2015年4月6日月曜日

髀肉の嘆

 このところ、何故だか5年前の自分を思い返すことが多くなってきています。当時の私は新卒で入社した会社に在籍して日本国内にて勤務していたのですが、週末ともなるとほぼ確実に自宅近くの喫茶店に行くのが一つの習慣でした。何故その喫茶店に行くのかというと、その店にはほかの店にはない「梅ジュース」が置いてあったことと、漫画の「ジョジョの奇妙な冒険」の第七部こと「スティール・ボール・ラン」の単行本が置いてあって、この本を徐々に読み進める目的もありました。
 「スティール・ボール・ラン」は当初でこそ週刊ジャンプで連載されていたため最初は読んでいたのですが、掲載雑誌がウルトラジャンプに変わって以降は全く読んでいなかったものの、友人からその後からの方が面白いよと言われたので手に取ってみると本当にその通りで、遅ればせながら読み始めていたのがまさにこの時でした。

 この時期の私は生活に当たって何の不自由もなければ特に大きな不満もありませんでした。仕事に関してもリーマンショックの痕もあって忙しいどころか暇で、ほぼ毎日定時に上がって面倒な案件にぶつかるようなことももちろんなかったです。
 しかし人によってはぜいたくと言われるかもしれませんが、不満がないのが当時の一番の不満でした。毎日変化らしい変化のない毎日で社会に貢献しているという実感もなければ、仮に会社が潰れた際に一人で生きていけるようなスキルも磨けず、また私生活でも特に激しい行動などは取っておらず、果たしてこのままで自分はいいのかという自問自答をその喫茶店内で繰り返していました。その上で、一体いつまでこういう生活を続けていくのか、果たして数年後にも同じことを考えているのかなんて言うこともよぎっていたと覚えています。

 当時在籍していた会社には新卒時の就活で拾ってもらった恩こそあったものの、当時に起こったある事件がきっかけで私の中の会社へのロイヤリティはほぼ完全に消え失せていました。既に中国への転職という案は頭にあり、後ろ足で砂をかける不義理になるとはいえ自分の行動は決して後ろ指刺されるものではないという核心も得ていました。しかし実際に行動するかどうかとなると、海外転職ということもあって選択肢としてはあっても決断するかとなるとなかなかそこまでに至れなかったのが2009年末から2010年春の自分でした。

 この頃の自分について今の自分の感想を述べると、何につけても「楽だった」の一言に尽きます。給与は決して多くなかったものの大学時代の奨学金120万円は既に完済出来てたし、休暇を取ろうと思えば有給は余っており、何より日本国内なので日常生活をするに当たっては何も足かせはない状態で本当に楽でした。だが楽だった故というか、前述しているように果たしてこのままでいいのかという疑念が常に頭を回っていたわけです。

 三国志を多少知っている方なら「髀肉の嘆」という言葉の意味がわかるかと思います。この言葉は荊州の劉表の元に亡命中で不自由ない生活をしていた劉備がある宴会の最中に厠に立った際、知らないうちに太ももの肉(=髀肉)が付いていたことに気が付き、「かつては馬上でずっと過ごしていて太ももの肉なんてつくことはなかったのに、今はなんて無為な生活をしているんだろう」と思って泣きながら宴会に帰ってきたというエピソードに端を発します。それにしても宴会主の劉表は泣きながら帰ってきた劉備のことを、「なんやねんこいつ(;゚д゚)」って思ったろうな。

 上記のエピソードからこの言葉には、「日々の生活の空しさを嘆く」などという意味で使わるのですが、ここまで言えばわかるでしょうが、私にとってはちょうど五年前がまさに「髀肉の嘆をかこつ生活」でした。不満がないのが不満、不自由でないのが不自由、なによりも状況的に追い詰められる要素が何もなくスリルが全く感じられない当時の生活が私にとって一番嫌な時期でした。言いすぎかもしれませんが当時の自分は余りにも苦痛から遠ざかっていたため苦痛に対する感覚がほぼ麻痺し、一体どういうものが苦痛なのかすらもわからなくなっていたのではないかとすら思えます。だからこそこのままじゃまずい、何も苦痛のない今の状況を変えなければ人間として駄目になるなんて無意識に考えていたのではないかという気が今になってします。

 その後の私は中国に渡り、はっきり言って人一倍には苦労に苦労を重ねてきたという自負があります。その過程では明らかに度を越した無意味な苦痛を経験することも多かったですが、場数を踏んだだけあって何が苦痛なのか、どこまでの苦痛であれば自分は耐えられるのか、他人はどの程度の苦痛をどのように感じ取るのかなどというのがおぼろげながらではありますが多少は見えてくるようにはなり、苦痛の感覚を取り戻すことができたと自分では考えています。
 もっともそれによって友人などからは、「思想が米国流のマッチョすぎ」などとも言われるようにはなりましたが、こうした経験を振り返るに当たって苦痛を感じられなくなるのは人間として非常に危険な状態なのではないかなどと思えてきます。この状態とは、苦しくてしょうがないと感じていた生活に慣れてしまう、苦しさがほとんどない生活に慣れてしまう、の2パターンあり、私の場合は後者だったわけでこれが「髀肉の嘆」ってわけです。どちらもはまってしまうとなかなか抜け出せなくなるだけに、詳しくは語りませんが弊害も大きいでしょう。

 まとめとして述べると、結果的に自分はいばらの道をずっと歩むこととなっていますが、それでもあの安寧すぎる日々から離れられたのはまだ幸福だったと言いたいわけです。周囲から見れば惜しいことをしたと見られるかもしれませんし負け惜しみの様に聞こえるかもしれませんが、やっぱり自分は常に氷の壁に背中をつけるような生活じゃないと生きていけない気がするしそうじゃなければ死んだも同然かなと思えます。
 とはいえ、「ここまで波乱万丈じゃなくってもいいのに……」なんて思うことも多々あります。目下、長坂破の戦いから逃げてきたばかりの劉備みたいな状況ですが、いつか蜀とか荊州みたいなの取れればいいなぁ。

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