2012年5月22日火曜日

社会学士の話の組み立て方

 人によってはよく、「出身学部による違いなんてない」と言う方も珍しくないかと思いますが、私はこれと立場が違ってやっぱりどの学部を卒業したかで大なり小なりその人のパーソナリティに影響が出ると考えております。もっとも同じ経済学部でも古典派かマルクス経済かのどっちを専攻したかによっても変わってくるので一概にこの学部だからこうという言い方はできませんが、文系においてはある学部だけは話し方に明確な特徴があるような気がします。もったいぶらずにその学部を明かすとそれは法学部で、私の周りだけかもしれませんがこの学部出身者はやはり立証という概念が色濃い学部なだけに、なんかどの人も根拠を順番にかつ細かく説明してから結論を最後に持ってくる人が多いように思えます。

 では私の出身である社会学出身の人間はどんな話し方というか傾向があるのかですが、こちらも結論から述べると、なんかやたら話をひっくり返そうとする人が多い気がします。簡単に例を出すと、道路交通を円滑にするために信号機をどの程度の割合で設置するかと話してたら、そもそも信号機自体が交通円滑化を進めるに当たって邪魔になるのでは、信号単体の効果を検測すべきではと突然言い出すような感じです。自分を含め、同じ出身の友人もなんだかこういう性格の人間が多いような気がしてなりません。
 なんでこんなややこしいというか面倒な話し方をするのが社会学出身に多いか(私の周りで)ですが、考えられる根拠としては社会学自体が因果関係を強く疑う学問だからじゃないかという点が挙がってきます。社会学というのは習っている人には早いですが、自然科学においては当たり前とされる「原因→結果」という因果関係を「原因⇔結果」もしくは「原因→結果→別の原因」というように、物事の因果関係を双方向的に捉えたり、ある事象において一般的に信じられている原因が本当にその原因なのかということをやけに疑う学問です。そのため場合によってはある結果が原因自体を変化させる、一番いい例としてはイソップ童話の「酸っぱいブドウ」で、木の上のブドウを食べたいと思って手を伸ばしたが取ることが出来なかった狐が「きっとあのブドウは酸っぱいに違いない」と自己判断して納得するという話がありますがこの例だと、

  ブドウが欲しい→手が届かない→ブドウはきっと酸っぱいに違いない=原因→結果(原因)→原因(結果)

 という具合に、ブドウが欲しいかどうかという原因が手の届かない結果によって欲しいから欲しくないに変わる過程だと解釈することが出来ます。ほかの自然科学においては原因と結果は基本ワンセット、あるとしても複数の原因が一つの結果を生むと捉えがちですが、社会学では一つの事象で原因と結果が何セットも出来上がることがあります。

 こういう風な七面倒くさい捉え方をするもんで、やっぱり同じ学科出身の人間は卵が先か鶏が先なのかという具合に、物事に対してどっちが原因でどっちが結果なのかをまず考えてから話をする人が確実に多かったし、多分自分もその口なんだと思います。それこそ自殺を例にとるなら、普通の人は不景気だから自殺が増えていると考えるでしょうが、自分なんか自殺が増えているから不景気なイメージが強まっていると本気で信じており、景気が悪いことと自殺が増加することの因果関係を統計でまず確かめてみようと言い出します。まぁこれは過去の統計で言うと、世界的に好景気時も自殺が増えるという結果が出ているのですが。

 以上はあくまで私個人の私感であって統計的に確かめた結果ではありません。ただどの学部を出ても卒業してしまえば一緒というのは違うのではないか、大学の勉強は後半生に何の影響も残さないというわけではない、人格形成において何かしら影響が出るということを言いたく、こんなの書いてみました。

 一昨日までエプソンのネットブックで記事書いておりましたが、やっぱりキーボードはあっちの方が小さい癖に打ちやすいです。今使っているNECのラヴィなんてこの記事だけで何度ミスタイプしていることやら。ほんと、キーボードさえよければラヴィはいいのに。

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