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2020年11月21日土曜日

小学生の時に受けた絶望体験

 先日に書いた「夏の夕暮れ」という記事は久々にまじめな話題で書いたなと自分でも思いにふけっていたらふとそこで書いた、戦う理由や目的を失ってしまう、男とにとっては絶望的な体験を自分は小学生の頃に何度も体験していたことに気が付きました。

 私が小学生に入った辺りはちょうど、ファミコンからスーパーファミコンへと切り替わる時期でした。ただ切り替わると言ってもしばらくはファミコンソフトも並立して発売が続けられており、こちらで遊ぶ時間も少なくありませんでした。
 私自身もご多分に漏れずファミコンでよく遊んでいたのですが、この時、子供心にもとてつもなく残酷な出来事が何度も起きていました。

 デロデロデロデロデロデロデロデロデーレーッレン♪

 この擬音だけでわかる人なら察しが付くでしょうが、当時のファミコンソフトのバックアップ機能はとてつもなく貧弱で、本当にちょっとした衝撃とかそういうので簡単にセーブデータが度々吹っ飛びました。kの時の絶望感と言ったら本当に半端なく、十数時間かけて進めたデータとかが一瞬で無に帰し、恐らく賽の河原とかきっとあんな感じなのでしょう。
 前述の通り先の「夏の夕暮れ」の中で私は、男にとって闘争は非常に重要だけど、重要なだけにその戦う理由や目的を失ったり、戦ってきた存在に裏切られたら半端ないダメージを受けると書きました。ある意味、ドラクエとかFFなどのRPGゲームを遊ぶことは一種の「戦い」であり、その戦いの成果や軌跡が一瞬にしてなくなるような上記のデータ喪失は、まさにこの男にとって最も致命的な一打に当たるのかもしれないと、何故かスーパーで買い物している時に気が付きました。

 ガチな話、絶望感のレベルで言ったら社会人になってからのあらゆる体験とかとよりも、この時のデータ喪失の時の方がずっと大きかった気がします。スーパーファミコンになってからこの手のバックアップデータは大分よくなり消えづらくなって、プレステになってからは消えることなんてほぼあり得なくなり(サターンは論外)、ある意味昔だからこそ体験できた絶望体験と呼べるかもしれません。

 昔なんかの掲示板で「バイオハザードは暴力的描写で暴力を誘発する」、「桃鉄は金稼ぎしか考えなくなる」などと様々なゲームの子供への悪影響を羅列して最後に、「スペランカーは主人公がよく死んで何度もチャレンジしなければならないから忍耐力が付く」というオチをつける小話がありました。今になって思うとこの小話はある意味間違っていなかったというか、私自身、あのファミコン時代に何度も味わった絶望体験を経て現在における強靭な精神力を身に着けたのではないかと思う節があります。
 というのもつい先日も、Wordできちんとセーブしておらず作業途中のPCの不具合で途中原稿を吹っ飛ばした同僚がいたのですが、「最近の若い奴はこまめにセーブ取らない。俺たちファミコン世代はなぁ……」などと、自分でもよくわからない説教をかましたことがありました。まぁそれを言ったら自分より前の「ぱすわーどがちがいます」世代なんかはもっと深い含蓄があるのかもしれませんが。

 その上で結論を述べると、理不尽なゲームはゲームとしての価値は下げるけれども、人生の困難に対する心構えを鍛える上ではプラスなのかもしれません。ダークソウルとかやったことないけど、ああいう死にゲーやってる人はやっぱり忍耐強いのかなぁ(´-ω-`)

2020年11月19日木曜日

夏の夕暮れ

 好きな日本語ときたら昔は「ノーパンしゃぶしゃぶ」で、なんですき焼きとか焼鳥じゃなくしゃぶしゃぶなのかっていう点と発音時の音から気に入っていましたが、最近は見出しに掲げた「夏の夕暮れ」がなんか好きな日本語になりつつあります。

 そんな「夏の夕暮れ」ですが、そのまんまサマーシーズンの夕焼け小焼けにまた明日っていう意味ではないです。知っている人には早いですが、これは「R-typeファイナル」というシューティングゲームのエンディングタイトルの一つです。このゲームはマルチエンド方式となっているのですが三つあるエンディングの一つが「夏の夕暮れ」というタイトルで、その名の通り夕暮れ時を思わせる背景が夕焼けがかったステージで戦うこととなります。

 問題なのはそのステージと戦う相手です。というのもそのステージ、主人公機が第1ステージで飛び立った宇宙コロニーの中だったりします。そして向かってくる敵機というのも、主人公と同じ次元戦闘機ことR-typeシリーズの機体だったりします。
 一体これは何故かというと、このゲームの敵役である「バイド」というのは有機か無機かに係らず様々な物体に寄生して乗っ取り、人間などを攻撃してくる生物なのですが、この「夏の夕暮れ」のステージではあろうことか主人公機をバイドがパイロットごと乗っ取ったという状態であり、バイドと化した主人公機を味方であった仲間たちが迎撃に来るという内容になっています。

 なお主人公自身は自分がバイドに乗っ取られたことを理解しておらず、任務を終えて故郷へ帰ってきたものの何故か仲間たちから攻撃を加えられ、若干判断がおかしくなっていることもあって、襲ってくる仲間たちもこの際撃墜しようという心境になっているとのことです。また画面が夕焼けっぽく見えるのは、主人公がバイド化して、視野がおかしくなった結果紅く見えているだけで、実際は太陽の位置から夕暮れ時ではないことがわかるようになっています。
 そんな絶望感たっぷりのステージ冒頭で語られるのがテープレコーダーに残されたという主人公の独白で、「夏の夕暮れ やさしく迎えてくれるのは 海鳥達だけなのか?」というセリフです。そのストーリーのえぐさといい、非常にきれいな言葉であると自分は思います。

 上記のストーリー背景とその言葉の重みだけでも十分「夏の夕暮れ」は好きになる言葉なのですが、それ以上に自分の関心として重いのは、闘争理由の喪失ともいうべき心境がこのところいろいろ思いふけることが多いためです。

 この「R-typeファイナル」のようなエンディングのゲームとしては他にも「アスピック」というゲームがあります。このゲームでは姫をさらった悪魔の蛇ことアスピックを主人公が仲間とともにやっつけに行くゲームですが、アスピックを無事に打ち倒すや何故か一緒に戦ってきた仲間が離反した上、お城の王様にも「貴様は呪われている!」などと言われ追い返されます。そしたら何故か今まで敵だったスケルトンなどのモンスターが仲間になり、腹いせとばかりにお城に攻め込んで王様を打ち倒したりできます。っていうか、ラスボスは王様。
 無事王様を打ち倒すとエンディングに入るのですが、ここで主人公の姿はかつて倒したはずのアスピックへと変貌し、アスピックはその倒した者に乗り移り、永遠に戦いを続ける存在であることがカミングアウトされます。つまり王様の言っていることは正しく、リアルに主人公はアスピックに乗っ取られていたというわけで、先ほどの「夏の夕暮れ」エンドになるってわけです。

 このほかだと有名どころで「ライブアライブ」の「あの世で俺に詫び続けろ、オルステッド!」エンドもこの類ですが、上記三つのエンディングはやはりネットで見ている限りだと今でも語られることが多く、実際に遊んだプレイヤーの心に深く刻み込む内容であったようです。三つに共通する点としては、「これまで戦う理由や目的だった仲間たちに裏切られて(本人視点で)戦う羽目になる」という流れで、この要素は恐らく普遍的に心に刻み込ませる要素になっているのだと思います。

 実際にというか私自身、この要素は人間、というよりは男にとっては本当に致命的な一打になりうるのではないかとこの頃思うようになりました。この年になってみて改めて感じることとして、やはり男にとっては闘争というのはその生存において大きな幅を占める重要な要素であり、大なり小なり形はいろいろあれど、皆それぞれがそれぞれの闘争の形というものを持っている気がします。そしてこの闘争というものが人生における大きなモチベーションとなっていて、闘争を失うということは男にとって内臓を失うに近い衝撃であるという風に最近考えています。

 そういう意味で上記の三つのゲームの主人公はいずれも強大な敵という大きな闘争を抱えていたものの、無事その闘争に勝利したかと思いきや、その勝利の意味が全て無に帰すかのように味方達に裏切られる結末を迎えています。こうしたそれまでの闘争理由が喪失してしまう状態はある意味、闘争に敗北するよりも男にとってはダメージがでかいというか、本当に生存理由すら失わせかねない事態じゃないかという風に思います。そして現実にそういう立場であったのが、戦後における日本の元兵士たちだったと思え、その喪失感はとても語れるようなものではなかったのではないかという気がします。
 まぁ水木しげるのように、「これで生きて帰れるぞ」と単純に喜ぶ人も少なからずいたでしょうが。

 まとめに持って行くと、やはり男はいくつになっても何かしら闘争の構造を自分の中に持っていたほうがいいのではと個人的に思います。誰彼構わずケンカ売れというつもりはなく、自分に課した目標なりタスクなりを以って、戦っていると感じるような環境を何かしら作るのは精神衛生上プラスじゃないかっていうことです。
 その上で、途中で闘争理由を失うような事態については何よりも回避すべきだと言いたいです。そういう意味では最初の闘争設定の際に設定ミスる(自己満足的な闘争を設定して途中で周りから反発食らうとか)とかなり打撃がでかいので、その辺を気をつけて設定した方がいいかもしれません。「誰かのために」とかいう闘争なんて、まさに地雷原です。

 ちなみに自分は前の会社で本来会社が支払うべき就労ビザ切替え代を自分に自己負担させた元上司を勝手に敵設定して、いつか襲撃加えてやると時たま思い出してはモチベーション高めています。あの時下手に抵抗してビザ切替え渋られたりしたら決まっている会社への転職ができなくなるという弱味があったから我慢したけど、マジあの野郎今でも許せねぇ(´・ω・`)

2020年11月18日水曜日

これが岩の剣だ

マンションに複数の銃弾か、千葉 「パンパンと音が」、けが人なし(共同通信)

 上のニュース見て、「発砲事件なんて松戸じゃ日常茶飯事だぜ、ヒャッハー」とか思っていたら、


 リアルに日常な出来事だったことを知り、ちょっとビビりました(;゚Д゚)

 それで本題ですが、昨夜変な夢を見ました。割と長い一連ものの夢だったのですが、自称魔法使いという太ったおっさん(白人)に、「これが岩の剣だ」といって変に売り込みをかけられるという内容でした。「メンテナンスはどうするの?」と尋ねたら、「メンテの魔法が必要だ」と即答され、半端なく詐欺臭い会話を夢の中で見させられました。
 しかもそのおっさんの奥さんも魔法使いですが、なんかの懲罰で勤務時間中は空調の前にずっと立たされることになり、長い髪が送風で揺れて鬱陶しそうでした。

 昨日から今日にかけて上海は晩夏並みに気温と湿度が上がり、昼間はリアルに蒸し暑いほどでした。気温が上がってだるいと感じる分、夜の冷え込みが弱まったことから昨夜は寝る前に非常に眠たく、恐らく変に眠れたせいで先ほどの変な夢も見たのでしょう。一昨日もなんかすごい長い夢を見て、こちらはまともな内容というかスリラー系のドキドキするような内容でしたが、昨日の夢のインパクトが強すぎて忘れてしまいました。

2020年11月17日火曜日

流行抑制という勘違い

 ゲームについて書こうかと思ったけどカレーうどん食べて眠いので真面目にコロナについて書きます。

 さて全国で感染者数の増加、過去最高更新が続いていますが、先月くらいまでは「流行拡大は着実に抑えられてきている」、「病床数のひっ迫は解消されつつある」というやや楽観視した見方が広がっていました。はっきり言うと、「馬鹿だなこいつら」という気はしていました。
 なんで流行拡大が減ってきていたのかというと単純に季節要因で、夏でもコロナは感染しますが、それでも冬の冷たく乾燥した空気に比べればその感染力は大幅に弱められていたと自分は考えています。まぁ気温はともかく湿度は、東南アジアでも流行し続けているからあまり関係ないかもしれませんが。逆を言えば日本の感染予防策では封じ込めるまでには力が及ばず、季節要因で感染が抑えられていたのを、コロナ対策が功を奏していると勘違いしているなという感がありました。

 折しもGOTOキャンペーン(なんで日本語使わないんだろう)で人の移動が激しくなっていた分、夏真っ盛りの頃と比べると大分拡散したのではないかと見ています。政府はGOTOキャンペーンの反響の良さから今後も継続する方針を示していますが、私自身はやはり12月以降の適用は見送るべきだと考えます。さらに一部で健闘されているように、年末年始休暇を眺めに、できれば二週間くらいとるべきだとも思います。
 そして今後冬が深まるにつれ、感染者数はまたウナギ昇りしていくことでしょう。なんでもってそういう真冬用のオプション用意してないのかがよくわからないですが。

2020年11月16日月曜日

日本の歴史観~その6、ネオ皇国史観 後編

 前回に引き続き、ネオ皇国史観について書いてきます。前回でも書いた通り、いわゆる「新しい教科書をつくる会」メンバーを中心に提唱されたこのネオ皇国史観ですが、内容は基本的に戦前の皇国史観を名乗ったもので、「天皇(特に昭和天皇)は偉大、太平洋戦争は聖戦」というスタンスが取られています。実物確認したわけじゃないけど、つくる会の教科書では昭和天皇の説明だけに何ページも割いているとされ、好みの箇所だけ極端に膨れ上がるラノベみたいな編集と聞きます。

 そんなネオ皇国史観ですが、時期にして2000年前後はそれなりの支持と勢力を持ちました。しかしそれは一過性でしかなく、現代においては「つくる会」という単語自体出てくることがほぼなく、私自身もノスタルジーに浸りながら今これを書いています。
 では一体何故つくる会、もといネオ皇国史観は一時勃興してその後廃れたのか。まず勃興の理由ですが、結論から言うと国際環境の変化、具体的には冷戦終結が大きいと私は考えています。以下列記すると、

・昭和天皇崩御に伴う昭和史議論の解禁
・冷戦構造崩壊に伴う保守勢力内における反米意識の顕在化
・中国や韓国の台頭に伴う日本批判の顕在化

 まず一番重要な大前提として、日本の政治勢力はよく保守と革新(右翼と左翼)で区別されることが多いですが、実際には親米と反米の方が論点としては重要です。そして昭和時代においては保守派にも革新派にも親米勢力と反米勢力が混在しており、冷戦構造の崩壊と55年体制の周陵によって、頼子の軸がはっきりしてきたと思います。
 それで話を戻すと、保守派における反米勢力は冷戦期はまだそこまで目立つ存在ではなかったものの、平成初期の沖縄米軍基地問題、貿易摩擦の過熱から日本全国で反米意識が高まっていくのに伴い、保守反米勢力が勢いを増してきたと思います。元々、保守反米勢力は太平洋戦争については「アメリカが悪い」という価値観が強かっただけに、時代の追い風を受けて、冷戦期はやや制限のあった米国批判が大っぴらにできるようになって、ネオ皇国史観が浸透していったのだと思います。

 また三番目に上げた中韓の国際社会における台頭も、ネオ皇国史観を後押しする一手になったことは間違いないでしょう。それまでは国際社会においてそれほど発言力がなかったことから、戦前の日本批判をしても日本人には多分それほど耳に届いていなかったのだと思います。
 折しも従軍慰安婦問題も発生し、はっきり言ってこの件の検証が余りに歪(初出の本が完全なインチキ本)であったことから戦時中の歴史認識問題が俄かにクローズアップされ、「何でもかんでも日本が謝る立場になるのはおかしい」という具合で自虐史観に対する反発が広がったことも、つくる会の発足に大きく関わっています。
 総じて言えば、米国、韓国、中国に対する反発意識の広がりが、ネオ皇国史観の勃興を促したと言えるでしょう。

 なお個人的な意見を述べると、やはり実際に戦争を体験していない自分のような世代からすると、なんでいつまでも昔のことで「謝れ」、「日本は反省が足りない」などと中国や韓国に言われ続けなければならないのか、この点については納得できない感情がやはりあります。逆を言えば、実際に戦争に係り、中国や韓国に対する悔悟を感じていた戦前・戦中派世代が平成期に寿命によって減っていったことも、ネオ皇国史観勃興の要因の一つだったといえるでしょう。

 ではそうして日本国内で広がったネオ皇国史観がその後すぼんだのは何故か。はっきり言えば中心であったつくる会の分裂という自爆が大きいのですが、それ以外だと反米意識が低下したということが影響として大きい気がします。
 まず前者ですが、先ほどにも述べた通り日本は保守と革新のほかに親米と反米という議論軸が存在します。作る会は保守派の論客が中心に出来ましたが、この保守派には親米と反米の立場にある人物が混ざっており、当初でこそ従軍慰安婦問題などの観点から団結したものの、時とともにこの両思想のメンバー間の対立が激化し、完全に分裂することとなりました。

 その上で、90年代の日本は間違いなく反米意識が強かったですが、911ニューヨークテロ事件以降は「テロとの戦い」という新たな国際軸が生まれ、小泉政権における親米路線の定着も相まって日本の反米意識は一気に縮小したように見えます。また2000年以降から先ほど述べた中国や韓国の台頭、特に中国とは尖閣諸島問題が過熱化したことで、米国との同盟関係の重要性を認識する人が増え、「中国を抑えるためには米国は大事」という具合に親米意識が高まっていったように見えます。
 こんな具合で親米意識が高まる中、「太平洋戦争は聖戦、米国は悪意の塊」とするネオ皇国史観が受け入れられるかと言ったら、そんなわけはないでしょう。

 また従軍慰安婦問題に関しても、保守派勢力のみならず革新派勢力からも疑問視する向きが広がり、実際に近年明らかになってきたように慰安婦団体が元慰安婦女性をダシに私腹を肥やしてきているのが認知され始め、反発する意識が保守派どころか日本全体に広がり、ネオ皇国史観のみの主張ではなくなりアイデンティティーの一つ失ったことも大きいでしょう。っていうか真面目に、旧社会党勢力の人たちも飛び火することを恐れて、従軍慰安婦問題には言及しなくなったな。

 以上のような背景、そしてやはり極端な天皇崇拝などの姿勢から、徐々に支持者も離れていったように思えます。窪塚洋介とか今どうなのか聞いてみたいものです。
 私自身、高校生くらいの頃は従軍慰安婦問題のおかしさからこのネオ皇国史観を一時支持したものの、この問題を作り出した一つである朝日新聞ですら「あの報道には間違いがあった」と認める今の時代において、その他の太平洋戦争を聖戦視するなどの余計な要素の多いネオ皇国史観を律義に支持する理由はありません。恐らくこの辺りも中心提唱者らの分裂を招いたところだと思うのですが、従軍慰安婦問題などの国際情勢によって支持を得ていたことを、自分たちの思想が受け入れられたと勘違いしていた節もある気がします。

 このネオ皇国史観は繰り返し述べているように、その思想内容の中立性とか真偽性が評価されたというよりは、国際情勢の変化に伴う国民感情の変化によって広まったところが多いです。そのため今は廃れてきているものの、また何か国際情勢が変わることによって再び支持を受ける可能性が全くないというわけではないという風に見ています。そういう意味では、歴史観というよりかは外交論に近いのかもしれません。

2020年11月13日金曜日

日本の歴史観~その5、ネオ皇国史観 前編

 また記事更新が開きましたが別に何かトラブルがあったわけじゃなく、今週やたらと人と会食することが多かったのと、残業が多かったせいです。っていうか有休消化しろとかいうけど消化できないほど仕事振るなとか最近マジで思います。

 それで本題ですがようやくこの連載の続きが書けるわけですが、見出しに掲げた「ネオ皇国史観」というのは私の造語です。その内容は何かというと、平成初期から中期にかけて盛り上がったいわゆる「新しい教科書を作る会」のメンバーらが提唱していた歴史観のことを指しています。
 彼ら自身はこの史観のことを新自由主義史観と読んではいますが、そもそもこの名称は社会主義支持者らに支持されていた自虐史観に対抗し、真逆の概念というような安直な理由でつけられたもので、その思想根拠についても本人らが「自由主義的特徴はない」と語っており、誤解を招く名称だと思え私は嫌いです。

 ではどんな名称がいいのかいくつか考えてはおり、これまた安直に「つくる会史観」でもいいと思いましたが、巷で言われているように「新皇国史観」というのが実態を表した名称だと感じました。ただ、新しいかと言ったら後述しますがその内容はかつての皇国史観をそのままなぞっている部分が非常に多いだけに、新しいというよりゾンビの様に甦った感が強いことから、「ネオ」を付けて「ネオ皇国史観」という風に呼ぶことにしました。別に「皇国史観リターンズ」でもいいと思いますが。

 名称が落ち着いたところでその史観内容の話に移りますが、先ほどにも書いた通りにこのネオ皇国史観は実質的に、戦前の皇国史観をそのままなぞり、現代で提唱しなおしたものに過ぎないというのが私の評価です。具体的にその特徴を述べると、

・太平洋戦争は日本の聖戦
・米国が日本を追い詰めたから仕方なく戦争をせざるを得なかった
・日本はアジアを解放しようとしていた
・勘違いして日本に抵抗してきた中国とかは悪、っていうか毛沢東はコミンテルンの手先
・戦後に日本はGHQ(=米国)によってさまざまな妨害を受けて来た

 全然関係ないけどこの前中国人に、「ロシアと中国は急に仲良くなったり、急に仲悪くなる」と考えていることを教えてもらいました。まぁ気持ちはよくわかる(´-ω-`)

 敢えて旧皇国史観との差を述べると、まず極端な南朝贔屓は減っています。その一方、二次大戦に対する評価は旧皇国史観よりもさらに擁護的となり、というよりも二次大戦の解釈を日本にとって肯定的なものするために生まれたような史観だと言えます。旧皇国史観では戦前はリアルタイムで戦後に至っては史観自体が排除されましたが、ネオ皇国史観では戦後に関しても「日本は正しい、米国は悪」という視点に立ってあれこれ理由とか主張の正当性を訴えています。

 こうしたネオ皇国史観の立場はその提唱者や支持者が中心となって編集されたつくる会の教科書にも反映されており、昭和天皇の偉大さに関して長々ページを取ったり、明治以降の近現代(というより昭和前半)は延々と解説する一方、江戸時代以前にはあまり触れず、好き嫌いで解説する時代の比重が極端に異なっているなど、単純に一つの歴史教科書としてみてもあまりいい本ではありませんでした。


 教科書内容については3年前に書いた上の記事にまとめていますが、改めて読むとなかなか自分もいいこと言っているというか、つくる会のメンバー構成について、

「江夏、門田、江本、江川、落合、清原、伊良部、中村紀といった我の強いプロ野球選手一同が全員同じチームに在籍しているような感じだったんじゃないか」

 という風に書いてて、読み返してて楽しいです。

 ただそんなつくる会を中心としたネオ皇国史観ですが、平成中期においては間違いなく一世を風靡した歴史観であったことに間違いありません。一部芸能人も(芸能人だから?)、「今まで間違った歴史を教えられてきたけど、正しい歴史をこれで知った」みたいな発言でネオ皇国史観関連書籍を持て囃したり、前述の通り中国や韓国との俗に言う「教科書問題」という外交問題にまで発展するなど、世論の大きな注目を集め、支持者も一定数は確保していました。
 ただ、上記事実についてはもはや過去形でしか語れません。というのも令和となった現在において当初の提唱者らを除くと、このネオ皇国史観を支持する層が極端に少なくなっているからです。実質的に「かつて存在した史観」になりつつあり、今後復権することはありうるとは思うものの、それにはまた長い時間がかかるだろうし、少なくともスタンダードな歴史観となることはなく、史観の一種に甘んじ続けるという確信が私にはあります。

 では何故ネオ皇国史観はここまで衰退したのか、逆になんで一時期持て囃されたのか。その点についてはまた次回の後編で解説します。

2020年11月9日月曜日

痴漢記事の裏側

痴漢に走る中国の男性は高度経済成長の犠牲者か?(JBpress)

 そういうわけで今日配信したこの記事です。実は当初、コロナ後の中国における消費動向でもまとめようかと考えていたのですが、思ってたよりいいデータや傾向が得られずどうしよっかなーとか考えていたら、何故だか痴漢に行きつきました。

 記事自体は中国でも痴漢に関する報道やデータが数多く出ていた上、日本と比較しやすい内容であったことから非常に書きやすかったです。特に裏テーマとかも設けずに気楽に読めるコラムを意識して書いたつもりなのですが、ヤフコメをみると「経済発展と痴漢は関係ない!」とやたらと主張する人がいてびっくりしました。
 そもそも経済成長とともに痴漢が増えてきた云々は確固たるデータもなく話半分で書いたものだし、後半の独身男性の増加についても数ある理由の一つかもしれないね的な内容なのに、なんかあれこれいろいろ理由つけては「そんなはずない!」と言っている人が多く、なんでこんなマジになってんのと正直感じました。文章自体もそこまで固い文体にはしてないし、とりあえず中国でも痴漢が認知されるくらいに増えてきてるよ的に読んでくれさえすればいいのに。

 一方でこうしたヤフコメの反応見て、何故記事ネタが痴漢に行きついたのかを思い出しました。実はもともとこの記事は、「中国と比べて日本は性的不審者が多い」というテーマで書く予定でした。このテーマで書こうと思っていた理由というのも、そのように話す女性が非常に多いからです。
 具体的には日本に留学などで滞在していた中国人女性と、現在中国に滞在している日本人女性からですが、なんかどの人に聞いても「日本は怪しい人が街中に多すぎる」と示し合わせたかのように話す傾向があります。具体的な怪しい人としては、「無言でじっとこっちを見てくる」、「ちらちらと何度もこっちを伺う」、「何故か後ろを歩いてついてくる」といった変質者で、男の自分にはわかりませんが日中で生活したことのある女性からすると、日本においてはこうした変質者が異常に多いそうです。

 実際というか、女性に対する変質者は私だとわかりかねますが、挙動が怪しかったり視線が定まらない変質者であれば確かに日本にいるとやたら街中で目につくというのは私も感じます。中国でも朝から大声出してる変なおじさんは確かにいるというかやたら多いですが、日本の変質者はなんというか意思があるように見えなかったり、一点だけをジーっと見ていたりなど敢えて例えるとゾンビっぽい特徴があり、そうした人間は確かに中国だと皆無と言っていいくらい見ません。

 ただこうした変質者に関しては比較が難しいのと範囲が広いことから記事には向かないと判断し、代表的変質者として痴漢に絞って書いたのが今回の記事でした。この辺の判断についてはやはり正解だったと思うのですが書きながらに感じていたこととして、なんとなく日本だと「痴漢は存在するのが当たり前」ともいうような、痴漢に対する意識の一般化が進み過ぎているような気がしました。
 記事にも書いた通り中国も段々と痴漢が「そこにいるのが当たり前」的になってきてはいるものの、それでも日本と比べると「異常な犯罪者」という見方が強く、まだ日本ほどには浸透していません。個人的な意見としても、痴漢犯罪の何が楽しいのか私にはわからず、それこそ金に困ってないのに万引きする人のような、性的欲求不満による犯罪というより精神異常による犯罪のように私は見ています。

 話を戻すと先ほどの不審者の件と相まって日本は、前にも似たようなこと書きましたが、かつては異常だった存在が日常視されるほど一般化してきて、異常をもはや異常と感じなくなってきている節があるように見えます。まぁこの辺の議論をすると、何を異常と取るのかでいろいろ議論が盛り上がってくるのですが、先ほどの変質者に関しては日本人女性ですら中国と比較して「変質者が多い」というくらいだとは言えますが。

 最初のヤフコメに話を戻すと、なんとなくそういうような、「痴漢なんてどこにでもいるもんだ」というような前提でコメント書いている人が多く、その点で強い違和感を感じました。異常者はどの時代、どの社会にもある程度いる者だと私は考えていますが、痴漢がこれだけ日本で氾濫している現状について「こんなもんだ」と感じる人間には私はまだなってはいないようです。

  補足
 記事アップロード前に思い出したけど、日本人が異常を異常と感じなくなっていると私が初めて言及したのは、ちょうどこれからの時期というか年末にかけての鉄道での飛び込み自殺の集中でした。確か2009年くらいに書いたような気がしますが、年末になると毎日のようにどっかの路線で飛び込み自殺で遅延が発生するというのに、誰も騒がないしニュースにもならないし、年末に集中するということも全く意識せず電車が遅れることにのみ迷惑そうな顔浮かべるのを見て、「なんかおかしいぞ」と思ってそんな記事書いてました。