最近すっかり経済関係の記事を書かなくなって久しいので、今日は久々にこの方面の話を一つ書いておこうと思います。といっても内容は他の記事の紹介で、引用するのは今月の文芸春秋に寄稿されている浜矩子氏の「平成グローバル恐慌の謎を解く」です。それにしても文芸春秋ではこの浜氏に限らず、荻原博子氏など女流経済評論家の経済記事ばかり目に付きます。どちらもいつもすごく面白いのですが。
浜氏は昨年度のリーマンショックより続く今回の世界的大不況について、まずこの不況を乗り越えて安定した経済に立て直すためには現状をしっかりと分析をして、問題の発端となった原因を洗い出してその対策を行わなければならないとこの記事で強く訴えています。それを踏まえて浜氏は今年始めに配られた定額給付金などはまずお金をばら撒くという結論ありきで進められた政策であって、それが一体どのように景気対策になるのかという根拠などなく、それがゆえに麻生政権はこの政策の意義を説明できなかったのだとチクリと批判しています。
では今回の不況の根本的原因は何かというと、それは周囲も述べているように浜氏も過剰なグローバル化が原因だと断言しています。クリック一つで大金が国境を越える投資に使われ、トイレットペーパーから衣服までそうした物資がまだ普及しきっていない中国で作られたものが世界中で消費されるなど、二十年前と現在とを比べると世界の距離というのは明らかに縮まりました。こうしたグローバル化は様々な安価な商品が消費者に届くようになった一方、製造業を初めとして企業は世界中の企業と競争相手となり、ほぼすべての国と産業においてその構造が大きく歪められる事となりました。
そうして出来た歪みの中でも最も目に見える形になって現れたのが労働体系で、安価な中国の労働力の影響を受けた日本でも正社員の給料の削減から派遣労働の実施などが広がり、特に派遣労働ではそれまで聖域とされていた肉体労働現場においても派遣労働者が使われるようになりました。この派遣については私もかつて皮肉りましたが、昔は最低の労働環境と揶揄されていた自動車工業での期間従業員ですらも派遣労働者などよりずっと高待遇であると言われる始末でした。
と、ここまでだったらそんじょそこらの自称経済評論家などがよく言っている内容なのですが、浜氏の面白いところはこの日本のグローバル化はどのようにして始まったのかを分析している点です。一見すると投資ファンドなどの金融企業を放任して外国企業の買収を次々と繰り返していき、今回のリーマンショックの発信源となったアメリカがグローバル化を世界に推し進めたと思いがちで、事実私もそのように考えていたのですが、浜氏は事実は逆でむしろ日本自らがグローバル化を推し進めていったと評しております。いわば今回の大不況を引き起こした原因となるグローバル化は、外からでなく内からやってきたというわけです。
浜氏によるとかつての村上ファンドの村上正彰氏やライブドアを率いた堀江貴文氏などむしろ日本人の中から「ハゲタカファンド」と呼ばれるような投資家が次々と現れ、彼らに呼応するかのように他の日本企業も「株主重視」を叫びあうなど、むしろ日本企業は率先してグローバル化を推し進めていたと述べています。
この浜氏の見方に私も同感で、私も「失われた十年」の連載にて書いていますが、90年代後半の日本企業はどこもこのままでは世界に負けてしまうなどと自ら不安を煽っては、成果主義や株主重視主義、そしてなによりも国内で売り上げを伸ばす事よりも海外での売り上げ向上ばかりを目指すようになっていた気がします。
浜氏もその点について指摘しており、その代表例としてトヨタ自動車を挙げていました。リーマンショック前は純利益で二兆円以上もの空前の業績を叩き出していたトヨタでしたが、リーマンショック後はまさに天国から地獄とも言うべき四千六百十億円もの赤字に転落し、どうやればここまで業績をひっくり返せるのかと思うくらいの凄まじい落ち込み振りを見せました。このトヨタの失墜原因は分かっている人には自明ですが、かつての空前の利益の大半は日本国外での販売、いわばグローバル化によってもたらされた益であり、日本国内での販売に限ればかねてより赤字であったと言われています。
つまり日本を代表する企業のトヨタがあれだけの利益を叩き出していたのは、自らが率先して海外進出を図ってグローバル化を推し進めていたからだと暗に浜氏は述べているのだと思います。しかしそうして推し進めたグローバル化はリーマンショックによって文字通り反転し、今度は逆にトヨタを苦しめる原因となっているというのはなかなかに考えさせられる話です。
浜氏は結論部はややぼかして、
「私はリーマン・ショック以後の世界は、「国破れて山河あり」の時代だと考えている」
とまとめております。
ちょっとこの意味は私にもはかりかねるので敢えて余計な当て推量はせずにおきますが、私自身はかねてよりアンチグローバリストを自称しており、今後は如何に「国境」というもの定義するかが重要だと考えております。少なくとも、国家以上に企業が国境を跨ぐというのは今の時代には早いと思います。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年10月22日木曜日
2009年10月21日水曜日
北京留学記~その十八、クォシャオレイ
また本店のトップページにアンケートツールを置きました。前からこんな長ったらしいブログを読む年齢層が気になっており、もしよろしければ自分がどの年齢層にいるのかをお答えいただければ幸いです。私の予想では、案外40代が多いんじゃないかと勝手に想像しています。まぁその層が答えるかどうかまでは微妙ですが。
話は本題に入りますが今日もまた留学記の人物紹介で、前回の「クゥオスダー」の回でも出てきたクォシャオレイについてです。ちなみにこの名前は、中国語での発音です。
クォシャオレイは年齢は二十台半ばくらいの眼鏡の似合うドイツ人男性でした。授業の出席率も高く、全く寡黙というわけではありませんでしたが如何にもドイツ人らしく落ち着いており、遠めに見ていてクラスメートの中で私が一番一目置いていた人物でした。
そんな彼のエピソードの中で一番強烈だったのは、前回登場したウクライナのいたずらっ子ことクゥオスダーとの絡みです。この二人はどういうわけか仲がよく、というよりもクォシャオレイにクゥオスダーが一方的に絡み続けただけだったのかもしれませんがよく一緒に行動しており、授業中でもしょっちゅうクゥオスダーの作文にクォシャオレイが登場してたりしました。
その事件が起きたのは、12月の寒い日でした。その日はクラスメートのアンナというロシア人女性の誕生日で、北京語言大学の隣にある中国地質大学内のレストランの一室を借りてみんなで誕生日会をやっていました。ちなみにこのときにアンナの友人の中国人も一緒でしたが、この中国人は私に会うなり物凄い勢いで話しかけてきたのでもう少しゆっくり話してと言ったところ、
「君は中国人じゃないのかい?」
と言われました。別にこんなこと言われるのはこの人に限るわけじゃないけど。
誕生会自体は他のクラスメートも多く参加して終始和やかに執り行われていましたが、宴もたけなわとなる終盤になんと一挙に三つもでっかいバースデーケーキが運ばれてきて、これみんなで食べられるかなぁなどと言い合っていると、
「ヘイ、クォシャオレイ!( ゚∀゚)ノ」
「ウェ、ウェイッ、ウェーイット!Σ(゚Д゚;)」
この日の誕生日会に同じく参加したクォスダーがなにやら突然立ち上がると、運ばれてきたケーキ一切れを掴むや不敵な笑みを浮かべていきなりクォシャオレイの顔面目掛けて投げつけてきました。しかも全然手加減なんてしないもんだから、投げつけられたケーキはクォシャオレイの顔面に当たるや見事に四散して周囲の人まで巻き添えを食いました。
これに対して普段は静かなる男クォシャオレイもさすがに怒り、負けじとケーキを掴むや投げるなんてことはせずに直接クォスダーの顔に擦り付けてきました。しかも二度も三度も。
こんな事があったせいで借りた一室の壁は見事にケーキまみれになってしまい、みんなで頑張ってふき取った上でお開きにしました。とはいえ誰も誕生日会が台無しになったとは言わず、えらいハプニングがあって面白かったと言い合いながらその日は家路に着きました。私もこの時、初めてケーキが空飛ぶのを見たわけだし。
こんな感じで年がら年中クゥオスダーに絡まれ続けたクォシャオレイでしたが、ある日学内のカフェでばったり会い、せっかくだからとテラスで二人でコーヒーを飲みながら雑談した事がありました。当時はWカップの開催直前という事でお互いにサッカーの話題を行っていましたが、前から気になっていたドイツの事情について尋ねてみました。
「前から気になっていたんだけど、クォシャオレイの出身地は元西ドイツ? それとも東ドイツ?」
こう聞いたのも、授業中の彼のある発言からでした。
ある日の授業で先生が我々外国人留学生から中国人を見るとどう思うかと尋ねると、真っ先にみんなで「行列に並ばない」と答えました。すると先生はじゃあ何で中国人は行列に並ばないのだろうかと再び聞いたところクォシャオレイが真っ先に、
「並んでも、欲しいものが得られないという事がわかっているからだ」
と答えたことがありました。先生もその通りといって、文化大革命期のそのような文化が未だに残っているのが原因だろうとまとめてくれました。
私はこのクォシャオレイの発現を聞いたとき、ひょっとしたら彼は元東ドイツ領内で生まれたのではないかと思いました。東ドイツもかつての共産圏の一角でその崩壊するずっと以前から食糧などの物資不足がよく起こっていたと聞いていたので、だからこそあのときに真っ先に正解を言い出すことが出来たのではと考えたからです。
ただ残念ながら彼の出身地は元々西ドイツ領内で、現在も旧東ドイツ領内の都市との経済格差などが大きいなどと教えてくれました。
また彼の出身地のほかにも、ドイツの徴兵制についても確認を取ってみました。この留学に来る以前から私はドイツにも徴兵制があると聞いており、ただドイツの場合は二次大戦でのナチスの反省から、外国で一定期間ボランティア活動に従事すれば徴兵が免除されると聞いていたので、この事実は本当なのかと尋ねてみました。
この私の問いにクォシャオレイはそうだと頷き、自分はそのような海外ボランティアの方が面倒に思ったので素直に徴兵に行ったと答えてくれました。さすがに、期間までは確認しませんでしたが。
このように常に紳士的な態度でいろいろ教えてくれ、また授業中にもキラリと光る発言をよくしていたことから最初に述べたように私は彼に一目置くようになったわけです。
話は本題に入りますが今日もまた留学記の人物紹介で、前回の「クゥオスダー」の回でも出てきたクォシャオレイについてです。ちなみにこの名前は、中国語での発音です。
クォシャオレイは年齢は二十台半ばくらいの眼鏡の似合うドイツ人男性でした。授業の出席率も高く、全く寡黙というわけではありませんでしたが如何にもドイツ人らしく落ち着いており、遠めに見ていてクラスメートの中で私が一番一目置いていた人物でした。
そんな彼のエピソードの中で一番強烈だったのは、前回登場したウクライナのいたずらっ子ことクゥオスダーとの絡みです。この二人はどういうわけか仲がよく、というよりもクォシャオレイにクゥオスダーが一方的に絡み続けただけだったのかもしれませんがよく一緒に行動しており、授業中でもしょっちゅうクゥオスダーの作文にクォシャオレイが登場してたりしました。
その事件が起きたのは、12月の寒い日でした。その日はクラスメートのアンナというロシア人女性の誕生日で、北京語言大学の隣にある中国地質大学内のレストランの一室を借りてみんなで誕生日会をやっていました。ちなみにこのときにアンナの友人の中国人も一緒でしたが、この中国人は私に会うなり物凄い勢いで話しかけてきたのでもう少しゆっくり話してと言ったところ、
「君は中国人じゃないのかい?」
と言われました。別にこんなこと言われるのはこの人に限るわけじゃないけど。
誕生会自体は他のクラスメートも多く参加して終始和やかに執り行われていましたが、宴もたけなわとなる終盤になんと一挙に三つもでっかいバースデーケーキが運ばれてきて、これみんなで食べられるかなぁなどと言い合っていると、
「ヘイ、クォシャオレイ!( ゚∀゚)ノ」
「ウェ、ウェイッ、ウェーイット!Σ(゚Д゚;)」
この日の誕生日会に同じく参加したクォスダーがなにやら突然立ち上がると、運ばれてきたケーキ一切れを掴むや不敵な笑みを浮かべていきなりクォシャオレイの顔面目掛けて投げつけてきました。しかも全然手加減なんてしないもんだから、投げつけられたケーキはクォシャオレイの顔面に当たるや見事に四散して周囲の人まで巻き添えを食いました。
これに対して普段は静かなる男クォシャオレイもさすがに怒り、負けじとケーキを掴むや投げるなんてことはせずに直接クォスダーの顔に擦り付けてきました。しかも二度も三度も。
こんな事があったせいで借りた一室の壁は見事にケーキまみれになってしまい、みんなで頑張ってふき取った上でお開きにしました。とはいえ誰も誕生日会が台無しになったとは言わず、えらいハプニングがあって面白かったと言い合いながらその日は家路に着きました。私もこの時、初めてケーキが空飛ぶのを見たわけだし。
こんな感じで年がら年中クゥオスダーに絡まれ続けたクォシャオレイでしたが、ある日学内のカフェでばったり会い、せっかくだからとテラスで二人でコーヒーを飲みながら雑談した事がありました。当時はWカップの開催直前という事でお互いにサッカーの話題を行っていましたが、前から気になっていたドイツの事情について尋ねてみました。
「前から気になっていたんだけど、クォシャオレイの出身地は元西ドイツ? それとも東ドイツ?」
こう聞いたのも、授業中の彼のある発言からでした。
ある日の授業で先生が我々外国人留学生から中国人を見るとどう思うかと尋ねると、真っ先にみんなで「行列に並ばない」と答えました。すると先生はじゃあ何で中国人は行列に並ばないのだろうかと再び聞いたところクォシャオレイが真っ先に、
「並んでも、欲しいものが得られないという事がわかっているからだ」
と答えたことがありました。先生もその通りといって、文化大革命期のそのような文化が未だに残っているのが原因だろうとまとめてくれました。
私はこのクォシャオレイの発現を聞いたとき、ひょっとしたら彼は元東ドイツ領内で生まれたのではないかと思いました。東ドイツもかつての共産圏の一角でその崩壊するずっと以前から食糧などの物資不足がよく起こっていたと聞いていたので、だからこそあのときに真っ先に正解を言い出すことが出来たのではと考えたからです。
ただ残念ながら彼の出身地は元々西ドイツ領内で、現在も旧東ドイツ領内の都市との経済格差などが大きいなどと教えてくれました。
また彼の出身地のほかにも、ドイツの徴兵制についても確認を取ってみました。この留学に来る以前から私はドイツにも徴兵制があると聞いており、ただドイツの場合は二次大戦でのナチスの反省から、外国で一定期間ボランティア活動に従事すれば徴兵が免除されると聞いていたので、この事実は本当なのかと尋ねてみました。
この私の問いにクォシャオレイはそうだと頷き、自分はそのような海外ボランティアの方が面倒に思ったので素直に徴兵に行ったと答えてくれました。さすがに、期間までは確認しませんでしたが。
このように常に紳士的な態度でいろいろ教えてくれ、また授業中にもキラリと光る発言をよくしていたことから最初に述べたように私は彼に一目置くようになったわけです。
2009年10月20日火曜日
西川日本郵政社長の辞任について
・日本郵政社長が辞意を表明「もはや職に留まることはできない」(YAHOOニュース)
民主党に政権交代した事からかねてより去就が注目されていた西川善文日本郵政社長が、本日辞意を表明しました。
この西川氏の経歴を簡単に説明すると、「日本最後の大物バンカー」とも言われるほどの叩き上げの銀行家で、出身銀行の住友銀行(現三井住友銀行)にて頭取を務め、その後の三井銀行との合併の際には豪腕で持って社内の合併、組織改革に辣腕を振るったと言われております。そんな西川氏が何故民営化後の日本郵政社の社長になったかというと、郵政の民営化を推し進めた小泉元首相と竹中平蔵氏が西川氏に強く要請したからで、何故この二人が西川氏を推したのかと言えば単純に自分たちの思惑に都合がよかったというのもありますが、それ以上に他にあまりなり手がいなかったというのも原因とされております。
私の記憶する竹中氏の発言を紐解くと、郵政は民営化後も各郵便局の存続を保ちながら様々な面で民間と競争する厳しい立場に置かれるとし、そんな難しい環境で能力もあって経営を引き受けてくれるのは西川氏だけだったそうです。この竹中氏の見方に私も共通しており、インターネットでのメールが発達した現在において郵便というのは今後縮小する一方で、言うなれば郵政自体が大きな不良債権化するのは目に見えています。しかしそのまま潰れてしまっては現在郵政で働いている従業員、そして必要とされる地方へのネットワークは一挙に喪失してしまう恐れがあります。ではどうすれば郵政は存続できるのかといえば、現在においてもダントツのシェア率を誇る「貯金」を筆頭とした簡易保険などの金融部門での収益を強化するより他がなく、そういう意味で元銀行家の西川氏に白羽の矢が立ったというのもあながち間違いではなかった気がします。
しかしあまり郵政の現在の内部事情を見ていないでなんですが、伝え聞くところによると年末の年賀状の販売において各窓口ごとにノルマとなる枚数を作ったり、散々鳩山邦夫氏と大喧嘩になった「かんぽの宿」売却問題など、就任後の西川氏の経営方法に疑問を感じる点も少なくありません。私自身は先ほどの理由に財政投融資の問題性から郵政民営化には賛成でしたが、あのかんぽの宿のオリックスへの一括売却問題はもっと精査するべきであったと思います。
そして前回の選挙にてかねてより郵政民営化に批判的だった民主党が与党となった上に絶対反対を貫いていた国民新党と連立した事により、西川氏は遅かれ早かれ社長職を辞めさせられるだろうということは目に見えており、今回のマスコミの報道もさも規定路線だったかのようにそれほど驚きなく報じられているように感じます
私としては民営化は維持するべきであっても西川氏がこのまま続けるのにはちょっと抵抗があり、辞めてくれるのならばそれはそれでいいと考えております。以前に参加した佐野眞一氏の講演会において佐野氏も、西川氏というのは銀行家として表には現われない裏の仕事を取り仕切ってきた男で、それゆえに鳩山邦夫氏のような根っから正義感の強い純粋な人間とは合わなかったのだろうと評しており、言われてみると私も西川氏にそのような雰囲気を感じてしまいます。
ただこれはあくまで私の印象ですが、今日の辞任会見での西川氏の表情を見ているとあまり現職に執着するような表情が見えませんでした。元々小泉元首相が無理を言って就任したのだから本人も本音ではあまりこの仕事をやりたくなかったとも解釈できますが、私にはどうも西川氏が、自分を切ったとしてもかわりの人材はどうせいないだろう、というような余裕があるように見えました。
現実問題として民営化見直しを主張している民主党が次に一体誰を郵政会社社長に据えるのか、現在のところ全く思い浮かびません。これという候補も自分が知る限りいません。強いてあげるとしたら亀井静香氏がやりたがっているように見えますが、さすがにそれは民主党も許さないでしょう。
西川氏のかわりに誰を立てれば郵政は維持できるのか、また民主党がどのような見直し案を持っているのか、はっきり言って私にはまだ何も見えてきません。この郵政民営化は9.11選挙において国民がはっきりと選挙行動にて出して支持しただけに、舵取り次第によっては大きな問題になってくる可能性もあり、場合によっては自民党の復権につながってくる可能性もあるかもしれません。
皮肉な話ですが、今一番この関係の評論を私が聞いてみたいのは民営化の立役者である竹中平蔵氏です。
民主党に政権交代した事からかねてより去就が注目されていた西川善文日本郵政社長が、本日辞意を表明しました。
この西川氏の経歴を簡単に説明すると、「日本最後の大物バンカー」とも言われるほどの叩き上げの銀行家で、出身銀行の住友銀行(現三井住友銀行)にて頭取を務め、その後の三井銀行との合併の際には豪腕で持って社内の合併、組織改革に辣腕を振るったと言われております。そんな西川氏が何故民営化後の日本郵政社の社長になったかというと、郵政の民営化を推し進めた小泉元首相と竹中平蔵氏が西川氏に強く要請したからで、何故この二人が西川氏を推したのかと言えば単純に自分たちの思惑に都合がよかったというのもありますが、それ以上に他にあまりなり手がいなかったというのも原因とされております。
私の記憶する竹中氏の発言を紐解くと、郵政は民営化後も各郵便局の存続を保ちながら様々な面で民間と競争する厳しい立場に置かれるとし、そんな難しい環境で能力もあって経営を引き受けてくれるのは西川氏だけだったそうです。この竹中氏の見方に私も共通しており、インターネットでのメールが発達した現在において郵便というのは今後縮小する一方で、言うなれば郵政自体が大きな不良債権化するのは目に見えています。しかしそのまま潰れてしまっては現在郵政で働いている従業員、そして必要とされる地方へのネットワークは一挙に喪失してしまう恐れがあります。ではどうすれば郵政は存続できるのかといえば、現在においてもダントツのシェア率を誇る「貯金」を筆頭とした簡易保険などの金融部門での収益を強化するより他がなく、そういう意味で元銀行家の西川氏に白羽の矢が立ったというのもあながち間違いではなかった気がします。
しかしあまり郵政の現在の内部事情を見ていないでなんですが、伝え聞くところによると年末の年賀状の販売において各窓口ごとにノルマとなる枚数を作ったり、散々鳩山邦夫氏と大喧嘩になった「かんぽの宿」売却問題など、就任後の西川氏の経営方法に疑問を感じる点も少なくありません。私自身は先ほどの理由に財政投融資の問題性から郵政民営化には賛成でしたが、あのかんぽの宿のオリックスへの一括売却問題はもっと精査するべきであったと思います。
そして前回の選挙にてかねてより郵政民営化に批判的だった民主党が与党となった上に絶対反対を貫いていた国民新党と連立した事により、西川氏は遅かれ早かれ社長職を辞めさせられるだろうということは目に見えており、今回のマスコミの報道もさも規定路線だったかのようにそれほど驚きなく報じられているように感じます
私としては民営化は維持するべきであっても西川氏がこのまま続けるのにはちょっと抵抗があり、辞めてくれるのならばそれはそれでいいと考えております。以前に参加した佐野眞一氏の講演会において佐野氏も、西川氏というのは銀行家として表には現われない裏の仕事を取り仕切ってきた男で、それゆえに鳩山邦夫氏のような根っから正義感の強い純粋な人間とは合わなかったのだろうと評しており、言われてみると私も西川氏にそのような雰囲気を感じてしまいます。
ただこれはあくまで私の印象ですが、今日の辞任会見での西川氏の表情を見ているとあまり現職に執着するような表情が見えませんでした。元々小泉元首相が無理を言って就任したのだから本人も本音ではあまりこの仕事をやりたくなかったとも解釈できますが、私にはどうも西川氏が、自分を切ったとしてもかわりの人材はどうせいないだろう、というような余裕があるように見えました。
現実問題として民営化見直しを主張している民主党が次に一体誰を郵政会社社長に据えるのか、現在のところ全く思い浮かびません。これという候補も自分が知る限りいません。強いてあげるとしたら亀井静香氏がやりたがっているように見えますが、さすがにそれは民主党も許さないでしょう。
西川氏のかわりに誰を立てれば郵政は維持できるのか、また民主党がどのような見直し案を持っているのか、はっきり言って私にはまだ何も見えてきません。この郵政民営化は9.11選挙において国民がはっきりと選挙行動にて出して支持しただけに、舵取り次第によっては大きな問題になってくる可能性もあり、場合によっては自民党の復権につながってくる可能性もあるかもしれません。
皮肉な話ですが、今一番この関係の評論を私が聞いてみたいのは民営化の立役者である竹中平蔵氏です。
2009年10月19日月曜日
北京留学記~その十七、クゥオスダー
留学中の私のクラスで一番はっちゃけていた人間の出身国はどこかとなる、恐らくアメリカやブラジルといった国の人を連想するかもしれませんが、私のクラスではなんとあるウクライナ人が毎日際立つ行動をしてはクラスの間で毎日騒動を起こしていました。そんなウクライナのいたずら猿こと「クゥオスダー」について、今日は紹介しようと思います。
まず彼の特徴として美男美女の産地として有名な東欧出身らしく体格は小さかったものの非常に美形で、年齢は確か21歳くらいだったと思いますが好奇心旺盛な性格をしており、同じクラスの私に対して日本人である事から、
「PS3の発売日はいつになる?」
「日本酒のアルコール度数はいくらだ?」
などと言っては気さくに話しかけてきてくれました。
しかしそんな気さくなクゥオスダーですが、気さく過ぎるというか空気を読まないというか、毎回際立った発言や行動をとっていたのでクラスの中で付いたあだ名は「猴子(猿)」で、本人もそう呼ばれ始めてからは自ら猿の真似をするくらいノリノリな人物でした。
そんな彼が具体的にどういうことをしでかしていたのかいくつか例を挙げると、学期末でテストも終わり、特にすることもない空いた授業時間にみんなで中国語の映画を見ようか先生が提案し、それじゃあみんなで何を見ようかと言うやクゥオスダーは間髪入れずに、
「黄色電影(ポルノ映画)!( ゚Д゚)/」
と言い出し、そんなのを放映したら私がクビになると先生を困らせましたが、
「でもクォシャオレイ(同じクラスのドイツ人)は喜ぶよ(・∀・ )っ」
「馬鹿っ、こっちにまで話振るな!Σ (゚Д゚;)」
という具合で、隙があればいくらでもなんにでもふざけようとするする人間でした。ちなみにさっきに出たクォシャオレイは彼の相方みたいなもので、なんでもかんでも悪い事が起きたらクォシャオレイのせいにしようとしていました。
授業中ですらいつもこれなのですからプライベートでの彼の行動は更に常軌を逸しており、クラスで北京の激しく危険な交通事情について話していた際にクゥオスダーがバイク通学している事が話題になり、北京市では交通法に規制があってバイクは許可制なのですがちゃんと許可を取っているのかと先生が尋ねると案の定そんな許可は取っておらず、しかも、
「こいつはそもそも本国ウクライナでもバイク免許を持っていない(´д`)」
という、とんでもない事実までもクォシャオレイに暴露される始末でした。
こんな具合で主にクォシャオレイを筆頭に年がら年中クラスメートにちょっかいかけたりしていましたが、そのひょうきんな性格から誰からも恨まれる事はなく、私としても同じクラスメートとして一緒に勉強できて非常に楽しかったです。特に一番楽しかったのはこれまた同じクラスメートであるロシア人のアンナの誕生会での出来事でしたが、それはまた今度別の記事で紹介します。なんにしても、見てて飽きない奴でした。
ちなみに彼とのプライベートでの付き合いでは夜に一回ほど学内のBARに誘われ、そこで彼のつれてきたロシア人ともども酒盛りをしました。さすが酒豪大国出身なだけあったクゥオスダーもそのロシア人も店に着くなりビールをがばがば飲むと、持参してきたウォッカもどんどんと開けて飲んでいきました。
その際、酒に弱い私も多少の興味があってウォッカを飲ませてもらいましたが、思っていたほどきつい味ではなく、喉越しもそんなに悪くない酒でした。後で私の相方に当たるウクライナ人のドゥーフェイによると、ウォッカというのは元々二日酔いや頭痛といった悪酔いを起こさせる酒ではないそうで、事実私もその晩はきちんとまっすぐに歩きながら寮に帰っていきました。
ただアルコール度数はやはり高いだけあって、寮に戻った後にシャワーを浴びようと服を脱いだ瞬間、自分の体の異変に気が付きました。なんと体のあちこちに紫色の斑点が出来ていて、腕なんかそれこそ蛇みたいな見事なまだら色になってました。ただそうした変化はその日一日だけで、次の日には二日酔いもなくその斑点も消えて、特に変な事にはならずに済みました。
最後に彼の発言の中で私が印象深く聞こえたもののとして、「ロシアとウクライナは兄弟だ!」という発言があります。現ウクライナ大統領のユシチェンコ氏は反ロシア色の強い政治家ですが、歴史的にはウクライナとロシアは歩調をともにしていることが多く、このクゥオスダーの発言からすると必ずしもウクライナ人全員が反ロシアではないと確認出来ました。
まず彼の特徴として美男美女の産地として有名な東欧出身らしく体格は小さかったものの非常に美形で、年齢は確か21歳くらいだったと思いますが好奇心旺盛な性格をしており、同じクラスの私に対して日本人である事から、
「PS3の発売日はいつになる?」
「日本酒のアルコール度数はいくらだ?」
などと言っては気さくに話しかけてきてくれました。
しかしそんな気さくなクゥオスダーですが、気さく過ぎるというか空気を読まないというか、毎回際立った発言や行動をとっていたのでクラスの中で付いたあだ名は「猴子(猿)」で、本人もそう呼ばれ始めてからは自ら猿の真似をするくらいノリノリな人物でした。
そんな彼が具体的にどういうことをしでかしていたのかいくつか例を挙げると、学期末でテストも終わり、特にすることもない空いた授業時間にみんなで中国語の映画を見ようか先生が提案し、それじゃあみんなで何を見ようかと言うやクゥオスダーは間髪入れずに、
「黄色電影(ポルノ映画)!( ゚Д゚)/」
と言い出し、そんなのを放映したら私がクビになると先生を困らせましたが、
「でもクォシャオレイ(同じクラスのドイツ人)は喜ぶよ(・∀・ )っ」
「馬鹿っ、こっちにまで話振るな!Σ (゚Д゚;)」
という具合で、隙があればいくらでもなんにでもふざけようとするする人間でした。ちなみにさっきに出たクォシャオレイは彼の相方みたいなもので、なんでもかんでも悪い事が起きたらクォシャオレイのせいにしようとしていました。
授業中ですらいつもこれなのですからプライベートでの彼の行動は更に常軌を逸しており、クラスで北京の激しく危険な交通事情について話していた際にクゥオスダーがバイク通学している事が話題になり、北京市では交通法に規制があってバイクは許可制なのですがちゃんと許可を取っているのかと先生が尋ねると案の定そんな許可は取っておらず、しかも、
「こいつはそもそも本国ウクライナでもバイク免許を持っていない(´д`)」
という、とんでもない事実までもクォシャオレイに暴露される始末でした。
こんな具合で主にクォシャオレイを筆頭に年がら年中クラスメートにちょっかいかけたりしていましたが、そのひょうきんな性格から誰からも恨まれる事はなく、私としても同じクラスメートとして一緒に勉強できて非常に楽しかったです。特に一番楽しかったのはこれまた同じクラスメートであるロシア人のアンナの誕生会での出来事でしたが、それはまた今度別の記事で紹介します。なんにしても、見てて飽きない奴でした。
ちなみに彼とのプライベートでの付き合いでは夜に一回ほど学内のBARに誘われ、そこで彼のつれてきたロシア人ともども酒盛りをしました。さすが酒豪大国出身なだけあったクゥオスダーもそのロシア人も店に着くなりビールをがばがば飲むと、持参してきたウォッカもどんどんと開けて飲んでいきました。
その際、酒に弱い私も多少の興味があってウォッカを飲ませてもらいましたが、思っていたほどきつい味ではなく、喉越しもそんなに悪くない酒でした。後で私の相方に当たるウクライナ人のドゥーフェイによると、ウォッカというのは元々二日酔いや頭痛といった悪酔いを起こさせる酒ではないそうで、事実私もその晩はきちんとまっすぐに歩きながら寮に帰っていきました。
ただアルコール度数はやはり高いだけあって、寮に戻った後にシャワーを浴びようと服を脱いだ瞬間、自分の体の異変に気が付きました。なんと体のあちこちに紫色の斑点が出来ていて、腕なんかそれこそ蛇みたいな見事なまだら色になってました。ただそうした変化はその日一日だけで、次の日には二日酔いもなくその斑点も消えて、特に変な事にはならずに済みました。
最後に彼の発言の中で私が印象深く聞こえたもののとして、「ロシアとウクライナは兄弟だ!」という発言があります。現ウクライナ大統領のユシチェンコ氏は反ロシア色の強い政治家ですが、歴史的にはウクライナとロシアは歩調をともにしていることが多く、このクゥオスダーの発言からすると必ずしもウクライナ人全員が反ロシアではないと確認出来ました。
2009年10月18日日曜日
副島種臣とマリア・ルス号事件
・副島種臣
・マリア・ルス号事件(ウィキペディア)
思うところがあるので、副島種臣について書いてみようと思います。
副島種臣というのは詳しくはウィキペディアに書いてある通り幕末における佐賀藩の維新志士の一人で、同郷の大隈重信らとともに維新期を生き抜き明治政府成立後には外務卿、現在の外務大臣のような職で活躍した政治家です。その副島の外務卿時代に起きた事件というのが、卿のもう一つのトピックスであるマリア・ルス号事件です。
このマリア・ルス号事件というのはもしかしたら知っている方も多いかもしれません。というのも私が小学生の頃には道徳の教科書にも取り上げられていた事件で、日本史の教科書にはあまり載っておりませんが内容を聞けば思い出される方もいるでしょう。
この事件が起きたのは明治五年の六月、横浜港に停泊していたイギリス軍艦に清国人(今の中国人)が海を泳いで救助を求めてきた事から始まりました。その清国人は同じく横浜に停泊中のペルー船籍のマリア・ルス号から来たと話し、この船には彼らと同じ清国人231名が乗船しているが彼らは皆奴隷で運搬されていく途中であるとイギリス軍艦に助けを求めました。この突然の来訪に対してイギリス政府は現地の日本政府に連絡し、清国人の救助をするようにと要請しました。
この要請を受けたのはまさに時の外務卿である副島だったのですが、マリア・ルス号側は彼ら清国人は奴隷ではなく移民だと主張して、神奈川県庁にて保護されていた逃げてきた清国人を引き渡すように要求してきました。
この要求に対して恐らくはっきりと奴隷である事を証明する証拠がなかったという理由もあったでしょうが、当時の日本は江戸時代に結んだ不平等条約、この場合治外法権が列強諸国との間にまだ生きており、外国人に対し自国の法律で裁判を行う事が出来ずにいました。ただマリア・ルス号の船籍であるペルーとはこの時まだ二国間条約は結ばれていなかったので必ずしもこの治外法権の適用対象ではなかったのですが、それまで全く国際裁判というものを経験していないこともあって結局はこの引渡し要求に日本側も応じてしまいました。
しかしこの日本側の処置に対して当時のイギリス公使のワトソンは納得せず、本人が行ったかどうかまでは分かりませんがマリア・ルス号に事実関係を確かめに行きました。するとそこでは日本側から引き渡された逃げてきた清国人が壮絶なリンチを受けており、ワトソンはすぐに副島に対して船長を再度審問するべきだと勧告しました。
これを受けて当初は弱気だった副島も敢然と行動を行うようになり、直ちにマリア・ルス号の出航を停止させると清国人を解放するための法手続きに着手しました。もちろんこうした副島の動きにマリア・ルス号側黙っておらず、彼ら清国人はあくまで移民契約を受けた者たちだと主張するも、日本側はその移民契約は実質奴隷契約であり人道上放置する事は出来ないとして日本国内の裁判で互いに争いました。
その裁判の途中、マリア・ルス号側のイギリス人弁護士がこんな主張をしてきました。
「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」(ウィキペディアの記述を引用)
これは当時の日本で行われていた遊女契約、要は若い女性の身売りは人身売買であり、そのような現実を放置している日本が奴隷契約にあれこれ言うのはおかしいと主張してきたわけです。言われてみると確かにその通りなのですが、これに対して日本側はすぐに動き、実質的にはその後もあまり変わらなかったと思いますが「芸娼妓解放令」という建前ではこれを禁止する法律を出してマリア・ルス号側の主張の突き崩しにはかりました。
最終的には日本国内の裁判という事もあり、マリア・ルス号に乗船していた清国人は皆解放されて帰国を果たす事が出来ました。しかしこれに船籍のペルー側は納得せず翌年には損害賠償を日本政府に請求してきましたが、ロシア帝国を仲立ちとした国際仲裁裁判にて当時のロシア皇帝アレクサンドル2世は日本側の取った行動は国際法上妥当なものとしてペルー側の主張を退けました。
この事件は日本が初めて直面した国際裁判であり、この時に取った日本の人道的処置は当時の列強諸国からも高い評価を受けて後の不平等条約改正につながったとまで言われており、私としても百年以上前の先人の人道的判断とその処置は全く汚点の付け所のない、素晴らしい功績だったと胸を張って言うことが出来ます。
実はこのマリア・ルス号事件は前々から取り上げようと考えていた事件で、まずもって現在の中国人でこの事件のことを知っている人間はいないであろうことから、昔の日本と中国を結ぶエピソードとして両国の相手感情を少しでも良くする為に広く日本人、中国人に知らしめる必要があると考えていました。
そんな風に考えていた矢先、今月の文芸春秋にて書道家の石川九楊氏が「現代政治家 文字に品格を問う」という記事を寄稿しており、その中で書道家として石川氏がその著作にて大きく取り上げた副島種臣について触れているのを見て、なかなかにタイムリーだと思って今日書くことになりました。
なおその記事にて石川氏が言うには、副島の書にはその時期ごとに変化があり、明治政府設立直後の書は一画一画に力こぶの入った闘争心溢れる書であったところ、外務卿に就任後は自らを鼓舞させるような速度のある書に変わり、副島が征韓論に敗れて明治政府を下野してからは急いでいるような筆の運びに回転が強まった書になっているそうです。今ちょっと触れましたが、副島は西郷隆盛らとともに征韓論を主張して敗れた後は下野し、その後しばらく中国に渡って滞在しております。その中国滞在中に西南戦争が起こり、西郷、大久保、木戸の維新三傑が皆没し、そのような仲間がいなくなってゆ中ゆえの焦りが書に出たのではないかと解説されております。
そしてそれ以後の副島は板垣退助らの自由民権運動に当初は参加するも途中で離れ、まるで何かに抵抗する意思が現れるかのように文字形の崩れた書になり、字の構築性も失われていったそうです。更にそれから時が流れ1981年以降からはまるで自らの挫折した政治の理想が書にも現れ、これ以降から副島は卓抜した作品を残すようになっていったそうです。まぁその後、また政府に戻って内務大臣とかも歴任しているんだけどね。
参考文献
・教科書が教えない歴史(産経新聞社)
・文芸春秋 2009年11月号(文芸春秋社)
・マリア・ルス号事件(ウィキペディア)
思うところがあるので、副島種臣について書いてみようと思います。
副島種臣というのは詳しくはウィキペディアに書いてある通り幕末における佐賀藩の維新志士の一人で、同郷の大隈重信らとともに維新期を生き抜き明治政府成立後には外務卿、現在の外務大臣のような職で活躍した政治家です。その副島の外務卿時代に起きた事件というのが、卿のもう一つのトピックスであるマリア・ルス号事件です。
このマリア・ルス号事件というのはもしかしたら知っている方も多いかもしれません。というのも私が小学生の頃には道徳の教科書にも取り上げられていた事件で、日本史の教科書にはあまり載っておりませんが内容を聞けば思い出される方もいるでしょう。
この事件が起きたのは明治五年の六月、横浜港に停泊していたイギリス軍艦に清国人(今の中国人)が海を泳いで救助を求めてきた事から始まりました。その清国人は同じく横浜に停泊中のペルー船籍のマリア・ルス号から来たと話し、この船には彼らと同じ清国人231名が乗船しているが彼らは皆奴隷で運搬されていく途中であるとイギリス軍艦に助けを求めました。この突然の来訪に対してイギリス政府は現地の日本政府に連絡し、清国人の救助をするようにと要請しました。
この要請を受けたのはまさに時の外務卿である副島だったのですが、マリア・ルス号側は彼ら清国人は奴隷ではなく移民だと主張して、神奈川県庁にて保護されていた逃げてきた清国人を引き渡すように要求してきました。
この要求に対して恐らくはっきりと奴隷である事を証明する証拠がなかったという理由もあったでしょうが、当時の日本は江戸時代に結んだ不平等条約、この場合治外法権が列強諸国との間にまだ生きており、外国人に対し自国の法律で裁判を行う事が出来ずにいました。ただマリア・ルス号の船籍であるペルーとはこの時まだ二国間条約は結ばれていなかったので必ずしもこの治外法権の適用対象ではなかったのですが、それまで全く国際裁判というものを経験していないこともあって結局はこの引渡し要求に日本側も応じてしまいました。
しかしこの日本側の処置に対して当時のイギリス公使のワトソンは納得せず、本人が行ったかどうかまでは分かりませんがマリア・ルス号に事実関係を確かめに行きました。するとそこでは日本側から引き渡された逃げてきた清国人が壮絶なリンチを受けており、ワトソンはすぐに副島に対して船長を再度審問するべきだと勧告しました。
これを受けて当初は弱気だった副島も敢然と行動を行うようになり、直ちにマリア・ルス号の出航を停止させると清国人を解放するための法手続きに着手しました。もちろんこうした副島の動きにマリア・ルス号側黙っておらず、彼ら清国人はあくまで移民契約を受けた者たちだと主張するも、日本側はその移民契約は実質奴隷契約であり人道上放置する事は出来ないとして日本国内の裁判で互いに争いました。
その裁判の途中、マリア・ルス号側のイギリス人弁護士がこんな主張をしてきました。
「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」(ウィキペディアの記述を引用)
これは当時の日本で行われていた遊女契約、要は若い女性の身売りは人身売買であり、そのような現実を放置している日本が奴隷契約にあれこれ言うのはおかしいと主張してきたわけです。言われてみると確かにその通りなのですが、これに対して日本側はすぐに動き、実質的にはその後もあまり変わらなかったと思いますが「芸娼妓解放令」という建前ではこれを禁止する法律を出してマリア・ルス号側の主張の突き崩しにはかりました。
最終的には日本国内の裁判という事もあり、マリア・ルス号に乗船していた清国人は皆解放されて帰国を果たす事が出来ました。しかしこれに船籍のペルー側は納得せず翌年には損害賠償を日本政府に請求してきましたが、ロシア帝国を仲立ちとした国際仲裁裁判にて当時のロシア皇帝アレクサンドル2世は日本側の取った行動は国際法上妥当なものとしてペルー側の主張を退けました。
この事件は日本が初めて直面した国際裁判であり、この時に取った日本の人道的処置は当時の列強諸国からも高い評価を受けて後の不平等条約改正につながったとまで言われており、私としても百年以上前の先人の人道的判断とその処置は全く汚点の付け所のない、素晴らしい功績だったと胸を張って言うことが出来ます。
実はこのマリア・ルス号事件は前々から取り上げようと考えていた事件で、まずもって現在の中国人でこの事件のことを知っている人間はいないであろうことから、昔の日本と中国を結ぶエピソードとして両国の相手感情を少しでも良くする為に広く日本人、中国人に知らしめる必要があると考えていました。
そんな風に考えていた矢先、今月の文芸春秋にて書道家の石川九楊氏が「現代政治家 文字に品格を問う」という記事を寄稿しており、その中で書道家として石川氏がその著作にて大きく取り上げた副島種臣について触れているのを見て、なかなかにタイムリーだと思って今日書くことになりました。
なおその記事にて石川氏が言うには、副島の書にはその時期ごとに変化があり、明治政府設立直後の書は一画一画に力こぶの入った闘争心溢れる書であったところ、外務卿に就任後は自らを鼓舞させるような速度のある書に変わり、副島が征韓論に敗れて明治政府を下野してからは急いでいるような筆の運びに回転が強まった書になっているそうです。今ちょっと触れましたが、副島は西郷隆盛らとともに征韓論を主張して敗れた後は下野し、その後しばらく中国に渡って滞在しております。その中国滞在中に西南戦争が起こり、西郷、大久保、木戸の維新三傑が皆没し、そのような仲間がいなくなってゆ中ゆえの焦りが書に出たのではないかと解説されております。
そしてそれ以後の副島は板垣退助らの自由民権運動に当初は参加するも途中で離れ、まるで何かに抵抗する意思が現れるかのように文字形の崩れた書になり、字の構築性も失われていったそうです。更にそれから時が流れ1981年以降からはまるで自らの挫折した政治の理想が書にも現れ、これ以降から副島は卓抜した作品を残すようになっていったそうです。まぁその後、また政府に戻って内務大臣とかも歴任しているんだけどね。
参考文献
・教科書が教えない歴史(産経新聞社)
・文芸春秋 2009年11月号(文芸春秋社)
鳩山政権のこの一ヶ月
ちょっと政治記事からこのところ離れているので、発足から一ヶ月経った事もあり鳩山政権のこの一ヶ月について一本軽くまとめておこうと思います。
まず結論から言えば、この一ヶ月は可もなく不可もなくといったところでしょう。鳩山首相はあちこちに外遊なりレセプションなりに出席するなりで露出が非常に多いですが、政権が変わったことを見せる上ではこれは悪い事だとは思いません。また外遊、特にアメリカへの訪問については産経を初めとして、アメリカ海軍基地の沖縄からグァム移転について何の言及もなかったなどと激しく非難されていますが、これについては私自身はあまり問題視しておりません。というのもそもそもこの問題は自民党が与党だった頃にもなかなか解決が付かなかった、いわば放置されてきた感のある問題で、それを発足間もない民主党政権に協議させるのはちょっと酷かと思います。協議が進むに越した事はありませんが。
こうした外交に対して、内政については評価のはっきり別れる点がいくつかあります。
まず国民にとって一番影響のあるであろう予算の見直し問題で、今年度自民党がまとめた補正予算のうち必要のないものを執行停止して確か4兆円をかき出して公約に掲げた政策に使うとしてきましたが、現時点では目標額には達成せず、一時赤字国債を新たに発行するべきかと議論されたことが報道されていました。これについてははっきりと批判した橋本大阪府知事同様に私も同意できず、赤字国債を発行するくらいならそもそも各社の調査で高速道路原則無料化には国民の過半数が反対しているのだから、無理に公約に掲げた政策を実現しようと無駄な出費を作らない方がいいと思います。
また同じ予算の編成問題でいわゆるエコ減税、エコポイントを継続するべきかどうかで民主党内にて意見が分かれたと報じられていましたが、これについては私は即刻廃止してもかまわないと考えております。というのもちょっと前に参加した武田邦彦氏の講演会にて武田氏が、エコポイントというのは環境によい商品を購入した人への補助と喧伝されているが実際には何のことはなくただの消費加速政策で、大型テレビなどを購入した人間に国民全体から巻き上げた税金を配っているに過ぎないと激しく批判しておりました。私もこの政策は一見するとさも全体の公益のために行われているように見えますが、配られるエコポイントの原資が税金である事を考えると結局は消費の出来る層への資本移動にしかなっていないのかと思え、あまりこの政策を支持する気にはなりません。大体環境に貢献しようってんなら、そもそも家電を使わなければいいだけの話しだし。私の友人なんか、一人暮らしの学生時代に電子レンジも冷蔵庫も持たなかったのだし。
加えて同じ内政においては、前原国土交通省のスタンドプレー振りが目立った一ヶ月でした。
私も記事にした八ツ場ダム問題に始まりつい先週まで揉めに揉めてたハブ空港問題など、やや呆れる手際がいくつか見られました。八ツ場ダムについては初めから民主党が公約にて建設中止を謳っていて私もダム建設から来る府の影響を考慮すると今回の民主党の処置を支持しますが、唯一突っ込むところとしてこの八ツ場ダム建設地を含む選挙区に先の選挙で民主党が候補を出さなかった事です。難しい判断だとは思いますが。
その八ツ場ダムに対して羽田、成田、関空の国際ハブ空港化についての前原大臣の対応はいろんな意味で私をがっかりさせました。私は生憎航空行政については詳しくなくてこのハブ空港はどこが適しているかについては意見を持っていませんが、橋本府知事との会談にてなんの根回しなく突然羽田のハブ化を口にした上、その上具体的なビジョンが未だに国民に見えてこないというのは個人的に不満です。あまり分かってないで言うのもなんですが、私は旧自民党政権が中部空港や神戸空港などあまり再三の見込めない地方空港を片っ端から作っていった姿勢には大きな方向性が見えてこず、今後航空行政はなにかしら方向性を持って進めるべきだとは考えていましたが、今一体民主党政権がどのような方向性を持って航空行政を整理しようというのか、全く見えてきません。その中で羽田のハブ化が急に出てきて、それでいて現在国際路線を担当している成田の処遇についてもよく分からず、しかもその発信源が大臣の本来関係ない場面での一言からというのはあまり誉められたものではありません。
この前原大臣は以前から威勢が良過ぎるところがあって顔もイケメンなのに玉に瑕だと見ていましたが、それが未だに修正されていないのではないかと思わせる発言、行動振りでした。特に前原大臣は以前の民主党代表時代に故永田寿康氏の偽メール事件での国会での追及を周りとの相談なしにGOサインを出した前歴があり、今後この点に改善がなければいつかまたとんでもない舌禍失言をしでかすのではないかと他人事ながら心配になります。
まず結論から言えば、この一ヶ月は可もなく不可もなくといったところでしょう。鳩山首相はあちこちに外遊なりレセプションなりに出席するなりで露出が非常に多いですが、政権が変わったことを見せる上ではこれは悪い事だとは思いません。また外遊、特にアメリカへの訪問については産経を初めとして、アメリカ海軍基地の沖縄からグァム移転について何の言及もなかったなどと激しく非難されていますが、これについては私自身はあまり問題視しておりません。というのもそもそもこの問題は自民党が与党だった頃にもなかなか解決が付かなかった、いわば放置されてきた感のある問題で、それを発足間もない民主党政権に協議させるのはちょっと酷かと思います。協議が進むに越した事はありませんが。
こうした外交に対して、内政については評価のはっきり別れる点がいくつかあります。
まず国民にとって一番影響のあるであろう予算の見直し問題で、今年度自民党がまとめた補正予算のうち必要のないものを執行停止して確か4兆円をかき出して公約に掲げた政策に使うとしてきましたが、現時点では目標額には達成せず、一時赤字国債を新たに発行するべきかと議論されたことが報道されていました。これについてははっきりと批判した橋本大阪府知事同様に私も同意できず、赤字国債を発行するくらいならそもそも各社の調査で高速道路原則無料化には国民の過半数が反対しているのだから、無理に公約に掲げた政策を実現しようと無駄な出費を作らない方がいいと思います。
また同じ予算の編成問題でいわゆるエコ減税、エコポイントを継続するべきかどうかで民主党内にて意見が分かれたと報じられていましたが、これについては私は即刻廃止してもかまわないと考えております。というのもちょっと前に参加した武田邦彦氏の講演会にて武田氏が、エコポイントというのは環境によい商品を購入した人への補助と喧伝されているが実際には何のことはなくただの消費加速政策で、大型テレビなどを購入した人間に国民全体から巻き上げた税金を配っているに過ぎないと激しく批判しておりました。私もこの政策は一見するとさも全体の公益のために行われているように見えますが、配られるエコポイントの原資が税金である事を考えると結局は消費の出来る層への資本移動にしかなっていないのかと思え、あまりこの政策を支持する気にはなりません。大体環境に貢献しようってんなら、そもそも家電を使わなければいいだけの話しだし。私の友人なんか、一人暮らしの学生時代に電子レンジも冷蔵庫も持たなかったのだし。
加えて同じ内政においては、前原国土交通省のスタンドプレー振りが目立った一ヶ月でした。
私も記事にした八ツ場ダム問題に始まりつい先週まで揉めに揉めてたハブ空港問題など、やや呆れる手際がいくつか見られました。八ツ場ダムについては初めから民主党が公約にて建設中止を謳っていて私もダム建設から来る府の影響を考慮すると今回の民主党の処置を支持しますが、唯一突っ込むところとしてこの八ツ場ダム建設地を含む選挙区に先の選挙で民主党が候補を出さなかった事です。難しい判断だとは思いますが。
その八ツ場ダムに対して羽田、成田、関空の国際ハブ空港化についての前原大臣の対応はいろんな意味で私をがっかりさせました。私は生憎航空行政については詳しくなくてこのハブ空港はどこが適しているかについては意見を持っていませんが、橋本府知事との会談にてなんの根回しなく突然羽田のハブ化を口にした上、その上具体的なビジョンが未だに国民に見えてこないというのは個人的に不満です。あまり分かってないで言うのもなんですが、私は旧自民党政権が中部空港や神戸空港などあまり再三の見込めない地方空港を片っ端から作っていった姿勢には大きな方向性が見えてこず、今後航空行政はなにかしら方向性を持って進めるべきだとは考えていましたが、今一体民主党政権がどのような方向性を持って航空行政を整理しようというのか、全く見えてきません。その中で羽田のハブ化が急に出てきて、それでいて現在国際路線を担当している成田の処遇についてもよく分からず、しかもその発信源が大臣の本来関係ない場面での一言からというのはあまり誉められたものではありません。
この前原大臣は以前から威勢が良過ぎるところがあって顔もイケメンなのに玉に瑕だと見ていましたが、それが未だに修正されていないのではないかと思わせる発言、行動振りでした。特に前原大臣は以前の民主党代表時代に故永田寿康氏の偽メール事件での国会での追及を周りとの相談なしにGOサインを出した前歴があり、今後この点に改善がなければいつかまたとんでもない舌禍失言をしでかすのではないかと他人事ながら心配になります。
2009年10月17日土曜日
北京留学記~その十六、李尚民
この北京留学記もこれでもう十六回目、といっても一回番号振り間違えてダブっている回もあるのですがそれは置いといて、ようやく内容も充実してくる場面にまで持ってくることが出来ました。
本日からある意味この体験記の核心部分とも言うべき、留学中に私が出会った人達の証言やエピソードを紹介していきます。何度も言いますが私の留学した北京語言大学というのは外国人に中国語を教えるために作られた大学で、カリキュラムや受け入れ態勢も各国ごとにある程度整えられている事からそれこそ世界中から中国語を学ぼうという学生が集まるゆえに非常に国際色豊かなキャンパスでした。そのような環境ゆえに中国人に限らず様々な国の人間と留学中に私は交流することができ、今も胸を張って大きな財産だといえる経験をこの時期に得ることが出来ました。今後この留学記ではしばらく、そんな留学中に出会った人達のエピソードを紹介していきます。
そんな大層な前フリから始まった今日の第一発目の紹介人物ですが、題につけた名前からもわかる通りに韓国人男性で、この漢字での中国語の発音は「リーシャオミン」を今日は紹介します。この李尚民は私と同じくらいの年齢で確か当時二十歳くらいで、私と共に一年間一緒に同じクラスで勉強した同級生でした。私のクラスに居た韓国人は彼以外にも数人の女子学生とシーナンジャオという名の男子学生もいたのですが、彼らは李尚民と違って全期ではなく半期だけの留学で帰っていってしまいました。
もののついでですから先にシーナンジャオについて軽く説明しておきますが、彼は韓国国内にて既に徴兵を終えてから留学に来ており、夏場の暑い時期に彼の薄着姿を見ましたがやはり一般の日本人男性と比べてもがっしりとした体格でした。ちなみに留学中の韓国人男性を徴兵済みかどうかを見分ける一つの指標として、徴兵終了時に記念品として配られるタオルを持っているかどうかというのが最も簡単な方法でした。
話は李尚民に戻ります。彼はこう言っては何ですが韓国人男性にしては珍しく非常に大人しい性格でした。授業の出席率も高くて宿題もちゃんとやってきて、よくサボっていた前述のシーナンジャオとは本当に正反対でした。
それゆえか私も留学中には隣のタイ人の女の子とばかり世間話をしていたものだから、李尚民とはそれほど頻繁に話すことはありませんでした。ただ幾度か互いに一人の時にばったり会っては長々話をしたことがあり、今回ここで紹介するのは主にそのような場面での会話です。
まず一番最初に思い出されるのは冬休みの間、食事のために食堂に行ったらそこでばったり会った時の話です。それまでにあまり世間話をなどをした事ない二人ゆえに、お互いに無難に互いの国の知っている人間の話題をこの時しました。
まず最初に切り出してきたのは李尚民からで、「ねぇ、韓国人で誰か知っている人がいる?」と言い、私が口を開く間もなく続けて、「ヨンサマ?」と聞いてきました。やっぱり韓国人も当時のヨン様ブームの事を自認していたようです。この李尚民の問いかけに私も、そりゃあ彼は有名人だからねと頷きながら続けて、「あと金正日もよく知っているよ」と言った際、私だけかもしれませんがちょっと興味深い返答が返ってきました。
「なんで、金正日が嫌いなの?」
韓国人は支持政党によってかなり考えに隔たりがあると聞きますが、私はこの時に彼の家は北朝鮮寄りの家なのではないかと思いました。というのも日本人の間ではわざわざ金正日が嫌いな理由を尋ねたりすることはなく独裁国家の大悪人で一致していますが、韓国では国境が接しているためか北朝鮮に対する意識が大きく二分されており、言うなれば殲滅派と和平派で両極端だそうです。この時の李尚民の問いかけからは北朝鮮に対する嫌悪感や憎悪といった感情は微塵も感じられず、あくまで私の直感ですが前韓国政権のようないわゆる和平派なのではないかと推測しました。
しかしこんなことを腹の中で考えてはいるもののまさか正直に、「君は北朝鮮寄りなのかね?」などと言えるわけもなく、ひとまず話を適当に流そうと思って、「あの髪形はないでしょ」と冗談言って流しました。
その後はソニン、ユンソナ、小泉純一郎と有名人を挙げていき、ゲームの話題に映ったところで韓国でも日本のゲームは結構普及している教えてくれ、彼自身もサッカーゲームの「ウィニングイレブン」をよくやったと言っていました。また同じゲームの話題だとこちらは授業中のやり取りで出てきた話ですが、なんでも彼が子供の頃は周りの友達にはみんな親からパソコンを買ってもらっていたのに彼の親は厳しくて買ってくれず、周りがパソコン使ってゲームをやっていたのがうらやましかったとも言っていました。
そんな李尚民と最後にゆっくりと話をしたのは一年間の留学生活を終えて帰国する前に行ったクラス打ち上げ前で、お互いに律儀なもんだから待ち合わせ場所に早くから来て他の同級生が来るまで二人でいろいろ話しました。ちょうどその打ち上げ前にHSKという中国政府が行う中国語能力検定をどちらも受けており、その成績についての話題がまず最初に出てきました。このHSKというテストは取った成績によって一級から八級まで成績分けされ、八級が最も良い成績なのですが私も李尚民も七級を取得していました。
私はこの成績で満足していたのですが李尚民は周りには納得しているといいつつも、八級を取得すれば韓国政府、もしくは大学から奨学金がもらえたらしくて、内心では八級を狙っていたので少し残念だったと話していました。
そんなHSKの話の後、最後なのだから思い切ってきわどい事を聞いてみようと徴兵にはもう行ったのかと訪ねてみたのですが、なんでも彼は以前に中学校か高校の部活中に足を怪我してしまい、そのせいで徴兵検査に落ちて徴兵が免除されていたそうです。韓国では徴兵に行かねば立派な成人男性と見られない風潮があると別の人から聞いたことがあるのですが李尚民としてもやはりその様で、徴兵免除を受けた際には非常に落ち込んだそうです。しかしその後、実際に徴兵に行った彼の友人らから軍隊生活の過酷さを聞くにつけて自分はラッキーだったと思うようになり、今はもうあまり気にしていないと話していました。
以前の記事でも書きましたが、中国の大学において韓国人留学生は人数も多いことからしばしば集団的に粗野になりがちになります。実際に寮内で夜中まで騒ぐ韓国人学生を何度か私も目撃しており、中国国内でも以前に大きな問題として挙げられた事までありました。そんな中でこの李尚民は非常に穏やかで礼儀正しく、ちょっと気の弱そうなところをのぞけば本当にいいクラスメートでした。ただ唯一彼に対して私が残念だったのは、私の十八番である北朝鮮の女子アナの物真似で彼を一度も爆笑に追い込めなかったことでした。愛想笑いはしてくれたけどさ(つД`)
本日からある意味この体験記の核心部分とも言うべき、留学中に私が出会った人達の証言やエピソードを紹介していきます。何度も言いますが私の留学した北京語言大学というのは外国人に中国語を教えるために作られた大学で、カリキュラムや受け入れ態勢も各国ごとにある程度整えられている事からそれこそ世界中から中国語を学ぼうという学生が集まるゆえに非常に国際色豊かなキャンパスでした。そのような環境ゆえに中国人に限らず様々な国の人間と留学中に私は交流することができ、今も胸を張って大きな財産だといえる経験をこの時期に得ることが出来ました。今後この留学記ではしばらく、そんな留学中に出会った人達のエピソードを紹介していきます。
そんな大層な前フリから始まった今日の第一発目の紹介人物ですが、題につけた名前からもわかる通りに韓国人男性で、この漢字での中国語の発音は「リーシャオミン」を今日は紹介します。この李尚民は私と同じくらいの年齢で確か当時二十歳くらいで、私と共に一年間一緒に同じクラスで勉強した同級生でした。私のクラスに居た韓国人は彼以外にも数人の女子学生とシーナンジャオという名の男子学生もいたのですが、彼らは李尚民と違って全期ではなく半期だけの留学で帰っていってしまいました。
もののついでですから先にシーナンジャオについて軽く説明しておきますが、彼は韓国国内にて既に徴兵を終えてから留学に来ており、夏場の暑い時期に彼の薄着姿を見ましたがやはり一般の日本人男性と比べてもがっしりとした体格でした。ちなみに留学中の韓国人男性を徴兵済みかどうかを見分ける一つの指標として、徴兵終了時に記念品として配られるタオルを持っているかどうかというのが最も簡単な方法でした。
話は李尚民に戻ります。彼はこう言っては何ですが韓国人男性にしては珍しく非常に大人しい性格でした。授業の出席率も高くて宿題もちゃんとやってきて、よくサボっていた前述のシーナンジャオとは本当に正反対でした。
それゆえか私も留学中には隣のタイ人の女の子とばかり世間話をしていたものだから、李尚民とはそれほど頻繁に話すことはありませんでした。ただ幾度か互いに一人の時にばったり会っては長々話をしたことがあり、今回ここで紹介するのは主にそのような場面での会話です。
まず一番最初に思い出されるのは冬休みの間、食事のために食堂に行ったらそこでばったり会った時の話です。それまでにあまり世間話をなどをした事ない二人ゆえに、お互いに無難に互いの国の知っている人間の話題をこの時しました。
まず最初に切り出してきたのは李尚民からで、「ねぇ、韓国人で誰か知っている人がいる?」と言い、私が口を開く間もなく続けて、「ヨンサマ?」と聞いてきました。やっぱり韓国人も当時のヨン様ブームの事を自認していたようです。この李尚民の問いかけに私も、そりゃあ彼は有名人だからねと頷きながら続けて、「あと金正日もよく知っているよ」と言った際、私だけかもしれませんがちょっと興味深い返答が返ってきました。
「なんで、金正日が嫌いなの?」
韓国人は支持政党によってかなり考えに隔たりがあると聞きますが、私はこの時に彼の家は北朝鮮寄りの家なのではないかと思いました。というのも日本人の間ではわざわざ金正日が嫌いな理由を尋ねたりすることはなく独裁国家の大悪人で一致していますが、韓国では国境が接しているためか北朝鮮に対する意識が大きく二分されており、言うなれば殲滅派と和平派で両極端だそうです。この時の李尚民の問いかけからは北朝鮮に対する嫌悪感や憎悪といった感情は微塵も感じられず、あくまで私の直感ですが前韓国政権のようないわゆる和平派なのではないかと推測しました。
しかしこんなことを腹の中で考えてはいるもののまさか正直に、「君は北朝鮮寄りなのかね?」などと言えるわけもなく、ひとまず話を適当に流そうと思って、「あの髪形はないでしょ」と冗談言って流しました。
その後はソニン、ユンソナ、小泉純一郎と有名人を挙げていき、ゲームの話題に映ったところで韓国でも日本のゲームは結構普及している教えてくれ、彼自身もサッカーゲームの「ウィニングイレブン」をよくやったと言っていました。また同じゲームの話題だとこちらは授業中のやり取りで出てきた話ですが、なんでも彼が子供の頃は周りの友達にはみんな親からパソコンを買ってもらっていたのに彼の親は厳しくて買ってくれず、周りがパソコン使ってゲームをやっていたのがうらやましかったとも言っていました。
そんな李尚民と最後にゆっくりと話をしたのは一年間の留学生活を終えて帰国する前に行ったクラス打ち上げ前で、お互いに律儀なもんだから待ち合わせ場所に早くから来て他の同級生が来るまで二人でいろいろ話しました。ちょうどその打ち上げ前にHSKという中国政府が行う中国語能力検定をどちらも受けており、その成績についての話題がまず最初に出てきました。このHSKというテストは取った成績によって一級から八級まで成績分けされ、八級が最も良い成績なのですが私も李尚民も七級を取得していました。
私はこの成績で満足していたのですが李尚民は周りには納得しているといいつつも、八級を取得すれば韓国政府、もしくは大学から奨学金がもらえたらしくて、内心では八級を狙っていたので少し残念だったと話していました。
そんなHSKの話の後、最後なのだから思い切ってきわどい事を聞いてみようと徴兵にはもう行ったのかと訪ねてみたのですが、なんでも彼は以前に中学校か高校の部活中に足を怪我してしまい、そのせいで徴兵検査に落ちて徴兵が免除されていたそうです。韓国では徴兵に行かねば立派な成人男性と見られない風潮があると別の人から聞いたことがあるのですが李尚民としてもやはりその様で、徴兵免除を受けた際には非常に落ち込んだそうです。しかしその後、実際に徴兵に行った彼の友人らから軍隊生活の過酷さを聞くにつけて自分はラッキーだったと思うようになり、今はもうあまり気にしていないと話していました。
以前の記事でも書きましたが、中国の大学において韓国人留学生は人数も多いことからしばしば集団的に粗野になりがちになります。実際に寮内で夜中まで騒ぐ韓国人学生を何度か私も目撃しており、中国国内でも以前に大きな問題として挙げられた事までありました。そんな中でこの李尚民は非常に穏やかで礼儀正しく、ちょっと気の弱そうなところをのぞけば本当にいいクラスメートでした。ただ唯一彼に対して私が残念だったのは、私の十八番である北朝鮮の女子アナの物真似で彼を一度も爆笑に追い込めなかったことでした。愛想笑いはしてくれたけどさ(つД`)
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