今回の題材とする事件は本来なら「神戸連続自動殺傷事件」とするべきでしょうが、私の仲間内で使っている呼び方から「酒鬼薔薇事件」と表することにします。事件の詳細についてはここでは特に解説せず、この連載の本来の目的の社会に与えた影響についてのみ考察しようと思います。
結論から言えば私は、この事件こそが当時の日本社会が持っていた概念を最終的に崩壊させるに至らせた、言わば止めのような役割を果たした事件だと考えております。まず時期こそこの事件の後ではあるものの、同じ97年に山一證券が破綻したことによってそれまで日本人の自尊心の拠り所であった「経済大国」という意識が崩れたということはこの連載の最初の方で述べました。ではこの酒鬼薔薇事件で何が崩れたかというと、それは「平和」こと「安全神話」です。
やっぱり2009年になった今に考えてみると昔はよく日本は「水と安全はタダの国」と言われていましたが、どうもここ数年はこのフレーズは全く聞かなくなったように思えます。では一体いつくらいから聞かなくなったかと言うと、95年のオウム事件でもすでに相当この概念は揺るがされてはいましたが、やはり徹底的に覆されたのではこの酒鬼薔薇事件からではないかという気がします。
この事件はその猟奇性もさることながら犯人が中学生だったこともあり、事件解決後には少年法の厳罰化など様々な方面に大きな影響とショックを与えました。特にその後の無差別殺傷犯罪については専門家や評論家は多かれ少なかれこの事件から影響を受けていると指摘しており、確か奥野秀司氏だったと思いますが去年に起きた秋葉原での通り魔事件はこの酒鬼薔薇事件を明らかに意識していると主張し、私もその説になんとなく納得してしまいます。97年からの直近でいえば翌年に起きた西鉄バスジャック事件などは私も明確に酒鬼薔薇事件が影響しているとしか思えないほど犯人の手段や行動に似ている点が多くあると思い、奥野氏が言うようにその後の犯罪者は皆酒鬼薔薇の背中を見ているという言葉には考えさせられてしまいます。
なお当の酒鬼薔薇事件の犯人はオウム事件を見て、あれだけのことをしても犯人らはすぐに死刑にならないのかと思ったそうで、このように目立つ犯罪事件というのは悲しいことですが後の犯罪者に影響を与えてしまう傾向があるようです。
話は戻りますがそれだけ社会に大きな影響を与え、それこそ事件発生当初は激しい報道合戦が繰り広げられ、以前に私が「犯罪被害者への報道被害について」の記事で書いたように事件に巻き込まれたがゆえに事件後にもさい悩まされる被害者を出してしまい、この問題が大きく取り上げられるきっかけにもなっています。
そのほか犯人が中学生ということから教育についても当時あれこれ議論されましたが、思い返すとその時の議論はあまり価値あるものではなく、どちらかと言うとくだらないものだったように思えます。多分、その時に出た意見で実際に反映されたものも少ないでしょう。
だがそれ以上にくだらなかったのは当時の評論家による犯人分析です。何故本来こんな犯罪を起こさないとされる中学生がこんな事件を起こしたのかという前提の元に、少年を殺人に駆り立てた原因を何かしら作ろうと躍起になっていました。これは現在の結論ですが事件を起こす以前から動物をやたらと殺していたように、犯人の少年は単純に殺害行為に対して喜びを感じる特殊な性癖があったゆえに起こした、言わば犯人自身の特殊性ゆえの事件という説が最も強くなっております。
しかし中にはとんでもない主張をするものが多く特に社会学者の宮台真司に至っては、犯人が住んでいた街が整備され過ぎているがゆえにストレスなど吐き出す箇所がなかったことが原因だったという、あまりにもふざけた主張をしたことは未だに私は許すことが出来ません。普通に考えて、もし宮台の言う通りならば整備された街ではこの事件と類似した事件が起こっているはずですし。
なおこの話を私の中学の国語教師が授業中に取り上げた際、宮台真司を知っているかという質問を教師がしたら私の友人一人だけが手を挙げてしまい、「あなたはちゃんと見ているのね」と誉められたそうですが、中途半端にクラスのさらし者になってしまったと友人は言ってました。
正直、ここまで書いて非常に疲労しました。内容が内容だけに書いている側としてもどのように話をつなげればいいかでいろいろ戸惑いがあります。結論は先にも述べた通りにこの事件によって本格的に日本の安全神話が崩れたということで、これによって「経済」、「平和」、「安全」という戦後日本人の自尊心の拠り所であった三本柱のうち二本がみんな崩れてしまったのが97年だというのが私の主張です。ついでに言うと残った最後の「平和」も、98年の北朝鮮のテポドン発射事件によって崩れたとまでは行かないまでも大きく揺らいだように思えます。
何度もいいますが、先ほどの三本柱は日本人の概念の中核をなすものでした。それらが揺らいだ、なくなったことによって日本人に何が起こったかと言うと、私がこの連載の第一回目に述べた「モラルパニック」が起きたのだと私は言いたいのです。次回はその辺の現象としてのモラルパニックを例を挙げつつ解説します。
もうすぐこの連載も終われるなぁ(´Д`)フゥ
補足
コメントにて猟奇的な少年犯罪自体はこれ以前から数多くあり、この事件がマスコミに大きく騒がれたことによって日本人の概念が揺らいだのではないのかという指摘を受けましたが、まさにその通りだと私も考えています。統計上でも60年代や70年代の方が明らかに少年犯罪の発生件数は多かったにも関わらず、この事件が象徴的に扱われているのは当時のマスコミの過剰な報道によるものでしょう。結果的に治安に対する概念が揺らいだことに変わりはありませんが、主犯はマスコミだと言うことを改めて補足させていただきます。
6 件のコメント:
このような少年による殺人事件は、平成に入ってから増加したわけではないです。昔から存在します。
にも関わらず、メディアは「平成不況になってから猟奇的な少年犯罪が増えている!」という報道を行いました。
つまり、「当時の日本社会が持っていた概念を最終的に崩壊させるに至らせた」のはこの事件、事件を起こした当人ではなく、メディアの報道であると私は思います。
ご存知かもしれませんが、少年犯罪に詳しいサイトを張っておきます。戦前から少年による猟奇的犯罪は存在したようです。
http://kangaeru.s59.xrea.com/
実に鋭いご指摘で、まさにその通りです。気がついていなかったわけじゃなかったのですが、マスコミが主犯ということをやはり記事でも明示しておくべきでしたね。その辺は補足でカバーさせてもらいます。
それにしても、ちゃんと勉強してますね。これならもう一本くらい論文、ってかこういう少年犯罪の話のが書きやすかったかもしれませんね。久々のコメント、ありがとうございました。
この酒鬼薔薇事件もすごいですが、ロックマンさんのサイトの情報もすごいですね。話には聞いていたんですが、戦前にこんなにも未成年による殺人事件が起きていたなんて、驚きですね。「最近の子は以上犯罪をする子が多い」という老齢のコメンテーターの時代のほうがたくさん起きているのはなんというか、説得力のかけらもないですね。
しかし、一方で現在のほうが人口比でみた少年犯罪件数が少ないのは、マスコミが過激に報道することによって、犯罪の抑止力として働いたとは考えられないでしょうか?それを異端者とすることによって、知らしめているような気がします。
>サカタさんへ
うーん、言いたい事はわかりますが、やっぱり中学生や高校生位の子が報道の影響を受けるかと言ったら、あんなに言うこと聞かない世代なんだからあまりないんじゃないかと思います。
それよりも私は「不良≒かっこいい」というイメージが薄くなったのが大きいんじゃないかと思います。昔なんてほんとそうだったらしいし。
「不良≒かっこいい」っていうのは最近は薄れているのですかね?いやぁ私自身が中学時代、不良に憧れたもんですからw
未だにチャンプロードとか、ヤンキー雑誌が存在しているし、まだまだ不良かっこいいは健在しているんじゃないかとw
いやでもマガジンなんか不良マンガがめっきり減ったよ。でもロックマンさんにそう言われると、そうなんじゃないかなぁと思っちゃいますね。
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