昨日から始めたこの「平成史考察」ですが、今日は昨日の日本でのBSEに続く形で米国でのBSE発覚とそれに伴う牛丼の販売停止騒動について書いていきます。本当は昨日の記事にまとめて書きたかったのですが、思ったようなリブ告発の話に私腹を取られてしまい分けることとなりました。
事の発端は2003年末、既にBSEを発症した牛が確認されていた米国に対して安全基準が緩かったことから、日本政府は米国産牛肉の輸入禁止措置を取りました。ちなみにこの2003年末で今思い出せることというと、確か12月23日に友達集めて秋刀魚を焼きながらクリスマスパーティをしたということです。この年の秋刀魚はいろんな意味でおいしかったが、3尾まとめて買ってきて3日連続で夕食に秋刀魚を食べた直後はなんか辛かった。
話を戻しますが米国産牛肉の輸入が停止されたことを受け、主材料としてきた牛丼販売チェーン各社は文字通り大打撃を受けることとなりました。当初は備蓄があったため販売が続けられましたが、翌2004年には各社で販売を打ち切り、代替メニューとして豚丼をはじめとした新商品が販売されることとなりました。
こうさらっと書くといまいち緊張感がないのですが、人間というのは食べられなくなるとわかると途端に食べたくなるというべきか、販売停止が発表されるや各店舗に「食べられるうちに食べておこう」とばかりに大勢の客が押し寄せる事態となりました。その時にどれだけ混乱したかをうかがわせるエピソードとして吉野家のウィキペディアを除くと、販売停止直後の2月には茨城県と長崎県の店舗でそれぞれ、「なんでやめちゃうんだヽ(`Д´#)ノ」と酒に酔った客が暴れて逮捕されております。どんだけ牛丼食べたいんだよって言いたいです。
当時の私から見た印象ですが、代替メニューはやはり代替でしかなく、周囲を見ても牛丼を売っていた頃と比べて足を運ぶ回数は減っていたと思います。大体メニューの中でも初めに出てきた豚丼なんかは今でも販売されてそこそこ成功している方ですが、当時は吉野家、松屋、すき家ともにカレー丼とかハンバーグ丼とかいろんな新メニューを出してきましたが、やはりどれも定着しないというか次々と入れ替わっていました。私自身はあまり牛丼屋に行かない口だったので今思うともう少しメニューを試しておけばよかった気がします。
恐らくこのように大体メニューでは以前の売上げが取り戻せなかったことから、ゼンショー陣営の松屋とすき家ではそれぞれ中国産、オーストラリア産牛肉を代わりに使うことで比較的早くに牛丼の販売を再開しました。それに対して吉野家は頑ななまでに米国産にこだわり、輸入が再開されるまで牛丼はとうとう復活しませんでした。これについては初めから吉野家の総意だったらしく、1980年に一度倒産した際にコストダウンのため安い食材を使うレシピにしたところさらに売上げが減少し、また従業員もやる気を失ったという苦い経験があったことから、何が何でも米国産レシピを守るという意気込みだったそうです。
最終的には2006年に米国産牛肉の輸入が解禁されたことで牛丼は完全に復活し、この大手三社は現在も営業を続けるなど元の鞘に収まった形です。影響としては各牛丼チェーンのメニューの多様化が進んだことと、普段食べられる食品ほど食べられなくなると暴動みたいな状況になるという教訓でしょうか。
なお日本で牛丼の販売が停止されていた2005年、私は北京に留学中でしたが北京の吉野家で牛丼を食べております。今思い出すにつけ、あの時食べた牛丼の牛肉はどこの国の物なのか、ミステリーです。
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