先日、参議院にて自民党の若林元農水大臣(最初、「元の薄い大臣」と変換されたよ)が、採決の際に退席していた青木参議院議員の投票ボタンを勝手に押すというとんでもない行動の責任を取って辞任しました。はっきり言って現在の政局は与党民主党が一向に普天間問題の決着案を見出せないばかりか早くも子供手当ての外国人への配布を巡って問題が起き始めており、野党自民党としてはこれ以上ないくらい与党を攻撃できる材料が揃っているにもかかわらずこの始末なのだからしばらく政権を取り返す事は出来ないでしょう。よく自民党と民主党を比較していろいろ話す方がおりますが、私に言わせるなら今は自民も民主もあまりにも情けない状況で、民主党の若手を中心とした政界再編を期待する意味ではまだ民主党が与党の方が自民党よりかはよかったかなと思います。
そんな空中分解気味の自民党で今日ようやく動きがあり、元自民党議員で郵政民営化論争の際に袂を分った平沼赳夫氏が新党を結成する事を昨日発表し、それに続く形でこちらも新党結成をかねてより公言してはばからなかった与謝野馨氏も、自民党を正式に離党して本日平沼氏の新党に合流すると発表しました。
・与謝野・平沼氏が共同代表…新党合意(読売新聞)
このニュースについて私の感想を述べるなら、この平沼新党は恐らく次の選挙時に大きな勢力とはなりきれずに終わるかと思います。
その理由を一つ一つ説明していくと、まず構成議員の問題があります。
今回与謝野氏は現在の自民党には問題が多いということで離党をしましたが、今度新しく出来る平沼新党も基本的には元自民党の重鎮議員、しかも高齢者ばかりで占められる可能性が非常に高いです。たとえ本人らにその気はなくとも有権者からは昔の自民党への回帰のように受け取られて、よっぽど面白い提言をしない限りは支持者を広げる事は出来ずにただ間口を狭くするだけに終わる可能性が高いでしょう。第一、掲げる政策自体が恐らく古い自民、今の民主と同じバラマキと郵政復古しかないでしょうし。
第二の理由として、多少ネガキャンが入ってしまいますが平沼氏の人間性があります。まだ与謝野氏は病気持ちで高齢であることを除けば私も高く評価しており申し分もないのですが、平沼氏については私はかねてよりその人格を疑っております。具体的にどのようなところに問題があるのかというとどうもこの人は自分の考えは公の考えに適っていると亀井静香のように信じきっている節があり、平気でとんでもない発言を行ってきております。
いくつか例を出すと、自らが自民党を離脱する事になった2005年の郵政選挙においては小泉元首相は民意を無視して郵政民営化を推し進めようとしていると言いながらも自民党が大勝するや、国民は何も分っていないと国民の無能をあげつらいました。政治家であればそういう風に思いたくなるのも分らないわけではないのですが、それを公然と言い放つのとそうでないのでは大きな差があるでしょう
ただ平沼氏はその後、安倍政権において郵政造反組みの復党処分が行われた際には一人だけ今後は執行部に従うという誓約書を提出せずに筋は通した事は私も評価しております。
もう一つ平沼氏に対して私が不信感を覚えずにいられない発言として、かつて自民党の山本一太議員に対して面と向って、「お前、抹殺するぞ!」と言い放った発言があります。詳しい詳細はWikipediaにも書いてあり、本人も発言後にあれは言い過ぎたと確か述べていたと思いますが、このような不穏当な発言をテレビカメラが回っている前で行うというのは政治家というより人間としてもどうかと疑わずにはおれません。恐らく今後新党を作って平沼氏が代表となれば報道される回数も増加し、このような暴言癖が度々出てくるであろうことを予想すれば今度できる新党も軌道には乗らないかと考えるわけです。
そういうわけで結論としては、この平沼新党は第二の国民新党のように古い自民党議員の集合で終わる可能性が高いというのが私の意見です。仮に可能性があるとしたら未だ国民の人気が根強い自民党の桝添要一氏を党首に迎えた上で、彼を参議院から衆議院議員へと鞍替えさせて首班指名を行うという方法くらいなものでしょう。ただ桝添氏としては死に体の自民党をそっくりそのまま引き受けるというほうに心が動いているようにも見え、そうのように持って行くのは難しいでしょう。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年4月3日土曜日
2010年4月2日金曜日
中国がどうしても先進国になれない理由
世の中、考えればすぐわかる事でもはっきり言われるまで誤解しているということがよくあります。今の地球が温暖化することで海水面が上昇する事なんてありえないということ然り、若者は車離れしてるというが今の若者はそもそも車に興味を持った事がないということ然り。
その中でも中国関係の仕事なり研究なりをしている人にとっては当たり前でもそうでない人には意外と知られていない事実として、たとえ中国がどんなに、何十年努力したとしても絶対に先進国にはなれないという事実があります。
先月、モナコの提案で地中海産マグロを絶滅危惧種を保護するワシントン条約によって禁輸すべしという決議が行われましたが、結果は日本国内の下馬評を大きく覆して大差で否決となりました。日本人は世界で最もマグロを食べているというだけあってこのニュースは国際ニュースの割には会議前から連日大きく取り上げられており、その注目も高かっただけに結果が出るや、まるで戦争にでも勝ったかのような会議否決を歓迎する報道があちこちで見られました。
そのようなニュースでは一体何故予想を覆して否決が賛成票を大きく上回ったのかというと、会議直前まで続けられた日本による他の会議参加国へのロビー活動が実を結んだと大きく報道されていましたが、私はというとこの報道は実は怪しいと考えていました。というのも日本はこれまでの国際会議では空気を一切読まずに地雷禁止条約に反対するなどほとんどアメリカに追従しているだけで自国の思惑に他国を引っ張るというロビー活動など出来るものかと甚だ疑わしい外交しかしておらず、また会議前の国内報道では否決させるのは難しいなどと弱気な意見ばかりが出ていたなどロビー活動が功を奏していたというのならやや矛盾している状況があったからです。
ではどうして否決国が多くなったのかとなると、もちろん証拠なんてどこにもありませんが、私はあのマグロ禁輸の会議で否決に持ち込んだのは他でもなく中国だったと思います。そう思う理由をいくつか挙げるとあの会議で否決票を投じた国には日本にはあまり縁がないけれどもこのところ中国が援助をバンバンと行って影響力を強めているアフリカ諸国が多く、当の中国自身もこのところマグロの消費量が増えてきている事から日本や韓国とともに提案がなされてから一貫として反対を続けてきていました。
一部週刊誌のみがこうした見方を呈して赤松農水大臣は中国の手柄を自分のものとして喧伝していると指摘していましたが、私もこの週刊誌の報道を見る前から同じ見方を持っていました。
ちょっと話が大きく外れましたが、このように国際会議の場においても日増しに発言力を増してもはや自ら先進国の域に達したとまで自称する中国(都合のいいところでは発展途上国と自称するけど)がどうして先進国にはなれないのかというと、先ほどのマグロの話とも関係があります。結論を言ってしまうと、中国は人口があまりにも多過ぎるために先進国並の生活を行うと地球の資源が持たないからです。
最近はちょっと落ち着きましたが、三年前頃から中国のあまりの経済成長によって日本からくず鉄と古紙が急激に不足するようになりました。これらくず鉄と古紙はほぼすべて北京オリンピックを控えて活発な生産活動が行われていた中国へ持っていかれたために日本で不足したのですが、これら二つの資源に限らずこのところ中国人が手を出すようになった資源はどれも世界中で一挙に不足するという事態がこのところ頻発しております。前にはワインを飲むようになってつまみのチーズが急に不足したというし。
我々日本人からするとイメージしにくいですが、資源というものは基本的には有限で、需要が低い資源ならともかく需要が高い資源は文字通り奪い合いになります。これまで中国を初めとした発展途上国の指導者らは先進国が富を独占するから発展途上国は豊かになれないと批判してきましたがこれはまさにその通りで、経済力の強い上位数パーセントの先進国が世界の過半数以上の資源を独占してきたのがこれまでの世界です。
しかしこうした体制も、近年の中国やインドといった急速に経済成長を果たした急成長国らの登場によってほころびが生じ、石油から鉄、そして今回槍玉に挙がったマグロを含む食料といった資源が徐々に戦国サバイバル的な様相を見せ始めております。特に中国やインドはそれぞれの人口が半端でないために、その影響力も生半可なものではありません。
ここまで言えばもう大体察しが着くと思いますが、少なくとも現時点において、中国人全員が先進国並の生活を行うに足る資源が地球にないため、一部の富裕層ならともかく中国は国全体としては絶対に先進国になれないのです。たとえどんなに中国が努力して経済成長を果たしたとしても。
もちろんこの事実は中国政府も十分に理解しているでしょうが、今の中国の貧困層を支えているのは、「頑張れば、みんな裕福になれる」という希望であるために、絶対にこんな事は口にせずむしろ希望があるかのように宣伝しております。幾ら頑張っても一部の人しか裕福にならないなんて言ったら、多分暴動起こるだろうし。
これは逆に言えば、そろそろ資源の枯渇などについて日本人もいろいろと考えるべき時期に来ていることになります。経済力が低下して他国から資源が買えなくなるのは言うまでもありませんが、たとえ現状の経済力を維持したとしても中国のような国が一定度の成長を果たすだけで資源は確実に世界からなくなります。そのような時代にはどうなるか、私がわざわざ言うまでもないのでここでは書きませんが、せめて自分が生きている間くらいは資源も持って欲しいなと思います。
その中でも中国関係の仕事なり研究なりをしている人にとっては当たり前でもそうでない人には意外と知られていない事実として、たとえ中国がどんなに、何十年努力したとしても絶対に先進国にはなれないという事実があります。
先月、モナコの提案で地中海産マグロを絶滅危惧種を保護するワシントン条約によって禁輸すべしという決議が行われましたが、結果は日本国内の下馬評を大きく覆して大差で否決となりました。日本人は世界で最もマグロを食べているというだけあってこのニュースは国際ニュースの割には会議前から連日大きく取り上げられており、その注目も高かっただけに結果が出るや、まるで戦争にでも勝ったかのような会議否決を歓迎する報道があちこちで見られました。
そのようなニュースでは一体何故予想を覆して否決が賛成票を大きく上回ったのかというと、会議直前まで続けられた日本による他の会議参加国へのロビー活動が実を結んだと大きく報道されていましたが、私はというとこの報道は実は怪しいと考えていました。というのも日本はこれまでの国際会議では空気を一切読まずに地雷禁止条約に反対するなどほとんどアメリカに追従しているだけで自国の思惑に他国を引っ張るというロビー活動など出来るものかと甚だ疑わしい外交しかしておらず、また会議前の国内報道では否決させるのは難しいなどと弱気な意見ばかりが出ていたなどロビー活動が功を奏していたというのならやや矛盾している状況があったからです。
ではどうして否決国が多くなったのかとなると、もちろん証拠なんてどこにもありませんが、私はあのマグロ禁輸の会議で否決に持ち込んだのは他でもなく中国だったと思います。そう思う理由をいくつか挙げるとあの会議で否決票を投じた国には日本にはあまり縁がないけれどもこのところ中国が援助をバンバンと行って影響力を強めているアフリカ諸国が多く、当の中国自身もこのところマグロの消費量が増えてきている事から日本や韓国とともに提案がなされてから一貫として反対を続けてきていました。
一部週刊誌のみがこうした見方を呈して赤松農水大臣は中国の手柄を自分のものとして喧伝していると指摘していましたが、私もこの週刊誌の報道を見る前から同じ見方を持っていました。
ちょっと話が大きく外れましたが、このように国際会議の場においても日増しに発言力を増してもはや自ら先進国の域に達したとまで自称する中国(都合のいいところでは発展途上国と自称するけど)がどうして先進国にはなれないのかというと、先ほどのマグロの話とも関係があります。結論を言ってしまうと、中国は人口があまりにも多過ぎるために先進国並の生活を行うと地球の資源が持たないからです。
最近はちょっと落ち着きましたが、三年前頃から中国のあまりの経済成長によって日本からくず鉄と古紙が急激に不足するようになりました。これらくず鉄と古紙はほぼすべて北京オリンピックを控えて活発な生産活動が行われていた中国へ持っていかれたために日本で不足したのですが、これら二つの資源に限らずこのところ中国人が手を出すようになった資源はどれも世界中で一挙に不足するという事態がこのところ頻発しております。前にはワインを飲むようになってつまみのチーズが急に不足したというし。
我々日本人からするとイメージしにくいですが、資源というものは基本的には有限で、需要が低い資源ならともかく需要が高い資源は文字通り奪い合いになります。これまで中国を初めとした発展途上国の指導者らは先進国が富を独占するから発展途上国は豊かになれないと批判してきましたがこれはまさにその通りで、経済力の強い上位数パーセントの先進国が世界の過半数以上の資源を独占してきたのがこれまでの世界です。
しかしこうした体制も、近年の中国やインドといった急速に経済成長を果たした急成長国らの登場によってほころびが生じ、石油から鉄、そして今回槍玉に挙がったマグロを含む食料といった資源が徐々に戦国サバイバル的な様相を見せ始めております。特に中国やインドはそれぞれの人口が半端でないために、その影響力も生半可なものではありません。
ここまで言えばもう大体察しが着くと思いますが、少なくとも現時点において、中国人全員が先進国並の生活を行うに足る資源が地球にないため、一部の富裕層ならともかく中国は国全体としては絶対に先進国になれないのです。たとえどんなに中国が努力して経済成長を果たしたとしても。
もちろんこの事実は中国政府も十分に理解しているでしょうが、今の中国の貧困層を支えているのは、「頑張れば、みんな裕福になれる」という希望であるために、絶対にこんな事は口にせずむしろ希望があるかのように宣伝しております。幾ら頑張っても一部の人しか裕福にならないなんて言ったら、多分暴動起こるだろうし。
これは逆に言えば、そろそろ資源の枯渇などについて日本人もいろいろと考えるべき時期に来ていることになります。経済力が低下して他国から資源が買えなくなるのは言うまでもありませんが、たとえ現状の経済力を維持したとしても中国のような国が一定度の成長を果たすだけで資源は確実に世界からなくなります。そのような時代にはどうなるか、私がわざわざ言うまでもないのでここでは書きませんが、せめて自分が生きている間くらいは資源も持って欲しいなと思います。
2010年3月31日水曜日
郵政民営化の逆行について
昨日の閣議にて、先週より各所を騒がせていた郵便貯金の保障限度枠を現行の1000万円から2000万円にまで引き上げられる事が決められました。この件について私の意見を言えば、率直に残念だといわざるを得ません。
この限度枠の拡大に限らず郵政大臣の亀井静香は一度民営化した郵政をこのまま国営化に戻すつもりのようで、かねて私も頑張って書いた「郵政民営化の是非を問う」の記事にて問題性が高いと指摘した「財政投融資」についても、今朝のテレビ番組で限度枠の拡大で集めた資金をどうするかと聞かれ、「道路建設などに使う」と発言するあたり事実上復活させるつもりなのでしょう。「郵政民営化の是非を問う」の記事の繰り返しになりますが、無駄遣いのまさに根本とも言える財政投融資を折角潰したのに、またも復活するなんて聞いてて本当にバカらしくなります。
ちょっと今回の民営化逆行には私自身が利害に関わる立場ではないものの納得行かない点が多いので亀井静香のネガティブキャンペーンを張るとすると、彼自身は俗に言う郵政票を多く持つという立場であるがゆえに郵政民営化に反対しているだけで、具体的にどのように民営化に反対しているのかという方向性には乏しいと言わざるを得ません。また彼に限らず一部の政治家は政治を行う事を本業とするのではなく選挙に受かる事が本業となっており、亀井静香についてはホリエモンこと堀江貴文氏も著書にてその点を厳しく批判しております。
堀江氏はかつての郵政選挙の際に自らも自民党の推薦候補として亀井氏の選挙区にて立候補しましたが、新人候補でありながらその抜群の知名度ゆえに落選こそしたまでも相当数の票を獲得するに至りました。この選挙の際、亀井は堀江氏を格差論者だなどと口汚く批判していたのですが、堀江氏が例の事件で一時収監されて出獄後、なんと堀江氏に対して国民新党に入って選挙に出馬しないかと打診してきたそうです。
堀江氏によると、恐らく亀井としては今後選挙で自分を脅かす前に自分のところで囲っておこうとして打診してきたのだろうと推測していましたが、私もこの堀江氏の意見に同感です。この一件について堀江氏は政治家というよりも選挙屋とも言うべきそのあくなき根性に呆れたと述べていましたが、そんな選挙屋が大臣やっているということに私もいろんな意味で疲れてきます。今度また一本記事を独立して書いてもいいのですが、私は基本的に政治家という職業はこうした選挙屋を生み出さないためにも副業でやるべき仕事と捉えるべきだと考えております。
この限度枠の拡大に限らず郵政大臣の亀井静香は一度民営化した郵政をこのまま国営化に戻すつもりのようで、かねて私も頑張って書いた「郵政民営化の是非を問う」の記事にて問題性が高いと指摘した「財政投融資」についても、今朝のテレビ番組で限度枠の拡大で集めた資金をどうするかと聞かれ、「道路建設などに使う」と発言するあたり事実上復活させるつもりなのでしょう。「郵政民営化の是非を問う」の記事の繰り返しになりますが、無駄遣いのまさに根本とも言える財政投融資を折角潰したのに、またも復活するなんて聞いてて本当にバカらしくなります。
ちょっと今回の民営化逆行には私自身が利害に関わる立場ではないものの納得行かない点が多いので亀井静香のネガティブキャンペーンを張るとすると、彼自身は俗に言う郵政票を多く持つという立場であるがゆえに郵政民営化に反対しているだけで、具体的にどのように民営化に反対しているのかという方向性には乏しいと言わざるを得ません。また彼に限らず一部の政治家は政治を行う事を本業とするのではなく選挙に受かる事が本業となっており、亀井静香についてはホリエモンこと堀江貴文氏も著書にてその点を厳しく批判しております。
堀江氏はかつての郵政選挙の際に自らも自民党の推薦候補として亀井氏の選挙区にて立候補しましたが、新人候補でありながらその抜群の知名度ゆえに落選こそしたまでも相当数の票を獲得するに至りました。この選挙の際、亀井は堀江氏を格差論者だなどと口汚く批判していたのですが、堀江氏が例の事件で一時収監されて出獄後、なんと堀江氏に対して国民新党に入って選挙に出馬しないかと打診してきたそうです。
堀江氏によると、恐らく亀井としては今後選挙で自分を脅かす前に自分のところで囲っておこうとして打診してきたのだろうと推測していましたが、私もこの堀江氏の意見に同感です。この一件について堀江氏は政治家というよりも選挙屋とも言うべきそのあくなき根性に呆れたと述べていましたが、そんな選挙屋が大臣やっているということに私もいろんな意味で疲れてきます。今度また一本記事を独立して書いてもいいのですが、私は基本的に政治家という職業はこうした選挙屋を生み出さないためにも副業でやるべき仕事と捉えるべきだと考えております。
2010年3月30日火曜日
明治天皇と戦争
このところ書いていないけど恐らく一番の人気コンテンツであろう歴史物をまた一本投下しておこうと思います。
現代の日本において最大のタブーと来ればそれは言うまでもなく天皇家で、そのためか明治以前ならともかく以後の天皇となると国内で歴史的評価や検証を行う事もやや難しく、今日取り上げる明治天皇のように日本国内以上に中国を初めとした外国の方が知名度や評価が高かったりすることも少なくありません。その明治天皇ですが、日本人であれば恐らく君主らしくひげを生やした軍服姿の天皇の写真を思い浮かべる事は可能でしょうが、具体的にどのような人物でどんな性格であったかとなるとあまり答えられない方が多いかと思います。私自身がそうだし。
では明治天皇はどんな人物だったのか、そのわずかな人となりを知る上で私がよく参考にしているエピソードに、明治時代の日清、日露の戦争に対する明治天皇の反応があります。
日清、日露ともに明治維新後の日本の運命を決める重要な戦争であった事に間違いはありません。この戦争に対して権威という神輿に担ぎ上げられた存在とはいえ憲法上の主権者であった明治天皇は開戦当初にどのような反応をしたのかというと、まず日清戦争については実は開戦に反対だったそうです。
明治天皇がどのような意図を持っていたかまでは私も把握していないのですが、開戦時において周囲に対し、「この戦争は朕の戦争にあらず」と発言していた事は間違いないようで、同じく開戦に反対していた時の首相の伊藤博文らを呼んでは何度も愚痴を述べていたそうです。とはいえ明治天皇は公私というか自分の役割はきちんと認識できる方だったようで、開戦後は重臣の意見に従って大本営の置かれた広島に自ら赴きそこでしばらく執務を取ったそうです。
一体何故明治天皇は日清戦争に反対していたのかというと、いくつかある意見の中でもやはり勝算を見込んでいなかったというのが一番有力です。当時は列強にやられっぱなしとはいえ「眠れる獅子」とまで呼ばれた清に対し、幾ら日本が明治維新で頑張ったとはいえ勝てると考えていた人間は少数だったそうです。
それにもかかわらず、というより何で主権者である天皇が反対しているにもかかわらず開戦となったのかと思われる方もおられるでしょうが、まだ明治の時代は天皇の神格化がそれほど進んでおらず、また伊藤博文や山県有朋といった維新の元勲らも多数生きてて政治の実権は彼らが持っていたために現実的には明治天皇はそれほど決定権がなかったというのが実情です。
ついでに書いておくと昭和の時代において軍部が暴走した際に彼らが錦の御旗として使った「統帥権の干犯」という概念ですが、これは主権者である天皇の意思を無視して軍事の決定を行ってはならないという考え方であるものの、天皇の意見なんて大日本帝国憲法制定当初から最後までほぼ一貫して無視されていたということになります。さらに付け加えると、この「統帥権の干犯」という表現はロンドン海軍軍縮条約を結んだ与党を攻撃するために当時野党議員の鳩山一郎が使ったのが最初です。恐らく横で聞いてた軍部は、「こんな便利なものがあったんだ!」と思ったに違いないでしょう。はっきり言いますが鳩山一郎という政治家は決してハト派ではなく、孫同様にその時々において平気で意見をひっくり返す癖のある政治家でその評価は肯定的な部分と否定的な部分の両面共に大きいといえます。
話は明治天皇に戻りますが、当初は反対こそしていたもののなんとか日清戦争は勝利を得る事が出来ました。それにしても日清戦争の日本側死者の八割以上が病死というのは凄いものですが。
その日清の後の日露戦争では開戦前、相手が強国ロシアということもあって日清戦争以上に重臣達も開戦には慎重でした。そこで明治天皇はどんな風に考えていたのかですが、ちょっと記憶が曖昧ですが確か昔出ていた「週間日本史」で書かかれていた記事では、明治天皇は開戦に反対だった伊藤博文を呼ぶとこう尋ねたそうです。
「この戦争、もし負けたら朕はどうなるのだろうか?」
「さすがに殺されるということはないでしょうが、フランスのナポレオン三世(敗戦によって退位し、亡命した)の例もあります。ただでは済まないでしょう」
「もしその時、おぬし達はどうする」
「もちろん陛下と運命をともにします」
このやり取りを受けて、最終的に明治天皇は日露戦争に対して腹を括ったと聞いております。
さっきの日清戦争のエピソードはあちこちで言われてはいますが、こっちの日露戦争については何度も言いますが記憶は曖昧です。ただ実際にも、こんな感じのやり取りがあったんじゃないかと私は思います。
別に私に限るわけじゃないですが明治天皇の資質や性格はともかくとして、実際に切り盛りする維新の元勲らとその旗頭となった天皇の連携はこの時代において非常に上手く機能しており、それが明治維新の大成功につながったというのは間違いないでしょう。それだけに維新の元勲が去って東大、陸海大学校出身者が切り盛りするようになった昭和前期の日本が勝算のない戦争を始めて国土が灰燼に帰すまで戦争を続けてしまったというのは、明治時代に元勲と天皇の連携に過分に頼ってしまっていたということも一因であると私は思います。
現代の日本において最大のタブーと来ればそれは言うまでもなく天皇家で、そのためか明治以前ならともかく以後の天皇となると国内で歴史的評価や検証を行う事もやや難しく、今日取り上げる明治天皇のように日本国内以上に中国を初めとした外国の方が知名度や評価が高かったりすることも少なくありません。その明治天皇ですが、日本人であれば恐らく君主らしくひげを生やした軍服姿の天皇の写真を思い浮かべる事は可能でしょうが、具体的にどのような人物でどんな性格であったかとなるとあまり答えられない方が多いかと思います。私自身がそうだし。
では明治天皇はどんな人物だったのか、そのわずかな人となりを知る上で私がよく参考にしているエピソードに、明治時代の日清、日露の戦争に対する明治天皇の反応があります。
日清、日露ともに明治維新後の日本の運命を決める重要な戦争であった事に間違いはありません。この戦争に対して権威という神輿に担ぎ上げられた存在とはいえ憲法上の主権者であった明治天皇は開戦当初にどのような反応をしたのかというと、まず日清戦争については実は開戦に反対だったそうです。
明治天皇がどのような意図を持っていたかまでは私も把握していないのですが、開戦時において周囲に対し、「この戦争は朕の戦争にあらず」と発言していた事は間違いないようで、同じく開戦に反対していた時の首相の伊藤博文らを呼んでは何度も愚痴を述べていたそうです。とはいえ明治天皇は公私というか自分の役割はきちんと認識できる方だったようで、開戦後は重臣の意見に従って大本営の置かれた広島に自ら赴きそこでしばらく執務を取ったそうです。
一体何故明治天皇は日清戦争に反対していたのかというと、いくつかある意見の中でもやはり勝算を見込んでいなかったというのが一番有力です。当時は列強にやられっぱなしとはいえ「眠れる獅子」とまで呼ばれた清に対し、幾ら日本が明治維新で頑張ったとはいえ勝てると考えていた人間は少数だったそうです。
それにもかかわらず、というより何で主権者である天皇が反対しているにもかかわらず開戦となったのかと思われる方もおられるでしょうが、まだ明治の時代は天皇の神格化がそれほど進んでおらず、また伊藤博文や山県有朋といった維新の元勲らも多数生きてて政治の実権は彼らが持っていたために現実的には明治天皇はそれほど決定権がなかったというのが実情です。
ついでに書いておくと昭和の時代において軍部が暴走した際に彼らが錦の御旗として使った「統帥権の干犯」という概念ですが、これは主権者である天皇の意思を無視して軍事の決定を行ってはならないという考え方であるものの、天皇の意見なんて大日本帝国憲法制定当初から最後までほぼ一貫して無視されていたということになります。さらに付け加えると、この「統帥権の干犯」という表現はロンドン海軍軍縮条約を結んだ与党を攻撃するために当時野党議員の鳩山一郎が使ったのが最初です。恐らく横で聞いてた軍部は、「こんな便利なものがあったんだ!」と思ったに違いないでしょう。はっきり言いますが鳩山一郎という政治家は決してハト派ではなく、孫同様にその時々において平気で意見をひっくり返す癖のある政治家でその評価は肯定的な部分と否定的な部分の両面共に大きいといえます。
話は明治天皇に戻りますが、当初は反対こそしていたもののなんとか日清戦争は勝利を得る事が出来ました。それにしても日清戦争の日本側死者の八割以上が病死というのは凄いものですが。
その日清の後の日露戦争では開戦前、相手が強国ロシアということもあって日清戦争以上に重臣達も開戦には慎重でした。そこで明治天皇はどんな風に考えていたのかですが、ちょっと記憶が曖昧ですが確か昔出ていた「週間日本史」で書かかれていた記事では、明治天皇は開戦に反対だった伊藤博文を呼ぶとこう尋ねたそうです。
「この戦争、もし負けたら朕はどうなるのだろうか?」
「さすがに殺されるということはないでしょうが、フランスのナポレオン三世(敗戦によって退位し、亡命した)の例もあります。ただでは済まないでしょう」
「もしその時、おぬし達はどうする」
「もちろん陛下と運命をともにします」
このやり取りを受けて、最終的に明治天皇は日露戦争に対して腹を括ったと聞いております。
さっきの日清戦争のエピソードはあちこちで言われてはいますが、こっちの日露戦争については何度も言いますが記憶は曖昧です。ただ実際にも、こんな感じのやり取りがあったんじゃないかと私は思います。
別に私に限るわけじゃないですが明治天皇の資質や性格はともかくとして、実際に切り盛りする維新の元勲らとその旗頭となった天皇の連携はこの時代において非常に上手く機能しており、それが明治維新の大成功につながったというのは間違いないでしょう。それだけに維新の元勲が去って東大、陸海大学校出身者が切り盛りするようになった昭和前期の日本が勝算のない戦争を始めて国土が灰燼に帰すまで戦争を続けてしまったというのは、明治時代に元勲と天皇の連携に過分に頼ってしまっていたということも一因であると私は思います。
2010年3月29日月曜日
鳩山政権、デノミ検討の真偽
ちょっと当たり障りのないリンクが見つからないのでこのまま内容を書いてしまいますが、日経新聞が3/19日付の朝刊にて鳩山由紀夫首相がデノミ、つまり通貨兌換を去年から検討していたもののその先導役となる藤井前財務相が退任した事から立ち消えになったというニュースを報じました。なかなかに驚きなニュースなので早速私もネット上で、「鳩山 デノミ」と検索ワードをかけて調べてみた所、やはりというかこのニュースを取り上げては鳩山首相を批判するブログがいくつもヒットしたのですが、結論から言うと私はこのニュースの真偽は結構怪しいんじゃないかという気がします。
デノミというと最近ではジンバブエや北朝鮮が経済改革の切り札として使ったところ見事に大失敗をしてしまい、更なる経済悪化を自ら招いてしまった例が記憶にも新しいかと思います。通貨兌換といってこれまでの1000円を十分の一にして100円にするにしてもその過程では様々な経済的な混乱、システム的な問題が発生されることが予想され、ましてや国際取引市場でも使われる円通貨を不用意に変動させようものなら国際的にもいろいろ問題であり、私としても現時点でデノミをするなんて以ての外だと考えております。
そんなデノミを鳩山首相は実は画策していたと日経新聞は報じているのですが、ニュース発表から十日が経った現在、このニュースを報じている日経以外のメディアが未だ見当たらないのが私はやけに気になります。もし内容が本当であればそれこそ鳩山政権の運営姿勢を疑いかねない政策ゆえに私は普通ならば他のメディアが追加取材をやっているものだと思うのですが、このニュースを取り上げたブログをいちいち見ても最初に報じた日経以外のソースはないばかりか、民主党寄りの朝日新聞ならともかく普段から鳩山政権にこれでもかというくらいにいちゃもんをつけ続けている産経ですらこのデノミについては全く触れていません。更に言えば、一応毎日テレビニュースで首相会見を確認していますがこのデノミ検討があったのかについて質問する記者も見当たりません。
また本来、皮肉な話ですがこういったニュースというのは日本だと外国メディアの報道から始まるのが常です。というのも日本には各紙が情報を抜かないための記者クラブ制度がよく整備されており、デノミのような証券市場にも影響を与えかねないニュースだと各社一斉に報じるか外国メディアが報じてからようやく報じるかのほぼ二択です。そういった事例と比べると、今回の日経だけが報じているという浮き方が妙に感じられます。
で、そもそもの日経の報道記事も読んでみるとネタ元についてはいつも通りに、「周辺によると……」と書いてあるだけで、首相周辺なのか日経周辺なのかすら区別がつかない書き方をしております。
日経は先日にもサントリーとキリンの合併交渉の終盤において他紙が恐らく破談になるだろうと報じていた中で、一番最初に合併交渉を始めたことをスクープした立場ゆえか破談が正式に発表されるまで強気に合意間近と報じ続けておりました。今回の件と関係ないといえば関係ないですが、ちょっとこのところの日経の報道について疑問を感じたので合わせて取り上げる事にしました。それにしても、日経さんは続報をくれないのかな。
デノミというと最近ではジンバブエや北朝鮮が経済改革の切り札として使ったところ見事に大失敗をしてしまい、更なる経済悪化を自ら招いてしまった例が記憶にも新しいかと思います。通貨兌換といってこれまでの1000円を十分の一にして100円にするにしてもその過程では様々な経済的な混乱、システム的な問題が発生されることが予想され、ましてや国際取引市場でも使われる円通貨を不用意に変動させようものなら国際的にもいろいろ問題であり、私としても現時点でデノミをするなんて以ての外だと考えております。
そんなデノミを鳩山首相は実は画策していたと日経新聞は報じているのですが、ニュース発表から十日が経った現在、このニュースを報じている日経以外のメディアが未だ見当たらないのが私はやけに気になります。もし内容が本当であればそれこそ鳩山政権の運営姿勢を疑いかねない政策ゆえに私は普通ならば他のメディアが追加取材をやっているものだと思うのですが、このニュースを取り上げたブログをいちいち見ても最初に報じた日経以外のソースはないばかりか、民主党寄りの朝日新聞ならともかく普段から鳩山政権にこれでもかというくらいにいちゃもんをつけ続けている産経ですらこのデノミについては全く触れていません。更に言えば、一応毎日テレビニュースで首相会見を確認していますがこのデノミ検討があったのかについて質問する記者も見当たりません。
また本来、皮肉な話ですがこういったニュースというのは日本だと外国メディアの報道から始まるのが常です。というのも日本には各紙が情報を抜かないための記者クラブ制度がよく整備されており、デノミのような証券市場にも影響を与えかねないニュースだと各社一斉に報じるか外国メディアが報じてからようやく報じるかのほぼ二択です。そういった事例と比べると、今回の日経だけが報じているという浮き方が妙に感じられます。
で、そもそもの日経の報道記事も読んでみるとネタ元についてはいつも通りに、「周辺によると……」と書いてあるだけで、首相周辺なのか日経周辺なのかすら区別がつかない書き方をしております。
日経は先日にもサントリーとキリンの合併交渉の終盤において他紙が恐らく破談になるだろうと報じていた中で、一番最初に合併交渉を始めたことをスクープした立場ゆえか破談が正式に発表されるまで強気に合意間近と報じ続けておりました。今回の件と関係ないといえば関係ないですが、ちょっとこのところの日経の報道について疑問を感じたので合わせて取り上げる事にしました。それにしても、日経さんは続報をくれないのかな。
2010年3月28日日曜日
時間の止まった風景について
私が京都にいた頃、大部分の期間を昔から京都駅前でやっていた喫茶店にてアルバイトをしていました。最初は京都市から離れた場所に下宿を借りていたので電車通勤でしたが、市内に下宿を移してからは自転車でいけるようになり京都市北区から鴨川沿いを朝早くから自転車で駆け下って通っていた事を割と今でも懐かしく感じます。
この店は京都駅前にあるとはいえ競合する店が数多く、また近年はスターバックスなどのファーストフード店も数多く増えたためにやってくる客と来れば決まって常連の客ばかりだったのですが、ある冬の日、見慣れない初老の男性客が午後に一人で入ってきた事がありました。なんか珍しい客だなと私が水とお絞りを持っていくと、その男性客は店内をしげしげと眺め回しながらこんな言葉を言いました。
「ここだけは、変わってないなぁ」
話をしてみると、なんでもその男性客は十年位前にも私のバイト先の喫茶店を訪れた事のある方だったそうで、京都駅前が十年前と比べるといろんな建物が出来たりしてすっかり様変わりしているのに対してこの喫茶店だけは十年前と何も変わっていないことに驚いていたそうです。その方が感慨深げにコーヒーを一杯飲んで帰ると店主は自慢げに、「どや、うちは昔からずっと同じでやねん」と話した上で、あの客が言った様にその喫茶店の周囲である京都駅前は駐車場が出来たりでかいビルが建ったりするなど、その変容振りはずっとここに住んでいても驚くほどだと話しました。
私は時間というものは基本的に、視覚的にも聴覚的にも、なにか変化を感じ取る事で初めて時間の経過を認知できると考えております。逆を言えば目に見える風景、耳に入る音がなんの変化もなければ時間というものは感じ辛く、何も聞こえない部屋にずっと閉じ込められたりしたらすぐに時間の感覚は狂うんじゃないかと考えております。
そこで今回のバイト先の喫茶店の話です。店主も言うとおりにその喫茶店は昔からずっと同じ佇まいで同じ内容の商品を提供し続けており、周囲が大きく様変わりしていることに比べるとなにか一人だけ時間から置いていかれたような、十年ぶりにやってきたその客にとってすれば時間が止まった様な空間であったのかと思います。
この時間が止まったような空間、言い換えるならば変化が見られない空間というものは、目立たないけど個人々々の時間感覚に大きく影響を与えるものなんじゃないかと私は考えております。
誰にでもある経験でたとえると、かつて卒業した小学校の前などを久しぶりに通ると、「ああ、ここを卒業してもう○○年だなぁ」などと感じる事は皆さんにもあるかと思います。もっともその小学校が取り壊されていたり改築されていたらちょっとしおらしくなっちゃいますが。
私は時間の止まった空間というのものは、その空間にかつて触れた事のある時間と現在までの時間の経過をその人に強く認識させる格好の材料なのではないかと思います。ただ漠然と五年前、十年前と抽象的に考えるより、先ほどの小学校との例を出せば卒業してから現在までの時間が○○年だなどというように、抽象的な時間の概念と具体的な時間の概念を結ぶ大きな材料になるような気がします。
またそのように時間概念を結ぶだけでなく、これは私見ですが時間の止まった空間というものは見た者にぐっと往年の心象を呼び起こす材料にもなるかと思います。これまた誰にでもありそうな例でたとえると、学生時代によく行った飲食店に立ち寄る事ですっかりサラリーマン化してしまった思考が一時的に学生時代に戻り、あの頃は若かったなと振り返りつつもしばらくは学生っぽい考え方をするのが続いたりするなどと。
もちろんこの様になるのは時間の止まった空間だけでなく昔に聞いた音楽や食べた料理、なんだったら懐かしい知人に会っても十分に起こり得るでしょう。ただ知人の場合、その人が以前とすっかり変わってしまっていたら逆の意味で時間の経過を実感する事になるかもしれませんが。
友人の言によると私は昔から全くキャラクターが変わらない人間らしく、なんかこのところ会う度にいろんな人間から、「花園君は変わらないなぁ」と言われたりします。ただこれは全く意識していないわけでなく、見かけはともかく私は意図的に思考の根っこのところは自分を変えないように日々努力しております。何故そうしているのかという理由はひとまず置いといて、その自分を変えないための一つの手段として用いているのがまさに今回紹介した時間の止まった空間で、別に大した儀式めいた事をしているわけではないのですが自分の人生の節目節目において、その当時の自分を強く想起させるような風景や場所を心中で設定し、記憶に留めるようにしております。
目下の所、今の自分にとって一番思い入れが深い「時間の止まった空間」に当たるのは京都市伏見区にある伏見稲荷神社で、京都に立ち寄った際には必ずここを一回は通るようにしております。何故伏見稲荷がそのような場所に設定されたのかといえば、まず第一には神社ゆえにこれ以後もめったな変化が起こらないことが予想されることと、割と自分が野心満々だったころに初めて訪れたということからです。
人間、肉体が老いるということは今の技術ではどうにも抗えません。しかし精神については心がけ次第ではまだどうとでもなる余地があり、自分の精神性がピークに近づいたと感じたのであればゲームのセーブじゃありませんが、時間の止まった空間になにかしらその痕跡を残しておくというのは悪い事じゃないと思います。仮にそれ以後に自分の精神が更なる成長を遂げたとしても、過去のセーブ記録と比較する事で成長を実感したり、その時点で必要なものがわかってくるかもしれません。
こういうところに妙にこだわるあたり、いつまでも子供っぽいと言われる所以なのでしょうが……。
この店は京都駅前にあるとはいえ競合する店が数多く、また近年はスターバックスなどのファーストフード店も数多く増えたためにやってくる客と来れば決まって常連の客ばかりだったのですが、ある冬の日、見慣れない初老の男性客が午後に一人で入ってきた事がありました。なんか珍しい客だなと私が水とお絞りを持っていくと、その男性客は店内をしげしげと眺め回しながらこんな言葉を言いました。
「ここだけは、変わってないなぁ」
話をしてみると、なんでもその男性客は十年位前にも私のバイト先の喫茶店を訪れた事のある方だったそうで、京都駅前が十年前と比べるといろんな建物が出来たりしてすっかり様変わりしているのに対してこの喫茶店だけは十年前と何も変わっていないことに驚いていたそうです。その方が感慨深げにコーヒーを一杯飲んで帰ると店主は自慢げに、「どや、うちは昔からずっと同じでやねん」と話した上で、あの客が言った様にその喫茶店の周囲である京都駅前は駐車場が出来たりでかいビルが建ったりするなど、その変容振りはずっとここに住んでいても驚くほどだと話しました。
私は時間というものは基本的に、視覚的にも聴覚的にも、なにか変化を感じ取る事で初めて時間の経過を認知できると考えております。逆を言えば目に見える風景、耳に入る音がなんの変化もなければ時間というものは感じ辛く、何も聞こえない部屋にずっと閉じ込められたりしたらすぐに時間の感覚は狂うんじゃないかと考えております。
そこで今回のバイト先の喫茶店の話です。店主も言うとおりにその喫茶店は昔からずっと同じ佇まいで同じ内容の商品を提供し続けており、周囲が大きく様変わりしていることに比べるとなにか一人だけ時間から置いていかれたような、十年ぶりにやってきたその客にとってすれば時間が止まった様な空間であったのかと思います。
この時間が止まったような空間、言い換えるならば変化が見られない空間というものは、目立たないけど個人々々の時間感覚に大きく影響を与えるものなんじゃないかと私は考えております。
誰にでもある経験でたとえると、かつて卒業した小学校の前などを久しぶりに通ると、「ああ、ここを卒業してもう○○年だなぁ」などと感じる事は皆さんにもあるかと思います。もっともその小学校が取り壊されていたり改築されていたらちょっとしおらしくなっちゃいますが。
私は時間の止まった空間というのものは、その空間にかつて触れた事のある時間と現在までの時間の経過をその人に強く認識させる格好の材料なのではないかと思います。ただ漠然と五年前、十年前と抽象的に考えるより、先ほどの小学校との例を出せば卒業してから現在までの時間が○○年だなどというように、抽象的な時間の概念と具体的な時間の概念を結ぶ大きな材料になるような気がします。
またそのように時間概念を結ぶだけでなく、これは私見ですが時間の止まった空間というものは見た者にぐっと往年の心象を呼び起こす材料にもなるかと思います。これまた誰にでもありそうな例でたとえると、学生時代によく行った飲食店に立ち寄る事ですっかりサラリーマン化してしまった思考が一時的に学生時代に戻り、あの頃は若かったなと振り返りつつもしばらくは学生っぽい考え方をするのが続いたりするなどと。
もちろんこの様になるのは時間の止まった空間だけでなく昔に聞いた音楽や食べた料理、なんだったら懐かしい知人に会っても十分に起こり得るでしょう。ただ知人の場合、その人が以前とすっかり変わってしまっていたら逆の意味で時間の経過を実感する事になるかもしれませんが。
友人の言によると私は昔から全くキャラクターが変わらない人間らしく、なんかこのところ会う度にいろんな人間から、「花園君は変わらないなぁ」と言われたりします。ただこれは全く意識していないわけでなく、見かけはともかく私は意図的に思考の根っこのところは自分を変えないように日々努力しております。何故そうしているのかという理由はひとまず置いといて、その自分を変えないための一つの手段として用いているのがまさに今回紹介した時間の止まった空間で、別に大した儀式めいた事をしているわけではないのですが自分の人生の節目節目において、その当時の自分を強く想起させるような風景や場所を心中で設定し、記憶に留めるようにしております。
目下の所、今の自分にとって一番思い入れが深い「時間の止まった空間」に当たるのは京都市伏見区にある伏見稲荷神社で、京都に立ち寄った際には必ずここを一回は通るようにしております。何故伏見稲荷がそのような場所に設定されたのかといえば、まず第一には神社ゆえにこれ以後もめったな変化が起こらないことが予想されることと、割と自分が野心満々だったころに初めて訪れたということからです。
人間、肉体が老いるということは今の技術ではどうにも抗えません。しかし精神については心がけ次第ではまだどうとでもなる余地があり、自分の精神性がピークに近づいたと感じたのであればゲームのセーブじゃありませんが、時間の止まった空間になにかしらその痕跡を残しておくというのは悪い事じゃないと思います。仮にそれ以後に自分の精神が更なる成長を遂げたとしても、過去のセーブ記録と比較する事で成長を実感したり、その時点で必要なものがわかってくるかもしれません。
こういうところに妙にこだわるあたり、いつまでも子供っぽいと言われる所以なのでしょうが……。
2010年3月26日金曜日
京都の道の特殊事情について
先日リンクを結んでいるアングラ王子さんのブログにてコメントしたところ、下記のようなコメントをアングラ王子さんからいただきました。
「京都の人たちに道を尋ねると、ここから北へ~とか西へ○○、っていう感じで方角で言われることが多かったのですが、たまたまだったのでしょうか?」
この返答を受け取った時に私は不覚ながら思わず笑ってしまいました。恐らく京都に住んだ経験のある方なら私と、同じような印象を覚えるかと思います。
この京都人の道案内のやり方ですが、本人達は至って悪気はない……とも言い切れないのですが、昔から京都に住んでいる方にとってすればごく自然な教え方なのです。というのも京都市はきれいに東西南北に沿って道路が走っており、しかもすべての通りに一つ一つ名前がついているので道案内をする際には通り名と東西南北の方角を使って説明をします。そのためちょっとした道案内でも、
「ここは二条通りで、向こうに大きな通りがあってそこが今出川通りなんですけど、今出川通りに沿って東に行き続けると京阪の出町柳駅がありますよ」
という感じで、京都の地理がないとわからんやないけと言いたくなるような説明をみんな平気で言ってしまうところがあります。向こうにとってすると、京都の地理もわからんくせに旅行にようお越しはったなぁ、みたいに思っているのかもしれませんが。
しかしそんな京都人からすると逆に東京の地理は曲がりくねった道が多く、通りの名前もてんでんばらばら、こんな場所でどうやって暮らせばいいのかと言いたくなるような地理だそうです。実際に東京は徳川幕府が外的の侵入を防ぐという目的や日本の雑多性を好む宗教性が色濃く反映された都市で、世界的にもこれ程複雑な都市構造をした首都は少ないでしょう。そのため東京では必然的になにかしら目的地を辿って歩くという方法にならざるを得ず、
「向こうのパチンコ屋の前まで行ったら左に曲がって、そこから歩き続けるとスーパーがあるのでそこを右に曲がると駅がありますよ」
みたいな説明の仕方になってきます。京都でも全くないというわけではないのですが。
ただ関東関西の両方に住んだ事のある私の意見を言うと、やはり地図を見ながら練り歩くという意味では京都の方が圧倒的にわかりやすかったです。東京は地図を見ても現在地がなかなか掴み辛く、また歩いているうちに地図上のどの位置にいるのかがわからなくなって来たりして、いわゆる歩きなれた経験がなければおちおち散歩できないのが辛いです。
ちなみに京都人は外からやってくる旅行者に対してどのように思っているのかというと、一番参考になるのはここのサイトの情報だと思います。割と京都人というのは物事をビジネスライクに切って分けて考える事の出来る人が多く、旅行者に対して表面上はお客様として対応しますが内心では金づるのように思いっきり見下す方も少なくありません。私としてはそれがはっきりと表に出ないのであればもてなされる旅行者も気分が悪くなる事もないんだし、そういう意味で最も世渡りに長けている人達だと考えています。
最後に私が京都に住んでいた際、毎回そこを通るたびに気になっていたお店を紹介します。
・中国料理 ほあんほあん
このお店の何が気になっていたかというと、トップページにも入っていますが、「京の名物、皿うどん」という文字とともにパンダが皿に顔を突っ込んで何か食べている絵の看板です。
皿うどんって京都名物だっけ? それよりもなんで中国料理で皿うどん?
などと突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込んでいいかわからないほどで、嵯峨嵐山店のある確か北大路通りを広沢池に行く途中で見るたびにあれこれ頭を悩ませていました。一回くらい、食べに行っとけばよかったなぁ(・ω・`)
「京都の人たちに道を尋ねると、ここから北へ~とか西へ○○、っていう感じで方角で言われることが多かったのですが、たまたまだったのでしょうか?」
この返答を受け取った時に私は不覚ながら思わず笑ってしまいました。恐らく京都に住んだ経験のある方なら私と、同じような印象を覚えるかと思います。
この京都人の道案内のやり方ですが、本人達は至って悪気はない……とも言い切れないのですが、昔から京都に住んでいる方にとってすればごく自然な教え方なのです。というのも京都市はきれいに東西南北に沿って道路が走っており、しかもすべての通りに一つ一つ名前がついているので道案内をする際には通り名と東西南北の方角を使って説明をします。そのためちょっとした道案内でも、
「ここは二条通りで、向こうに大きな通りがあってそこが今出川通りなんですけど、今出川通りに沿って東に行き続けると京阪の出町柳駅がありますよ」
という感じで、京都の地理がないとわからんやないけと言いたくなるような説明をみんな平気で言ってしまうところがあります。向こうにとってすると、京都の地理もわからんくせに旅行にようお越しはったなぁ、みたいに思っているのかもしれませんが。
しかしそんな京都人からすると逆に東京の地理は曲がりくねった道が多く、通りの名前もてんでんばらばら、こんな場所でどうやって暮らせばいいのかと言いたくなるような地理だそうです。実際に東京は徳川幕府が外的の侵入を防ぐという目的や日本の雑多性を好む宗教性が色濃く反映された都市で、世界的にもこれ程複雑な都市構造をした首都は少ないでしょう。そのため東京では必然的になにかしら目的地を辿って歩くという方法にならざるを得ず、
「向こうのパチンコ屋の前まで行ったら左に曲がって、そこから歩き続けるとスーパーがあるのでそこを右に曲がると駅がありますよ」
みたいな説明の仕方になってきます。京都でも全くないというわけではないのですが。
ただ関東関西の両方に住んだ事のある私の意見を言うと、やはり地図を見ながら練り歩くという意味では京都の方が圧倒的にわかりやすかったです。東京は地図を見ても現在地がなかなか掴み辛く、また歩いているうちに地図上のどの位置にいるのかがわからなくなって来たりして、いわゆる歩きなれた経験がなければおちおち散歩できないのが辛いです。
ちなみに京都人は外からやってくる旅行者に対してどのように思っているのかというと、一番参考になるのはここのサイトの情報だと思います。割と京都人というのは物事をビジネスライクに切って分けて考える事の出来る人が多く、旅行者に対して表面上はお客様として対応しますが内心では金づるのように思いっきり見下す方も少なくありません。私としてはそれがはっきりと表に出ないのであればもてなされる旅行者も気分が悪くなる事もないんだし、そういう意味で最も世渡りに長けている人達だと考えています。
最後に私が京都に住んでいた際、毎回そこを通るたびに気になっていたお店を紹介します。
・中国料理 ほあんほあん
このお店の何が気になっていたかというと、トップページにも入っていますが、「京の名物、皿うどん」という文字とともにパンダが皿に顔を突っ込んで何か食べている絵の看板です。
皿うどんって京都名物だっけ? それよりもなんで中国料理で皿うどん?
などと突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込んでいいかわからないほどで、嵯峨嵐山店のある確か北大路通りを広沢池に行く途中で見るたびにあれこれ頭を悩ませていました。一回くらい、食べに行っとけばよかったなぁ(・ω・`)
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