前回では日本のアニメ、漫画ブームの世界への広がり方について説明し、その上でこの文化を正当な文化、つまりメインカルチャーとしてみることに反対する主張を行いました。今日はその辺の理由を説明します。
まず、前回にも書いたようにメインカルチャーとなると避けては通れないのが表現の規制です。メインカルチャーの役割はというと公での生き方、考え方を提示、作ることで、どちらかというと高尚な文化を担当することになります。そのために反社会的な表現などはもってのほかですし、実際によくない影響を与えてしまいかねません。
それに対してサブカルチャーの役割というのは、メインで拾えない部分を拾ったり、もしくはその反面教師的なドロドロとした影の部分をグロテスクに描くことが主眼となってきます。また、そうした表現を持って、いわゆる社会の不満などの捌け口ともするのが主たる役割だと考えています。
そこで現況を見ましょう。現在の日本では小説類はすでにメインカルチャーの部類に入ってきていると思います。確かにまだまだサブカルチャー的な小説、言うなればジュニア向け小説やハードボイルド小説などはありますが、それでも公で堂々と読んだりできます。これに対して漫画、そしてアニメはまだ合コンとかで、「漫画を読むのが大好きです」というとドン引きされるほどで、サブカルチャー的な色彩が強いような気がします。
ところがサブに属すにもかかわらず、このところ子供への暴力的影響などから表現の規制が強まってきています。一例を出すと先週のジャンプに載った「銀魂」という漫画でタバコを吸っているキャラが漫画の中で、アニメ版の自分の喫煙シーンについて、「アニメ版だと煙が描かれず、俺はチョコでもくわえているのか」と、セルフパロディをかましていました。このように反社会的なシーンなどの規制がこのところ非常に強くなってきています。
一社会学士の目から見ると、反社会的な風潮が強まるのは確かによくはないのですが、そのはけ口とも言うべき場所を残すということは社会の安定にとって非常に重要だと考えています。しかし最近では、反権力の象徴でもあったロックミュージックも売れることが主眼になってきていると昔かたぎのロック親父がテレビで嘆いていましたが、私はそのはけ口とも言うべき役割をこれからも漫画やアニメに担っていってもらいたいと考えています。
そのために、私は漫画やアニメを人目に隠れて読むべきだと思います。公に出てしまうと表現の規制からは逃れられなくなり、その価値は半減化してしまいます。あくまでサブカルチャーのままで、この文化は発展させていくべきではないでしょうか。
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