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2012年5月25日金曜日

次長課長河本氏の生活保護需給問題について

「恥ずかしい」 母親からは「しっかりしゃべってこい」と言われ…(産経新聞)

 正直、こういうのまでいちいち取り上げるべきなのかちょっと自分でも疑問を感じてしまいますが、まとめて書く話題があるので取り上げることにします。
 既に各所の報道で皆さんも知っておいでかと思われますが、お笑いコンビ次長課長の河本氏が高額所得者であるにもかかわらずその母親が生活保護を受給していた問題で本日に当人が会見を行い、需給の事実を認めた上で謝罪を行いました。結論から述べると要点をうまいことすっ飛ばされた感がある上、厳しい言い方をすると本当に反省しているのか疑問に感じる会見でした。

 まず一番疑問に感じた点として、誰に対して何について謝っているのかが見えない点でした。私の感覚ならば本来であれば生活保護を支給させていた行政に対して謝罪すべきだと思うのですが、「不正受給だとは思っていなかった」、「行政の了解を得ていた」と、むしろ暗に行政側に問題があったかのような発言が繰り返されております。こういっては何ですが、現在の収入状況などをきちんと報告しなかったからこそこういう不備が生まれたのではと考えないのでしょか。
 次の疑問点、というより何で誰も聞かないんだと思うところで、どうして今日の会見までこれほど時間がかかったのかという点について何も言及がありませんでした。今回の不正受給の事実は週間新潮が報じたことからネットを中心に火がつき、自民党の議員らが追求する姿勢を見せるなど徐々に拡大して広まっていきましたが、この間に長い時間があったにもかかわらず河本氏はなんらコメントをすることがありませんでした。きつい言い方をすれば、しらばっくれれればどうとでもなる、ほとぼりが冷めるのを待って受給を続けるつもりだったのではないかと疑わざるを得ません

 そして最大の疑問点、というかこれも何で誰も聞かないのか不思議でしょうがないのですが、河本氏が所属している吉本が当初に発表した内容と事実が異なっているのはどうしてかということもスルーでした。なんていうか危機管理に弱いんだなぁと微笑ましく見えてしまいうのですが、吉本側はこの問題に関して当初、母親が生活保護を受給していたのは河本氏が芸人として売れていなかった一時期だけで問題がないと発表したと報じられていましたが、この報道が出た当日に母親本人のインタビューで、「報道を受け、先月(四月)に受給を停止した」という発言があり、受給を受けていた時期で真っ向から食い違う報道が同時に出ておりました。
 今回の会見によると正しかったのは後者、つまり受給は先月までだったわけですがとなると最初の吉本の発表はなんだったのか、事実を誤認したのか身内を庇い立てるために嘘をついたのかを私としてははっきりさせてもらいたかったです。まぁ口が裂けても後者の理由だったとは吉本も後からは言えないでしょうが、前者だったとしても企業運営をしていくに当たって致命的な対応といわざるを得ず、一部で言われているように「ほかにも似たようなケースがあるのでは」と思ってしまいます。

 あとこれはまだ未確定で実物ソースもまだ確認できていませんが、ネットを経由した情報によると今回のスクープをものにした週間新潮の最新号で、河本氏の周辺で生活保護を受給をしているのは母親だけでなく、近い親類が複数世帯受給していると報じられているそうです。仮にこれが事実だとしたら確信犯的に生活保護を得るための手段を講じていたのではないか、それこそ収入があることを隠蔽して受け取っていたのではないかとこれまた疑わざるを得ません。
 この点に関しては会見でもきちんと聞かれていますが、その回答というのも、

 --母親以外にも受給を受けている親族はいるのか
 渡辺弁護士「大変申し訳ないですが、親族の生活状況はきわめて個人的な話になるので、お答えを控えさせていただきます」

 これまた厳しい言い方をせざるを得ませんが、もし本当に反省しているのであれば、といっても不正受給ではないと言い切っているあたりで反省しているとはとても言い難いですが、現状の事実をすべてありのままに明かすべきだと私は思います。仮に親類が受給していたとはいえ、それが理に適った受給であるのであれば隠し立てせず、堂々と言えばいいだけの話です。逆にこうも隠されると、やっぱり何かあるのではないかと勘繰ってしまいます。

 最後に吉本について前から書こうかと思っていたことですが、どうも島田伸介騒動以降、明らかな迷走というか不安定振りが目立ちます。島田伸介の時といい今回の件といい会見で発言した内容がその前後に報じられた事実と異なる点が非常に多く、ただでさえコンプライアンスが強まっている中で異常とも言える位に危機管理に欠けている所が目立ちます。これならまだ市川海老蔵氏の会見の方がマシでした、比較対象としては如何なものですが。
 さらに吉本に関してはちょっと気になる噂も耳にします。

スクープ公開 この大赤字、ヤバいんとちゃう!?吉本興業「中間決算書」から分かったこと(週刊現代)

 上記リンク際の週刊現代の記事によると、関西芸能界を仕切っていると言ってもいい吉本の中間決算が赤字だったようです。しかも今後の負債返済計画も見通しが明るいと言えず、屋台骨の明石家さんま氏が、「沖縄映画祭、まずまずの失敗やったんやろ」と、どこまで本気かは量りかねますが、言うほど台所事情が厳しくなっているそうです。
 関東と関西でそれなりに暮らした経験がある自分に言わせると、関東のテレビ局というものは放送中に発言してはならないタブーが非常に多いのに対して関西圏では比較的緩く、「たかじんのそこまで言って委員会」を筆頭に見ているこっちが不安になる発言まで平気で飛び出してくるのですが、唯一吉本に対しては「ケチな会社や」と言うことはあっても、黒社会との結びつきなどで表立って批判されることはありません。それだけ関西圏では圧倒的な力を持っているのですが、このところのふらつきといい週刊現代の報道といい、今後どうなるか怪しいところがあります。

 仮に弱り目となったらこれまでブイブイ言わしてきた分、一斉に叩かれる事も有り得るのではと見ており、この手の報道に強い週刊誌メディアの活動に期待します。

2012年5月24日木曜日

元星風の解雇に対する不満

元星風の解雇は「有効」=八百長への関与認定―東京地裁(時事通信)

 非常にショックなニュースなので、孤軍奮闘とばかりに私が取り上げることにします。
 かつて相撲業界を大きく震撼させた野球賭博、ひいては八百長問題は皆さんの記憶にも新しいかと思います。特に後者では人気力士も含めて多くの力士が角界から去りましたが、その中の一人に今回取り上げる星風も含まれておりました。

 この星風が解雇された背景ですが、はっきり言って非常に不可解な経緯を持っております。八百長騒動の際に星風はもちろん行為を否定し、委員会も特に深く追及することなく最初に発表された処分者の中に加えられることがありませんでした。しかし最初に多くの力士を処分した後に突然、記事にも書かれている通りに元千代白鵬と、仲介役だった元幕下恵那司が星風も八百長に関わっていたと証言したことから、突如星風も処分対象者に加えられることとなりました。
 しかも相撲協会の怪しい、というか不可解極まりない点で、八百長を指摘した星風に対して勧告に従って引退すれば退職金は満額出すと提示したのです。もっともこれはほかに引退を勧告した力士も同じではありましたが、星風の場合で何が違ったのかというと、不正は一切行っていないのだから復帰させてほしいとこの退職金の受け取りを拒否した点です。

 この星風の本名ですがボルド・アマラメンデといい、見てわかる通りに日本国籍者ではなくモンゴル人です。相撲協会が彼に提示した退職金額は母国であれば年収の十年分以上に相当する額だったそうですが、それすらもはねつけてまで彼は相撲を取りたいと言ってくれました。またそもそもの八百長に関しても、元々日本人力士が多く関わっていた中で外人力士は言語の問題からあまり加わっておらず、どうしてこの星風だけがこうもしつこく追及されることとなったのかも傍目には怪しく感じます。
 今回、東京地裁の渡辺弘裁判長(竹田光広裁判長代読)は相撲協会の解雇は有効として、星風の処分撤回請求を棄却しました。やや性善説に偏った意見かもしれませんがこれだけ熱意を持って復帰を希望している星風が八百長をしたとは私には思いづらく、また八百長をやっていた当人である恵那司らの証言がどうして丸ごと信用されるのかという疑問が強いだけに、今回のニュースは非常に残念であることと世間ももっともこの問題に注目してほしいと思い、筆を取った次第であります。

2012年5月23日水曜日

上海の地下鉄終電時刻が早いわけ

 上海に来た経験がある人ならわかるでしょうが、こっちの終電時刻は以上に早いです。夜11時台ともなればほぼすべての路線が終電を終えており、一部路線なんかは10時台で閉め切っちゃうところもあるくらいです。別に夜遊びするわけじゃないから私にとってはほぼ影響は皆無ではあるものの、唯一面倒なのは夜の便で上海に到着する時で、なんと空港と直結している路線は10時台で終電を終えてしまい、9時台に到着する便では入管とかで時間食ってほぼ確実に乗ることが出来ません。恐らく、空港路線に関してはタクシー業界に配慮しての時間設定であるとみてはいるのですが。

 こうした地下鉄の時間設定は、確か北京でも一緒だったような気がします。何故かくも中国の地下鉄は終電が早いかなのですが、一つは中国人のライフスタイルが大きく影響しております。基本、中国人は日本人と比べて早寝早起きで、日本では路上に人がそれほどうろついていない自国でも元気に動き回っていたりします。休日なんか日本だと朝8時にはほとんど見ませんが、こっちだと普通に散歩している人とか友達と一緒に歩いている人がいたりします。その一方で夜は比較的早く、もちろん夜中過ぎても都市部ではうろついている人は多いですが、それでも日本と比べると随分と少ない印象を覚えます。

 私も関東の都市部、といっても最寄駅の路線は電車が約十分おきに来るので友人から「田舎だね」と揶揄されるところに住んでおりましたが、日本と比べて随分と終電が早いこっちの地下鉄には当初は辟易してました。それこそこっちで友人と夕食を取ると9時を過ぎたら帰る準備をしなくてはならないし、終電を逃したら安いけどタクシーに乗るしかなくなります。ただこっちのライフスタイルに慣れて後になって考えてみると、そもそも日本人の方が夜の生活が長すぎるのではないかという疑問を覚えるようになりました。
 去年の東日本大震災以降、節電のために都市部では電飾などの照明が切られたと聞きますが、人によっては今までが明るすぎてかえってこっちの方がよるらしくていいという意見を見受けましたし、一時帰国した際にその様を見かけた私も同じような感想を持ちました。踏み込んでいうなら、これまで夜中にもかかわらず散々に照明を飾り立て、健康上によくないことをしていたのではないかという疑念も持ち上がってきました。

 また夜の生活が長くなるということはサービスを享受する側はともかくとしてサービスを提供する側、いくつか挙げるならコンビニなど小売店から居酒屋など飲食店の従業員はそれだけ勤務時間が長くなり、睡眠時間も減るということです。細かい話をすれば健康を崩す人も出てきて医療費も上がるでしょうし、何より過重労働の温床になって全体でも効率が落ちる可能性があります。そもそも何故こういった深夜営業する店が増えていっているのかというと、深夜まで遊べる、つまり電車の終電時刻が長いことも一因と考えることもできます。
 こういう風に考えてみると、かえって中国のように終電時刻を短くした方が全体の社会衛生上で好ましいのではないかと当初とは逆の立場に段々傾いていきました。それこそ小売店や居酒屋の従業員が組合作って深夜労働を制限することが一番望ましいのですが、それが出来ないというのであればクールビズを政府が率先して実現したように、地下鉄の終電時刻を短くしてしまって間接的に制限するのもありかもしれません。

 中国は何でも日本より遅れていると考える日本人は非常に多いですが、こと地下鉄の終電時刻については中国の方が社会的に理に適っていると、私は主張します。そう言いながらも、空港直結路線くらいはもう少し長くしてほしいのですが。

2012年5月22日火曜日

社会学士の話の組み立て方

 人によってはよく、「出身学部による違いなんてない」と言う方も珍しくないかと思いますが、私はこれと立場が違ってやっぱりどの学部を卒業したかで大なり小なりその人のパーソナリティに影響が出ると考えております。もっとも同じ経済学部でも古典派かマルクス経済かのどっちを専攻したかによっても変わってくるので一概にこの学部だからこうという言い方はできませんが、文系においてはある学部だけは話し方に明確な特徴があるような気がします。もったいぶらずにその学部を明かすとそれは法学部で、私の周りだけかもしれませんがこの学部出身者はやはり立証という概念が色濃い学部なだけに、なんかどの人も根拠を順番にかつ細かく説明してから結論を最後に持ってくる人が多いように思えます。

 では私の出身である社会学出身の人間はどんな話し方というか傾向があるのかですが、こちらも結論から述べると、なんかやたら話をひっくり返そうとする人が多い気がします。簡単に例を出すと、道路交通を円滑にするために信号機をどの程度の割合で設置するかと話してたら、そもそも信号機自体が交通円滑化を進めるに当たって邪魔になるのでは、信号単体の効果を検測すべきではと突然言い出すような感じです。自分を含め、同じ出身の友人もなんだかこういう性格の人間が多いような気がしてなりません。
 なんでこんなややこしいというか面倒な話し方をするのが社会学出身に多いか(私の周りで)ですが、考えられる根拠としては社会学自体が因果関係を強く疑う学問だからじゃないかという点が挙がってきます。社会学というのは習っている人には早いですが、自然科学においては当たり前とされる「原因→結果」という因果関係を「原因⇔結果」もしくは「原因→結果→別の原因」というように、物事の因果関係を双方向的に捉えたり、ある事象において一般的に信じられている原因が本当にその原因なのかということをやけに疑う学問です。そのため場合によってはある結果が原因自体を変化させる、一番いい例としてはイソップ童話の「酸っぱいブドウ」で、木の上のブドウを食べたいと思って手を伸ばしたが取ることが出来なかった狐が「きっとあのブドウは酸っぱいに違いない」と自己判断して納得するという話がありますがこの例だと、

  ブドウが欲しい→手が届かない→ブドウはきっと酸っぱいに違いない=原因→結果(原因)→原因(結果)

 という具合に、ブドウが欲しいかどうかという原因が手の届かない結果によって欲しいから欲しくないに変わる過程だと解釈することが出来ます。ほかの自然科学においては原因と結果は基本ワンセット、あるとしても複数の原因が一つの結果を生むと捉えがちですが、社会学では一つの事象で原因と結果が何セットも出来上がることがあります。

 こういう風な七面倒くさい捉え方をするもんで、やっぱり同じ学科出身の人間は卵が先か鶏が先なのかという具合に、物事に対してどっちが原因でどっちが結果なのかをまず考えてから話をする人が確実に多かったし、多分自分もその口なんだと思います。それこそ自殺を例にとるなら、普通の人は不景気だから自殺が増えていると考えるでしょうが、自分なんか自殺が増えているから不景気なイメージが強まっていると本気で信じており、景気が悪いことと自殺が増加することの因果関係を統計でまず確かめてみようと言い出します。まぁこれは過去の統計で言うと、世界的に好景気時も自殺が増えるという結果が出ているのですが。

 以上はあくまで私個人の私感であって統計的に確かめた結果ではありません。ただどの学部を出ても卒業してしまえば一緒というのは違うのではないか、大学の勉強は後半生に何の影響も残さないというわけではない、人格形成において何かしら影響が出るということを言いたく、こんなの書いてみました。

 一昨日までエプソンのネットブックで記事書いておりましたが、やっぱりキーボードはあっちの方が小さい癖に打ちやすいです。今使っているNECのラヴィなんてこの記事だけで何度ミスタイプしていることやら。ほんと、キーボードさえよければラヴィはいいのに。

2012年5月21日月曜日

視聴率ランキングの変動について

 昨日はこのところ取り立ててニュースがないと言っておきながらですが、最近にびっくりしたというか目を見張ったものとして下記のニュースがありました。

テレビ朝日、4月の平均視聴率が初の「月間4冠」(産経新聞)

 別に自分はテレビ業界の人間というわけじゃないですが、あのテレビ朝日が月間とはいえ全部門で視聴率首位となるなんて、これまで夢にも思いませんでした。それだけにこのニュースは、今後テレビ界が大きく変動する前触れのようなものを感じさせられます。

 まず日本テレビ界の年間視聴率順位について軽く説明しますが、90年代から2000年代中盤までは毎年、フジテレビと日テレが首位争いをして、3位はTBS、4位はテレビ朝日、テレビ東京は別枠……という風な不文律がありました。もっとも首位争いについては妙な規則性があり、80年代から93年まではフジテレビが首位でしたが、94年に日テレが首位を奪うや03年までその王座を死守し続けております。それが04年にフジテレビが再び奪回するとまたしてもフジテレビの天下が続くというような具合で、一回逆転されるとしばらく再逆転は叶わないというジンクスがまことしやかに伝えられております。なお昨年の年間視聴率は日テレが「家政婦のミタ」等のヒットによって7年ぶりに1位となったことから、フジテレビは今後しばらく2位に甘んじると予想されてます。

 話はテレビ朝日に戻りますが、確か08年か09年あたりに年間視聴率でTBSを抜き、万年4位の汚名返上に成功してます。ただこの時の順位変動はテレビ朝日が躍進したというより、TBSが落ちぶれた結果だろうと当時の私は分析してます。あくまで私個人の意見ではありますが、当時、といっても現在もそうでしょうがTBSの番組はひどいというよりほかがなく、がんばって面白がって見てみようと本気で努力しましたがどうやっても楽しむことが出来ず、安住紳一郎アナが出ている「ぴったんこカン・カン」以外は全く見ることがありませんでした。逆を言えばこれだけは面白かったんだけど、同じ安住アナが出る「さんまのからくり御殿」なんかは仕込みがひどすぎて途中で失望したなぁ。
 一方、テレビ朝日ですが、田原総一郎氏の出ていた「サンデープロジェクト」を打ち切るなど残念なところも少なくありませんでしたが、今回の月間視聴率四冠の原動力となったドラマ「相棒シリーズ」を始め、地味にコンテンツが充実している気配は感じていました。特に私が感心していたのはニュース番組で、明らかに他の民放と比べて視点が面白く、NHKニュースが始まるまではテレビ朝日を見続けるという習慣がいつの間にかできていました。ただ10年後半からは現在のように上海で生活するようになったので細かいチェックは出来ていませんが、今回こうして四冠を取れたという報道を見る限りではまだ番組の質が上昇傾向にあるのではないかと予想します。

 このようにテレビ朝日の躍進に納得感を持つ一方、ちょっと本気で心配しているのはフジテレビです。既に書いた通りに去年に年間視聴率で日テレに逆転されましたが、今年に入ってからは景気の悪い話しか出てきておらず、まずホットなものとしては放送前から脚本の盗作騒動が起こった「家族のうた」が、ゴールデンの時間帯なら普通にやったって取りようがないほどの極端な低視聴率に喘いで打ち切りとなっています。どうせなら変に打ち切らず、このまま過去最低視聴率記録とかに挑戦してほしかったものですが。
 また昨年は韓流ドラマやアイドルを以上に持ち上げ過ぎだという批判がネットを中心に巻き起こり、かなり大規模なデモにまで発展する事態まで引き起こしています。私はあの時のデモは規模こそ非常に大きいしいくらか影響は出るだろうとは見ていたものの、それはあくまで一時的なものにとどまるとみておりましたが、年間視聴率で2位に落ちたりドラマが売れなかったりするのを見ていると地味に長く効いてきてるんじゃないかとこの頃感じつつあります。

 でもってまた趣味のニュース番組についてですが、2010年時点の放送で言えば一番駄目なニュース番組はTBS、次いでフジテレビでした。何が悪いかというと視点がほかのキー局と比べて独特なのはいいとしても、それがどうも見当違いな視点が多いように当時感じました。また月から金の関東での放送は6時20分台から主婦向けのグルメ特集しか放送せず、特集報道も他局に比べて内容が薄ければ本数も少ないように感じてました。ちなみにTBSは時間帯を買えたりして努力はしたものの、定着しきれなかった上にNHKニュースと同じ時間帯でぶつかったのが敗因であって、一応その時の姿勢は買っています。
 ちょっと気の早い予想ですが、下手したら今年のフジテレビは年間視聴率で1位を逆転するどころか3位に転落するかもしれません。それこそ去年みたいにまた韓流贔屓で大きな騒動に発展したら致命傷で、テレビ朝日の躍進を許すことになるんじゃないでしょうか。

2012年5月20日日曜日

政治を測るのに必要なもの

 このところ疲労が抜けないのもあるのか、真面目にブログでかくネタがホントにありません。日本の報道を見ていてもいちいち報道するほどのものかと悩むくらいくだらないものが多い上に、政治環境も解説する価値もないしょうもない話ばかりで困ってます。まぁ一言だけ書くと、最近なんだかが自民党の谷垣総裁と鳩山由紀夫元首相は空気が読めない点で案外似た者同士かもと思う程度です。
 そんななのでちょっとしょうもないことを書きますが、先日に知り合いに簡単に日本政治史を指導しましたが、改めて政治を測るのには何が必要なのかと考えてみました。基本的に必要なものは政治家個人々々に関するデータはもとより、政策や法律に関する知識ですが、それらの中でも一番重要なものを挙げるとすると変遷の歴史こと過程だと思います。

 ひとつ例にとるとメディアが全く騒がずにすんなり決まってしまった郵政の再国有化ですが、そもそも一体何故民営化が進められたのか、そしてなぜ郵政選挙に突入したのかという背景と共に説明する記事はついぞ見ることはありませんでした。しかし何故ここで再国有化が決められたのか、またそれによって生まれるメリットデメリットを見るためにはやはり過去の議論をもう一度見直す以外にほかありません。またちょっとグレードを上げるのであれば、2010年夏に起きたペリカン便とのシステム統合によって起きた混乱も付け加えればそこそこ話としては面白くなってきます。

 これは政治議論に限るわけじゃないですが、やはり最近の報道に欠けているのは前段階の知識や背景の解説のような気がします。スポット的に今起きた事だけをさらりと報道するだけならそれほど難しくはありませんが、なるべく詳細に前後関係をはっきりするような報道がないせいでなんだかニュースが詰まらなくなっている気がします。もっとも、仮に自分がやれと言われたら面倒がってそれほど解説せずに、「わかるやつにはわかるだろう」と言ってさらりとした記事にするでしょうが。

2012年5月19日土曜日

ブランデンブルクの奇跡について

ブランデンブルクの奇跡(Wikipedia)

 意外と知らない人が多そうなので、ドイツ版神風こと「ブランデンブルクの奇跡」について今日は解説します。

 このブランデンブルクの奇跡というのは歴史的故事で、先にも書いた通りに日本の神風同様、国難の状況下で一発逆転の奇跡は起きる材料として長らく信じられてきました。これが一体どんな故事なのかというと、時代は十八世紀の、まだドイツ連邦として統一される前のプロイセン王国所の時代に起きたエピソードが元となっております。
 当時のドイツは日本の戦国時代よろしく、それぞれの地方が独立王国として群雄割拠しておりました。その中でドイツ騎士団が殖民した地に成立したプロイセン王国というのが次第に力を持ってきており、十八世紀にこの地の支配者となったフリードリヒ大王が勢力を拡張したことで、後のドイツ統一の基礎固めが進められることとなります。

 このフリードリヒ大王、人物単体としても非常に面白い人間で、世界史の授業では「啓蒙絶対君主」といって国民の基礎教育レベルの向上に取り組んだ一方で、「よく議論せよ。そして我に従え」という言葉に表されるように、政治活動面では絶対的な独裁者として国を引っ張って引きました。
 彼は即位直後、オーストリア(当時は神聖ローマ帝国)の王位に元婚約者であるマリア・テレジアが即位したことにフランスをはじめとした周辺国が反発したことによって起きたオーストリア継承戦争にすぐさま参戦し、どさくさにまぎれて重要拠点であるシュレジエンの獲得に成功します。しかしシュレジエンを奪い取られたオーストリアの反感は凄まじくフランスとの戦争にひと段落をつけたマリア・テレジアはフランスやロシア、スウェーデンらを外交で引き込み奪回を企図します。これに対してフリードリヒ大王は機先を制する形でザクセン選帝侯領に進軍し、七年戦争の火蓋を切りました。

 緒戦でこそ善戦を続けたもの、墺仏露+スウェーデン相手にプロイセン側は自分自身ただ一人。兵力の差は如何ともしがたく徐々に追い詰められ、クネルスドルフの戦いでは壊滅的な打撃を受け、味方からも逃亡者が相次ぐなど絶体絶命の状況に追い込まれます。もはや総攻撃を受ければ全滅は必死の状況でフリードリヒ大王も死を覚悟して事実上の遺書まで用意しましたが、なんと追い詰められてから数日間、敵軍には何の反応もありませんでした。
 一体何が起きていたのかというと、プロイセン同様に連合軍も大きな損害を出していたことに加え、なんと連合を組んでいるロシア軍とオーストリア軍の間で主に戦後処理をめぐって不協和音が起こり、結局総攻撃が実施されなかったのでした。また連合軍がもたついている間にプロイセン側では逃亡兵も徐々に戻ってきて、見事な立ち直りを見せました。

 さらにプロイセン側にとって幸運だったのは、このクネルスドルフの戦いの数ヵ月後にロシアで女帝エリザヴェータが死去し、かわって王位についたのがフリードリヒ大王を信奉していたピョートル三世だったことです。ピョートル三世は即位するやすぐに戦闘を中止させ、連合軍から抜けてしまいました。
 ここで間髪を逃すようなフリードリヒ大王ではなく、残った敵のオーストリアに総攻撃をかけると一気にシュレジエンはおろかザクセンからも追い出し、この戦争の勝利を決定付けてしまいました。

 この二つの故事をまとめてブランデンブルクの奇跡と呼びますが、どうもドイツでは日本の神風のように、いざとなったらありえない奇跡が起きて逆転できるという思想が、程度は知りませんが一応はあったようです。それが確認できるのは第二次大戦下のドイツで、ヒトラーは大戦末期にアメリカのフランクリン・ルーズヴェルト大統領が死去するやこの故事を引っ張り出し狂喜乱舞したそうですが、現実には戦況はひっくり返らずヒトラーも自殺に追い込まれることとなりました。

 日本の神風についても同じことが言えますが、昔起きた偶然を頼りにするというのは大の大人がやるべきことではありません。歴史の故事は所詮は故事であって、それを現在の状況に無理に当てはめて考えるというのは無理があるでしょう。もっとも、成功体験ではなく失敗体験であれば歴史は繰り返すことも多いのですが。