最初は記事にするつもりなんてさらさらなかったけど、例の松戸市の紀州犬の話題がやたらと長く報じられているのと、マッドシティこと松戸の話題なので取り上げます。
ニュース概要を簡単に説明すると、千葉県松戸市の路上で人に噛みついている大型の犬がいたことから警察は飼い主の了解を得て射殺しました。その際に警察は拳銃を13発も撃っており、いくら何でも犬に対してこれほど発砲する必要があったのか、流れ弾が人に当たったりしたらどうなっていたのかなどと批判が集まった上、そもそも犬を射殺する必要があったのかなどという声もあって大きな話題となっております。
射殺されたのは体長1メートル超の紀州犬だったそうですが、今回の事件以前からもこの犬に噛みつかれるといった被害が出ていた一方、一部報道によるとやや劣悪な環境で飼われていたともされ、何発もの銃弾で射殺されたことといい同情論も少なくありません。
まず射殺の是非について個人的な意見を述べると、やっぱりやりすぎだったのではないかと私は思います。さすがにライオンや豹など確実に人間を殺害してきたり(松島トモ子)するような猛獣であれば射殺もやむを得ませんが、大型犬とはいえ軍用犬みたいに訓練されているわけではなかったようですし、暴れて人間の指とか耳をもぎ取るほどの脅威かといえばそこまではいかないでしょう。しかもそれほど脅威のない動物に対して住宅街で流れ弾の恐れがある発砲を13発も撃つだなんてちょっと大袈裟だと思え、飼い主を含めた複数人で取り押さえるとか周囲に逃げ出さないようにするだけでもよかったのではないかという気がします。現場にいなかったのでやや無責任な言い方な気もしますが、夜中にパンパン発砲する方が危ないように思えますし。
千葉県警は今回の発砲は適切だったと話していますが、折角だからメディアはほかの都道府県の警察とか警察OBに意見を聞くべきでしょう。
あとこの事件をより大きく注目させている要素として、この事件が起きたのが私も連載記事で紹介しているマッドシティこと松戸市である点も見逃せません。ネットの声を見ていると「これだからマッドシティは」、「なんでここ全国で報じられるような事件が多発してるんだよ」などともはやすっかり「危険な都市、松戸」と認識されている模様です。
私自身は一連のマッドシティ記事でも書いているように日本の潜伏拠点がたまたま松戸にありますがそこまで愛着があるかといったらそれほどでもなく、ただ幼少時より関わりのある街だからやけに昔の名残とかそういうのは確かによく覚えている方です。一応フォローを入れておくと普段住んでてそれほどバイオレンスな雰囲気を感じる街ではなく、私個人の感覚で申せばインドのニューデリーや京都府京田辺市に比べれば怖くもなんともない平穏この上なき所です。もっとも友人に言わせれば、「君自身が危険人物だからそう思うんだろ」って言われそうですが。
最後にマッドシティでの犬絡みの思い出を一つ語ると、確か去年の四月頃に夜中自転車で走ってたらどっかの家の犬が庭先から私に向かって吠えてきたのですが、ちょうどその時めちゃくちゃイライラしていたので、「うるせぇっ!」って町内中に響き渡るくらいでかい声で犬に怒鳴り返したことがあります。犬自体は吠えるのをやめませんでしたが私の前を自転車で走ってたおっさんがやけにビビッてて、すぐ次の曲がり角を急ぐようにして曲がって去っていったのですが、その後私がしばらく走った先にある信号で待っていたらそのおじさんと再び合流してしまい、おっさんはなんかそわそわした感じで私の方を向こうともしませんでした。
こういうことをしでかす辺り、犬より危険というか鬱陶しいな自分って思えてきます。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2015年9月16日水曜日
監視カメラと治安
・JR連続不審火 42歳男を威力業務妨害容疑で逮捕 品川変電所被害に関与 一連の不審火との関連捜査(産経新聞)
このところ話題になっていたJR線への放火事件についてどうやら容疑者が捕まったようです。交通インフラへの放火事件とあって内心けしからんと思っていただけに、まだ確定ではないものの容疑者が捕まってよかったと心の底から思います。
ただそれにしてもこんな事件でも容疑者を捕まえられるとは、警察の捜査もなかなか捨てたものではありません。犯行はどれも夜中に行われていたようで、しかも犯人は変装をしていたとのことですが、周辺の監視カメラなどの情報を元にこうやって特定するところまできたそうです。
ここで話は中国に変わりますが、会社の同僚によると何でも北京での強盗や殺人といった事件の検挙率は99%超に及ぶそうです。こうした重大犯罪を犯した場合はよっぽどのことがない限りは検挙されるそうですが、これほどの高い検挙率の裏にあるのは先ほど出てきた監視カメラの存在が大きいようで、実際中国の大都市で歩きながら観察していると確かに監視カメラがあちこちについているなという気がします。
何気に上海人である友人の父親は監視カメラを作る会社で働いていたそうなのですが、どうも話を聞いていると国有企業だったそうで、このことを前の会社の同僚に話したら、「中国は監視社会なだけあって監視カメラも国が自分達で作るんだね」と指摘され、妙に納得したことがありました。
ただ中国が監視社会であることは置いておいても、こと治安に関しては監視カメラが多い方が良いに決まっています。日本では私の見る限りだとまだ監視カメラに抵抗を持っている人が多く、曰くプライベートが覗かれそうだとか見られたくないところを見られるとかありますが、私に言わせれば「見られて恥ずかしいようなことをする方が悪い」ように思え、こうした声は参考に値するのかというと疑問です。
さすがにトイレの中とか銭湯の脱衣所にまで仕掛けたりするのはやりすぎだと思いますが、人通りの少ない通りや、ひったくりなどの軽犯罪が多発している現場などには今よりももっと多く置いた方が示威効果も期待できるだけに価値がある気がします。あと極端な話、電車の車内にも置くことで痴漢犯罪、痴漢冤罪、暴力行為なども抑止できたりするのではとも思えます。
最後に、監視社会についてもう少し述べておくと、見られること自体は何の束縛でもありません。真の束縛とは発言を許さない言論統制のような行為で、何かの発言を門に処罰されたり拘束されたりすることがあって初めて監視社会だというような気がします。その点で言えば日本は天皇に関する危険な発言以外は何でも許されるだけに、別に監視カメラを置いたとしてもそれほど問題ではない気がします。
逆に中国はですが、この前リアルに取引先の中国人に、「中国にはもちろんありますが、でも日本にも多少は言論統制ってあるでしょ?」って言われ、やっぱこっちの人は言論統制があること自体が自然なんだなと再認識させられました。
このところ話題になっていたJR線への放火事件についてどうやら容疑者が捕まったようです。交通インフラへの放火事件とあって内心けしからんと思っていただけに、まだ確定ではないものの容疑者が捕まってよかったと心の底から思います。
ただそれにしてもこんな事件でも容疑者を捕まえられるとは、警察の捜査もなかなか捨てたものではありません。犯行はどれも夜中に行われていたようで、しかも犯人は変装をしていたとのことですが、周辺の監視カメラなどの情報を元にこうやって特定するところまできたそうです。
ここで話は中国に変わりますが、会社の同僚によると何でも北京での強盗や殺人といった事件の検挙率は99%超に及ぶそうです。こうした重大犯罪を犯した場合はよっぽどのことがない限りは検挙されるそうですが、これほどの高い検挙率の裏にあるのは先ほど出てきた監視カメラの存在が大きいようで、実際中国の大都市で歩きながら観察していると確かに監視カメラがあちこちについているなという気がします。
何気に上海人である友人の父親は監視カメラを作る会社で働いていたそうなのですが、どうも話を聞いていると国有企業だったそうで、このことを前の会社の同僚に話したら、「中国は監視社会なだけあって監視カメラも国が自分達で作るんだね」と指摘され、妙に納得したことがありました。
ただ中国が監視社会であることは置いておいても、こと治安に関しては監視カメラが多い方が良いに決まっています。日本では私の見る限りだとまだ監視カメラに抵抗を持っている人が多く、曰くプライベートが覗かれそうだとか見られたくないところを見られるとかありますが、私に言わせれば「見られて恥ずかしいようなことをする方が悪い」ように思え、こうした声は参考に値するのかというと疑問です。
さすがにトイレの中とか銭湯の脱衣所にまで仕掛けたりするのはやりすぎだと思いますが、人通りの少ない通りや、ひったくりなどの軽犯罪が多発している現場などには今よりももっと多く置いた方が示威効果も期待できるだけに価値がある気がします。あと極端な話、電車の車内にも置くことで痴漢犯罪、痴漢冤罪、暴力行為なども抑止できたりするのではとも思えます。
最後に、監視社会についてもう少し述べておくと、見られること自体は何の束縛でもありません。真の束縛とは発言を許さない言論統制のような行為で、何かの発言を門に処罰されたり拘束されたりすることがあって初めて監視社会だというような気がします。その点で言えば日本は天皇に関する危険な発言以外は何でも許されるだけに、別に監視カメラを置いたとしてもそれほど問題ではない気がします。
逆に中国はですが、この前リアルに取引先の中国人に、「中国にはもちろんありますが、でも日本にも多少は言論統制ってあるでしょ?」って言われ、やっぱこっちの人は言論統制があること自体が自然なんだなと再認識させられました。
2015年9月13日日曜日
ルワンダ虐殺の歴史伝承
このブログでも解説記事を多く載せているのでわかるでしょうが、私は相当な歴史好きです。この傾向は小学生時代から始まっており、この手のタイプとしてご多分に漏れず自分も歴史に名を残したいという野心は少なからずあり、このブログも将来誰かに資料として読まれることを前提として書いている記事もあったりします。とはいえ現時点ではとても歴史に名を残すようなことはおろか重大な歴史事件にも関わることもない平穏平生な人生を歩んでいるのですが、唯一といっていいものか微妙ですが、世界史に刻まれたある事件に対してほんの一瞬、ちょっとだけですが触れたような感覚を持つことがありました。
それがあったのは私が北京に留学していた頃で、当時週に一度行われる会話の授業にてアフリカ出身のクラスメートと一緒になりました。最初は、「あ、黒人だ」っていうくらいで別に意識することもなく、また授業中でもそんなにから見なくて一回だけ、「日本語にも中国語の発音法則の四声ってあるの?」と聞かれたくらいしか関わりがなかったのですが、授業中のふとした会話から彼がルワンダ出身だということがわかりました。その際に授業の講師は、「ルワンダというと、あのフツ族とツチ族の内戦があった場所だね」とだけ話し、それ以上はどちらも深く会話せずにまたいつも通りに授業へ戻りました。ただこの瞬間、あの虐殺の現場にいたかもしれない人と自分は今同じ場所にいるんだと、私一人で強い意識を持ちました。無論、当人に詳細を確かめるようなことはできませんでしたが。
・ルワンダ虐殺(Wikipedia)
ルワンダというのは中部アフリカにある国の事で、他のアフリカ諸国同様にかつてはドイツ、次いでベルギーの植民地でした。この地にも元々住んでいた民族がいたのですが、植民に来た白人は彼らのうち遊牧を主としていた人たちをツチ族、農耕を主としている人たちをフツ族と分け、恐らくは支配を合理化するために片方のツチ族を優遇するといった政策を取りました。
なおこの民族を分ける境界線はほとんどあってない物で、両社ともに言語や文化を共通しており、見かけには多少の違いがあると言われるものの互いにIDで確認する以外はどちらに属するか判断できないくらいに差はなく、民族系統的にはほぼ同じ民族だと言っても過言ではないでしょう。しかし白人による政策での扱いの違いから多数派のフツ族はツチ族に対して根深い反感を持つようになり、独立を果たした後もその感情はずっと積もっておりました。
そうした中で起きたのが、1994年のルワンダ虐殺です。詳細は上記リンク先のウィキペディアに詳しく解説されておりますが、フツ族を中心とした政府、民間団体が結託して入念な準備が成された上で、当時の大統領が暗殺されたことをきっかけにルワンダ全土で一斉に引き起こされました。
この虐殺は文字通り民族浄化を目的としたもので、怨みがあるからとか戦略があるからなどという理由はなく、ただツチ族であるという一点でもって住人が大量に殺害されました。その犠牲者は当時のルワンダ人口の10~20%に当たる50万から100万人と言われ、老若男女の区別なく多くの人間が近隣の住民らの手によって殺されました。
この虐殺の計画自体は決行前から噂されており、国連平和維持軍の指揮官などは危険な状態にあるとして増援の派遣も要請しておりますが、これらに対して国連を始めとした国際社会はほとんど無視し続け、フランスに至っては虐殺を実行した政府軍を陰で支援していたとすら言われております。そして虐殺が開始されその実態が伝えられた後も国際社会は何の反応も示さず、隣国にいたツチ族の反政府軍が政府軍を打破して紛争が終るまでずっと続けられるのを放っておかれました。
仮にこういった虐殺が先進国内で起こっていたら、言うまでもないでしょうが国際社会は軍隊を派遣するなどして虐殺を止めるか住民を保護するようにと動くでしょう。しかしこの事件を取り扱った「ホテルルワンダ」という映画にて虐殺現場を撮影したカメラマンがルワンダ人の主人公に対し、「この映像が世界に放映されたとしても、きっと先進国の人間は『怖いね』とだけ言ってまたいつもの夕食に戻るだけだ」と、悔しげに話すシーンがありますが、私自身この言葉を否定することができません。
このルワンダの虐殺は時代的には非常に新しい事件であるものの、この事件について覚えている人間は現時点でもかなり少なくなってきているように思え、また事件以降に生まれた世代に至っては事件そのものを全く知らないという人も多いのではないかと思います。私自身もそこそこ年齢を積むまで文化大革命からクメールルージュについて全く知識がなかったですが、それでも小学生の時代でもナチスのユダヤ人虐殺を知っていたということを考えると、リアリスティックな意見を言えば人一人の命の重さには明確な差があると言わざるを得ません。
ただでさえ話題に上がることも少ないので伝わる量にも限界があることは百も承知ですが、知られないよりはやはり知っておくべき事件だと思え、ちょうど欧州でシリア難民が問題となっている時期でもあるだけにここでひとつ紹介しようと思い立ちました。
それがあったのは私が北京に留学していた頃で、当時週に一度行われる会話の授業にてアフリカ出身のクラスメートと一緒になりました。最初は、「あ、黒人だ」っていうくらいで別に意識することもなく、また授業中でもそんなにから見なくて一回だけ、「日本語にも中国語の発音法則の四声ってあるの?」と聞かれたくらいしか関わりがなかったのですが、授業中のふとした会話から彼がルワンダ出身だということがわかりました。その際に授業の講師は、「ルワンダというと、あのフツ族とツチ族の内戦があった場所だね」とだけ話し、それ以上はどちらも深く会話せずにまたいつも通りに授業へ戻りました。ただこの瞬間、あの虐殺の現場にいたかもしれない人と自分は今同じ場所にいるんだと、私一人で強い意識を持ちました。無論、当人に詳細を確かめるようなことはできませんでしたが。
・ルワンダ虐殺(Wikipedia)
ルワンダというのは中部アフリカにある国の事で、他のアフリカ諸国同様にかつてはドイツ、次いでベルギーの植民地でした。この地にも元々住んでいた民族がいたのですが、植民に来た白人は彼らのうち遊牧を主としていた人たちをツチ族、農耕を主としている人たちをフツ族と分け、恐らくは支配を合理化するために片方のツチ族を優遇するといった政策を取りました。
なおこの民族を分ける境界線はほとんどあってない物で、両社ともに言語や文化を共通しており、見かけには多少の違いがあると言われるものの互いにIDで確認する以外はどちらに属するか判断できないくらいに差はなく、民族系統的にはほぼ同じ民族だと言っても過言ではないでしょう。しかし白人による政策での扱いの違いから多数派のフツ族はツチ族に対して根深い反感を持つようになり、独立を果たした後もその感情はずっと積もっておりました。
そうした中で起きたのが、1994年のルワンダ虐殺です。詳細は上記リンク先のウィキペディアに詳しく解説されておりますが、フツ族を中心とした政府、民間団体が結託して入念な準備が成された上で、当時の大統領が暗殺されたことをきっかけにルワンダ全土で一斉に引き起こされました。
この虐殺は文字通り民族浄化を目的としたもので、怨みがあるからとか戦略があるからなどという理由はなく、ただツチ族であるという一点でもって住人が大量に殺害されました。その犠牲者は当時のルワンダ人口の10~20%に当たる50万から100万人と言われ、老若男女の区別なく多くの人間が近隣の住民らの手によって殺されました。
この虐殺の計画自体は決行前から噂されており、国連平和維持軍の指揮官などは危険な状態にあるとして増援の派遣も要請しておりますが、これらに対して国連を始めとした国際社会はほとんど無視し続け、フランスに至っては虐殺を実行した政府軍を陰で支援していたとすら言われております。そして虐殺が開始されその実態が伝えられた後も国際社会は何の反応も示さず、隣国にいたツチ族の反政府軍が政府軍を打破して紛争が終るまでずっと続けられるのを放っておかれました。
仮にこういった虐殺が先進国内で起こっていたら、言うまでもないでしょうが国際社会は軍隊を派遣するなどして虐殺を止めるか住民を保護するようにと動くでしょう。しかしこの事件を取り扱った「ホテルルワンダ」という映画にて虐殺現場を撮影したカメラマンがルワンダ人の主人公に対し、「この映像が世界に放映されたとしても、きっと先進国の人間は『怖いね』とだけ言ってまたいつもの夕食に戻るだけだ」と、悔しげに話すシーンがありますが、私自身この言葉を否定することができません。
このルワンダの虐殺は時代的には非常に新しい事件であるものの、この事件について覚えている人間は現時点でもかなり少なくなってきているように思え、また事件以降に生まれた世代に至っては事件そのものを全く知らないという人も多いのではないかと思います。私自身もそこそこ年齢を積むまで文化大革命からクメールルージュについて全く知識がなかったですが、それでも小学生の時代でもナチスのユダヤ人虐殺を知っていたということを考えると、リアリスティックな意見を言えば人一人の命の重さには明確な差があると言わざるを得ません。
ただでさえ話題に上がることも少ないので伝わる量にも限界があることは百も承知ですが、知られないよりはやはり知っておくべき事件だと思え、ちょうど欧州でシリア難民が問題となっている時期でもあるだけにここでひとつ紹介しようと思い立ちました。
2015年9月12日土曜日
騒音('A`)
この前の水曜と木曜日は上海で開かれていた展示会に参加してきたのですが、その際にひと騒動がありました。この展示会は二日間に渡って開かれるものなので一日目にわざわざ昆山に帰るのもあれだし上海市内でホテルを予約して泊まったわけなのですが、このホテルでトラブルがあったわけです。
泊まったホテルは中国でも最大手のビジネスホテルチェーンである「MOTEL168」系列の「莫泰168(上海虹井路店)」でした。このホテルには去年開かれた同じ展示会の際にも泊まったホテルだったのですが、決していいホテルというわけではないものの展示会シーズンで他が空いてなかったこともあり、ビジネスホテルチェーンだから最低限は保証されているだろうと思って二年連続でこのホテルに泊まることとなりました。
まず最初に遭ったトラブルはWIFIがホテル内に飛んでない、っていうかネットワークを調べる限りだと明らかに飛んでますがパスワードを聞いたら、「ない」と否定されたためネットが使えませんでした。まぁこの程度なら中国においてフランクな対応だと軽く流せますが、問題となったのは見出しに掲げた騒音でした。
このホテル、ショッピングモールの6階と7階に位置しているのですが、恐らく同じモール内にカラオケボックスがあるのか宛がわれた部屋に入ったらかなり大きなサウンドで誰かが歌っている声が壁から聞こえてきました。中国ではどうも防音材を壁に入れるようなことはせず、それどころか中心部は空洞になっているのか隣室の音以上に別の階の音が極端に響くことが多く、宛がわれた部屋もその影響でカラオケでの騒音がダイレクトに響いていました。ちなみに特定の時間帯に日本語の唄も聞こえてきたので、「ファッキンジャップ」などと軽く呟いてもいました。
この時点でもかなり不愉快でしたがどうせ夜遅くになれば店も閉まって寝ることはできるだろうとパワプロをやり続けて自分が4番打者として君臨するヤクルトスワローズでV6を達成(シーズンオフに西武へ移籍)した後、十二時ごろに布団へ入りました。最初は穏やかに睡眠がとれていたのですが夜中二時ごろ、突然またカラオケの音が聞こえてきて、寝ていたところをほぼ強制的に起こされる羽目となりました。
この時聞こえた音量は大体、テレビを普通な感じで映している時に聞こえてくるくらいの音量で、マイクで謳っている声はおろか合いの声まではっきりと聞き取れるくらいで、寝ようたってかなり難しいくらいの音量でした。さすがに頭にきてフロントに言うと、「もう部屋空いてないから明日取り替えてやる」と回答され、「俺、明日にはチェックアウトするんだが」と言い返すと「じゃあ我慢して。多分2時半には終わるから」といつも通りのチャイナ式対応されて電話を切りました。
確かにカラオケは2時半には終わってまた静かにはなったものの、一旦寝付いたところを起こされたのでしばらくは再び寝付くことが出来ませんでした。そもそもこの日は展示会の出店準備のため早朝5時半に起きるなどただでさえ睡眠不足だったのに、二日連続で満足な睡眠がとれないまま翌日の展示会二日目に臨む羽目となり、何度も口の中でファッキンファッキンと悪態をつき続けることとなりました。そもそもカラオケ屋の音が反響する部屋を客に宛がうなんて何考えてるんだと言いたいところですが中国ではこれが日常ということもあり、チェックアウトの際にフロントデスクを思い切り蹴飛ばして、「俺が日本人だからあんな部屋宛がったのか」と一言文句を言おうかとすら思いましたが、行っても意味ないと思ってここは踏みとどまりました。
それにしてもこのところ断水にガス漏れに騒音にと、やたら運勢のない事案が続きます。来月日本に一時帰国するので軽いお祓いなりラッキーアイテムなりを仕入れてこようかとちょっと本気で検討しています。
なお参加した展示会についても少し触れると、開場時間が終わって撤収準備に取り掛かった際、配られたり勝手にブースへ置いてかれたりしたパンフレットの類を整理していると何故か日本にいる後輩が務めている会社のパンフレットが二冊も入ってて、ちょいいらっとしながら二冊ともごみ箱に捨ててから帰りました。帰り途中には上海三越に入っている「かつくら」というとんかつ屋のとんかつ食べていったので気分はよかったです。
泊まったホテルは中国でも最大手のビジネスホテルチェーンである「MOTEL168」系列の「莫泰168(上海虹井路店)」でした。このホテルには去年開かれた同じ展示会の際にも泊まったホテルだったのですが、決していいホテルというわけではないものの展示会シーズンで他が空いてなかったこともあり、ビジネスホテルチェーンだから最低限は保証されているだろうと思って二年連続でこのホテルに泊まることとなりました。
まず最初に遭ったトラブルはWIFIがホテル内に飛んでない、っていうかネットワークを調べる限りだと明らかに飛んでますがパスワードを聞いたら、「ない」と否定されたためネットが使えませんでした。まぁこの程度なら中国においてフランクな対応だと軽く流せますが、問題となったのは見出しに掲げた騒音でした。
このホテル、ショッピングモールの6階と7階に位置しているのですが、恐らく同じモール内にカラオケボックスがあるのか宛がわれた部屋に入ったらかなり大きなサウンドで誰かが歌っている声が壁から聞こえてきました。中国ではどうも防音材を壁に入れるようなことはせず、それどころか中心部は空洞になっているのか隣室の音以上に別の階の音が極端に響くことが多く、宛がわれた部屋もその影響でカラオケでの騒音がダイレクトに響いていました。ちなみに特定の時間帯に日本語の唄も聞こえてきたので、「ファッキンジャップ」などと軽く呟いてもいました。
この時点でもかなり不愉快でしたがどうせ夜遅くになれば店も閉まって寝ることはできるだろうとパワプロをやり続けて自分が4番打者として君臨するヤクルトスワローズでV6を達成(シーズンオフに西武へ移籍)した後、十二時ごろに布団へ入りました。最初は穏やかに睡眠がとれていたのですが夜中二時ごろ、突然またカラオケの音が聞こえてきて、寝ていたところをほぼ強制的に起こされる羽目となりました。
この時聞こえた音量は大体、テレビを普通な感じで映している時に聞こえてくるくらいの音量で、マイクで謳っている声はおろか合いの声まではっきりと聞き取れるくらいで、寝ようたってかなり難しいくらいの音量でした。さすがに頭にきてフロントに言うと、「もう部屋空いてないから明日取り替えてやる」と回答され、「俺、明日にはチェックアウトするんだが」と言い返すと「じゃあ我慢して。多分2時半には終わるから」といつも通りのチャイナ式対応されて電話を切りました。
確かにカラオケは2時半には終わってまた静かにはなったものの、一旦寝付いたところを起こされたのでしばらくは再び寝付くことが出来ませんでした。そもそもこの日は展示会の出店準備のため早朝5時半に起きるなどただでさえ睡眠不足だったのに、二日連続で満足な睡眠がとれないまま翌日の展示会二日目に臨む羽目となり、何度も口の中でファッキンファッキンと悪態をつき続けることとなりました。そもそもカラオケ屋の音が反響する部屋を客に宛がうなんて何考えてるんだと言いたいところですが中国ではこれが日常ということもあり、チェックアウトの際にフロントデスクを思い切り蹴飛ばして、「俺が日本人だからあんな部屋宛がったのか」と一言文句を言おうかとすら思いましたが、行っても意味ないと思ってここは踏みとどまりました。
それにしてもこのところ断水にガス漏れに騒音にと、やたら運勢のない事案が続きます。来月日本に一時帰国するので軽いお祓いなりラッキーアイテムなりを仕入れてこようかとちょっと本気で検討しています。
なお参加した展示会についても少し触れると、開場時間が終わって撤収準備に取り掛かった際、配られたり勝手にブースへ置いてかれたりしたパンフレットの類を整理していると何故か日本にいる後輩が務めている会社のパンフレットが二冊も入ってて、ちょいいらっとしながら二冊ともごみ箱に捨ててから帰りました。帰り途中には上海三越に入っている「かつくら」というとんかつ屋のとんかつ食べていったので気分はよかったです。
2015年9月11日金曜日
人民解放軍の30万人削減発言について
先週中国では抗日戦争勝利70周年記念として北京で軍事パレードを行いました。この日は中国では祝日となり私も会社のスケジュール表に「抗日戦争勝利記念日( ゚Д゚)<ヤスミ!」と書いておきましたが、日本ではどう報じられていたのか、私の上司は「あんま今日は外で歩かない方がいいんじゃね?( ゚Д゚)」と治安を気にしてましたが、別にどってことないからといって日本食屋に連れ出しました。
私が書くまでもないですがその連休中は日本人は中国人に白い目で見られるとか悪口言われるとかそういう体験は一切なく、ただの普通の休日でした。さっきにも書いた通り日本ではどう報じられていたのか知りませんが、未だに二次大戦での怨みがどうこうといって日本人に因縁つける中国人などいようものならほかの中国人は「古い価値観のおかしい奴だね」と鼻で笑う事でしょう。尖閣諸島問題は現代の領土問題ということもあって中国人も日本を強く敵視しますが、二次大戦を引っ張り出して日本がどうこう言うことに対しては中国人にとってもおかしな行動の映っていると私には感じます。まぁどこの国とは言わないが。
話は軍事パレードに移りますが、パッと私が日本の報道を見ている限りだと装備品とか兵隊の練度とかにはあまり言及されず、実際軍事マニアらにとってもあまり面白味のないパレードだったのではないかと推察しています。同じパレードでもインドではとても面白そうですが中国にはこの手のユーモアがないのか演出家もいなかったのか、パレードの中身自体にはそれほど触れられていません。ただパレード中の習近平総書記の発言は、私もちょっと注目しました。その発言というのも、人民解放軍の兵力を現在の状態から30万人削減するという内容です。
中国軍に当たる人民解放軍の兵力は陸海空合わせて現在約230万にいるとされ、この兵数は人口大国なだけあって間違いなく世界でも最大でしょう。そもそも兵力が100万人を超える国なんてほとんどなく、この数字が突出したものであるかについては他の世界の軍事比較サイトなどを閲覧ください。たださっきそれで検索かけてみたけど、なんかサイトによって数字がえらく上下するから注意深く見る必要がありそう、多分予備役とかの区別をしてないところもあるんだろうな。
そんな突出した兵力を持つ中国が今度30万人を減らすということで一見するとこれは大規模な軍縮に見えますが、話はそうは簡単なもんじゃないというのが私の見方です。というのも現代の軍隊は兵力が大きければ大きいほど有利というわけではなく、実際にはどれだけ優秀な兵器を多数保有しているかの方が軍事パワー的には影響度が大きいです。そしてその兵器を生産・開発・保有するに当たっては予算が物を言い、30万人の削減によって浮いた人件費を中国が兵器に傾けるとしたら確実に現在よりその脅威度は増すと断言できます。
そもそも、中国政府はかねてから解放軍の人員削減を目指してきた節がありました。かつて鄧小平の時代にも100万人を削減したことがありましたが、中国での軍隊は社会保障的な意味合いが強く、職にあぶれた荒くれ者を雇用して社会を維持するという観点でもってこれまで約230万人という兵数が維持されてきましたが、これだけの兵力を抱えるとなると人件費も馬鹿にならなくて経済投資や軍備拡充を図るに当たって中国政府は本音としてはもっと早く削減に手をかけたかったとかねてから噂されていました。
それだけに今回のポイントとしては、「何故このタイミングなのか」に尽きるでしょう。何故このタイミングで習近平総書記は兵数削減に手をかけたのか、それもわざわざ軍事力を誇示する軍事パレードという晴れの舞台中にどうして発表したのかということが実は一番気になりました。結論をここで述べると恐らく軍部への根回しはなく不意打ち的に削減を発表したのではと思う節があり、今後ますます習政権と軍部の間で火花が起きるのではという懸念があります。
何故このように考えるのかというと習政権はこれまでに軍部との対決姿勢を強く示してきたからです。前任の胡錦濤政権は政府内の汚職対策として要人を逮捕することもありましたが、軍部の人間に対してはとうとう誰一人として手を付けることがありませんでした。しかし習政権は発足してから軍部の超大物を逮捕したのを皮切りに次々と軍部内の人間を汚職でひっ捕らえ、中国の市民からも大喝采を受けて評価されております。
無論、こうした内部の逮捕者続出に軍部はいい気持ちをするわけがありません。以前に尖閣諸島沖で日本の戦闘機に対して中国の戦闘機が照準レーザーを当てていた事件は明らかに中国政府は把握しておらず、軍部が政府への当て付けとばかりに勝手な行動をしたのではと思う節がありました。今度の30万人削減も軍内部からすればポストが少なくなって昇進の可能性が減るだけでなく影響力も落ちることから、削減を歓迎するようなのといったら主計部くらいなもんでしょう。
この辺は本当に勝手な推察ですが、習近平総書記はただでさえ対立中の軍部に対してどうせ反対されて手間かかるだけだから根回しなんかせず、世論をバックに不意打ち的に兵数削減を打ち出し、さらに世界中のメディアに報道させて一気に削減計画を既定事実化させて軍部を追い込もうとしたのではないかと私には思えます。少なくとも中国市民は明らかに習政権側を支持しており、逆に人民解放軍に対しては強い嫌悪感を持っているだけに今回の削減発言も歓迎する声が多いです。
ただ計画通りに削減が粛々と実行されるかについてはまだ断言できません。軍部側もあれこれ抵抗するでしょうし、下手すりゃ以前同様に南か東の国境線近くで騒動起こして政権にプレッシャーをかけてくるかもしれませんし、削減が実行されたとしてもその瞬間には30万人の失業者が生まれるというこことで何かしらも社会不安も起こる可能性があります。
その上で日本としてはどうあるべきが望ましいのか。単純にパワーバランス的にはこのまま役にも立たない兵士を中国が抱え込んでいてくれる方が良いように見えますが、この削減が実現したら中国でも文民側がイニシアチブを高めることになるのでもしかしたら緊張が少しは改善するかもしれません。まぁこの辺はどっちに転ぶかわからないし、黙ってみるだけしかないでしょうが。
最後に実現性について述べると、多少の紆余曲折はあるかもしれませんが今後10年内には達成するんじゃないかと私は思ってます。理由は先ほども述べた通りに習政権への国内の支持度が高いことと、ほぼすべての中国人は解放軍が嫌いだからです。実際、外国人より自国民に銃口を向けることが多いような軍隊だし、普段偉そうにしていることもあり、また汚職の度合いも半端じゃないという三拍子がそろっているので、こういってはなんですが同情する中国人なんていないでしょう。
私が書くまでもないですがその連休中は日本人は中国人に白い目で見られるとか悪口言われるとかそういう体験は一切なく、ただの普通の休日でした。さっきにも書いた通り日本ではどう報じられていたのか知りませんが、未だに二次大戦での怨みがどうこうといって日本人に因縁つける中国人などいようものならほかの中国人は「古い価値観のおかしい奴だね」と鼻で笑う事でしょう。尖閣諸島問題は現代の領土問題ということもあって中国人も日本を強く敵視しますが、二次大戦を引っ張り出して日本がどうこう言うことに対しては中国人にとってもおかしな行動の映っていると私には感じます。まぁどこの国とは言わないが。
話は軍事パレードに移りますが、パッと私が日本の報道を見ている限りだと装備品とか兵隊の練度とかにはあまり言及されず、実際軍事マニアらにとってもあまり面白味のないパレードだったのではないかと推察しています。同じパレードでもインドではとても面白そうですが中国にはこの手のユーモアがないのか演出家もいなかったのか、パレードの中身自体にはそれほど触れられていません。ただパレード中の習近平総書記の発言は、私もちょっと注目しました。その発言というのも、人民解放軍の兵力を現在の状態から30万人削減するという内容です。
中国軍に当たる人民解放軍の兵力は陸海空合わせて現在約230万にいるとされ、この兵数は人口大国なだけあって間違いなく世界でも最大でしょう。そもそも兵力が100万人を超える国なんてほとんどなく、この数字が突出したものであるかについては他の世界の軍事比較サイトなどを閲覧ください。たださっきそれで検索かけてみたけど、なんかサイトによって数字がえらく上下するから注意深く見る必要がありそう、多分予備役とかの区別をしてないところもあるんだろうな。
そんな突出した兵力を持つ中国が今度30万人を減らすということで一見するとこれは大規模な軍縮に見えますが、話はそうは簡単なもんじゃないというのが私の見方です。というのも現代の軍隊は兵力が大きければ大きいほど有利というわけではなく、実際にはどれだけ優秀な兵器を多数保有しているかの方が軍事パワー的には影響度が大きいです。そしてその兵器を生産・開発・保有するに当たっては予算が物を言い、30万人の削減によって浮いた人件費を中国が兵器に傾けるとしたら確実に現在よりその脅威度は増すと断言できます。
そもそも、中国政府はかねてから解放軍の人員削減を目指してきた節がありました。かつて鄧小平の時代にも100万人を削減したことがありましたが、中国での軍隊は社会保障的な意味合いが強く、職にあぶれた荒くれ者を雇用して社会を維持するという観点でもってこれまで約230万人という兵数が維持されてきましたが、これだけの兵力を抱えるとなると人件費も馬鹿にならなくて経済投資や軍備拡充を図るに当たって中国政府は本音としてはもっと早く削減に手をかけたかったとかねてから噂されていました。
それだけに今回のポイントとしては、「何故このタイミングなのか」に尽きるでしょう。何故このタイミングで習近平総書記は兵数削減に手をかけたのか、それもわざわざ軍事力を誇示する軍事パレードという晴れの舞台中にどうして発表したのかということが実は一番気になりました。結論をここで述べると恐らく軍部への根回しはなく不意打ち的に削減を発表したのではと思う節があり、今後ますます習政権と軍部の間で火花が起きるのではという懸念があります。
何故このように考えるのかというと習政権はこれまでに軍部との対決姿勢を強く示してきたからです。前任の胡錦濤政権は政府内の汚職対策として要人を逮捕することもありましたが、軍部の人間に対してはとうとう誰一人として手を付けることがありませんでした。しかし習政権は発足してから軍部の超大物を逮捕したのを皮切りに次々と軍部内の人間を汚職でひっ捕らえ、中国の市民からも大喝采を受けて評価されております。
無論、こうした内部の逮捕者続出に軍部はいい気持ちをするわけがありません。以前に尖閣諸島沖で日本の戦闘機に対して中国の戦闘機が照準レーザーを当てていた事件は明らかに中国政府は把握しておらず、軍部が政府への当て付けとばかりに勝手な行動をしたのではと思う節がありました。今度の30万人削減も軍内部からすればポストが少なくなって昇進の可能性が減るだけでなく影響力も落ちることから、削減を歓迎するようなのといったら主計部くらいなもんでしょう。
この辺は本当に勝手な推察ですが、習近平総書記はただでさえ対立中の軍部に対してどうせ反対されて手間かかるだけだから根回しなんかせず、世論をバックに不意打ち的に兵数削減を打ち出し、さらに世界中のメディアに報道させて一気に削減計画を既定事実化させて軍部を追い込もうとしたのではないかと私には思えます。少なくとも中国市民は明らかに習政権側を支持しており、逆に人民解放軍に対しては強い嫌悪感を持っているだけに今回の削減発言も歓迎する声が多いです。
ただ計画通りに削減が粛々と実行されるかについてはまだ断言できません。軍部側もあれこれ抵抗するでしょうし、下手すりゃ以前同様に南か東の国境線近くで騒動起こして政権にプレッシャーをかけてくるかもしれませんし、削減が実行されたとしてもその瞬間には30万人の失業者が生まれるというこことで何かしらも社会不安も起こる可能性があります。
その上で日本としてはどうあるべきが望ましいのか。単純にパワーバランス的にはこのまま役にも立たない兵士を中国が抱え込んでいてくれる方が良いように見えますが、この削減が実現したら中国でも文民側がイニシアチブを高めることになるのでもしかしたら緊張が少しは改善するかもしれません。まぁこの辺はどっちに転ぶかわからないし、黙ってみるだけしかないでしょうが。
最後に実現性について述べると、多少の紆余曲折はあるかもしれませんが今後10年内には達成するんじゃないかと私は思ってます。理由は先ほども述べた通りに習政権への国内の支持度が高いことと、ほぼすべての中国人は解放軍が嫌いだからです。実際、外国人より自国民に銃口を向けることが多いような軍隊だし、普段偉そうにしていることもあり、また汚職の度合いも半端じゃないという三拍子がそろっているので、こういってはなんですが同情する中国人なんていないでしょう。
2015年9月9日水曜日
少年ジャンプの年度別打ち切り本数
このところネット上で、「少年ジャンプで新連載がまた打ち切り」、「ジャンプ終わった」などという文言を多数見かけます。以前ならともかく現在の私は週刊少年ジャンプを見ていないので今どのような状況なのかリアルタイムな情報は得られていないものの、少年漫画雑誌の王者である少年ジャンプがこのところ往時の勢いを失いつつあるという意見がどうやら少なからず出ているようです。
正直に言って「日本はもう終わった」、「中国バブル終わった」みたいに投げるような言い方は好きではなく、終わったと抜かすんだったらちゃんとしたデータ持って来いよといつもイライラさせられるのですが、この少年ジャンプに関しても果たしてそのような印象論で言われているのか、それとも本当に人気というか勢いが落ちてきているのかが気になりました。この辺を誰かがはっきりさせる必要があるのではないかと思え、こうなったら本部以蔵ばりに「俺が守護る(まもる)しかねぇ」というような妙な使命感を感じたことから今日はちょこっとデータをこしらえて、少年ジャンプの現況を分析してみました。
<調査概要>
少年ジャンプの「勢い」というものを比較するため、調査指標として年度別の「打ち切り本数」をカウントすることにしました。「テコ入れと打ち切りはジャンプの華」と言われるほど少年ジャンプでは人気の出ない漫画を容赦なく連載打ち切りにすることで有名ですが、これを逆手にとれば「打ち切り本数が多い=人気作が生まれてこない」という図式が成り立つのではないかと考えたからです。実際、ジャンプでは早ければ連載開始後2~3ヶ月でバンバン打ち切ってきますが、人気が出た作品に関しては連載期間も伸びて雑誌、単行本の売上げに貢献していくこととなるため、漫画雑誌としての勢いを測る指標として十分考慮できると思われます。
なお雑誌発行部数も人気や勢いを測る上で重要な指標ではあるものの、少子化による購買層の人口変化や長期連載作品の影響などを排除することが出来ず、期間別の勢いを測る上では不適当と考え今回こちらは用いないこととしました。
<調査期間>
2000年から2015年
<調査指標>
1、新規連載開始本数
2、半年以内(25週)に打ち切られた連載本数
3、半年~1年以内(50週)に打ち切られた連載本数
※半年=25週、1年=50週という期間設定は統計をわかりやすくするためこういう設定にした
<調査データ>
注1:連載開始1年以内に他誌へ移籍、短期集中連載、月1の企画連載作品はカウントせず
注2:打ち切り作品の本数はその作品が連載を開始した年にカウントしている。そのためたとえば2014年に打ち切られたとしても、その作品が2013年に連載を開始した物であれば2013年のカントとする
<データ補足>
エクセルで作った図表を無理やりブログフォーマットに落としたのでやや見辛い表になったのが携帯叩き割りたいくらいに不満ですが、ひとまず内容は見れると思うのでこれで良しとします。
さて今回私は連載打ち切りの基準として、半年以内、または一年以内に連載が終了した作品をカウントしました。一年以上続いた作品に関してはたとえ最終的に打ち切られたとしても一時的に読者の人気を勝ち取り、雑誌に貢献したと考えるためです。またカウントに当たってはなるべく調査目的の実態に近づけるため、注にも書いておりますが他誌への移籍作品や短期集中連載作品は除外してあります。他誌への移籍作品は連載を開始してすぐに移籍した「スティールボールラン」などは除外対象となるものの、「D.Gray-man」の様に少年ジャンプ本誌で人気を得ながら1年以上連載し続けてから移籍したものは通常通りのカウント対象としています。
<全体の傾向>
そういうわけで早速見ていきますが、全体の打ち切り率が69.16%ということから、少年ジャンプでは新規の作品が1年以上連載を続ける可能性は30%強、つまり10本中3本しかないという計算になるわけで、やはり非常に厳しい競争原理が敷かれていると言えるでしょう。そして新規連載本数の平均は10.81本ということで、大体毎年10本強の作品が連載を開始しているってことになります。
<2004年の当たり年>
それでは上から順に年度別のデータを見ていきますが、まず注目に値するのは2003年と2004年です。2003年は11本中10本が打ち切られるという超不作な年となりましたが、翌年の2004年は逆に「デスノート」を筆頭としてメガヒットといえるような人気作が一気に連載を開始しています。人気作が一挙に生まれ連載陣が安定したからか2004年~2006年の打ち切り率はどれも50%台という非常に低い数値で推移しており、この結果から2004年はこの15年間でジャンプにとって最大の当たり年であったと考えられます。
<2007年がターニングポイント>
ただそんなプチ黄金期というか打ち切り率が低い水準でいたのも2006年までで、2007年からは打ち切り率が再び上昇傾向を見せます。特に2007年は備考欄にも書いてある通り、しょっぱなから「HAND'S -ハンズ-」、「神力契約者M&Y」、「重機人間ユンボル」の3本が2004年以来となるわずか10週での打ち切りを受けており、打ち切りまでの期間がそれ以前と比べ明らかに短縮されています。単純に作品の人気が出なかったのか、編集部の方針変更によるものなのかまではわかりませんが、翌2008年には「チャゲチャ」という作品が史上最速(現時点においても)の8週打ち切りになっていることから、やはり編集部で方針が変わったという方が可能性として大きいような気がします。
<2010年の全滅>
2008年はそこそこヒット作が出た一方で新規連載作品が13本と急に増え、翌2009年も14本であったことから2年合わせて27本という新連載ラッシュとなっています。そして2010年ですが、なんとこの年は前2年と打って変わって新規連載本数が8本と急減した一方、このうち7本が打ち切り、しかもそのうち6本は半年以内で終わるという2003年を髣髴させるような超不作年になりました。しかもこの年に連載を開始して1年以上連載を続けられた「エニグマ」という作品は1年ちょっと経ったところで連載が打ち切られており、実質的にはこの年に限っては何一つ人気を安定させることが出来ず全滅だったという評価になります。
<連載期間が延びた2012年>
全滅だった2010年に続いて2011年も打ち切り率が80%という高い数値となった影響からか、2012年ではちょっと妙な数字になりました。これも備考欄に書いていますが、通常なら半年以内で打ち切られる本数が圧倒的に多いのに対し、この年だけ半年から1年以内に打ち切られる本数が唯一上回った年となっております。
勝手な推察ですが不作の年があまりにも続いたためか、恐らく編集部内で「すぐには切らずに半年は様子を見よう」という方針になったのではないかと思えます。もっともこの年にもそれほどヒット作は生まれておらず、翌2013年には打ち切り作品はすべて半年以内に切られるというハイペースに戻っていることから編集部が再考して方針を元に戻したのかもしれません。
<依然と高い打ち切り率>
直近といえる2013年、2014年も相変わらず平均を上回る打ち切り率となっており、特に2014年においては新規連載本数が13本と多い一方で打ち切り本数が11本と調査期間中最多で、バンバン連載が開始されつつバンバン打ち切られる年だったと言えるでしょう。恐らく少年ジャンプを毎週購読している読者からしたら新連載が始まっては片っ端からすぐ切られていくように見えるでしょうから、冒頭の様に「ジャンプも終わったな」なんていう印象を覚えたのかもしれません。確かに1年ちょいで11本も連載が切られていれば先行きを不安視するのも無理ないでしょう。
<総評>
2015年もすでに4分の3が過ぎておりますが、今年の新規連載本数は既に10本を数えており、残り3ヶ月で恐らくまだ増えることから2014年に引き続きハイペースな打ち切りラッシュがまだ続いていることになります。最初にも書いたように新規連載と打ち切りが多いということは安定した人気が得られる新作が出てきていないということと同義で、漫画雑誌の勢いという面では明らかに衰えていると言え、そういう意味では「終わった」とまでは言えないものの、一時期(2004年~2006年頃)に比べれは確かに今の少年ジャンプは勢いをなくしつつあると言えるのではないかと思えます。
このほか今回の統計取ってて思ったこととしては、やはり当たり年というかヒット作というのはある年に集中して出てくる傾向があるような気がします。最も顕著だったのは2004年ですが、2008年もその後にテレビアニメ化にこぎつける作品が数本出ており、直近では2013年の作品が現在の連載陣で勢いがあるように感じます。
それともう一つ、連載の打ち切り期間ですが、やはり一度ヒット作を出した漫画家に関しては完全な新人に比べてやや長い猶予期間を持たされる傾向がありました。具体的には藤崎竜氏、鈴木央氏、つの丸氏などの打ち切り作品はリアルタイムで私も読んでいましたが、明らかに第一話から「やばいなこれ」って思うくらいつまらない新作を出してきましたが、どれも半年以上は連載期間が持たされていました。
正直に言って「日本はもう終わった」、「中国バブル終わった」みたいに投げるような言い方は好きではなく、終わったと抜かすんだったらちゃんとしたデータ持って来いよといつもイライラさせられるのですが、この少年ジャンプに関しても果たしてそのような印象論で言われているのか、それとも本当に人気というか勢いが落ちてきているのかが気になりました。この辺を誰かがはっきりさせる必要があるのではないかと思え、こうなったら本部以蔵ばりに「俺が守護る(まもる)しかねぇ」というような妙な使命感を感じたことから今日はちょこっとデータをこしらえて、少年ジャンプの現況を分析してみました。
<調査概要>
少年ジャンプの「勢い」というものを比較するため、調査指標として年度別の「打ち切り本数」をカウントすることにしました。「テコ入れと打ち切りはジャンプの華」と言われるほど少年ジャンプでは人気の出ない漫画を容赦なく連載打ち切りにすることで有名ですが、これを逆手にとれば「打ち切り本数が多い=人気作が生まれてこない」という図式が成り立つのではないかと考えたからです。実際、ジャンプでは早ければ連載開始後2~3ヶ月でバンバン打ち切ってきますが、人気が出た作品に関しては連載期間も伸びて雑誌、単行本の売上げに貢献していくこととなるため、漫画雑誌としての勢いを測る指標として十分考慮できると思われます。
なお雑誌発行部数も人気や勢いを測る上で重要な指標ではあるものの、少子化による購買層の人口変化や長期連載作品の影響などを排除することが出来ず、期間別の勢いを測る上では不適当と考え今回こちらは用いないこととしました。
<調査期間>
2000年から2015年
<調査指標>
1、新規連載開始本数
2、半年以内(25週)に打ち切られた連載本数
3、半年~1年以内(50週)に打ち切られた連載本数
※半年=25週、1年=50週という期間設定は統計をわかりやすくするためこういう設定にした
<調査データ>
連載
開始年
|
新連載
開始本数
|
打ち切り本数
|
備考
|
|||
半年以内
|
1年以内
|
合計
|
打ち切り率
|
|||
2000年 | 12 | 7 | 1 | 8 | 66.7% | |
2001年 | 11 | 8 | 0 | 8 | 72.7% | |
2002年 | 10 | 6 | 2 | 8 | 80.0% | |
2003年 | 11 | 9 | 1 | 10 | 90.9% | 武装錬金だけが1年以上持ちこたえた |
2004年 | 11 | 4 | 2 | 6 | 54.5% | DEATH NOTE、銀魂、D.Gray-man、家庭教師ヒットマンREBORN!が開始。当たり年 |
2005年 | 8 | 4 | 0 | 4 | 50.0% | |
2006年 | 10 | 5 | 0 | 5 | 50.0% | To LOVEるが連載開始 |
2007年 | 10 | 5 | 2 | 7 | 70.0% | HAND'S -ハンズ-、神力契約者M&Y、重機人間ユンボルの3本が10週で打ち切り |
2008年 | 13 | 7 | 1 | 8 | 61.5% | トリコ、バクマン、ぬらりひょんの孫が開始。チャゲチャが史上最短の打ち切りに(8週) |
2009年 | 14 | 8 | 2 | 10 | 71.4% | 調査期間中、新連載本数が最も多い年 |
2010年 | 8 | 6 | 1 | 7 | 87.5% | 調査期間中、新連載本数が最も少ない年(8本)。ただこの年の作品はほぼ全滅 |
2011年 | 10 | 5 | 3 | 8 | 80.0% | |
2012年 | 12 | 3 | 5 | 8 | 66.7% | 調査期間中、1年以内の打ち切り本数が唯一、半年以内の本数を上回った年 |
2013年 | 10 | 7 | 0 | 7 | 70.0% | ハイキュー!!、斉木楠雄のΨ難、暗殺教室、食戟のソーマが連載開始 |
2014年 | 13 | 9 | 2 | 11 | 84.6% | 調査期間中、最も打ち切り本数が多い年 |
2015年 | 10 | 5 | 0 | 5 | 50.0% | 調査時点での統計。打ち切り本数はこれよりほぼ確実に増える見込み |
平均
|
10.81 | 6.13 | 1.38 | 7.50 | 69.16% |
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
|
注1:連載開始1年以内に他誌へ移籍、短期集中連載、月1の企画連載作品はカウントせず
注2:打ち切り作品の本数はその作品が連載を開始した年にカウントしている。そのためたとえば2014年に打ち切られたとしても、その作品が2013年に連載を開始した物であれば2013年のカントとする
<データ補足>
エクセルで作った図表を無理やりブログフォーマットに落としたのでやや見辛い表になったのが携帯叩き割りたいくらいに不満ですが、ひとまず内容は見れると思うのでこれで良しとします。
さて今回私は連載打ち切りの基準として、半年以内、または一年以内に連載が終了した作品をカウントしました。一年以上続いた作品に関してはたとえ最終的に打ち切られたとしても一時的に読者の人気を勝ち取り、雑誌に貢献したと考えるためです。またカウントに当たってはなるべく調査目的の実態に近づけるため、注にも書いておりますが他誌への移籍作品や短期集中連載作品は除外してあります。他誌への移籍作品は連載を開始してすぐに移籍した「スティールボールラン」などは除外対象となるものの、「D.Gray-man」の様に少年ジャンプ本誌で人気を得ながら1年以上連載し続けてから移籍したものは通常通りのカウント対象としています。
<全体の傾向>
そういうわけで早速見ていきますが、全体の打ち切り率が69.16%ということから、少年ジャンプでは新規の作品が1年以上連載を続ける可能性は30%強、つまり10本中3本しかないという計算になるわけで、やはり非常に厳しい競争原理が敷かれていると言えるでしょう。そして新規連載本数の平均は10.81本ということで、大体毎年10本強の作品が連載を開始しているってことになります。
<2004年の当たり年>
それでは上から順に年度別のデータを見ていきますが、まず注目に値するのは2003年と2004年です。2003年は11本中10本が打ち切られるという超不作な年となりましたが、翌年の2004年は逆に「デスノート」を筆頭としてメガヒットといえるような人気作が一気に連載を開始しています。人気作が一挙に生まれ連載陣が安定したからか2004年~2006年の打ち切り率はどれも50%台という非常に低い数値で推移しており、この結果から2004年はこの15年間でジャンプにとって最大の当たり年であったと考えられます。
<2007年がターニングポイント>
ただそんなプチ黄金期というか打ち切り率が低い水準でいたのも2006年までで、2007年からは打ち切り率が再び上昇傾向を見せます。特に2007年は備考欄にも書いてある通り、しょっぱなから「HAND'S -ハンズ-」、「神力契約者M&Y」、「重機人間ユンボル」の3本が2004年以来となるわずか10週での打ち切りを受けており、打ち切りまでの期間がそれ以前と比べ明らかに短縮されています。単純に作品の人気が出なかったのか、編集部の方針変更によるものなのかまではわかりませんが、翌2008年には「チャゲチャ」という作品が史上最速(現時点においても)の8週打ち切りになっていることから、やはり編集部で方針が変わったという方が可能性として大きいような気がします。
<2010年の全滅>
2008年はそこそこヒット作が出た一方で新規連載作品が13本と急に増え、翌2009年も14本であったことから2年合わせて27本という新連載ラッシュとなっています。そして2010年ですが、なんとこの年は前2年と打って変わって新規連載本数が8本と急減した一方、このうち7本が打ち切り、しかもそのうち6本は半年以内で終わるという2003年を髣髴させるような超不作年になりました。しかもこの年に連載を開始して1年以上連載を続けられた「エニグマ」という作品は1年ちょっと経ったところで連載が打ち切られており、実質的にはこの年に限っては何一つ人気を安定させることが出来ず全滅だったという評価になります。
<連載期間が延びた2012年>
全滅だった2010年に続いて2011年も打ち切り率が80%という高い数値となった影響からか、2012年ではちょっと妙な数字になりました。これも備考欄に書いていますが、通常なら半年以内で打ち切られる本数が圧倒的に多いのに対し、この年だけ半年から1年以内に打ち切られる本数が唯一上回った年となっております。
勝手な推察ですが不作の年があまりにも続いたためか、恐らく編集部内で「すぐには切らずに半年は様子を見よう」という方針になったのではないかと思えます。もっともこの年にもそれほどヒット作は生まれておらず、翌2013年には打ち切り作品はすべて半年以内に切られるというハイペースに戻っていることから編集部が再考して方針を元に戻したのかもしれません。
<依然と高い打ち切り率>
直近といえる2013年、2014年も相変わらず平均を上回る打ち切り率となっており、特に2014年においては新規連載本数が13本と多い一方で打ち切り本数が11本と調査期間中最多で、バンバン連載が開始されつつバンバン打ち切られる年だったと言えるでしょう。恐らく少年ジャンプを毎週購読している読者からしたら新連載が始まっては片っ端からすぐ切られていくように見えるでしょうから、冒頭の様に「ジャンプも終わったな」なんていう印象を覚えたのかもしれません。確かに1年ちょいで11本も連載が切られていれば先行きを不安視するのも無理ないでしょう。
<総評>
2015年もすでに4分の3が過ぎておりますが、今年の新規連載本数は既に10本を数えており、残り3ヶ月で恐らくまだ増えることから2014年に引き続きハイペースな打ち切りラッシュがまだ続いていることになります。最初にも書いたように新規連載と打ち切りが多いということは安定した人気が得られる新作が出てきていないということと同義で、漫画雑誌の勢いという面では明らかに衰えていると言え、そういう意味では「終わった」とまでは言えないものの、一時期(2004年~2006年頃)に比べれは確かに今の少年ジャンプは勢いをなくしつつあると言えるのではないかと思えます。
このほか今回の統計取ってて思ったこととしては、やはり当たり年というかヒット作というのはある年に集中して出てくる傾向があるような気がします。最も顕著だったのは2004年ですが、2008年もその後にテレビアニメ化にこぎつける作品が数本出ており、直近では2013年の作品が現在の連載陣で勢いがあるように感じます。
それともう一つ、連載の打ち切り期間ですが、やはり一度ヒット作を出した漫画家に関しては完全な新人に比べてやや長い猶予期間を持たされる傾向がありました。具体的には藤崎竜氏、鈴木央氏、つの丸氏などの打ち切り作品はリアルタイムで私も読んでいましたが、明らかに第一話から「やばいなこれ」って思うくらいつまらない新作を出してきましたが、どれも半年以上は連載期間が持たされていました。
2015年9月7日月曜日
オスとメスはどっちが先?
最近政治ブログだということが忘れ去られ始めているので橋下大阪市長が唱えた首相公選制についてでも書こうかなと思いましたが、自分のブログで検索かけたら既に過去に言いたいこと全部書いておりました。それにしても昔ながら、ええこと書いとるやんけ自分もと読んでてほくそ笑みました。
そんなわけだから今日は身近な疑問というかまた自転車漕いでる最中にふと気になった、オスとメスはどっちが先に生まれたのかについて勝手な考察を書いていきます。
言うまでもないことですが、人間を含めたほぼすべての生物は個体によって雌雄が別れており、両性が同時に存在しなければ繁殖は行えません。私が感じた疑問というのは、そもそもオスとメスは生物進化の過程で別れたのだろうけど、別れる前はどちらの性別だったのか、オリジナルはどっちなのかという事でした。
そもそも何故オスとメスが別れたのかというと、私個人の意見ですが多様性を持たせて種として発展せしめるためでしょう。基本的に遺伝子というのは多様性を含んでいる方が圧倒的に有利で優秀な子孫を残しやすい傾向があり、現代世界においても異なる人種間で生まれたハーフは容姿、体力面で純血種より勝っている傾向があると言われています(ex、ダルビッシュ選手や室伏氏、孫悟飯)。もっともそのかわりにハーフは寿命が短いとも言われるので、この辺は一長一短かもしれません。ってか今思いついたが、日本人の平均寿命が長いのって人種間交流が島国故に極端に少ないだけだからかも。
話は戻りますが、アメーバなどの原子生物は雌雄同体とされてオスとメスの区別がありません。これだと繁殖の手間は少ないですが多様性も持てず、また種としての発展が起こらなかった故に原子生物のままであるので、やはりある段階で遺伝子がさらなる発展を目指してオスとメスに分かれたのだと私は考えます。
ではそのオスとメスの別れようとする瞬間はどっちの性別だったのか。Yahoo知恵袋のこれとかあれを見ていると別れた瞬間にオスとメス誕生したのだからどちらが先っていう話はないという人がベストアンサーを得ていますが、結論から述べると私の意見は異なり、やっぱりメスが先だったのではと考えています。
何故メスが先に誕生したという説を取るのかというといくつか理由があり、一つは雌雄同体の生物自体を繁殖能力を有するメスと捉えられるからと考えたためです。やや生物学的な話から離れますが神話でもそのような世界誕生説、より細かく言えば地母神から世界や生物がすべて生まれたという説は少なくなく、例を挙げるとギリシャ神話のガイアなどで、こうした神話も女性に起源を発するということ暗に示しているのかもしれません。
もう一つの理由は名前は失念してしまったのですがある魚の話で、なんでも水槽の中にメスだけ数匹放り込んで観察していると、その中の一匹が徐々にメタモルフォーゼしてオスになり、他のメスと繁殖活動を行う魚がいるそうです。この時オスになる魚というのは水槽の中で一番体が大きく、行ってしまえば男性ホルモンが多そうな魚がなりやすいそうなのですが、詳しい原理は置いといてメスからオスに変化するというこの過程を考えると性別が分化する以前の生物というのはやっぱりメスがベースだったのではという気がします。なお、この魚はオスだけ水槽に放り込んでいても逆の変化は起こんないそうです。
最後の理由は至極真面目な意見で、「ミトコンドリアEVE」の存在です。知っている人には早いですが動物細胞中に唯一存在する別種遺伝子のミトコンドリアは完全母系遺伝する生物で、昔ある学者がいろんな人間のミトコンドリアのDNAを調べて人類の先祖を探り当てようとした結果、最終的にアフリカにいる一人の女性に突き当たったことから、この人物を「ミトコンドリアEVE」と言いました。
母系遺伝するからといってメスが先だとは完全には言いきれないものの、このミトコンドリアEVEの存在はやはり気になります。このEVEからオスとメスに派生して分化していったのではとも考えられますし、このEVEからさっきの魚みたいに男性ホルモンと女性ホルモンの突発的な分泌が起こって分化したのかもしれません。
一応、キリスト教の聖書では男性のアダムの肋骨から女性のイブが生まれたとされ、男性がオリジナルだという説を唱えております。なおどうでもいいですが、イブが生まれる前までアダムの肋骨は今より多かったと考えると腹の中に割とびっしり埋まっててお腹の可動幅が極端に小さかったのではと想像しています。
話は戻りますが聖書ではこういうものの、私はやっぱり分化前の生物は女性的な性質を強く持っていたのではないかと思え、オスとメスのどっちが先かとなるとやっぱりメスが先だと言えるような気がします。現実社会では男性優位でさっきの聖書のエピソードも男が先という説を取っておりますが、こと生物学的にはそうとも限らないんじゃないかと思うのと、さっきの男性ホルモンと女性ホルモンの分泌の謎とか解ければ子供の産み分けとか性転換ももっと容易にできたりするんじゃないかといつもながらくだらないこと考えてるわけです。
そんなわけだから今日は身近な疑問というかまた自転車漕いでる最中にふと気になった、オスとメスはどっちが先に生まれたのかについて勝手な考察を書いていきます。
言うまでもないことですが、人間を含めたほぼすべての生物は個体によって雌雄が別れており、両性が同時に存在しなければ繁殖は行えません。私が感じた疑問というのは、そもそもオスとメスは生物進化の過程で別れたのだろうけど、別れる前はどちらの性別だったのか、オリジナルはどっちなのかという事でした。
そもそも何故オスとメスが別れたのかというと、私個人の意見ですが多様性を持たせて種として発展せしめるためでしょう。基本的に遺伝子というのは多様性を含んでいる方が圧倒的に有利で優秀な子孫を残しやすい傾向があり、現代世界においても異なる人種間で生まれたハーフは容姿、体力面で純血種より勝っている傾向があると言われています(ex、ダルビッシュ選手や室伏氏、孫悟飯)。もっともそのかわりにハーフは寿命が短いとも言われるので、この辺は一長一短かもしれません。ってか今思いついたが、日本人の平均寿命が長いのって人種間交流が島国故に極端に少ないだけだからかも。
話は戻りますが、アメーバなどの原子生物は雌雄同体とされてオスとメスの区別がありません。これだと繁殖の手間は少ないですが多様性も持てず、また種としての発展が起こらなかった故に原子生物のままであるので、やはりある段階で遺伝子がさらなる発展を目指してオスとメスに分かれたのだと私は考えます。
ではそのオスとメスの別れようとする瞬間はどっちの性別だったのか。Yahoo知恵袋のこれとかあれを見ていると別れた瞬間にオスとメス誕生したのだからどちらが先っていう話はないという人がベストアンサーを得ていますが、結論から述べると私の意見は異なり、やっぱりメスが先だったのではと考えています。
何故メスが先に誕生したという説を取るのかというといくつか理由があり、一つは雌雄同体の生物自体を繁殖能力を有するメスと捉えられるからと考えたためです。やや生物学的な話から離れますが神話でもそのような世界誕生説、より細かく言えば地母神から世界や生物がすべて生まれたという説は少なくなく、例を挙げるとギリシャ神話のガイアなどで、こうした神話も女性に起源を発するということ暗に示しているのかもしれません。
もう一つの理由は名前は失念してしまったのですがある魚の話で、なんでも水槽の中にメスだけ数匹放り込んで観察していると、その中の一匹が徐々にメタモルフォーゼしてオスになり、他のメスと繁殖活動を行う魚がいるそうです。この時オスになる魚というのは水槽の中で一番体が大きく、行ってしまえば男性ホルモンが多そうな魚がなりやすいそうなのですが、詳しい原理は置いといてメスからオスに変化するというこの過程を考えると性別が分化する以前の生物というのはやっぱりメスがベースだったのではという気がします。なお、この魚はオスだけ水槽に放り込んでいても逆の変化は起こんないそうです。
最後の理由は至極真面目な意見で、「ミトコンドリアEVE」の存在です。知っている人には早いですが動物細胞中に唯一存在する別種遺伝子のミトコンドリアは完全母系遺伝する生物で、昔ある学者がいろんな人間のミトコンドリアのDNAを調べて人類の先祖を探り当てようとした結果、最終的にアフリカにいる一人の女性に突き当たったことから、この人物を「ミトコンドリアEVE」と言いました。
母系遺伝するからといってメスが先だとは完全には言いきれないものの、このミトコンドリアEVEの存在はやはり気になります。このEVEからオスとメスに派生して分化していったのではとも考えられますし、このEVEからさっきの魚みたいに男性ホルモンと女性ホルモンの突発的な分泌が起こって分化したのかもしれません。
一応、キリスト教の聖書では男性のアダムの肋骨から女性のイブが生まれたとされ、男性がオリジナルだという説を唱えております。なおどうでもいいですが、イブが生まれる前までアダムの肋骨は今より多かったと考えると腹の中に割とびっしり埋まっててお腹の可動幅が極端に小さかったのではと想像しています。
話は戻りますが聖書ではこういうものの、私はやっぱり分化前の生物は女性的な性質を強く持っていたのではないかと思え、オスとメスのどっちが先かとなるとやっぱりメスが先だと言えるような気がします。現実社会では男性優位でさっきの聖書のエピソードも男が先という説を取っておりますが、こと生物学的にはそうとも限らないんじゃないかと思うのと、さっきの男性ホルモンと女性ホルモンの分泌の謎とか解ければ子供の産み分けとか性転換ももっと容易にできたりするんじゃないかといつもながらくだらないこと考えてるわけです。
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