今回の内容は以前から考えていたないようですが、調べてみるとどうやら他の人とかも結構主張していました。自分だけ特別じゃないんだね( ・A・)
で、その肝心の内容ですが、武田騎馬軍団ってのは実は嘘なんじゃないのかというのが私の意見です。一般に、武田信玄率いる武田騎馬軍団は戦国時代最強の軍団と呼ばれていてそれが日本人の常識にもなっていますが、よくよく検証してみると、微妙につじつまの合わないことが多く出てきます。
まず単純に、武田家の本拠地である甲斐、今の山梨県から長野県に当たる地域ですが、この辺りは傍目にも山地しかない地域で、今以上に当時は森林が生い茂っていることを考えると、騎馬隊の突撃などとてもかませないような急峻な傾斜地です。一般に、騎馬隊というのは平地でもってその力が発揮されます。平地を高い機動力を以って敵軍に回り込んで一撃を与える、もしくは体重の乗った重装騎馬隊で突撃を行うなどの戦術で、この点から言うと日本で騎馬隊の運用に最も適しているのは実は関東平野で、その真逆なのがまさに信玄のいた地域となるのです。
実際に、ゲームの信長の野望では関東地方の武将達の騎馬能力が割りと高く設定されています。で実際に、関東で騎馬隊を使うと実に面白いくらいに敵に勝てるの何の。まぁこのゲーム、山でもやけに馬は速いけどね。
確かに、甲斐は当時から馬の産地として有名だったようですが、以上の理由から私自身は武田騎馬軍団は講談での存在、つまり嘘だったんじゃないかと思います。それでてっきり、この偽話の元は武田家のデマを現代に至るまで数多く量産している江戸時代のトンデモ本「甲陽軍鑑」から来ているんじゃないかとも思いましたが、なんでも、この「甲陽軍鑑」にも武田騎馬軍団の記述は一切ないらしいのです。だとすると、いつ、どのようにこのデマが蔓延するようになったのか、多少なりとも気になります。
私が思うに、武田家は確かに馬を数多く運用していたのではないかと思います。というのも、軍隊というのは兵員の移動以上補給物資の移動速度の方が重要になってきます。どれだけ兵員が早く移動できるとしても、補給物資がそれに追いつかなければ結局軍隊は維持できず、必然的に兵糧や武具などの重いものをどれだけ早く運べるかが、軍隊の移動速度につながることになります。
なので武田家は兵員が騎馬に乗っていたのではなく、補給隊が馬を使っていたのではないかと思います。無論これだけでも軍隊の移動速度は飛躍的に上がり、結果的に強さは跳ね上がります。またこの説を支持する史実として、実際に武田信玄は軍道の整備に手をかけており、補給を重視していたとも取れる話があります。恐らくはこのような馬を多く運用したという話が曲解され、武田騎馬軍団というフィクションが作られたのではないかと思います。
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