2008年11月23日日曜日

失われた十年とは~その十一、就職氷河期~

 三年ほど前の2005年度採用から日本企業では新卒採用が大幅に増えてきましたたが、来年度はリーマンショックの影響もあって大幅に採用が絞られるということが早くも今から言われており(冷静に考えると、こんな時期に再来年度採用の話が出るあたりかなりおかしいんだけど)、かつての就職氷河期の再来かとまで言われています。

 さてその就職氷河期ですが、私が知る限りこの言葉が一番最初に使われたのは第一次オイルショック時に戦後初めてマイナス成長をした1972年頃に大卒採用が一気にへこんだのが初めてですが、先ほどの引用に使われたのは大体98年から2003年まで続いた際の就職氷河期です。既に過去の連載でも書いた、山一證券が破綻するなど日本経済の大きな転換点となった97年を境に日本は本格的な大不況に見舞われ、企業内でも社員にリストラの嵐が吹き、新卒の社員採用もこの時期に勃興したIT産業を除いてどこも大幅に制限されるようになりました。

 当時において、某薬品小売の全国チェーン店本社は私が当時住んでいた場所の近くにあったのですが、確か2000年位のある日にその本社前にものすごい数の行列が出来ていたことがあります。それというのも当時が就職氷河期であり、当時の卒業を控えた多くの学生はそれこそいけるとこならどこへでも採用試験を受けており、その会社でも採用を受けに来た学生たちが多く集まって長蛇の列を作っていたそうです。

 このように、当時の高卒、大卒の就職環境は共に歴史的にも異様なほど厳しいものでした。ちょっとネットでこの時期の就職内定率の細かいデータを調べてみたのですが、なんというかどれも信用の置けない非常にお粗末なデータばかりなのでちょっと引用を見送りました。別にこれに限るわけじゃないですが、日本の失業率調査など測定方法の時点から、”失業率=失業者数/就業希望者”で割り出しており、本当は就職したいものの現状で活動できないものやハローワークに通わずに就職活動しているが職に就けない人は分母から外されるので、実態から遠くかけ離れたものばかりです。
 ちょっと話が長くなるけど大卒の就職内定率も同様で、こっちでは就職できなかったので学内にとどまるために留年したり大学院へ進学する人間が分母から外れるので、こちらもかなり問題のあるデータが国で作られています。更に言えばさっき調べてすごく驚いたのですが、この就職内定率のデータで総務省統計局と厚生労働省の同じ年の内定率になんと二割も差があり、確かある年のデータだと総務省では70%台だったのが厚生労働省では90%台で、いくらなんでも厚生労働省のデータはありえないと呆れました。ってか、同じ国の機関なんだから調査、統計を共通化させて、費用を浮かせろよなぁ。

 話は戻りますがこのように失われた十年の後半では若者の新卒雇用の道は非常に制限されていました。私の実感でも他の公表しているデータでも、私が最初に最悪だった年として挙げた2002年が最も悪く、その後は徐々に回復傾向となって近年では逆に「売り手市場」とまで言われるほど大量の採用が行われるように至りましたが、それでもこの時代に採用が大幅に制限されたことの負担は非常に大きいものとされています。
 折も折でいわゆる団塊ジュニア世代が社会に出る時期に当たってしまったのがまさにこの就職氷河期で、ただでさえ母数が前後の世代より頭一つ多いのにほとんど就職することが出来ず、大量の若者が路頭に迷うこととなりました。そのためこの世代のことを先ほどの「団塊ジュニア世代」というよりは最近では「ロストジェネレーション」という言葉が使われており、現在もこの世代がその前後の世代と比べて失業率が高く、不安定な社会的立場にいるために将来大きな問題となる事が懸念されています。

 そして新卒採用を行う側の企業にとってしても、当時はいつどんなことで自分の会社が潰れるかわからない非常に不安定な状態で新卒採用も非常に制限をしたのですが、当時の就職状況を知る何人かから話を聞いたことがありますが、当時の採用試験や面接というのは採用作業というより、就職志望者の人数を削るような作業だったらしいです。面接ではいわゆる圧迫面接で当たり前で、友人の姉さんなんて一緒に企業面接を受けた早稲田大学の学生が泣きながら面接室から出てきたとまで言っています。さらに当時にテレビ番組でも字が汚いとか、ネクタイが長すぎるとか、本当に些細なことでどんどんと人数が削られるという話が紹介されていましたし、外から見ていてもなんとなくそんな感じがします。

 こうして若者の採用が厳選され、失業率も高まってきたことを受け、当時には現代でも使われるこのような立場の若者を言い表す言葉が数多く生まれてきました。まず一番代表的なものとして、90年代後半より定職につかずに非定期雇用で生活する「フリーター」という言葉がリクルート社より作られました。当時を振り返って思うのですが、当時この言葉は若者にとっては肯定的な意味合いで(若者ら自身がそう思っていたかは言えないが)使われていたように思えます。「企業に縛られたくない」、「自由な生き方」、「夢を追うためのつなぎ」といった具合で、特に最後のは決まってミュージシャン志望者が言っており、私みたいに小説家を志望しているってのは皆無でしたね。それはともかくとして、こうして自由な生き方の手段として「フリーター」というものはメディアなどで取り上げられて、それに対して壮年層の大人たちからは「最近の若者はフラフラしおって!」といった具合で批判するという構図が毎回組まれていました。私の友人のお父さんなんて、フリーターと聞くだけでローズに向かって内角高目を投げつけんばかりに怒り出すほどの否定論者でした。

 敢えて当時の若者を弁護しながら分析すると、先ほどの「自由を追う」という主張は積極的な理由ではなく、むしろ後付けの理由だったと思います。就職したいと思ってもそれが叶わずに仕方なくフリーターで食いつないでいた人間が、敢えて自己弁護のようにして自由という言葉を言っていただけというのが大半だったと思います。しかし最近では皮肉なことに、若年層では実に7割近くが派遣などの非正規雇用で働いており、実感的にも働くのはフリーターで当たり前になってきて、この言葉も死語になりつつある気がします。

 このフリーターに続いて当時に作られた言葉もう一つの言葉として、こっちはすぐに消えましたが「パラサイト」です。これは仕事もせずに家にいるだけで親に生活の面倒を見続けてもらうという人たちで、この言葉は一年くらいですぐに死語化し、その代わりに同じ意味で今度は「引きこもり」という言葉が出来、これははっきりと断言できますが2004年に至って初めて「ニート」という言葉になり、現在に至ります。やはり「ニート」という短い言葉の方が時代の移り変わりに強いのかもしれません。

 ちょっと脈絡のない記事になってしまいましたがこの就職氷河期について総括すると、本心からもこの「ロストジェネレーション」に当たる世代の方には私は非常に同情します。しかし採用を絞った企業の側としてもちょうどこの世代に当たる20代後半から30代前半の社員が非常に不足しており、ノウハウや技術の継承面で大きな問題が起きているのも事実で、実際に中途採用もこの世代を中心に行われていると聞きます。
 逆を言えば、今後この世代の穴埋めを日本社会全体で対処しなければ、今後長きに渡って大きな問題となっていくことが予想されます。具体的にどうすればいいかということを今後議論していく必要があるでしょう。

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