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2023年8月5日土曜日

日大アメフト部問題の理解できないタイムラグ

 本当に最近の日本はニュースが尽きないというか、ビッグモーターで盛り上がっている中で日大アメフト部でも違法薬物が出てきて部員が逮捕されるというニュースが出てきました。ちなみに学長の林真理子氏によると大麻は違法薬物ではないとの認識の様です。
 その日大は8月8日に記者会見をやると言っていますが、何でここでタイムラグが空くのか正直理解できません。部員逮捕にまで至っているのだからすぐにも会見を開いて、他の部員も摂取があったのか、ほかの部でもあるのか、二次販売などがあったのかなど現状わかる範囲でもいいから答えるべきなのではないかと思います。

 聞けば日大が違法薬物を発見してから警察に通報するまでもまたタイムラグというかかなりの日数が空いていたとのことです。呆れることこの上ない隠蔽体質としか言いようがなく、根っこが腐ってりゃトップをいくら変えても意味がないのか、トップがそもそも無力であるかのどっちかでしょう。

 こう言っては何ですが、日大OBで宥免字だから林真理子学長が神輿に担がれたようにしか見えません。本来ならば問題解決のためにもコンプライアンス管理に強い人物を学長にするのが筋だというのに、言っちゃなんですが林学長に何かコンプライアンス方面で造詣があるのか私は全く聞きお呼びがありません。っていうかこの際だから、さっさと辞めるのもまた筋でしょう。
 その上でどういった人物が次の学長に望ましいかですが、単純にコンプライアンス管理ということで、警察幹部OBが単純にいいような気がします。もう学校経営なんて二の次であり、とにもかくにも不祥事を隠蔽する体質をどうにかしないと、日大は犯罪学校と呼ばれても仕方なくなるようにすら思えます。

 このほかよさそうな人材でいえば、民間企業のコンプライアンス関係者もいいのではないかと思え、その方面で強そうな企業で真っ先に浮かんできたのは任天堂とトヨタでした。両社とも社会影響力が強い会社であり、特に任天堂法務部なんかは無敗の最強軍団とまで言われるだけに、どうでもいい知名度なんか無視し、こういったしっかりした会社の法務経験者を引っ張ってきたらいいのではないでしょうか。
 っていうか、資質にコンプライアンス経験を無視して選んだ前回の選定がやばすぎる。

2023年8月4日金曜日

やばいくらいうれしそうな猫


 上の動画はいつも自分が見ている猫チャンネルの動画ですが、これまでたくさんの猫と一緒に暮らしながら最年少だったある猫に、今回初めて後輩ができた時の映像です。その後輩猫を見るまなざしですが、猫ながらうれしさを隠しきれないという表情を明らかにしており、こうもわかりやすく感情を出す者かと感心してみています。

 軽く背景を説明すると、この後輩で来てうれしそうな猫はトビという名前で、山中で片目が化膿した状態で拾われた子です。残念ながら左目は治ることなく失明しましたが、片目のハンデなんてなかったかのようにやたら元気で人懐こく、ほかの猫たちともコミュニケーション力抜群で生き生きと暮らしています。やっぱ猫界でもコミュニケーション能力って大事だなと、この子見ててつくづく思います。

2023年8月3日木曜日

次回選挙におけるワイルドカード

 先日の女性議員がフランスではしゃいだニュースを見て一部の女性議員が反論を主張しましたが、あの場ですぐ「この研修でフランスではこうした政策が使われていて……」などと研修成果を報告したらまだ見るべき点もありましたが、恐らくただの物見遊山なためそんな芸当など初めからできっこないのでしょう。っていうか少子化対策を学ぼうってんなら遠くに行かずとも福井に行けよ、っていうか福井住めよとか思います。
 ちなみに今調べてみたら福井は2021年の出生率で6位でした。それでもフランスより、福井行けよ。福井の方がフランスより楽しいし、福井でエッフェル塔の真似しても誰も後ろ指指す奴いないし。

 話は本題ですが、ぶっちゃけ今日本は広末の不倫に始まり、ビッグモーター騒動、福原愛氏の子連れ騒動など社会ニュースがやばいくらい楽しすぎて政治ニュースがほとんどありません。そのため政治論争もほとんど起こらず、増税に関してもあまり抵抗運動が広がっていないように見えます。
 なお私個人としては日本で税金を払っていない立場もありますが、結局のところ社会福祉支出は否応なく増えざるを得ない点を踏まえると、増税に関してはやむを得ないと思っています。軍備費に関してはもう少しウクライナの戦訓を取り入れてから予算を立てるべきだとは思うものの、特定の業界を狙い撃ちにするのではなく広く浅く増税するなら一般個人所得からやはり取るべきじゃないかと思います。

 なお軍事費に関しては、アッシマーを量産するってんならどんどん予算付けるべきでしょう。マジあれさえあれば中国なんて恐くない。

 冗談は置いといて、政治議論はあまりないもののやはりマイナカードのミス問題は政権支持に直撃しており、保険証の廃止でも燻ぶっているだけに、仮に今すぐ選挙するなら間違いなくマイナカードが最大の争点になるでしょう。私としては富士通のシステム設計には疑問を感じるものの、初期エラーに関してはどうしても出るものだと思うのと、マイナカードの普及、運用によって抑えられる社会コストは膨大であるとの考えから、批判を恐れず「今ここでやらずにどうする」と保険証廃止などを徹底してほしいと考えています。
 その上で不安を取り除くため、マイナカードを詐欺などに不正利用した人間に対する厳罰法、具体的には最低でも懲役数年、最高刑死刑な法律を用意してほしいです。ぶっちゃけ個人情報の管理に関して、やたら厳格な中国にいるってのもあるけど日本はザル過ぎる。

 以上のような感じでマイナカード問題があって自民党としては次回選挙は守勢に回らざるを得ないと思いきや、状況を一転させるワイルドカードもあると私は見ています。具体的に言えばそれは統一教会問題で、選挙直前に活動停止、解散命令を出せばほかの議論は吹っ飛んで支持を集められるのではないかと思っています。
 真面目な話、今の日本における最大の政治問題はこの統一教会問題に尽きると思います。恐らく今も自民党議員の中には統一教会との関係を密かに維持している、または隠している人間がいると思いますが、その自民党への政治的癒着は明らかに問題であり、また統一教会のやってきた行為は文字通り詐欺商法の典型でここから多くの犯罪者も生まれ育ったことを考えると、今この時代に終止符を打たなければならない問題だと私は重視しています。

 この統一教会に選挙前にケリをつけられるものならば、見る人は見るだろうし、また保守勢力も自民への支持を強めることでしょう。ただ逆を言えば、これは野党にとってもワイルドカードとなり得るトピックでもあります。具体的にはこれほどの犯罪集団を野放しにしていると言って攻撃材料とすることができ、また選挙直前に癒着を断ち切れずにいる議員を暴露することによって、いくらでも形勢をひっくり返すことも可能でしょう。
 そういう意味では野党は統一教会と癒着している自民党議員を見張って、その癒着ぶりを示す証拠を集めることこそ最大の選挙対策になり得るでしょう。安上がりですごくいい案だと私個人的には思います。

 一方、敢えて上から目線で日本国民に対する次回選挙の課題を言えば、まともな野党を作る努力が必要でしょう。日本の政治発達に関してはやはりまともな野党を作れなかったのが一番の阻害要因で、目立ちたがり屋ばかりでなくきちんと政治議論ができる野党を作る選挙の土壌をもっと作らないと、日本政治は発達しないままが続くでしょう。
 具体的には特定の思想や心情ごとに有権者団体をもっと作ることに尽きます。個人としての票ではなく、敢えて組織票の一部となることで、その方針や信条に寄せる政治家が作られていきます。目下においてはビッグモーター事件もあるので、消費者保護を信条とする団体なんかあったらいいなを形にと思いますが、まぁ実際作る奴もいないだろうし賛同する人もいないでしょう。

 にしても2戦4発の巨人の岡本選手はマジやべぇ。やはりヤクルトの村上選手より岡本選手の方が上なのかと思わせられてしまう(;´・ω・)

2023年8月1日火曜日

10年前、20年前の中国とインドの評価

「中国はもう終わり、これからはインドの時代っすよ!」

 上のセリフは約20年前、当時「○○ハイツ一の武闘派」を自称していて学生だった私に対し、後輩が言った言葉です。なお武闘派といっても特定の団体には所属せず、やっていたことは雨が降りそうな時に後輩の部屋のベランダに干したまんまだった布団を取り込むくらいでした。

 そういうどうでもいいのは置いといて、20年前、時期にして00年代中盤においては「BRICs(ブリクス)」という言葉がまだ存在しました。これは当時の経済新興国であったブラジル、ロシア、インド、中国(チャイナ)、南アフリカ(サウスアフリカ)の頭文字を取った言葉で、中でも同じアジア圏にあることから中国とインドが日本人の中では特に比べられていたと思います。
 あれから20年を経て、「アジアNIES」がとっくに死語となっているように、このBRICsももはや死語になっているというかここ5年内には確実に一度も耳にしたことがありません。もっともBRICs自体、2008年のリーマンショック辺りから語られることが少なくなり、それぞれが単独で議論されるようになっていった気がします。

 中でも中国はドイツ、日本を追い抜きいまや世界第二の経済大国で、少なくとも先の後輩の言う通り、00年代中盤で「もう終わり!」でなかったことは間違いありません。ただ最近色々な記事にもでているとおり、調査媒体にもよりますが中国の人件費というか給与はこの20年で約20倍も上昇しており、もはや低賃金国と呼ぶには相応しくありません。経済規模もさることながら個人レベルであってももはや発展途上国とは言えないまでに発展したものの、このところ書いているように今年、というより去年の上海ロックダウン辺りから目に見えて不況感が強まっており、俗にいう「中所得国の罠」に陥りつつあります。

 自分が中国に係わりだしたのは約10年前ですが、その頃も大分所得は上昇してはいたものの、まだ発展途上国らしい気風が強くありました。逆に、今は当時のようなアニマルスピリッツに溢れた若者は減り、起業家精神は大きく後退していると断言できます。そういうことを振り返るならば、ちょうど転換期の中国を自分はうまく観察できる時期にいたのでしょう。

 一方、「これからはインド」と後輩に言われたインドですが、ロシアやブラジル、南アフリカと比べるならばこの20年で比較的順調に成長を続けているという気がします。日本国内で報じられているかは分かりかねますが、2022年の自動車販売台数で1位は中国、2位は米国で3位はこれまでずっと日本でしたが、去年にインドが日本を追い抜いて3位に入っています。人口の差があるとはいえ、世界3位の自動車大国となるまでにインドも経済成長しており、かつて同ランクと扱われた中国とは今も差があるものの、発展潜在力でいえば20年前の予測の通りだったというべきでしょう。

 とはいえ今もインドは犯罪やカースト制による社会的差別が色濃く、経済成長における足かせは少なくない気がします。20年前の時点で私はまさにこうした社会的制約が中国に比べて圧倒的に強く、また旅行でインドを訪れた際に停電が頻発していたことなどからも、比較的に言えば中国の方がずっと成長しやすい土壌があると当時考えていました。
 もっとも、最近のインド事情について自分もあまり把握していないだけに、そのような社会的制約は以前に比べたら今はだいぶ改善しているのかもしれません。また中国と比較するならば、米国と第二の冷戦のような対立が強まる中で、中国の周辺国に対する投資や経済移転を米国がこのところ主導しているだけに、インドにその恩恵が今後降りかかる可能性も十分あるような気がします。だとした場合、インドの時代とやらはまさにこれからの10年かもしれません。

 まぁインドの時代が来るとしても、旅行で訪れた際のあまりの暑さ、ほこりっぽさ、殺伐とした風景から、たまに旅行で行くならともかくここに住んで働きたくはないなと思っただけに、仕事で赴任となると多分普通の日本人は持ちこたえられない気がします。確かに国同士が仲が悪いから中国企業の進出が弱く日系が進出する余地はあるっちゃあるんですが。

2023年7月31日月曜日

中国経済に関するリチャード・クー氏の評論

 アラブ人顔で会社でのあだ名が一時期「ビンラディン」だったうちの親父の写真を今日、中国人の同僚に見せたところ、一目見るなり「新疆(ウイグル)人だ!」という声が上がってきました。中国人からしたらああいうアラブ系の顔は新疆人に見えるということを、今日発見しました。


 話は本題ですが、上記リンク先にあるエコノミストのリチャード・クー氏の中国経済に関する評論が面白かったので紹介します。なおクー氏については「クーさん」と呼ぶとすごくかわいく聞こえるなと思います。

 そのクーさんの評論ですが記事にもある通り「バランスシート理論」がベースとなっており、これは経済規模に関して支出と収入は常に同規模となるはずであり、経済規模を拡大、つまり経済成長するには社会が一定の借金をしなければ理論上実現しないという、言われてみてなるほどという理論を唱えています。
 この理論をもとにすると、経済成長を続けるには社会における借金額が増え続けなければならず、具体的には銀行の貸出量(マネーサプライだっけ?)が増え続けなければなりません。しかし中国は2016年の段階で先行きへの不安から借金を減らしていこうとする動きが社会に見られ、実際に貸出量も先細って言ったそうです。その点から見ると、中国の不況は2016年時点ですでに始まっていたというのがクーさんの見方です。

 この見方については私も同感で、不況というのは好景気と思われている時点ですでに始まっているものだと考えており、今の中国は市民レベルですら不況を実感するくらいまで具現化しているものの、その端緒という意味では確かに2016年くらいから始まっていたのかもしれないという気がします。何故かというと、銀行の定期金利がちょうどこのころ辺りから5%を切るようになり、その後もずっと目減りし続けていたからです。
 最近は諸般の事情で私は定期預金をやらなくなりましたが、2017年くらいなら4%台の金利は余裕でしたが、2019年になると3%台後半すらなくなり、羽振り悪いなぁと思いつつスマホで定期預金をよく申し込んでいました。今思うと、ああした市場金利の落ち込みを見過ごすべきじゃなかったかもしれません。

 以上のような見解を踏まえてクーさんは、景気打開のためには財政出動が否応にも必要であり、コロナ対策に追われ財政基盤が揺らいでいる地方政府には期待できず、中央政府が大規模な対策を打つべきであり、対策をきちんと打てれば何とかなるという見方を示しています。それに対し、


 そのクーさんの意見に対しこちらの藤和彦氏は、現状に対するクーさんの分析には同意しつつも、果たして大規模な財政出動を中国が行えるのかと、疑問を呈しています。何故行えないのかという理由に関して藤氏はあまり説明しておらず、文面を見る限り根拠がやや弱いと私は感じますが、実際に中国政府が財政出動に踏み切れるかに関しては自分も疑問視しています。

 その理由としては、中国の税収、貿易黒字による外貨獲得が弱まってきており、今投入した分の資金を将来に回収できるかという点で懸念があること。次に、クーさんも指摘している通り中国では既に人口減少が始まっており、経済規模、税収が今後も拡大し続けるかという点でも大きな懸念があるという理由からです。
 これまで、特にリーマンショックの起きた2008年であれば中国は人口が拡大しており、それ以上にプライマリーバランスが常に黒字で尚且つ更なる増収がはっきり見込めました。それだけに大量の資金投入を行ってリーマンショックからいち早く脱することができましたが、今の人口が先細っている中国で同じことできる、というより政策担当者が決断できるかと言ったら、確率は確実に以前よりは低くなるでしょう。そういう意味ではクーさんの言ってる通りに、まだ人口減少が始まっていなかった段階でバブル崩壊にあった日本の方が状況的にマシだったのかもしれません。

 私個人の見方では、やはり日本の例に則るとしたら財政出動は出動でも、景気刺激のためのインフラ投資などに使うのではなく、まとめて不良債権処理に用いる方がいいのではないかと思います。中国の消費者が借金をしないのは先行き不安からであり、その不安の源泉は不良債権というか借金の規模によるものであれば、経済規模は一時縮小するものの、損切りしてでも不良債権処理に舵を切るべきではないかというのが自分の見方です。不良債権はいつまでたっても不良債権であり、特にデフレに入ってしまえばその重みはますます増してくることを考えれば、デフレに入る前のインフレ段階で思い切り処理するのが最善手というわけです。

 ただ、既に恒大不動産をはじめ国が傾くくらいの負債を抱えた企業も今の中国には少なくありません。こうした企業をどう処理するかに当たっては、これまた日本の例にとるならば産業再生機構の
ような不良債権企業を抱え込む組織を作るのが一番な気がします。日本の産業再生機構も、潰そうにも潰すと国が傾くくらいの借金を抱えたダイエーを処理するために作られたんだし。

 このように考えると、本当に日本の後を今中国が追っているように見えてなりません。あんまり日本の過去になぞらえてみるのも視野を狭くするのでよくないと思いつつも、現状の中国においては日本の過去の対応が一番参考になるように思え、この際だから中国は竹中平蔵氏を招聘したらどうかなとすら最近思うようになっています。なんか彼だと中国とは意外と相性よさそうに見えるし。

 にしてもこれからウイグル人を見ると親父を嫌でも連想しちまうんだろうな(´・ω・)

2023年7月30日日曜日

なんでも「(´・д・`)ヤダ」だった谷干城

 最近、明治のテクノクラートという観点から批判閥でありながら政権中枢で徴用されてきた人材について着目し初め、一通りこれらに該当する人材について伝記を読み漁っています。具体的な人物としては、前回にも取り上げた原敬もそうですが、最も知名度の高い人物となると紀伊藩出身で外務大臣を務めた陸奥宗光でしょう。そして陸奥に続く形で元幕臣の榎本武明、土佐藩出身の谷干城がこれに続き、このうち谷干城についてはあんま調べたことがないので以下の本を買って読んでみました。



 谷干城と言えば西南戦争で熊本城に籠り、事実上、西郷軍撃退において最も功績の高い働きをした軍人として有名ですが、第一次伊藤博文内閣で初代農商務大臣になるなど、政治家としても要職を務めました。そんな経歴ながら陸軍の非主流派として政権や長州閥に度々楯突いたりするなど反骨精神のある人物であったと聞いていたので、改めてどんな人物であったのか伝記で読んでみたら、自分の想像以上に反骨の相に溢れた人物でした。
 なお谷干城の「干城」は戸籍名だと「たてき」ですが、本人はよく「かんじょう」と呼んでいたそうです。名前の由来は中国の古典の一説にある「干(=盾)となり城となり」という意味の文章からだそうです。

 話を戻すと、坂本龍馬の二歳下という同年代で谷干城は土佐藩に生まれており、代々の神道学者という家でした。長じて本人も当初は学者として採用されますが、神道の家計なだけあって徐々に尊王攘夷運動にのめりこむようになり、公武合体派で土佐藩の政治を仕切っていた吉田東洋を目の敵にしていたそうです。
 そのため吉田東洋が暗殺された際は真っ先に犯人と疑われたそうですが、暗殺直前に東洋と面談した際は普段から悪口言っている自分に快く時間を割いてくれ、またその主張も筋が経っており評価を見直したと述べています。ある意味、これ以降の彼を暗示しているかのような変節の一端が見えます。

 その後、土佐藩を尊王攘夷へと政策を変えさせようと動きつつ、途中で薩摩や長州と連携して徐々に尊王討幕へと方針を変え、土佐藩兵を京都に出兵させて無理やり討幕に加担させようとするなど過激な行動を取るようになります。大政奉還を経て討幕路線が固まると、同じ土佐藩の板垣退助らとともに土佐藩兵を率いて各地を転戦し、元新選組を甲州で殲滅するなど高い軍功を挙げていきます。
 その後、明治時代に入ると当初は土佐藩の執政として班内改革を進めますが、廃藩置県を経て中央政府に合流し、軍事指揮官として各地に赴任し、西南戦争直前に熊本鎮台司令として赴任します。なおこの人事の裏には、土佐出身で且つ天皇への忠誠が強い谷なら西郷軍に裏切らないという思惑があったそうで、その期待に応え見事西郷軍を撃退します。

 その後、しばらくは軍人として活動するも徐々に政治家に転身し、農商務大臣就任後は主に貴族院議員として活動しています。

 以上が主な彼の経歴ですが、改めて細かく政治思想や言動を追っていくと以上に変節の激しい人物であったというのが正直な感想です。具体的な変節ぶりを如何にまとめます。

・尊王攘夷→尊王討幕→攘夷はやっぱ不可能
・台湾出兵(1874年)に出陣→この際、清と戦争してやっつけろ!→日清戦争(1894年)反対!
・政党なんてカスの集まり→(国会開設以降)政党を中心に議論すべきで政府は勝手に決めるな!
(最後の政党に対する評価は当時の人からも「前と言っていることが違う」と突っ込まれている)

 以上は主だった変節で、細かいところを探ればもっといっぱい「前と言っていることが違う(;´・ω・)」と思わせられる発言のオンパレードです。こうした変節は何も谷に限るわけじゃないですが、彼の場合は変節前に自分の主張を激しく展開しては猛批判した挙句、自分の主張が通らないとわかるや「だったらもう辞める!(# ゚Д゚)」とすぐ辞表を叩きつけるなど、極端な行動が目立ちます。
 特に第一次伊藤政権では外務大臣であった井上馨の条約改正交渉を激しく批判し、内閣不一致を招いて井上馨の辞職を誘引するほどでした。

 以上のようなイヤイヤを繰り返したことから明治政府内では何度も辞職、復職を繰り返しているものの、主張に首尾一貫したものはほぼないものの、神道学者の家だけあって天皇家、ひいては国家に対する忠誠心は誰もが認めるものがあったことから、「谷君、また一緒にやろうよ(´・ω・)」と辞職しても誰かが復職の世話してくれるので、なんだかんだ言いつつ野に埋もれることはありませんでした。
 もっともそうした復職も、野に放っておけば西郷隆盛のように反乱を起こすかもしれないという懸念から、政権内に取り込んでおくという思惑も強かったそうです。それで反抗心が異常に強かったそうです。

 なお明治天皇からは「西南戦争の英雄」と高く評価され、谷の復職についても明治天皇の意向が強かったそうです。それだけに農商務大臣を辞めた際は「復職してくれるならどのポストでもいい、教育とか好きだったから教育大臣とかどう?」(過去に学習院院長もしている)などと、優先的にポストが提示されています。ただこの時は、議会の中で暴走を食い止めるべく貴族院議員を選んでいます。

 その後、貴族院議員の重鎮として名を馳せますが、ここでもほかの華族を率いて政府の方針に反発しまくり、あまりにも反発しまくることから当初は谷と行動を共にしたメンバーも、後期には彼と距離を置くようになっています。この時に限らず、「悪い奴じゃないんだけど」といろいろ世話して食える人は周りにいたものの、伊藤博文や山縣有朋らのように独自の派閥を形成するほど谷の周りでは徒党が形成されなかったように見えます。

 以上のように自分の見立てでは、主張や反発が激しいながら行動や発言に一貫性がまるでなく、政権にとってすればなんにでも反対してくる厄介な奴でしかなかったんだろうなという評価です。天皇家への忠誠心があったからこそ周りも大分理解してくれていますが、恐らくこれがなければ厄介な人物として暗殺されていたのではと思う節があります。
 概して大局観が一切なく、目先の問題にとらわれて過激な反対運動を展開する人間だったとしか自分には見えません。もっとも西南戦争で見せた軍事指揮や、議論においては理路整然と話すなど能力が高かったのも間違いないですが、その能力を大局観なく奮うもんだからいろいろ迷惑な人間だったようにも見えます。何か処理しなければならない課題が目の前にあれば活躍したでしょうが、なんにでも反対するもんだから反対派のシンボルに担ぎ上げられることも少なくなく、伊藤や山縣と比べるとその評価が低くなるのも自然な結果かなと思います。

2023年7月28日金曜日

夏場は長雨が重要?

 今朝、上海は台風が来たんじゃないかっていうくらいの豪雨で何度も雨音で目が覚めましたが、出勤時には雨が止んだので問題なく会社に来ることできました。こうした豪雨はこの1週間ほぼずっと続いており、晴れた日の方が少ない有様です。
 その甲斐あってか気温はぐんぐん下がり、夜なんか冷房かけていると逆に寒くなり、また扇風機オンでこれまで寝てましたが、昨日一昨日なんかはその扇風機を消しても余裕で寝られるくらいになっています。ぶっちゃけもう今年の夏のピークは越したんじゃないかなって気がします。

 こんな感じで今年の夏過ごしてて思いますが、夏場ってやっぱ長雨が非常に重要だなという風に感じます。あんまその筋の専門じゃないですが、日差しというのは夏至こと6月末が最も強いのですが気温の方は大体7月末から8月初旬に年内ピークを迎えます。1ヶ月くらいのタイムラグがあるのかというと、最初に地温が温められて、それから空気が1ヶ月間を経て徐々にあったまってくるからだそうです。
 逆を言えば、降りかかる日差しの量が少なければ少ないほど最終的な暑さも変わってくるということで、日差しの強い夏至のあたりにどれだけ雨雲が空を覆って日差しを防ぐかはその夏の暑さを大きく左右するんじゃないかと思います。もちろん夏至に限らず、7月も雨雲がどれだけ出たかは重要になってくるというわけです。

 それで何が言いたいのかというと、ゲリラ豪風のように一度に雨が降るのと、細々とした雨が長々続くのでは後者の方が夏としては涼しくなるんじゃないかというわけです。実際去年と今年の上海が上記のような状況で、今年は割とパラパラ降る雨が多くてそのおかげで今くらいになって大分気温が落ち着きましたが、去年は8月中も死ぬような暑さで自分が上海にいて過去一且つぶっちぎりで暑かったです。

 そういう意味では、ゲリラ豪雨をいかに分散させて細く長く雨を降らせるかが、地球温暖化にとっても災害対策にとってもかなり重要になってくるんじゃないかと勝手に思っています。最近知ったのですが、この辺の雨雲とかって湖とかを人工で作るだけでも結構気候にも影響するらしく、河川工事とかそういうのでもいろいろ変わってくるのかもとちょっと思うようになってきました。
 実際にというか、世界最大のダムの三峡ダムを中国が作ったから中国の気候はおかしくなっているという声は中国国内でもよく聞かれます。ならば三峡ダムほどとはいかずとも、ゲリラ豪雨を防ぐような人工湖やため池みたいなのをうまく配置できないものかと思え、その辺の研究とか進めばいいなと勝手に思っています。