これはこの前出たニュースで、なんか中国の治安管理法案の中に中国人の感情に触れるような服を着たら処罰という内容が書かれていたそうです。これを見て自分が真っ先に気にしたのはほかならぬ小島よしおで、彼を中国に入境させないために中国政府はこんな法規を準備したのではないかと推測しました。
もっとも海パン一丁で入境できる国は多分そんなに多くはないでしょうが。っていうかこの際だからとにかく明るい安村、井出らっきょらとともに、小島よしおにも日本裸芸三人衆で世界各地を回ってほしいです。掴みは「はいてますよ」、「はいてませんよ」、「そんなの関係ねぇ」。
ちなみに裸芸ならあと江頭2:50もいますが、彼の芸は過激なYotuberと同じくやっちゃいけないと言われることを敢えてやる炎上芸的な要素を感じるため、人柄はともかく彼の芸は好きじゃありません。いやまぁ裸芸が炎上芸じゃないかと言ったら色々あれですが。
真面目な話に戻すと、上の中国の法規案を見て自分が真っ先に頭に浮かべたのは「じゃあ胡服はどうなのよ?」って点です。
「胡服」とは、漢民族から見て異民族(胡族)が着る服のことを指します。代表的なものはチャイナドレスですが、満州族のファッションに限らず、現代においては少数民族の来ている衣装なども総じて胡服と呼べるでしょう。
その胡服ですが、実は中国の歴史にも少なからぬ影響を与えています。時代的には紀元前4世紀ごろ、中国の戦国時代における趙の国の話です。
当時の長は武霊王が治めていたのですが、年々強大化する隣国の秦に対抗するため、趙も軍備強化に勤しんでいました。その強化の過程で武霊王は、「そうだ、胡服を着よう」と突然言い出します。
当時の中原(漢民族居住地)では日本の着物のような、股が分かれていない服が一般的に着られていました。それに対し北方の異民族らは騎馬に乗りやすいよう、現代のズボンに近い股を分けて縫製した胡服を着ており、これによって騎馬に乗って漢民族の国々を散々に打ち負かしていました。
こうした北方異民族の強さは騎馬に乗った戦闘方法にあると分析した武霊王は、自軍の兵士にも胡服を着させ、馬に乗せて戦おうと布令を出したわけです。もちろん、内部からは相当反発があったようですがそれを無理やりごり押しして胡服を導入したところ、予想の通り趙の軍隊の力は増し、武霊王の時代は秦に対して戦闘で比較的有意な戦績を維持することができました。
もっともこの後で武霊王は後継者争いを自ら引き起こし、最終的には跡を継いだ恵文王に屋敷を包囲され、餓死する末路となりましたが。
以上のエピソードは言うまでもないというか、余計な慣習にとらわれず合理性を追求して軍事改革に成功したというお話です。それだけに今回の中国の法規案について、「胡服は漢服と同じ扱いになるの?」という初歩的ポイントのほか、合理性をなげうって不要と思われる慣習に固執するのはどうかっていう倫理的な面から言っても疑問が出てくるということになります。
昨年首相を退任した李克強氏は当初、総書記の最有力候補とみられていました。皮肉な話ですが、彼が総書記となれなかったことは日本にとってはプラスだったのかもしれません。
2 件のコメント:
その武霊王は胡服の導入に反対する叔父や家臣に対して「禹王は裸国の風習にあわせて服を脱いだ」と言って説得しました。武霊王は過去の名君の逸話を説得材料にしたわけです。
禹王(夏王朝)や趙国を 中国の歴代王朝として認めるのであれば禹王と同じ格好をした小島よしおや安村の海パンも認めなければならなくなりますね
中国の過去には裸のドラマーこと禰衡もいたので、井出らっきょスタイルも認めるべきかもしれません。
ちなみにシャツをまくって腹を出す北京ビキニは相変わらず現代でも見られるけど、あれも中国人らしい服装と呼べるのかが自分の中で大きな検討議題となっています。
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