前回、自分の権力奪還のために散々若者を煽り、あまりに運動に熱を帯びて毛沢東も危機感を感じ始めたところまで解説しました。聞くところによると田中角栄が日中共同声明のために北京に来た際、会見場には厳戒警備をしいていたそうらしいです。あれほど崇拝された毛沢東ですら、この時期にあまりにも熱を持ってしまった若者を自分の権勢だけで押さえつけられる自信はなく、散々若者に敵視させた日本の首相と会う際には慎重にならざるを得なかったそうです。
そんな具合で紅衛兵に代表される若者が邪魔になってきた毛沢東は、ある政策でこの問題に片をつけようとしました。その政策というのも「上山下郷運動」、通称「下放」です。
ある日、毛沢東はこんな声明を発表しました。
「若者は直に地方の農村で働き、農民の生活を直接学び革命に役立てるべきである」
もともと毛沢東は自分の権力の基盤を常に農民においており、日本の安藤昌益のように「万人直耕」みたいなことを昔から言っていました。何もこの文革の前から農村で学び、考えることの重要性を訴えていたので政策自体は突然ぱっと出したものではないと私は思っています。
しかし、この下放には明らかに別の意図がありました。この時代ごろから今の中国にとっても最大の懸案である人口問題が起こり出し、都市部の人口密度が桁外れなものにまで膨れ上がってきていました。こうした人口を外に分散させるとともに、手を焼かせる若者を一挙に片付ける一石二鳥の策としてこの下放が実行されたのです。若者も、毛沢東の言葉と新たな大地を自分が拓くのだという強い意欲とともに、この下放政策を受け入れ率先して地方へと下って行ったようです。
さて農村で働くといって、日本の田園風景の中でのどかな生活を送る、みたいなのは想像してはいけません。日本でも最近になって問題化してきましたが、基本的に日本の農家は世界的にも裕福な方です。中国や韓国の農村は日本とは比べ物にならないほど貧困が激しく、以前の時代ならばなおさらのことです。なのでこの下放もイメージ的にはシベリア抑留みたいなものの方が近いと思います。都市部の近くの農村に行けた者は幸運だったらしく、大半は西南の密林地域や、東北の極寒地域に放り込まれていったそうです。
資料に使っている「私の紅衛兵時代」の作者である陳凱歌は雲南省の密林地帯へと十六歳の頃に行き、そこで七年も過ごしたそうです。行った先にはもちろん電気などなく、鍬と鉈と毛沢東選集だけを現地の事務所で受け取り、掘っ立て小屋にて他の下放者と一緒に暮らし、毎日延々と密林の木を切り倒していたそうです。
この本によると、下放者の中には過酷な労働で病気になる者も多く、作業中に木に潰されて亡くなった者も数多くおり、そして発狂する者までもいたそうです。
下放されたのは何も男子だけでなく、たくさんの女子も同じように下放されています。資料ではある女子の発狂するに至る過程が描かれていますが、あまりの生々しさにここでは紹介することを遠慮させてもらいます。
陳氏はこの下放を振り返り、何が一番印象的だったかというと木を切り倒したことだと述べています。結局、自分たちは大いなる自然に対して一方的に攻撃を加えていただけなのではと、成人後に現地へ赴いた際に強く思ったそうです。なにも木を切り倒すだけでなく焼き畑も数多く行い、あれだけあった密林もほとんどなくなってしまったことに強い後悔の念を抱いております。
もう一つの資料の「ワイルドスワン」に至っては、この下放についてより生々しく描かれています。作者のユン・チアンも南方の密林地域に下放されたのですが、現地の農民とは言葉が全く違っていて何も会話することができず、これまで農作業など全くやってきていないのに突然農村へ放り込まれ、慣れない作業に体を何度も壊したり、病気になる過程が事細かに書かれています。
その上でユン氏は、資本主義の国ではブルジョアとプロレタリアートの間で格差が広がり地獄のような世界が広がっていると教えられてきたが、果たしてそれは本当なのか。それよりも、この国の現状以上の地獄があるのだろうかなどと、これまで教えられてきたことや自分が紅衛兵として行ってきた事に対して疑問を持ち始めたと述べています。しかしそれでも、ユン氏も強調していますがそれまでの教育の成果というべきか、とうとうこの時代には毛沢東を疑うことはなかったそうです。
前回の記事で、この下放こそが文化大革命の最大の悲劇と私は評しましたが、実はこの下放問題は現在進行で未だに続いている問題なのです。どういうことかというと、この後に文革は終了するのですが、下放された若者たちは下放された時点で都市戸籍から農村戸籍へと変更されてしまい、故郷へ帰ろうと思っても帰ることができなかくなった者が続出したのです。
ちょっと簡単に説明すると、中国では「都市戸籍」と「農村戸籍」と分けられ、都市の人口をむやみに増やさないためにも農村戸籍の人間は都市に引っ越すことができないようになっています。つまり先ほどの下放された若者らは、事実上この時期に都市から追い出されて二度と故郷に住むことができなくなったのです(短期滞在は可能)。
先ほどの両氏によると、無事故郷に戻ることができた人間は非常に幸運だったそうです。下放された者の中には現地で死亡した者も多く、また下放者同士で子供を作ってしまった者はそれがネックになって帰郷が許されなかったり、それがために子供を現地に置いて帰郷するものもいたりなどと。
現在でも、この時期に下放された人の多くが地方に取り残されたままでいるそうです。
陳氏などは軍隊に入ることで帰郷が叶ったそうですが、彼の友人などは東北部で凍死したなどと書かれています。それがため、この時代に若者だった中国人の大半は世にも凄惨な歴史に翻弄されて今に至ります。
これほど多くの被害者が出た文化大革命ですが、その後半には急転直下とも言える政治事件が続発し、大きく情勢が動くことになります。今までの解説は国民目線のが多かったのですが、次回からは政治の中枢にいた、いわゆる文革の役者たちの解説になります。そういうわけで次回は、二十世紀中国史最大の謎と言われる、「林彪事件」を解説します。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年9月26日金曜日
2008年9月25日木曜日
麻生新内閣について
本来ならこのブログで真っ先に取り上げないといけないネタだと思うのですが、どうにも総裁選の途中から見ていて面白みがなくなってきて、この種の政界ネタがこのところは少なくなってきていました。与謝野が受かるという予想も外れたし……。
さすがに閣僚も決まったので何かしらコメントしなければと思っていたので、多分他のメディアがあまり突っ込まない点に対していくつか私の意見を述べさせてもらおうと思います。
まず今回の内閣を見る上で一番重要なポイントは、もし解散総選挙に打って出て勝利したとしても、この内閣で政権運営を続けていくかどうかです。このところの内閣は選挙が終わるたびに内閣改造を行っており、選挙後の改造が半ば慣行化しているところもあります。しかし今度の選挙では自民党は本気で民主党に議席で負けるのではと噂されるほど劣勢に立たされており、今回の麻生内閣の顔ぶれは小渕優子がマスコット大臣とはいえ最年少で入閣させるなど、選挙で優位に立つための布陣を敷いているのは明らかです。この小渕優子に限らず同じく総裁選で戦った与謝野氏を残留させたのも、党内の対立を抑えかつ自民党が一丸であるということを外に見せるためでしょう。
まぁ国会議員なんてものは選挙に勝ってなんぼなのですから、この内閣の布陣が悪いというわけではありません。もし噂されているように年内に解散するというのなら誰がなっても同じことなので、この際大臣に資質を求めるつもりもありません。しかし、この一度作った内閣で選挙に勝った場合、選挙をにらんで作ったこの布陣でそれ以降の政局もやり続けていけるかどうかとなると、先ほど求めないといった大臣の資質は無条件ではといかなくなります。
私が気にしているのは与謝野氏が経済財政大臣に入っていることです。はっきり言って麻生首相と与謝野氏の経済政策の考え方は真逆といっていいほど違います。そこへ麻生氏に近い中川昭一氏が財務、金融大臣でいるのですから、果たして今の布陣で大臣同士一致した政策をやっていけるのかと思うとすこし不安です。まぁいざとなればかつての田中眞紀子みたいにどっちかを切るだけってのもありなんだけどね。
もう一つこの内閣を見ていて気になったのが、中曽根弘文の外務大臣への入閣です。「JAPAN TIMES」(影で私は省略して「ジャップタイムス」と呼んでる。他意はない)の記事によると、この人は外交経験がほとんどないので恐らく外交は麻生首相が自ら行っていくのだろうと書いていましたが、そんなことより入閣自体に私は違和感を覚えました。というのもかつての郵政国会の最中、衆議院をギリギリで通過した郵政民営化法案が参議院に送られる前に、早々に反対票を投じるとこの中曽根が発言し、それに呼応するかのように自民党内で造反者が相次ぐ結果となりました。
事実上、参議院で民営化法案が流れた原因の一つとも言える人間で、そんな人間でありながら選挙で小泉元首相が圧勝するや、「民意に答える」とか抜かしてあっさりと次の決議では賛成票を投じています。こんな人間のために衆議院の造反組、特に野田聖子のように一回目に反対して郵政選挙では民営化反対を訴えておきながら中曽根と同じく次の決議では賛成票を投じた今の復党組ではなく、郵政選挙で負けた人たち(静岡の城内実氏など)は苦汁をなめることになったと思うと、なんとも言えない気持ちになります。
この中曽根が入閣したということは、恐らく麻生首相は本格的に小泉、安倍と続いた改革路線を否定するつもりなのだと私はにらんでいます。その根拠としてもう一つ、同じく郵政論争でこちらは棄権でしたが、賛成ではなかった小渕優子も入閣しております。第一、麻生首相は昔から小泉氏の路線とは真逆の経済政策ばかり言っており、一時は小泉内閣に閣僚入りしたものの、やはり本心では持っている政策が違ったのだと思います。
別に誰がどのような政策を持とうがそれは悪いことではありませんが、私としては小泉、安倍路線も麻生路線の政策も、どちらも国民にとっては毒となる政策だと思います。しかし前者は毒が苦しくとも長く生きることができ、後者は一時的に快感を得るもすぐに死んでしまう毒だと考えており、同じ毒なら私は前者の毒を飲みたいのが本音です。
なんというか皮肉なことに、小泉元首相が次の選挙で政界を引退するというニュースが先ほど入ってきました。これは以前に私も取り上げていましたが、やはり噂どおりに次男に自分の地盤を引き継がせて本人はとっとと隠遁生活に入るようです。今後自民党が勝つとしても民主党が勝つとしても、恐らく彼の政策は根本から否定されるか覆されるかと思いますが、なんとも皮肉な時期の引退発表です。
思ったより長くなったので最後にさらりと書きますが、今回の大臣の中で親が地方を含めて議員でないという、要するに二世議員でない人はどれだけいるのでしょうか。このような二世議員というのは生まれた頃から国民の税金を逆にもらって生活している人間、いうなれば年金生活者ならぬ税金生活者たちですが、そんな人間らに国民の生活感覚がわかるのかと思うと、やっぱり私は疑問です。資質があるのなら二世議員でもなにも問題はありません。資質がない二世議員ばかりだから問題なのだと一言付け加えてこの解説を終えます。
さすがに閣僚も決まったので何かしらコメントしなければと思っていたので、多分他のメディアがあまり突っ込まない点に対していくつか私の意見を述べさせてもらおうと思います。
まず今回の内閣を見る上で一番重要なポイントは、もし解散総選挙に打って出て勝利したとしても、この内閣で政権運営を続けていくかどうかです。このところの内閣は選挙が終わるたびに内閣改造を行っており、選挙後の改造が半ば慣行化しているところもあります。しかし今度の選挙では自民党は本気で民主党に議席で負けるのではと噂されるほど劣勢に立たされており、今回の麻生内閣の顔ぶれは小渕優子がマスコット大臣とはいえ最年少で入閣させるなど、選挙で優位に立つための布陣を敷いているのは明らかです。この小渕優子に限らず同じく総裁選で戦った与謝野氏を残留させたのも、党内の対立を抑えかつ自民党が一丸であるということを外に見せるためでしょう。
まぁ国会議員なんてものは選挙に勝ってなんぼなのですから、この内閣の布陣が悪いというわけではありません。もし噂されているように年内に解散するというのなら誰がなっても同じことなので、この際大臣に資質を求めるつもりもありません。しかし、この一度作った内閣で選挙に勝った場合、選挙をにらんで作ったこの布陣でそれ以降の政局もやり続けていけるかどうかとなると、先ほど求めないといった大臣の資質は無条件ではといかなくなります。
私が気にしているのは与謝野氏が経済財政大臣に入っていることです。はっきり言って麻生首相と与謝野氏の経済政策の考え方は真逆といっていいほど違います。そこへ麻生氏に近い中川昭一氏が財務、金融大臣でいるのですから、果たして今の布陣で大臣同士一致した政策をやっていけるのかと思うとすこし不安です。まぁいざとなればかつての田中眞紀子みたいにどっちかを切るだけってのもありなんだけどね。
もう一つこの内閣を見ていて気になったのが、中曽根弘文の外務大臣への入閣です。「JAPAN TIMES」(影で私は省略して「ジャップタイムス」と呼んでる。他意はない)の記事によると、この人は外交経験がほとんどないので恐らく外交は麻生首相が自ら行っていくのだろうと書いていましたが、そんなことより入閣自体に私は違和感を覚えました。というのもかつての郵政国会の最中、衆議院をギリギリで通過した郵政民営化法案が参議院に送られる前に、早々に反対票を投じるとこの中曽根が発言し、それに呼応するかのように自民党内で造反者が相次ぐ結果となりました。
事実上、参議院で民営化法案が流れた原因の一つとも言える人間で、そんな人間でありながら選挙で小泉元首相が圧勝するや、「民意に答える」とか抜かしてあっさりと次の決議では賛成票を投じています。こんな人間のために衆議院の造反組、特に野田聖子のように一回目に反対して郵政選挙では民営化反対を訴えておきながら中曽根と同じく次の決議では賛成票を投じた今の復党組ではなく、郵政選挙で負けた人たち(静岡の城内実氏など)は苦汁をなめることになったと思うと、なんとも言えない気持ちになります。
この中曽根が入閣したということは、恐らく麻生首相は本格的に小泉、安倍と続いた改革路線を否定するつもりなのだと私はにらんでいます。その根拠としてもう一つ、同じく郵政論争でこちらは棄権でしたが、賛成ではなかった小渕優子も入閣しております。第一、麻生首相は昔から小泉氏の路線とは真逆の経済政策ばかり言っており、一時は小泉内閣に閣僚入りしたものの、やはり本心では持っている政策が違ったのだと思います。
別に誰がどのような政策を持とうがそれは悪いことではありませんが、私としては小泉、安倍路線も麻生路線の政策も、どちらも国民にとっては毒となる政策だと思います。しかし前者は毒が苦しくとも長く生きることができ、後者は一時的に快感を得るもすぐに死んでしまう毒だと考えており、同じ毒なら私は前者の毒を飲みたいのが本音です。
なんというか皮肉なことに、小泉元首相が次の選挙で政界を引退するというニュースが先ほど入ってきました。これは以前に私も取り上げていましたが、やはり噂どおりに次男に自分の地盤を引き継がせて本人はとっとと隠遁生活に入るようです。今後自民党が勝つとしても民主党が勝つとしても、恐らく彼の政策は根本から否定されるか覆されるかと思いますが、なんとも皮肉な時期の引退発表です。
思ったより長くなったので最後にさらりと書きますが、今回の大臣の中で親が地方を含めて議員でないという、要するに二世議員でない人はどれだけいるのでしょうか。このような二世議員というのは生まれた頃から国民の税金を逆にもらって生活している人間、いうなれば年金生活者ならぬ税金生活者たちですが、そんな人間らに国民の生活感覚がわかるのかと思うと、やっぱり私は疑問です。資質があるのなら二世議員でもなにも問題はありません。資質がない二世議員ばかりだから問題なのだと一言付け加えてこの解説を終えます。
恭しい言葉ってなに?
最近真面目なのばっか書いているので、たまには馬鹿馬鹿しい話でも書こうと思います。
以前に私はこのブログにて、日本語の敬語は私はあまり好きではないということを書きました。その理由というのも、現代の敬語は元の意味から離れた誤用と援用、マクドナルドの「一万円お預かりします」などと、かなりトンチンカンなものになっている言葉が多く、また日常であまり使わないので敬語を使うと会話の回転が鈍ったり、また敬語ができていないと年下の人間をいじめる手段などに使われていることのほうが多いように思えるからです。だからといって全く使うなというつもりはありません。私が主張したいのは過度な敬語表現を相手に期待するの、自分が無理して使用するのがよくないと思うのです。なにも一から十まで形式に則った敬語を使わなくとも、ほんのちょっと言葉を丁寧にするだけでこっちに気を使ってくれているという表現なんてできるので、その辺で皆妥協すべきだというのが私の意見です。
というように前回には書きましたが、前回でも言っているように実際に相手からすごい形式に則った敬語を使われても、私なんかは京都で結構長く生活したもんだから相手から敬われていると素直にあまり感じません。京都では敬語とか京言葉は皮肉を言うときに使われるものなのでそうなったのかもしれませんが、あまり聞き慣れない言葉を聞いても気持ちよく感じるというのはあまりないかと思います。そういいつつも、実は私はある種の言葉なら聞いてて非常に気持ちのよくなるものがあります。何を隠そう、侍言葉です。
要するに時代劇で使われる言葉ですが、「ありがとうございます」のかわりに「かたじけない」とか、「すいません」のかわりに「面目ない」とか言われたりすると結構心が動かされます。語尾につける「です」も、どっちかといえば「ござる」のほうがいいと思うし、オリジナリティもあって日本人は言葉を先祖帰りさせるべきだと私は思います。
マクドナルドとかでも、「よくぞ参られた。ハンバーガーとマックポテトのS寸が所望であるな、然らば代金は210円でござる。一万円を承るでござる」とかだったら、私は毎日でも通いますよ。
こんな感じで以前に友人と話していたら、当時はメイド喫茶がブームになりだした頃だったので、対抗して自分らで「戦国喫茶」というのを出そうかという話になりました。そっちも大体さっきのマクドナルドと同じ感じで、
「よくぞ参られた。ささ、こちらの席へ。何が所望じゃ。なんと、冷やし珈琲とな。二言はないな(注文の確認)。されば、しばし待たれよ」
というような感じの喫茶店です。今、ゲームの「戦国BASARA」がきっかけで女性に戦国ブームが来ているらしいから、そこそこいけるんじゃないかと思う。
こんな風に暇さえあれば侍言葉を使うシチュエーションを考えているのですが、さすがに実生活で使うにはすっとんきょんな言葉ですから自重しているのですが、この前人にFAXを送るとき文面で本来なら、「~の書類は後日に送付いたしますので~」と書くところを、「~の書類は後日に送付いたすので~」って、普通に書いてしまいました。シャレや冗談じゃなくて実話で。
ちょっと、自重が足りなかったのかもしれません。
以前に私はこのブログにて、日本語の敬語は私はあまり好きではないということを書きました。その理由というのも、現代の敬語は元の意味から離れた誤用と援用、マクドナルドの「一万円お預かりします」などと、かなりトンチンカンなものになっている言葉が多く、また日常であまり使わないので敬語を使うと会話の回転が鈍ったり、また敬語ができていないと年下の人間をいじめる手段などに使われていることのほうが多いように思えるからです。だからといって全く使うなというつもりはありません。私が主張したいのは過度な敬語表現を相手に期待するの、自分が無理して使用するのがよくないと思うのです。なにも一から十まで形式に則った敬語を使わなくとも、ほんのちょっと言葉を丁寧にするだけでこっちに気を使ってくれているという表現なんてできるので、その辺で皆妥協すべきだというのが私の意見です。
というように前回には書きましたが、前回でも言っているように実際に相手からすごい形式に則った敬語を使われても、私なんかは京都で結構長く生活したもんだから相手から敬われていると素直にあまり感じません。京都では敬語とか京言葉は皮肉を言うときに使われるものなのでそうなったのかもしれませんが、あまり聞き慣れない言葉を聞いても気持ちよく感じるというのはあまりないかと思います。そういいつつも、実は私はある種の言葉なら聞いてて非常に気持ちのよくなるものがあります。何を隠そう、侍言葉です。
要するに時代劇で使われる言葉ですが、「ありがとうございます」のかわりに「かたじけない」とか、「すいません」のかわりに「面目ない」とか言われたりすると結構心が動かされます。語尾につける「です」も、どっちかといえば「ござる」のほうがいいと思うし、オリジナリティもあって日本人は言葉を先祖帰りさせるべきだと私は思います。
マクドナルドとかでも、「よくぞ参られた。ハンバーガーとマックポテトのS寸が所望であるな、然らば代金は210円でござる。一万円を承るでござる」とかだったら、私は毎日でも通いますよ。
こんな感じで以前に友人と話していたら、当時はメイド喫茶がブームになりだした頃だったので、対抗して自分らで「戦国喫茶」というのを出そうかという話になりました。そっちも大体さっきのマクドナルドと同じ感じで、
「よくぞ参られた。ささ、こちらの席へ。何が所望じゃ。なんと、冷やし珈琲とな。二言はないな(注文の確認)。されば、しばし待たれよ」
というような感じの喫茶店です。今、ゲームの「戦国BASARA」がきっかけで女性に戦国ブームが来ているらしいから、そこそこいけるんじゃないかと思う。
こんな風に暇さえあれば侍言葉を使うシチュエーションを考えているのですが、さすがに実生活で使うにはすっとんきょんな言葉ですから自重しているのですが、この前人にFAXを送るとき文面で本来なら、「~の書類は後日に送付いたしますので~」と書くところを、「~の書類は後日に送付いたすので~」って、普通に書いてしまいました。シャレや冗談じゃなくて実話で。
ちょっと、自重が足りなかったのかもしれません。
2008年9月24日水曜日
今連載中の凄い漫画
普通に文化大革命の記事を書き終えて、今へとへとです。昔、学校の先生がこれを取り扱ったら一年授業があっても足りないといってた意味がよくわかりました。私の記事でも可能な限り情報量は多くとも短く、わかりやすくを心がけているのですが、それでもまだまだ長いし……。
なので気分転換にまた漫画の話をします。どんな話かというと、今連載中の漫画で何が凄いかです。
まず最初に、単純に今連載中でもっとも優れている漫画はというのなら、私は迷うことなく「鋼の錬金術師」を挙げます。ストーリーの一貫性もさながら、表現描写からキャラクターの書き分けまですべての点でこの作者の荒川弘氏はトップクラスです。この人の師匠の「魔方陣グルグル」の衛藤ヒロユキ氏はころころ絵柄が変わってたのに、荒川氏は連載開始当初から少ない変化で安定しているのは特筆に価します。
ちょっとこの「ハガレン」について懐かしい話をすると、確か四年前の雑誌「創」のインタビューで荒川氏は、初期の話で主人公兄弟が下宿させてもらっていた家の女の子が、実の父親によって犬と合成させられ、最後には殺されてしまうという話を書いた時点で、もう連載は終わるだろうと考えていたそうです。こんなハードな表現を書いたらきっと公序良俗とやらで駄目だろうと思ったのかもしれませんが、実際にはこの話以降急激に読者数が増えていき、当時お家騒動で発行部数が激減していた漫画雑誌「ガンガン」は「ハガレン」以前と以後で、なんと一ヶ月の発行部数が四倍にまでアップしたそうです。逆に言うと、あと二、三年くらいで「ハガレン」も終わりそうだから、そうなったときが「ガンガン」の廃刊日だってことだけど。
次に凄い漫画と言われれば、こっちは「ジャンプ」で絶賛連載中の「アイシールド21」です。このところ全然ヒットのなかったスポーツ漫画でこれだけの作品を出してくるとは世の中まだまだ捨てたものではありません。この作者も見せ場とも言えるシーンはしっかりと書き、ギャグパートのところときっかり書き分けられるのは現代の漫画家としては高い技術です。あともう一つこの作品の良いところを挙げるのなら、それはやはりテンポだと思います。
近頃は長期連載の漫画が非常に増えてしまい、スポーツ物なら一試合が延々と単行本五巻、連載期間だと一年くらい続くものも珍しくなくなりました。それに対してこの「アイシールド21」では、一試合辺り大体1.5巻、さすがに後半となってきた今では2巻くらい続きますが、それでも他の漫画と比べたらテンポがよく、読んでる側も非常に読後感が良いです。他の漫画ももう少し見習って、連載ペースを考えればいいのに。
他にもいくつか紹介したいのがありますけど、今日はこの辺で風呂入って、スポーツニュースを見なくちゃいけないのでやめときます。最後に同じく「ジャンプ」の「銀魂」ですが、なんかまたこの漫画は猛烈につまらなくなってきました。一話完結がこの漫画の良いところだったのに、何で最近はこうも中途半端に長い話を書くかなぁ。とっとと連載終えて、また新しい連作作品を作ったほうがいいよこの作者は。
なので気分転換にまた漫画の話をします。どんな話かというと、今連載中の漫画で何が凄いかです。
まず最初に、単純に今連載中でもっとも優れている漫画はというのなら、私は迷うことなく「鋼の錬金術師」を挙げます。ストーリーの一貫性もさながら、表現描写からキャラクターの書き分けまですべての点でこの作者の荒川弘氏はトップクラスです。この人の師匠の「魔方陣グルグル」の衛藤ヒロユキ氏はころころ絵柄が変わってたのに、荒川氏は連載開始当初から少ない変化で安定しているのは特筆に価します。
ちょっとこの「ハガレン」について懐かしい話をすると、確か四年前の雑誌「創」のインタビューで荒川氏は、初期の話で主人公兄弟が下宿させてもらっていた家の女の子が、実の父親によって犬と合成させられ、最後には殺されてしまうという話を書いた時点で、もう連載は終わるだろうと考えていたそうです。こんなハードな表現を書いたらきっと公序良俗とやらで駄目だろうと思ったのかもしれませんが、実際にはこの話以降急激に読者数が増えていき、当時お家騒動で発行部数が激減していた漫画雑誌「ガンガン」は「ハガレン」以前と以後で、なんと一ヶ月の発行部数が四倍にまでアップしたそうです。逆に言うと、あと二、三年くらいで「ハガレン」も終わりそうだから、そうなったときが「ガンガン」の廃刊日だってことだけど。
次に凄い漫画と言われれば、こっちは「ジャンプ」で絶賛連載中の「アイシールド21」です。このところ全然ヒットのなかったスポーツ漫画でこれだけの作品を出してくるとは世の中まだまだ捨てたものではありません。この作者も見せ場とも言えるシーンはしっかりと書き、ギャグパートのところときっかり書き分けられるのは現代の漫画家としては高い技術です。あともう一つこの作品の良いところを挙げるのなら、それはやはりテンポだと思います。
近頃は長期連載の漫画が非常に増えてしまい、スポーツ物なら一試合が延々と単行本五巻、連載期間だと一年くらい続くものも珍しくなくなりました。それに対してこの「アイシールド21」では、一試合辺り大体1.5巻、さすがに後半となってきた今では2巻くらい続きますが、それでも他の漫画と比べたらテンポがよく、読んでる側も非常に読後感が良いです。他の漫画ももう少し見習って、連載ペースを考えればいいのに。
他にもいくつか紹介したいのがありますけど、今日はこの辺で風呂入って、スポーツニュースを見なくちゃいけないのでやめときます。最後に同じく「ジャンプ」の「銀魂」ですが、なんかまたこの漫画は猛烈につまらなくなってきました。一話完結がこの漫画の良いところだったのに、何で最近はこうも中途半端に長い話を書くかなぁ。とっとと連載終えて、また新しい連作作品を作ったほうがいいよこの作者は。
文化大革命とは~その六、紅衛兵~
いよいよくるところまで来ちゃったかなというのが正直な感想です。当初は軽い気持ちで書いていましたけど、改めて資料などを読み返すと、この時代の中国の激動さについて日本人はしっかりと見つめなおすべきだと思うようになり、書く方も気合が入って来ました。
さて前回では毛沢東思想について軽く解説しましたが、二つ前の本解説では毛沢東が若者を煽動して自身の権力奪還に利用したところまで説明しました。その際に毛沢東は、共産党内部に修正主義に走った裏切り者がいると発言し、中国全土でまだ何の悪い教育に染まっていない末端の人間らに下克上を促しました。
その中で最も狂信的に毛沢東を支持したのが、今回のお題となっている「紅衛兵」でした。これは都市部の中学校かから大学に至るまでの各学校ごとに、少年少女らが自発的に組織した団体のことを指します。
彼らは「孤立無援の毛首席を救え」とばかりに、片っ端からこれという大人を攻撃し始めました。具体的にどんな風に攻撃するかというと、文字通り殴る蹴るのリンチです。いちおう名目は自分の間違いを改めさせることですから「反省大会」と称し、攻撃対象を大衆の前まで無理やり引っ張ってきて、額から血が出るまで地面に頭をこすり付けたりさせることもざらだったようです。
何故こんなことが十代の少年少女らにできたかというと、まずは最初にも言っているように毛沢東のお墨付きがあったことと、本来このような混乱から治安を守るべき軍隊が逆にこの動きを後押ししたからです。
何故軍がこれら紅衛兵の活動を後押ししたかというと、この時に一挙に軍隊内で地位を向上させた林彪の存在が原因でした。彼は文革当初は軍隊内でも中途半端な位置にいたのですが、いち早く毛沢東への支持を表明することによって軍隊内のライバルを裏切り者だと密告することによって根こそぎ追放し、最終的には最高位の元帥にまで昇進しています。林彪自身が毛沢東の強烈な支持者で毛沢東の権勢を利用して下克上を実行したのもあり、軍隊は紅衛兵の活動を逆に応援するようになったのです。
こうして、無茶なことやら法律を守っても軍や警察がなにもしないとわかるや紅衛兵はますますその行動をエスカレートしていきました。彼ら紅衛兵は具体的にどんな大人を対象に攻撃していたかですが、単純に言って明確な基準は一切ありませんでした。言ってしまえば、「あいつは反革命的なことを言っていた」とか、毛沢東選集の中に入っている毛沢東の言葉と何かしら矛盾した発言(行動)をあげつらうか、それでも見つからないなら適当なレッテルを貼り付ければいいだけです。後は反撃できないように集団で取り囲むだけで舞台は整います。ようは気に入らない人間がいれば、好きなだけ集団で攻撃できたということです。
私が今回資料としている陳凱歌氏の「私の紅衛兵時代」によると、彼のいた中学校でも紅衛兵が組織され、真っ先にターゲットにされたのは嫌われていた担任の教師だったそうです。その学校の中学生たちは教師を無理やり教室の一番前に立たせると、
「貴様は毛首席の指導と別の指導を生徒に行っていただろ!」
「この場で俺たちに謝れ!」
「思想を洗い直し、真っ当な人間へなるのを俺たちが手伝ってやる!」
といったように、激しい言葉で糾弾されたと書かれています。前回の記事でも書きましたが、毛沢東は若者らを煽動する際に、「知識のある人間は間違った教育に毒されている。何も教育を受けていない君たち若者らが思うことこそが正しいのだ」と吹き込んでいるので、一見無茶苦茶とも思えるこれらの発言が出てくるのです。
それにしても、なんていうか少々不謹慎ですが、もし私がこの場にいたらどれだけ気持ちがいいのだろうかと考えずにはおれません。私も、一人や二人はこれくらいの年齢の頃には嫌いな教師が学校にいました。そうした人間に反論を許さず一方的になじり、ののしり、吊るし上げられるのであれば、見境がない反抗期だった頃の自分だったら嬉々としてやったと思います。恐らく紅衛兵たちも、同じような感情だったのではないかと思います。先ほどの毛沢東の言葉である、「大人は間違っている、君たちこそ正しいのだ」というようなことを反抗期の中学生なんかに聞かせたら、尾崎豊じゃないけどそりゃあ崇拝するようにもなると思います。
この吊るし上げは徐々にエスカレートしていき、先ほども言ったように取り締まる人間がいないために法律は事実上機能しなくなり、証拠もなくともレッテルを貼る、つまり密告さえすれば誰でも集団で攻撃することができるので、当初からそうでしたが次第に本来の目的とはかけ離れた感情の捌け口だけのものへと固定されていきました。
もう一つの資料の「ワイルドスワン」の作者のユン・チアン氏の作者の父も、共産党の地方幹部であったために紅衛兵らから激しく攻撃されたと書かれています。この時代は何度も書いているように下克上が学校から職場、果てには共産党や軍隊内部でも奨励され、基本的に階級の高い人間ほど密告の対象になりやすく、一方的に攻撃を受けました。それは建国の元勲からほんの少し前までの最高権力者でも変わりがなく、抗日戦争から国民党との戦争にて共産党を勝利に導いた彭徳壊、と毛沢東の後に国家主席となっていた劉少奇の二人は、紅衛兵から激しい身体麻痺に至るまで暴行を受け、医者にもかからせてもらえず粗悪な部屋で死に絶えています。二人とも毛沢東にひどく嫌われていたのが原因です。
この一連の吊るし上げは、恐らく言語に絶するまでに激しかったというべきでしょう。延々と自分の子供くらいの十代の若者に殴られ、「謝れ!」とか「自分がろくでなしであることを認めろ!」などと言われ続け、自分が間違っていたと言葉に出しても暴行され続けるのですから、考えるだに絶望する気持ちがします。リンチで死んだとしても、殺人として扱われないのですからやりたい放題だったのでしょう。
またこの時代の知識人はその属性ゆえに粛清対象に選ばれやすく、一流の学者でありながら自殺した人間も数多くいました。有名な作家の老舎もその一人です。
これは全体の解説が一段落ついた後で独立して解説しますが、これら紅衛兵の一連の行動は日本で言うとあの「浅間山荘事件」に酷似しています。何故酷似したのかというと、それは言うまでもなく密告合戦の上にリンチになるのが共産党のお家芸だからです。ですからこの後に起こる紅衛兵となった若者らの運命も、「浅間山荘事件」と同じ末路となったことに私は疑問を感じません。その末路というのも、いわゆる内ゲバです。
またまた「私の紅衛兵時代」の記述を引用しますが、紅衛兵をやっていた陳凱歌氏も、同じ学校の生徒に密告されたためにある日突然多勢の紅衛兵に自宅に押しかけられ、昨日まで仲のよかった同級生らに反革命的だという理由の下に片っ端から家の中の本を焼かれ、家具なども滅茶苦茶に壊されたと書いています。陳氏はそうやって密告しあったり、仲の良かった同士で暴行しあった行動に何故自分も加担したのかというと、加担しなければ自分が仲間はずれに遭うという脅迫感があったからだと述べています。いうなればいじめと一緒で、一緒にやらなければ自分が攻撃の対象に遭うというのが、こんな密告社会を生んだ理由だと私は考えています。
こうして片っ端から年齢を問わずに中国では攻撃し合い、知人を含めて全員無事でいるものなど誰もいないほどに中国人は互いに傷つけ合いました。大人に至っては思想改造をするために家族を置いて僻地の労働作業場へと無理やり送られ、死ぬ間際になるまで酷使されるかそのまま衰弱死に追い込まれる者が多く、ユン・チアン氏の父親も陳氏の父親も、ボロボロの状態になって帰ってきて、前者はそのまま息絶えることとなりました。
しかし、こうした混乱をよしとしない者が現れました。何を隠そう、この混乱によって自らの権力を奪回した毛沢東でした。
若者から絶対的な崇拝を受けていた毛沢東でしたが、これら暴力的な若者たちがいつ自分へと牙を剥くか、またその際に攻撃を防ぎきることができるかと次第に不安に感じたようで、途中からは逆に紅衛兵の解散を自ら説得するように活動し始めました。実際に派閥抗争といった内ゲバが激しくなり、この時の北京は事実上無政府状態と言っていい状態だったので、毛沢東が不安に感じた気持ちも良くわかります。
そうして、最終的に毛沢東はある名案を思いつくに至ったのです。こうした若者を思想改造の名の下に農村へ追い出すという、文化大革命の中で最大の悲劇となる「上山下郷運動」、通称「下放」を推し進めるに至るのです。続きは次回にて。
さて前回では毛沢東思想について軽く解説しましたが、二つ前の本解説では毛沢東が若者を煽動して自身の権力奪還に利用したところまで説明しました。その際に毛沢東は、共産党内部に修正主義に走った裏切り者がいると発言し、中国全土でまだ何の悪い教育に染まっていない末端の人間らに下克上を促しました。
その中で最も狂信的に毛沢東を支持したのが、今回のお題となっている「紅衛兵」でした。これは都市部の中学校かから大学に至るまでの各学校ごとに、少年少女らが自発的に組織した団体のことを指します。
彼らは「孤立無援の毛首席を救え」とばかりに、片っ端からこれという大人を攻撃し始めました。具体的にどんな風に攻撃するかというと、文字通り殴る蹴るのリンチです。いちおう名目は自分の間違いを改めさせることですから「反省大会」と称し、攻撃対象を大衆の前まで無理やり引っ張ってきて、額から血が出るまで地面に頭をこすり付けたりさせることもざらだったようです。
何故こんなことが十代の少年少女らにできたかというと、まずは最初にも言っているように毛沢東のお墨付きがあったことと、本来このような混乱から治安を守るべき軍隊が逆にこの動きを後押ししたからです。
何故軍がこれら紅衛兵の活動を後押ししたかというと、この時に一挙に軍隊内で地位を向上させた林彪の存在が原因でした。彼は文革当初は軍隊内でも中途半端な位置にいたのですが、いち早く毛沢東への支持を表明することによって軍隊内のライバルを裏切り者だと密告することによって根こそぎ追放し、最終的には最高位の元帥にまで昇進しています。林彪自身が毛沢東の強烈な支持者で毛沢東の権勢を利用して下克上を実行したのもあり、軍隊は紅衛兵の活動を逆に応援するようになったのです。
こうして、無茶なことやら法律を守っても軍や警察がなにもしないとわかるや紅衛兵はますますその行動をエスカレートしていきました。彼ら紅衛兵は具体的にどんな大人を対象に攻撃していたかですが、単純に言って明確な基準は一切ありませんでした。言ってしまえば、「あいつは反革命的なことを言っていた」とか、毛沢東選集の中に入っている毛沢東の言葉と何かしら矛盾した発言(行動)をあげつらうか、それでも見つからないなら適当なレッテルを貼り付ければいいだけです。後は反撃できないように集団で取り囲むだけで舞台は整います。ようは気に入らない人間がいれば、好きなだけ集団で攻撃できたということです。
私が今回資料としている陳凱歌氏の「私の紅衛兵時代」によると、彼のいた中学校でも紅衛兵が組織され、真っ先にターゲットにされたのは嫌われていた担任の教師だったそうです。その学校の中学生たちは教師を無理やり教室の一番前に立たせると、
「貴様は毛首席の指導と別の指導を生徒に行っていただろ!」
「この場で俺たちに謝れ!」
「思想を洗い直し、真っ当な人間へなるのを俺たちが手伝ってやる!」
といったように、激しい言葉で糾弾されたと書かれています。前回の記事でも書きましたが、毛沢東は若者らを煽動する際に、「知識のある人間は間違った教育に毒されている。何も教育を受けていない君たち若者らが思うことこそが正しいのだ」と吹き込んでいるので、一見無茶苦茶とも思えるこれらの発言が出てくるのです。
それにしても、なんていうか少々不謹慎ですが、もし私がこの場にいたらどれだけ気持ちがいいのだろうかと考えずにはおれません。私も、一人や二人はこれくらいの年齢の頃には嫌いな教師が学校にいました。そうした人間に反論を許さず一方的になじり、ののしり、吊るし上げられるのであれば、見境がない反抗期だった頃の自分だったら嬉々としてやったと思います。恐らく紅衛兵たちも、同じような感情だったのではないかと思います。先ほどの毛沢東の言葉である、「大人は間違っている、君たちこそ正しいのだ」というようなことを反抗期の中学生なんかに聞かせたら、尾崎豊じゃないけどそりゃあ崇拝するようにもなると思います。
この吊るし上げは徐々にエスカレートしていき、先ほども言ったように取り締まる人間がいないために法律は事実上機能しなくなり、証拠もなくともレッテルを貼る、つまり密告さえすれば誰でも集団で攻撃することができるので、当初からそうでしたが次第に本来の目的とはかけ離れた感情の捌け口だけのものへと固定されていきました。
もう一つの資料の「ワイルドスワン」の作者のユン・チアン氏の作者の父も、共産党の地方幹部であったために紅衛兵らから激しく攻撃されたと書かれています。この時代は何度も書いているように下克上が学校から職場、果てには共産党や軍隊内部でも奨励され、基本的に階級の高い人間ほど密告の対象になりやすく、一方的に攻撃を受けました。それは建国の元勲からほんの少し前までの最高権力者でも変わりがなく、抗日戦争から国民党との戦争にて共産党を勝利に導いた彭徳壊、と毛沢東の後に国家主席となっていた劉少奇の二人は、紅衛兵から激しい身体麻痺に至るまで暴行を受け、医者にもかからせてもらえず粗悪な部屋で死に絶えています。二人とも毛沢東にひどく嫌われていたのが原因です。
この一連の吊るし上げは、恐らく言語に絶するまでに激しかったというべきでしょう。延々と自分の子供くらいの十代の若者に殴られ、「謝れ!」とか「自分がろくでなしであることを認めろ!」などと言われ続け、自分が間違っていたと言葉に出しても暴行され続けるのですから、考えるだに絶望する気持ちがします。リンチで死んだとしても、殺人として扱われないのですからやりたい放題だったのでしょう。
またこの時代の知識人はその属性ゆえに粛清対象に選ばれやすく、一流の学者でありながら自殺した人間も数多くいました。有名な作家の老舎もその一人です。
これは全体の解説が一段落ついた後で独立して解説しますが、これら紅衛兵の一連の行動は日本で言うとあの「浅間山荘事件」に酷似しています。何故酷似したのかというと、それは言うまでもなく密告合戦の上にリンチになるのが共産党のお家芸だからです。ですからこの後に起こる紅衛兵となった若者らの運命も、「浅間山荘事件」と同じ末路となったことに私は疑問を感じません。その末路というのも、いわゆる内ゲバです。
またまた「私の紅衛兵時代」の記述を引用しますが、紅衛兵をやっていた陳凱歌氏も、同じ学校の生徒に密告されたためにある日突然多勢の紅衛兵に自宅に押しかけられ、昨日まで仲のよかった同級生らに反革命的だという理由の下に片っ端から家の中の本を焼かれ、家具なども滅茶苦茶に壊されたと書いています。陳氏はそうやって密告しあったり、仲の良かった同士で暴行しあった行動に何故自分も加担したのかというと、加担しなければ自分が仲間はずれに遭うという脅迫感があったからだと述べています。いうなればいじめと一緒で、一緒にやらなければ自分が攻撃の対象に遭うというのが、こんな密告社会を生んだ理由だと私は考えています。
こうして片っ端から年齢を問わずに中国では攻撃し合い、知人を含めて全員無事でいるものなど誰もいないほどに中国人は互いに傷つけ合いました。大人に至っては思想改造をするために家族を置いて僻地の労働作業場へと無理やり送られ、死ぬ間際になるまで酷使されるかそのまま衰弱死に追い込まれる者が多く、ユン・チアン氏の父親も陳氏の父親も、ボロボロの状態になって帰ってきて、前者はそのまま息絶えることとなりました。
しかし、こうした混乱をよしとしない者が現れました。何を隠そう、この混乱によって自らの権力を奪回した毛沢東でした。
若者から絶対的な崇拝を受けていた毛沢東でしたが、これら暴力的な若者たちがいつ自分へと牙を剥くか、またその際に攻撃を防ぎきることができるかと次第に不安に感じたようで、途中からは逆に紅衛兵の解散を自ら説得するように活動し始めました。実際に派閥抗争といった内ゲバが激しくなり、この時の北京は事実上無政府状態と言っていい状態だったので、毛沢東が不安に感じた気持ちも良くわかります。
そうして、最終的に毛沢東はある名案を思いつくに至ったのです。こうした若者を思想改造の名の下に農村へ追い出すという、文化大革命の中で最大の悲劇となる「上山下郷運動」、通称「下放」を推し進めるに至るのです。続きは次回にて。
2008年9月22日月曜日
文化大革命とは~その五、毛沢東思想~
今回は本筋の話から少し外れて毛沢東思想、通称マオイズムについて解説しようと思います。本当はこの辺りの解説は最後まで連載を終わらせてから追記のような形で書こうと思っていたのですが、これから本格的に文化大革命の経過について解説するにはやはり最初に説明していたほうがよいだろうと判断し、こうして書くことを決めました。
最初に言っておきますが、私はこの毛沢東思想については専門的に勉強したことはありません。毛沢東語録も読んだことはありませんし、何かしら取り上げる授業すら受けたこともありません。いいわけじみたことを言いますが、恐らく日本で毛沢東思想の教育なんてする場所なんてまずありませんし、解説する人も少ないと思います。そんなのしてたら変な人みたいに思われるし。
なので、今回書く話は正当な解釈ではなくあくまで私の解釈と前提してください。私が聞く限り、理解する限りの毛沢東思想なので、くれぐれも他人にこの情報を分ける場合は最初に今の注意を行ってから伝えてください。それなら最初からいい加減なことを書かなければいいじゃないかという人もおられるかもしれませんが、自分の理解を確かめる、まとめるという意味で本音では書いてみたいというのが素直な気持ちなので、どうかご勘弁ください。
さてそれでは早速本解説に移りますが、まず基本的に毛沢東は反骨の士でした。これはどの評論家からも、この文革の時代を生きた人間の目にも共通した認識です。とにかく何かあったら何でもいいから反抗したい、まるで反抗期の中学生がそのまま大人になったような人間でした。
特に彼が生涯強く反抗し続けた代表的な対象というのが、知識人でした。これは彼の学歴コンプレックスが影響しているといわれており、なんか今詳しく確認できないのですが、毛沢東は若い頃に北京にて滞在した際にどうもどっかの大学(確か北京大学)の入学試験の面接に受からなかったそうなのです。かといって全く勉強ができなかったというわけではなく、読書量や詩の創作技術では歴代中国君主の中でもトップクラスと、「中国の大盗賊」という本の著者で中国研究家の高島俊夫氏は評しております。
できたばかりの中国共産党に入党した後も、当初の指導部はソ連からの留学帰国組によって幹部席が占められたのを恨めしく思ってたらしく、抗日戦争の最中に自分が主導権を握ってくると、最終的に周恩来を除いて留学組をほぼすべて指導部から追い出しております。ちなみに周恩来は言い方は悪いですが、毎回絶妙のところで味方を裏切り毛沢東に従っております。だから長生きしたんだけどね。
このように、毛沢東は徹底的に知識人を否定し、それが毛沢東思想の大綱となっている「実事求是」につながっています。この実事求是というのは、「現実から理論を作れ」という意味で、机上で理論を組み立てても現実には適用できない理論が出来上がるので、それよりも実際に自ら農場や工場で働いて物事の実感を積んで正しい理論を作るべきだという主張で、大学等にいる知識人は手を動かさないで労働者をこき使っているから悪だと、文革時に効力を発揮した大綱です。
私の解釈だと、毛沢東は個人的な感情で知識人の締め出しを行ったのでしょうが、この主張を正当化した言い訳というのはいくつかあり、まず一つは先ほども言ったとおりに手を動かさずに頭だけ働かすというのは現実から乖離した理論を作ってしまい誤りを犯すというもので、もう一つがこの次に説明する永久革命の必要性からだと考えています。
この「永久革命」という考え方が、ある意味毛沢東思想の最も危険な箇所です。毛沢東は生前にも前漢の劉邦や明の朱元璋といった、一農民という出身から才気一つで中国を支配した君主を誉めそやしており、世の中というのは常に古い既成概念に対して新しい改革的思想が打ち破ることによって徐々によくなるというようなことを主張していました。この概念を応用し毛沢東は、知識人というのは基本的に既成概念を守る保守主義者であって、新たな時代を作るのはかえって古い既成概念に染まっていない無学の意欲ある徒、つまり農民であると説明したのです。なので、劉邦や朱元璋が天下を取ったのは自明であるとまで説いたのです。
この考え方を毛沢東はさらにさらに援用し、共産主義思想では労働者VS資本家という二項対立の構図で物をすべて考えますが、これを農民VS知識人にすげ替え、労働者が資本家を打ち倒すことで理想の共産社会(ユートピア)が達成されるという理論を先ほどの劉邦、朱元璋の例を持ち出してやはり正しいのだと証明された……的なことを言っているのだと私は思います。正直、この辺は書いてて結構きわどいのですけど。
なので、世の中というのはザリガニの脱皮みたく農民(労働者)による革命を繰り返すごとにどんどんよくなるという、「永久革命」を維持することが社会の発展につながると主張したのです。通常の共産主義思想でも確かに「労働者による社会主義革命」の必要性が強く叫ばれていますが、基本的に革命が成功した後はもうそれで万々歳、後は他の国へも革命を支援せよ言っているくらいで、「革命で作ったものをまた新たな革命でぶっ潰せ!」みたいなこの毛沢東思想ほど過激ではありません。
こうして自分で書いててなんですけど、一見、筋は通っているように見えないこともありません。とまぁこんな具合に毛沢東は教育をあまり受けていない農民や中高生のやろうとしていること、考えていることの方が下手な知識人、果てには既に教育を受けてしまった大人より正しいのだと後押ししたのです。その結果が、次に詳しく説明する紅衛兵などの悲劇歴史を生んでしまうのです。ちなみにこういった考えは、今のフランスの教育制度における積極的自由論にもなんだか近い気がします。シュルレアリスムとでも言うべきか。
ここで終わるとまるで毛沢東思想の礼賛者っぽくみられそうなので最後にケチをいくつかつけておきますが、私に言わせると毛沢東の思想の最大の欠陥は劉邦と朱元璋を過大に見たという点にあると思います。朱元璋はあまり詳しくありませんが、劉邦の場合は確かに彼自身は特に教育を受けたわけじゃなく無学でありましたが、彼の傍には軍師の張良や策士家と呼ばれた陳平、そして国士無双と謳われた韓信が控えておりました。また三国時代の劉備もまた農民出身ではありましたが、諸葛亮や法正といった知識人を保護し、活用しております。このように、知識人というのは確かにそれだけだと古今東西の官僚制度のように腐敗する恐れもありますが、全くいないというのもまた問題なのです。この知識人の軽視がこの思想の欠陥、ひいては文化大革命やカンボジアのポルポト派による虐殺という悲劇を引き起こしてしまったのだと、私は解釈しております。
さて、次回からいよいよ文革の本番だ(*゚∀゚)=3
最初に言っておきますが、私はこの毛沢東思想については専門的に勉強したことはありません。毛沢東語録も読んだことはありませんし、何かしら取り上げる授業すら受けたこともありません。いいわけじみたことを言いますが、恐らく日本で毛沢東思想の教育なんてする場所なんてまずありませんし、解説する人も少ないと思います。そんなのしてたら変な人みたいに思われるし。
なので、今回書く話は正当な解釈ではなくあくまで私の解釈と前提してください。私が聞く限り、理解する限りの毛沢東思想なので、くれぐれも他人にこの情報を分ける場合は最初に今の注意を行ってから伝えてください。それなら最初からいい加減なことを書かなければいいじゃないかという人もおられるかもしれませんが、自分の理解を確かめる、まとめるという意味で本音では書いてみたいというのが素直な気持ちなので、どうかご勘弁ください。
さてそれでは早速本解説に移りますが、まず基本的に毛沢東は反骨の士でした。これはどの評論家からも、この文革の時代を生きた人間の目にも共通した認識です。とにかく何かあったら何でもいいから反抗したい、まるで反抗期の中学生がそのまま大人になったような人間でした。
特に彼が生涯強く反抗し続けた代表的な対象というのが、知識人でした。これは彼の学歴コンプレックスが影響しているといわれており、なんか今詳しく確認できないのですが、毛沢東は若い頃に北京にて滞在した際にどうもどっかの大学(確か北京大学)の入学試験の面接に受からなかったそうなのです。かといって全く勉強ができなかったというわけではなく、読書量や詩の創作技術では歴代中国君主の中でもトップクラスと、「中国の大盗賊」という本の著者で中国研究家の高島俊夫氏は評しております。
できたばかりの中国共産党に入党した後も、当初の指導部はソ連からの留学帰国組によって幹部席が占められたのを恨めしく思ってたらしく、抗日戦争の最中に自分が主導権を握ってくると、最終的に周恩来を除いて留学組をほぼすべて指導部から追い出しております。ちなみに周恩来は言い方は悪いですが、毎回絶妙のところで味方を裏切り毛沢東に従っております。だから長生きしたんだけどね。
このように、毛沢東は徹底的に知識人を否定し、それが毛沢東思想の大綱となっている「実事求是」につながっています。この実事求是というのは、「現実から理論を作れ」という意味で、机上で理論を組み立てても現実には適用できない理論が出来上がるので、それよりも実際に自ら農場や工場で働いて物事の実感を積んで正しい理論を作るべきだという主張で、大学等にいる知識人は手を動かさないで労働者をこき使っているから悪だと、文革時に効力を発揮した大綱です。
私の解釈だと、毛沢東は個人的な感情で知識人の締め出しを行ったのでしょうが、この主張を正当化した言い訳というのはいくつかあり、まず一つは先ほども言ったとおりに手を動かさずに頭だけ働かすというのは現実から乖離した理論を作ってしまい誤りを犯すというもので、もう一つがこの次に説明する永久革命の必要性からだと考えています。
この「永久革命」という考え方が、ある意味毛沢東思想の最も危険な箇所です。毛沢東は生前にも前漢の劉邦や明の朱元璋といった、一農民という出身から才気一つで中国を支配した君主を誉めそやしており、世の中というのは常に古い既成概念に対して新しい改革的思想が打ち破ることによって徐々によくなるというようなことを主張していました。この概念を応用し毛沢東は、知識人というのは基本的に既成概念を守る保守主義者であって、新たな時代を作るのはかえって古い既成概念に染まっていない無学の意欲ある徒、つまり農民であると説明したのです。なので、劉邦や朱元璋が天下を取ったのは自明であるとまで説いたのです。
この考え方を毛沢東はさらにさらに援用し、共産主義思想では労働者VS資本家という二項対立の構図で物をすべて考えますが、これを農民VS知識人にすげ替え、労働者が資本家を打ち倒すことで理想の共産社会(ユートピア)が達成されるという理論を先ほどの劉邦、朱元璋の例を持ち出してやはり正しいのだと証明された……的なことを言っているのだと私は思います。正直、この辺は書いてて結構きわどいのですけど。
なので、世の中というのはザリガニの脱皮みたく農民(労働者)による革命を繰り返すごとにどんどんよくなるという、「永久革命」を維持することが社会の発展につながると主張したのです。通常の共産主義思想でも確かに「労働者による社会主義革命」の必要性が強く叫ばれていますが、基本的に革命が成功した後はもうそれで万々歳、後は他の国へも革命を支援せよ言っているくらいで、「革命で作ったものをまた新たな革命でぶっ潰せ!」みたいなこの毛沢東思想ほど過激ではありません。
こうして自分で書いててなんですけど、一見、筋は通っているように見えないこともありません。とまぁこんな具合に毛沢東は教育をあまり受けていない農民や中高生のやろうとしていること、考えていることの方が下手な知識人、果てには既に教育を受けてしまった大人より正しいのだと後押ししたのです。その結果が、次に詳しく説明する紅衛兵などの悲劇歴史を生んでしまうのです。ちなみにこういった考えは、今のフランスの教育制度における積極的自由論にもなんだか近い気がします。シュルレアリスムとでも言うべきか。
ここで終わるとまるで毛沢東思想の礼賛者っぽくみられそうなので最後にケチをいくつかつけておきますが、私に言わせると毛沢東の思想の最大の欠陥は劉邦と朱元璋を過大に見たという点にあると思います。朱元璋はあまり詳しくありませんが、劉邦の場合は確かに彼自身は特に教育を受けたわけじゃなく無学でありましたが、彼の傍には軍師の張良や策士家と呼ばれた陳平、そして国士無双と謳われた韓信が控えておりました。また三国時代の劉備もまた農民出身ではありましたが、諸葛亮や法正といった知識人を保護し、活用しております。このように、知識人というのは確かにそれだけだと古今東西の官僚制度のように腐敗する恐れもありますが、全くいないというのもまた問題なのです。この知識人の軽視がこの思想の欠陥、ひいては文化大革命やカンボジアのポルポト派による虐殺という悲劇を引き起こしてしまったのだと、私は解釈しております。
さて、次回からいよいよ文革の本番だ(*゚∀゚)=3
2008年9月21日日曜日
海外放送局の新規参入について
この記事は一つ前の記事の続きです。まだ読んでいない方はそちらを読んでからこっちをお読みください。
さて前回の記事の最後に、実は日本の放送業界への新規参入を一番ねらっているのはインターネット会社ではなく、アメリカの放送局ではないかと私は主張しました。その理由というのも、IT会社の放送局買収事件のバックに、常にアメリカさんが控えていらっしゃるからです。
ソフトバンクの孫正義氏がテレビ朝日を買収しようとした時はアメリカのメディア王であるルパード・マードックと一緒でしたし、ホリエモンがニッポン放送を買収しようとした時は……なんていうか、今こうして記事を書いていてすごい皮肉を感じるのですが、株式の買占めを行った際の資金をライブドアに提供したのは今は亡きリーマン・ブラザーズ社でした。楽天のTBS株買占めは詳しく知りませんけど、前の二社の場合にはアメリカの会社が放送局の買収を応援しているという構図がはっきり見えます。
ここではっきり言いますが、日本のコンテンツ産業というのは実はそれほど強くないと言われています。というのも前回の記事でも書いたようにケーブルテレビ局がアメリカのテレビドラマを放送した際は非常に加入者が増え、過去にも「Xファイル」が地上波で放送された際は高い視聴率を記録しています。これは私の勝手な想像ですが、アメリカの放送局としては日本でも自分らの番組を放送すれば、結構もうかるんじゃないのとか思っているんだと思います。日本の放送局側としてもそんなことは百も承知なので、可能な限り連中を締め出そうとしていたのかもしれません。
今ですらNHKの大リーグ中継はあの時間帯の割にそこそこ視聴率が取れたりするので、もしアメリカの放送局が日本の地上波で大リーグの全試合とか自前のドラマをバンバン流したら、日本のテレビ局は本当に終わってしまうかもしれません。だからこそ、ソフトバンクやライブドアを彼らは応援したのだと私は思います。
そこで地デジ化以降の新規参入の話です。それこそもしチャンネル数の増加とともに海外の放送局が日本に入ってきたら、まぁいろんな意味で日本のテレビ界は完璧に駄目になるでしょうね。もし入ってこないとしても今ですら減収の一途ですから、どちらにしろ何もしなければ駄目になるでしょうけど。
ちょっと本筋の話から脱線しますが、私は日本のテレビ会社が潰れてくれたら手を叩いて喜びます。というのも彼らの中間搾取ほどひどいものはないからです。
大半のテレビ番組はテレビ会社とは別の、テレビ製作会社がテレビ局から受注して作っています。テレビ局はそうして製作会社が作った番組にCMを入れるだけで、あれだけの収入をもらっています。そして製作会社というのは実際にはほとんど予算を与えてもらえず、自分たちの給料すらままならないまま働いているそうです。
こういうのは最近になってからの話かなと今まで思ってたんですが、昔に製作会社にいた今は芸能人やっているテリー伊藤氏の話によると、彼の時代でも給料が三ヶ月も遅配があったと言っていました。
テレビ局は何もせずに大量の収入を得て、実際に作っている製作会社は飲まず食わずで働いている。こんなことをやっているテレビ会社が潰れたところで私は同情する気にもなりませんし、いっそ買収されて生まれ変われとすら思います。まぁアメリカでも状況は同じらしいけど。
さて前回の記事の最後に、実は日本の放送業界への新規参入を一番ねらっているのはインターネット会社ではなく、アメリカの放送局ではないかと私は主張しました。その理由というのも、IT会社の放送局買収事件のバックに、常にアメリカさんが控えていらっしゃるからです。
ソフトバンクの孫正義氏がテレビ朝日を買収しようとした時はアメリカのメディア王であるルパード・マードックと一緒でしたし、ホリエモンがニッポン放送を買収しようとした時は……なんていうか、今こうして記事を書いていてすごい皮肉を感じるのですが、株式の買占めを行った際の資金をライブドアに提供したのは今は亡きリーマン・ブラザーズ社でした。楽天のTBS株買占めは詳しく知りませんけど、前の二社の場合にはアメリカの会社が放送局の買収を応援しているという構図がはっきり見えます。
ここではっきり言いますが、日本のコンテンツ産業というのは実はそれほど強くないと言われています。というのも前回の記事でも書いたようにケーブルテレビ局がアメリカのテレビドラマを放送した際は非常に加入者が増え、過去にも「Xファイル」が地上波で放送された際は高い視聴率を記録しています。これは私の勝手な想像ですが、アメリカの放送局としては日本でも自分らの番組を放送すれば、結構もうかるんじゃないのとか思っているんだと思います。日本の放送局側としてもそんなことは百も承知なので、可能な限り連中を締め出そうとしていたのかもしれません。
今ですらNHKの大リーグ中継はあの時間帯の割にそこそこ視聴率が取れたりするので、もしアメリカの放送局が日本の地上波で大リーグの全試合とか自前のドラマをバンバン流したら、日本のテレビ局は本当に終わってしまうかもしれません。だからこそ、ソフトバンクやライブドアを彼らは応援したのだと私は思います。
そこで地デジ化以降の新規参入の話です。それこそもしチャンネル数の増加とともに海外の放送局が日本に入ってきたら、まぁいろんな意味で日本のテレビ界は完璧に駄目になるでしょうね。もし入ってこないとしても今ですら減収の一途ですから、どちらにしろ何もしなければ駄目になるでしょうけど。
ちょっと本筋の話から脱線しますが、私は日本のテレビ会社が潰れてくれたら手を叩いて喜びます。というのも彼らの中間搾取ほどひどいものはないからです。
大半のテレビ番組はテレビ会社とは別の、テレビ製作会社がテレビ局から受注して作っています。テレビ局はそうして製作会社が作った番組にCMを入れるだけで、あれだけの収入をもらっています。そして製作会社というのは実際にはほとんど予算を与えてもらえず、自分たちの給料すらままならないまま働いているそうです。
こういうのは最近になってからの話かなと今まで思ってたんですが、昔に製作会社にいた今は芸能人やっているテリー伊藤氏の話によると、彼の時代でも給料が三ヶ月も遅配があったと言っていました。
テレビ局は何もせずに大量の収入を得て、実際に作っている製作会社は飲まず食わずで働いている。こんなことをやっているテレビ会社が潰れたところで私は同情する気にもなりませんし、いっそ買収されて生まれ変われとすら思います。まぁアメリカでも状況は同じらしいけど。
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