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2013年8月17日土曜日

原爆投下に対する米国の正当性について

 昨日の記事で新しいキーボードが欲しいと言いましたが、今日たまたま秋葉原で旧友というか、自分よりかなり老けて見える後輩と会う機会があったのでついでにヨドバシで新しいキーボードを買ってきました。これまで使ってきたのはマウスとセットのマイクロソフト製ワイヤレスキーボードで、今回はマウスセットのロジクール製ワイヤレスキーボードですが、以前のキーボードが軟らかすぎたのもあってややキーの打ち込みが硬いと感じるものの使い心地はまだそんなに悪くないです。慣れてからどう反応するかがポイントだろうな。
 本題と関係ない話が続きますが、私ほどキーボードを年がら年中叩く人間はそうはいないと断言できるだけあってこの点に関しては強いこだわりがあります。それにしても、今日その後輩との昼食でから揚げ定食を食べましたがサイドメニューでフライドポテトセットを頼んでしまい、お腹に油がたまるような感覚を覚えました。

 そんなこったでようやく本題ですが、昨晩(午前1時40分)に友人から「アメリカが日本に対して原爆を落とした際の主張がやっぱり納得がいかない」という意見を受けました。昨日も戦争ものを書いておりますが物のついでということもあり、あとアメリカ史をこのところ勉強し始めて以前よりややパワーアップしていると実感しているので今日はこのテーマについて書いてみようと思います。

 まずアメリカが原爆投下について現在どのような主張をしているかですが、これはいろんな書籍を確認しましたがやはり「日本を降伏させるためには原爆投下が必要だった、いわば必要悪だった」という主張が根強いようです。アメリカ人がこう語る背景には沖縄戦があり、二次大戦における日本固有の国土内での戦闘で日本側は軍人、民間人ともに甚大な死傷者が出ましたが米軍もこれは同じで、仮にドイツの様に九州、ならびに本州での上陸戦が行われれば米兵に多大な損害が出ると想定されたそうです。この米軍の想定に関しては私も異論はなく、そりゃたくさんの兵士が死んでただろうと思います。

 となると、上陸することなく戦争を終えるのがベターだということですが、そうするためにはどうすればいいか。既に連合国は無条件降伏を求めるポツダム宣言を行っており後は日本の出方次第でしたがお世辞にも当時の日本は降伏するそぶりは明確には見せていません。仮に上陸したら米兵だけでなく日本の民間人にも多くの死傷者が出るのだから、それであれば完成したばかりの原爆を落としてその威力を見せ付け、政府方針を降伏に向かわせるのが常道だった……というのが米国の主張だと私は理解しています。

 まず友人の意見を先に述べると、仮に原爆の威力を見せ付けるのであればわざわざ市街地に落とすことはなく、海上など無人地帯に落とせば十分だったのではないかと言ってきました。まぁその通りだと私も思います。
 次に日本が降伏するそぶりを見せなかったという米国の主張についてですが、日本は1945年7月辺りからソ連に対し、和平仲介を依頼しており米国もそうした動きを知らなかったはずはありません。当時は既に暗号全部解読していたのだし。そういう意味では友人のいう通り、日本に降伏を促すために原爆を落とす必要はなかったと私も言えると思います。

 ただね、と言うべきかなんというか、この手の議論はやっぱり限界があると私は思います。長く書いてもしょうがないので言いたいことをもう書いてしまいますが、恐らく一定数のアメリカ人も先ほどの様な自国の主張を真に受けているわけではなく、内心では日本を降伏させるのに原爆は必要なかった、それでも投下したのはその後の冷戦を見越していたことと単純な破壊力の実験が必要だったからだっていう事をわかっていると思います。
 では何故アメリカは先ほどの様な原爆投下を正当化するような主張をするのか。言ってしまえばこれは認知的不協和の一種で、事実とは乖離するものの、自分たちが犯した気に病むような行為に対する心理的負担を和らげるためにやや無理な理由をこねた、というのが真実だと思います。でもってこういう風に正当化された理由と言うのはどれだけ矛盾する事実を並び立てても、心理的負担を催す限り本人らは認めることはないでしょう。これは歴史の問題ではありません、感情の問題です。

 一方で私はこの件に関して米国だけ批判するつもりはなく、降伏に対する当時の日本政府の態度にもやはり問題があったという気がします。仮に原爆投下前に直接米国、もしくは連合国に対して降伏協議の開催を公に求めていれば、先程の様な米国の正当化は成り立たず、場合によっては原爆投下が起こらなかった可能性もあります。そして何よりと言うか今もって非常に腹立たしいのは、何故あの段階で日本政府は降伏の仲介をよりによってソ連に求めたのか、考えるだけに怒りを覚えます。
 当時、既にソ連は米英との間で日本との戦いに参戦する密約を交わしており、実際に終戦間際になって日ソ中立条約を破り日本へ侵攻してきました。それ以前からもソ連は国際条約違反の常習国で最も信用してはならない相手と言っても過言ではなく、どうしてよりによってそんな相手に和平の仲介を依頼したのか、結果論であることを差し引いても頭おかしいんじゃないのかと当時の首脳たちに言いたいです。

 以上のような内容が私の意見で、簡単にまとめるならアメリカが主張する原爆投下の正当性はないもののそれをいくら主張したところでアメリカ人は考え方を変えず、不毛な議論が続きやすいということと、投下直前の日本の降伏に対する対応をもっと日本人は反省するべきでは、と言ったところです。残酷な言い方をしますが、過去を引きずっても仕方なく、今後は二度と原爆投下をさせないように活動するべきだと思います。

 最後に、恐らく歴代アメリカ大統領の中でも最も日本人に忌み嫌われているのは原爆投下時の大統領、トルーマンに間違いないでしょう。ただ私個人としてはトルーマンを実は高く評価しており、その点について次回の記事で意見を展開します。

 やっぱキーボードを変えて打ちやすくなり、文章も前よりリズム感が良くなってる気がしますね。

4 件のコメント:

すいか さんのコメント...

花園さんの、橋下市長の慰安婦発言についての記事に、
「はっきり言って、私は正直な人が好きですし私自身も全球真向勝負で本気で投げ続けるタイプであります。ただ政治家というか大人というのは、嘘は言ってはいけませんが言わなくてもいい本当のことは言ってはならないものだと私は思います。」とあり、なるほど、、と思いました。
原爆投下の正当性については、とってつけたような屁理屈だと私も思いますし、「原爆を落とすべきではなかった」と思ってる個人のアメリカ人もいることでしょう。でも、国としては、過ちを認めて謝罪はせず、屁理屈をいうのです。アメリカ人は、ディベートの練習をする際に、あるテーマに対して自分が賛成なら、逆に反対意見の側に立って主張する練習をします。感情に流されずどちらの側にたっても主張できる練習をするのです。そして、国益に沿った主張をするのです。
外国人が自国の国益に沿って日本を攻撃すると、少し前までは、今よりも自虐史観が強くて、事実も確認せずにすぐに謝ったりしていました。東京大空襲を計画したカーチス・ルメイという軍人に、戦後、勲章が与えられたと知ったときは驚きました。今は、冷静に真実を見よう、という人が増えてきているように思います。

花園祐 さんのコメント...

 今回のアメリカの話じゃないですけど、戦後しばらくは日本も侵略をしたという負い目があったのだと思います。それだからこそ反省をしているという姿勢を強く出そうとして、さらに日本人特有のご都合主義で、「土下座するのを見せていれば相手はそのうち納得するだろう」という考えたあったから、やや過剰な自虐史観が普及したのかもと思うところがあります。
 それに対してアメリカですが、まぁ本当にしたたかな国というか自分たちを有利な位置に置こうとするその姿勢は大したものです。無論それは国として強い形であるのだし日本も見習うべきで、ただ原爆投下をずっと非難し続けるだけじゃなくそうしたアメリカの事情、思惑も考慮に入れるべきだという考えもあってこの記事は書いてみました。

匿名 さんのコメント...

なぜ、ソ連に仲介を頼んだのか?.
天皇がそうしろと言ったからに外なりません.理由はそれだけです.そして最後まで(ポツダム宣言が行われても)ソ連の仲介にこだわりました.(モスクワの日本大使館から全く見込みがないという報告が来ても)

ドイツ降伏直後から、トルーマン声明に始まり、日本に無条件降伏を促す、ザカライアス放送という日本語による短波放送が始まりました.
『謀略かもしれないが、それを承知で乗らないと事態を打開する道は開けない』と言う天皇の言葉があって、日本側からも打ち返し放送が行われました.
『日本は戦争に負けたことがないので、降伏の仕方が分らない』
『嘘付くな.西郷隆盛は西南戦争で負けただろう』
当時は、国民が『戦争に負ける』等という言葉を話すと警察に捕まった時代.そんな頃にアメリカに対して『降伏の仕方を教えてくれ』と言った.つまりは降伏の条件を聞き出そうとした.....日本側は国体護持を降伏の条件に入れて欲しくて、必死にその可能性を探ろうとしたけれど、アメリカの主張は無条件降伏なので、降伏の条件などという話はなく噛み合わなかった.
それで、降伏の条件に国体護持を入れてくれるようにアメリカに頼んで欲しいと、スターリンに依頼しようとした.

小磯内閣が蒋介石と和平交渉を行おうとして(繆斌工作、1945年3月20日頃)、使者を日本にまで呼んだのだけど潰されました.

ポツダム宣言当時のイギリスは、経済が破滅状態、ソ連はヨーロッパ各地で略奪を始めていて、一刻も早く戦争を終わらせたかった.
当時の蒋介石も、『このまま戦争が終わり、毛沢東との戦いになれば蒋介石は負ける』と言う、アメリカの諜報機関の報告がルーズベルトに届いていた程弱体化していた.蒋介石自身もその事が分っていたはずで、だから小磯内閣が行おうとした講和に乗り気、一刻も早く日本との戦争を終わらせたかったはず.

ポツダム会談は日本に対するポツダム宣言のために開かれたのではありません.ソ連が略奪を始めていて、それにどう対処するかイギリスの要請で開かれた会談です.ですから蒋介石は無電で連絡を受けるだけで、参加はしていません.

対日徹底抗戦、日本が無条件降伏するまで戦うことは、カイロ会談での決定事項であったはず.ですからアメリカ単独で降伏条件を決めることは出来ませんでした.
結果論と言われるかもしれませんが、小磯内閣が行おうとした和平交渉で、糸口だけでも作っておけば、その後ドイツ降伏を契機としてアメリカとの和平の進展に大きな影響があったはず.
蒋介石が日本と講和をしようとしている事がアメリカに分れば、アメリカも無条件降伏の条件を緩めることが出来たと思われるのですが.

花園祐 さんのコメント...

 コメントありがとうございます。
 蒋介石との和平交渉、敢えて言うなら単独講和ですが、中国共産党との戦いも控えていた蒋介石の立場を考えると成立の可能性は確かになかったとは言えず、また仮に成立していれば仰る通りに米国への牽制に繋がったとも考えられ不調に終わったのは残念な結果だったと思えます。
 にしても、「降伏の仕方がわからん」と日本側が言ったというのは私も聞いたことありますが、これ聞いた交渉相手国からしたら「くだらねぇ嘘つきやがって」と思ったことでしょう。平家残党ですら降伏してるってのに。