昨日の記事で私は大逆事件を取り上げ、政府が幸徳秋水の様な知名度のある思想犯を処刑してしまったばかりに当時の社会主義者は幸徳を殉教者のように扱い、処刑した政府に対する批判が火を巻くと共に社会主義者を勢いづかせる結果となったことを取り上げました。その上で政治犯、思想犯というのはほっとけばいろいろ時の政権に都合の悪い言質を広めるが、処刑したら処刑したでシンボリックに扱われて残党を勢いづかせるので処理に非常に困る傾向があると書きました。現代においてもこのようなタイプの死刑囚は存在しており、具体的に挙げると連合赤軍事件に関わりあさま山荘に立てこもった坂口弘死刑囚がまさにこの典型例なのですが、もう一人、処刑に当たって残党の存在を意識せねばならない人物としてオウム事件の麻原彰晃死刑囚も挙がってくるように思え、今日はその麻原の処刑の是非について私の意見を述べようと思います。
結論から述べると、やるなら可能な限り早くにというのが私の意見です。
麻原彰晃死刑囚については説明するのも馬鹿馬鹿しいですが、地下鉄サリン事件を始めとした数々のオウム事件の首謀者であり最高責任者であります。裁判では意味の分からない言動や行動を見せ精神障害者のような素振りを見せましたが、死刑判決直後に、「なんでだよちくしょう」と叫んだ辺りから終始一貫してまともな判断力が持たれていると見られ、元弟子の上祐史浩氏も、「詐病に違いない。ああいうことをする人間だ」と評しています。
その麻原死刑囚ですが、死刑判決は既に確定しているものの現在に至るまで未だ刑の執行はされていません。彼の刑が執行されない理由はほかのオウム真理教による犯罪事件での容疑者の裁判が完了していないためだと言われ、特に長年指名手配されていながら検挙されなかった平田信容疑者を始めとする三名の存在が大きいとされますが、これはやはり方便で実際には残党への対応というか考慮が本当の理由だと思います。
現在、オウム真理教はアーレフとひかりの輪に団体が分離しており、後者はともかく前者は未だに麻原への崇拝を続けているとされその影響力は無視できないとされます。仮に麻原の死刑を執行するのであれば間違いなく何らかの反応が予想され、勝手な予想ですが、「政府の心無い弾圧によって殉教された」といってまた崇められ、信徒をつなぎとめる説法にでも利用されることでしょう。大体この手のカルトは中途半端に規制しようものなら逆に反発してより結束を強めるばかりか自分たちの信じる道は正しいと自己肯定することもあり、執政者側から見れば誠に扱いの難しい所でしょう。
では麻原を処刑すると残党は結束を強める可能性があるというのなら、坂口死刑囚のように死刑判決を与えたまま刑は実際には執行せず、拘留し続けて生殺しにすべきなのでしょうか。確かに処刑するよりは残党が妙な正当性を持つこともないでしょうし、獄中とはいえ自然死であれば、「国家に殺された」というのも実際に処刑するより幾分トーンは下がります。
しかし、上記のような点を考慮しても私は麻原を処刑すべきだと思います。理由は単純で、彼が処刑されなければ数々のオウム事件で被害を被った方々があまりにも浮かばれません。残党への対策を考慮すると麻原の処刑は明らかに悪手ですが、犯罪者、それも被害者に対する社会による報復の原則をこの事件ばっかりは疎かにしてはならない気がします。
言うまでもなくオウム事件は日本の建国史上で過去最大規模の犯罪事件であり、化学兵器による無差別テロも実行されており、何とか命は繋ぎ止めたものの現在も重い障害に苦しむ被害者が大量に存在しています。その上で麻原は政治犯ではありません。国家転覆を企てたという事実から思想犯には定義によっては入るかもしれませんが、何かしら信念なりに基づいて行動していたわけでもなく、あくまで私利私欲によって事件を起こした犯罪者です。政治犯ではなくあくまで犯罪者として処断すべきであり、たとえ残党を勢いづかせてしまう可能性があるとしてもこれで処刑されなければ正義がどこかに行ってしまうような、そんな感覚が自分にはあります。
その上で個人的な意見を述べると、ほかの弟子の裁判が続いていたということは重々承知ですが、処刑に当たって少なくとも五年くらい早くやっておけばという思いが自分にはあります。何故もっと早くにやっておけばというのかというと、麻原の親族、具体的に言えば子供がここ数年で成人となり、アーレフの指導者として活動を始めてきたからです。本当に個人的な意見で間違っている可能性はあるものの、彼らが活動を始める前であればまだ処刑後の影響は抑えられたのではという気が私にはします。
さらにその上に又述べると、指名手配されていた三人が捕まり裁判が続いている最中ではありますが、可能な限り早く処刑をした方が良いのではとも思います。理由はいくつかありますが一つは自然死にさせてはならないということと、二つ目はこのまま伸ばしても処刑後の残党への影響は大きく変わらないように思える(むしろ延ばせば大きくなる可能性も覚える)のと、三つ目は日本の死刑制度に対する意識をこれを機に一気に傾けなおしたらという考えからです。
ただ、ここまで書いておきながら非常に情けない限りですが、事件の被害者の方々に非難されても仕方ありませんが、麻原を除くほかのオウム事件の死刑囚に関しては生殺し案こと処刑はせず、永久に拘留するという手段にしてもらいたいと個人的に思います。理由はまたいくつかあり、一つ目は彼らは事件当時にマインドコントロール下にあったとみられるのと、二つ目は現時点で一名を除き表面上は麻原への帰依を失い事件について証言を行っていること、三つ目はこの事件の生き証人として残すべきではという自分の社会学士としての興味からです。
ここで書いた意見は我ながらかなりきわどさを覚えます。批判や非難は甘んじて受けるつもりですが、あくまで私個人の意見としてこの記事で展開して置こうとキーボードを叩いた次第です。
4 件のコメント:
そういえば私の中3のときの担任が「実家の隣の隣が麻原の実家だった」と言ってました。あの先生元気かな…。
>>正義がどこかに行ってしまう
花園様は「正義」というものが確かに存在する、とお考えなのですか?私個人としては「正義」「悪」は各人の価値観に拠るものではないかと思います。そしてそれなら社会が目指すべき、というか最大公約数的な「正義」とは何なのか?と考えれば「治安維持」といったところに落ち着くのではないかと考えます。
もし事実として残党を刺激しない為に死刑が執行されていないのであればそれも一種の「正義」として成立するのではないかと思います。事件の被害者の方々の気持ちを考えれば申し訳ない意見にはなりますが…。
いや、自分も正義なんてものが本当にあるかなんて、全く信じちゃいませんよ。
ここで「正義」と書いたのはそんなに意識したものでなく、どちらかと言えば「刑法の正義」を指しています。その定義は、個人による報復(=私刑)を禁止する代わりに国家が加害者に対し報復するという意味で、もしこれが成り立たないのであれば個人で報復した方が早いのでは、という考えになり社会的に不安定になるかなといつも考えてます。三日連続で思い記事書いて疲れてたから、ちょっと変な表現しちゃいましたね。
法輪功に関して、どう思いますか?commentを頂ければと思います。
法輪功は宗教団体としてみるというよりも、前の記事で書いた日本の社会主義集団のように政府転覆を目的とする団体としてみた方が良いよ。あんま宗教的な教えがどうとかには中国政府もそんな気を払っているように見えないし。
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