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2022年11月4日金曜日

養子に継承させた皇帝

 また本題と関係ないけど、数年前に「あずきちゃん」の原作が某秋元康氏だと知った時はマジビビった。

 それで本題ですが、例の中国の猫歴史漫画を読み続けて現在は五代十国の時代にまで来ました。この五代十国とは唐から宋に至るまでの時代で、五つの王朝と十ヶ国が乱立したことからこのような名称となっています。西暦で言えば907年から960年のわずか54年間で、五つの王朝の平均年数は約十年ちょいと極端に短いなど移り変わりが激しく、実際に中国人でもこの時代の流れをきちんと把握している人は少ないです。
 もっとも、三国時代の次の晋朝が滅んだ後である南北朝時代こと五胡十六国時代とくらべれば、まだ流れがはっきりしているので五代十国はマシな方ですが。

 話を本題に移しますが、この五代十国時代においては「後漢」という王朝が興っています。なんで後漢なのかというと、この王朝を起こした皇帝が劉知遠といって、漢朝の劉氏と同じ苗字で本人も漢朝にシンパシーを感じていたことからこのような名称となりました。もっとも、劉知遠自体は漢朝の皇室の血筋を引いていないことはほぼ確実ですが。
 この後漢は典型的な軍閥王朝で、「強き者が天下を取る」的な、ローマ帝国で言えば軍人皇帝時代に近い五代十国を代表する王朝で、完全に武力のみで開かれた王朝でした。また王朝を興したと言っても当五jはまだ各地に軍閥は残っており、また中国にとって若干トラウマワードな燕雲十六州には「遼」こと契丹族の王朝も控えており、天下は全く定まっていませんでした。

 そんな最中、後漢を起こした劉知遠が病死し、その後を劉承祐(隠帝)が継ぎます。継承時の年齢は幼く、重臣らが輔弼する形で政務が運営されていたのですが、この劉承祐は長じるにつれてあれこれ口出ししてくる重臣らを疎むようになります。それどころか、自らの皇帝としての地位を簒奪しようとしているのではないかとも疑うようにもなりました。
 そしてある日、自らの権勢拡大と重臣らの排除を目論み、首都において突如重臣とその一族を襲い、ほぼ全員を皆殺しにしてしまいました。ただ詰めが甘いというべきか、この時外部に遠征に出していた部隊が存在しました。

 その部隊を率いていたのは郭威という将軍で、マジで一介の平民から軍功によって先帝に見出された叩き上げの軍人でした。郭威は首都での白色クーデターによって自らの家族が皆殺しにあったことを知るや、率いていた部隊ごとそのまま首都に進軍する形で反乱を起こします。これに対し劉承祐も首都から打って出て迎え撃ちますが、世論的にも郭威の支持が大きかったことと、指揮官としての圧倒的な実力差から皇帝である劉承祐の部隊は惨敗し、乱戦の最中に劉承祐も殺害されます。

 こうして首都を占領した郭威は当初こそ劉家の一族(劉知遠の甥)を次の皇帝として擁立しようとするも、内々から反対も多かったため、結局この甥を殺して郭威自身が皇帝に就きます。
 こう書くと郭威がひどい人間の様に見えますが、上記のようなプロセスは五代十国ではよくあることでした。この時代の皇帝や軍閥首領は軍隊の支持が非常に重要で、軍隊が異論を唱えた場合はそれに従わざるを得ず、郭威に限らず軍隊に担ぎ上げられる形で、本人はその気がないのに皇帝にされた者は他にもいました。

 話を戻すとすったもんだで皇帝となり「後周」という王朝を開いた郭威ですが、彼自身が軍部の増長が乱世を長引かせているということをよく把握しており、皇帝となるや軍部、特に各地の軍政を担う節度使の権力や軍権をそぐことに注力しましたが、志半ばでその事業を果たし切れないまま病気でこの世を去ります。そして去り際に、自らの養子を次の皇帝に指名しました。その皇帝こそ、後周の二代目皇帝となった柴栄でした。

 柴栄は郭威の妻の兄の息子、つまり郭威の義理の甥にあたる人物でした。実父の家は裕福だったのですが柴栄が幼い頃に両親がともに亡くなり、仕方なく貧乏な一兵卒でしかなかった郭威の家に引き取られることとなりました。
 ただその後、郭威が軍功によって出世を遂げ大部隊を率いるようになると、彼の右腕となって養父の活躍を支え、軍人として大きく成長します。また軍事一辺倒に限らず、幼い頃から勉強にも明け暮れ、文字通りの知勇兼備の名将となりました。

 しかし前述の劉承祐による白色クーデターの際、養父の郭威とともに遠征に出ていた柴栄はその親族をすべて皆殺しにされます。結果的にこの郭威と柴栄は養父・養子の関係ながら、互いに一人しかいない親族という関係になり、その紐帯も実の親子以上に結びつきが強かったとされます。
 そうした背景もあり、死に臨んだ郭威は柴栄を自らの後継者として皇太子に立て、実際にその通りに柴栄が二代目皇帝として後を継ぎます。少なくとも自分が知る限り、直接的な血のつながりのない養子に皇位を譲るという例は他にはありません。

 こうして皇帝となった柴栄ですが、養父の期待を裏切らず、というより養父の方針を見事なまでに達成してのけます。皇帝直属の親衛隊(禁軍)を設置して中央権力を強める一方、地方軍閥の力は徹底的にそぎ落とし、また老兵らに土地をあてがって農民に変えて耕作放棄地を開墾させるなどして、短期間で劇的に後周の国力を高め続けました。
 なおこの際、当時は働かなくてもごはんが食べられるということから仏門に入り僧となる者が多かったのですが、こうした連中も無理やり農民に変えた上、仏像も溶かして銅銭を作るなど仏教に対する弾圧も行っています。もっとも後世からは「必要な弾圧だった」的に評価されていますが。

 柴栄は未だ各地に割拠する独立国を併呑して、中国全土の統一も目指していたものの、志半ばで39歳にて逝去します。あとを継いだのはわずか7歳の息子で、先の例の様に軍部はこの幼い皇帝には従わず、同じ軍人出身である別の将軍を立てて後周を滅ぼしてしまいますが、この時推し立てられた将軍は柴栄の息子を殺したりせず、その生命を保護し、その後若くして亡くなった際には皇帝の例で以って葬儀を行っています。この将軍こそほかならぬ、次の宋朝を開いた趙匡胤でした。

 後周を受け継いだ宋はその後、華南の南唐を併呑し、燕雲十六州を除く中国全土の統一を達成しますが、この統一事業は先の柴栄による基礎作りがあったから成功したとされます。そうしたことから、柴栄は五代十国時代の皇帝の中でも最優秀の人物であったと評価されています。
 個人的な感想で述べると、先の一族皆殺しを経て互いにたった一人だけの親族同士となった郭威と柴栄のバトンリレーは、非常に心打つものがあります。結果的にこのバトンリレーによって長らく続いた五代十国という乱世が終わりを迎えるきっかけが得られており、世にも稀な養父・養子による皇帝継承劇は見るものを感動させるだけでなく、次の時代を大きく切り開いたという事実は深く感じ入りさせられます。

2022年11月2日水曜日

ある医学部留年生の意外なその後

 先日、医学部を出た友人と会った際に、近年における日本の医学部の留年率上昇について話が及びました。なんでも医師国家試験の合格率が大学別に公開されるようになり、各大学の医学部はこの合格率を高めることが評価につながるだけに、国家試験に受からなさそうな学生については早いうちに手を打てとばかりに留年させるようになったことが、留年率上昇の背景だそうです。
 しかし医学部というのは私立なんかは学費も非常に高いだけに、1度の留年が文字通り命取りになるというべきか、1発で身代が傾く可能性もあります。それだけに留年をきっかけに退学を選ぶ学生もいるだけでなく、鬱となり、普通の生活すら遅れなくなったという元医学部学生もいるといううわさもこのところ聞きます。

 話を戻すと、友人のいた大学はまだ国立系医学部ということもあってそこまで留年率は高くなく、友人の学年もほぼストレートでみんな卒業、国家試験合格に至れたとのことでしたが、一つ上の学年に留年した学生がいたそうです。友人によると、その留年した学生は1学年下の友人の学年にいた医学部に在籍する女子学生と交際していたそうです。

 ここまで話を聞いて「ははーん( ・´ー・`)」と思い、「なるほど、その女子学生に振られたのがきっかけで留年したとかだろ(σ・∀・)σゲッツ!!」と言ったら「違うよ、振られてないよ(´・ω・)」と友人は否定してきました。
 それならばとばかりに「わかった。順番は逆で、留年したのがきっかけとなって別れて、男のほうが鬱になったとかだろ(σ・∀・)σゲッツ!!」と再び推理を見せたところ、「違うよ、留年がきっかけで振られたわけじゃないよ(´・ω・)」とまたも否定してきました。

 じゃあ一体どうなったんだよと改めて聞いたところ、「留年したのがきっかけとなって、その人は医学の道をあきらめラーメン屋になったんだよ(´・ω・)」と、かなり想定外な展開を明かしてきました。でもって、ラーメン屋になったところで彼女に愛想突かれて、結局別れたそうです。
 友人曰く、「医学生からラーメン屋への転向はすごいよね(´・ω・)」だそうですが、すごいとは思うけど、なんとなく自分が聞きたかった話とは違ったような思いを感じました。まぁその友人はマジでどっかピントのずれた答え方ばっかする友人で、医学生時代も教授に「お前よく彼女に誤解とかされね?」と言われたそうですが、「いえ、彼女いません(´・ω・)」とまたずれた答え方してたそうです。

2022年10月30日日曜日

河野太郎の庇護者

 あまりこの手の話をする人がいないので自分の方で書いてみようかと思いますが、現在岸田内閣の中でスタンドプレーが目立つ河野太郎氏ですが、彼は派閥としてはいわゆる麻生派に属す議員ですが、そのバッグにいるのは菅元総理だと自分は睨んでいます。

 一体なぜこのように考えるのかというと、元々河野氏と菅氏は行革こと省庁改革に二人ともかなり執心しており、その必要性を常日頃から訴えています。その発言内容を見るとほとんど一致しており、お互いにわざと合わせているか、普段から行革について話し合っているから自然と一致しているかのどちらかと見てほぼ間違いないでしょう。
 また菅元総理に関しては公然と河野氏を応援する姿勢を見せており、彼に対する期待も大きいように見えます。またそうした菅元総理の姿勢を河野氏も心強いとみており、互いに強い信頼関係を既に築いているのではないかと考えています。

 ただ、両者の中の良さに嫉妬する人もいないわけではありません。それはほかならぬ派閥の長たる麻生元総理で、実際に前回の総裁選を巡っては河野氏の出馬はまだ時期尚早だとみて、彼を推薦した菅元総理に対し「うちの河野を潰すつもりか」と言ったと報じられていました。
 もっともその麻生元総理ですが、私自身の見方では彼は政治的にはほぼ無能であり、これまで要職についていたのも盟友である安倍元総理の引き立てがあってこそだったと考えています。その安倍元総理が例の件で例の通りとなって以降、麻生元総理の存在感は明らかにフェードアウトしてきており、早ければ次回辺りで政界引退かもしれません。

 仮にそうなった場合、現在の自民党における長老格としては上記の菅元総理、そして二階氏の二巨頭となるほか、それ以外だとあまり目立つ長老がいなくなるように思えます。一応は石破氏もまだいますが、彼の人気はかつてと比べるとかなり衰えているし、本人もなんか前よりやる気なくしているようにも見えるため、もうスターダムに上がることはないと言っていいでしょう。
 そんな長老格クラスはさており地味に笑えないのが、40代、50代クラスの中堅クラスと言える人材が今の自民党内で払底していることです。実際にはいるっちゃいますが、世間に名前が浸透しているのとなると、若手と言える年齢ですが小泉進次郎氏くらいしかいないように見えます。この辺、安倍元総理の弊害というか彼があんま後進を育てなかった、っていうより稲田氏など際物ばかり引き立ててくるモンスターハンターだったことに起因するとみています。

 そうしたことを踏まえると、今批判にさらされている岸田氏なんかは自分を支えてくれる中堅クラスがいないという状況で総理やんなきゃいけないだけに、やや同情めいた気持ちを覚えるようになります。朝令暮改は確かに激しいですが、自分としては割といい方向に話変えるから多少は多めに見た方がいいとは思うものの、有権者的には頼りなくみえるのも仕方ないでしょうが。

2022年10月29日土曜日

和室は4畳

 個人的な趣向ですが、和室や庭園を自由に創作してその中でヾ(*´∀`*)ノキャッキャ(´∀`*)ウフフするようなゲームとかあったら遊んでみたいなとか最近思っています。一応、近いゲームとして「パチパラ13」というゲームが昔あり、このゲームでは自分の部屋を所有した後はその部屋の内装を自由に置き換えるというかパチンコで取ってきた景品とかを自由に置くことができて、自分も人体模型とかをよく部屋に置いていました。

 さてそんな内装の話ですが、まだ無駄に暇な時間に全米ライフル協会との関係を勝手に噂しているライフルホームズのホームページを見て、自分好みの和室を作れる部屋はないかなといろいろ妄想していたのですが、和室の広さは6畳程度が多く、6畳の広さを想定してこの前いろいろ構想を練ってみました。結論から言うと、6畳というのはかえって広すぎるのではという結論に陥りました。
 なんでこんな結論に立ったのかというと、4畳くらいの狭い部屋の中にこの前入ってみたからです。

 物を敷き詰めた4畳の部屋だと確かに狭苦しく感じるのですが、逆に物を全く置かない4畳の空間だと物凄く落ち着きます。イメージ的には静かなトイレの中が近く、空間が広すぎると人間はかえって落ち着かなくなり、一人でじっと本読んだりお茶飲むならかえって、4畳くらいの間取りの方が最適解になるのではと考えたからです。

 こうした考えのもとで改めて6畳の間取りを考えてみると、やはり空間がちょっと広すぎる感じがします。尚且つその空間を埋めるために箪笥などの家具を置くことを考えてみると、物が増えて圧迫感を覚えかねず、それだったら敢えて何も物を置かずに小さな床几などだけおいた4畳の和室の方が、空間的に優れるのではと思い至ったわけです。まあ実際に試したわけではないですが。

 一応、物件によっては4~5畳の和室のある部屋もあり、今後検討するとしたらこういう部屋になるかもしれません。それにしてもインテリアについては何か思想書なり教科書とかこのところ欲しいです。

2022年10月26日水曜日

富貴に溺れていると感じるΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)

 普段夕食は会社近くの店で外食しているのですが、今日午後は半休を取って家にいたので、家の近くにあるマクドで食事取ってきました。もっとも会社に行ってる場合でもバーガーキングで済ますことが非常に多く、こうしたファーストフード、というより外食に対して今や一切何も抵抗がないです。

 それに対しかつての学生時代、あと中国来たばかりの頃はともかく金がなく、食費を徹底的に抑えるために外食は厳に慎んでいました。学生時代の昼食は130円のわかめうどん、たまにどうしてもおなかすいた時に250円のカレーという2択しかなく、夕食はウインナー、味噌汁、ごはん(2合)が一番多かったです。たまにごはんは3号だったが。
 その時と比べると現在こうして気にせず外食にお金を使う自分に対し、富貴に溺れていると深く恥じる思いをします。食事限らず普段の生活においても、他の駐在員らと違ってタクシーはほとんど乗らずに自転車か地下鉄にしか乗らないのは前と変わりありませんが、湯水のごとくプラモを買ったり、寝具を買ったりするのはかつてからすれば絶対あり得ませんでした。まぁゲームは昔からいっぱい買ってたけど。

 特に寝具に関しては自分の場合はダニに噛まれることが多いため、肌に合わないと思ったらすぐに使用を中止してしまう悪い癖があります。何気に去年買ったもこもこの寝間着はやばくて一晩で蜂の巣にされたもの、何度か洗いなおしたり、殺虫剤をかけたりしたけどどうにもならずすぐ捨ててしまい、今でも購入時の判断を深く悔いています。

 それこそ昔は起業資金を集めるために切り詰めていたこともありますが、かつてと比べるとそこそこまとまった給料を得られて前ほど切り詰めなくても前以上に貯金がたまっていくため、財布のひもが以前と比べるとめっぽう緩くなっています。日本で勤務していた頃は食費を除いた交遊費は月4万円以上は絶対使わなかったのに、今は普通に友人と300元(約6000円)くらいの夕食食べに行くこともあり、どうして俺はこうなってしまったんだ、あの頃の青雲の志はどこへ行ったのだという気すらします。

 もちろん、お金を使うこと自体は悪いことだとは思いません。特に上海の飲食店に関しては日本と違ってガチなロックダウンで営業を停止させられるだけでなく、支援金も一切送られないため、ロックダウン明けは応援するためにも馴染みの店で普段より多くお金を使うように意識しています。とはいえ、それでも節制意識の緩みは気になるところであり、自分自身でも以前のような切り詰めた生活ができなくなるほど人間として弱くなっているのではと思い、悩む日々が続いています。
 会社の同僚へのプレゼントにも、割と平気でスミスキー買って送ってしまうし……。以前だったら舌噛みたくなるような出費だというのに……。送った相手の反応はめちゃいいんだけど。

 以上のような浪費癖は気にしなければいいじゃんという方もいるでしょうし、実際私も若干そのようにも思う節はあるのですが、それでもやはり以前のような節制意識があった方がいいのではという考えも残っています。特にお金が自由に使えるようになった今、以前と比べると商品を購入した時の喜びが目に見えて小さくなっており、これは明らかなマイナスだと考えています。
 やはりお金に苦しい時ほどお金を使った時の喜びは大きく、得られるカタルシスも今とは段違いでした。もっとも、クソゲー掴まされた時の悔しさも段違いでしたが。

 やはり人間の欲望というものは抑えれば抑えるほど満たしやすくなり、満たせば満たすほど薄れていくものだとはっきり思います。富貴に溺れることを気にしなければいいと流すこともできますが、やはり節制する姿勢を忘れない方が豊かさという感覚を持つ上ではより有利であると言えるでしょう。
 それはそうとして、また新しいスミスキー買っちゃおうかな……。

2022年10月25日火曜日

惜しまれる人、惜しまれない人

 去年と全く同じ組み合わせの日本シリーズですが、相変わらず見ていて胃が痛くなるような試合展開が多いです。特に日曜の第2戦なんか9回にヤクルトが同点となる3ランホームラン打ってそのまま延長引き分けになるし、見ていて楽しいけど当事者たちは気が気じゃないだろうなと感じます。この辺、ヤクルトもオリックスも接戦をどう戦っていくかが良く分かっているチーム故だからでしょう。
 それに比べると、33-4こと2005年の阪神対ロッテの日本シリーズは見ていて楽だった。


 話は変わりますが、かつて巨人、横浜で活躍したロペス選手がこの度引退を発表しました。私自身、それほど横浜ファンというわけではないのですが、ロペス選手についてはともかくチャンスに強く、打つべきところで確実に打ってくるという意味で大した選手だとかねてから評価していました。ただそれ以上に、ともかくキャプテンシーに溢れていてベンチ内でチームを鼓舞し、新しくやってきた外国人選手に対してもマメに世話を焼くなど、非常に優れた人格者であるということも方々から聞いていました。
 そのように打棒のみならず人格面でも尊敬を集めていたことから、上記の引退に関するヤフコメなどでは巨人、横浜のファンに限らず、多くの方からかつての活躍を称賛されるとともに、今回の引退発表を嘆きつつ、ねぎらう声に溢れています。同じような例では広島ファンに愛されたエルドレッド氏もいますが、やはり優れた人格者はこのようにチームを離れた後も周りから惜しまれるものだと感じます。


 一方というか、元横浜で巨人に移籍し、今回戦力外通告を受けた山口俊選手については、かなりコメントが荒れています。こう言っては何ですが私も、グラウンドでの活躍よりも、彼がかつて起こした暴力事件の方が印象が強く、また各方面から「あまりいい性格していない」と聞いていただけに、辛辣なコメントが集まるのも仕方ないと感じています。この点、上記のロペス選手と非常に好対称というか、惜しまれる人と惜しまれない人を分けるのは成績以上にやはり人格なんだなと考えさせられます。

 そういう人格面での話で言うと、既に引退発表をしてセレモニーも行った、元巨人で西武に移った内海選手に至っては、別格というかこの人本当にすごくいい人だったんだなと改めて思います。
 内海選手もかねてから、所属球団に限らず球界全体から人格者だと慕われていて、実際に西武に移った後も西武ファンを虜にし、先の引退セレモニーに関するコメントでも「将来巨人に戻るにしても、数年は西武の後輩を指導してほしい」、「巨人ファンだけど、彼のことをこれだけ応援してくれる西武ファンにはありがたい」などと、あり得ないくらい称賛のコメントに溢れていました。

 それを見て自分の上にリンクを付けたWikipediaの記事読みましたが、移籍した選手や球団スタッフ、そしてファンに対して非常に親切この上なく、マジでやばいくらいい人だったんだと思い知らされました。
 それだけに引退セレモニーでも、現役・引退選手らからたくさんのビデオメッセージが送られていました。内海選手も各人物からのビデオレターを見てうるうるしてましたが、何故か今回新たに広島監督に就任した新井氏が画面に映るや「( ;゚;ж;゚;)゙;`;:゙;;゚;ブッ」と吹き出してました。いや、気持ちはよくわかるが。

2022年10月24日月曜日

大企業病であるとはっきり感じた会社

日本にも進出のEVメーカー「BYD」、中国で販売台数倍増の大躍進(JBpress)

 今日の自分の記事ですが毎年第3四半期の自動車市場は切り口が難しく、自分でもあまり面白くないと感じる更正からアクセス数も振るいません。まぁ定例記事だし、統計データ欲しい人だけ見てくれればいいのですが。

 それで本題ですが、この前ふと「大企業病」という言葉をここ数年、全く耳にしなくなったなということに急に気が付きました。大企業病の定義までは一々語りませんが、かつて1社だけ、明確にこの会社は大企業病に陥っているなと感じた会社がありました。具体名を挙げるとそれは日野自動車です。

 このように思うようになったのは自分が日系メーカーにいた頃、サプライヤーとしてこの会社の購買訪問に行ったからです。出てきた日野自動車の購買担当がまさに大企業病の権化みたいな人物で、無駄に偉そうで、それでいてあまり業務には熱心ではなく、自分より年上のサプライヤー担当者に対し平気でため口で話し続けており、「あまりよろしくない会社だな」とはっきり記憶に残りました。
 それがため、先日の日野自動車のエンジンに係る不正事件が発覚した際も、何の驚きもありませんでした。むしろこの会社は、末端の購買の人間があんななくらいだし、組織的にかなり病巣が不快と思えるため掘ればもっと出てくると思います。

 日野自動車に限らず、大企業の購買担当者はサプライヤーの生殺与奪を左右する立場であるだけに、自分のことを勘違いしてしまう人間が少なくありません。逆を言えば購買でも謙虚な人は非常に自我のしっかりした人だと言えるのですが、同じ居丈高であっても、トヨタ直系、っていうかはっきり書けばアイシンの購買担当はまだしっかりしていました。
 態度こそ偉そうではあるものの、仕事に対する厳しさというのは非常に真っすぐで価格や品質に対する意識や言及が強く、まだ仕事していく上では日野と違って頼もしい相手だと思いました。

 そのトヨタ系列で言えば、上記の大企業病をかつて最も口にしていた人物がいました。それはほかならぬトヨタの元トップである奥田碩氏で、彼のインタビュー記事にはほぼ確実と言っていいくらいに「大企業病になるなと社内で言っている」という文言とともに、その弊害について延々と語られていました。
 当時の内容を書き起こすと、トヨタ自体は紛れもなく大企業であり責任ある立場であるが、社員らがそれに驕るのは別問題であり、常に危機感を絶やさず仕事をする重要性が語られていました。しかし奥田氏の退任以降は、あまりこうした大企業病に関する言及はトヨタに限らず見なくなり、むしろ大企業への意識の強まりもあってか、「大企業であって何が悪い」的な主張が以前より幅を利かすようになってきているとすら感じます。

 常々感じますが、大企業にいるからと言ってその構成員が立派であるかと言ったらまた別問題です。大した人物もいればそうでない人物もいるのが普通であり、それ以前にその所属組織を持って自慢することはジャイアンの威を借るスネ夫も同然であるだけに、個人として何ができるのか、成したのかを自慢できない時点で人物として卑小であると自覚できない人物なぞ以ての外でしょう。

 こうした実業界に限るわけではないですが、なんか昔と比べて日本は全体的に、内面よりも外面に偏った世の中になってきた気がします。こんなこと書くくらいだから私自身は圧倒的に内面を磨くことにこそ価値があると考えるタイプですが、本当に中身が重視されず、経歴やらフォロワー数などで評価される時代となってきて、ますます停滞するだろうなという予想を立てています。

 まぁそういいながら、また墜落したSu-30でカナード付きの形状はかっこいいと思うから、1回はキットは組み立ててみたいなとか思ってたりします。