ちょっと連載のペースが落ちてきているので、気合入れなおして書いて行きます。
さてこの失われた十年の間の最も大きな政治変動といったら、恐らく誰もが宮沢内閣時の自民党の野党転落による55年体制の崩壊だと挙げる方が多いでしょうが、確かに一発の事件で見るならこちらに分があるでしょうが、この時代全体を通してみるのなら私はやはり今日のお題になっている左翼政党の失墜こそ、この時代の最大の政治変動だと考えています。
現在の日本で左翼政党と来たら日本共産党と社会民主党の二党が代表的ですが、現在この両党は選挙のたびに議員数を減らしていき、特に社民党はかつて社会党であった頃は自民党と文字通り二大政党体制を築くまでの議員数を誇っていたことを考えるとその凋落振りは激しく、最近の選挙では毎回「党の存亡がかかっている」とまで評論家に揶揄される始末です。
しかしその社民党はその前身の社会党時代、失われた十年の初期においては現在とは逆に、それまでにないほどの隆盛を誇っていました。その一時の隆盛の原動力となったのは今はもう引退した土井たか子氏で、土井氏がいろんな意味で引っ張っていた頃の89年の選挙ではマドンナ旋風とまで言われるほど現在の党首の福島瑞穂議員をはじめとする女性議員が数多く当選し、議会内でも社会党の発言力が大きく向上していました。折も折で自民党が数々の汚職に加えてバブル崩壊を招いたことによって国民の信頼が大きく揺らいだこともあり、小沢一郎現民主党代表による政界再編が行われた結果、社会党は政局を動かすキーパーソンたる位置についていました。
そのため、小沢氏の仕掛けた細川内閣が崩壊した94年に至ってなんとしても与党に返り咲こうとするかつての仇敵である自民党から連立打診を受け、ついに社会党は戦後からの悲願であった与党に入ることが出来、首相も当時の党首である村山富一氏が就任したのですが、結果論から言うとこれは社民党にとって凋落の原因をになってしまいました。
社会党は戦後に発足した当時からその党是として「平和、福祉、護憲」を掲げており、自衛隊などの国家が持つ武力を違憲であると激しく非難し否定し続けてきた歴史がありました。そんな政党が与党になり政策も実際に動かす段階に至ったのでこの自衛隊の扱いについても当然注目が集まったのですが、当時の村山元首相は就任と共に、
「自衛隊は違憲ではあるが、その存在は認める」
と、発言しちゃったものですから、それまで護憲ということで社民党を応援してきた人間も結局は口先だけだったのかと呆れて支持が離れ、さらに村山内閣時には阪神大震災が起こり、被災地を救援するために自衛隊の出動が各所で求められたにもかかわらずそれまでの立場から村山元首相は渋り、そのため自衛隊の出動が遅れて被害が拡大したと非難されてここでも失点を出してしまいました。
ちなみにこれは私の見解ですが、この自衛隊出動の遅延についてはやはり関東よりも実際に被害に遭われた関西の人の方が根強く覚えているような気がします。それと村山元首相が自衛隊出動を渋って遅れたとよく言われますが、当時の側近の方らが言うにはかつてないほどの都市中心部での前例のない大災害ということで、自衛隊を派遣するにしてもどのように、どんな方法で出動、活動させればよいかわからずに混乱したために出動が遅れたというだけで、決して渋ったわけではないと話しています。この意見について私は当初、しょせんはいいわけだろうと見ていたのですが、この前に中国に起きた四川大地震とその際の人民解放軍の救援活動の難航振りや指揮系統の乱れを見ていると、あながち嘘ではないのかもしれないと考え始め、現在この件で私は村山元首相を弁護する立場におります。
まぁそんな具合で、万年野党だったのが突然政策を作る立場になって見たらてんで何も出来なかった、というのがまさにこの村山内閣でした。連立という他の連立政党にも気を配らなければいけない政権だったとはいえ、私から見ても当時の村山内閣は政策実行がほとんど図られていなかったと思います。なお、今度もし民主党が政権をとったら同じようになるのかもしれませんし、評論家の方などはそうなるとはっきりと断言している人もいます。
その後社民党と名前を変えて連立からも離脱したものの、やはりこの時の政策手腕を見て支持者たちもやはり政権を任せられないと思ったのか、社民党はその後ずるずると議席数を減らしていきました。またこの頃から(前からもだけど)政策を批判することだけに固執し始め実際に実現可能かどうか非常に疑問なことばかりを政党の主張としてあげる傾向が目立ち、私が覚えているのは「企業のリストラ、原則禁止」といったことを選挙の公約に掲げたりもしていましたが、「リストラせずに本体の会社が潰れたらどうするんだ!」などと逆批判を受けるなどだんだんと国民の意識と乖離した政策ばかり主張するようになり、それに合わせて支持者も減っていったように思えます。
それでも一応は左翼政党ということで弱者の味方という立場を主張していたことと、憲法九条を何が何でも堅持するという護憲派の立場ということでうちの叔父さんのように根っからの支持者は離れずについてきていたのですが、失われた十年の後期におきたある事件によって、徹底的に社民党は支持をなくすことになりました。何を隠そう、小泉元首相の北朝鮮訪問とその後に起こった拉致被害者の帰還です。
社民党はそれまで同じ社会主義を標榜していることから北朝鮮の政権である朝鮮労働党とは友好な関係を維持し続けており、北朝鮮が飢饉に陥った際は米支援を訴え、ある自民党議員が拉致疑惑のある国に塩を送るような真似をしてもいいのかと反論するも、そんなありもしない疑惑で人助けを邪魔立てするのかと批判して米支援を実現しました。そんな具合で党の公式見解においても社民党は長い間、北朝鮮の日本人拉致は根も葉もないデマだと一貫して否定し続けていたのですが、小泉元首相の訪問により北朝鮮も拉致の事実を認め、被害者も帰還してきたのですからこれが大問題になりました。言ってしまえば、根も葉もないデマを言っていたのは社民党になってしまったといったところでしょうか。
これについて社民党は結局、党の公式見解から「拉致は存在しない」という項目を削除するに至ったのですが、それまでの見解が間違っていたということについては一切謝罪をせずにいたため、結局は日本の国益よりもわけのわからない理念の方が重要なのかと知識人層も批判し、最後まで残っていた支持者もこの件で一挙に社民党に見切りをつけるようになりました。私としても、まだまともな見識を持っているのなら与党にならなくとも野党として存在価値はあると認めるのですが、この時の社民党の対応を見ていると、その存在すら許されざる集団のように思えてきます。
ついでに書くと、その後北朝鮮の核問題が大きく取り上げられ、また災害救助やイラク派遣などを経て自衛隊への国民の信頼も大きくなり(最近また下がってきたが)、近年では憲法改正についても「九条維持、自衛隊の存在を明記」という意見が多数派を占めるようになり、社民党の最後の砦であった「護憲派」という主張もほとんど有名無実化してしまったのがとどめになり、今のような泡沫政党になってしまったのだと思います。
これは共産党もそうですが、ソ連の崩壊によって社会主義が現実に適用するには無理な思想だったということが明らかになったにもかかわらず、大きな政策路線の転換を図らずにいたのが日本の左翼政党の失墜を招いたのだと思います。また野党で居続けるということを暗黙のうちに了解していた55年体制の頃ならともかく、55年体制が崩壊した後も延々と政策の実現性を無視したり独自案などを設けずに自民党の政策を非難し続けたのも、時代の変化を考えなかった無謀な行為だったと言わざるを得ませんし、北朝鮮の問題や現在の主張内容などを見ても本気で弱者の立場に立っているのかと疑問なことばかりで、言ってしまえば両党は自民や民主の二大政党制の煽りを受けたわけではなく、自分で自滅したに過ぎないと私は断言できます。
ただ惜しむらくは、こうした自滅を招くような政党しか日本には左翼政党がなかったということです。別に左翼だからといって必ずしも社会主義を標榜する必要はなく、以前の記事でも書いたように私としては右翼と左翼がそれぞれ拮抗し合う状態こそが政治的に安定すると思うので、与党になれとまでは言いませんが、きちんとした左翼政党が日本にも本来必要だと思います。ですがこの社民党のお粗末な姿を見て、現代の日本人は左翼と聞くだけで激しい嫌悪感情を持つ人間も増えてきているように思え、懸念過ぎだし現段階でそうなることはほとんどないにしても、今のうちにきっちりとした左翼政党を作っておくべきではないかと陰ながら考えています。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年11月26日水曜日
コメント、リクエストの募集
先日に名古屋にいって久しぶりに友人らと会ってきましたが、その中にはもちろんこのブログを読んでくれている友人もおり、改めてコメントをしてくれている友人にお礼を言ってきました。
ここで言うのもなんですが、やはりブログを書いている人間からするとコメントが寄せられると厳しい意見でも非常にうれしいものです。このブログでは今年中盤からコメントがいくつか寄せられるようになってそれから加速度的に記事数も増えていきましたが、その原動力たるはやはりコメントです。
FC2のブログの方では以前にも書きましたが「拍手ボタン」というものがあり、これは管理者ページでは過去の履歴も調べられ、押してもらえると同様にうれしいものです。
第一、こういったブログというものの最大の利点というのは、やはり読者と書き手が双方向的にコミュニケーションが取れるということだと思います。私もいくつかの記事でやっているように、コメント欄にて寄せられた質問については可能な限り応じてその返事をコメントに書いたり、新たに記事を書いてもおります。コメントする側だとあまり意識しないかもしれませんが、書く側にとってすればどんなことをどういう風に書けばいいかがわかるので出来ることならあれこれリクエストを書いてもらいたいというのが本音です。
FC2の閲覧者数を見ると、一日大体30人前後の方が見に来てくれているようなので、できればこのブログで気になる点や聞きたい内容などを寄せていただければ非常に幸いなので、もし余力がある方がおられれば是非お願いします。
ここで言うのもなんですが、やはりブログを書いている人間からするとコメントが寄せられると厳しい意見でも非常にうれしいものです。このブログでは今年中盤からコメントがいくつか寄せられるようになってそれから加速度的に記事数も増えていきましたが、その原動力たるはやはりコメントです。
FC2のブログの方では以前にも書きましたが「拍手ボタン」というものがあり、これは管理者ページでは過去の履歴も調べられ、押してもらえると同様にうれしいものです。
第一、こういったブログというものの最大の利点というのは、やはり読者と書き手が双方向的にコミュニケーションが取れるということだと思います。私もいくつかの記事でやっているように、コメント欄にて寄せられた質問については可能な限り応じてその返事をコメントに書いたり、新たに記事を書いてもおります。コメントする側だとあまり意識しないかもしれませんが、書く側にとってすればどんなことをどういう風に書けばいいかがわかるので出来ることならあれこれリクエストを書いてもらいたいというのが本音です。
FC2の閲覧者数を見ると、一日大体30人前後の方が見に来てくれているようなので、できればこのブログで気になる点や聞きたい内容などを寄せていただければ非常に幸いなので、もし余力がある方がおられれば是非お願いします。
2008年11月25日火曜日
厚生省元次官連続殺傷事件の報道について
昨日はまた珍しくこのブログの更新を休みましたが、実は昨日に名古屋遠征を行っており、おとといの深夜に夜行バスで名古屋に行って昨日の夜行バスで今朝早朝に家に戻ってきたため、ぶっちゃけ今も疲労気味です。なので簡単に書けるニュース解説で今日の更新は乗り切ろうと思います。ついでにここで言うと、今週末はまた京都遠征を控えているので、恐らく週末三日間はまた更新が滞ることになりますが、来週になればまた鬼のように記事を書くつもりなのであまり気にせずに見ていてください。
それでは今日の記事ですが、前回にもこのブログで取り上げた厚生省元次官連続殺傷事件について徐々に犯人とその動機などについて警察の捜査が進み、報道も合わせて行われるようになりました。まず犯人が本物かどうかということですが、小泉容疑者が出頭の際に所持していた刃物から被害者の血液DNAが検出されたことからもう確実と見ていいでしょう。そして動機についても、小泉容疑者が犯行を自供していることから彼の言うとおりに、昔にペットが保健所で処分されたという逆恨みからと考えてもそろそろ良いのかもしれません。
このニュースについて私は個人的にはそれほど感傷は抱かないのですが、この事件に対する世間の報道については少し言いたいことがあります。犯行の残虐性からそのあまりの稚拙な動機の事件ゆえ、ワイドショーなどでは格好のネタとばかりにこれ見よがしにあれこれ取り上げられていますが、私がいくつかチェックした中でこの事件を以前に起きた秋葉原の通り魔事件などと比較し、「昨今の殺人犯の共通する特徴として、犯人が孤独であったというケースが非常に多い」などと言うコメンテーターいましたが、なにもその特徴は昨今の事件に限らず、これまでのどの事件にもほとんど共通する内容で、なにもここでいちいち取り上げる話ではない気がします。
まぁこんな感じで、恐らく今後もあれやこれやと犯人の心理分析やら他の社会問題と掛け合わせていろいろ報道されるでしょうが、私としては今回の事件の犯人は30年以上前の個人的な恨みから、全く関係のない被害者を「保健所の親玉」と勝手に結びつけて殺人までも行っていることから、犯人は相当に異常な人物であると思います。そのため、今回の事件の犯人が他の事件の犯人と共通するような代表的な特徴を持ちうるかといったら、それは限りなく可能性が低い気がします。要するに、一定の枠から外れた異常な人間をどう分析したところで意味がないんじゃないかと私は言いたいのです。むしろ無理やりに他のケースと結び付けようとすればするほど、この事件や犯人の本質から離れていく気すらします。
こういうのも、かつての酒鬼薔薇事件(どうでもいいけど、「酒鬼」と書いたら中国語で「酒飲み」という意味になる)でもあれやこれや、何故犯人の中学生は殺人を行ったのかという分析から膨大な量の原因候補が出てきて、中にはオカルトやらゲーム、ホラー映画などが標的とされましたが、その時の分析が現代の少年犯罪の抑止に効果を上げているかと言うと、素人ながら言うのもなんですがまずもってほとんど意味を成さなかったでしょう。結局のところ、当時のこの「犯人の犯人探し」は愚にもつかない評論家やコメンテーターを食べさせただけにしかなりませんでした。
唯一当時の犯人分析で私が納得し、かつ現在でも説として強い力を持っている意見を展開したのは名前は忘れましたがある犯罪心理学者で、この人の結論は単純に犯人が殺人や暴力に対して強い快感を得るという異常な人間だったという結論で、初めから異常な人間だったと締めくくっています。
私としては今回の事件もそんな感じがするので、後に何も残らない言い合いをするくらいなら、もう少し専門家の意見を待って傍観している方が賢い気がします。
それでは今日の記事ですが、前回にもこのブログで取り上げた厚生省元次官連続殺傷事件について徐々に犯人とその動機などについて警察の捜査が進み、報道も合わせて行われるようになりました。まず犯人が本物かどうかということですが、小泉容疑者が出頭の際に所持していた刃物から被害者の血液DNAが検出されたことからもう確実と見ていいでしょう。そして動機についても、小泉容疑者が犯行を自供していることから彼の言うとおりに、昔にペットが保健所で処分されたという逆恨みからと考えてもそろそろ良いのかもしれません。
このニュースについて私は個人的にはそれほど感傷は抱かないのですが、この事件に対する世間の報道については少し言いたいことがあります。犯行の残虐性からそのあまりの稚拙な動機の事件ゆえ、ワイドショーなどでは格好のネタとばかりにこれ見よがしにあれこれ取り上げられていますが、私がいくつかチェックした中でこの事件を以前に起きた秋葉原の通り魔事件などと比較し、「昨今の殺人犯の共通する特徴として、犯人が孤独であったというケースが非常に多い」などと言うコメンテーターいましたが、なにもその特徴は昨今の事件に限らず、これまでのどの事件にもほとんど共通する内容で、なにもここでいちいち取り上げる話ではない気がします。
まぁこんな感じで、恐らく今後もあれやこれやと犯人の心理分析やら他の社会問題と掛け合わせていろいろ報道されるでしょうが、私としては今回の事件の犯人は30年以上前の個人的な恨みから、全く関係のない被害者を「保健所の親玉」と勝手に結びつけて殺人までも行っていることから、犯人は相当に異常な人物であると思います。そのため、今回の事件の犯人が他の事件の犯人と共通するような代表的な特徴を持ちうるかといったら、それは限りなく可能性が低い気がします。要するに、一定の枠から外れた異常な人間をどう分析したところで意味がないんじゃないかと私は言いたいのです。むしろ無理やりに他のケースと結び付けようとすればするほど、この事件や犯人の本質から離れていく気すらします。
こういうのも、かつての酒鬼薔薇事件(どうでもいいけど、「酒鬼」と書いたら中国語で「酒飲み」という意味になる)でもあれやこれや、何故犯人の中学生は殺人を行ったのかという分析から膨大な量の原因候補が出てきて、中にはオカルトやらゲーム、ホラー映画などが標的とされましたが、その時の分析が現代の少年犯罪の抑止に効果を上げているかと言うと、素人ながら言うのもなんですがまずもってほとんど意味を成さなかったでしょう。結局のところ、当時のこの「犯人の犯人探し」は愚にもつかない評論家やコメンテーターを食べさせただけにしかなりませんでした。
唯一当時の犯人分析で私が納得し、かつ現在でも説として強い力を持っている意見を展開したのは名前は忘れましたがある犯罪心理学者で、この人の結論は単純に犯人が殺人や暴力に対して強い快感を得るという異常な人間だったという結論で、初めから異常な人間だったと締めくくっています。
私としては今回の事件もそんな感じがするので、後に何も残らない言い合いをするくらいなら、もう少し専門家の意見を待って傍観している方が賢い気がします。
2008年11月23日日曜日
失われた十年とは~その十一、就職氷河期~
三年ほど前の2005年度採用から日本企業では新卒採用が大幅に増えてきましたたが、来年度はリーマンショックの影響もあって大幅に採用が絞られるということが早くも今から言われており(冷静に考えると、こんな時期に再来年度採用の話が出るあたりかなりおかしいんだけど)、かつての就職氷河期の再来かとまで言われています。
さてその就職氷河期ですが、私が知る限りこの言葉が一番最初に使われたのは第一次オイルショック時に戦後初めてマイナス成長をした1972年頃に大卒採用が一気にへこんだのが初めてですが、先ほどの引用に使われたのは大体98年から2003年まで続いた際の就職氷河期です。既に過去の連載でも書いた、山一證券が破綻するなど日本経済の大きな転換点となった97年を境に日本は本格的な大不況に見舞われ、企業内でも社員にリストラの嵐が吹き、新卒の社員採用もこの時期に勃興したIT産業を除いてどこも大幅に制限されるようになりました。
当時において、某薬品小売の全国チェーン店本社は私が当時住んでいた場所の近くにあったのですが、確か2000年位のある日にその本社前にものすごい数の行列が出来ていたことがあります。それというのも当時が就職氷河期であり、当時の卒業を控えた多くの学生はそれこそいけるとこならどこへでも採用試験を受けており、その会社でも採用を受けに来た学生たちが多く集まって長蛇の列を作っていたそうです。
このように、当時の高卒、大卒の就職環境は共に歴史的にも異様なほど厳しいものでした。ちょっとネットでこの時期の就職内定率の細かいデータを調べてみたのですが、なんというかどれも信用の置けない非常にお粗末なデータばかりなのでちょっと引用を見送りました。別にこれに限るわけじゃないですが、日本の失業率調査など測定方法の時点から、”失業率=失業者数/就業希望者”で割り出しており、本当は就職したいものの現状で活動できないものやハローワークに通わずに就職活動しているが職に就けない人は分母から外されるので、実態から遠くかけ離れたものばかりです。
ちょっと話が長くなるけど大卒の就職内定率も同様で、こっちでは就職できなかったので学内にとどまるために留年したり大学院へ進学する人間が分母から外れるので、こちらもかなり問題のあるデータが国で作られています。更に言えばさっき調べてすごく驚いたのですが、この就職内定率のデータで総務省統計局と厚生労働省の同じ年の内定率になんと二割も差があり、確かある年のデータだと総務省では70%台だったのが厚生労働省では90%台で、いくらなんでも厚生労働省のデータはありえないと呆れました。ってか、同じ国の機関なんだから調査、統計を共通化させて、費用を浮かせろよなぁ。
話は戻りますがこのように失われた十年の後半では若者の新卒雇用の道は非常に制限されていました。私の実感でも他の公表しているデータでも、私が最初に最悪だった年として挙げた2002年が最も悪く、その後は徐々に回復傾向となって近年では逆に「売り手市場」とまで言われるほど大量の採用が行われるように至りましたが、それでもこの時代に採用が大幅に制限されたことの負担は非常に大きいものとされています。
折も折でいわゆる団塊ジュニア世代が社会に出る時期に当たってしまったのがまさにこの就職氷河期で、ただでさえ母数が前後の世代より頭一つ多いのにほとんど就職することが出来ず、大量の若者が路頭に迷うこととなりました。そのためこの世代のことを先ほどの「団塊ジュニア世代」というよりは最近では「ロストジェネレーション」という言葉が使われており、現在もこの世代がその前後の世代と比べて失業率が高く、不安定な社会的立場にいるために将来大きな問題となる事が懸念されています。
そして新卒採用を行う側の企業にとってしても、当時はいつどんなことで自分の会社が潰れるかわからない非常に不安定な状態で新卒採用も非常に制限をしたのですが、当時の就職状況を知る何人かから話を聞いたことがありますが、当時の採用試験や面接というのは採用作業というより、就職志望者の人数を削るような作業だったらしいです。面接ではいわゆる圧迫面接で当たり前で、友人の姉さんなんて一緒に企業面接を受けた早稲田大学の学生が泣きながら面接室から出てきたとまで言っています。さらに当時にテレビ番組でも字が汚いとか、ネクタイが長すぎるとか、本当に些細なことでどんどんと人数が削られるという話が紹介されていましたし、外から見ていてもなんとなくそんな感じがします。
こうして若者の採用が厳選され、失業率も高まってきたことを受け、当時には現代でも使われるこのような立場の若者を言い表す言葉が数多く生まれてきました。まず一番代表的なものとして、90年代後半より定職につかずに非定期雇用で生活する「フリーター」という言葉がリクルート社より作られました。当時を振り返って思うのですが、当時この言葉は若者にとっては肯定的な意味合いで(若者ら自身がそう思っていたかは言えないが)使われていたように思えます。「企業に縛られたくない」、「自由な生き方」、「夢を追うためのつなぎ」といった具合で、特に最後のは決まってミュージシャン志望者が言っており、私みたいに小説家を志望しているってのは皆無でしたね。それはともかくとして、こうして自由な生き方の手段として「フリーター」というものはメディアなどで取り上げられて、それに対して壮年層の大人たちからは「最近の若者はフラフラしおって!」といった具合で批判するという構図が毎回組まれていました。私の友人のお父さんなんて、フリーターと聞くだけでローズに向かって内角高目を投げつけんばかりに怒り出すほどの否定論者でした。
敢えて当時の若者を弁護しながら分析すると、先ほどの「自由を追う」という主張は積極的な理由ではなく、むしろ後付けの理由だったと思います。就職したいと思ってもそれが叶わずに仕方なくフリーターで食いつないでいた人間が、敢えて自己弁護のようにして自由という言葉を言っていただけというのが大半だったと思います。しかし最近では皮肉なことに、若年層では実に7割近くが派遣などの非正規雇用で働いており、実感的にも働くのはフリーターで当たり前になってきて、この言葉も死語になりつつある気がします。
このフリーターに続いて当時に作られた言葉もう一つの言葉として、こっちはすぐに消えましたが「パラサイト」です。これは仕事もせずに家にいるだけで親に生活の面倒を見続けてもらうという人たちで、この言葉は一年くらいですぐに死語化し、その代わりに同じ意味で今度は「引きこもり」という言葉が出来、これははっきりと断言できますが2004年に至って初めて「ニート」という言葉になり、現在に至ります。やはり「ニート」という短い言葉の方が時代の移り変わりに強いのかもしれません。
ちょっと脈絡のない記事になってしまいましたがこの就職氷河期について総括すると、本心からもこの「ロストジェネレーション」に当たる世代の方には私は非常に同情します。しかし採用を絞った企業の側としてもちょうどこの世代に当たる20代後半から30代前半の社員が非常に不足しており、ノウハウや技術の継承面で大きな問題が起きているのも事実で、実際に中途採用もこの世代を中心に行われていると聞きます。
逆を言えば、今後この世代の穴埋めを日本社会全体で対処しなければ、今後長きに渡って大きな問題となっていくことが予想されます。具体的にどうすればいいかということを今後議論していく必要があるでしょう。
さてその就職氷河期ですが、私が知る限りこの言葉が一番最初に使われたのは第一次オイルショック時に戦後初めてマイナス成長をした1972年頃に大卒採用が一気にへこんだのが初めてですが、先ほどの引用に使われたのは大体98年から2003年まで続いた際の就職氷河期です。既に過去の連載でも書いた、山一證券が破綻するなど日本経済の大きな転換点となった97年を境に日本は本格的な大不況に見舞われ、企業内でも社員にリストラの嵐が吹き、新卒の社員採用もこの時期に勃興したIT産業を除いてどこも大幅に制限されるようになりました。
当時において、某薬品小売の全国チェーン店本社は私が当時住んでいた場所の近くにあったのですが、確か2000年位のある日にその本社前にものすごい数の行列が出来ていたことがあります。それというのも当時が就職氷河期であり、当時の卒業を控えた多くの学生はそれこそいけるとこならどこへでも採用試験を受けており、その会社でも採用を受けに来た学生たちが多く集まって長蛇の列を作っていたそうです。
このように、当時の高卒、大卒の就職環境は共に歴史的にも異様なほど厳しいものでした。ちょっとネットでこの時期の就職内定率の細かいデータを調べてみたのですが、なんというかどれも信用の置けない非常にお粗末なデータばかりなのでちょっと引用を見送りました。別にこれに限るわけじゃないですが、日本の失業率調査など測定方法の時点から、”失業率=失業者数/就業希望者”で割り出しており、本当は就職したいものの現状で活動できないものやハローワークに通わずに就職活動しているが職に就けない人は分母から外されるので、実態から遠くかけ離れたものばかりです。
ちょっと話が長くなるけど大卒の就職内定率も同様で、こっちでは就職できなかったので学内にとどまるために留年したり大学院へ進学する人間が分母から外れるので、こちらもかなり問題のあるデータが国で作られています。更に言えばさっき調べてすごく驚いたのですが、この就職内定率のデータで総務省統計局と厚生労働省の同じ年の内定率になんと二割も差があり、確かある年のデータだと総務省では70%台だったのが厚生労働省では90%台で、いくらなんでも厚生労働省のデータはありえないと呆れました。ってか、同じ国の機関なんだから調査、統計を共通化させて、費用を浮かせろよなぁ。
話は戻りますがこのように失われた十年の後半では若者の新卒雇用の道は非常に制限されていました。私の実感でも他の公表しているデータでも、私が最初に最悪だった年として挙げた2002年が最も悪く、その後は徐々に回復傾向となって近年では逆に「売り手市場」とまで言われるほど大量の採用が行われるように至りましたが、それでもこの時代に採用が大幅に制限されたことの負担は非常に大きいものとされています。
折も折でいわゆる団塊ジュニア世代が社会に出る時期に当たってしまったのがまさにこの就職氷河期で、ただでさえ母数が前後の世代より頭一つ多いのにほとんど就職することが出来ず、大量の若者が路頭に迷うこととなりました。そのためこの世代のことを先ほどの「団塊ジュニア世代」というよりは最近では「ロストジェネレーション」という言葉が使われており、現在もこの世代がその前後の世代と比べて失業率が高く、不安定な社会的立場にいるために将来大きな問題となる事が懸念されています。
そして新卒採用を行う側の企業にとってしても、当時はいつどんなことで自分の会社が潰れるかわからない非常に不安定な状態で新卒採用も非常に制限をしたのですが、当時の就職状況を知る何人かから話を聞いたことがありますが、当時の採用試験や面接というのは採用作業というより、就職志望者の人数を削るような作業だったらしいです。面接ではいわゆる圧迫面接で当たり前で、友人の姉さんなんて一緒に企業面接を受けた早稲田大学の学生が泣きながら面接室から出てきたとまで言っています。さらに当時にテレビ番組でも字が汚いとか、ネクタイが長すぎるとか、本当に些細なことでどんどんと人数が削られるという話が紹介されていましたし、外から見ていてもなんとなくそんな感じがします。
こうして若者の採用が厳選され、失業率も高まってきたことを受け、当時には現代でも使われるこのような立場の若者を言い表す言葉が数多く生まれてきました。まず一番代表的なものとして、90年代後半より定職につかずに非定期雇用で生活する「フリーター」という言葉がリクルート社より作られました。当時を振り返って思うのですが、当時この言葉は若者にとっては肯定的な意味合いで(若者ら自身がそう思っていたかは言えないが)使われていたように思えます。「企業に縛られたくない」、「自由な生き方」、「夢を追うためのつなぎ」といった具合で、特に最後のは決まってミュージシャン志望者が言っており、私みたいに小説家を志望しているってのは皆無でしたね。それはともかくとして、こうして自由な生き方の手段として「フリーター」というものはメディアなどで取り上げられて、それに対して壮年層の大人たちからは「最近の若者はフラフラしおって!」といった具合で批判するという構図が毎回組まれていました。私の友人のお父さんなんて、フリーターと聞くだけでローズに向かって内角高目を投げつけんばかりに怒り出すほどの否定論者でした。
敢えて当時の若者を弁護しながら分析すると、先ほどの「自由を追う」という主張は積極的な理由ではなく、むしろ後付けの理由だったと思います。就職したいと思ってもそれが叶わずに仕方なくフリーターで食いつないでいた人間が、敢えて自己弁護のようにして自由という言葉を言っていただけというのが大半だったと思います。しかし最近では皮肉なことに、若年層では実に7割近くが派遣などの非正規雇用で働いており、実感的にも働くのはフリーターで当たり前になってきて、この言葉も死語になりつつある気がします。
このフリーターに続いて当時に作られた言葉もう一つの言葉として、こっちはすぐに消えましたが「パラサイト」です。これは仕事もせずに家にいるだけで親に生活の面倒を見続けてもらうという人たちで、この言葉は一年くらいですぐに死語化し、その代わりに同じ意味で今度は「引きこもり」という言葉が出来、これははっきりと断言できますが2004年に至って初めて「ニート」という言葉になり、現在に至ります。やはり「ニート」という短い言葉の方が時代の移り変わりに強いのかもしれません。
ちょっと脈絡のない記事になってしまいましたがこの就職氷河期について総括すると、本心からもこの「ロストジェネレーション」に当たる世代の方には私は非常に同情します。しかし採用を絞った企業の側としてもちょうどこの世代に当たる20代後半から30代前半の社員が非常に不足しており、ノウハウや技術の継承面で大きな問題が起きているのも事実で、実際に中途採用もこの世代を中心に行われていると聞きます。
逆を言えば、今後この世代の穴埋めを日本社会全体で対処しなければ、今後長きに渡って大きな問題となっていくことが予想されます。具体的にどうすればいいかということを今後議論していく必要があるでしょう。
2008年11月22日土曜日
元厚生事務次官連続殺傷事件について
今日は昼から上海人と東京を歩きまくって、帰ったら今度は映画の「レッドクリフ」を見てきて今家に戻ってきました。戻ってくるなりテレビで今日の安馬の対戦を見ようと思っていたら、かねてより世間を騒がせてきた元厚生事務次官連続殺傷事件の犯人が自ら出頭してきたというニュースが、NHKにて特番で報じられていました。
ちょっと疲労気味で明日から遠征を行う予定もあるのでちゃちゃっとまとめますが、本来、この事件についてあれこれ議論はまだ行うべきではない時期には来ていないでしょう。一体どういう目的で、何のために元厚生事務次官とその家族を殺傷したのか、そしてどういった人間が起こしたのかということについては、これからの犯人の供述を受けてからその是非を問うべきでしょう。そういう意味で桝添厚生大臣がこの事件について、もし厚生省の幹部を狙った連続テロ事件であるならば許せないといった仮定をしての発言は適切だったといえるでしょう。
ちょこっとネットの掲示板を見てこの突然の出頭について、替え玉説やスケープゴートが出てきたと訝しがる意見がありましたが、これについてはちょっと私はどんなものかとおもいます。というのも、その出頭してきた人物は確実に存在するのだから、今後その人物が本当の犯人かどうかは警察の捜査を経ればわかることですし、何より今回の事件では二件目で襲われた元事務次官の細君が大怪我を負ったものの犯人の顔を見て生きておられるので、まず確実に実行犯かどうかを判別することが出来るでしょう。時間を待つべき事柄に対して、あれこれ詮索するというのは野暮ですし、また大して根拠のない意見はデマとして広まる恐れがあるので、思うだけならともかく発言すらも行うべきではないでしょう。特に、今回のような憶測の飛びやすい事件の場合は。
ちょっと疲労気味で明日から遠征を行う予定もあるのでちゃちゃっとまとめますが、本来、この事件についてあれこれ議論はまだ行うべきではない時期には来ていないでしょう。一体どういう目的で、何のために元厚生事務次官とその家族を殺傷したのか、そしてどういった人間が起こしたのかということについては、これからの犯人の供述を受けてからその是非を問うべきでしょう。そういう意味で桝添厚生大臣がこの事件について、もし厚生省の幹部を狙った連続テロ事件であるならば許せないといった仮定をしての発言は適切だったといえるでしょう。
ちょこっとネットの掲示板を見てこの突然の出頭について、替え玉説やスケープゴートが出てきたと訝しがる意見がありましたが、これについてはちょっと私はどんなものかとおもいます。というのも、その出頭してきた人物は確実に存在するのだから、今後その人物が本当の犯人かどうかは警察の捜査を経ればわかることですし、何より今回の事件では二件目で襲われた元事務次官の細君が大怪我を負ったものの犯人の顔を見て生きておられるので、まず確実に実行犯かどうかを判別することが出来るでしょう。時間を待つべき事柄に対して、あれこれ詮索するというのは野暮ですし、また大して根拠のない意見はデマとして広まる恐れがあるので、思うだけならともかく発言すらも行うべきではないでしょう。特に、今回のような憶測の飛びやすい事件の場合は。
2008年11月21日金曜日
日本のスポーツ教育といじめ問題についての考察
またネタにしていろいろな意味で悪いんだけど、今朝の朝日新聞の一面大見出しは「児童生徒の暴力最多」で、文部科学省の発表したデータによると今回の調査で小中高の学校すべてで暴力事件が過去最多となったということを紹介していました。その上で近年はいわゆる「学校裏サイト」によるネットいじめが拡大の一途を辿っており、こちらも大見出しにて「21%増」とでっかく書かれています。
まぁ言いたいことはよくわかりますし、朝日新聞の記事が決して悪いわけではないのですが、こうしたいじめ問題について警鐘を促す記事を読むたびに私が強く思うのは、一体何故部活内、それもスポーツ系の運動部内のいじめ問題についてはどこも追求や問題視をしないのかということです。
・桐生一高生、今度は集団強姦!逮捕直前まで登校!(YAHOOニュース)
正直、桐生一高の生徒たちには話題に上げて申し訳ないという気持ちがあるのですが、上にリンクを貼ったニュースは高校野球の名門として全国的に名高い桐生一高の生徒、それも軟式野球部の生徒が刑事事件を起こしたというニュースです。この事件の以前には硬式野球部でも同じく刑事事件を起こした生徒がおり、更には同級生をいじめて傷害致死に至らせたとして同級生が三人も逮捕されるという事件も過去にこの学校で起きています。
詳しく統計などを用意せずに(あるわけないだろうが)言うのもなんですが、私見から言って運動部内のいじめというのは今も全国の学校で激しく行われているように思えて仕方がありません。なにもこの桐生一校に限らずこちらも高校野球の名門で甲子園でも優勝経験のあるPL学園も、数年前に野球部内で暴行行為が行われたとして処分が行われ、やはりこの影響が強かったのかそれ以降は甲子園にめっきり出場しなくなって今じゃ大阪桐蔭にすっかりお株を取られてしまっています。
もともと、高校野球の甲子園大会というのは青少年の健全な教育を図る一環として組織されたものなのですが、以上に上げた二校のように実際には部活内で同級生同士のいじめから、上級生から下級生への理不尽なしごきなど言語に絶するような行為が行われているという話をよく聞きます。二年前に引退した元日ハムの新庄選手も野球の強豪高に入学したものの、上級生からものすごいいじめに遭って夜中だろうとなんだろうとジュースを買ってこいと言われてはお使いに出されるだけでなく、そのお使いから帰ってきたら来るのが遅いと言われて土下座された挙句に野球のスパイクで目いっぱい手を踏まれたらしく、今でもそのスパイクの傷跡が残っていると以前にテレビ番組内で話していました。
なにもこうした行為は野球部だけでなく、競馬の騎手として有名な武豊氏の弟の、こちらも有名な騎手の武幸四郎氏がフジテレビのテレビ番組「ジャンクSPORT」内にて、ちょっとはっきり覚えていないのですが騎手の養成学校時代、一年生は食事で食べるパンにバターやジャムをつけてはいけないと上級生に強制され、これがはっきり覚えていないんですが確かピーナッツバターかなんかの調味料しかつける事を許されなかったために毎日それをつけて食べていたらしく、その時の思い出で今でもその調味料を食べることができないそうです。
はっきり言いますが、こんな行為がスポーツの鍛錬の上で何の意味があるのか理解に苦しみます。第一パンに何をつけるか位で上級生が下級生に対してあれこれ強制するなど以ての外ですし、そしてそんな環境が伝統としていつまでも残っているということ自体が、青少年の教育上に非常に悪いものに思えて仕方ありません。しかし話で聞く限り日本の運動部の大半ではこうした上級生の理不尽な行為が延々と続けられ、そして前述のようにそういったことへの吐け口かのように同級生同士でいじめが行われては退学に追い込まれたりするものが現れたり、過去の事件のように死亡にまで至る事件が起きています。
断言してもいいですが、現在の日本の部活動は青少年の健全な教育に寄与しているとは言い難く、むしろ逆にいじめの温床となっている例の方が圧倒的に多いです。私自身中学校一年で運動部に入ったらすぐに同級生からいじめを受けたので馬鹿馬鹿しく思ってすぐに部活をやめた経験がありますが、そうしたいじめが実際に起こっているにもかかわらず、上級生が下級生へ理不尽な仕打ちが起きているにもかかわらず私の目からすると教育者、ならびに責任者は「上下関係や大事な礼儀を教える」という言葉の元にそうした行為をわざと正当化して対策を取らないばかりか、むしろ助長させているように思えます。
よくいじめ問題の原因についてあれこれ議論があり、その対策についてもいろいろと話題には上るのですが、現在に至るまで私はこの運動部内のいじめと上級生から下級生へのしごきが話題が上ったことなどついぞ一回として見たことがありません。何もこれが諸悪の根源だと言うわけじゃないですが、現実に事件化するいじめもあれば外部にて刑事事件を起こす生徒を出したりしているのは事実なので、こうしたスポーツ教育について日本は再考をするのがどう考えても筋じゃないかと思います。
最後に運動部内でのこうしたいじめやしごきに対して、こうした行為から向上心が生まれて試合にも勝てるようになると言う人もいますが、もしたとえそうだとしても、こうしたことをしていてまともな人間が育つはずなんてないと私は思いますし、そうまでして試合に勝つ価値はどう言い繕ったってないでしょう。そして実際にこういうしごきやいじめが実際に能力の向上に寄与するかといったら、高校生の国際試合とかで日本チームの勝敗を見ていると、こちらもやっぱりないと思います。
まぁ言いたいことはよくわかりますし、朝日新聞の記事が決して悪いわけではないのですが、こうしたいじめ問題について警鐘を促す記事を読むたびに私が強く思うのは、一体何故部活内、それもスポーツ系の運動部内のいじめ問題についてはどこも追求や問題視をしないのかということです。
・桐生一高生、今度は集団強姦!逮捕直前まで登校!(YAHOOニュース)
正直、桐生一高の生徒たちには話題に上げて申し訳ないという気持ちがあるのですが、上にリンクを貼ったニュースは高校野球の名門として全国的に名高い桐生一高の生徒、それも軟式野球部の生徒が刑事事件を起こしたというニュースです。この事件の以前には硬式野球部でも同じく刑事事件を起こした生徒がおり、更には同級生をいじめて傷害致死に至らせたとして同級生が三人も逮捕されるという事件も過去にこの学校で起きています。
詳しく統計などを用意せずに(あるわけないだろうが)言うのもなんですが、私見から言って運動部内のいじめというのは今も全国の学校で激しく行われているように思えて仕方がありません。なにもこの桐生一校に限らずこちらも高校野球の名門で甲子園でも優勝経験のあるPL学園も、数年前に野球部内で暴行行為が行われたとして処分が行われ、やはりこの影響が強かったのかそれ以降は甲子園にめっきり出場しなくなって今じゃ大阪桐蔭にすっかりお株を取られてしまっています。
もともと、高校野球の甲子園大会というのは青少年の健全な教育を図る一環として組織されたものなのですが、以上に上げた二校のように実際には部活内で同級生同士のいじめから、上級生から下級生への理不尽なしごきなど言語に絶するような行為が行われているという話をよく聞きます。二年前に引退した元日ハムの新庄選手も野球の強豪高に入学したものの、上級生からものすごいいじめに遭って夜中だろうとなんだろうとジュースを買ってこいと言われてはお使いに出されるだけでなく、そのお使いから帰ってきたら来るのが遅いと言われて土下座された挙句に野球のスパイクで目いっぱい手を踏まれたらしく、今でもそのスパイクの傷跡が残っていると以前にテレビ番組内で話していました。
なにもこうした行為は野球部だけでなく、競馬の騎手として有名な武豊氏の弟の、こちらも有名な騎手の武幸四郎氏がフジテレビのテレビ番組「ジャンクSPORT」内にて、ちょっとはっきり覚えていないのですが騎手の養成学校時代、一年生は食事で食べるパンにバターやジャムをつけてはいけないと上級生に強制され、これがはっきり覚えていないんですが確かピーナッツバターかなんかの調味料しかつける事を許されなかったために毎日それをつけて食べていたらしく、その時の思い出で今でもその調味料を食べることができないそうです。
はっきり言いますが、こんな行為がスポーツの鍛錬の上で何の意味があるのか理解に苦しみます。第一パンに何をつけるか位で上級生が下級生に対してあれこれ強制するなど以ての外ですし、そしてそんな環境が伝統としていつまでも残っているということ自体が、青少年の教育上に非常に悪いものに思えて仕方ありません。しかし話で聞く限り日本の運動部の大半ではこうした上級生の理不尽な行為が延々と続けられ、そして前述のようにそういったことへの吐け口かのように同級生同士でいじめが行われては退学に追い込まれたりするものが現れたり、過去の事件のように死亡にまで至る事件が起きています。
断言してもいいですが、現在の日本の部活動は青少年の健全な教育に寄与しているとは言い難く、むしろ逆にいじめの温床となっている例の方が圧倒的に多いです。私自身中学校一年で運動部に入ったらすぐに同級生からいじめを受けたので馬鹿馬鹿しく思ってすぐに部活をやめた経験がありますが、そうしたいじめが実際に起こっているにもかかわらず、上級生が下級生へ理不尽な仕打ちが起きているにもかかわらず私の目からすると教育者、ならびに責任者は「上下関係や大事な礼儀を教える」という言葉の元にそうした行為をわざと正当化して対策を取らないばかりか、むしろ助長させているように思えます。
よくいじめ問題の原因についてあれこれ議論があり、その対策についてもいろいろと話題には上るのですが、現在に至るまで私はこの運動部内のいじめと上級生から下級生へのしごきが話題が上ったことなどついぞ一回として見たことがありません。何もこれが諸悪の根源だと言うわけじゃないですが、現実に事件化するいじめもあれば外部にて刑事事件を起こす生徒を出したりしているのは事実なので、こうしたスポーツ教育について日本は再考をするのがどう考えても筋じゃないかと思います。
最後に運動部内でのこうしたいじめやしごきに対して、こうした行為から向上心が生まれて試合にも勝てるようになると言う人もいますが、もしたとえそうだとしても、こうしたことをしていてまともな人間が育つはずなんてないと私は思いますし、そうまでして試合に勝つ価値はどう言い繕ったってないでしょう。そして実際にこういうしごきやいじめが実際に能力の向上に寄与するかといったら、高校生の国際試合とかで日本チームの勝敗を見ていると、こちらもやっぱりないと思います。
2008年11月20日木曜日
シャッターカルテル容疑のニュースについて
本日朝日新聞の朝刊一面にて、公正取引委員会がシャッターメーカー大手三社に対して価格カルテルを結んだ疑いがあるとして各社へ立ち入り検査したという記事がありました。
私は以前にこのブログで書いた、「カルテル連続摘発の報道について」の記事の中で、連続して明るみとなった巨大国際カルテルに引き続きこうして日本国内でも十数年ぶりに鋼板会社でカルテルが事件化した背景などについて書きましたが、記事の中には書きませんでしたが、今後しばらくこうしたカルテル事件が続発するだろうと予想していたら案の定すぐにこれです。こんなことならもっとはっきりと言っておけばよかったと、少し後悔してます。
それはさておき、何気に前回の日本で起こった、立証、処分はまだされていませんが疑いをもたれている大手鋼板メーカーのカルテルの事件も、今回の事件に無関係ではないようです。というのも朝日新聞の記事で今回のシャッターカルテルについて、シャッターの主材料となる鋼板の価格を鋼板メーカーが一斉に値上げしたのを受けて、シャッターメーカーも足並み揃えて原価分の値上げをカルテルにて行った疑いがあると報道しています。その値上げされた分が本当に原価分だけなのかどうかはわかりませんが。
今回捜査が行われているシャッターメーカー三社は以前にも、77年と89年に二度もカルテルを行っており今回でなんと三度目の捜査ということですが、こうしたことが度々行われることについて朝日新聞はシャッター業界自体が業者数が少ない業界で談合がもたれやすい背景があったと述べていますが、確か2年前にマンホールメーカーの日之出水道器という業界をほぼ独占している会社が不正に全国の販売店に対して価格を統一するように働いていた(我ながら、しつこく覚えているもんだ)ということで事件化しましたが、今回もなんとなくそれに近いような感触を覚えます。
それ以上に見逃せないのが、今回の値上げが鋼板の値上げを受けてという朝日新聞の指摘です。前回の記事で私は鋼板メーカーがカルテルによる値上げを行った背景には原油高があり、それに便乗して値上げを行ったが、原油価格が下がった現在もその値上げした価格を維持しているという一種の価格のねじれが今回の摘発につながったのではと書きましたが、今日のケースでは原油が鋼板、鋼板がシャッターに変わっただけで構図はほぼ同じで、原材料の値上げに乗じたカルテルです。逆を言えば、原油高に端を発する値上げはほぼすべての産業で今年の前半から行われているので、まだまだこういったカルテルが行われている業界があるのではないかということになります。こうした過程を踏んで、最初に言ったようにまだまだこうしたカルテル事件は続くのではないかと私は考えたのです。
それにしても急に公正取引委員会もぐいぐい動くようになりましたね。補足をすると経済が上り調子の時にこうした事件を摘発すると全体の景気の足を引っ張る恐れがあるので、今のように景気が後退期に入ったから公に捜査するようになったのではないかと、またも深読みしすぎかもしれませんが考えてしまいます。
最後にこうした事件について、やはりというか前回の記事を書いた今日に至るまで、前回に取り上げたカルテル事件三つの続報はどのメディアもやりませんでした。あくまで私の見える範囲ですが、割と意識的に情報をチェックしていたので、それにも引っかからなかったことを考えるとどのメディアもやはりというか敢えて追加取材をやらなかったのだと思います。
こうしたカルテル事件や大企業の事件の場合、ある一定の範囲を超える社会的に大きな不正、例を挙げると全国規模の食中毒事件や利用者が死亡するなどの事件が起こらない限り、企業をスポンサーと仰いで広告料を受け取る側のメディアは機嫌を損ねるのを恐れて、ある程度の事件なら黙殺する傾向があります。それが先ほどの一定の範囲を超えると、今度はその企業に対してメディア総出で総叩きをするので、事件報道的に見るならギャップが大きすぎて一般人は何が問題なのかがわかりづらくなるデメリットがあります。
雑誌の「週間金曜日」は、自分たちは広告料だけでやっているから真に公正な報道を行っていると主張していますが、これはこれで購読者の中の主な購読層を逃さないために、逆に購読者の機嫌におもねるような報道ばかりになることもあるので、絶対的に正しいということでもないと私は思います。
じゃあどんなメディアが公正なのかというと、これは言ってしまえば簡単です。購読料に頼るメディア、広告費に頼るメディア、購読料と広告費の両方に頼るメディアと、経営主体が別々のメディアが乱立することです。こうすることにより、社会的には全角度から情報を吸収できます。ある意味でこうした私のブログなんかも一切儲けとは関係なく私個人の意見が展開され、それに加え他の方からコメントがあれば複数人の意見を一つのページにパッケージもできるので、社会的にも価値が全くないわけじゃないと思います。他のメディアがあまり取り上げないこうしたカルテル事件をしつこく書くくらいだし。
私は以前にこのブログで書いた、「カルテル連続摘発の報道について」の記事の中で、連続して明るみとなった巨大国際カルテルに引き続きこうして日本国内でも十数年ぶりに鋼板会社でカルテルが事件化した背景などについて書きましたが、記事の中には書きませんでしたが、今後しばらくこうしたカルテル事件が続発するだろうと予想していたら案の定すぐにこれです。こんなことならもっとはっきりと言っておけばよかったと、少し後悔してます。
それはさておき、何気に前回の日本で起こった、立証、処分はまだされていませんが疑いをもたれている大手鋼板メーカーのカルテルの事件も、今回の事件に無関係ではないようです。というのも朝日新聞の記事で今回のシャッターカルテルについて、シャッターの主材料となる鋼板の価格を鋼板メーカーが一斉に値上げしたのを受けて、シャッターメーカーも足並み揃えて原価分の値上げをカルテルにて行った疑いがあると報道しています。その値上げされた分が本当に原価分だけなのかどうかはわかりませんが。
今回捜査が行われているシャッターメーカー三社は以前にも、77年と89年に二度もカルテルを行っており今回でなんと三度目の捜査ということですが、こうしたことが度々行われることについて朝日新聞はシャッター業界自体が業者数が少ない業界で談合がもたれやすい背景があったと述べていますが、確か2年前にマンホールメーカーの日之出水道器という業界をほぼ独占している会社が不正に全国の販売店に対して価格を統一するように働いていた(我ながら、しつこく覚えているもんだ)ということで事件化しましたが、今回もなんとなくそれに近いような感触を覚えます。
それ以上に見逃せないのが、今回の値上げが鋼板の値上げを受けてという朝日新聞の指摘です。前回の記事で私は鋼板メーカーがカルテルによる値上げを行った背景には原油高があり、それに便乗して値上げを行ったが、原油価格が下がった現在もその値上げした価格を維持しているという一種の価格のねじれが今回の摘発につながったのではと書きましたが、今日のケースでは原油が鋼板、鋼板がシャッターに変わっただけで構図はほぼ同じで、原材料の値上げに乗じたカルテルです。逆を言えば、原油高に端を発する値上げはほぼすべての産業で今年の前半から行われているので、まだまだこういったカルテルが行われている業界があるのではないかということになります。こうした過程を踏んで、最初に言ったようにまだまだこうしたカルテル事件は続くのではないかと私は考えたのです。
それにしても急に公正取引委員会もぐいぐい動くようになりましたね。補足をすると経済が上り調子の時にこうした事件を摘発すると全体の景気の足を引っ張る恐れがあるので、今のように景気が後退期に入ったから公に捜査するようになったのではないかと、またも深読みしすぎかもしれませんが考えてしまいます。
最後にこうした事件について、やはりというか前回の記事を書いた今日に至るまで、前回に取り上げたカルテル事件三つの続報はどのメディアもやりませんでした。あくまで私の見える範囲ですが、割と意識的に情報をチェックしていたので、それにも引っかからなかったことを考えるとどのメディアもやはりというか敢えて追加取材をやらなかったのだと思います。
こうしたカルテル事件や大企業の事件の場合、ある一定の範囲を超える社会的に大きな不正、例を挙げると全国規模の食中毒事件や利用者が死亡するなどの事件が起こらない限り、企業をスポンサーと仰いで広告料を受け取る側のメディアは機嫌を損ねるのを恐れて、ある程度の事件なら黙殺する傾向があります。それが先ほどの一定の範囲を超えると、今度はその企業に対してメディア総出で総叩きをするので、事件報道的に見るならギャップが大きすぎて一般人は何が問題なのかがわかりづらくなるデメリットがあります。
雑誌の「週間金曜日」は、自分たちは広告料だけでやっているから真に公正な報道を行っていると主張していますが、これはこれで購読者の中の主な購読層を逃さないために、逆に購読者の機嫌におもねるような報道ばかりになることもあるので、絶対的に正しいということでもないと私は思います。
じゃあどんなメディアが公正なのかというと、これは言ってしまえば簡単です。購読料に頼るメディア、広告費に頼るメディア、購読料と広告費の両方に頼るメディアと、経営主体が別々のメディアが乱立することです。こうすることにより、社会的には全角度から情報を吸収できます。ある意味でこうした私のブログなんかも一切儲けとは関係なく私個人の意見が展開され、それに加え他の方からコメントがあれば複数人の意見を一つのページにパッケージもできるので、社会的にも価値が全くないわけじゃないと思います。他のメディアがあまり取り上げないこうしたカルテル事件をしつこく書くくらいだし。
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