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2008年3月13日木曜日

単純に物事を考えることについて

 前回の投稿では社会保障について、やや単純に問題を追っていきました。この、「単純」という言葉ですが、どちらかというと悪い意味で使われることの方が多いと思います。かといって「複雑」という言葉も、どちらかというとマイナスな意味が付与されているような気がします。
 まぁ言ってしまえば両者は両者で如何に使い分けるかが重要ではあるのですが、政治の世界だとやはり複雑な言い回しの方がいいとされています。ですが小泉元首相のように、単純な言い回しをする政治家の方が人気は集まりやすいものです。

 いきなり結論ですが、私は基本的に物事は単純であれば越したことはない、単純であるほうが優勢だと考えています。というのも論文においても、複雑な論理であればある程その主張が発揮される場所が限定されるのに比べて、単純で簡潔な論文ほど応用範囲が広いことになります。かの有名な遺伝の法則をメンデルが科学アカデミーに報告した際、その紙量はほんの一、二枚だったといいます。実際に遺伝の法則は実に単純で、理解して見ればわかりやすい。それだけに法則は偉大だともいわれています。

 そして物事を行う際に計画を作るにしても、私なんかは結構手抜きしやすい性格なのもありますが、大まかな目標を作った上で始めてしまう事が多いです。というのも、理想の計画通りに現実がうまく行くことなんて百に一つもないと思っており、それよりその大きな目標に対して過程をどうやりくりするかに対して重要視しています。もっとも、まるきり計画性がないのはやっぱり問題ですが。

 政治の世界についても、私は同様の見識を持っています。かの日露戦争の勝利の立役者の児玉源太郎氏も、軍人としての経歴ばかりが注目されていますが戦後は議員にもなっており、本人は自分は政治家だと自認していたようですが、この人が言うに、
「政治というのは大鉈を振るうように行わねばならない。細々と対処していては何も問題は解決しない」
 と述べています。私もこの言葉に同感します。細かな軸はともかく、大きな観点で問題を見据えることがよい政治家の条件ではないかと考えています。言うなれば、物事を単純化して見る力があるかどうかです。

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