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2007年12月16日日曜日

ひこにゃん騒動について

 最近、知り合いの論文製作を手伝ってて、段々文章を書くのに飽きてきてます。まさか三人も面倒を見ることになるなんて……。

 で、早速今日のお題のひこにゃん騒動ですが、全国ニュースでもなっていましたからわかっている人も多いでしょう。彦根城400年祭りにて使われたマスコットキャラクターのひこにゃんについて、その後の肖像権の存続を巡って作者側と彦根市が争っていた裁判です。結果的には丸く収まったようですが、なかなか人を考えさせるテーマだったと思っています。
 というのも、作者側の意図しない要素、ひこにゃんが肉食だとかそういった特徴が不当だったというのが主な争点でしたが、何もキャラクターに限らずとも、昔から周囲が作者の意図を超えて作品を作る問題はよくあります。一番代表的なのはコナン・ドイルの「シャーロックホームズ」で、作者は話を終えようとホームズを行方不明にさせますが、その結末に激怒したファンによって、結果的にシリーズは再開されました。またもう一つ、スティーブン・キングの「ミザリー」は、ファンによって作品内容の変更を暴力的に迫られる話を書いてあり、キングの苦悩が察せられます。

 キングなどはよく作品が映画化されてますが、作者の方はと言うとほとんどが余計な脚本など加えられたりして、非常に不満が募ったとよく言っています。しかし悲しいかな、彼が最も不満を持った映画「シャイニング」に至っては主演のジャック・ニコルソンの名演技ぶりが今でも高く評価されています。私個人では、キング自身が監督したテレビシリーズの方が好きですが。

 実はこのように書くには訳があって、私自身も似たような体験をした事があります。昔書いた小説があるゲームの出だしの話と酷似していると言われ、わずかながら殺意にも似た感情を相手に持ちました。まぁ私の主観で言ってもしょうがないですが、話自体は非常に王道的かつ普遍的なもので、似ている作品を挙げろ言うのならば三桁は言えるような話でした。それが特定の作品につなげられたのは、読者の側が私の小説に対してゲームの話を当てはめて見たからだったと思います。
 結果的にはその作品で言いたかった事もあまり伝わらず、続きを書いても似てる、似てるといわれ、ほとほと疲れてすぐやめちゃいましたが、読者に作品が読まれる快感はもちろんあるのですが、その一方でこのような不満を感じる事もあるのかと当時は悩みました。

 しかし基本的にどの形態であれ作品というのは、一度世に出てしまえば作者の手から離れてしまうものだと思います。一方で評価するものいれば非難するものいて、作者の主張を受け入れるものいればそれを捻じ曲げて拒否、変えてしまう者もいるでしょう。それに対して作者があれこれ反論、弁論するのはお門違い、作品を生む段階で、それを初めから覚悟すべきだと思います。

 最後におまけですが、キングは自身の作品の映画化について大抵批判しますが、「スタンド・バイ・ミー」、「ドリームキャッチャー」については非常に誉めています。この両作品は私もとても気に入っているので、もし機会があれば見ることおすすめします。

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