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2007年12月28日金曜日

大学闘争時代を読む~その二~

 前回に引き続いて、大学闘争時代の日本人についての考察です。

 まず最初の疑問点だったその攻撃性についてですが、これはあれこれ議論されていますが、自分はやはり共産党宣言の教義が原因だったのではないかとにらんでいます。周知の通り、共産主義においては階級間対立が非常に強調されています。その階級観というのも二元的なもので、いわゆる資本家層と労働者層の二つで、私の好きな佐藤優なんかは官僚というもう一つの階層を忘れているという主張をしてますが、とにもかくにも共産、社会主義はこの二項対立が非常に強い価値観です。
 重要なのはこの二つの階級観ではなく、共産党宣言には階級間の対立を煽る主張があることです。「万国のプロレタリアートよ、立ち上がれ」などと、資本家層との対立が労働者層に宿命付けられているかのような言質がとられています。

 恐らく、元の共産党の概念においてはこの辺で止まっていたかもしれません。しかしマルクスの予期せぬロシアで最初の革命が起こり(マルクスは資本主義が最も発達したイギリスにおいて最初の革命が起こると予言していた)、しかもその革命がボリシェビキによる暴力的な革命で、その後のスターリンによる力による圧政から、暴力によって革命は起こされるようだという意見が大学闘争時代の当時にあって支配的だったような気がします。

 このような過程から、日本を社会主義化するために日本においても暴力を使う、言ってしまえば議会において多数派となるような方法ではなく、暴力的な手法が好まれたのではないかと思います。これは社会主義の間においてのみこの傾向が強まったため、保守へとその暴力は向かわず、同じ社会主義内の各グループでどつき合ったりすることになったのではないでしょうか。

 こんなところが私なりの優等生的な意見です。ここで敢えて斜めに構えてまた考えてみると、これとは別に、ただ単に大暴れしたいというだけの連中が大して物を考えず、差しあたってカッコのつくように社会主義のブントやら共青やらに入ってボコボコやってたのではないかとも考えられます。当時からも言われていますが、当時の活動をしていた学生の中には誰も「資本論」を読んだ人間はいないといいます。個人的に実名を挙げちゃうなら、テリー伊藤なんかこの部類じゃないかな。

 あと補足的に追加するなら、思想の統一なんかも非常に叫ばれていました。まぁ最初に団結せよなんていって、不確定分子はすべて叩き出した上で革命を起こせなどと言われてましたし、そういったことから会派対立が強まったとも考えられます。暴力についてはこんな感じで、次からやっと本題だ。

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