最近しょうもないことばかり書いているのでたまには世のため役に立つことでも書くことにします。ちなみになんでしょうもないことばかり書いてるのかというと、ガチで最近ゲームで忙しいせいです。詳細は言えないけど、多分自分の一生の中で最高のゲームを遊んでいるという気がします。
話を本題に移すと、たまに「など」と「等」、この単語はひらがなと漢字のどちらを使えばいいのかという質問を受けることがあります。結論から書くと、ひらがなの方が有利だと自分は考えています。
この「など」は具体名は出さないけど手前の名刺単語に類する、近い意味の名詞に相当する単語がその後に続くことを示す単語です。また手前の単語が例えとして出した単語であるということを示す意味でも使われます。日常生活の口語においても使用頻度が高い単語なのですが、日本語文章での表記では「など」と「等」という具合でひらがなと漢字での表記が両方とも存在しており、どっちかを優先して使うような指針も特にないため、個人や状況によってどちらを使うかは完全に裁量に任せられています。
私自身、言葉というのはたとえ同じ意味であろうと、よっぽど混同しやすかったり表記し辛くない限りはなるべく幅が広い方がいいと考えており、「こういう時はこっちを使わなきゃ」なんて偉そうに言って表現の幅を狭めようとする輩は殺したいくらい嫌いです。ただこの「など」に関してはあまりにも指針がなく、どっち使う方がいいのとガチで聞かれるくらい曖昧なところがあるのと、冒頭でも語った通りひらがなの方が表現上で有利であることから、漢字を使っても別にいいけどひらがなの方が有利であるということはここではっきり示します。
では何故ひらがなの方が有利なのかというと、これもあんま表立って教えられていませんが、日本語文章はひらがな部分で文節や単語を区切ることが多く、読み手に文章における区切りを意識させやすいからです。
これは一体どういうことかというと百聞は一見に敷かずなので具体例を出すと、
・東京法制局局長級幹部会議は午後開かれる予定。
・東京法制局の局長級幹部会議は午後に開かれる予定。
敢えて漢字でいっぱいな短文を入れましたが、動詞の「開かれる」を除くと使われているひらがなは「の」、「は」、そして「に」だけです。
日本人はあんま意識していませんが、単語と単語がどこで区切るのかというと間にひらがなが入っているかどうかで判断する傾向があります。逆に、漢字が続いているとその漢字の末端までを一単語として捉えがちです上の文章だと「東京法制局局長級幹部会議」が一単語に見えます。しかし間に「の」が入る下の文だと、「東京法制局」、「局長級幹部会議」という二つの単語に分かれ、でもって読み手としては多分こっちの分割版の方が読みやすいし誤読することも少ないのではないかと思います。
ついでに書いておきますが、私の感覚では漢字が連続する単語をさらっと読み取れるのは5文字まで、ギリ許されるのは6文字までだと思います。7文字以上も漢字が続くと明らかに読み辛くなり、読み手に負担がかかるため、分割が可能であれば上の例のように間に「の」を入れるなどして5文字くらいの二単語に分けた方が読み手にやさしいです。
逆を言えば、あんま細かく読まれたくない箇所は意図的に長めに漢字を繋げるというテクニックもああります。
話を「など」に戻すと、「カレーなどのインド料理のように」といった比喩表現で使う場合ならあまり影響ないですが、並列表現で使う場合だと上記の「漢字とひらがなの境目で区切る」が大きな意味を持ちます。早速具体例を出すと、
・火星、水星、木星など惑星は常に公転している。
・火星、水星、木星等惑星は常に公転している。
一見してわかる通り、漢字の「等」を使うとその前後の「木星」と「惑星」の二単語がそのまま漢字で連結されて、一読して読みにくい印象を受けます。逆に上のひらがなの「など」を使ったバージョンでは、その直前までは並列として挙げられている単語だということがはっきりわかり、その並列対象を総括する単語が「惑星」であることがはっきりわかって見やすいです。
一応、漢字のバージョンも「~等の」という風に「の」を入れることで見やすくすることはできますが、それでも「木星など」と「木星等の」だったらやはり前者の方が速読とかしたりするうえでは有利な気がします。並列表現では単語がずらっと並んで漢字が多くなりがちなだけに、このようにひらがなの「など」を使う方が単純に有利かなと思います。ついでに書くと「等の」だと発音する場合は音の数も多くなってしまうし。
逆に漢字の「等」はどんな時に使うのかですが、はっきり言えば文字数が制限されてたり、パワポなどで入力欄が制限されている場合にだけ自分は使っています。もしくは前述のように、読み手に深く読んでもらいたくない箇所を漢字で目いっぱいにする時くらいかな。
ちなみになんでこんなことに意識を配るのかというと、やはり中国語で苦労しているというのが大きいです。仕事の傍ら、中国語文章を翻訳する機会も多いのですが、中国語の場合だと全部が全部漢字で、この手の単語同士の区切りを探すのがかなり難しかったりします。下手したら名詞と動詞すら判別できず、前の単語の漢字を変に混ぜて読んでしまって誤読したりすることも多いだけに、日本語の単語や文節の区切りでひらがなは重要だという風に気が付きました。
マジで中国語はその辺、句読点でしか区切り部分を示す手段がないしなぁ。
最後に、最初に表現は広い方がいいと言いながらですが、「遵守」と「順守」に関してはどっちかに統一してほしいですマジで。両者とも意味はほとんど同じなうえに発音も一緒で、なのに漢字だけ違うので、無駄に紛らわしいことこの上ないです。どっちがいいかというと中国語でも「遵守」が同じ意味で使えるので、「遵守」に統一した方がいいと密かに願ってます。
逆に「敷衍」って単語が日本語と中国語で全然違う意味になり、中国語だと「ごまかす」、「やり過ごす」という意味で頻繁に使われるのが結構意外です。