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2009年11月11日水曜日

新聞業界における拡張について

 随分と久しぶりにこの「新聞メディアを考える」のカテゴリーを用いますが、今日は私が新聞業界において最も問題性があると感じられる「拡張」について、私の知っている内容を紹介しようと思います。

 拡張と書くと新聞社が一体何を拡張するのかと感じられるかもしれませんが、これは言うなれば新聞購読の勧誘のことで、よく一人暮らしとかしていると夜中にやってくるあれです。こうした新聞の新規購読を促す営業の事を新聞業界では「拡張」と呼ばれ、この営業を行う人員たちも「拡張員」と周囲から呼ばれております。
 こうした拡張が何故行われるのかといえばそれはやはり新規契約を得る事によって購読者数、ひいては新聞の販売収入を増やす事が目的とされているのですが、現在に至ってはそのような目的はほぼ有名無実と化しており、新聞業界のチキンゲームのような様相を為しているのが実態です。 

 具体的にこの拡張で何が問題なのかといえば、新規購読契約者に対する見返りです。こうした新聞の勧誘を受けた方なら分かると思いますが、大抵どこの新聞社も契約を条件に洗剤やら野球のチケットを新規契約者に見返り品としてくれます。こうした見返り品は通常「拡張材」と呼ばれて拡張員が申請することで新聞社本社やその支部が購入して拡張員へと配布されて使用されるのですが、一体それらの見返り品がどれだけ購入されてどれだけ部数の増加につながっているかという具体的なデータは新聞各社からは公開されておりません。

 というのも基本的に拡張員は各新聞販売店の従業員が兼ねる事が多いのですが、そうした拡張員が見返り品を本来の目的である販売拡張には使わずに、そのまま金券ショップなどに持っていって自分の懐に入れてしまうといった問題のあるケースが非常に多いからです。これはこの前に友人に貸してもらった「メディアの支配者」(中川一徳著)にて紹介されている事件ですが、以前にそうした見返り品の申請を拡張員から受けて発注を行っていた支部の責任者が、自らの権限を使用する事で新聞社(産経)に金券を大量に購入させる傍から換金し、なんと数千万円にも及ぶ金額を横領していたという事件もあったそうです。無論それらの経費は新聞社が最終的に引き受けることとなったのですが、そうした経費は経営維持のために周りまわって購読者への新聞販売価格に影響することになります。

 このようなとんでもない額とまでいかなくとも、関係者などから話を聞くとみんな多かれ少なかれこのような横領をやっているそうです。またこうした横領に留まらず、見返り品が配られる対象にも大きな問題が潜んでおります。
 新聞は基本的にどこも三ヶ月契約から行えるのですが、契約の度に見返り品がもらえるという事もあって中には見返り品をもらう為だけに意図的に契約を三ヶ月ごとに更新する方も少なくありません。それに対して以前からずっと同じ新聞を購読している人間はというと毎月購読料を払っているにもかかわらずそうした見返り品をもらえることは一切なく、この構図は言い換えるとずっと購読している人間の払う購読料によって得た収入で、新聞社はころころと契約を変える人間に対して見返り品を購入してあげているという構図になります。

 業種こそ違えど、携帯電話会社の契約争奪合戦が激しかった数年前には「0円携帯」という、新規契約者に対して新型携帯電話機の購入費用を携帯電話会社が実質的に負担することで契約を得るという販売方法をどこも行っていました。しかしこの販売方法だと同じ契約料でも既存の契約者層に対して、携帯電話機目当てに契約を度々変える人間がもらえる電話機代の分だけ得していることになるとして、公正取引委員会からの指摘を受けることによって現在ではすでに廃止されておりますが、現在も続いている新聞の拡張の構図はこれ全く同じと言っていいでしょう。

 またこうした費用面の問題に留まらず、確か数年前に拡張員が強引な勧誘を行って暴行を加えたというヤクザまがいの事件も起こっており、夜中に突然押しかけしつこく勧誘するなどといった拡張員のモラルについてもよく取りざたされます。彼ら拡張員からすると取って来た新規購読契約の数だけ報酬が得られるので、報酬目当てにひどいものになると購読料は三ヶ月は無料だなどとありもしないでまかせを言って契約させるという例まであります。またそういった拡張員に対して、三ヶ月ごとにころころ契約を変える購読者は上客になってしまう事実もあります。

 このように費用がかかるだけかかってそのくせ購読者が定着しないのに、一体何故新聞社がこのような拡張にお金をかけるのかといえば、一言で言えば目先の部数が目当てだからといわれております。この拡張に負けず劣らず問題性のある「押し紙」についてもそうですが、新聞社は発行している部数が多くあると言えば言うほど広告費を得られる構図となっており、それこそ水増ししてでも部数を多く見せようとします。そのため定着しないとは言え少しでも部数を上積みしてくれるのであれば湯水のようにお金をかけて得ようとするそうです。そうした少ない部数を奪い合う形で、新聞各社はチキンゲームのようにお金をかけて拡張合戦を繰り返しているというのが現在の状況です。

 私に言わせると、そもそも紙面を充実させて購読者を得ようとするのではなくこのような拡張に大金をかけること自体が新聞社として間違っているように思え、また営業もするならするで契約を次々と変える人間ばかり相手して既存の購読者を大事にしないというのも非常に卑怯だと感じます。そして広告費の算定についても、何故未だに発行部数ではなく購読契約者数(どこも公表していない)を用いないのか、もっとスポンサーは怒ったっていいでしょう。

 なお新聞の集金を行っているうちのお袋のよると、ずっと同じ新聞を購読している人はみんな人当たりがよくて集金に行っても金払いよく払ってくれるのに対して、契約を何度も変える人は金払いも悪いだけでなくあれこれ難癖をつけてくる人が多いそうです。さもありなんな話です。

3 件のコメント:

サカタ さんのコメント...

 私のところにもたまに朝日新聞の人が契約を取りに来ます。 いつも門前払いですが・・・。 
 拡張のシステムはそんな感じなのですか。 社会のシステムというものは、いつも欠陥だらけな気がします。 花園さんの記事を見ているとよくそう感じます。 マスコミの流す情報は操作されていることが多く、聞こえのいいことが多いです。しかし、花園さんの記事のように事実を突き詰めるとほとんどのことが人を騙していたり、私利私欲を肥やすために人を踏み台にしています。 それが人間の本質なのでしょうか?そんな社会のために自分の身を犠牲にするなんて、はなはだ馬鹿らしくて考える気にもなりません。 むしろ、そんな社会に出て自分の身を削りながら働くことに強い畏怖を感じます。 この社会で生きていくためには、個人がそれぞれ楽しみ、夢、希望を持っていかなければいけないのでしょう。 そのはずが、個人の主張は集団のルールやシステムで阻害されてしまいます。 社会のシステムはいつも人を苦しめていると思います。まとまりのない文章になってしまい、すいません。

花園祐 さんのコメント...

 自分もこうした社会に身をおけば意識せずともそのシステムの保持させる一人になってしまうのではないかと考え、社会から出来る限り隔絶して生きていくべきではないかと考えた時期がありました。しかしこうした社会を問題だと考え、変えていかなければならない自分だからこそ、たとえ爪弾きにされようとも社会の中で活動していかなければと思い直して、今もなおそこそこ関わりながら生活しております。

 友人なんかは元々人間自体がそんな整合性の取れた社会を作れるわけがないのだから、無理に変えようとして苦しむよりも適度な距離を保って自分さえ保持できればいいと主張しますが、私は昔から喧嘩っ早くて頑固ゆえにそういう風にはなかなか割り切れませんね。

 最後に、この新聞社の拡張など世の中汚い事ばかりですが、打算や保存といったすべてを放り捨てるようかのな素晴らしい自己犠牲の精神や行動も、数こそ少ないまでもまだ確かにあると私は思え、この世界に見切りをつけるほどまだあきらめてはいません。

サカタ さんのコメント...

 なるほど。花園さんは社会に対して希望を見出し、ご友人は社会と自分を切り離しているのですね。
 私はというと、社会というのは必要のないものだと思っています。 人類が増えすぎた人口をなんとか制御しようと苦肉の策として作り出したのが社会なんだと思います。 そんな急ピッチで作り上げられた社会は欠陥品なんだと思います。 戦国時代のような秩序やモラルのない世界も悪くは無いのかなと思っています。