ページ

2022年2月20日日曜日

プーチン後のロシアはどうなる

 この週末はともかく寒くて仕方ないので寝るか次のJBpress記事を書くかでした。しっかり眠れた文化なり体力戻し、JBpress記事も無事書けたのですが、当初は盛り上がっているし中ロ関係(中日対ロッテではない)でも書こうとしていたものの、あまり専門家でもないのにこの手の外交を語るのもどうかと思って見送り、別の話題にしました。

 そんなロシアですが、北京五輪が本日閉会するため、ことが起こるとしたらまさにこれからでしょう。北京五輪期間は恐らくペーさんがガチで必死に説得していたと思うし、派遣している選手団もあることだから全世界的に開催期間はまだ何も起こらないということで落ち着いていました。しかしこれが終わる明日からは本当に何が起こるかわからず、ことリスクについては一気に跳ね上がってくることになります。
 実際に侵攻が起こるかどうかなどは自分も東欧を専門に調べているわけではないので言い難いものの、こと日系メディアを見ているとロシア側の情報操作と言える偽情報をそのまま翻訳して垂れ流している自称ロシア専門家が数多くおり、気を付けてみないとこの手のデマに騙されるという懸念がはっきりあります。内心残念だけど、この手のロシア側のスポークスマンには前は尊敬していた人もいます。

 そのため侵攻に関しては正直私ではわかりかねるのでこの問題について敢えて語るとしたら、この後プーチンはどうなるか、ロシアはどうなるかです。一体どういうことかというと、侵攻が実際に行われるか否かに係らず、プーチンは政権の座から落ちる可能性があると思うからです。

 先のウクライナ東部への侵攻によってロシアは今も経済制裁を受けており、それに伴いプーチンへの国内支持も揺らいでいると報じられており、この点については数年前から報じられているので事実と見ています。そうした国内状況の打開、並びに防衛圏の維持拡大を狙って行われているのが今回のウクライナ国境への軍備配備なのですが、もしこれで実際に侵攻が行われなければ、相次ぐ政策の失敗、というより軍事を誇示しての対応失敗が重くのしかかり、あのロシアと言えどもプーチンが政権を維持できなくなる可能性もあるのではと見ています。
 では実際に侵攻を行った場合はどうか。仮に侵攻に成功してウクライナの首都を占領したとしても、その後に待ち受けるのは今以上に激しい経済制裁でしょう。その結果、国内支持は傾く可能性もあり、よほどうまく立ち回らないとこちらもまた厳しいんじゃないかと見ています。

 いわば進むも引くも厳しい状況と言え、もちろん政治の世界ですから実際は何ともなく政権を維持するかもしれないものの、今回の騒動がきっかけでプーチンがロシアで政権の座から落ちる可能性も想定としてはしておくべきなのではという見方をしています。仮に落ちた場合、もちろん次に誰が来るかが最大の影響要素となりますが、ロシア国内での世論分裂などがプーチン時代よりは激しくなるのではないかと思います。
 その上で周辺国はどうなるか。何気に北朝鮮なんかビビったのかウクライナ問題が大きくなるや途端にミサイル撃たなくなりましたが、プーチンがいなくなったら北朝鮮が案外ダメージでかいかもしれません。でもって中国に関しては、恐らくそれほど影響はないかなと見ています。

 一番影響を受けるのはやはり欧州諸国で、特にこの問題が大きくなってからは各国でエネルギー代が急騰しており、高額な電気代が請求されるようになっていると聞きます。今後の天然ガス取引交渉にもよりますが、ドイツを含め原発再稼働議論が本格化するかもしれません。
 あと最後にこの騒動で漁夫の利を得ているのは中東諸国でしょう。高騰したエネルギー価格でたんまり儲けているような気がします。うらやましい。

2022年2月18日金曜日

「大人」が唯一存在するガンダム作品

 かねてからこのブログに書いているように、日本の漫画、アニメの最大の特徴は「まともな大人」がほとんど存在しないことに尽きると思います。基本的に大人は足を引っ張ったり、騒動や戦争を引き起こす無責任な存在に描かれ、そうした大人のツケを少年少女が活躍して解決するというのが最大の王道となっています。
 漫画の主な購買層が少年少女であることを考えると、大人を落として少年少女を持ち上げて描く方が感情移入されやすいため、こうしたストーリー手法が採用されるのは個人的に理に適っています。その一方、大人の鑑賞に堪える作品がやや出づらくなっており、功罪相半ばとなっている面があるでしょう。

 こうしたストーリー傾向はガンダムシリーズにおいても顕著、というかガンダムシリーズが代表格と言っていいくらい上記のようなストーリー構成を取っています。基本的に敵も味方も無責任な大人ばっかで彼らが戦火を拡大していく一方で、戦闘面においては主人公らの少年少女が大活躍して最終的に終戦に持って行くというのが基本パターンです。そのため主人公の年齢も基本若く、多分Gガンダムのドモン(20歳)が登場時で最年長で、次いでコウ・ウラキ(19歳)になるのだろうか。

 特にVガンダムに至っては、主人公は13歳と極端に若い上に、主人公側にいる大人たちは「こいつぁ使える!」とばかりにガンガンと少年兵を戦場へ送り込んで戦争に巻き込むなど、無責任を通り越して狂気に走った大人たちがさも当たり前のように登場してきます。こうした「無責任な大人とそれに振り回される子供たち」という構図は、明らかに監督の意向が強く働いているでしょう。

 ただ、そんなガンダムシリーズにおいて明らかに例外と言えるシリーズが1つあります。挙げてしまうとそれはガンダムXで、このシリーズ作品のみ責任感の強い大人が味方の側に立ってくれています
 具体的にはそのキャラは副主人公といっていいジャミル・ニート、そして彼と行動を共にする医者のテクス・ファーゼンバーグの二人です。二人とも行動や発言には強い責任感が伴っており、また戦火の拡大を抑えようとしたり、戦争などに利用され犠牲になっている子供を助けようと行動していたりと、ガチで大人の鑑のような人物として描かれています。

 それ以上に特筆すべきは、主人公であるガロード・ランとの絡みです。前大戦のエースでありながら大虐殺に加担した負い目によって戦闘恐怖症となったジャミルですが、若く暴走しがちなガロードに対し時には厳しく叱り、時には力強く背中を押したりして、その時々の状況に応じてしっかりと少年を導く大人の役割を演じています
 その一方で、大人であるジャミルの側も少年であるガロードの熱意や積極性の影響を徐々に受けていき、物語途中で戦闘恐怖症を克服し、パイロットに復帰するようになります。この流れについてもう一人の大人であるテクスが、「少年の心は、時として成人男性に伝染する。よくある例だ」と評しますが、地味にこれはガンダムXの中でも名言中の名言であると思うとともに、本当に望ましいとされる大人と少年の関係を見事に描き切っているようにも感じます。

 っていうかこのテクス先生、あまりにも人格がよく出来過ぎてるので、視聴中は「実はこいつ、敵のスパイなのでは?」と疑ったことがありました。それにしても名言が多く、「大概の問題はコーヒー一杯飲んでいる間に心の中で解決する物だ。後はそれを実行できるかどうかだ」というセリフもどっかで言ってみたい。

 ガンダムXは前番組のガンダムWから人気が落ちたこともあり、やや失敗作みたいな扱いをされた時期もありましたが、改めて作品全体を見ると最初に述べたようにガンダム作品としては例外的にしっかりした大人が描かれていること、また「ニュータイプ」、というより「新人類」という概念に真っ向から切り込んだことなど、そのストーリー構成や世界観に関しては文句のつけようがないくらい素晴らしいものだと、かえって年月を経るにつれて思うようになってきました。
 まぁ駄目出しすると、主人公機以外の機体がガンダムタイプを含め、敵味方ともに異常にダサいというのがまずかったと思います。「ガンダムXディバイダ―」、っていうかハモニカ砲はネーミングといいかなり好きなんだけど。

 冒頭でも述べた通り、少年少女が主な消費対象であることから、少年少女が中心となって活躍するストーリーが多くなるのは私は当然だと思います。ただそれが過剰に働いた結果、日本の娯楽作品では無責任な大人ばかり跋扈するようになり、やや作品としての引き出しが小さくなっていった気がします。
 そうした点を振り返るにつれ、「子供たちを導く大人」の役割を果たすキャラクターがやはり日本の娯楽作品では致命的に不足しているように思えます。こうしたキャラクターをもっとうまく描けるようになれば、もっと作品の幅は広がると思え、そういう意味ではガンダムXがまさにいい手本となる作品なのではないかというのが結論です。

 なおこの系統のキャラでほかにパッと浮かぶのは、「進撃の巨人」のリヴァイ兵長です。あとは「ダイの大冒険」のアバン先生がいるけど、あの人は序盤ですぐ一時退場してしまうのであんま導いてる感覚ないです。ポップ限定ならマトリフ師匠がまさにこの役割を果たしてはいますが、ぶっちゃけ麻生太郎氏に顔がよく似てるんだけど、一回コスプレやってみてほしい。

オミクロンは本当に弱毒性?

 さらっと書きたい気分なので短くまとめますが、デルタ株に成り代わり現在絶賛流行中のコロナのオミクロン株ですが、流行当初に「オミクロンは弱毒性」と各所で報じられていました。しかしコロナ感染後の治療法がある程度確立されてきているにもかかわらず重症者数は増えており、1日当たりの死者数も過去最高の271人を記録したと報じられていて、これで本当に弱毒性なのかと、専門家ではないもののちょっと疑問に感じます。

 単純に、感染力が強いためこれまでのタイプに比べ重症となりやすい高齢の既往症キャリアが感染する確率が高まり、その結果重傷者が増えたのかなと勝手に推測しています。その一方、そもそもオミクロンはハナから弱毒性ではなく、感染力も毒性も高いタイプだったのではないかとも勘繰っています。
 仮に後者だった場合、最近は本当に聞かなくなってきたけど流行当初に弱毒性だなどと報じられた、というより現場などから報告されたのかという話になってきます。これについてまた素人的な考えを述べると、流行前にワクチンがある程度接種され、そのワクチンの効果によって毒性が薄れていただけだったのではないかと適当に考えています。

 専門家などによると、ワクチンを打てば永遠に感染しなくなるわけではないものの、仮にその後に感染したとしても、身体への影響やダメージは顕著に落ちると報告されており、他の感染症のワクチンなどからもこの主張は正しいのではないかと思います。
 その上で、オミクロンが弱毒性だと判断されたのは、オミクロン自身の影響力が弱いからというより、ワクチン接種によってその影響が小さくなっただけで、逆を言えばワクチン打ってないとデルタとかそっち系にも負けないような毒性を持ってるのではないかという気が最近してきました。まぁ専門家じゃないので何とも言えませんが。

 なんか日本でも鎖国解禁などと言われ外国からの入国者数を緩和しようって話が出ていますが、恐らくこの流れは今後も続くと思います。というのも今のような状況を今後何年続けるかって話で、恐らくあと2年内には国境移動を解放しないといろんなものが持たなくなるのが目に見えているからです。ただ2年内にコロナがかつてのサーズみたく根絶されるかと言ったらそんなことはなく、世に言うウィズコロナが現実味を帯びてくるのではないかという気もします。
 ただウィズコロナで懸念を挙げると、夏場じゃないかという気がします。インフルエンザと違ってコロナは夏場でも容易に感染するため、この点でどういう風に割り切るのかが考えものです。それにしても今時分、内心で一番可哀想だと思うのは留学を目指していた学生で、彼らだけでもどうにかしてあげられないかなという気がします。

2022年2月16日水曜日

ずるいや兄ちゃん( ˘•ω•˘ )

ロッキンオン、古塔つみ描き下ろしグッズを一時販売停止と返品対応に すべての作品を調査を行うため(ガハろぐ)

 本題と関係ないけど今も検証が続けられているトレースレーターの報道とか見ていると、逆にオリジナル作品を見つけ出すことの方がハードなのではないかという気がしてきました。っていうか最後に書かれている「引用派の巨匠」という言葉が強すぎる。

 話は本題ですが先日も取り上げた「とはずがたり」では、後の南北朝の争乱のきっかけとなった後深草天皇と亀山天皇の兄弟二人が登場します。この二人は実の兄弟ながらどちらも天皇になっているものの、互いに頂点を極めた若貴兄弟と同様というか、その後継天皇をどちらの皇子にするかで対立が深まったと言われ、一般的には仲が悪い天皇兄弟のように認識されています。
 実際に私も長い間そんな風に見ていたのですが、両者の姿については「とはずがたり」でも描かれていて、それを読むと若干印象が変わってきます。

 具体的にはどう描かれているのかというと、ちょうど後深草天皇が自らの側近でもあり朝廷と鎌倉幕府のパイプ役である西園寺実兼を使った運動が効を奏し、自分の皇子(伏見天皇)を皇太子に立てたあたり、後深草天皇と亀山天皇が不仲であるという噂が出回っていたようです。
 これに対し両者は「そんなことないよ(・∀・)人(・∀・)ブラーザ」ということを世に示すため、一時期互いの屋敷を訪問し合ったりしました。訪問理由はいろいろ理由をつけていたのですが、途中からチームで弓の腕や和歌を競い合ったりして、勝った方をお祝いし合うみたいなイベントをやるようになりました。

 そんな交流戦が繰り広げられたある日、後深草天皇が逗留先の屋敷で横になって「とはずがたり」の作者である二条にマッサージしてもらっていたところ、亀山天皇が単身で部屋に入ってきて、こんなやりとりがあったそうです。

亀山天皇「今夜は御供がいなくて夜寂しいの。兄ちゃんの二条貸してよ(´・ω・`)」
二条(何言ってんだこいつ……(;´・ω・)モミモミ)
後深草天皇「二条は今、身重(妊娠中)だからまた今度ね(´-ω-`)マッサージキモチイイ」
亀山天皇「ずるいや兄ちゃん!うちの女房の中で気に入った娘がいたらいつでも言ってねと僕は言ってるのに、兄ちゃんは自分とこの娘を独占すんの?( ˘•ω•˘ )」
二条(ちょっ、待てよこの兄弟。なに勝手に交換条約結んでんだ(;゚Д゚)モミモミ)
後深草天皇「( ˘ω˘)スヤァ」
亀山天皇「兄ちゃん酔っぱらって寝ちゃったね。じゃ、君はこっちへ(´・ω・`)グイッ」
二条(ってオイィ、寝てんじゃねーよこのタイミングで:(;゙゚''ω゚''):)

 っていう感じで、亀山天皇に手籠めにされたといういきさつが描かれています。会話文はもちろん脚色していますが、ガチでこんな内容です

 これ見て当時の宮中の乱れ方とかそういう以前に、「案外仲いいじゃんこの兄弟(;´・ω・)」というのが私が感じた印象です。もちろん仲良くシェアとかしてたのはこの時期だけでその後は険悪だったのかもしれませんが、政治的にはともかく、プライベートでは上記の通り交流があったようです。どちらかというとこれ以降、皇統が分かれたまま時代が下るにつれて派閥間の抗争が激しくなっていったというのが実態かもしれません。

 なおこんな感じの話がガチで「とはずがたり」は多く、戦前とか発禁にならなかったのかなと前から思っていました。ただ先日のJBpressの記事を書いた際に調べたところ、実はこの「とはずがたり」は二次大戦中に古典資料館で初めて再発見され、皇室への社会の意識が強かったこともあり当時は公表されず、1950年くらいになって初めて世間に出されたそうです。

 それで合点がいったというか、他の古典と比べると「とはずがたり」はややマイナーな方に入りますが、それは恐らく古典マニアな明治、大正の文豪が一切触れていないこともあると思います。森鴎外や芥川龍之介を始め、この時期の文豪で古典マニアな人は少なくなく、彼らが小説に取り上げたことでメジャーとなった古典も多いです。しかし「とはずがたり」は彼ら文豪のいた時代には表に出ておらず、昭和になって初めてその存在が再確認されたこともあり、いわゆる源氏物語や更級日記などと比べるとやや知名度が低いのではないかと思います。この前亡くなった瀬戸内寂聴を始め、現代語訳している人はそこそこいますが。

 それにしても「とはずがたり」のエピソードはほんとに顔文字入れやすい。

2022年2月14日月曜日

粥杖事件記事の裏側

鎌倉時代の珍事件、「おケツ滅多打ち」の復讐に燃えた女官たち(JBpress)

 というわけで定例コンクラーベな自分の記事紹介ですが、この記事は大分前にこのブログでも紹介した粥杖事件の顛末を再びまとめた記事です、今回出したきっかけとしては、春節休暇中にまた粥杖事件の解説とか読みたくなって検索かけたところ、自分のブログ記事が一番上に表示されて、この事件がほとんど日の目を浴びていないということに気が付いたためです。

 そうして書くに至りましたが、元々の内容の面白さもあり、書いている間はかなり楽しく書けました。本音を言えばもう少しアクセスとかコメントが増えればという気持ちもあるものの、ヤフコメのコメントはどれも「面白い(^ω^)」的なコメントが多くて、この点では書いてよかったと心底思える結果です。
 なかでも、「現代と変わらないね」というコメントもあるのですが、このコメントが地味にうれしいコメント内容です。というのもこの記事は裏テーマは設けていませんが、読者の方には1000年近く前の人であっても、意外とユーモア方面の感覚は現代人と大差ないということを意識してもらいたいと考えながら書いた記事だったからです。実際、この事件での後深草院は連座の話をわざと持ち出したりするなど、天皇という庶民から最も程遠い立場にありながらユーモアたっぷりに動いており、非常に親しみが持てます。

 このほかコメントでは、記事中の「力が欲しいか?」というセリフに着目するコメントもみられました。このコメントも非常にうれしく、このセリフはいくらか脚色して入れたものであるものの、内容的にも情景的にも非常にマッチしたセリフを上手く浮かんで入れられたと感じる会心のセリフでした。
 なお思いついたのは記事を一回全部書き終えた後で、シャワー浴びながらペルソナとか昔のゲームや漫画のセリフを思い出している最中にふと浮かんできて、あとから付け加えました。

 今回、この粥杖事件の記事を書くに当たっては参考文献に上げている佐々木和歌子氏の現代語訳された原典を読みましたが、高校時代に読んだ内容は一部だけかと思っていたら、案外ほとんどの内容を当時に読んでおり、また今でも記憶していたことに気が付きました。
 そんな「とはずがたり」の分量はちょうど小説一冊程度に収まるくらいですが、佐々木氏の現代語訳が非常に読みやすくできていることもあり、古典だからと言って敬遠されがちですが是非他の人にも読んでもらいたいと思い、記事の末尾はややプッシュが過ぎるかなというくらい推薦しています。

 よく古典というと読み辛そう、時代背景が分からないなどという理由から敬遠されがちですが、私が思うにそうした敬遠される主原因は、現代語訳が少なかったり、されていてもやや格式ってて読み辛くなっていることにあると思っています。実際にはこの「とはずがたり」のように昔の人の感覚は思われている以上に現代人に近く、ちゃんと中高生くらいが読めるような言葉で現代語訳さえすればもっと読まれるのではないかという気がします。
 こうした問題意識は大学時代から持っており、私自身で日本の古典を読みやすい形で現代語訳しまくってやろうと思い、わざわざ下宿に古語辞典を持ち込んでたりしました。ただ飽きっぽい性格は当時からのため、結局古語辞典を開くことなくこうした事業は手掛けず、ゲームと自転車と社会学に明け暮れることとなりましたが。

 ただ、真面目に今度暇が出来たらやってみようかなという意識がまた芽生えています。というのも中国で散々あらゆる文書を翻訳してきて、翻訳という作業に対してめちゃ強い耐性が出来た上にいろんなテクニックも身に着けたので、大学時代と比べても多分今の方が翻訳させたら古語であっても段違いにいいの作れる自信があるからです。まぁ言うだけなら誰でもできますが。

 というわけで今回のこのとはずがたりでちょっと鎌倉時代にマイブームが来ているので、しばらくこの方面の解説記事でも書いていこうと思います。

2022年2月13日日曜日

スーツが限界(;´Д`)

 最近北京五輪のせいか、ネットの回線が多いのが地味に面倒です。まぁ中国アルアルだけど。

 話は本題ですがさっきまでお裁縫をしていました。最近この手の裁縫をすることが多くダイソーで裁縫セットを買うにまで至っているのですが、一体何を縫っているのかというとスーツのズボンです。このところスーツのポケットや縫製部がほつれることが多く、ポケットに当て布したり、ほつれた箇所は縫い直したりとお裁縫仕事がやけに多いです。それもそのはずというか、今使っているスーツは旧ザク並に稼働期間が長期化しているためです。

 2年前まではスーツ3着を1ヶ月ごとに着まわしていたのですが、このうち2015年に買った1着は去年にズボンが太腿のあたりで破け大破し、2017年に買った1着は何度もズボンがほつれてその度に縫い直してましたがポケットに割と大きな穴が空いてこの前当て布しました。でもって一番損傷が少ないのは2009年にヨーカドーで5000円のところを半額セールで2500円で買ったスーツですが、先の二つのスーツと比べてぴっちりサイズじゃないこともあってこれまで破れたりすることはなかったものの、今回ポケット入口付近がほつれたので縫い直しました。もっともこの2500円スーツ、さすがに稼働期間が半端じゃないこともあって裾のあたりがかなり擦り切れています。

 なんでそんな古いスーツを延々と着続けるのか不思議に思われるでしょうが、理由は単純に買い換えられないからです。というもの中国では、青山とかコナカといった吊るしでスーツを売る店がなく、テーラーメードでしかスーツを買えないからです。
 自分も何気に最近知ったのですが、日本のような紳士服量販店は基本皆無であり、スーツを手に入れようものならその手のテーラーメードに行って、お店に作ってもらうしか選択肢がありません。無論、その分値段はかさむとのことで、日本と比べるとスーツは割高だと友人から聞いています。

 別にテーラーメードで作ってもいいっちゃいいですが、吊るしで安くで買えるならそれで済ませたいし、また日本に行ったときにでも買って持ち帰ればいいやと思っていたらこのコロナで日本に行けなくなり、そこへちょうど追い打ちかけるように手持ちのスーツが次々とダメージが深刻化するようになって、マジで今のスーツが切れなくなったらどうすんだ的な状況に陥ったわけです。
 ズボンが破けたスーツはジャケットは無事なので似たような柄のスラックスでもあればと探してみたものの、ストライプ入りのスーツであるためそんな都合よくなく、結局今のところ2着で着まわしています。ただその分この2着に負担がかかっているようにも見え、早くもう1着が欲しいところです。

 もっとも中国ではドレスコードが緩いこともあって、必ずしもスーツ着て仕事する必要はないため、完全にスーツ駄目になったら同僚みたくポロシャツみたく出勤しようかとも考えています。なおその日本人の同僚は、11月くらいまで半そでのポロシャツで出勤してました。
 また、一応今の職場はちゃんと会社規定のドレスコードがあって、男はYシャツネクタイ、女性もスーツを着るよう規定しているのですが、中国人スタッフは誰も守らず、夏場はTシャツや短パンで来る人も珍しくないです。ただ自分も服装に関してはもっと自由であるべきだと思うので、こうした中国の雰囲気の方がどちらかというと好きです。

2022年2月12日土曜日

賃貸の部屋に浴槽は必要か?

【悲報】若者の「新しい価値観」、貧困をごまかしてるだけだと批判されてしまう(ぶる速)

 上の記事でも触れられていますが、このところ「浴槽なし賃貸ルーム」の話題をよく見ます。
 確か最初に話題となったのは実際の物件で、浴槽がなく、シャワールームしか備え付けられていない部屋が取り上げられたのに対し、「空間の有効活用」、「賃料安くなるならいいかも」などと好意的に取り上げられていたのを観ました。上のまとめ記事で取り上げられている人はこうした好意的な反応に対しツイートしたようですが、多分、実際にそういう部屋に住んだことないからこういうこと言うんだろうなって気がします。

 では実際に浴槽がなくシャワールームだけの部屋に住んでいる人間はどう言うのかですが、中国ではまさにこうした形態が一般的な住宅で、私に至ってはかれこれ10年くらいそういう部屋で起居しています。そんな私に言わせると、広い部屋ならともかく、狭い部屋ならぶっちゃけ浴槽は邪魔でしかなく、ない方がむしろいいとはっきり思います。

 例えば一般的な安めのワンルームの部屋だと、バス・トイレが分かれておらず、浴槽から出てシャンプーとかしようものならトイレ周辺がびしょびしょになることは確実です。そのため私なんかは浴槽の中で石鹸やシャンプーを使って洗ってましたが、浴槽の構造的に足元は滑りやすく、且つシャワーカーテンに挟まれ自由に体を動かすこともできず、大学生の頃なんか一回滑って腰を強打したことあります。あんま痛くなかったけど。

 それに対し今のチャイナ部屋ですが、こちらもバス・トイレは分かれておらず同じ部屋の中にまとめて収納されていますが、トイレとの間は今日重曹でめちゃ綺麗にしたガラスの引き戸で区切られており、シャワー中にトイレに水滴が飛ぶことはまずありません。また浴槽と違って平面の床の上に直立することができ、両腕を自由に動かすこともできるので、単純に体を洗う上ではこっちのがずっと使いやすいです。

 とはいえ浴槽がないと風呂に浸かることが出来ないのが嫌だという人もいるでしょうが、私なんかそういう時は外の銭湯に入りに行ってました。銭湯の方が広いし、且つ浴槽を洗う手間も省け、ガス代や水代も考えるとこっちのが効率的かなとすら思います。こうした生活スタイルは、スーパー銭湯の増えてきた上海でもやっています。

 以上のような実体験を踏まえると、面積の限られた安い賃貸部屋であれば、無理して浴槽入れるくらいならシャワー1本に割り切った部屋の方がかえって住み心地はいいのではないかと思います。少なくとも、家賃などが同じ条件だったら私は迷わず浴槽なしを選びます。
 どうしても浴槽が欲しい場合は、少なくともバス・トイレが分離した部屋じゃないと嫌です。また分離していても、体洗うスペースが極端に狭い部屋も嫌です。だったらシャワーだけにして洗うスペースを広く取ってくれた方がありがたいです。

 ただ、浴槽なしでシャワーだけでいいとさっきから言っていますが、まさにそのようなシャワールームだけの部屋であったものの、マジ辛いと思った部屋が一つあります。もったいぶらずに言うとそれは香港にいた頃に会社に割り当てられた部屋で、そこも浴槽なしシャワーのみの部屋だったのですが、そのシャワールームは極端に狭かったです。具体的にはガラスで四方が覆われているのですが、電話ボックスよりもやや狭かった気がします。
 最初見た時、「こんな狭い空間に人間が入り込めるのか(;゚Д゚)」と思ったくらい狭かったのですが、試しに入ってみたら案外入ることができ、体も洗うことができて、人間って案外凄いんだなと当時思いました。でもさすがにあの狭さはもうあまり体験したくない。