体で本気で開戦を拒否していれば、どれだけ陸軍がごねても開戦には至らなかったとみる向きは大きいです。また陸軍内部の開戦反対派も重要な閣議で海軍側から「絶対に勝てないから無理」と反対してほしかったのに、そうした重要な閣議で海軍は毎回「難しいけど、陸軍さんがどうしてもやりたいというのなら……」などと消極的賛成を採ることが多く、陸軍内部の開戦反対派を大いに落胆させたと聞きます。
 このような海軍善玉論の否定、並びに山本五十六自身が断固反対的立場でなかったことが、かつてのイメージをやや崩しているところがあります。

 こうした開戦前の立場に加え、開戦後の指揮や行動に関しても否定的な意見が出ています。例えば米軍と開戦することになったとはいえ、やるからには早期に講和を持ち込むしかないと考えたというくだりですが、早期講和に持ち込むために「序盤で手痛い打撃を負わせる」方針を持って、真珠湾攻撃を敢行するに至ります。結果は知っての通り、確かに米国に予想を超える手痛い打撃を与えましたが、逆にそれで米国内の開戦意識を高め、早期講和どころか徹底抗戦に世論を反対に誘導するに至っています。
 実際私個人としても、手痛い打撃を負わせればすぐ講和に至るというのはいくらなんでも虫のいい話にしか聞こえません。それこそドイツも米国の領土に攻撃を加えるなど外の状況が悪化していくのならともかく、太平洋の領土がやられれば米国としてはむしろ燃え上がるのが自然です。

 むしろリメンバーパールハーバーさせるくらいだったら、フィリピンなどの東南アジアから先に攻めてそこをしっかり固めて米軍を疲弊させる方が良かったのではと個人的に思います。もっともこの案は実質的に持久戦論で、日本の国力では実行不可能だったのですが。
 となると米軍の士気を挫くとしたら、結局はハワイを占領して、太平洋を完全に占領するくらいまで持って行くほかなかったと思います。結果論だけど、奇襲だけじゃなくハワイを一気に上陸占拠するくらいしなきゃダメだったのかもしれません。

 戦術論はさておいて戻すと、もう一つ山本五十六の評価を下げているのは、真珠湾以降の指揮についてです。これに関しては自分からもはっきり否定しますが、どう見ても無駄に戦線を広げているようにしか見えず、余り戦略価値のない島々を占領しては陸軍に駐留させ、そこ米軍によって補給路を断たれて各個撃破されるという事態を招いています。山本五十六が決めたわけじゃないかもしれませんが、アリューシャン列島の占領なんて完全に無意味な進軍以外の何物でもないです。
 またミッドウェー海戦についても、あの戦闘では最初から最後まで攻撃目標が「艦隊撃破」にあるのか「島の基地破壊」なのかが曖昧であり、その曖昧ゆえに魔の兵装換装を招いたと言われています。私もそのように思っており、南雲忠一などはスケープゴートもいいところでしょう。

 以上を踏まえると、確かに真珠湾攻撃の成功は見事なものですが、見事過ぎて早期講和の道を自ら断ってしまっている節があります。そしてその後の指揮に関しても、なんていうか大目標がはっきりしていない節があり、それ故にオウンゴールを招いた面も大きいと考えています。
 まぁ誰がどう指揮したところで、太平洋戦争で日本が勝つというシナリオに持って行くことはまずできないので、損な役割を負ってしまった人物だとは思いますが。

2021年1月13日水曜日

半藤一利氏の逝去について

 いちいちリンクを貼ったりしませんが、元文芸春秋の編集長にして昭和史研究の第一人者であった半藤一利氏が先日、逝去されたことが報じられました。90歳の大往生ということですが、各界からはその功績を改めて称賛するとともに、亡くなられたことを惜しむ声が数多くみられます。

 つい一昨日の記事でも私は半藤氏の名前を出していますが、昨年末に書いた日本の歴史観をまとめる連載において改めて半藤氏の経歴を確認した際、既に日本の平均寿命を超える高齢であったことを確認して、同じ娑婆にいられるのも長くて数年、下手すれば明日かもしれないなと考えていました。そうした考えがよぎったこともあって五湖十六国関係の本を読み終えて手持無沙汰だった際、半藤氏の本を何か読もうと思い、先日にも新たに買い増した矢先でした。
 突然でない人の死はないというのが私の持論で、今回の半藤氏の逝去についても上記の年齢に対する前意識があったためそれほど突飛性は感じませんが、その遠からぬ逝去を感じた矢先だったというのは妙なタイミングのかちあいを感じます。

 敢えてもう少し書くとしたら、私が半藤一利氏のことを知ったのは文藝春秋の特集記事からで、「佐藤賢了とかと巣鴨プリズンで話聞いてた」などと、歴史の教科書に出てくるような人物名がポンポン出てくるのを見て、こんな人がいたなんてと確か2006年くらいにびっくりしたのを覚えています。その後、戦前の軍部に関する対談記事を見てまた更に感銘を受けて、半藤氏が手掛けた本などを読むようになりましたが、学者ではなく文藝春秋の編集者であったと知ってさらにびっくりしました。

 このブログを見てわかる通り、私自身も歴史に対する興味はかなり強く、JBpressとかでもネタに困った時なんかは歴史コラムを普通に書いたりしています。個人的に半藤を見て影響を受けたというか感じ入った点として、歴史を学問として専門的に学んでいなくても、ライターの立場でこうした歴史の事実探求に迎えるのだという点に凄く憧れを感じました。現在においても私は歴史を専門的に研究する立場になりたいとは思わないものの、ライターとしてどう歴史に向かうか、またそれをどう表現するかにおいては、今後もずっと半藤氏が憧れの立場に居続けると思います。

 今回の訃報に初めて触れた際、実は次のJBpress記事に半藤氏の追悼記事を書こうかと正直思いました。しかし直接会ったわけでもないし、中途半端に歴史を紹介しているだけの自分がそんなもの書いても蛇足にしかならないと思ってすぐそんなことはやめようと思いなおしました。ただ、書けるものなら書きたかったというのは偽らざる心情です。自分がここまで人の死を惜しむのも、水木しげる以来です。

 歴史観の連載でも書きましたが、現在の戦前の歴史評価に関しては半藤氏と保坂氏の考えや主張がベーシックになりつつあります。私自身もこれを支持する立場ですが、今回の半藤氏の逝去によって、完全な定着に至るかの分岐点を迎えると思います。
 同時に、定着というか完成に至った場合、次はいよいよ平成史に対する解釈議論が今後始まってゆくことになると思います。自分が関わるとしたら、恐らくこちらになるでしょう。

 末筆として、改めて半藤氏の冥福をこの場にてお祈りします。

2021年1月12日火曜日

スズキの2位躍進のニュースについて

スズキが初のホンダ越え! 国内2位躍進の裏に“軽だけじゃない”小型車作りの功(ベストカー)

 最近日本帰らないから雑誌はすっかり買えてないけど、地味によくできた記事をベストカーが出していたので紹介します。
 内容は見出しの通り、スズキがホンダを抜き去りトヨタに次ぐ国内2位の販売台数にのし上がったことを報じるものです。この記事のよくできている点はセグメントごとの販売台数をきちんとスズキとホンダで区別しており、スズキは軽自動車のみならず小型車の販売台数を伸ばしたのに対し、ホンダは軽自動車しかこのところ伸びておらず、その他のラインナップが不振であったことが要因ときちんと分析している点です。最近こうした単純なデータ比較すらやらない記事が多いので、久々にまともな記事を読んだ感じがしました。

 それにしてもスズキがホンダ、日産以上の販売台数を記録するなんて、10年くらい前は誰が想像したでしょうか。またバブル後にはホンダを吸収合併するとまで噂された三菱自動車が、国内最低の販売台数を叩き出すなんて誰が想像したでしょうか、と言いたいけど、ここ数年みるならこっちは当然の結果です。

 話を戻すと、近年はどのメーカーも選択と集中とばかりに自分が得意なセグメント車種に注力する傾向があり、マツダなんかSUV特化で特に顕著です。かつてはどのメーカーも、安物セダン、高級セダン、コンパクトカー、ミニバン、ステーションワゴンなどで指定でも1車種は揃えるフルラインナップをしいていましたが、近年そうした姿勢を維持しているのはマジでトヨタだけとなり、比較的余力のあるホンダや日産ですら苦手とする車種はバッサリ切っています。
 この辺、スズキの躍進にもつながりますが地味に「安価な小型車」がどのメーカーも手を出さなくなり、かえってこのセグメントもしっかり取り揃えていたスズキに対し、こうした車を求めるユーザーが集中したのではないかと思います。自分もこのセグメントが凄い好きでイグニス欲しいし、まぁイグニスは全然売れてないけど。

 同じ理由で評論家からの推しが最近やたら強いのが、スバルのレヴォーグです。なんでかっていうと、こうした正統派なステーションワゴンはマジでもうこれ一つだからです。
 一応カローラのフィールダー屋ツーリングなど一応ステワゴに入る車はありますが、やはり商用車なイメージが強く、レヴォーグとは一線を画します。かつては三菱とかでもギャランフォルティスのスポーツバッグなどでこうしてステワゴを出していましたが、マジで今まともなのとなるとこのレヴォーグだけになっているので、この手の車を求めるユーザー数は確かに減っているものの、ドラフトの一本釣りみたく意外とレヴォーグも成功するのではと見ています。

 もっともそういう他社の穴になっていて一本釣りになっている車と言ったらやはりスズキのジムニーが白眉なのは昔から変わりがありません。現行ジムニーがバカ売れしているのを見て、情け容赦ない系自動車業界の常というべきかダイハツも露骨にジムニーっぽい車出してきましたが、それでもジムニーのオリジナリティは依然と遠く、競合するには至っていません。
 そういう意味で最近の自動車メーカーはそうしたニッチなニーズを取りこぼしている気がします。ニーズのあるユーザー数は少ないけど、他社にはない独自性を持った車をもっと開発してもらいたいものです。

 それにしても日産はどうしてキューブを捨ててしまったのだろうか。あれこそコンパクトカーが至る極致の一つだと思うのに。

2021年1月11日月曜日

昭和の狭間の時代

 本題とは関係ないけどFF5で出てくる「次元の狭間」という設定はよくできている気がします。でもってFF5に出てくるレナはFF史上、最も影の薄いヒロインであるという気がします。っていうかヒロインか?

 そんな購入したはいいけどまだ全然遊んでいないFF10とかの話はいいとして、以前に平成時代も終わったというのに「昭和的」という単語がニュース記事に出てくることについて触れましたが、あの記事書いてからしばらくして、よく昭和は前期と後期(戦前と戦後)で分けられるけど、次元の狭間的に狭間の時代があるのではと思いつきました。言うまでもなくそれはGHQ占領時代で、具体的には1945年のマッカーサー上陸から1952年のサンフランシスコ講和条約発効(締結自体は1951年)までの約7年間です。

 なんとなくイメージ的には前漢と後漢の間の王莽が支配した「新」のような時代を連想させるのですが、このわずか7年、実際にはマッカーサーが激しく政策を打ち出した最初の3年間くらいの間、日本国憲法をはじめとして現在の日本の骨格なり方針がほぼすべて定められています。それだけ濃密で且つ重要な時代ではあるものの、やはり占領下ということと、その後の高度経済成長期の方が日本人の感情的によろしいためか、「昭和」という時代枠でこのGHQ占領時代、というよりマッカーサー時代が語られることは少ない気がします。

 私は大分前、このGHQ占領時代に行われた農地改革について、「日本はこの農地改革を日本人自身で実行できなかったがために侵略戦争に走った節がある」と指摘しました。この意見はあまりよそでは聞かない独自性の強い意見ですが、我ながらいい点を突いているという自負があり、日本が戦争に走った一因ながら、日本を打ち負かした米国人の手によって解決されるという歴史の皮肉を上手く言い当てられたと考えています。

 この農地改革を含め、やはりGHQ占領時代においてはもっと研究、検討すべき内容があるのではないかとふとこの前思い、もう一回この時代を調べないとと思ってひとまずとばかりびに「半藤一利 GHQ」で検索して買った本を今読んでいます。やはりというか自分の知らなかった事実がまだ多かったことと、1950年の朝鮮戦争勃発以前の日本の姿はどうだったのかが気になりました。ぶっちゃけこの辺、「ギブミーチョコレート!」と叫ぶ子供たちの姿ばかりが映されて、それ以外のところ、地方の生活や復員者の生活などは映されてない気がします。

 その辺とかいろいろ気になるし、この時代はある意味今だからこそもっとスポットを当てるべきだと思ったのと、「孤高の人」を急に買い始めてお金減ってきたから「1946」とかいうタイトルで小説でも書こうかなとか最近考えています。このタイトルだと別の小説をパクってるとか言われそうですが、私個人としては彩京の「1945」シリーズに連なるタイトルにしたいからこうしているだけで、他意はありません。
 ただ冗談をのけると、やはり日本人は1945年に過度に集中してみ過ぎており、その直後に何があったのかを再認識すべきという意味で、「1946」という単語は極めて重い意味と役割を果たすと私は考えます。具体的には1948年、マッカーサーが大統領選を見据えてある意味本気で対日政策に取り組んでいた3年間の時代はやはり、「昭和後期」とくくるのではなく、「第一生命館時代」として独立して取り扱うべきでしょう。

 そういうわけでしばらく研究したらまたおいおい記事にまとめます。それにしても今どきマッカーサーを研究している人とかいるのかなぁ。

2021年1月10日日曜日

他人事じゃなかった

 日本も寒波で北陸地方を中心に大雪などの被害が出ていますが、上海もここ数日間は最高気温が氷点下を下回っており、寒さに強いことで鳴らす私ですらも布団から出られない日々がこのところ続いています。
 ただ今日のような休日においては、まだ日が昇らぬ4時とかにいつも毎回起きます。なんでそんなことするのかというと購入したゲームとかをダウンロードするためで、こうした早朝の時間帯ならVPN使うとめっちゃ早くギガ単位のデータもサクサクダウンロードできるからです。7時を過ぎたあたりになると通信速度は早くて200kb/秒くらいに落ちてとてもじゃないけどダウンロードできないため、なんかそういう夢遊病者みたく早朝に起きて、ダウンロード指示してまた寝るという行為をよくやっています。

 今日もそんな感じで一旦6時に起きて、朝食のアンパン食いながらダウンロード指示してまた寝なおしてということをやって、10時半くらいに再び目を覚ましました。その後部屋でネットとか見て、12時前くらいに昼食を食べようと外に出たところ、家の近くで水道管が破裂して道路が水浸しになっていました。
 既に警察とか工事の人が来ていたので私自身は何もしていないのですが、冒頭に書いたようにこのところは気温が急激に落ち込んでおり、日本国内でも水道管が破裂しているとあってなかなか他人事じゃないなと思いながら昼食を食べて家に戻ると、水が出ませんでした。そう、破裂したのはうちにつながる水道管でした。

 地味にトイレとかも使えなくなり、「もう洩れそう:(;゙゚''ω゚''):」などというメッセージを友人に送ったりしながらプラモ作って過ごしてましたが、温かいお茶を煎れられないのが一番つらかったです。あとプラモ自体は今回のキットはパーツの合いが悪く一部で取り付けに苦労したものの構造は簡単ですぐ組み上がりましたが、水がないのでデカールを貼ることができませんでした
 そんな感じだったので4時くらいになるとふて寝しようとひたすら布団に入って寒さに耐え続けていましたが、6時に目覚めて水道を見るもやっぱり修復しておらず、隣の大家と「えらいこっちゃ」と話しつつ、家にいてもしょうがないのでマクドに避難することとしました。なお出ていく際に破裂した水道管の現場を通ったら、重機とともに復旧作業が続けられており、周囲には寒い中やたらと野次馬が来て見ていました。

 マクドに行く途中にメイソウに寄り、ちょうどマウスホイールが酷使のためか上下動作の反応が悪くなっていたことから新品マウスを購入するとともに、前回のサイクリングで靴下を二重に履いていたもののつま先が冷えて仕方なかったので、たまたま一緒に売ってたアンゴラ混靴下も購入しました。寒さに強い自信があるけど、手足の末端はどうあがいても守り切れないという風に考えててこの辺はいつも重視しています。

 その後、マクドナルドでコーヒーを飲みながら今朝購入した「孤高の人」と松本清張のある本を読みながらしばらく過ごしてから帰宅すると、水道は見事に復旧していてホッと一息がつけました。上海だからこのように復旧早いけど、他の地方都市ではこうもいかないでしょう。その後に自宅で飲んだお茶のうまいことうまいこと。

 なおついでなので書きますが、昨日今日の土日はやはり気温が影響したほか、河北省石家庄市でコロナ感染者が再び大量に発生したことを受けて、それでも日本よりかは多いと思うものの、1週間前と比べて人通りは幾分少なめでした。また外出している人も先月と比べるとマスクをしている人が多い、というかしてない人がほとんどいないくらいで、防疫に対する意識が随分と跳ね上がっている印象を覚えます。
 それとミニソウのマウスは思ったよりは悪くないです。靴下はまた来週の土日に履く予定です。

2021年1月9日土曜日

セダンは今や高級車

 先日友人が、「電気自動車って塗装代もかかるらしいぜ」といって、テスラの購入見積書画像を送ってきました。ちょうど虫の居所が悪かったのと、その直前に送らないようにと伝えた内容をその後も送り続けるなどチャットマナーについて注意した時であったため、真面目に激怒し、「んなくだらないどうでもいい情報なんていちいち送ってくんな!」とリアルに言いました。その上で、「新車は標準職以外はメーカー側が用意していても別途塗装代を請求される」という自動車購入における一般常識を教えてあげました。

 上記の塗装代に関しては、友人がこれまで自動車を購入したことがなかったために事実を知らなかったのでしょうが、同じように購入経験がない人もこの事実を知らない人が多いかもしれません。かくいう私自身も、自動車業界についてはそこそこ取材経験があって過去の車種にも詳しい地震がありますが、比較的早い時期に中国に渡りその後ほとんどこっちで過ごしているため、実は中古車を含めて自動車を購入した経験がありません。それでも何故上記の塗装代について知っているのかというと、結構暇なときにウィンドウショッピングっぽく、各メーカーサイトに行って購入見積りシミュレーションを繰り返しているせいです。

 真面目に他の人にも薦めたいのですが、用途やランクを設定して各車種の見積りを作り、比較するのはかなり楽しいです。「こっちの方がデザインいいけど値段がやや高いな」とか、「同じ燃費で初期購入価格差はこれだけか」とか、いろいろな意味で各メーカーの思惑とかも取れたりします。またオプションに関してもどういったものが用意されているのか、またその並べ方や表示の仕方から現在人気のあるオプションも把握でき、ネット環境のいい会社で暇なときとかやたらシミュレーションを繰り返しています。
 そのシミュレーションをしていて気が付いたというか最近よく思うこととして、「安いセダンがねぇ」という事実です。

 セダンの人気低迷は今に始まることではなく世界的な流れでもあるのですが、それでも最近のセダンラインナップの少なさには思うところがあります。現状、わざわざセダンに乗ろうって人はそれこそブランド意識の高いミドルハイクラス以上の人で、そういうこともあってか「セダン=高級車」的な図式が出来上がりつつあり、各メーカーも価格を抑えた車は軽自動車かコンパクトカーで出して、セダンに関しては最低でも中高級車感のある値段で設定してきています。
 具体的に言えばかつてはボリュームゾーンだったと思える最低購入価格160万円くらい、オプションなど諸費用込みで200万円以下のセダンは今や皆無です。カローラですら200万円をギリ下回る価格で、分不相応と言っちゃなんですが、ブランド及び販売力の低いマツダ3は220万円台からという勇気を通り越して無謀な値段設定で挑んでいます。あの内容でカローラ以上の値段をつけるというのはちょっと自分の中ではありえない。さらには数年前にギャランフォルティス捨てた三菱に至ってはセダンはゼロという男前ぶりです。

 こんな感じで、一応車として最もベーシックな形であるセダンは今や、準高級車以上限定の車形となりつつあります。買い手がいないんだからそれもそうだし、私自身、街乗り用として使うんだったら確実にコンパクトカーを選ぶと思われるため当然かもしれませんが、それでもコンパクトカーと比べるとセダンの方が高速道路での静粛性、安定性では確実に上回るだけに、やはり180万円以下くらいで購入できるセダンがあればもうちょっと検討するのにという思いがあります。
 まぁ人気がない分、中古車市場だと結構いい高級セダンが良く出回るのですが。

 ちなみにソ連人民の敵であるうちの親父はかつて相手が乗っている車がトヨタだと知るや、「あっ、こいつ車に興味ないやっちゃな」と腹の中で毎回毒づいてたくせに、最近中古のクラウンに乗り始めたらやたらトヨタのこと誉めだすようになりました。まぁ自分から見ても、80年代くらいまでのトヨタは本当にいい加減に車作ってたなという印象を覚えますが。ハチロクなんてカローラにちょっといいエンジン乗っけて足回りを少し強くしただけというやっつけ感満載な車だし。
 逆に90年代くらいの三菱は、価格設定がおかしいと思うくらい無駄に装備が豪華だった気がします。あそこは三菱グループの人間相手に売るだけで採算成り立っていたから、そういう身内向けに豪華装備を安くで着けるようにして売ってたのかもしれません。

2021年1月8日金曜日

甦る親方日の丸意識

 昨夜は寒さでリアルに指が動かずタイプできなかったため記事を更新できませんでした。あと関係ないけどこれめちゃくちゃほしいんですけど。それと「ほしいものリスト」という表記を見る度に「ほしいも の リスト」という風に頭の中で単語が区切られます。

 それで本題ですが、前回記事で私はリーマンショック以降に世界各国でヘリコプターマネー政策が採用された結果、日本では日銀と年金機構がかつてないくらいに上場企業の株価を保有するようになり、市場経済に対する国家(=政府)の統制が強まってきていると述べました。この統制強化についてはデメリットばかりでないものの、日本の場合だと企業の実態活動に及ぼす影響も大きいのではという風に言及しましたが、その影響とは端的に言って大企業病、そして敢えて古い言葉で言うなら親方日の丸意識です。

 現代日本において、大企業病について警戒感を今でも打ち出しているのは私が知る限りトヨタ、あと最近は前ほど主張しなくなったけど自嘲気味に「うちは中小企業だから」と言っているスズキの2社です。逆を言えば、他の大手企業に関しては多かれ少なかれ大企業病になっていると思われ、それが近年、市場の統制化が進むにつれてより顕著となってきているように見えます。
 これは一体どういうことかというと、日銀や年金機構の持分比率が高まるにつれて、役員がその株主に対する経営責任を前ほど意識しなくなっているからです。それこそ村上ファンドのように物言う株主相手であればどの企業も自衛措置や経営の維持を強く念頭に置くでしょうが、日銀や年金機構は各社の経営に口出しや介入することはほぼ考えられず、役員らの経営責任意識を低下させるという点がかねてから指摘されていました(主に村上さんが)。

 私自身もこの見方に同感で、実際に近年の日系企業の役員らの発言を見ていると、随分と他人事みたく物を言う役員が増えたという印象を覚えます。それこそコロナ流行下でどのように経営を維持し、さらに業務を拡大していくかについてはほとんど誰も言及しなかったばかりか、あまり意味があるとは思えない感染対策ばかり口にし、プレスリリースでも電通みたく「社内から感染者が出ました」ばかりしか言わず、どうなっているんだという印象を正直覚えました。
 また単純に、経営者の名前が出てくることも随分と減った気がします。それこそ00年代はデフレ脱却が掲げられ、ちょうど日系企業の海外進出も盛んだったことから多くの名物経営者が名を上げましたが、近年は某章夫さんしか一般メディアで見る名前はなく、あとは日本電産の永守氏くらいな感じがします。これはという方針を打ち出す経営者がいません。それでも、日系企業各社の株価は現在も上昇中です。それはやはり、日銀と年金機構が買い支えているからでしょう。

 こうした背景からか企業自身も、「何かあっても国が何とかしてくれる」という暗黙の了承みたいなものを覚えているようもみえます。実際に東芝は経産省らが八方手を尽くしてくれたおかげで案だけむちゃくちゃやらかしたにもかかわらず逮捕者はゼロで、且つ上場も維持されました。あれが末端の上場企業なら即刻上場廃止の上、場合によっては営業停止処分も受けた可能性があり、明らかに不公平な結果でした。
 このような感じで、大企業に関しては何をやっても国が助けてくれる、不問にしてくれるという意識が今の日本でかなり蔓延している気がして、それはやはり政府政策もさることながら経済の統制化も一因であると私は睨んでいます。それ故に企業自身もすっかり競争意識がなくなり、今やっていることを一切変えずにそのままやり続けようとしている態度が年々増えているように見え、こうした一連の状況を見ると旧電電ファミリーに蔓延していた「親方日の丸意識」が今まさに甦ってきているのではないかというのが私の意見です。

 またこうした大企業病に関して、企業自身がそれを煽っている節があるようにも見えます。どういうことかというと、社員に対し「お前たちは選ばれた大企業社員であり、それを誇りに思うがいい(^ω^)」的な内容を普通に訓示とかで言ったりしてしまっている点です。最初に挙げたトヨタのように、「大企業病になるな。ちょっとでも気を抜いたらすぐ引きずりおろされるんだぞ俺たちは(# ゚Д゚)」とくどいくらい言っているのと比べると、やはり後者の方がそりゃ会社として伸びると思います。

 こうした価値観は採用面でも強くみられ、就職活動する若者自身も、どこかでそういうのを期待しているように見えます。それこそ「俺がこの会社を変えてやんよ( ・´ー・`)」みたいに言う学生はいるはずもなければ、企業側もまず採用しないでしょう。さすがにこの発言は大仰すぎるにしても、私の世代でも顕著でしたが、何かやりたい仕事があるからその会社を選ぶというより、大企業の手厚い保護を目当てに自分の専攻なり嗜好なりで共通点を持つ大企業を選んで応募するというパターンで9割方応募先を決めている気がします。
 そういうわけだから会社に入ったところでやりたい仕事なんてあるわけなく、むしろ余計なことに巻き込まれたくないから進んで歯車になりたがる人の方が今の時代は多いでしょう。まぁ「会社の歯車になんてなりたくない」って公言する奴はする奴で変だとは思いますが。

 そうした応募者の目的は仕事を通した自己実現などではなく、大企業における保護であり、ちょっと前にこのブログのコメント欄で話題になった通りに大企業への入社が「人生すごろく」のあがりみたく認識されて、入社以降の意識や行動の向上を妨げている気がします。さらに企業側も、「うちは立派な大企業で、あなた達はその優れた会社の一員たちなのです」みたいにさらに危機感を失わせるようなことを堂々と言っちゃうし。

 この辺、さらに深く進めると国内における競争が減ったことも影響する気がしますがそれは置いといて、今の日系企業を見ていると本当に危機感がなく、地味に大企業病の蔓延が深刻化してきている気がします。それこそリーマンショックの頃はまだどないすんねんとリアルな危機感がありましたが、かえってヘリコプターマネー政策を受けてからはそうした危機感も吹っ飛び、「国が何とかしてくれる」という考えが強まってきている気がします。
 今回、ハゲタカファンドという単語が何故消えたから一気にここまで自分の考えが及びましたが、突き詰めるとヘリコプターマネー政策の一般化が、じわじわとかつての非常識を常識へと変えていき、知らず知らずに世の中をおかしな方向に引き寄せているのではと考えるに至りました。

 その上で、先にも書いた通りヘリコプターマネー政策は今後も確実に継続されます。その結果がどうなるのか、またその過程で予想されることは何なのか、ちょうど今くらいにいろいろ考える時期に来ているのではないかと思います。