ページ

2018年4月29日日曜日

異色学部の出身者たち

エンジニア・投資家・サッカー選手という3つの顔を持つ男の『超戦略的生存戦略』(SiliconValleyWorkers)

 同志社大学神学部卒で元外交官且つ「ラスプーチン」だった佐藤優氏のファンだということを察して、友人が上記記事を紹介してくれました。この記事で紹介されているのは同志社大学神学部卒で、サッカーの元学生日本代表である酒井潤氏ですが、こうした記事で紹介されるだけあってなかなか面白い価値観を持った人だと私も感じます。
 特に「米国で働こうというのなら取得できるビザの種類をきちんと調べておいた方がいい」というアドバイスに関しては、重要そうでありながら意外と誰も指摘しない点だと思え、唸らされました。

 そうした酒井氏自身のバックグラウンドも十分面白いですが、友人とともに話題になったのは同志社神学部教授の酒井氏へのアドバイスです。酒井氏自身はスポーツ推薦で入学して且つ信仰も持っていないというそうなのですが、怪我でサッカーを断念した酒井氏(本人はあまり気にしてなかったようだが)に対し、「今後はITと英語ができれば食っていけるよ」と、神学部らしくないやけに現実的なアドバイスをしてきたそうです。間違ってはいないですが、割とストレートなこと言うなと対談でもやや盛り上がっています。

 これに限らずと言っては何ですが佐藤優氏に関しても神学部受験時のエピソードで、当時はまだ裏口入学があった関係から面接試験もあり、その際に何故この学部を志望したのかと聞かれて当時ガチガチの左翼思想だった佐藤氏が、「無神論を研究したいからです」と思わず本音を言って「正直すぎてしまった(;´・ω・)」とか思ってたら、「他の学校に受かったとしても、ぜひうちの学部に来てくださいね( ・∀・)」と帰り際に言われたそうです。あとでその時の面接官だった教授に話を聞くと、「君みたいに最初反発してる奴ほど、信仰にハマるとこれがまたすごいんだよ( ・´ー・`)」と、また割とリアルな価値観を見せつけられたそうです。

 話は本題に戻りますが、こうした神学部や哲学部、あと理系なら天文学部とか現実から結構遠い学問系出身の人間について、大半は理屈っぽかったり愚痴が多かったりして社会人としてはやや扱いづらいなと思う人が多いものの、この手の出身者のごく一部はとんでもなく優秀な人が多いのではとこのところよく思います。現実離れした学問を専攻しただけあって考え方が深く、また他の人にはない視点を突然持ち出してくることがあり、 ハマれば化けるタイプを何度か私も見てきました。そういう意味では専攻までとはいかずとも、小中学生くらいの子供にこの手の天文や哲学をしっかりと学ばせておくのはメリットが多いと断言できます。私はあんまやらず、何故かセンターで地学を受験したのでその際に一気にケプラーの法則とか学びなおしましたが。

 最後にこれは私が直接聞いたわけでは、上記の同志社大学のある授業にてある講師が、「キリスト教は虐殺を繰り返して信者を増やしていったような宗教だ」と普通に発言したそうです。こういう発言をしても誰も咎めない環境を始め、アナーキーすぎる学校だなと常々思います。

2018年4月27日金曜日

ランサーエボリューションWRX STi

 先日何気なく零戦のアンサイクロペディア記事を読んでいたら、「ちなみにこの機体を開発したのはランエボを作った会社で、製造し、エンジンを供給していたのは、STIの会社である」という記述が書かれてあり、言われてみると確かにそうだと妙に納得しました。言うまでもなく、ランエボの会社というのは三菱(自動車)で、STiというのは旧富士重工こと最近データ改ざんで揺れているスバルです。それにしても社名変えた直後にバレるっていうのも門出が悪い、

 上の一文を見てパッと閃いたのがこの記事の見出しですが、昔は仲良く零戦を作っていた両社であるものの1990年代は自動車ラリーのWRCでしのぎを削り合ったライバル関係にあり、それぞれランエボとインプレッサ(現在のWRX)という当時の4WDラリー車としては破格のマシンを作っていました。だったらせっかくだし、両社でコラボしてまた新しい車を作るとしたらきっと「ランサーエボリューションWRX STi」になるなというわけです。

 ただ、自分で言っててなんですがあながちむちゃくちゃな組み合わせでもないなという気もします。というのも両車種ともに「最強の4WD車」というコンセプトこそ共通しているものの、そのアプローチの仕方は真逆と言っていいほど違っているからです。
 三菱のランエボは「4WDに最適な駆動システムとは何か?」が追及され、その結果出来上がったのは四本それぞれのタイヤにかかる荷重によってパワー伝導率を変えるよう制御するシステムを乗せた車となり、「走るスパコン」とまで一時期言われました。一方、スバルのWRXは「4WDに最適なシャシーとは何か?」が追及されており、4WDが最も発揮できる車体構造が徹底的に煮詰められた車です。いわば三菱はソフトウェア、スバルはハードウェアに重きを置いてレース車の開発に取り組んでいました。

 だったら駆動システムは三菱、シャシーはスバルでがっちゃんこさせたら面白いというか、普通に見てみたい車が出来上がりそうな気がします。問題はエンジンでどっちのを載せるか悩むところですが、やっぱレアリティで言えばスバルのボクサーエンジンに軍配が上がるのでこっちにして、代わりにターボユニットは三菱重工が国内大手なんだし三菱にしてしまいましょう。
 っていうか本当にコンセプトカーでもいいから、両社でコラボして1台作ってもらいたいものです。きっとスバルとトヨタのコラボよりもずっといい車が出来上がるはずです。でもってこの車でWRCにも復帰してもらい、他のメーカーを総薙ぎしてもらえば痛快この上ないでしょう。

  おまけ
 現実にはスバルはトヨタと、三菱は日産との提携関係にあり、むしろ実現しやすいのは「スカイラインエボリューション GT-R V spec Ⅲ」の方かもしれません。

エディット機能のあるゲーム


 上の画像は最近ネットで見つけたものですが、恐らくファミコンの「バトルシティ」というゲームでしょう。このゲームは戦車動かして敵戦車を殲滅したり、本陣を陥落させたりすること目的としたゲームで、用意されているステージだけでなく上記画像のように素材を使って独自のステージを作るエディット機能がありました。
 なお私は友人とこのゲームでよく遊んでおり、後年にPS2で「THE戦車」というゲームが出た際は魂を揺さぶられながら「バトルシティ」を思い出し、買ってみたところクソゲー過ぎて戦車自体が嫌いになりました。

 話は戻りますがファミコン時代はこの「バトルシティ」に限らず「エキサイトバイク」などのように、セーブ機能がないにもかかわらずエディット機能を備えたゲームが数多くありました。スーパーファミコン時代もいくらかあったものの、大体プレステの時代辺りからこうしたエディット機能はどんどん少なくなり、なんていうか「やらされている感」の強いゲームが増えていった気がします。最たる例としては、シナリオ進行が一つしかない一本道RPGとかですが。

 やはりゲームというのは遊んでなんぼというか、一定の枠やルールの中であれこれ弄繰り回せるというのも遊びの一つの醍醐味だと思います。実際に上記のエディット機能のあるゲームも、セーブできないから一期一会だというのに夢中でみんなで作ってはそのステージで遊んだりしてました。またエディット機能は往々にして極端なステージを作ったりでき、平地が全くないバイクのレースコース作ったりとか、ああいうむちゃくちゃが試せるというのが個人的には良かったです。しかし最近のゲームだとそうした外枠ががっちり固められていることはおろか、こうしなさいああしなさいと説教臭く指示されるというか攻略法がワンパターンに決められていることも多く、やはり往年の時代を振り返ると物足りないものです。

 唯一、こういったエディット機能が現代のゲームでも残されている点を挙げるとすると、そりゃやっぱりキャラエディットでしょう。見た目や能力を思い通りに弄って作る機能ですが、この方面に関しても正直不満を感じることが多いです。
 外見のエディットに関しては眉毛や輪郭、目の虹彩まで非常に細かく設定できるゲームがこのところ多く、好きな人はいいかもしれませんが、私にとっては設定項目が多すぎて作ってても疲れるしイメージ通りにはなかなか作れず、もっとシンプルにしてほしいとすらよく思います。ついでに書くと、戦国無双のキャラエディットは細かすぎるのも難点だし、声もなんか棒読みなパターンしか用意されておらず不満が募りました。

 逆にそういったキャラエディットで過去楽しかったと思うのは、「パチンコパラダイス」の13と14です。髪型から体系、歩き方、服装に至るまで自由に且つシンプルに選べ、自分はよく海水パンツ一丁に辮髪にして、スケート靴を履かせて街を練り歩き、気が向いたら二輪バイクを乗り回して、早くこのシリーズ復刻してほしいと今でも願ってます。

2018年4月25日水曜日

心の隙間を埋める家具

 知る人ぞ知るカルト映画の「ファイトクラブ」の冒頭で、エドワード・ノートン演じるエリートサラリーマン(自動車の不具合箇所についてリコール費用と事故被害者への賠償のどっちが高いかを判断する仕事)の主人公が、「僕も周りの人たちのように家の中を流行りの北欧家具で埋めてみたが、特に大きな満足感は得られなかった」と言うシーンがあります。このセリフの「北欧家具」都は恐らくIKEAの家具のことでしょうが、確かに中国でも数年前からIKEAの家具で家の中を埋め尽くすというのが憧れというかトレンドのようになっている節があります。

 ただ上記の主人公(役名は実際にない)はこうした流行の家具を買い漁っても満足感を得られず、人生にやる気というか面白味を感じない生活が続くこととなります。その後については出張先でブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンという破天荒な男と出会い、お金を賭けたりすることもなくただ週末に地下室に集まり合い、男同士で殴り合いをするという「ファイトクラブ」を創設することとなるのですが、そうした映画のシナリオは置いといてこのところ家具による満足度で先度のセリフがよくよぎります。

 知ってる人には早いですが私は2010年くらいからほぼ2年ペースで引っ越しを繰り返しており、リアルに3年以上同じ部屋に住んだことがありません。それだけ引っ越しが頻繁なこともあってか家具を買ったところでいちいち引っ越しの度に持って行けず、結局引っ越し前の部屋に置いて大家に挙げてしまうことが多いため、「あまり高額、というか家具そのもの自体あまり買わない方がいい」という境地に至るようになりました。
 ただ現在いる部屋は住み始めて既に2年を経過しており、このペースだと実に久しぶりに3年超の滞在が達成出来そうな予感です。仕事も今のところ転職するような予定は全くないためこのまま現状が維持が続きそうで、そうした背景もあってか以前と比べてやや高い家具とかも去年あたりから揃えるようになってきました。

 具体的に挙げるとパソコン用のデスクと椅子、あと折り畳み式のチェアですが、デスクと椅子については安い値段のをそれぞれ持っていたにもかかわらずわざわざ高いものに買い替え(つってもどちらも単体で5000円行かない)、サイズ的に引っ越した場合は持っていくことはほぼ不可能なのに買ってしまってます。このほか中国だと割と安く買えるもんだから無駄にクッションとか首に巻く枕などもやたらめったら買っており、最近はリアルに置き場所とかどうしようと思うくらい家具が増えてきました。ついでに書くと趣味の茶碗やマグカップも増殖中です。

 しかし、と言っては何ですが、こうした家具が揃えば揃うほどなんか前より部屋にいて落ち着かなくなっていることに最近気が付きました。元々、あまり家具とかおかずがらんとした部屋が好きだったということが大きいでしょうが、なんとなく部屋の隙間が埋まるたびに、笑うせぇるすまんじゃありませんが自分の心の隙間も埋まっていくというか余裕がなくなってきているように思え、上記のファイトクラブのセリフを思い出すに至ったわけです。

 単純に自分だけの価値観かもしれませんが、なんとなく家具については「ああここにあれがあればいいのに」と軽く不足感を覚えるくらいの方がいいのかもしれません。何でもそろっているとかえって手狭感を覚えてしまい、またビビッドな色など目立つ外見の家具は何度も見るうちに違和感を感じるようになるのでむしろ飽きないような保守的なデザインを選ぶのも吉でしょう。そう考えると、学生時代の「なんやこれ?何もあらへん?」とリアルに言われたくらいがらんどうだった自分の部屋は案外ありだったかもしれず、友人も「自分の部屋より花園君の部屋のが落ち着くんやけど」と言ってました。

 なお、もし日本に帰ってまた引っ越すなら、椅子を完全に排除した部屋を設計しようかと考えてます。パソコンデスクも座卓にし、座った状態で目線より上にはエアコン以外置かず、収納も風呂敷かぶせるだけなくらいに変な工夫して、がらんどうの空間を意図的に作れないかと今考えてます。何気にテレビもパソコンで見れるようにすればもういらんかもな。

 と、ここまで家具はイランと書いておきながら、部屋のインテリア道具としての戦闘機プラモはこのところどんどん増殖しています。枕元にはタイフーンあるし、冷蔵庫の上にはJ-20がおるしで、こっちもリアルに置き場所に困りはじめてきました。
 ちなみに私の感覚で言えば、車でも飛行機でもプラモ1体だけ部屋にインテリアとして置いておくのはクールです。けど2体、3体と増えてくると、なんかいろいろおかしくなってきます。で以って戦闘機は冷蔵庫の上が置き場所として地味にいいです。

2018年4月24日火曜日

日本人アクション俳優はいるのか?

終業・始業間の休息に数値目標 過労死防止大綱見直し案(朝日新聞)

 上の記事の見出しを今日最初に見た時、「休息に数値目標」を何故か「体臭に数値目標」と見えてしまい、「何考えてんだこいつら、頭おかしくね」と思いましたが頭がおかしかったのは自分の方でした。っていうかまた働き過ぎなのかも。

 話は本題に入りますが、今現在で最も人気で知名度のあるアクション俳優と言ったら恐らくハリウッドのトム・クルーズ氏が来るのではないかと思います。もともとバイクや車の運転がプロ並みということもあって激しいスタントシーンもノースタントで自ら演じてしまうほか、自身がプロデュースするミッションインポッシブルシリーズなどのアクション超大作での活躍もあり、活動中のアクション俳優としてはその露出は群を抜いているでしょう。

 そんなトム・クルーズ氏について私自身も高く評価しているものの、ことアクション俳優の枠で言えば今一番好きなのは、ミッションインポッシブルシリーズにもレギュラー出演している上に、主役作品こそないものの数多くのマーブル映画に跨って出演しているジェレミー・レナー氏だったりします。さすがにトム(もう全名称書くのがめんどいので省略します)ほど激しいスタントシーンは連発しないものの、レナーの場合は一つ一つの動作が非常にメリハリがあってきれいで、アベンジャーズシリーズで演じるホークアイの弓を引く動きはもとより、ミッションインポッシブルシリーズでの無駄が一切なく拳銃を奪ってすぐ構えなおすところなどは見ていて惚れ惚れします。出世作となった「ハートロッカー」はあんま好きじゃないですが、レナーの演技というか動作に関してはどの作品でも一見の価値があると太鼓判押します。

 この二人に限らず、現在米国ではマーブルのヒーロー映画が全盛ということもあって見事と思えるアクション俳優が次から次へと登場しています。新スパイダーマンを演じるトム・ホランド氏もバレエダンサー出身とあってジャンプ一回転着地なんて普通にこなしますし、他の若手もCGに頼らずとも見事なキレのいい動きを見せてくれます。
 また往年のアクション俳優陣も最近はセルフパロディを見せつつも未だに活躍しており、シルベスタ・スタローン制作の「エクスペンダブルズ」シリーズに至っては「博物館って、俺たちのことかよ」とブルース・ウィリス氏を前にアーノルド・シュワルツネッガー氏が言ったりしながら、きちんとアクションシーンはこなしてます。もっともこのシリーズの名言は3での、刑務所を脱獄してきたウェズリー・スナイプス氏演じるキャラが刑務所に入った理由について「知りたいか?脱税だよ」と、リアルに脱税による収監から出所したばかりのスナイプスが言っているシーンでしょうが。

 と、ハリウッドのアクション俳優についてつらつら話してきましたがここでふと疑問というか最近、日本人俳優でアクション俳優と呼べる人間はいるのかってなると、正直私の中では誰も浮かんできませんでした。少し前ならケイン・コスギ氏、あと一応「キルビル」に出演した栗山千明氏が出てきましたが、ここ数年でそのアクションぶりが見事と思えたり、また「アクションに強い俳優」として認知されているような人は、ただ私が不勉強なだけかもしれませんが浮かんできませんでした。
 そもそも今の日本では「どんなキャラにも器用に演じられる」ようなカメレオン俳優が評価される傾向にあり、アクが強く一つのキャラクターが強くなりがちなアクション俳優はあまり評価されない気がします。さらに言えば、アクションメインの映画自体が日本ではあまり制作されていないように思え、アクション俳優自体がそもそも需要がないとすら思えてきます。

 そんな状況を反映してか、はっきり言って日本映画のアクションシーンは見ていて惨澹たる出来です。多分アクションシーンを演じられる俳優があまりいないせいなのかCGでごまかそうとする傾向があり、しかも伝統的に日本は予算以前のレベルでCGの見せ方が下手で、変に色の濃い背景を前に俳優が大げさな演技をするシーンを見せられ興醒めした経験があるのは私だけではないでしょう。
 単純に、役作りとして体をしっかり鍛えてくる俳優について言えば今の大河で主演している鈴木亮平氏を筆頭にそこそこいますが、動作もついたアクションもしっかりこなせる俳優となると本気で今の私には浮かんできません。っていうかむしろなぜいない。

 理由については思いつくのを勝手に挙げてくと、まずは上にも挙げている通りにアクション俳優をあまり評価しない日本の映像市場状況、次にルックス重視でアクション能力を度外視する俳優事情、終いにはアクションを撮れる人間がいなくなってきていることかなとか考えています。まぁアクション以前に、日本の映像作品はアニメを含め全体的にテンポの悪い撮り方してる気がするけど。

 最後に、唯一ここ数年でそのアクションに私が目を見張った日本映画を挙げると、何気に「リアル鬼ごっこ2」が挙がってきます。この作品はタイトルの通りに鬼からひたすら逃げまくる映画ですが、第一作目の撮影では初日終わった後、俳優全員が筋肉痛に襲われたという曰くつきな映画なだけあって、ガチで全力疾走しているのが映像からもはっきりわかります。
 表情一つとってもみんな本気で走っているのがよくわかり、その甲斐あって映像もスピード感があって見栄えのいい仕上がりになっています。2を見てから1も見ましたが、谷村美月氏は好きだけど、やっぱ2の方が見ていて面白かったです。

 なおこのリアル鬼ごっこシリーズですが、3は脚本も映像もクソ過ぎると感じたためにほぼ同時公開だった4と5は見ていません。そして2015年公開の園子温監督による「リアル鬼ごっこ」については見てみましたが、はっきり言って「自分にはこの作品は無理だ」と感じました。多分見る人によっては面白いと思うのかもしれませんけど、自分は見ていて苦しかったというのが偽らざる感想です。

2018年4月23日月曜日

こわくなーい

 おなかをすかせた状態で書くことないのでまたゲームの話ですが、今「アイドルデスゲームTV」というクソゲーと並行して「コープスパーティ」を遊んでます。前者については「日本ふんどし協会 ベストフンドシスト賞2015」というよくわからない受賞歴がある声優の、西明日香氏の京都弁の見事さに感服しており、後者については安売りしてたから買って、遊んではいるけどなんて言うかなぁという気持ちを覚えています。

 この「コープスパーティ」というのはいくつかシリーズが出ており、私が遊んでいるのは「ブックオブシャドウ」のPSP版で、PSP系列で言えば2作目に当たります。ジャンルはアドベンチャーに当たりそこら中に腐った死体が落ちている小学校校舎を探索するゲームなのですが、なんていうか全然怖くありません。多分描写としては結構激しいと思え、中には素手て生きたまま女子高生の内臓を解体するシーンもあるのですが、「ふーん」としか思えません。
 サウンドに関してはダミーヘッドマイクという、人間の頭を模した特別なマイクで収録しているだけあってささやく声なんかはほんとそんな風に聞こえるので「おおっ」とか思えますが、なんていうか昔と比べてグロ耐性が上がってきているのかあまりホラー作品を見ていても心が動くというか動揺することがありません。わざわざ真夜中にやってるというのに。

 年齢のせいか、怖さの定義も変わってきているような気がします。マイナスドライバーで目玉をぐりぐりくりぬくシーンとかよりも、作成した思っていた書類が実はやっていなかったとか、部屋に呼び出されたら無言で多くの人間が待っていたとか、なんていうかそういうシーンの方が恐怖を感じるようになってきています。
 その上でいうと、今の自分の怖さの定義というのは、想定からの乖離、若しくは想定外の事態に突然放り込まれるようなものじゃないかとこのところ考えています。ある意味、「コープスパーティ」も日常から突然お化けと死体が徘徊する学校に放り込まれるので想定外の事態かもしれませんが、それ以上に想像の付かないような、今ここでたとえを挙げると突然部屋にくまモンの着ぐるみを着た人がお玉片手に殴り込みをかけてくるとか、そういうのが恐怖なのかなぁという気がします。死体とか人体損壊のグロさというのは、フィクションに関してはある程度見慣れてしまうというか。

 人気漫画の「進撃の巨人」の作者が作中の巨人の表情について、「漫画喫茶のバイト中に見た、酔っぱらって何するか全く読めないオッサンの表情が元になってる」と言及していますが、この意見には私もなるほどと思いました。実際、次の行動が読めない酔っぱらいは私も確かに怖さを覚えるのですが、表情や発言内容から読み取れない、何するかわからない相手ほど怖いものはありません。さっきのコープスパーティも、お化けはこちらに危害を加えてくるのが分かってるだけに怖さを覚えないのかもしれません。

 ちなみに自分が一番、次に何するかわからないと思った相手はプロレスに参戦していた辺りの和泉元彌氏です。

2018年4月22日日曜日

てんかんとデジャブ

 今月初めに極端に体調が悪くなったのですがその原因ははっきりしていて、仕事中に「ああ、ここだったのか」と感じたからです。なにが「ここだったのか」というと、大体去年の夏頃に見たデジャブというかイメージが今月初めの勤務中の自分の姿だったということです。
 いきなり訳の分からないことを言い出していますが、こういった予知夢めいた未来のイメージを白昼夢のように見ることは自分にとってはよくあり、去年の夏に今回のイメージというかデジャブを見た時には、「とりあえず来年の春までは今の職場にいるということか。勤続2年は達成できそうだ」なんていう感想を覚えたこともあり、割としっかり覚えていたイメージでした。

 またこの時見たイメージは特徴があり、というのも今年2月から職場での自分の座席が変わって窓際、それもかなり隅っこで割と個室っぽい空間となりました。この座席ですが窓からその風景を一望出来て、この外の風景がデジャブにもはっきり出ていたので記憶面でもあまり離れなかったのだと思います。
 その上で、こうしたデジャブを見る、そして思い出すとほぼ確実に軽いてんかん発作が起こります。むしろ私にとっててんかん発作はデジャブとほぼセットであり、最初に発作を意識した小学四年生時においてすらも「(発作によって)急に気持ち悪くなって吐き気を催すと、なんか懐かしいような気持ちがする」と自分の口で言っています。

 一応書いておきますがてんかん発作と言っても自分のは軽度なもので、最後に気絶にまで至ったのは6年前で、法律上でも過去3年間に気絶を伴わなければ申告義務も発生しません。っていうかここ数年は軽度の発作もほとんどなかったのですが、今年2月から4月にかけては激務もあってかこの時のデジャブを含め何度か吐きそうになりました。

既視感(Wikipedia)

 今まで知りませんでしたがデジャブは側頭葉てんかんと関係が深いことは前から見られていたものの、都合よく再現実験ができないこともあって詳しい研究はまだ進んでいないようです。そういう背景もあって自分の体験を書き残そうと今書いているのですが、私の場合はデジャブを感じる→ああそろそろ来る→てんかん発作(吐き気、頭痛)という流れがほぼ確立されています。そのためデジャブというか、「あれ、この状況前にも見たような……」という考えがよぎるとぞくぞくするというか、意識的にそれ以上あまり深く考えないようにしたり他の方に意識を向けたりすることもあります。

 また思い出す方向とは逆に、先ほども書いたように白昼夢のように妙な自分の未来っぽいイメージが浮かぶ時も大体同じ流れです。この状態でも、「ああ、発作来たな」と内心思うのですが、割とこういう時は流れに任せるというか、発作の感覚をむしろ進んで受け入れることが多いです。なんでそんなことするのかっていうと、はっきり言えば発作起きている時の自分は当社比120%みたいな感じで勘が冴え渡り、予測や分析をさせたらほぼピタリと的中させられるくらい頭が回るようになるからです。このブログに関しても、てんかん発作真っただ中の間は書くの休んだりしますが、治まった直後なんかは自分が見てもいい視点で記事が書かれてあったりします。
 そういうこともあってかこういう発作の時に、自分が未来を見ているという感覚は普通に持っています。先ほどにも書いたように、今回のデジャブのイメージを持った時も「来年春まで残留はほぼ確定」と確信しましたし、現実に周りから「今回の職場は珍しく花園さんにとっては長続きしますね」と驚かれるくらいもっています。逆を言えば、自分の賞味期限は約二年ってことになるのですが。

 この記事で何が言いたいのかというと、デジャブはてんかんと非常に密接な関係があると言いたいわけで、頻繁にデジャブを見たりする人に関しては自分同様にてんかんの可能性も疑った方がいいと思います。特にデジャブを見た直後に頭痛、吐き気を覚えるのであれば、ほぼ確実だと思え、平常時の診断ではなかなか出ないのでそのような状態の時に診断を受けるべきです。
 なお自分も最初気絶した際は原因不明、二回目の際にスキャン受けながらデジャブ見た時にはっきりと診断データが出て、晴れててんかんキャリアとなりました。

 もう一つ言いたいことを挙げると、てんかん発作時に見るイメージは未来透視というよりかは未来の可能性の中でも割とあり得そうな、確率の高いイメージ、若しくはこうあってほしい願望的なイメージが出やすいのではないかとも思います。私が見るイメージは確率で言えばまさに将来その通りの状況が出るなど高い実現率に達していると思いますが、中には結局実現せずに終わったイメージもあり、数ある可能性の一つだとは思うものの必ずしもそうなるとは限らないイメージだと考えています。
 こうした点を踏まえると、未来予知をする巫女とか予言者などは多分この手のてんかん発作を利用してイメージを見ていたのではと私には思えます。やろうと思えば多分私にもできるんじゃないか、具体的にはてんかんを引き起こしやすそうな環境や状態(三半規管を揺さぶるなど)に追い込んで発作を起こし、あとはひたすら見ようと思うイメージの関連物を頭の中でぐるぐる回せば一つや二つのイメージは作り出せる気がします。もっともすっげー吐きそうになるので実際にはやりませんが。

 逆に今個人的に気になっている点として、他の人はどういう状況でどんなデジャブを見るのか。自分とどう違うのかに興味があります。自分の場合は先ほど書いたように「デジャブだ」と思う総毛立つのですが、他のみんなはどないなんやろう(´・ω・`)