今日もまたネットニュースにて国の借金が増え、国民一人当たりどれくらいの借金を担っているかというニュースが配信されていました。私が小学生の頃の日本の国債発行高は確か400兆円くらいでしたがあれよあれよという間に現在はすでにその時の額から二倍以上にまで膨れ上がり、現今においてこの借金をどう返すかという財政姿勢が主要な政治課題となりつつあります。
そんな財政再建議論において最前面にいる政治家を挙げるとするなら、それはほかでもなく与党民主党の代表である菅首相が挙がって来ます。菅首相は総理就任後の参議院選挙において消費税の増税を掲げ(批判されるやすぐ引っ込めたけど)て財政再建を強く訴えたことから、それ以前からもなかったわけではないですが俄然この問題が前面に出てきた感があり、そこで今日は財政再建に増税が必要かどうかを含め現況を整理するとともに問題提起を行おうかと思います。
まず菅首相の増税論については現状で数多くの批判がなされているのは事実です。理由はいくつかありますが主に財界からの批判としては増税を行うと消費が冷え込み、余計に経済が悪化して税収が落ちるというような批判がされておりますが、実際に97年に当時の橋本政権が消費税率を従来の3%から現在の5%に増税した際は増税したその年こそ税収は増加したもののすぐに景気が悪化し、二年後にはそれ以前より少ない税収となって「失われた十年」の最悪期を引き起こしたと現在でも指摘されております。
では財政再建のためには増税は行うべきではないのかということになってしまいますが、実は私は増税に対しては肯定派の立場を取ります。その理由としては現状でも予算が足らず国債を発行し続けているのに税収を増やさずしてどうしてプライマリーバランスを回復できるのかという考えと、日本の景気を回復させるためにもこうした財政再建を行うという強い姿勢を見せることが必要だと感じるからです。
そもそも何故現在の日本が不況なのかといえば、一つの大きな理由としてはやはり消費が低い水準のまま維持してデフレが続いているからです。では何故消費が少ないのかといえばいろいろ理由はありますが、その中でも将来の社会保障があまりにも不透明ゆえお金を使おうにも使えないということが特に大きな原因ではないかと私は考えております。
将来の社会保障というのは単純に年金や医療保障のことで、若い時分であればまだ働くことが出来るけれども老齢時にはただでさえ就職口がないだけに、自分の身は自分で守れとばかりに現在四十代から五十代の方々はうちの両親同様に老後の蓄えを一定度確保するのに執心しているかと思います。
もし仮に年金など将来の社会保障がしっかりとしていて国民も安心できるのであれば、壮年層もそこまでお金を貯めようとせずに使える時、まだ元気なうちに使ってしまおうと消費に回ってくる可能性があるとかねてから評論家などに言われております。私自身もこの意見に同感なのですが、現在そういった社会保障に何故信頼が置かれないのかといえば杜撰な年金管理はもとより将来基金が枯渇することが確実な欠陥制度に加え、それを担保する国の財政が借金漬けにあることなどが原因でしょう。
そのため確かに97年度の増税時には景気は悪化したものの現時点の増税は国民の側も多少は理解を示すようになっており、こうした将来への不安を多少なりとも和らげる効果があるのであれば私は当時ほどの景気悪化は招かずに税収は増加するのではないかと見ております。
しかし、だからといって私は現時点の菅首相の増税論については真っ向から反対です。先ほども述べた通りに私は増税には賛成ではありますが、菅首相の増税論は日本の借金を返すためというよりはマニフェストに掲げた子供手当てなどといった新たな政策を実行するための資金稼ぎにしかなっておらず、プライマリーバランスの回復にはほとんど寄与しないと断言してもいいです。また仮に増税を行って得た税収をすべて社会保障に回すとしても膨大な借金が残ったままでは福祉がいくら充実したところで国民はやはり安心感が持てず、壮年層の貯蓄傾向と若年層の年金離れは変わらないままでしょう。
ではどうすればいいかですが、ごくごく単純に増税しつつ支出を減らしていくという、徳川吉宗の享保の改革以来の方法を踏襲するよりほかはないでしょう。
これまでの財政再建議論は90年代においてはもっと国債を発行してお金を集め、そのお金で公共事業などを行って景気を回復させれば税収が増えて円満解決だという、まるでばくちで作った借金をばくちで取り返すというようなやり方でしたが、こんなの通用するわけもなく結局景気は回復しないまま余計に借金を増やしただけに終わりました。その後小泉政権において積極財政政策は否定され、「聖域を設けない」という言葉通りに社会保障費などドラスティックに削減した緊縮財政政策が行われましたが、恐らく最低限の支持率を確保するためでしょうがとうとう小泉政権は増税には踏み切りませんでした。
そして今度の菅政権では社会保障+αを増額する代わりに増税を行って財政再建をすると主張していますが、はっきり言いますが論理破綻もよいところです。本気で財政再建を行うというのであれば小泉元首相同様に聖域を設けずに支出を削減した上で増税しなければいけませんが、菅政権、というより民主党には下記のような聖域が明らかに存在します。
・議員定数
・公務員の人件費
・子供手当て
・外国人
・道路
小泉政権の頃も全く聖域がなかったわけではありませんが、それでも国土交通省関連の予算を大幅に削減するなど従来の常識では考えられない領域に手をつけたのは評価に値します。また小泉政権は社会保障を削減して復旧不可能な水準まで破壊したと私も当時に批判を行いましたが、今思うと本当にそれくらいのことをしなければ財政再建なんて夢のまた夢なのではないかと、たとえ現在が破壊されようとも未来に芽を残せるのであれば耐えなければならないのではとやや考え方が変わってきました。
ややもするとこの財政議論は増税か、支出削減かの二択で争われる傾向がありますが、私は最早待ったなしで増税もしつつ支出削減もしなければ財政再建など出来ないところまで来ているのではと考えています。もちろんこんなことしたら享保の改革時同様に不況がさらに悪化するかもしれませんが、私はもともとの不況の原因はデフレで、デフレを克服するためにはプライマリーバランスの回復が何よりも重要だと考えており、財政再建政策を執ることは一時的には大きなダメージを日本に残すかもしれませんが長期的な視野に立てば日本にとって最もよい道ではないかと見ております。
享保の改革時、巷にて一連の改革は確かに厳しいけれども後で効果が出てくるお灸のようなものだと思って我慢するしかない落首が流行ったそうです。人間誰しも痛い目や苦しい思いはしたくはありませんが、それが本当に将来につながるのであれば私は我慢をしてみようという覚悟があります。ほかの人まではわかりませんが。
追伸
つい以前まで増税はせずに緊縮財政、景気回復によって財政再建を主張する竹中平蔵氏を始めとした小泉改革のメンバーのことを「上げ潮派」と読んでましたが、なんだかいつの間にかこの言葉は死語になっていたような気がします。リーマンショック以降は景気回復なんて現実味がなくなったからかな。
追伸2
このところ自分でもしょうもないと思う記事ばかり書いてて悶々としてましたが、敢えて久々にややこしいテーマを選んで書いたところなかなか気持ちよかったです。人間、高いところ目指してそこに立ってないと駄目になりますね。
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