2010年3月30日火曜日

明治天皇と戦争

 このところ書いていないけど恐らく一番の人気コンテンツであろう歴史物をまた一本投下しておこうと思います。

 現代の日本において最大のタブーと来ればそれは言うまでもなく天皇家で、そのためか明治以前ならともかく以後の天皇となると国内で歴史的評価や検証を行う事もやや難しく、今日取り上げる明治天皇のように日本国内以上に中国を初めとした外国の方が知名度や評価が高かったりすることも少なくありません。その明治天皇ですが、日本人であれば恐らく君主らしくひげを生やした軍服姿の天皇の写真を思い浮かべる事は可能でしょうが、具体的にどのような人物でどんな性格であったかとなるとあまり答えられない方が多いかと思います。私自身がそうだし。

 では明治天皇はどんな人物だったのか、そのわずかな人となりを知る上で私がよく参考にしているエピソードに、明治時代の日清、日露の戦争に対する明治天皇の反応があります。

 日清、日露ともに明治維新後の日本の運命を決める重要な戦争であった事に間違いはありません。この戦争に対して権威という神輿に担ぎ上げられた存在とはいえ憲法上の主権者であった明治天皇は開戦当初にどのような反応をしたのかというと、まず日清戦争については実は開戦に反対だったそうです。

 明治天皇がどのような意図を持っていたかまでは私も把握していないのですが、開戦時において周囲に対し、「この戦争は朕の戦争にあらず」と発言していた事は間違いないようで、同じく開戦に反対していた時の首相の伊藤博文らを呼んでは何度も愚痴を述べていたそうです。とはいえ明治天皇は公私というか自分の役割はきちんと認識できる方だったようで、開戦後は重臣の意見に従って大本営の置かれた広島に自ら赴きそこでしばらく執務を取ったそうです。

 一体何故明治天皇は日清戦争に反対していたのかというと、いくつかある意見の中でもやはり勝算を見込んでいなかったというのが一番有力です。当時は列強にやられっぱなしとはいえ「眠れる獅子」とまで呼ばれた清に対し、幾ら日本が明治維新で頑張ったとはいえ勝てると考えていた人間は少数だったそうです。
 それにもかかわらず、というより何で主権者である天皇が反対しているにもかかわらず開戦となったのかと思われる方もおられるでしょうが、まだ明治の時代は天皇の神格化がそれほど進んでおらず、また伊藤博文や山県有朋といった維新の元勲らも多数生きてて政治の実権は彼らが持っていたために現実的には明治天皇はそれほど決定権がなかったというのが実情です。

 ついでに書いておくと昭和の時代において軍部が暴走した際に彼らが錦の御旗として使った「統帥権の干犯」という概念ですが、これは主権者である天皇の意思を無視して軍事の決定を行ってはならないという考え方であるものの、天皇の意見なんて大日本帝国憲法制定当初から最後までほぼ一貫して無視されていたということになります。さらに付け加えると、この「統帥権の干犯」という表現はロンドン海軍軍縮条約を結んだ与党を攻撃するために当時野党議員の鳩山一郎が使ったのが最初です。恐らく横で聞いてた軍部は、「こんな便利なものがあったんだ!」と思ったに違いないでしょう。はっきり言いますが鳩山一郎という政治家は決してハト派ではなく、孫同様にその時々において平気で意見をひっくり返す癖のある政治家でその評価は肯定的な部分と否定的な部分の両面共に大きいといえます。

 話は明治天皇に戻りますが、当初は反対こそしていたもののなんとか日清戦争は勝利を得る事が出来ました。それにしても日清戦争の日本側死者の八割以上が病死というのは凄いものですが。
 その日清の後の日露戦争では開戦前、相手が強国ロシアということもあって日清戦争以上に重臣達も開戦には慎重でした。そこで明治天皇はどんな風に考えていたのかですが、ちょっと記憶が曖昧ですが確か昔出ていた「週間日本史」で書かかれていた記事では、明治天皇は開戦に反対だった伊藤博文を呼ぶとこう尋ねたそうです。

「この戦争、もし負けたら朕はどうなるのだろうか?」
「さすがに殺されるということはないでしょうが、フランスのナポレオン三世(敗戦によって退位し、亡命した)の例もあります。ただでは済まないでしょう」
「もしその時、おぬし達はどうする」
「もちろん陛下と運命をともにします」

 このやり取りを受けて、最終的に明治天皇は日露戦争に対して腹を括ったと聞いております。
 さっきの日清戦争のエピソードはあちこちで言われてはいますが、こっちの日露戦争については何度も言いますが記憶は曖昧です。ただ実際にも、こんな感じのやり取りがあったんじゃないかと私は思います。

 別に私に限るわけじゃないですが明治天皇の資質や性格はともかくとして、実際に切り盛りする維新の元勲らとその旗頭となった天皇の連携はこの時代において非常に上手く機能しており、それが明治維新の大成功につながったというのは間違いないでしょう。それだけに維新の元勲が去って東大、陸海大学校出身者が切り盛りするようになった昭和前期の日本が勝算のない戦争を始めて国土が灰燼に帰すまで戦争を続けてしまったというのは、明治時代に元勲と天皇の連携に過分に頼ってしまっていたということも一因であると私は思います。

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