ページ

2023年4月24日月曜日

ファイナル今村均

「武士道に触れた」とマッカーサーも感嘆、真の名将・今村均の生涯(JBpress)

 というわけで今日の自分のこの記事ですが、そこそこアクセスもいいようです。なんてったって今村均だから当然っちゃ当然ですが。

 今村均についてはこのブログでも何度も書いている通りに自分の理想の人物であり水木しげるに並ぶ尊敬の対象です。単純に軍指揮官として一流なだけでなく、部下のためパプアニューギニアの刑務所に移るなど極端な責任感は上に立つものの鑑と言っていいでしょう。また何故日本が戦争に向かったのかに関して、石原莞爾らが満州事変を起こした直後に「結果さえ出せば命令違反したっていい」という下克上な風潮が陸軍内部で蔓延したためと、まさにこの一言に尽きる冷静な分析も残しています。
 まぁあの満州事変当時、参謀本部で必死に制止しながら無視された立場だからこそ、気づけた事実かも知れませんが。

 そんな今村均をなんで今回記事化しようと思ったのかというと、やはり年数が経ってきたのと、近年の昭和史議論をリードしてきた半藤一利が亡くなったことを受けて、こうしたもっと評価されるべき昭和の軍人に関する記事がこのところ見られなくなってきたと感じたためでした。自分が学生だった頃も決して多かったわけじゃないですが、この今村均やキスカの木村昌福などを知ってから自分も色々調べるようになった過去があるだけに、今の時代の人もあの時代を学ぶきっかけの一助になれればという思いもありました。
 それともう一つの理由として、今回がJBpressに載せる最後のコラム記事だったからです。実は数か月前にJBpressで誌面刷新を計画しており、このコラムの連載継続について打診されていました。連絡がきたときは最初驚いたものの、自分としてもこのところ抱えているネタが切れてきており、また世を忍ぶ仮の姿の仕事が無駄に責任だけ増やされて結構忙しくなってきていて、連載を終えるにはいいタイミングであるとも感じました。

 実際にこのコラムのため、2週間に1回のペースで土日をほぼ潰しており、結構な労力をこれまでにつぎ込んでいます。打診された当時も、毎年仕事が忙しくて記事書く暇のない夏のため記事をどうするか考えていた矢先で、連載を終えるとしたらもうこういうこと考えなくて済むと考えると、ほっとする気持ちも少なからず抱き、この際コラム連載を終了することとなりました。

 とはいえこのJBpressの連載では非常に多くの経験が得られ、中国や経済記事だけでなく、こうした歴史記事も十分に欠けるという実績方面で強い自信を持てるようになりました。また取材中に人脈も広げられたし、取材をきっかけに自分も中国の今まで気づかなかった点にも気づくようになり、やっぱ仕事を通さないと物事って理解できない部分があるなと今更ながら思います。

 コラムを終了することにして残りのコラム掲載回数が確定した後、「ラストはこれで行こう」とすぐ決めたのが今回の今村均でした。自分としては一番か機体歴史記事はキスカ撤退作戦ですが、あれを書くにはまだまだ自分は未熟と痛感しており、ならば何なら書けるかといったらそこそこ資料も読み漁っている今村均ならいいだろうと判断しました。それ以上に、「わいはあの今村均の記事を書いたことがあるんや」と飲み屋で過去の自慢話ができるような経歴を作りたいという欲もある、っていうかそれが一番大きかったりしたのですが。

 今後の執筆活動については特に何も考えていませんが、やはり不定期にどこかのメディアで記事は発表していきたいなとは思っています。自分からどっかに売り込むことも考えましたがひとまず毎年遺書を書いている夏の激務を生き残ることが第一で、それ終わってからまた考えることにしています。知り合いも、なんか最近話題になっている果物流出など日本の農政に関する調査報告に集中するとか言ってるし。

 なおブログながら、改めてJBpressには貴重な機会を頂けたことにこの場で深く感謝申し上げます。読者の方にも、自分のことは嫌いになってもJBpressのことは嫌いにならないでと、最初はAKBが言ったけどその後すぐパクったつば九郎の発言としてのイメージが強いこんなセリフすらホイホイ出てきます。

0 件のコメント: